山行報告(1999年10月、北アルプス・遠見尾根)
ナナカマド、燃える


 10月中旬、八方尾根を訪れた。
 この1年間にいったい何回めになるだろう。
 そう、五回めになる。
 最初はちょうど1年前、やはり秋に八方尾根を偵察に訪れた。
 その冬シーズンの目標がここだったからだ。
 そして、この春、地吹雪と闘いながら、三度の挑戦と敗退を繰り返した。
 だから、今回が五回めだ。
 もう八方尾根の地形は身体で覚えてしまっている。
 しかし、今回の目的はここ八方尾根ではない。
 この春に敗退した、唐松岳から五龍岳に至る稜線の偵察と、遠見尾根の偵察が目的だった。

 唐松岳から五龍岳に至る稜線は、思った以上に難度の高い稜線だった。
 険しい岩稜が続くやせた稜線だ。
 もちろん無積雪期の今ならまったく問題はない。
 しかし、この岩稜に不安定な積雪がべったりと付いたあの怖さを、僕はこの春、いやというほど味わった。
 ふたりで、しかもザイルがあったなら、楽勝だったろう。
 けれど、僕程度の技術、しかも単独行なら難度は飛躍的に高まる。
 あのとき滑落した場所、あのとき撤退を決めた場所、僕は鮮明に覚えている。
 そして今回、しっかりと確認した。あの滑落の恐怖感がかすかによみがえった。
 あのとき、よくまあ、ひとりで行こうとしたなあ。
 これが正直な感想だった。
 積雪のない今、そこは何の変哲もない砂礫の傾斜地だった。
 途中から撤退したことも、結果的には好判断だったと思う。
 あれ以上進んでいたら、その後も続く難所で、文字通り進退きわまったことだろう。
 しかし、あのときはそうだったかもしれない。
 おそらくこの稜線を冬にひとりでたどるとすれば、僕にとっては限界に近いルートだとは思う。
 でも、僕も五月の穂高でひとつひとつ限界を超えてきた。
 あの敗退を繰り返したときの僕ではない。
 今の僕なら、この危険をすり抜けることができるのではないか。
 そんな思いもあたまをもたげる。
 行くべきだという思いと、危険すぎるという思いのあいだで、僕は今でも迷い続けている。

 今年のもうひとつの目標は遠見尾根だ。
 八方尾根に比べて、距離的に長く、標高差も大きい。積雪も深く、上部では険しいリッジもある。
 総合的に八方尾根よりは難度が高いだろう。
 特に厳寒期の単独行はすさまじいラッセルを強いられるだろう。
 下手をすると胸以上のラッセルも覚悟しなければいけない。
 はっきり言って、僕にはそんなラッセルをひとりでこなせる体力はない。
 他パーティのラッセルをあてにするしかないのだ。
 これが単独行を続けざるをえない僕の限界のひとつでもある。
 そんなことを考えつつ、僕は遠見尾根の地形を丹念に覚えながら、ここを下った。
 危険個所、幕営適地をひとつひとつ確認しながら。

 10月10日。
 この日は「晴天」の特異日だ。気象統計上、晴れる確率が異様に高い日なのだ。
 東京オリンピックの開会式にこの日が選ばれたのも、その理由からだ(実際、晴れた)
 今年もやはり、雲ひとつない快晴だった。
 抜けるような秋空の下、僕はまもなく初雪の訪れる稜線を思い浮かべながら、遠見尾根を下った。
 秋たけなわの遠見尾根はさまざまな紅葉・黄葉に包まれ、今年最後の鮮やかな装いを見せていた。