「高雄(KAOH-SHIUNG)にて」



「ところでね、連(LIEN)さん」
 僕は購買課長の連さんに話しかけた。
 次の四半期の商談が終わった。何とかおたがいの納得できる条件で折り合うことができて、僕も連さんも満足していた。この次の商談はまた三ヶ月先だ。でもそのとき連さんと商談するのは、もう僕ではない。
「ん? 森沢さん、何?」
 いつものように人懐っこい微笑みを浮かべて、連さんは僕を見た。
「今度の出張で日本を出発する前なんだけど、異動の発表があってね」
「移動? 何かが動くの?」
「その移動とはちょっとちがう。いや、似たようなものか。異動。転勤だよ。僕が動くんだ」
「え?」
 連さんは眼を丸くして、僕を見つめた。

 今日は台湾に入国して五日め。今回の台湾出張の最終日だった。
 初日に台北(TAI-PEI)に入国してから、最初の二、三日は車で台北・桃園(TAO-EN)付近の日系企業を巡った。そのあと、さらに南下して台中(TAI-CHUN)に行き、そこから飛行機で、ここ高雄(KAOH-SHIUNG)にやってきたのだ。
 連さんの勤める高雄企業(KAOH-SHIUNG ENTERPRISE)は、台湾の南端の貿易都市・高雄にある。連さんはここの購買課長。ある日本の鉄鋼メーカーの輸出営業をしている僕との接点は鋼材の売買だ。彼は日本から鋼材を輸入する窓口だった。僕は輸出営業担当として、連さんと三年間、商談を繰り返してきた。
 連さんは僕よりも三つ年上。でも、商談を繰り返すうちに、年齢の差も、顧客であることも関係なく、すごく親しくなった。だから、おたがいに気軽に言葉を交わすことができる。
 もちろん僕に台湾語を話せる語学才能なんてありはしない。おまけに輸出営業でありながら、僕は英語が苦手。よほど語学才能に欠陥があるのだろう。それに対して、連さんは英語も話せるし、何より心強いのは日本語も得意なこと。だから、僕との会話はすべて日本語だ。意志の疎通も図りやすい。

「残念ながらね、国内営業になっちゃうんだ。国内(domestic)だよ」
「ええ? 森沢さん、ほんと?」
 連さんは口をぽかんと開けて、泣きそうな顔になる。
「うん…。残念なんだけどさ、こんなに連さんと仲よくなれたのにね」
「いつ? いつから?」
「これが最後の出張なんだ」
「森沢さん、私、怒るよ? なんで出張くる前に、ひと言、言ってくれなかったの?」
「ごめんなさい。でも、わかったのは出張の直前だったんだもの」
 僕は一所懸命に言い訳する。嘘ではない。内示があったのは出張の二、三日前だ。ただ、二、三ヶ月前から僕はその気配を濃厚に感じ取ってはいた。
「ああ、教えてくれていればね、何か、記念品、差し上げたかった。森沢さんにはお世話になったから」
「何、言ってるの。僕の方こそ、すっかりお世話になっちゃったよ。だって、連さんのおかげですごくおもしろい商売ができたもの」
 連さんはにこっと笑った。
「例の、あのこと?」
「そう。去年の冬の、新橋での密談」
 僕も笑った。
「大分製鉄の広畑さん、口惜しがってました。今度は森沢さんに、やられたって」
 連さんは子どものように、にこにこと笑っている。
「うん。でも、今度は広畑さんにやられるかもしれないからね。僕の後任によく言っておくよ。それに連さんの笑顔にも騙されないように、って」
 そう言って、僕も笑った。


