「ある雪の日に」




 京阪電車鴨東線丸太町駅から階段を上り、僕は地上へ出る。
 あ、雪だ。
 階段を上りきったところで僕は立ちつくす。雪が降りしきっている。もうそこここに積もりはじめている。見上げれば、街灯に照らしだされた無数の雪片が、強い風に巻き上げられて激しく渦巻いている。
 雪を見た途端、会社での疲れも吹き飛び、僕は子どもみたいに楽しい気分になる。僕は雪空を見上げる。舞い落ちる雪片のひとつひとつが、僕にはるかな冬山を思い出させる。
 そうか。この冬いちばんの寒気が流れ込む、って言っていたっけ。
 僕は激しく降りしきる雪のなかを歩きはじめる。一瞬後には僕のコートは雪まみれになる。この降り方だと、相当に積もりそうだ。夜半過ぎには気温も氷点下になるだろう。
 この前、こんなに積もったのは、確か二年前だったな。
 そんなことを考えながら、僕は家路を急ぐ。
 明日は金曜日だ。くそ、惜しいな。週末に降り積もってくれれば、取材に出かけられるのに。
 僕は気候の気まぐれをちょっと恨む。その一方で、僕の心は思いもかけない検討をはじめて、僕自身がびっくりする。
 うん。明日、午前中、会社を休めなくはない。よし、このまま降り続いてかなり積もるようだったら、午前中だけ休んでしまえ。
 家に着くまでの五分間で、僕は僕なりの結論を出してしまっていた。
 夜半過ぎに書斎の窓から外を見た。雪は暗い雪雲から舞い落ちながら、音もなく穏やかに降り積もっていた。

           *            *

 すっかり雪化粧をほどこした八坂神社の境内は静かだった。点々と一筋の足跡が続き、僕もそれに従って境内を通り抜ける。そしてほとんど人通りのない祇園の裏通りを歩きながら、南へ下る。
 正直なところ、まだどこを訪ねるか、確たる考えはなかった。
 そうだ、清水寺に行ってみよう。時間はまだ朝八時過ぎ、観光客のいない静かな清水寺だ。
 そう言えば、五月の肌寒かったあの日以来、訪ねてないもの。
 そんなことを懐かしく考えながら、僕は雪道を歩く。
 おや、何だろう。
 とんでもなく意外なものを見つけて、僕は思わず微笑んでしまった。

鴨夫婦
鴨夫婦(祇園)

 雪のなかを、なぜか鴨のつがいが散歩しているのだ。そっと近づいてもまったく逃げる気配もない。人慣れしている。どこかで飼われているのだろうか。やがて二羽の鴨は愛嬌ある尻を振り振り、どこかに行ってしまった。
 今日は意外なものに出くわす日だ。
 立ち並ぶ土産物屋もまだ店を開けておらず、とても静かだ。二年坂、三年坂でもほとんど人とは出会わない。通勤通学の人影をちらほらと見かける程度。日中とはちがって生活の匂いのする通りだった。
 ふと現実に引き戻され、僕は会社に携帯電話で連絡を入れる。適当な理由を言い繕い、午前中休む旨を伝える。まさか、雪が積もったので休む、なんて言えまい。それじゃ、まるで子どもじゃないか。
「会社、さぼりですか」
 ふと背後から誰かが僕に呼びかけてきた。僕はそちらを振り返り、訝しげな視線を送る。僕よりも少し若い青年が、照れたように笑っていた。肩には重そうなカメラバッグが食い込み、手には中判カメラをつけた大型三脚を抱えていた。
「ごめんなさい。聞こえちゃったのでつい声をかけてしまって」
「めったにない雪景色だからね」
「私もそうですよ。こんな日に会社なんて行ってられませんものね」
 その青年は恥ずかしそうに笑った。
 降りしきる雪のなかをただひとり歩き続けてきた僕には、この青年と言葉を交わせたことが少し嬉しかった。

清水舞台、雪の日
清水舞台、雪の日(清水寺)

 雪雲の切れめから、陽光が射し込む。積雪がまばゆい光を放つ。曇天下では青白くみえた雪が真っ白に輝くから不思議だ。
 ちょうど清水寺の門前までやってきたときに、一瞬の青空が広がった。清水の高台からは京都の街並みを見下ろすことができた。
 清水の舞台に立ち、僕はあの日のことを思った。
 やがて雪雲がまた京都の空を閉ざした。
 そしてまた激しく雪が降りはじめた。

