以下は、にしやんから寄せられた「立山越え〜黒部湖〜スバリ岳西尾根〜扇沢 山行報告」です。
日本山岳会青年部会報「きりぎりす」7号に掲載されたものと同じです。


                            by 管理者:NG(noguring)


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          いわゆるひとつの「黒部横断」 (by にしやん)
                    (立山越え〜黒部湖横断〜スバリ岳西尾根)



・期  日:2002年3月8日?3月14日
・メンバー:澤村光弘・西田重人(山岳同人「黒部童子」)

 この山行については、こと難度という面からは語るべきものはない。ワカンラッセルと、どこにでもありそうな雪稜・雪壁登りにIV級程度の岩登りがすべてである。天候にも恵まれた。
 しかし、計画立案段階でのコース検討は我々の胸をときめかせた。山行の舞台は我々を酔わせた。我々はこの山行を「クライミング」ではなく「山旅」と位置付けた。山並みを2つ越えて、越中から信州に抜ける旅である。

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 昨年3月、我々は大町ルートのトンネルを利用して黒部湖に入り、それを縦断して針ノ木岳西尾根に取り付いた。脆い岩と、下降に使った屏風尾根の悪雪に緊張させられたが、それなりの充実山行であった。
 針ノ木岳西尾根を登りながら、「次はあそこやな」と確認しあったのがすぐ北隣スバリ岳の西尾根だった。それはスケールこそ針ノ木岳西尾根や赤沢岳西尾根には明らかに劣る。しかし、三角形の大きな崩壊壁の左右いずれかの薮リッジに取り付き、上部のナイフリッジから岩稜をたどって頂上に至るルートは十分に魅力的に見えた。何よりも、極度に登攀者の少ない針ノ木岳、赤沢岳の西尾根に比べても、さらにさらに登攀者が少なそうなところが気に入った。黒部湖が結氷している時期しか取り付きようがないのだ。
 今回も「日本登山体系」の簡略な記述が唯一の資料である。そして、敢えてそれ以上の資料を探すことはしなかった。一生懸命探したところで、出てくるのは数十年前の「岳人」くらいだろう、とタカをくくった。あとは2万5千図だけが頼りだ。我々の「現場主義」には、初登の気分を味わうために事前の資料収集に労力を割かないというアブナイ側面がある。いや、単純にメンドクサイというだけなのだが。

 問題は入山ルートである。今年はトンネルを使って黒部湖に入るということができない。当初は大町側からの入山しか考えておらず、赤沢岳北西尾根下降、大スバリ沢下降、さらには昨年登って勝手が分かっている針ノ木岳西尾根下降という案が浮かび、最終プランは針ノ木岳西尾根下降で固まりつつあった。
 しかしどうもしっくりこない。地形図をにらんでみるが、どうにも美しくない。扇沢からわずかな範囲での登山になってしまう。屏風尾根を登るのもイヤだ。より広範囲をおさめた縮尺5万の登山地図を広げてみる。すると、ふと気付く。「立山越えて黒部湖に入ったらエエやんケ」と。そして思う。「そうとなったら、この地図の端から端まで横切ったる」と。京都の澤村にこのアイデアをメールすると、興奮した様子の返信があった。「ルートを考えるとワクワクして夜も寝れん!それやそれや!OKだっしぇ?!」

 立山を越えると言っても、ルートは無数にある。しかし、今回あくまでもメインは「西尾根からのスバリ岳2752m登頂」である。3003mもある雄山に登るわけにはいかないのだ(?) アルペンルートのバス道脇を歩くのもイヤだ。室堂も避けたい。もっとヘンなルートはないものか?
 ということで、さらに地図をにらんで決めたルートはおおむね以下のようなものとなった、すなわち;
 ・地鉄立山駅から常願寺川を遡り、立山温泉跡へ
 ・鳶山への尾根を登り主稜線を北上、ザラ峠経由獅子岳へ
 ・獅子岳直下から東へ延びる尾根を黒部湖へ
 ・黒部湖を渡り、スバリ岳西尾根から後立山稜線を越えて扇沢へ

 悪名高き「立山砂防」、立山の歴史を語る上ではずせない「立山温泉」と「ザラ峠」を盛り込んだこと、それに西から東へほぼ一直線に抜けるラインに自己満足して、予備日込み10日の計画はでき上がった。そして思った。「これは『クライミング』ではなく『山旅』である」と。