台湾全図  戻る


 連さんと僕は仲がいいとは言っても、その関係はひとつのゲーム友だちのようなものだった、と言っていいかもしれない。
 取引そのものが一種のゲームだった。おたがいが自分に有利な条件を勝ち取れるように、情報を集め、揺さぶりをかけ、相手の腹を探り合う。取引上の駆け引きだ。連さんは購買の責任者として、僕は営業の責任者として。それは確かに、それぞれの雇用者、企業に対する責任ではあったけれど、どちらかというと、そんな忠誠心とは無縁な、個人の価値観の問題だったと思う。
 連さんは、そんな取引関係のなかで生まれた仕事上の友人だった。損得が切り離せない業務上の人間関係において、社内、社外に関係なく、そんな友人ができたのは僕にとっては珍しい経験だった。これはきっと連さんの人柄によるものだろうと僕は思う。
 僕は業務上の人間関係においては、いつもある程度の距離をおいていた。先方が一歩近づけば、僕は一歩下がった。損得が関わると、どうしても友人を失いやすい。事実、丸菱商事台湾の現地商社員とも普通の友人以上のつきあいをしていたが、契約に関する齟齬がきっかけで、友人関係は疎遠になってしまった。割り切ってしまえばいいんだろうけど、きっと僕はその割り切りが苦手なんだと思う。休日を一緒に楽しめるような友人を社内で作っている多くの同僚たちを見ると、ちょっと羨ましくなることもある。
 もちろん、連さんと僕は、おたがいの立場、性格をよく理解しあっていたから、相手に要求できること、頼めることの限界もある程度、わかってはいた。
 連さんの要求に対して、
「だめだめ、連さん、それだけは絶対にだめ。そんなことをしたら怒るよ?」
と、僕が強い口調で拒否したこともあった。
 何とか情報を洩らしてよ、と迫る僕に対して、
「森沢さん、私、それ、知ってるけど、教えられない。私に対する信用、裏切ることになるからね?」
と、冷たく突き放されたこともあった。
 そんな僕と連さんの関係のなかで、ある冬の日、東京・新橋でひとつの密談が行われた。

                    *      *

 その電話の声を聞いた途端、僕は連さんだとわかった。
「もしもし、森沢さん? 私、連です。わかります? 台湾の高雄の連です」
「あれ? 連さん、どうしたの? 今、日本にきてるの?」
 連さんは笑った。
「ちがいます。私、まだ、台湾ね。来週、日本に行きます。今度の商談、まとめないといけないね。森沢さんのところ、行きます。でも、他に行かないといけないところ、いくつかある」
「連さん、『他に行かないといけないところ』ってさ、広島じゃない?」
「ん?」
「そうでしょ? 広島の自動車メーカーとさ、その近くの部品メーカーの高山工業ってとこ」
「森沢さん、よく知ってるね」
「高山工業はさ、新しい商売を連さんとはじめたんだから、ちゃんと情報を教えてくれなきゃだめだよ」
「そう、確かにね」
 連さんの笑い声が聞こえる。
「ねえ、一度、話したいんだ。他にも確かめたいことがある。商社なしでね。いいでしょ、連さん」
「他にも、って?」
「オペル」
「え?」
「また、とぼけちゃってさ」
 僕は笑った。電話の向こう側で連さんも笑っていた。
「わかりました。いいよ、森沢さん」
「じゃあね、夜、食事しながら話をしようよ」
「森沢さん、甘いね、お酒、私の方が強いよ?」
 連さんは声を立てて笑う。
「そう簡単にはね、負けない。最後はきっと負けるけど」
 台湾人はべらぼうに酒が強い。連さんも小柄で華奢な身体つきだけど、これまたすごく強いのだ。台湾出張の折りには「乾杯(かんぺい)」の嵐で、何度、酔い潰されたことか。中国や台湾では「乾杯」というと、まさに「杯を乾かす」のだ。それが現地の習慣だから、僕たちもそれにつきあわなければいけない。郷に入っては郷に従え、だ。こうして紹興酒漬けになってぶっ倒れた先人は無数にいるはずだ。
「じゃ、森沢さん、日本に着いたら、また、電話、します」
「ホテルは、いつものところだよね。あの大森の…」
「そうです。よく知ってるね」
「連さんから電話がなかったら、僕からかけるよ」
「大丈夫、私、ちゃんと約束、守る」
「わかってるって。じゃあ、そのときにまた」
 僕は電話を切った。
 僕の手元にはいくつかの情報が集まっていた。マツダ/フォードが大衆車「テルスター」の台湾現地生産に動き始めていること。あるいは、ドイツのオペルが大衆車「アストラ」の台湾現地生産を計画しようとしているらしいこと。
 どちらも事実であれば、大きな鋼材需要が生まれる。どれもこれも見逃せない情報ばかりだ。うまく取引を成約させれば、今後、この市場でリーダーシップをとれる可能性がある。先鞭をつけた者が勝利者となるのだ。
 そして、これらの情報の糸をたぐっていくと、いずれも「高雄企業」の名前が浮かんでくるのだ。
 これは一度、直接、連さんに話を聞いて確かめなきゃ。
 僕はそう思った。

