山行報告(2006年 5月初旬 北アルプス・爺ヶ岳北稜)
延べ10時間、標高差1000mの厳しい登攀を経て、
僕たちは最後の雪壁を登り詰め、頂稜に迫る。
はるか下方に、僕たちのトレースが続く。




             北アルプス、爺ヶ岳北稜



1.山域  :北アルプス・爺ヶ岳北稜

2.日程  :2006年 5月3日〜5日(山中2泊)

3.メンバー:山岳同人・黒部童子
        さわむらどん(51歳)
        NG    (44歳)

4.記録  :5/3(水) 快晴
        信濃大町(10:00,10:30)=大谷原<1030m>(11:30)〜北稜取付<1650m>(14:30)〜BS<1930m>(16:30)
       5/4(木) 快晴
        BS<1930m>(06:10)〜第一岩峰<2200m>(07:30)〜第二岩峰<2400m>(11:30)〜2550m付近(13:00)
        〜爺ヶ岳北峰<2630m>(14:00)〜BS<爺ヶ岳東尾根2200m>(16:30)
       5/5(金) 晴れ後曇り
        BS<2200m>〜鹿島集落<950m>=信濃大町


5.詳細  :下記参照

<いつものように背景から>

 2年前の5月初旬、僕とにしやんは黒部別山大へつり尾根を目指して入山し、そこで事故が発生した。
 それから2年間、僕は山に向かっていなかった。その事故処理を含めて多忙だったことは確かだが、気持ちの整理がつかなかったことも確かだった。しかし、山をやめた僕という人間を、僕には想像することができなかった。僕は自分の心に正直になるしかない。
 「山を辞めたお父さんなんて、お父さんらしくないよ」
 事故直後、消沈している僕に向かって、長女はそう言った。そうだ、やるべきことはまだ残っている。僕にとってはまだ何も終わっていない。そしてどこにも終わりはない。僕はまだ途上にいるのだ。
 冬頃から、さわむらどんと「そろそろ(再開)やな」と山の会話をはじめ、目的地を選定した。
 後立山連峰東面をターゲットとし、白馬主稜、五龍岳東面も候補に挙がったものの、人気ルートとなる白馬主稜は大混雑だろうし(渋滞はこりごり)、五龍岳東面はアプローチの八方尾根からの下降を考えると「美しくない」とのこだわりもある。そんななか、さわむらどんが探し出したのが爺ヶ岳東面、そのなかでも最難度のレベルに属する北稜だった。しかも冷尾根、東尾根から下降するアプローチは「美しくない」、大谷原から小冷沢を遡ろうという美学追求型アプローチだ。

 結論を先に述べるなら、爺ヶ岳北稜は素晴らしい雪稜だった。この時期でも入山者は皆無、トレースも残置も全くなく、静かな緊張した登攀を思う存分に味わうことができた。

<入山前>

 2、3年前のJRダイヤ改悪で、関西から中部方面へ向かう唯一の夜行列車だった急行「ちくま」が運行停止となった。これは関西人にとっては痛い。その後、僕たちはスキーバスに相乗りしたり(うるさくて眠れやしない)、仕方なしに自分で車を出したりもした(運転者がNGのみなので辛い)が、JRも少しは利用者に申し訳ないとでも思ったのだろうか、
 1)糸魚川駅での急行「きたぐに」から大糸線への接続改善(昔は2時間以上待ち。これでは接続とは言えん)
 2)名古屋駅での始発特急「しなの」の出発時刻を遅らせて、始発新幹線と接続(昔は接続せず。信じられん)
という改善をしていた(どちらも改善などではなく「当たり前」のことなんだが)
 1)ならば、信濃大町着08:30、2)ならば、信濃大町着10:00となるのだが、さわむらどんの仕事の都合上、2)のアクセスとなった。
 さすがにGWの長野行き特急は満席だったが、いつでも事務局&便利屋を務めるNGは抜かりなく指定席を手配しており楽勝。入山祝いのビールを使って睡眠不足を補いつつ、松本で接続時間4分の大糸線普通列車へ。予定通り10時過ぎに信濃大町に着く。

