山行報告(2011年 4月下旬 北アルプス・爺ヶ岳北稜)

雷雨を切り抜け、悪雪を越えて、僕たちは登攀を続けてきた。
厳しい雪壁を抜けると、陽光が降り注ぎ、僕たちは虚空へ飛び出す。



謝辞

今回の記録の写真について、その多くをじゃまぐちから提供頂いたことを感謝します
いつもカメラマンはNGだけでしたが、じゃまぐちのおかげで多彩な写真を掲載できました
(NG自身の写った写真が多いこと、そのことだけでもとても嬉しい)

一部の写真は、NGにて若干の修正(トリミング、明度・コントラスト調整等)を加えています
提供頂いた写真は、右下に「photo by YAMAGUCHI」と記載しています




             北アルプス、爺ヶ岳北稜




1.山域  :北アルプス・爺ヶ岳北稜

2.日程  :2011年 4月29日〜 5月 2日(山中3泊)

3.メンバー:山岳同人・黒部童子

        澤村 光弘 (56歳) さわむらどん
        野口 公生 (48歳) NG
        山口 千宗 (47歳) じゃまぐち

4.記録  :4/29(金) 曇り時々薄日
        信濃大町(10:00,10:30)=大谷原<1080m>(11:20)〜北稜取付<1635m>(15:00)〜BS<1920m>(16:50)

       4/30(土) 曇り後雷雨
        BS<1920m>(06:10)〜第一岩峰<2180m>(08:00)〜第二岩峰・BS<2350m>(13:35)

       5/ 1(日) 風雨
        (停滞)

       5/ 2(月) 曇り後晴れ
        BS<2350m>(06:00)〜2450m付近(08:40)〜2550m付近(11:00)〜爺ヶ岳北峰<2630m>(11:40)
        〜赤岩尾根下降点<2490m>(12:40)〜高千穂平<2050m>(14:20)〜西俣出合<1330m>(15:50)
        〜大谷原<1080m>(16:40)=信濃大町


5.詳細  :下記参照

<いつものように背景から>

 にしやんの事故があってから、2年後、さわむらどんと僕は再びこの山々に帰ってきた。それが2006年5月に登攀した爺ヶ岳北稜だった。この山行は岳人745号(応募紀行『僕は忘れない』)に掲載された通り、僕たちにとっては再出発を祝す山行だった。その翌年には不帰I峰尾根を登攀し、僕たちは再び黒部に帰ることを信じて疑わなかった。
 その直後、さわむらどんを病魔が襲った。その冬、中ア・奥三ノ沢に向かった僕たちは、さわむらどんの体調不良で撤退を余儀なくされた。それ以来、3年余り、さわむらどんは4ヶ月余りの入院を含めて、闘病生活を送った。僕は退院したさわむらどんと毎週末、クライミングジム(CRUX京都)に通って修行し、さわむらどんの喜怒哀楽をずっと見続けてきた。どんなに努力しても戻らない持久力(呼吸力?)、医者から突きつけられた「回復不能」の宣告。かつては「妖怪」とさえ言われた卓越した持久力を持つ頑健なさわむらどんは、そこにはもうなかった。しかし、そのさわむらどんを支え続けたのは、かつて登り続けた雪稜だった。その雪稜への執念がさわむらどんを一層の努力に駆り立てた。
 昨年5月、その雪稜を目指して、八方尾根を登った。不帰V峰尾根の登攀をわれわれの再々出発の起点にしようとしたのだ。しかし、時期はまだ熟していなかったのだろう。さわむらどんの体調はまだ万全ではなく、僕たちは撤退を余儀なくされた。その後1年近く、自分に対する不甲斐ない思いから雪稜から引退しようかと思い悩むさわむらどんを、僕は見てきた。けれど、さわむらどんは、そして僕たちは、まだあきらめない。まだ何かをやり残したままだ。このままでは終われない。
 そして、この春、僕たちは再び雪稜を計画した。これがダメだったら、さわむらどんはおそらく雪稜から引退を宣言するだろう。僕はそれを感じていた。そして、もしもそうなのであれば、そのときにその引導を渡すのは僕以外にはないことも、僕は知っていた。これは相棒を務めてきた僕の責務だ。
 実質的に4年ほどのブランクだった。僕たちが選んだのは、5年前と同じルート、爺ヶ岳北稜だった。ここには様々な思いがこもっている。それに、とても美しいルートだ。そして、この年齢になると、数年ものブランクがあれば体力的な落差も大きくなる。現在の僕たちにこのような雪稜を続けるのに必要な体力があるのか、それを占うには5年前と同じルートを辿り、僕たちの現在の実力を確かめることが必要だった。