 常願寺川ぞいのアプローチについては、記憶する限りなにひとつ記述を見たことがない。一方、凄まじい数の砂防堰堤や林道だけは記憶に新しい。堰堤を越えられず早々に敗退、となるとあまりに悲しいので、こちらに関してはネットで検索してみる。
 多数の砂防関係のページに混じり、「雪黒部」云々という山行記録らしきページがヒットしたのでのぞいてみた。これがなんと大阪市大のHPで、あの御大和田城志氏が単独で常願寺川?薬師?雲ノ平?野口五郎?七倉と越えた山行の記録であった。この記録から、常願川のアプローチに問題はないことを確認できた。

 3月8日早朝に富山駅で落ち合うことを澤村と約して3月7日深夜、池袋からの高速バスに乗り込む。以下、行動概要である。

 
3月8日(晴のち小雪) 地鉄立山駅(8:10)〜常願寺川沿い〜水谷出合(16:00)

 立山駅の標高は500mもない。分かってはいたことだが、先を考えると少し気が遠くなる。
 駅からすぐに林道に入る。工事のためにか数百mは除雪されていたが、ほどなくワカンラッセルになる。以後、平坦な川沿いをひたすらラッセルで進む。
 天気はどんどん悪化していき、雪がちらつき始める。
 どんな大義名分か科学的根拠があるかは知らぬが、凄まじい数の要塞のごとき堰堤には閉口する。堰堤が現れる度に「果たして越えられるのか?」と不安になる。また、度々作りかけの作業車両用鉄橋を渡るが、骨組みしかないためワカンを履いての渡橋は絶悪。放置された機材や車両が物悲しい。
 水谷出合に到達し、堰堤下の疎林で幕営。水が採れる。標高はまだ900m。

3月9日(快晴) 水谷出合(06:30)〜立山温泉跡(10:30/11:15)〜鳶山西尾根1900m(15:10)

 ひたすらワカンラッセルで、まずは立山温泉跡へ。左岸の300mほど上には折立からの林道が見える。強烈な日射しに雪は緩みまくり、バテぎみ。立山温泉跡手前では、堰邸脇で絶悪の雪壁登りを強いられた。
 澤村との連絡ミスで贅沢な食料が全部で2週間分もあることが今朝判明。荷が重いはずだ。ビールもお互い1リッター以上あるし。まあ、せいぜい食べることとしよう。
 立山温泉跡周辺は気持の良い雪原で、電信柱や小屋の屋根、吊橋などが目に入る。大休止。5月ごろにここにスキーで入り、宴会キャンプというのも面白そうだ。温泉にも入れるかもしれない。
 鳶山西尾根に取付く。ところどころで地熱で雪が解け、噴煙が上がっている。重い雪の急登に汗だくになり、早くもビールが頭にちらつき始める。澤村も同じだったようで、快適そうなテン場を見つけると、少し早いが当然のように行動終了。テントを立てるより先に、ひなたぼっこをしながらのビールとなる。「山旅」だもの。

3月10日(晴のち風雪) 鳶山西尾根1900m(06:30)〜鳶山(12:30)〜五色ヶ原(14:40)

 今日もワカンラッセル。途中からアイゼンワカンとするが深雪が上部まで続き、結局ワカンを脱いだのは鳶山頂上直下2500mを越えてからであった。
 そのころから北風が強くなり、天気も急速に悪化し始めた。強風のなか鳶山を越える。五色ヶ原に入るあたりからさらに天候は悪化。地吹雪、ホワイトアウトとなってしまう。
 鳶山山頂からは獅子岳から東に続く尾根が視認できていた。しかしあまりのダラダラ尾根、そこを下る意義なしと即断し、悪天候でもあるので五色ヶ原から平に下ることに計画変更。ザラ峠をパスするのは心残りではあったが。
 ホワイトアウトの五色ヶ原は悪い。ロープを付けてひとりは立ち止まったままでコンパスを振り、先行に歩く方向を指示する。数ピッチこれを繰り返すが視界2メートルでは動かないほうがよいとの結論に達し、だだっ広い(はずの)五色ヶ原のド真ん中の吹きさらしで幕営とする。手抜きの防風壁もどきを作るが、地吹雪のため雪がテントとの間にどんどん溜まっていく。その雪にテントは圧迫され、生地はたわみポールは折れそうだ。そんな中でもビールは飲む。
 テントは居住空間を3分の1にしながらも、朝までの除雪2回だけでなんとかもってくれた。

3月11日(風雪のち快晴) 五色ヶ原(09:40)〜平(13:10)

