21世紀に残したい名曲(邦楽部門)

私達はどららかと言うと洋楽志向で,邦楽に関しては余り造詣が深くありません。とは言うものの日本の音楽はマスコミを通じ意識をせずとも耳に入ってくるわけで,もちろんこららの方が聴いてきた曲数は圧倒的に多いと思います。その数の多さから,多分邦楽部門に関してはみんな好みがバラバラでほとんど票が重ならないだろうと思っていました。ところが当初の予想に反して結構同じ様な曲に票が集まってしまいました。分からないものですね。また私達の世代と言えばやはりユーミン・サザンという事になるのでしょうが,この御両家に関しましてはたくさんの票が集まったものの,「1アーティストにつき1曲のみ」というルールで投票しましたのでいろんな曲に分散してしまいました。案外こんなもんです。彼らの名曲は1曲には絞れないと言う事なんでしょう。それはともかく意外にも重複得票曲が多かった為,取りあえず得票上位6曲を簡単に紹介させて頂きます。
タイムマシンにお願い(サディスティックミカバンド)
1974年にシングルリリースされたミカバンドの代表曲。最も得票を集めたのはなんとこの曲でした。彼らにしては珍しい,おそらくは3,4つぐらいのコードで構成されるシンプルな曲ですが,この楽しさ,明るさ,軽快なリズムは現代のポップスと比べても全く遜色ありません。昔のバンドなので若い人達の為に簡単に紹介しますと,ミカバンドとは1972年元フォーククルセイダースの加藤和彦氏が「打倒西洋のロックンロール」を合言葉に,高中正義,後藤次利,高橋幸宏ら凄腕のアーティストを集結させ,ついでに嫁はんのミカさんも加えて結成した日本音楽史上屈指のロックバンドであります。とにかくこのメンバーを見てください。今すぐにでも「ラブラブオールスターズ」が出来そうなほどビッグネームが集まっていますよね。しかも彼らは単に西洋のロックをコピーしていたのではなく,これに東洋のエッセンスを加えた独自の作風,言わばカレーうどん的なノリで世界に立ち向かおうとしていたんですね。当時としては誰もやらなかった事,或いは誰もやろうとしなかった事を敢えてしようとする試み,これがバンド名「サディスティック」の由来だったのかもしれません。本人達の想いは分かりませんが,彼らの目論見はあのロキシーミュージックが一目を置いたと言われるほどですから成功したと言ってよいでしょう。まず最初にイギリスで圧倒的な評価を受け,次いでその人気が日本に逆輸入されました。この「タイムマシンに・・・・」が私達の中で得票を集めたのも,曲自体の良さもさることながらやはりミカバンドだからこそでしょう。他のバンドのナンバーならこれほどの支持は得られなかったと思います。今は歩みを止めてしまったミカバンドですが,彼らの握りしめていたバトンはこの後一体誰に引き継がれるのでしょうか?

勝手にシンドバッド(サザンオールスターズ)
もはや何の説明の必要もございません。1978年6月25日に発売されたSASの記念すべきデビュー曲で「日本ロック史にさん然と輝く金字塔」とも「日本の歌詞をここまでダメにした元凶」とも言われている曲です。賛否両論激しい曲ですが,それぐらいインパクトが強かった事だけは確かでしょう。私自身当時の人気音楽番組「ザベストテン」の「今週のスポットライト」のコーナーで披露されたライブハウスでの彼らの狂乱ステージが今でも忘れられません。説明の必要が無いと書いておいて長々書くのも変ですが,実はこれがサザンのデビュー曲の予定ではなく,ファーストアルバムに収録されている「別れ話は最後に」という曲がテビュー曲になる筈だったんです。直前になって変更されたわけですね。またこの「勝手にシンドバッド」の最初のアレンジではドラムのフィルインから始まる曲だったのですが,たまたま(?)レコーディングスタジオを訪れていたパーカッショニスト斎藤ノブ氏の提案によりその部分が省略されいきなり「ラララー」から始まる曲になったそうです。もしデビューシングルが「別れ話は・・・」の方だったら(これはこれでいい曲ですが),或いは勝手にシンドバッドのアレンジが最初のままであったなら,これほどの衝撃的デビューは飾れなかったかもしれません。本当に人間の運命とはビミョーなもんです。それにしてもあれからもう20余年の月日が流れたとは・・・・・・。とにかくサザンは私達の青春時代と完全同時進行した最も代表的なバンドですから,いつまでも活躍していて欲しいものです。彼らが第一線で頑張っている限り,私達の青春時代も終わる事はありません。絶対に。