 それまで、高雄企業は台湾に数ある自動車部品メーカーのひとつという認識でしか扱われていなかった。僕の前任者との鋼材取引量も比較的少なく、主として商談は商社を介在させたやりとりだけで成立していた。たまに連さんも日本にやってきた。でもそのほとんどが商談成立後の手打ち式だった。台湾の自動車メーカー、部品メーカーは台湾の北半分に集中しており、台湾南端の高雄まで鉄鋼メーカーの営業マンがわざわざ行くことは少なかった。
 しかし、この会社の重要性に僕と大分製鉄の広畑という営業マンが、ほとんど時期を同じくして気がついた。それまでは単なる部品プレスメーカーだったが、大掛かりな設備投資を行ってサブアッセンブリまではじめているらしいとわかったのだ。
 岡山県に高山工業という自動車部品メーカーがある。三菱自動車やマツダに対してドアサッシュ(窓枠)などの部品を納入している。台湾に技術提携先があるらしいと聞き込んで調べたところ、その技術提携先がどうも高雄企業らしいとわかった。
 その調査の過程で、高雄企業が予想以上に業容を拡大しているらしいことが判明し、僕は驚き慌ててすぐに高雄に飛んだ。連さんにはほとんど一方的にアポを取った。僕が担当して二年め、高雄へは初めての出張だった。
「とにかく行くから会って」という一方的なアポだったのに、連さんは高雄空港まで車で迎えに来てくれていた。
 そして、工場の隅々まで案内してくれたのだ。僕は自分の眼で、高山工業との技術提携を確認し、サブアッセンブリのための大掛かりな設備投資も確認した。これはすごいことになる。鋼材使用量は飛躍的に増えるだろう。台湾に乱立する部品メーカーのなかで、高雄企業が勝ち組として残っていこうとしているのはまちがいない。
「大分製鉄の広畑さん、先月ね、ここ、来ました」
 連さんはそう言って、悪戯っぽく笑った。
「そうか、先を越されちゃったか。さすが広畑さんだな」
 僕は苦笑するしかなかった。
「ねえ、連さん、今度の四半期商談、まだ決まっていないよね?」
「うん」
 連さんは片眼をつぶる。
「負けた。今回は連さんに負けた。わかった、日本に帰ったらボスの了解を必ず取るからさ、まだ、発注を決めちゃだめだよ?」
「うん。森沢さん、いい条件、楽しみにしているよ」
「その代わり、連さん、ドアサッシュの鋼材、僕にトライ材を入れさせてよ」
「え?」
「だって、ここまできてさ、おみやげなしに日本に帰るわけにはいかないよ。何のための出張だったんだって、ボスに言われるだけだもの。連さんもそうだよね、日本にきたときはさ」
 今度は僕が片眼をつぶる順番だ。
「ドアサッシュ、難しいよ。機械試験値にいろいろ、決まり、っていうのかな」
「制約?」
「そう、その、制約があるし、寸法も決まりが厳しい」
「寸法公差が厳しい?」
「そう、それ」
「いいよ、全部教えて。トライ材を作ってみて、もしもだめだったら、僕もあきらめるからさ」
 こうして、僕は新しい取引を成約させたこともあったのだ。