 夜明けまでは風雪だったが、9:00頃から急速に天気は回復してくれた。そして快晴の下、ワカンを着けゆっくり出発する。すぐそばには小屋の屋根が出ていた。
 途中、黒部湖を見おろせるポコまでやってきて愕然、思わず大声が出てしまう。「ナンジャ?コレハ!!」なんと雪に覆われているはずの黒部湖は、平より下流でも一部が川になっている。流水がキラキラと輝いているのまで見える。実は確率2割でこの状況は予想していた。高温が続いた2月のうちに黒部湖が解けているかもしれない、と。鹿島槍周辺のスキー場の積雪が1日に数十センチのペースで減り続けた時期があったのだ。予想が現実のものとなってしまったのか? 往路を戻るか、湖岸をヘツってダムに逃げることになってしまうのか?
 そのポコからは見えないさらに下流にはまだ雪原が残っていることに淡い期待を託し、暗い気持で下降を続ける。
 昼過ぎには平に到着。平ノ小屋下の水辺は雪がなく砂地が出ていて、文字どおりの「河原」である。ダムが放流をしたのか、「川」の水深は30cmくらい。暑いくらいの日差しにさらに雪が解けていくような気がする。
 昨夜はほとんど寝てないし、今後の行動予定を練り直すという名目で、早々にキャンプ。濡れ物を広げてくつろぎ、ビールを飲みひたすら食べる。上天気に気持も和んでいき、根拠もなく「なんとかなるで」と思う。


3月12日(晴のち雪) 平(05:50)〜スバリ岳西尾根取付(07:10/07:40)〜西尾根2300m(12:50)

 最悪ダムに逃げることを覚悟して出発。下流には雪原が広がっているようには見える。
 雪原の切れ目にぶち当たる度に「徒渉」すること三回。その際に澤村は膝まで潜ること三度。ヘドロの上をアイゼンで歩くのは悲しい。ヘドロに膝まで潜った澤村はもっと悲しい。やはり黒部湖の湖底はヘドロだったのだ。
 小スバリ沢出合あたりは幸い完全な雪原で、結局スバリ岳西尾根には容易に取付くことができた。よかったよかった。取付で澤村は靴下を絞っていた。
 樹林帯をアイゼンで黙々と登る。立山東面に比して雪はかなり少ない。薮がうっとうしいが、順調に高度を稼ぐ。樹林が薄くなってくるころから積雪も一気に増し、アイゼンワカンとする。小雪が強い南風に飛ばされてくるようになり、上部はガスで見えない。
 2300mの平坦地で幕営。ここより上部は岩稜帯になってくるはずだ。
 昨日でビールがなくなってしまったのでジンを飲むが、なぜかにおいがやたら鼻につきうまくない。

3月13日(快晴) スバリ西尾根2300m(06:10)〜スバリ岳(13:15/13:50)〜屏風尾根下降点(15:05/15:15)
          〜扇沢(17:40)

 ここからはハーネスを付けて出発する。2300mを越えると格段に雪が多くなってきた。アイゼンツボ足でのラッセルに悶絶しながらの登高となる。そして、いよいよ2400mを越えるあたりから岩稜になる。20mほどの岩場がいくつもいくつも積み重なっているという感じのところで、岩登り自体も比較的容易なため、ツルベ式に登ると息が切れてくる。しかし、いくら登っても岩場は終わってくれない。日差しにも焼かれて疲れる登りだ。岩は比較的硬い。腐った残置ピンを数本見かけた。
 ビレイヤーもかなりいい加減になっており、トップの確保にセルフビレイは取らないは、肩がらみだは、ひどいもんである。ランニングにはカム3つを専ら使用し、ピトン(それにバイル)はお荷物だった。
 それでもコンテも混じえ8?9ピッチほどで、いきなりスバリ岳山頂に飛び出した。ついにここまで来た! 澤村と握手し、来し方を眺めると少しだけ涙が出た。
 さて、ここからがまた長く辛いことは昨年経験して了知である。今回は稜線上のモナカ雪に大いに苦しめられた。中途半端な積雪の表面を踏み抜くこと数限りなく、その度に悪態をつく。そして最後の核心である屏風尾根であるが、好天のおかげで昨年ほどの威圧感は感じなかった。雪質も問題なかった。しかし、膝から腰の積雪の屏風尾根を、今回も疲れてヘロヘロになりながら扇沢へ。大沢小屋?扇沢間は凄まじいばかりのデブリの堆積であった。明らかに昨年より季節が早い。
 扇沢では、今回もターミナルの軒下にテントを立てる。残りの食料でうまそうなものだけを選んで、ひたすら食べる。水分補給が十分だったせいか、昨年ここで経験した食欲減退は今回はなかった。

3月14日(晴) 扇沢(07:40)〜日向山ゲート(09:00)〜大町
 
 日向山ゲートには黄色いワゴンが1台停めてあった。「もしや」と思ったとおり車の主は伊藤達夫氏だったようで、同氏が大ヘツリ尾根の冬期初登に成功されたことを後で聞くこととなった。 
 恒例の「薬師の湯」と、駅前の台湾料理屋のコースを経て帰京。