星のラブレター(THE BOOM)
1989年に発売されたザ・ブームのセカンドシングル。ラーメンかなんかのCMソングとして使用されていたので知っている人も多いと思いますが,私達のバンドの昔のレパートリーでもありました。古き良き時代のニューミュージックを思い起こさせる歌詞と曲,ブルースハープのノスタルジックな響き,非常にほのぼのとした感じのギターのソロワーク,どれもが素朴ながら聴きごこちの良い秀作です。若い人には新鮮で,そうでない人には懐かしく,結構幅広い層にウケる曲ではないでしょうか。ブームはこの曲とか「島唄」とか時にものすごい名曲を出しますよね。ソングライターの宮沢和史はもっと評価されて然るべきだと思いますが。

雨上がりの夜空に(RCサクセション)
気がつけばニューミュージックからロックバンドに転身していたRCサクセションが1980年にリリースした軽快なロックンロールナンバーで,日本では珍しいダブルミーニングの使われた曲です。ダブルミーニングというのは文字通り「2つの意味を持つ言葉」という事で,洋楽では「ホテルカリフォルニア」の「We have'nt had the spirits here since 1969」のフレーズなんかが有名です。額面通り受け取るならこれは「当ホテルには1969年以来アルコール類は置いておりません」という意味ですが,spiritsを別の意味に解釈すれば「我々は1969年以来魂を失った」という意味になり,つまり70年代以降の病めるアメリカを憂いているわけですね。この「雨上がり・・・」にもそういった手法が用いられており,表面上は壊れた愛車をテーマにした曲,取り方によってはかなり下ネタになります。といっても誰もこれが車の唄だとはハナから思ってないでしょうが。しかしながらコンサートなどで観客が,特に若い女性がこの曲を大声で合唱しているのを見ると,何か変な集会にやってきたみたいでいささか複雑な思いにかられたりしました。

クリスマスイヴ(山下達郎)
元々は1983年に発表されたアルバム「メロディーズ」の収録曲でしたので,そこからのシングルカットという事になるのでしょうか。それが今やクリスマスソングの定番中の定番として世に知られる程になったのは,発売後約6年が経過してからの事でした。そのきっかけはもちろんJR東海の「シンデレラエキスプレス」のCMソングに使われたからであります。ブレイクする迄にえらく時間のかかった曲でしたが,山下達郎自身1973年に「シュガーベイブ」の一員としてデビューして以来,「RIDE ON TIME」でその名を一般に知られる様になるまで約7年もかかっているぐらい気の長い人ですから,このぐらいなんてことないでしょうね。それはともかく,この曲は譜面を見てみると和音の順次進行の見本の様な曲ですから,そういった意味でも中学校くらいの音楽の教科書に載る日もそう遠くないかもしれません。あと余談ですが,「ボキャ天」でやっていた「兄は夜更けすぎにユキエに変わるだろう」っていうネタ,嘉門達夫氏の「君はきっと関西人,さいでんなー,そうでんなー」という替え唄,どちらも秀作です(笑)。

フレンズ(レベッカ)
1985年ハードロックからややポップス色の濃い音楽に路線を変更しはじめた頃のレベッカのヒット曲。どうでもいい事ですが,この曲が私達のバンドの最初のレパートリーでした。本当どうでも良かったですね。最近ドラマの主題歌かなんかに使われているそうですが,当時もこれはドラマの主題歌でした。「ドラマの主題歌・CMソングに名曲なし」とよく言われますが,この曲と「愛のメモリー」だけは違います(やや自社弁護)。テレビというメディアが触媒になった事だけは確かですが,当時レベッカ自体全くの無名というわけではなかったですし,主題歌に使われなくてもそれなりにヒットしていたでしょう。但し多くの人に聴く機会が与えられていればの話ですが。要はきっかけの問題なんですね。それにしてもNOKKOというのはパワフルかつ,見た目の不良っぽさに反して実にウマイボーカリストですよね。150センチぐらいしかないあの小さな身体の大部分には発声装置と拡声装置しか詰まってないんじゃないかと思えるほどです。

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