 それぞれの山行にはそれぞれの背景があり、それぞれの経緯があるはずだ。今回の山行にもこのような背景があり、このような経緯があった。けれど、僕の過去の山行にはすべて、そのときの背景・経緯が、そして、その山行に賭けた思いがあったのは確かだ。そんな思いのない山行は、僕には過去にひとつもなかった。
 山とは、僕たちにとって、結局、そういうものなのだと、僕は思う。
 この山行の、長すぎる「背景」は以上のようなものだ。

<入山前>

 今回の山行のキーワードは「軽量化」だった。このような状況下にあるさわむらどんと、二人分の荷重をカバーする持久力は持ち合わせていないNG。この組み合わせであれば、極限の軽量化は必須だった。僕たちは厳冬期でも必携装備だったビールすら放棄しようかと考えた(笑) しかし、助っ人が現れた。NGより1歳しか年下ではないにもかかわらず、抜群の持久力を持つじゃまぐちだ。
 じゃまぐち自身、久々の雪稜復帰だった。数年前からその思いを聞いていた僕たちは、彼の復帰をずっと待ち続けていた。この知らせを聞いたとき、僕たちは無性に嬉しかった。僕たちはもっとたくさんの人々の復帰をずっと待ち続けている。
 そんなじゃまぐちに、天幕とザイルを2本のうち1本、登攀具関係(カム、ピトン、ナッツ等)を任せることにした。今までの経験から、装備、登攀などさまざまな面で、「3人」という人数は、いちばんバランスがよく、効率もいいことがわかっている。天候にさえ恵まれれば、完登の可能性がさらに高まったのは確かだ。
 往路の交通は、前夜発、北陸線経由糸魚川乗換で「きたぐに」を使うか、早朝発の名古屋・松本乗換で新幹線と「しなの」を使うか、どちらか。「きたぐに」だと約2時間ほど早く信濃大町に着くが、あの車両の寝心地の悪さ(旧電車寝台の座席使用なので、リクライニングができない直角座席)を考えると、その2時間よりも、自宅で熟睡+早起き、「しなの」のリクライニング座席の方がまだましだと計算した。
 5時起床、6時過ぎの始発「のぞみ」で名古屋へ、7時過ぎの始発「しなの」で入山祝いのビールの助けを借りて眠りながら、松本へ…。
 10時過ぎに信濃大町着。東京から車で来たというじゃまぐちと合流。昨年のCRUX京都での修行以来、何ヶ月ぶりかの再会だが、僕たちにはそんな時間的、空間的な隔たりは関係ない。ただひと言「まいど!」の挨拶だけで時間も空間も飛び越えて、用が足りる。30年近く前に登った仲間だ。互いの性癖は隅々まで知り合っている。
 天候については、初日は好天、二日めも日中は好天、午後から下り坂、三日めは前線通過と予想。だから、二日めには北稜登攀を完了、東尾根で幕営、最終日は多少の悪天候であっても、東尾根を下降して下山できる…という算段だったのだが…。

<第一日> 曇り時々晴れ、時折小雪舞う
      大谷原(1080m)〜小冷沢〜北稜(1930m)


 いつものように遭対協の方に計画書を出そうと思ったが、午前中も遅い時間に信濃大町に着いたせいか、それらしき人がいない。仕方がないのでポストに入れようと思ったが、あるはずの所にポストがない。やむなく観光協会の方に聞くと…。
 「ああ、ポストのペンキを塗り直すとかで持って帰っちゃいましたよ。明日か明後日には設置するそうですが」と申し訳なさそう。「よろしければ、私が責任を持ってお預かりして、提出しておきますが」と親切な申し出を頂いたので、そのお言葉に甘えてお願いすることにした。しかし、こんなのって…あり?
 じゃまぐち号で大谷原へ向かう。GWのこの時期、信濃大町近辺ではいつも桜が満開だ。今年もやはりそうだった。満開の桜に見送られて、田園地帯から山道へと分け入る。しかし、大谷原に近づいても林床の残雪は非常に少なく、まばらに残る程度だ。今年は残雪が少ないのか?
 大谷原は駐車場と化していた。二、三十台の車が駐められていたが、ほとんどが鹿島槍東尾根か赤岩尾根入山者だろう。ここで装備を整理して出発。
 やがて残雪が現れるが、案の定、小冷沢に入ったトレースはない。右手に砂防ダムの堰堤を見ながら右岸沿いに樹林帯を登っていく。前方に巨大な堰堤。予想通り、今日の核心部(笑) ルートを探しながら堰堤基部まで近づいたが、やはり高巻くしかない。前回同様、右岸側を高巻く。木の根をつかんで這い上り、這い降りる。相変わらず黒部童子は猿だ。