 その日、夕方から冷たく細かい雨が降りはじめた。天気予報では今晩夜半から降雪に変わるかもしれないとのこと、これからぐんぐん冷え込むのだろう。
 夕方六時過ぎ、僕は新橋駅日比谷口のSL広場で連さんと待ち合わせた。
「森沢さん、お久しぶり」
 ちょっと大きめのコートを着た連さんが僕の前に現れた。コートの肩口がびっしょりと濡れている。
「ああ、連さん、お変わりなく。傘は?」
「持ってきてない」
「しょうがないなあ。びしょぬれだよ」
「だって、台湾は晴れていた」
 連さんはまじめな顔でこう言った。
 僕は噴き出した。それもそうだ。海外出張に傘なんて、僕だって持っていかないもの。
「じゃあ、一緒に入ろうよ、店はすぐそこだからさ」
 駅から歩いて、二、三分。裏通りの少し奥まったところにある韓国風焼き肉の店に案内する。
「連さん、韓国風焼き肉が好きだって、言ってたよね?」
「うん、ありがとう」
「この店はさ、ほら、あいつに教えてもらったんだ」
 僕は共通の知人である台湾丸菱の商社員の名前を挙げる。
「あいつは元気にしているのかな、連さん」
「そう、元気してる。今は鋼材、扱ってないね。別のもの、中国大陸との貿易をしてる。繊維だとか、工業品だとか、そういったものね」
「そうらしいね。鋼材の担当ではなくなったから、僕は彼にはしばらく会ってもいないな」
 連さんは眼を細めて僕を見た。
「どうしたの、森沢さん。彼とはあんなに仲がよかったのにね。最近、連絡がないの?」
「まあね、いろいろとあってさ」
 僕は話をぼかす。
「それよりも、連さん、こないだ、韓国に行ったんだって? どうだった?」
 ひとしきり、たわいもない話が続く。
「ところで、今度は仕事の話。連さん、広島の件はどうだったの?」
「え? 何のこと?」
 思わず、僕は笑った。
「もう、とぼけなくていいんだからさ。うまく取れた?」
 連さんは両手で頭を抱える格好をして笑った。
「それがね、難しい。とても難しいね。価格、高すぎるって。このままでは大物部品、他の部品メーカーだね」
「例えば?」
「それを聞いて、今度はそちらの部品メーカー、森沢さん、取り引きするつもりなんでしょ?」
「そりゃ、まあ、僕はそれが仕事なんだもの。でも連さんじゃなきゃ、こんなこと聞けないよね」
 連さんは購買課長という役職だが、社長の信任が厚いため、営業のようなこともする。今回、広島に行ったのは、マツダ/フォードの現地生産モデルについての部品価格交渉だったのだ。高雄企業が鋼材を買い、プレスをして、ドアに組み立てて、それを部品として現地のマツダ/フォードに売る。彼らはそうやって買い集めた部品で自動車を組み立てるわけだ。
「しょうがないね。あそこね。ほら、桃園(TAO-EN)の近くの…」
「ああ、わかった。六和機械(LIO-HO MACHINERY)か」
「そう」
 僕は思わずつぶやく。
「ふうん、そんなこと、ちっとも言わなかったな」
「森沢さん、前の、その前の週、六和機械に行ったね」
「え? どうして…」
「森沢さん、台湾にきたら、どこ行ったか、全部、わかってる」
 確かに連さんの情報網はすごいのだ。まるでマフィア並みだといつも思う。
「じゃあ、ほかに、僕はどこに行った?」
「翌日は台中の美生金属(MAISON STEEL)だね。ついでに教えてあげましょうか。最初は豊永(FUNG YONG)ね? 二日めは裕隆(YOO LOONG)ね? やっぱりこうして、トヨタと日産は最初に行くわけですか」
 参った。台湾では行動の秘匿なんて無理だ。
「わかった、わかった、もういいよ」
 連さんは相変わらず、にこにこと笑っている。
「そうか。でも考えてみれば、そりゃそうだよね。もともと六和機械はフォード系の会社だったもの」
「でも、うちと、だいぶ、価格差、あるみたい。よほど、安い鋼材、日本から買ってるね。森沢さんじゃないの、安売りしてるのは?」
 連さんが笑いながら僕を見る。僕も笑って答える。
「ちがうよ、連さん。そりゃ、取引はあるけどさ、あそこはもともと鹿島金属がメインだもの。安売りと言ったら、鹿島金属。決まりだね」
「そうだね、私、鹿島金属さんとお付き合いしようかな。広畑さんも森沢さんも、高すぎるね、きっと」
 そう言って、連さんは片眼をつぶる。でも、もう僕は慌てない。連さんの駆け引きにも随分と慣れてきたからだ。
「いいよ。でも、あとで後悔しても知らないよ。あそこはデリバリーがあんまりよくないみたいだからね。また、僕の方でも情報を集めてみるよ。六和機械って言ったらさ、三井商事だな。連さんも三井商事のあの人、知ってるだろ? 一度、調べさせてごらんよ」
「もう、やってるよ」
 さすがに連さんだった。こういうゲームはやっていても楽しい。
「じゃあ、次の質問、いい?」
「どうぞ」
「オペルは?」
 連さんはわずかに笑みを浮かべて、僕を見た。
「私からは、話すこと、できないよ」
「どうして?」
「じゃあ、森沢さん、どこまで知ってる? 知ってることを話してごらんよ」
「ん? じゃあ、話す。僕が話したら、そのあとは連さんの順番だよ?」
 僕は調べたことを話しはじめた。

 台湾は東南アジアにおいては堅実な自動車市場だった。所得水準も高く、経済成長も安定しているからだ。自動車販売台数もここ数年、右肩上がりで着実に伸びてきていた。もちろん日系自動車メーカーがそんな市場を見逃すわけはなく、国内の自動車メーカーはほとんどが何らかの形で現地生産に着手していた。大規模なところでは現地で鋼材調達からプレス、組立までを行い、小規模なところでは日本から輸入した部品で組立を行っていた。
 こうしたこともあって、台湾程度の市場規模で自動車組立会社が十社も乱立し、過当競争状態になっている。さらにこの市場に乗り遅れた欧米系メーカーが参入しようという動きがあった。彼らは参入のために提携先を血眼になって求め、また台湾の自動車組立会社側もこの過当競争に勝ち抜くために、外国資本との提携を望んでいたのだ。
 大規模な設備投資を行ってきた高雄企業がその提携先の候補となるのは当然だった。

