山行報告(2000年6月上旬、比良山系三舞谷)
核心部30mの大滝で直登を狙う
全身に滝のシャワーを浴びつつ、ルートを探る



 近畿地方が梅雨入りした翌日、僕たちは比良山系三舞谷を狙った。
 前日に低気圧が発達しながら通過。それに向かって湿った暖気が流れ込んだため(気象用語で言ういわゆる「湿舌」)、日本各地は局地的な大雨に見舞われた。増水していないかと冷や冷やしていたが、もともと水量の少ない沢なのだろうか、情けないほどのちょろちょろとした細い水流だった。半ば落胆、半ば安堵しながら、登攀ギアを携えて僕たちは入山した。今回の目的は、核心部30m大滝を直登すること。そのために、いつもの登攀ギアだけでなく、今回はハンマー、ハーケン、アブミなども持ち込み、万全の体制で望んだつもりだった。
 手元にあるのは20年前の遡行図集(中庄谷直著『関西周辺の谷』昭和55年版)だ。昨年からこれを片手に沢登りを続けているが、やはり20年も経つと相当に地形が変化している。やはり崩壊が激しい。すさまじい崩壊跡に出くわしたり、あるいは遡行図にはある滝が崩壊に埋められていて消えていたり、あるいは10mの滝が半ば埋まって5mの高さしかなかったり…。こうして美しい沢が崩壊していくのは悲しいことだが、これが自然の輪廻なのだろう。いずれ、山は削られて平原に還るのだ。そんな大自然の摂理に対して、卑小な人間が砂防ダムなどで抵抗を試みるのは児戯に等しいと思う。
 おっと、本題から逸れちまった。
 で、三舞谷もその例に洩れず、というか、今までの沢のなかでいちばん大きく変化していた。至るところで大崩落があり、常に落石が起こっていた。比良山系西面の沢のなかで、この沢だけが特に岩質が脆いのかもしれない。上から下まで逆層でかつ脆い岩質が続き、登攀は常に困難を伴った。逆層にアンダーホールド(下から持ち上げるように岩につかまって身体を支える)を求めるが、すぐに剥がれ落ちてしまうのだ。おまけに逆層のスタンスにはこべこべの泥がべったりついていて滑りやすく不安定。結局、ザイルを出しまくった。しかも滝の直登でザイルを使いまくったわけではなく、高巻き(滝を大きく迂回して滝の上部に出ること)、トラバース(斜面を横切ること)などでの使用が多かったのが、今までの沢とはちがった。
 非常に微妙なバランスが必要なところが多く緊張が続いたが、水量が少ない、崩落が激しい、という意味で、もはや三舞谷は沢登りの対象としては魅力が薄かった。
 何はともあれ、記録だ。簡単だが以下に記す。

 09:10 入渓、葛川梅ノ木にて

 いつものように午前8時少し前にKYO宅へ迎えに行き、いつもようにコーヒーを淹れてもらう。
 梅雨前線は南下し、日中は雨も止んでいるはず。降るとしても夕方遅くからのはずだ。
 それから、国道367号を北へ向かい、葛川梅ノ木集落に9時前に着く。途中、坊村で三条京阪発の京都バスを追い抜く。登山シーズンの週末とあって、2台で運行していた。降りたのは中高年のグループばかり。昔は(笑、おっさん発言)高校生のワンゲルなどをよく見かけたものだが、最近の若者たちは(笑、おっさん発言)山になんて登らないんだろう。かくして、山には中高年初心者ばかりがあふれることになるのだ。
 橋の名前が「三舞谷橋」であることをしっかりと確認。まちがいない。けど、水流がちょろちょろやんか。何だ、この沢は? あれだけ降っても増水せんのか? 僕たちはちょっとがっかりしながら、登攀具に身を固めて入渓する。

 10:00 二股

 ここまでは堰堤を巻きながらの退屈な登り。ほんと、沢登りをしていると、この堰堤というやつはうんざりだ。自然のなかに次々と立つ人工物。その点、ヘク谷には堰堤がひとつもなく幽遠な山深さを実感できた。ここで、三舞谷は右股と左股に分かれる。
 川の右岸、左岸は上流から下流を見ての右左だが、右股、左股は下流から上流を見ての右左だ。右股もおもしろいとのことだが、目標の30m大滝は左股にある。僕たちは左股に踏み込む。
 いきなり滝が連続するが、シャワーを浴びながら滝身を直登だ。
 なおも詰めていくと、眼前に突然30mの大滝が現れた。