巨大な堰堤前で、高巻きを指示 雪解けの小冷沢を裸足で徒渉
photo by YAMAGUCHI

 再び、河床に降りたったが、わずか100m程上流で残雪が切れた。上流、下流を見渡したが、楽に渉れるところはない。仕方がないので、登山靴を脱いで裸足で5m程の徒渉。水量は膝下ぐらい。この時期の雪解け水は冷たくわずか5mでも足が凍える。対岸の残雪に裸足で上がって登山靴を履く。やれやれ。今度は左岸沿いに上流へ。
 しばらくは残雪に覆われた穏やかな河床を行く。時折、残雪が切れるが、左岸側を微妙なへつりでクリアしていく。高巻きにへつり、これは沢登りか? しかし、その残雪が左岸の急傾斜に吸い込まれる標高1400m付近で残雪が再び切れた。NGは登山靴を脱がずに飛んだが、片足が半分水没。それを見たさわむらどんとじゃまぐちはおとなしく登山靴を脱いで、2回めの徒渉。前回は一度も徒渉はなく、広大な小冷沢の残雪を単純に登り詰めただけだった。やはり今年は残雪が少ない。
 そこから少し登ると視界が開けて、北稜が見えてきた。しかし北峰はガスに覆われて、あの特徴的なドームが見えない。
 下の写真は、5年前と今回、ほぼ同じ位置から撮影した北稜方面。天気が悲しい。

5年前、2006年5月初旬、快晴! 今回、2011年4月下旬、天気悪い〜!
photo by YAMAGUCHI

 しかし、びっくり。眼前に迫る、デブリ、デブリ、デブリ…。相当大きな雪崩があったのだろう。小冷沢全面がデブリに覆い尽くされていた。雪塊ひとつがひと抱えもある大きさだ。これに潰されたらおしまいだろう。僕たちは再び右岸側を登るが、デブリを避けて縁をかすめるように山裾の斜面を登り続ける。このデブリは北稜取付点、さらにその上流まで1000メートル近くも続いているような巨大なものだった。
 北稜取付点の対岸まで達したところで、このデブリを横断、小休止。標高は1650m付近、大谷原から約500mの高度を稼いだ計算になる。ちょうど15時。前回と行動時間を比較すると、30分程度の遅れ。しかし、2ヶ所の徒渉、デブリ回避登高などを考えると、妥当な時間だろう。さわむらどんは遅れ気味とは言え、体調も十分なようだ。暗くなるまでには、まだあと2時間程度は行動できるから、前回と同標高のBSには到達できる。山行後半に予想される悪天候に備えて、僕はそんなことを考えていた。
 この頃から、ちらほらと降雪あり。少なくとも今日は天気は安定するはずなのに…と、今後の天候に懸念を抱く。

デブリを避けて右岸山裾を行く
左手奥に北稜第一岩峰が見える
北稜末端付近を埋め尽くすデブリ…
ここを横断していく
photo by YAMAGUCHI

 そのときいきなり、どどーっと雪崩が起きた。僕たちがこれから入ろうとしている一ノ沢側壁からだ。土砂混じりの小規模な雪崩だった。僕たちは迅速に行動を開始した。一ノ沢の出合から約50m付近、北稜から落ちる2つめのルンゼに取り付いた。たぶん前回と同じルンゼだろう。
 腐りかけた深い雪だったが、その雪には層ができていることに僕たちは気付いた。表層の10センチほどが特に柔らかく、その観察から最近の降雪であることを知った。気をつけなあかんな、と僕たちは考えた。
 そのルンゼを詰めると上部は垂直に感じるほどの雪壁となったので、やや右に斜上しながら北稜上1750m付近に到達。とりあえず稜線上に出られたことで僕たちはほっとして笑顔を交わした。雲が多く陽射しがないため、肌寒い。遠く長野方面には青空が広がっているものの、爺ヶ岳主稜線にはガスがかかったままだ。予想外に天気はよくない。僕たちは穏やかな樹林帯の稜線を登っていく。