「そういうわけで、今度、オペルはアストラのモデルチェンジを機会に、台湾市場に参入しようとしている。まずは完成車販売から、それから現地生産がはじまるはずなんだ。最初は部品輸入による組立からはじまって、やがて現地でのプレスもはじまる。その時期はね、一年後、来年二月。ここから現地プレスがはじまると、僕は聞いているよ」
 僕は言葉を切って連さんの表情を窺った。連さんはにこにこと微笑みながら、僕の顔を見返す。
「連さん、ここまではだいたい正しいよね」
「うん、だいたい正しいよ。森沢さん、調べた通りね」
「じゃ、続ける。ここからが肝心だからね?」
 僕は片眼をつぶる。連さんの真似だ。
「連さんのところはさ、ドアのサブアッセンブリ技術はおそらく台湾の部品メーカーのなかではトップのはずなんだ。大手の組立メーカーを除いて、そこまでの規模と技術を持っているところはない。そうだよね」
 連さんは笑いながらうなずく。
「確かに国産汽車(CHINESE MOTOR COPORATION、台湾では自動車のことを「汽車」と呼ぶ)でも、一部サブアッセンブリはしているけどね、ここはまだまだ規模が小さい。いろんな情報を総合するとね、オペルはまちがいなく連さんのところと手をつなぐ」
 僕は連さんの顔を見つめる。
「ねえ、連さん、前後のドア四枚、フードボンネット、トランクリッド、少なくともこれだけは内板、外板含めて、連さんのところでサブアッセンブリをするはずなんだ。鋼材量で言うと、約一〇〇kg/台、台湾国内向三千台/月としたら、鋼材は三〇〇トン/月だよね。いずれ、台湾が東南アジアへの完成車供給基地になるとしたら、生産台数は一万台/月になるかもしれない。そうなれば、一ヶ月に鋼材千トンの需要だね」
 連さんは笑っている。
「ねえ、連さん、僕にやらせてもらえないかな」
「よく調べたね、森沢さん。だいたい、森沢さん、言う通り。でも、フードボンネットだけ、よそに取られた。春源鋼鉄(CHUN YUAN STEEL)ね」
「そうか、祭(TSUAI)さんが取ったか」
 僕はうなった。春源鋼鉄の祭さんとも取引がある。でも祭さんは何も言ってくれていない。すぐに確認を取る必要がある。
「でもね、あとはみんな、私のとこ」
 連さんはちょっと誇らしげにそう言って、微笑んだ。
「そうか、連さんの売り込みの腕が光ったわけだね」
 連さんは満足そうにうなずく。
「わかった。連さん、うちがもらったよ、全部。その代わり価格はベストを提示するからね」
「森沢さん、それはだめ。だって、私にも、付き合い、あるからね。広畑さんにも少しは分けないと。私、あわせる顔がなくなる」
 僕は笑った。
「さすがだね、連さん、そのバランス感覚。でもだからこそ安心できるよ。じゃあね、ドアサイドとドアヒンジは広畑さんに。これだけは広畑さんに譲ってあげることにする」
 そして、僕と連さんは乾杯した。

 三ヶ月後。
 台湾からレターがファックスで入ってきた。
 新橋での夜、連さんと僕が取り決めた通りの明細が、僕の会社に対して正式に発注された。

サブアッセンブリ  戻る
 自動車本体の組立を「アッセンブリ」と呼ぶのに対して、部品個々の組立を「サブアッセンブリ」と呼ぶ。この場合、サブアッセンブリによって自動車のドアの形に部品が組み立てられ、その完成したドアがひとつの部品として、自動車に組み立てられることになる。