<第一日> 大谷原〜小冷沢〜北稜1930m

 信濃大町駅で遭対協の方に計画書を提出。いつものように変な(怪訝な)顔をされた。僕たちは変なところにばかり行くのでいつも変な顔をされてしまう。ま、変なところじゃないと大混雑だし。
 駅から単独行の学生に声を掛けられ、相乗りして大谷原に向かう。学生は東尾根を登るとのことだったが初めてのようだったので、鹿島集落で入山口を教えてあげる。僕たちはそのまま大谷原へ。
 2年ぶりの入山なので、期待と不安が交錯する。準備をしながら朝食のおにぎりを食べ、11時半、出発。
 東尾根末端となる丸山の山裾を大きく回り込みながら、小冷沢に入る。
 入山前、ふたりで地形図を眺めながら「初日の核心部はきっと砂防ダムの高巻きだな」と半ば冗談で笑っていたのだが、その通り、初日の核心部は小冷沢1200m付近にある砂防ダムだった(苦笑)
 ダム部分だけは水流が露出しており、その「滝」を眺めながら右岸を攻めるか、左岸を攻めるか、ふたりで議論。これではまるで夏の沢登りじゃないか。結局、右岸を高巻いたが、途中でザイルを出して懸垂しようかと思う場面もあったほどだ。結局、ふたりは猿になって、木の根をつかみ這い登り、這い降りた。間違いなく、黒部童子は猿です。黒部を登るために、人間から猿に進化しました。
 その後は単調な広い雪面を小冷沢に沿って登り続ける。地形図を読んだらすぐにわかるとおり、広々とした雪面が続く。沢の屈曲部で何ヶ所か、水流が露出し徒渉する場所もあったが、靴を濡らさずに渡ることができた。入山前に懸念した雪崩も、この安定具合からするとまったく問題なさそうだった。やがて、眼前に爺ヶ岳山稜と目的とする北稜が見えてくる。

眼前に爺ヶ岳北稜が見えてきた! あそこを登るのか? 何という迫力!


 ひときわ白く輝くドーム状のピークが見える。あれは何だろう? 周囲の地形を考えるとその手前に落ちている稜線が北稜のはずだから、あれはきっと爺ヶ岳北峰にちがいない。すばらしい高度感。俺たちはあれを登るのか? 胃袋をつかまれるような緊張感と、胸がどきどきするような期待感と。ああ、こんな思いは久しぶりだ。
 僕たちは穏やかな小冷沢を登り詰めてゆく。次第に北稜が大きく迫ってくる。


砂防ダムを越えると小冷沢は穏やかだ 小冷沢を詰めると、いよいよ北稜が迫ってきた!

 近づくにつれて、北稜の末端部が見えてくる。地図でも予想していたが、やはり壁状だ。
 北稜の左右両側、どちらかに回り込んで沢状を登る作戦だったが、どちらに回り込むかは決めていない。現地観察で決めることになっている。近づくにつれて末端部の様子が明らかになってくる。

北稜末端部は壁状だ。北稜の左側・二ノ沢には雪崩のデブリが…。


僕たちは一ノ沢に入り、小デブリを越えて二本めのルンゼを登った(赤矢印)

 末端の壁状は眺めるだけでもうけっこう(笑) 僕たちは観察し、ルートを探る。
 二ノ沢側には雪崩のデブリが見えている。「こりゃ、主稜に取り付くなら恐怖やなあ」とさわむらどんと言葉を交わす。二ノ沢側をのぞくまでもなく、一ノ沢側から十分に行けそうな感じだ。
 一ノ沢側にもルンゼから押し出した小さなデブリがあるが、僕たちはそれを越え、その次のルンゼを北稜に向かって登高した。
 急傾斜のルンゼはひたすら登るだけ。

北稜上に出て一服。陽射しが暖かい。

 今日の予定は、とにかく北稜上に出ること。順調に北稜に出たので、あとは時間の許す限り、登高を続ける。
 夕方4時半、すでに太陽は主稜線の向こう側に沈み、あたりは徐々に暗くなってくる。標高1930m付近で、二人用天幕なら張れそうな地形を見つけて、今日はここで幕営することに決定する。

こんな風に雪を削って整地します… で、こんな風に一夜の安息の地を得ます…

 とは言っても、まだまだ重労働は続く。二人用天幕が張れるだけのスペースを整地する。しかし、手を抜くわけにはいかない。整地の具合でその夜の安眠度合いが大きくちがうからだ。
 テントを張って荷物を中に放り込むと、僕たちはどちらからともなくにやにやと笑いがこぼれる。
 「さあ、ビールで乾杯や!」
 ふたりのザックからは缶ビールがごろごろと転がり出て…しかも、生ハムやら合鴨スモークやらのおつまみも欠かせない。
 こうして、一日めの行動は予定通り無事に終わったのであった。



<第二日> 北稜1930m〜爺ヶ岳北峰2630m〜爺ヶ岳主峰〜爺ヶ岳東尾根2200m

 5時少し前に起床、6時過ぎに出発。今日も快晴、いよいよ北稜核心部への突入だ。
 幕営地から第一岩峰がよく見えている。ここからの雪稜はノーザイルでぐんぐんと高度を稼ぐ。部分的に両側がすっぱりと切れ落ちたナイフエッジだ。この高度感を味わいながら気持ちのよい登高を続ける。