北稜上に出る、長野盆地方面に青空が広がる 北稜の樹林帯を登高する
photo by YAMAGUCHI photo by YAMAGUCHI

 標高1800mを越えたあたりで平坦な幕営適地を見つけるが、時刻は16時半過ぎ、周囲はまだ明るく、僕たちは前回の幕営地までもうひと頑張りすることにした。17時頃、1930m付近の前回幕営地と思われるところに到達。周囲の樹林帯、ここから見上げた第一岩峰の姿にも見覚えがある。ここから先は幕営適地はない。ここで幕営に決定。
 交替でスコップを使い、雪塊を切り崩して、2m四方の平坦地を作り、3人用天幕を設営する。このあとは恒例のお楽しみ、ビールで乾杯! さわむらどん持参の生ハム、じゃまぐち持参のサーモン燻製を食しながら今日の行動を振り返る3人であった。

前回の幕営地 で、今回の幕営地…前回と同じになりました
やっぱり幕営適地は限られますな



<第二日> 曇り後みぞれ、さらに雷雨、風強し
      北稜(1930m)〜第一岩峰(2185m)〜第二岩峰(2350m)
      にて行動中止、天候悪化によりビバーク


 午前4時半起床、6時出発。朝は恒例の一杯のコーヒーから始まる。
 昨日の気圧配置図では、日本海低気圧の接近が予想されたが、何とか今日の日中は大丈夫だろうと判断した。
 出発時にはまだ晴れ間が広がって朝日も射し込んでいたが、出発後間もなく、上空に薄雲が広がりはじめ、みるみるうちに全天を覆っていった。しばらくは視界もよく、すぐ上に第一岩峰ののっぺりしたピーク、そしてその奥に第二岩峰の鋭いスノードームが見えている。幕営地からはノーザイルで雪稜の登高を続ける。

北稜を登高する、この頃はまだ陽射しもあったのだが…
photo by YAMAGUCHI

 第一岩峰直下、藪混じりの雪壁で初めてザイルを出す。
 「一発め、誰が行く?」と、さわむらどん。
 「わし、行くわ」と、僕。一発めは僕がやらんとあかんやろと思っていた。
 NGのリードで登攀開始。藪を抜けて主稜線へ、そして雪稜にザイルを伸ばしてビレイ。当然、支点は求められない。雪稜にバケツを掘り、そこにアックスを蹴り込んでビレイ支点とする。ここからは緩急さまざまな雪稜、雪壁のスタッカート登攀が断続的に続く。基本的にNGとじゃまぐちが交互にリードし、オヤジさんはそれを見守るのみ。「NG、おまえ、雪壁登るの、うまなったなあ。もう安心して見てられるで!」とオヤジさんから珍しく(!)褒め言葉をもらう。以前は、オヤジさんやにしやんから「何やっとんねん、下手くそ!」と怒鳴られ続けたものだった。
 上空に広がった薄雲はやがて厚みを増し、雲底が低くなってくる。やがて、後立山主稜線をガスが隠し、そのガスは右手に見えていた鹿島槍東尾根、左手に見えていた爺ヶ岳東尾根を覆い尽くす。そのうちに風が強まり、みぞれ模様となる。
 ビレイしている身体は冷え、手袋は濡れて指先がかじかむ。
 そのピッチはNGがリードしていた。遠く白馬方面に遠雷が響き、稲妻が走るのが見える。やばい、やばいなあ。腕時計の示す高度と周辺の地形から、第二岩峰直下だろうと予想する。基部の岩壁が一部、残雪から露出している。いいビレイ支点が取れそうだが、残念ながらこの60mザイルでもそこまで達せられそうにない。やはりボディビレイで、後続のじゃまぐちとさわむらどんを登らせる。複雑な地形なので声が通らず、行動確認はホイッスルに頼る。僕のビレイ点まで達したじゃまぐちに岩壁基部まで行かせて、そこでカムを出させる。岩壁のクラックに完璧にカムが決まった! そこにビレイ支点を取って、そこからじゃまぐちにリードを頼む。藪混じりの雪壁を越えて消えていったが、そこからはなかなかザイルが伸びない。みぞれはやがて雨に変わり、強い風雨が僕たちを打つ。雷光、雷鳴がますます僕たちに近づく。やばい、やばい。

