第3話 「夢の途上」

(1999.07.02.掲載)




 自宅近くに、ジャズ・バーがある。いや、とてもバーと言うほどの雰囲気ではない。そんな高級感とは無縁の世界。
 打ちっ放しのコンクリートに板を打ち付けただけの壁。配管が這いまわる剥き出しの天井。煙草のけむりでくすんだ調度品。ほの暗い照明。とても古びた雰囲気だ。
 けれど、僕は地下室のこの空間が好きだ。もちろん懐かしさもあるだろう。僕が学生の頃から、この雰囲気は少しも変わってはいない。少しざわついた喧噪に包まれた空間だ。
 ときに静かに、ときに激しく、ここにはいつもジャズが流れている。
 ときどき真夜中にひとりでふらりと飲みに行くこともある。会社から帰宅して、そのままここで飲みながら食事を済ませてしまうこともある。あるいは資料を持ち込んで、ここで執筆にとりかかることもある。僕にとっては書斎みたいなものだ。
 心が疲れたときには、静けさのなかよりも、むしろこんな喧噪のなかの方がくつろぐことができる。

 先日、ここでジャズのライブ演奏に出会わせた。
 ただでさえ狭い地下室に小さな特設ステージが設けてある。いつもはひっそりと片隅に置かれているだけのピアノが今日は大活躍だ。ピアノ、ベース、ドラム、それにサックスがふたり。五人での演奏だった。
 三十分の休憩をはさんで約三時間、僕はジャズの演奏に酔いしれた。
 はじめは空席もめだったが、いつしか狭い地下室はいっぱいになって熱気に包まれている。誰もがその迫力に引き込まれていった。
 アマチュアもしくはセミプロの演奏家たちだったのだろうけれど、でもすごい迫力だった。ジャズは難しいと人は言う。奥が深いと人は言う。でもそんな難しいことは僕にとってはどうでもいい。初演が誰だっていい。ニューヨークだろうがボストンだろうが、それがブルー・ノートであっても何でもかまわない。
 ただ楽しければそれでいい。
 演奏の途中で、各パートのソロ演奏となり、メンバーの紹介が行われる。ひとりだけ三十歳前後かと見受けられるが、あとはだいたい四十歳代も半ばぐらいだろう。誰もが皆、これでは食っていけないことを知りながら、それでもジャズが好きな連中のようだ。他で食い扶持を稼ぎながら、ジャズに夢を紡いでいる。私費数百万を投じて、CD制作までやってしまったらしい。
 ここにも馬鹿な連中がいるみたいだな。夢をあきらめることができず、いつまでもその途上にとどまり続けている馬鹿な連中が。
 そんな彼らを見ていると、僕はつい嬉しくなってしまった。

 人は、人生の過程で必ず一度は夢をもつ。大きい夢も小さい夢も、かなえた夢も破れた夢も、それぞれがひとりひとりの追い求める夢だったはずだ。でも多くの人はいつかその夢をあきらめる。僕たちがいる現実のこの世のなかで、夢を追い続けることほどつらいことはないからだ。
 でも僕は夢にはこだわりたい。いつまでも夢に関わり合っていきたい。そして、夢を追い続ける人たちに精一杯の声援を送り、励まし合いたい。
 人生の途上で、人はいつかは必ず倒れる。でも大切なのは、倒れるまでに何をなしえたかという結果ではない。何をしようとする途上で倒れたか、どんな夢の途上で倒れたかということだ。
 人生に終わりはあるかもしれない。でも夢に終わりはないのだから。