快適な雪稜を登高するさわむらのおっさん

 第一岩峰付近まではノーザイルで行くが、ここを過ぎたあたりからザイルを結ぶ。部分的にはコンティニュアスも含みつつ、基本的にさわむらどんとNGの釣瓶式登攀だ。
 このあたりから雪稜は急に悪くなり、がっくりとペースが落ちる。キノコ雪あり、露岩あり、雪壁あり、ナイフリッジあり、おまけにブッシュあり。また雪面にはいたるところに亀裂が入り、僕たちはルートを恐る恐る探りながら登高することを余儀なくされる。北稜はあの手この手で僕たちをいじめ、楽しませてくれる。いじめられて喜ぶ僕たちはサドなのか?
 ふと立ち止まると、右手には鹿島槍ヶ岳の双耳峰が美しい。左手に見える斜面には東尾根のダケカンバの造形美…。

鹿島槍ヶ岳。右に落ちる尾根は手前が東尾根、奥が天狗尾根。


ダケカンバの斜面(爺ヶ岳東尾根北斜面)

 景観は一流だが、この登攀も一流だ。
 さわむらどんと僕は、スタッカートで登攀を続ける。
 まあ、どんな雪稜、雪壁かは次の写真を見てもらえばわかります。巨大キノコ雪、クレバスのような亀裂などがぼこぼこあって、たまらんです。

第二岩峰の核心部を抜けてほっと一息ついたところ。右奥が北峰。
しかし、実はこの上に、北稜最大の核心部があった(詳細本文)

 しかし、お隣の爺ヶ岳主稜もいい勝負のようで。ここも亀裂だらけで十分に怖そう。
 次の写真は、いつか自分が主稜を登ることもあるだろうと考えて、記録のために撮ったもの。

なかなかスリリングな主稜。この写真には写っていないが下部はもっとすごい。

 …と、記録よりも写真の展覧会になってしまった。
 この雪稜、雪壁を総括すると、当然とは言え、確保支点が非常に乏しい。しかも不安定な雪面が続くため、確保のための安定感にも乏しい。私たちは50mザイルx2本で登ったが、60mあればもう少し楽だっただろうと感じた。そのために、この山行からの下山後に60mザイルを探して購入したほどだ。
 この北稜の注意点は、繰り返しになるが、
  1)確保支点が乏しいため、基本的にボディビレイとなる(これでトップの墜落を止められるのか?)
  2)ランニングビレイを取ることはあきらめた方がよい(運がよければ、ハイマツを掘り出せる?)
  3)60mザイルがあれば、余裕を持った行動ができる(と思う?) 以下のふたつの例を参照。

 あるピッチでのこと。
 さわむらどんがリード、NGがビレイのとき、ザイルはぎりぎりまでピンと延びた。しかも、雪稜の曲がり具合など関係なしに、最短の直線距離でピンと延びた(途中でランニングを取ってない=取れないから)のだが、そんな状態で、さわむらどんから僕に、「おい、あと5m、何とかせい!」というコールが飛んだ。
 僕はそのとき、ぐらぐらと根っこから揺れるハイマツの細い幹(枝?)にセルフビレイを取っていて、しかもスリングを継ぎ足し継ぎ足し、さわむらどんをビレイしてたんだけれど、もう限界。これを外すしかどうしようもないやんか。結局、スタカット・コンテになってしまっていたのをさわむらどんはたぶん知るまい(^^;

 また別のピッチで。
 僕は以前からさわむらどんに「おまえは雪壁登攀が下手くそや!」と言われ続けてきたんだけれど、ちょうど僕がリードする順番のとき、それはそれは悪い「灌木混じりのかぶった雪壁」が出てきた。ビレイしているさわむらどんは下から「おい、NG、どこかでピッチを切れ!切れ!」と叫んでくるが、僕は「くっそ〜、誰が切るもんか!」と思いながら、何とかその雪壁を越えてザイルを延ばして行った。
 しかし、その前方にさらにそれはそれはあまりに悪すぎるキノコ雪がどかん、と。しかもその雪壁は二ノ沢まで切れ落ちている。さすがにその前で数分逡巡。しかし、これはやはり自分で越えんとあかんで!と気合いを入れた。そしてダブルアックスでそのキノコ雪に立ち向かった…のはいいんだけど、ぐさぐさに腐ってるやんか、このキノコ雪。ひぇーとか思いながら、ここで落ちたら地獄やで!とばかりになんとか越えて、よし、あそこのあのダケカンバででビレイや! あと3mや! と思ったら、ぐいっと後ろから引っ張られて、下からさわむらどんのコール。「ザイル、いっぱい!」
 で、結局、僕は不安定な雪面でボディビレイをする羽目に。