正面に第二岩峰、核心部はこれからだ この頃には雲行き怪しく、みぞれが降り始めた
photo by YAMAGUCHI photo by YAMAGUCHI

 雷を避ける基本は金物類を身体から離すということらしいが、今の僕たちにはそれは不可能。アックス、アイゼンを手放して、この雪壁途中で生き残れるとはとても考えられない。運を天に任すしかない。このとき、リードしていたじゃまぐちは、カラビナが「ジージー」と鳴っていたような気がする、と後に証言した。さもありなん、とそれを聞いた僕たちは思った。しかし、そのとき、じゃまぐちはその雪壁途中におり、僕とさわむらどんはその雪壁の下にいた。雷にやられるのなら、真っ先にじゃまぐちのはずやな、とさわむらどんと笑えない冗談を交わす。そして、これ以上の行動はやばい、この雪壁を抜けたらビバーク地を探そうと話し合っていた。
 やがて、かすかなホイッスルが聞こえる。ここは渋そうだから別々に行動しようと、さわむらどんと声を掛け合って、まず僕がフォローする。確かに渋い。じゃまぐちのザイルがなかなか伸びなかった理由が分かる。藪混じりの不安定な雪壁を抜けると、眼前に不安定なキノコ雪が立ちふさがっていた。ここで僕は分かった。ああ、これはあのときのピッチなのだ、と。
 前回、このピッチは僕がリードした。不安定な藪混じりの雪壁とその後に続く巨大キノコ雪。あのときの僕も覚悟を決めて、これを「何くそ!」と乗り越えていったものだ。
 しかし、前回以上にこのキノコ雪が悪い。とにかく雪質が不安定だ。じゃまぐちもよく根性決めたなと感心しながら、そのキノコ雪を越えていくと…。何だ、これは! 僕は茫然と立ち尽くした。眼前にはほとんど崩れそうなくらいに不安定な、そして巨大なキノコ雪が連続していた。それが上部へと続き、ガスの中に消えて行っている。こ、これを越えていくのか。僕は言葉を失った。その核心部の手前、8畳ほどの平坦地でじゃまぐちは悲しそうな笑いを浮かべてビレイをしていた。

何だ、これは?! この雪稜を前にして茫然と立ちすくむ
あの右奥に見えるドームが爺ヶ岳北峰だ
photo by YAMAGUCHI

 次にフォローしてきたさわむらどんも、姿が見えた途端、巨大なキノコ雪に視線を釘付けにして茫然とした表情を見せた。しかし、ここまで来たら、もう撤退は不可能だ。撤退しようにも懸垂下降の支点すら作れない。風雨は強まり、身体は冷え、僕たちの気力は削がれる。標高は2350m、高度計から第二岩峰だと推定される。風雨が激しく、落雷も頻発している。僕たちはここでのビバークを決意した。
 突風に天幕を飛ばされないように設営を終え、天幕内に装備を放り込む。アックスとアイゼンは一塊にして、天幕から数m離れた雪面に刺す。そして僕たちは登山靴を履いたまま、天幕に転がり込んだ。時刻は13時半過ぎ。
 ガスコンロに火を点けて、まずは温かいスープを作り、身体を暖める。外では風雨が吹き荒れているが、天幕内は天国だ。ようやくひと心地ついたところでビールをおもむろに出し、ここまでの無事を祝ってささやかに乾杯。雷はどんどん近づき、雷光と雷鳴の間隔が1秒もなくなってくる。ひと吹きの突風が天幕を揺るがす。僕は思わず缶ビールを手で押さえ、じゃまぐちもアルミのコップを手に持つ…。「おわっ?」と、NGとじゃまぐちが同時に叫ぶ。手にビリビリと電気が走った。感電したのだ。ここはすでに雷雲のなか、あたりのものが全て帯電しているのだろうか。そのとき、天幕のすぐ近くでバリバリッと音がした。どうやら、アックスとアイゼンに落雷したらしい。僕たちは生きた心地もせず顔を見合わせていた。
 夕方までの時間、ウイスキーをなめながら過ごし、早めの夕食を作って、早めに就寝する。明日は一応午前4時起床とするが、たぶん荒天が続くだろう…。
 下山後、僕たちが雷にやられた時間帯に、鹿島槍ヶ岳頂上付近でふたりの登山者が落雷にやられたことを知った。僕たちは自分たちの強運を噛みしめた。