 10:30 30m大滝基部

 最初はちょっと落胆する。水量の多い、もっと豪快な滝を期待していたのだ。例えば、口ノ深谷の最後に12m直瀑のような…。そこは岩壁を水が伝い落ちているような、そんな滝だった。しかし、近づいてよく見ると、ん〜、これは…。
 手強い。こいつはさすがに手強いぞ。僕たちは呆然とその滝を見上げていた。
 「ま、ちょっと一服しましょうや」
 「そうだな。一服しながらルートを考えるか」
 僕たちは一服しつつ、滝をにらむ。この滝をどう登るか。
 左側のフェースを直登するか。
 あるいは右側のカンテを右上して小さなテラスに出て、そこからシャワーを浴びつつ、左上していくか。
 期待していた残置ハーケンは見当たらない。滝をなめまわすように二人で探す。ようやく見つける。
 左側フェースに1本、右側カンテにも1本。
 誰かが登ろうとしたのはまちがいない。
 「じゃ、まずは右側ルートで行ってみますわ」
 まずはKYOが登る。登るにつれて残置ハーケンがいくつか見つかり、それにプロテクションを取りながらテラスに達する。
 しかし、そこからが動けない。いろいろとルートを探るが、上からはひっきりなしのシャワーだ。体温がどんどん奪われていく。
 さんざん粘ったが、結局だめ。
 今度は交代で僕が登ってみる。テラスまでは難なく達するのだが、そこからが不安だ。シャワーを浴びてトラバース、そのあとに左上して傾斜の緩んだスラブに逃げ込む。ルートはわかるのだが、問題はそのトラバースだ。そこに残置ハーケンがあれば、KYOも問題なく突っ込んだだろう。しかもテラスにあるハーケンも古く、信頼が置けない。何しろ、ここ三舞谷は岩質が脆い。トラバースでしくじって落ちたら、身体は振り子のように振られて落ちることになるし、そのテラスのハーケンが抜けたら、仮にその下のカンテのプロテクションが効いたとしても、グランドフォールの可能性がある。そうなりゃ、下手すりゃ、死にまっせ?
 あかん。
 ひっきりなしのシャワーで冷え切った僕も、やはりKYOと同じく退散した。
 ちょっと休憩後、今度はKYOが左側フェースに挑戦だ。
 しかし、最初の残置ハーケンにプロテクションを取った途端、「あ、あかんわ、緩んどる、こいつ」
 ごそごそしているうちに、ハーケンが抜けてしまった。KYOは焦って腰からハンマーを抜き、打ち直し。そこにスリングを残置して即座に下降。やはりこの滝の残置ハーケンは信頼がおけない。
 どちらのルートでもハーケンに残置スリングがかかっていたが、そのスリングのかけ方がすべて懸垂下降用なのだ。もしかしたら、誰もが途中であきらめて下降したのかもしれない。ここはもしかしたら未踏ルートか?(笑)

 11:30 30m大滝を高巻く

 約1時粘ったが、結局、あきらめる。
 この滝の周囲は岩壁が取り巻いており、高巻くためにはずいぶん戻らなければいけない。それを嫌った僕たちは、左岸の岩壁に一筋切り込まれたルンゼ(岩溝)に突破口を求める。
 だが、ここがまたシブかった! しかし、一度登りはじめたらもう途中では止まれない。足元はこべこべずるずるの泥。ホールドはほとんどなし。細い草木にだましだましつかまりながら、途中、ふたりがようやく立てるテラスに逃げ込む。ここも逆層気味で外傾している。油断をすると滑り落ちそうだ。ふたりとも奇妙な表情で顔を見合わせる。
 「ヤバかったな」
 「ここで落ちたら、下まで行っちゃいますわ」
 考えることは誰もが同じなのだろうか。そこにも残置ハーケンが1本、打たれていた! まさに救いの神。
 1本のハーケンにふたりがセルフビレイを取り、ザイルを出す。あとわずかに10m足らずでルンゼを抜けられるのだが、ここでザイルを出し渋って落ちたのでは元も子もない。信頼できるかどうかわからないそのハーケンを気休めの確保支点にして、KYOが登り、その後、彼の確保で僕が登った。