 このピッチ、実は二つ上↑の写真にかろうじて写っているのだ。この写真では明瞭ではないが、写真左端の真ん中辺りにある「灌木混じり」の雪壁がそれ。北稜最大の核心部
 ここは、この「灌木混じりの雪壁」の右側の雪壁が登れそうに見えるが、実は登れない。この部分全体が巨大キノコ雪で大きく手前にかぶっている。仕方がないので、この巨大キノコ雪の基部を左に下りながらトラバースして「灌木混じりの雪壁」に回り込んで越えていこうとしたのだ。しかし、ここもややかぶっており、しかもぐずぐずに腐っていたので、頭上の雪を切り崩しながら登攀が必要だった。さらにこの雪壁を越えて、この巨大キノコ雪を向こう側に回り込もうとしたのだが、なんと向こう側はすとんと二ノ沢側に切れ落ちている…。このため二ノ沢まで何十mかを眼下に見下ろしながらの不安定なキノコ雪の登攀となった。

 そのキノコ雪を越えてきたさわむらどんはにやりと笑い、「あそこは、『今日一番』やったな」と。これはさわむらどん流のほめ言葉。この経験が次の自信につながっていくのだ。

北峰直下。下方の雪稜に僕たちのトレース。左奥に続くのは小冷沢。

 そして、僕たちは急傾斜の雪壁の基部にたどり着いた。これがたぶん北峰ドームの基部だろう。
 その雪壁基部でさわむらどんが確保体制を取っており、僕がフォローで登りついた。そして次は僕がリードの順番だった。
 「これが最後になるんちゃうか」とさわむらどん。続けて、「NG、このまま続けて行け」
 その雪壁もぐさぐさに雪が腐っていて悪かった。でも僕は登り詰めた。
 そこが標高2630m、爺ヶ岳北峰だった。
 僕たちは、二日間、延べ10時間かけてこの北稜を登り詰めたのだ。
 スタート点の大谷原は標高1030m、標高差1600mの美しいラインだった。
 さわむらどんと僕はがっちりと握手を交わした。この瞬間が最高だ。

今回の山行でNGの唯一の写真…。カメラマンはつらいわい…。

 で、鹿島槍ヶ岳をバックに、爺ヶ岳北峰でさわむらどんに撮ってもらった唯一の写真。うん、1枚だけでも撮っておいてもらってよかった。
 そして、黒部側には、前衛に黒部別山を従えた剣岳…。ああ、また僕たちはこのなかに帰ってきた!

剣岳、そして黒部別山…。

 爺ヶ岳北峰で大景観に浸った後、僕たちは爺ヶ岳主峰を経由し、下山ルートである爺ヶ岳東尾根を下りはじめる。
 主峰直下の雪壁が、腐りかけの雪だけに鬱陶しかったけれど、後ろ向きにゆっくりとクライムダウンすればなんてこともない。その後は残雪を蹴散らしながらどんどん下っていくだけだ。時間的に、場所的に、いい頃合いを見定めて、標高2200m付近で幕営を決定する。
 このあたりからは、今日、登高してきた北稜が眼前に広がる。さわむらどんと僕はそれを指さし、あそこはどうだった、ここはこうだったと記憶語りに余念がない。反対側に眼を転じれば、槍穂高連峰もくっきりと見えている。

北峰とその直下の北稜(スカイライン)、僕たちのトレースがかすかに見える。

今日の激しかった登高を思い出す 遠くに槍穂高連峰


<第三日> 爺ヶ岳東尾根を下山

 今日はもうひたすら下山だ。
 左側に、北稜と、いつか登るかもしれない主稜の地形を観察しながら下っていく。どこか北稜と主稜の全貌を捉えるいい撮影ポイントがないかと探しながら下るのだが、小尾根が邪魔したり、ちょっとした起伏が邪魔したり、なかなかいいポイントが見つからない。
 で、北稜の全貌を見渡せる、何とか見つけたポイントがこれ。
 見やすいように、枠一杯にちょっと拡大しますね。

これが爺ヶ岳北稜の全貌だ。この亀裂だらけの雪稜・雪壁を登攀した。

 で、主稜の方はこういう感じ。こちらは最下部が小尾根に隠れて隠れて見通せない。
 いつかはここも登りたいものだ。

こちらもなかなか迫力あり。ただ、スケールでは北稜に軍配が上がるか?

 僕たちは東尾根をひたすら下り、鹿島集落に出た。
 下界は穏やかな春の陽気、いや、初夏の気配さえ感じられた。
 信濃大町から列車に乗り、松本へ。そこはもう都会の匂いすらする。
 いつも打ち上げをやる店はあいにく今日は定休日。なので、鰻屋に入ったんだけど、この店、正解。
 なんでも安曇野の清流で養殖されたウナギらしい。
 僕たちは次の山を語り合いながら、無事下山の祝杯をあげたのだった。