<第三日> 風雨強し
      第二岩峰BSにて停滞


 一応、午前4時に起床。しかし、起きるまでもなく真夜中から激しい風雨が続いていた。「寝ようぜ」と誰からともなく二度寝を決め込む。
 8時過ぎ、周囲の明るさ、身体の痛み、空腹、退屈に耐えかねて、再び目が覚める。しかし、相変わらずの風雨だ。起き上がってもすることはない。寝袋の中でうとうとしながら過ごす。9時過ぎにじゃまぐちがラジオをつける。NHKの気象通報が流れる。その放送を聞いた途端、NGは本能的に起き上がり、本能的に気象図を描き始める。もう30年来の反射的習慣、身体に刷り込まれている。パブロフの犬。気象通報を聞きながら、気象図を描かないなどということは僕には考えられない。
 5/1、午前6時の気圧配置。山陰沖に低気圧、温暖前線が東北地方に伸び、寒冷前線が対馬海峡に伸びている。この気象図を見て、昨日の荒天の納得がいった。おそらく昨日の午後、温暖前線が中部地方をなめるように通過したにちがいない。昨日の雷もこの温暖前線通過に伴うものだろう。天気予報はこの温暖前線の影響を過小評価していたにちがいない。この低気圧の移動速度は35km/hとのこと。これで今日の天候を予測する。低気圧が能登半島沖に来る正午前後は風雨ともに弱まるだろう。もしかしたら晴れ間すら見えるかもしれない。疑似好天だ。そして午後、寒冷前線の通過とともに風雨は激しくなるだろう。これでは当然、行動は起こせない。今日は停滞だ。
 再び、全員が黙り込んで寝袋に潜る。停滞日の食糧計画は乏しい。寝れるだけ寝て、エネルギー消費を抑える。
 それでも10時過ぎには空腹で起き上がり、そろそろええかと、朝食を作る。ラーメン2人分を3人で分けるというわびしい食事。食事の後は、再びうとうとと過ごす。昼頃には風雨が弱まり、薄日が射す。やはり疑似好天だな、と誰ともなく言う。低気圧が日本海を通過する際、一時的に荒天が治まることがある。しかし、次の寒冷前線の接近に伴って、それまで以上に荒れるのだ。
 案の定、昼過ぎからとてつもない突風が襲ってきた。とても寝てはいられない(笑) 3人が身体を突っ張って、突風で天幕が持ち上げられるのを防ぐ。ウイスキーをなめながら。その突風も3時間ほどで止んだ。携帯電話のiモードで予想気象図を呼び出す。明朝は寒冷前線が東海上に抜けて、弱いながらも移動高が張り出すとの予報。少なくとも今日よりはマシなはず。

05/01 09:00 実況天気図 05/02 09:00 予想天気図 05/03 09:00 予想天気図

 その情報に少し力を得て、3人とも起き出す。いい加減、寝てるのも退屈だ。残り少ないウイスキーを再び引っ張り出して、過去の山々の思い出話を語り続ける。そして、現在のクライミングの話題。一旦話し始めると話題に尽きない。けれど、何を話したか、覚えていない。NGが持参したベーコンブロックがまだ残っていることを思い出し、明日への活力として分け合う。予備日の計画通り、この日の夕食は2人分のパスタを3人で分ける。
 こうして天幕内での停滞日をかろうじて過ごしたのだった。



<第四日> 曇り後晴れ
      第二岩峰(2350m)〜爺ヶ岳北峰(2630m)〜赤岩尾根
      〜西俣出合〜大谷原(1080m)

 ガスで包まれた夜が明けた。雲底はまだ低い。しかし、僕たちには停滞するという選択肢はない。やはり4時半に起床、言葉数も少なく、まずは恒例の一杯のコーヒー。そして朝食のラーメンを作って食べ、出発の準備だ。徐々にガスが上がっていく兆しはあるが、まだ主稜線は見えない。天幕を出る。この一畳ほどのスペースで男3人、約42時間を過ごしたことになる。やれやれ、足腰、背中、頸が痛い。
 さて、ここに到着したときに、三人ともが「おおっ!」と驚いた悪雪が、BSのすぐ上で僕たちの挑戦を待ち構えている。しかも、この2日間の悪天でさらに恐ろしい形相になっている。亀裂が広がり、藪壁からの剥離も進んで、今にも崩壊しそうな雪庇、キノコ雪…。悪夢だった。しかし、例え、ここから撤退を考えたとしても、懸垂下降の支点も取れず、どうやってクライムダウンできるんだか。前門の虎、後門の狼。まあ、撤退は考えんかったけど。
 「誰がリードするんや? NG、おまえ、行け」と、さわむらどん。
 「あかん、このピッチはさわむらどん、行ってくれ」と、僕。
 「わしか? 病人に行かすんか?」と、さわむらどん。
 「それしかないやんか」と、僕。
 「しゃあないな」と、さわむらどん。
 さわむらどんも、これを行くのは自分しかないと既に覚悟は決めていたようだ。
 さわむらどんのリードでスタート。ダブルのザイルを引きずりながら慎重に歩を進める。亀裂を越え、キノコ雪を越え、60mザイルを一杯まで延ばす。さすがに悪いピッチなので、NGとじゃまぐちの同時フォローは避け、セカンドのフォローはNG、シングルで続く。確かに雪質はかなり悪い。こりゃ、さすがのさわむらどんでもリードは緊張したやろなあと思いながら、落ち着いて一歩一歩登高する。

