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| 紹 介 | 1962年兵庫県生まれ。京都市在住。幼少より自然に親しむ。大学入学後に登山をはじめ、四季の縦走を中心に活動。2年前、十年ぶりに冬山に復帰、かつての相棒たちの復帰を待ちながら積雪期単独行を続ける。京都大学山歩会OB会所属。家庭では三人娘の父親、家族山行も多い。「会社に勤めの傍ら「自然派エッセイスト」をめざし、岳人応募作をまとめたCDーROM紀行集を製作中。今後ともさまざまな山行、自然を描き続けて行きたい」 (『岳人』1999年12月号、岳人紀行賞優秀賞受賞者紹介より) |
| 経 歴 | ●1985年 3月、京大山歩会を卒業後、就職。広島県福山市へ。その後転勤に伴い、横浜、京都と転々とする。就職後も登山を続けるが、1987年
5月に登った加賀白山を最後に登山から遠ざかる。但し、自分への戒めとして『岳人』定期購読だけは続ける(なので、1986年
1月号から持ってます)『岳人』1986年12月号応募紀行「衝立岩の赤いツェルト」(高橋敬一氏)を読んで激しく感動、紀行文に興味をもち、『岳人』紀行文を読みはじめる。 ●1989年、ふとしたきっかけで、会社勤めの激務?のなか「吹雪の北岳」(1984年12月北岳山行)執筆にとりかかる。 ●1990年 4月、親しかった後輩を利尻で失う。遭難の報を受けて現地に飛び、冬姿の利尻を見つつ、自分の生き方を問い直しはじめる。 ●『岳人』1991年 1月号に処女作「吹雪の北岳」入選。自分にとっては「すさまじかった」冬山経験を五年かけて消化し山岳紀行としたもの。 ●1991年 6月、『岳人』応募紀行常連で、その文体を敬愛していた矢内万喜男氏(NHKカメラマン)が雲仙普賢岳の火砕流で殉職、ショックを受ける(この年度の岳人紀行賞最優秀賞は「西穂独標−遺稿−」(矢内万喜男氏)だった) ●『岳人』1993年 6月号に投稿第二作「山の声が聞こえた」が連続入選。自分の隠れた文才に気付き(笑)とりあえずの目標を「岳人紀行賞」に置いて、文筆の世界に踏み込む。同年 7月に福山から横浜に転居、その秋から無積雪期登山に復帰(子連れ登山ではあったが)し、徐々に山行を重ねる。 ●1996年 7月、学生時代の原風景のある京都に住まうべく大阪勤務を希望して赴任。社内では当然のことながら傍流となり、昇進街道から落っこちる。山に向かいはじめた転機。 ●冬山の緊張感に包まれて安堵する情景を描く「街の灯」(1986年12月甲斐駒山行)が『岳人』1997年 1月号に入選、1997年度岳人紀行賞準優秀賞受賞。 ●1997年12月、冬山に復帰。まずは西穂に単独行で。その後、毎冬、単独行を続ける。 ●1999年 3月以降、二週間に一度、狂ったように?雪山に単独で入山。もがきはじめる。 ●家族をもちながら冬山へ帰る気持ちを描いた作品「走れ、蝶ヶ岳」が『岳人』1999年 4月号に入選、1999年度岳人紀行賞最優秀賞受賞。とりあえずの目標を果たす。 ●1999年 6月、後輩KYOと再会。その夏から翌年夏にかけて、ひたすら沢に突入する。 ●1999年 9月、電子出版ツールを入手、それまでの岳人投稿作全18編をまとめて、山岳紀行集『彼方の山稜』をCD−ROMにて出版。「Cyber Bookcenter」でWeb販売をはじめるとともに「エキスパンドブック横丁」「東京ブックフェア2000」「Mac World Expo 2000」などの電子出版フェアにも出展。大反響(?)を巻き起こし、大好評(?)で販売を行う。 ●2000年 2月、大先輩さわむらどんと再会、厳冬期の阿弥陀南稜へ。 ●2000年 5月、さわむらどんと鹿島槍ヶ岳東尾根登攀後、五龍岳で利尻以来十年ぶりに先輩にしやんと再会。その後、三人で登りはじめる。 ●2000年 6月、十年ぶりに利尻を訪問。山への復帰を報告。何かを吹っ切る。 ●2000年秋、山岳同人「黒部童子」に参加。黒部に心酔。黒部別山左俣、中尾根支稜等を登攀しつつ現在に至る。『岳人』入選作品は2001年 5月号までで計7作品。 ●『岳人』2001年 5月号入選作品「春の聖岳と…」で、2001年度岳人紀行賞準優秀賞受賞。 |