 帰路、高台寺にふと立ち寄った。雪の積もった階段をゆっくりと登り詰め、高台寺の門をくぐる。朝の早い時間はいい。とても静かだ。
 小堀遠州の作と言われる庭園を巡る。ちらほらとカメラを抱えた写真家がいるほかは誰もいない。夜間特別拝観の喧噪が嘘のようだ。
 あちこちで作務衣姿の人たちが白い息を吐きながら、通路の積雪を黙々と掃き清めていた。
「いい写真、撮れましたか」
 僕が池の畔の雪をかぶった椿の花を撮影していると、そんななかのひとりが僕に声をかけてきた。髭を伸ばした気むずかしげな顔立ちだったが、眼が人懐っこく笑っていた。
「いや、難しいものですね。なかなか思うようには…」
「そうでしょう。難しいですよね。それ、デジタルカメラ、でしょ? 珍しいですね」
 僕が手にしているカメラに眼を落として、彼は言った。
「ええ。なかなかいい写真が撮れなくて、最近、一眼レフは放り出したまま」

寒椿
寒椿(高台寺)

 そう言って、僕は苦笑した。
「私も、ちょっと写真には凝っているんですけどね、やっぱりうまくいかない。これはいいぞ、と思っても現像すると、何てことはない、普通の写真。でも、シャッターを押す瞬間の、あの心のときめき、って言うんですかね。いいですよね。だから、今でもあきらめられないで続けています。あきらめたらだめですよ」
 そう言って、彼はにっこりと微笑んだ。

 青蓮院ではひとりの老人と言葉を交わした。
 僕は小御所、本堂、宸殿(しんでん)を巡り、雪の降りしきる庭園を撮影していた。ここでもほとんど人影はなかった。撮影を終えて、華頂殿に立ち寄った。僕は窓辺にたたずみ、ガラス戸越しにやはり小堀遠州作と言われる庭園を眺めていた。窓の外は激しい雪の降りしきる真っ白な雪景色だった。言葉を失うほどの美しさだった。
 こんな美しさは僕にはとても写真で表現することはできないな。
 僕はその美しさに圧倒され、時間も忘れて魅入っていた。
「本当に、きれいですよねえ…」
「ええ、本当に」
 ふと僕の背後から聞こえた声に、僕は不思議と素直に頷いていた。
「どうしてこんなにきれいなんだろう。こんな素晴らしい日に京都に来られたなんて、偶然だなあ」
 僕はゆっくりと声の方を振り向いてみた。ひとりの老人が窓外の雪景色を一心に見つめていた。僕も再び窓外に眼を戻した。
「雪の積もる京都、って意外と珍しいんですよ」
「そうでしょう。その珍しい日に来あわすことができたんだなあ」
「遠くから来られたんですか」

雪、降りしきる
雪、降りしきる(青蓮院)

 僕は遠くの雪空を見やりながら尋ねた。
「ええ、この京都が想い出の地だったものでね、でも、本当にきれいだ…」
 その老人にとっては、きっと何らかの素敵な、あるいはちょっと哀しい、けれど懐かしい想い出の地なのだろう、この京都の街が。
 いつまでも眼を細めながら一心に眺め続ける老人をひとり残して、僕は華頂殿を後にした。
 青蓮院の門を出ると、一台の大型観光バスが着いたところだった。バスガイドに先導され、観光客がぞろぞろとバスから降り立ち、声高な喧噪とともに降り積もった雪を踏み散らしていた。
 あの老人をもう少しひとりにさせておいてあげてほしいのに。
 僕は時計を見た。午前十時をまわろうとしていた。もう朝の静かなひとときは終わりだ。これからは観光客たちの時間だった。僕はその喧噪から逃げるように足を早めた。
 空は幾分明るくなり、時折、雲間越しに冬陽も射し込んでいる。雪はもう小降りになりはじめていた。

           *            *

 雪の日、僕はいろいろなものに出会い、いろいろなひとたちに出会う。そしていろいろな心にも触れる。雪と、雪の日の染みわたる静けさは、僕たちの心のなかから素直さと優しさをひきだしてくれるような気がする。
 今日は午後から出社だ。またそんな心を忘れなければやっていけない生活が僕を待っている。
 この雪の日に出会った彼らを思いながら、僕は雪の融けはじめた京都の街をゆっくりと歩いていた。

(一九九九・二・五、京都、清水寺・高台寺・青蓮院にて)