さらに亀裂が広がり、崩壊が進んでいる(前の写真と比較あれ)
photo by YAMAGUCHI

 ビレイしているさわむらどんの横を抜けてバケツを掘り、アックスを蹴り込んでセルフビレイを取る。最後にじゃまぐち、同じくシングルでフォロー、その間にザイルを整理して、次のリードに備える。たぶん、僕が行かされるやろ。サードのじゃまぐちも無事フォローを終了。
 「次、おまえ、行くか」と、さわむらどん。
 「わかった、わしが行くわ。行かんと、あかんやろ」と、僕。
 正直なところ、僕は怖かった…と、僕は告白する。しかし、ここで2ピッチも連続でさわむらどんにリードさせるわけにはいかん。あとで、何を言われるか、わからんしな。
 深呼吸して眼前の雪壁を見上げる。ビレイのじゃまぐちに「ほな、頼むわ」とひと声掛けて雪壁に取り付く。
 ビレイされているとは言え、支点はまともではない。それに途中でプロテクションは取れない。全部が全部、ランナウト状態。だから絶対に落ちられない。ザイルはただの安心感のみ。こんな登攀が昨日からずっと続いている。途中、ビレイ交替時にじゃまぐちがATCを落下させるハプニングもあったが、慎重に、着実にザイルを延ばしていく。

NG担当ピッチをフォローするさわむらどん
ビレイはNGの後ろ姿
次のピッチはじゃまぐちがリード、
遙かに下方、さわむらどんとNG
photo by YAMAGUCHI photo by YAMAGUCHI


厳しい雪稜が続く 奥に延びる尾根は冷尾根
(登高:さわむら、ビレイ:じゃまぐち、撮影:NG)

 前方の巨大キノコ雪に近づく。この登攀も厳しそうだ。この頃には薄日も射しはじめ、気温はぐんぐん上昇する。それにつれて、足元の残雪は腐りはじめる。ぐさぐさの足元を一歩一歩固めながら、雪壁を登る。体重を両手両足4点に分散させ、しかもじわっと体重移動をさせなければ、腐った雪は次々に崩れてしまって登れない。以前はこれができずに、さわむらどんやにしやんに怒られた。しかし、今ではすでにすっかりと身についている。日頃のCRUX京都でのクライミング修行のおかげか、雪稜を続けてきたおかげか。おそらくその両方だとは思う。まだまだ学ぶことは多い。僕は、まだまだ、だ。まだまだ、もっとやらねばならない。
 ここを越えていくと、広大な雪面が待っていた。8時半過ぎ、標高2450m、標高差100mの登高に2時間以上もかけてしまった。前方にやや右手に真っ白な、特徴的な雪のドーム、あれが北峰だ。標高2630m、あと200m足らずにまで迫る。

標高2450mのコブに登り詰めるフォローのNG
(ビレイ・撮影:じゃまぐち)
photo by YAMAGUCHI

 膝までのラッセルを繰り返し、雪面を登り詰める。北峰手前、最後のコブに至る急な雪壁の大雪面。どこをどう登ろうかと考えながら登るうち、かなりの急斜面に遭遇した。上部はかぶり気味のキノコ状、直登不可。右手に回り込み、冷尾根上部に出るか、左手の灌木に絡みながら左手の亀裂の入った雪壁に回り込むか。
 右手の状況不明につき、左手の灌木に絡むことにする。少なくとも太いダケカンバの幹でしっかりとした支点が取れる。2ヶ所に支点を決めて、じゃまぐちがリード。うまく回り込んで上部雪壁へ。NG、さわむらどんもフォロー、上部雪壁へ抜ける。あとは爺ヶ岳北峰のドームに向かう急傾斜の雪壁が残されているだけだった。いつしか上空には青空が広がり、初夏を思わせる強烈な陽光が降り注ぐ。そのなかを一歩一歩、登り詰めていく。