                    *      *

 その夜が台湾での最後の夜だった。
 僕はもうしばらく台湾にくることはないだろう。ここ高雄にも。
 連さんは急遽、僕のためにお別れの宴席をしつらえてくれた。購買課を挙げての宴席の後、僕は連さんと連れだって、高雄の街に出た。
 六月の高雄は蒸し暑く、もう真夏並みの気温だった。同じ台湾でも、台北(TAI-PEI)と高雄では、気候の差が激しい。ここ高雄では南国ムードが漂い、海岸沿いの街路にはヤシの木が風に揺れていた。
「森沢さん、明日のフライトは?」
「午後発の成田行EG(日本アジア航空)だよ」
「それじゃ、時間、あるな」
「何が?」
「明日、私、空港に行きます。なかに入らないで、外で待っていてください」
「わざわざいいよ、連さん。今、忙しいときじゃないの?」
「最後ぐらい、見送らないとね」
 そう言って、連さんは僕の肩をたたいた。
「いい? 必ず、外で、待っていて」
 そして、その晩、僕は連さんと別れた。

 翌日。
 僕は昼過ぎにエアポートリムジンで高雄国際空港に着いた。雲ひとつない快晴だった。強烈な南国の陽光が埃っぽい高雄の街に降り注いでいた。
 カウンターでチェックインを済ませて、僕は手近なスタンドの椅子に座った。連さんとの待ち合わせの場所はここだった。ビールを頼み、喉を潤しながら待ち続けたけれど、連さんはなかなか現れなかった。やがて、フライト時刻の三十分前になって、カウンターがクローズされた。それでも連さんは現れない。
 やっぱり忙しくて、見送りにこれなかったんだろうなあ。
 成田行EGの最終案内がロビーに流れる。
 そろそろ行かなきゃ。
 高雄空港はそんなに大きな空港ではない。だから大空港のようにブリッジから搭乗するわけではなく、旅客は滑走路を走るバスに乗せられて、搭乗機のそばまで行く。だから、駆け込み搭乗はやりにくいのだ。まあ、チェックインしている限り、まず待ってはくれるだろうけれど。
 二度めの最終案内だ。もう待てない。
 僕はあきらめてスタンドの椅子からすべりおりる。チケットとパスポートの所在を確かめる。
 帰国してから、連さんに電話しよう。
 僕はゲートに向かうが、最後にもう一度、振り返る。
 小柄な男性がロビーを走って横切ってくる。
「森沢さん、森沢さん」
 ああ、連さんじゃないか。よかった、間に合って。
「すみません、森沢さん、はらはら、させた」
 荒い息づかいをしながら連さんは僕にあやまる。
「いいよ、そんな。それよりもわざわざ見送りにきてくれるなんて…」
「間に合ってよかった」
「連さん、ありがとう。お世話になったね」
 僕は連さんに手を差し出す。
 連さんは、僕の手に何かを握らせた。とても小さなものだ。
「何?」
「おみやげ、記念品」
 そう言って、連さんは片眼をつぶった。
「え?」
「朝、作らせた。やっと、間に合った。よかった」
 連さんは笑った。
「何だろう?」
「森沢さん、もう行かないとだめだよ。遅れるよ」
「うん」
「飛行機に乗ってから見てごらん。ほんの、私の、気持ちだけ」
「ありがとう、連さん」
「また、私、日本に行く。そのとき会えればいいね」
「そうだね」
「森沢さん、また台湾に遊びにおいで。高雄にもね。必ず、私、この連昆明が、森沢さんを案内する。遊びに来たら、必ず、電話ね」
「わかったよ。最後までありがとう」
「元気でね、森沢さん」
「うん、連さんも」
 僕たちはしっかりと握手を交わして別れた。
 構内バスに乗ってから、ロビーを振り返った。小柄な男性の影がゲートの側にたたずみ、小さく手を挙げていた。
 でも僕が連さんと会うことは、それっきりもうなかった。

 僕は書斎の引き出しを開けて、小さな黒い箱を取り出す。
 連さんにもらったおみやげはいつもそのなかに大切にしまってある。
 印鑑だ。
 石の篆刻だった。
 僕の名前がフルネームで彫り込んである。
 あの日、連さんはきっと朝いちばんでどこかの店に走り込んでくれたのだろう。そして、午前中、それもできるだけ早い時間にこの印鑑を彫り上げるように頼んでくれたにちがいない。そして、できあがったばかりのその印鑑を持って、空港まで駆けつけてきてくれたのだ。
 僕は連さんの思いをしっかりと受け取った。
 この印鑑は僕の宝物だ。今でも僕はこの印鑑を大切に使っている。
 でも僕は、この印鑑は大切な手紙、大切な書物にしか押さない。
 そして、この印鑑を押すとき、僕は高雄の熱い大気とまぶしい陽光をいつも思い出す。
(とりあえず、了)

(一九九九・五・二四、「高雄にて」スケッチ)