 12:20 「15mの美しい滝」にて

 30m大滝上部は岩屑に埋まっていた。見上げると右岸に大崩壊跡。高さは100m以上あるだろうか。おびただしい土石が沢筋を埋めている。かつては美しかったであろう連瀑帯はすべてこの下に消えてしまったのだ。根こそぎひっくり返っている大木の葉が枯れていないところを見ると、ごく最近の崩壊だろうか。僕たちは落石に注意しつつ、そこを急いで通過、安全地帯に逃げ込む。
 その安全地帯は遡行図に「15mの美しい滝」と紹介されている滝だった。しかし、やはり岩塊に埋められて10mほどの高さしかない。遡行図は「右岸を高巻く」との指示だが、右岸はさきほどの大崩壊跡。それに忠実に従ったら落石にやられまっせ?
 やむなく左岸のガレ場にルートを求めて、落石を誘発しながら直上。ここでもザイルを出して滝の落ち口へトラバースをする。
 その上は小さな連瀑帯。やはり逆層の岩肌だ。ここはアンダーホールドを求めつつ快適に登っていく。やがて上部二股となり、ここは右股を詰める。ますます水流は細くなって源流帯へと差し掛かる。

 14:00 西南稜にて

 沢登りの最後は、毎度お馴染みの藪漕ぎだ。ここの藪漕ぎはさほど深くもなく、小枝や笹に引っ掻かれまくること20分足らず、武奈ヶ岳西南稜上の一般登山道にひょっこりと飛び出した。
 簡単な食事をとり、あとはただ駐車場所へと駆け下るだけだ…、で普通は終わるのだが、もしかしたら、ここからが今回の山行の核心部なのか!?

 14:30 下山開始

 一般道を駆け下って、そのあと車道を戻ってもよかったのだが、駐車場所への最短ルートを取るべく、僕たちはワサビ峠から廃道に踏み込んだ。地図上では点線で示されているルートだ。この廃道への分岐を探すのもひと苦労があったが、道標の裏側のやぶをがさごそとかき分けて10mほど進むと踏み跡が現れた。
 もともと僕はこの有名な登山地図(登山者の9割以上が使っていると思われる)に示されたルートには懐疑的だ。はっきり言って、コースを示す赤線の正確さを信頼していない。分岐点は確かに正確だった。しかし、結論を言うならば、ルートは案の定、無茶苦茶だった。こんなええ加減な地図をよくまあ平気で発行するもんだ。そのおかげで、結果として、僕らはそれから2時間以上も比良山中をさまよい、ほとんど「ブレア・ウィッチ・プロジェクト状態」になりかけた(笑)
 ルートに沿って、木々にテープの目印が付けられているのだが、それをしばしば見失った。ルートは三舞谷右股に絡みながら付けられているのだが、途中で右股と二度、交叉する。ここですぐに対岸に渡らなければいけないのだが、僕たちは二度とも、誘い込まれるように右股の流れに沿って下ってしまったのだ。だって地図ではそんなふうになっているんだもの。これがそもそもの敗因。そしてルートを見失ってしまった。
 そのインチキ地図によると、ルートは右股南側の尾根上にあるはず。KYOとふたり、強引にそこまで登ろうか、とほとんどそうなりかけたが、何しろ、本当にルートがそこにあるという保証はないのだ。強引に登っていたら、僕たちはその日のうちに下山できず、遭難騒ぎをひきおこしていたかもしれないね(笑) まあ、コンロあり、ラーメン2食あり、水あり、ヘッドライトあり、ビバークは十分可能な状態だったが。
 しかし、僕たちもだてに二十年近く山を登っているわけじゃない。道に迷ってがむしゃらに歩き回って遭難する、そこらの中高年初心者とは一緒にせんといてくれ(笑)
 僕らは迷ったときの原則に立ち戻る。
「迷った場合は最後に確実だったところまで戻ること」
 もう一度、沢筋を登りなおす。そこまで戻ってもルートが見つからなければ、もう一度稜線まで引き返すつもりだった。稜線まで戻れば、夜になっても確実に下山できる。
 結局、最後のテープの対岸にテープを発見。事なきをえて、午後5時過ぎ、僕たちは無事下山した。