ついに核心部を抜けた! 鹿島槍方面のガスも消えていく…
photo by YAMAGUCHI photo by YAMAGUCHI


これが最後の大雪面だ! 右奥に北峰ドームが見える
上部灌木の左側斜面を抜けていく
photo by YAMAGUCHI


最後の雪壁を登るじゃまぐちとさわむらどん 頂稜に迫るじゃまぐち


爺ヶ岳北峰直下に迫る、右手ドームが北峰
photo by YAMAGUCHI


頂稜直下、最後の雪壁。雪庇をすり抜けるNG(上)と、さわむらどん(下)
photo by YAMAGUCHI

 頂稜直下でやや左上、雪庇をすり抜けて、まずNGが頂稜へ抜ける。眼前にはお馴染みではありながら本当に久しぶりの剱立山連峰、そして黒部別山。それは真っ白な残雪に覆われ、まるで3月の様相だった。やはり今年は残雪が多いのか。僕はその眺望の中に茫然と立ちすくんでいた。後からさわむらどんが頂稜を越えてくる。さわむらどんも無言でたたずむ。続いて、じゃまぐちだ。そこからわずか、11時40分、とうとう僕たちは爺ヶ岳北峰、標高2630mに立った。標高差1000m、北稜での長い死闘を経て。
 「ありがとう。ほんまにありがとう。ここまで来れたのはおまえらのおかげや!」と、さわむらどん。男泣きに泣いていた。この数年間、入院もあり、敗退もあり、それでもトレーニングも重ね、再びこの稜線に立つまでに、どれほどの苦しみがあったか。僕はそれをずっと見てきただけによくわかる。僕たちはがっちりと握手を交わし、抱き合って互いの健闘を讃えた。

爺ヶ岳北峰にて、さわむらどん(右)とNG(左)
photo by YAMAGUCHI

 そこは軽装の登山者も見られる一般縦走路だった。小休止の後、僕たちは赤岩尾根下降点を目指して主稜線を北上、12時40分に赤岩尾根を下りはじめる。そこには数多くのトレースがあった。ここはもう一般ルートだ。連休中、多くの登山者で賑わっているのだろう。そのトレースに足を取られながらひたすら下り続ける。地図で見れば最短の下降路なのだが、最短なだけに下り傾斜がきつく、疲れ切った身体にはこれがまた長い。何とか大丈夫だった左足首の靱帯が疼きはじめ、古傷の右膝も悲鳴を上げはじめる。下降開始から約3時間、15時50分に西俣出合着。ここはもう安全地帯だ。つい先ほどまでの引きつったような緊張からのふわっとした頼りない解放感、僕はもう放心状態となっていた。そこから林道をさらに1時間弱、重い足を引きずり歩き続けて、16時40分、大谷原に帰着する。
 大谷原で冷沢を渡る橋の上から、夕方の逆光のなかに、爺ヶ岳北峰のドームが遠く小さく見えていた。僕たちはそれに別れを告げて、雑然とした日常に包まれた下界に戻るための心の準備をするのだった。


 今年のGWは、2000mより下部では残雪が少なく、2000mより上部では積雪が多かった。そして、1週間前にあったと思われる降雪が不安定な残雪層を成していた。加えて天気予報が外れ、4/30の天候は大荒れとなった。天候の急変、そして氷雨、落雷。僕たちは落ち着いて対処できたが、それでも危ない局面があったことは認識する。山中でビバークしながら、今年はやばいな、遭難が出ているんではないかと懸念していたが、下山後、雪崩、疲労凍死、落雷など、遭難が相次いだことを知った。
 5年前の同時期、僕たちはここを登攀した。しかし、5年前と今回では、雪稜・雪壁の状態は大違いだった。年により山の姿は異なる。それは観念ではわかっていることだった。しかし、話で聞くことと、実際にこの身で経験することには大きな違いがある。僕たちはその違いをわが身を持って体験することになった。今回の今回の爺ヶ岳北稜は5年前に比べて、数段難しかった。実際、今回の山行は僕が「生きて帰った!」と実感した4度めの山行だった。1984年冬、2000年秋、2004年GWに次ぐ経験だったと思う。
 同じ季節、同じルートでも、山は毎回、全く異なる表情を見せる。
 僕たちは今後も山を続けるだろう。しかし、今回の経験を肝に銘じ、山と対峙していくことが肝心だ。これが今回の山行で得た、僕たちの大切な教訓だった。

                                                                           (完)