山行報告(2002年 1月中旬 八ヶ岳連峰・阿弥陀岳北西稜)
苦しいラッセルを続けて灌木帯を抜けると、
突然、阿弥陀岳北西稜がその全貌を現した。
その美しさと険しさに、僕たちは一瞬、息をのんだ。




             八ヶ岳連峰、阿弥陀岳北西稜



1.山域  :八ヶ岳連峰・阿弥陀岳北西稜
       (本来は、阿弥陀北西稜〜赤岳西壁左ルンゼ〜天狗尾根下降を継続する予定)

2.日程  :2002年 1月17日〜19日(山中2泊)

3.メンバー:さわむらどん(46歳)
       にしやん  (43歳)
       NG    (39歳)   以上、山岳同人「黒部童子」所属

4.記録  :1/17(木) 小雪、視界悪し
        茅野(06:30,06:50)=美濃戸口(07:30)〜美濃戸(08:20,08:50)〜摩利支天沢分岐(11:20)
        〜10m氷瀑(12:20)〜BS<2600m>(15:30)
       1/18(金) 快晴
        BS(08:00)〜第一岩壁基部(09:30)〜第二岩壁基部(12:00頃)〜北西稜最上部(14:30)
        〜阿弥陀岳(15:30)〜行者小屋(16:30)
       1/19(土) 快晴
        行者小屋(09:00)〜美濃戸(10:30,11:00)〜美濃戸口(12:00,13:00)=茅野(14:00)


5.詳細  :下記参照

<いつものように背景から>

 赤岳西壁左ルンゼは僕たちのささやかな冬期課題だった。しかも、それは行者小屋からの一日行程ではいけない。他のルートと継続させなければ意味がない。そんなこだわりもあった。
 昨シーズンの十二月初旬、にしやんと僕は立場川から入山、ししヶ岩第二岩稜を登攀後、阿弥陀南稜を経て左ルンゼに取り付こうとした。しかし、この年の冬の初めは驚異的な暖冬で積雪が少なく(年末には豪雪となったけど)、左ルンゼは煉瓦の壁を崩したようなガラガラの状態。僕たちはその左ルンゼを見下ろしながら岩肌の見える主稜を登って下山した。
 そして昨春、再びここを狙おうとしたものの、ふたりの休暇予定が合わせられずに断念。この左ルンゼは今冬の課題として持ち越されたのだ。

 さて今冬、黄連谷右俣の豪雪から下山後、早くも年明けに左ルンゼの計画が浮上してきた。しかし、どうも年明けは僕の方の会社が殺人的に忙しくて休暇が取れそうにないのだ。しかし、さわむらどんとにしやんはすでに日程を具体化して左ルンゼに行こうとしている。おいおい、ちょっと待ってくれ、わしを置いて行かんでくれ、っちゅう感じで、僕はもうあわてて参加を表明するしかない。左ルンゼは僕の課題でもあるんだぞ。
 それに、二月下旬〜三月上旬にかけて、このふたりはスバリ西稜を狙っている。二月に入れば、ふたりともその準備・体力調整で山どころではなくなるだろう。おまけに僕もその期間は待機状態になってしまう。ここで行っておかなければ、今冬の僕の冬山は黄連谷だけで終わってしまいそうだ。それも勘弁願いたい。そんな思いもあった。
 参加は表明したものの、会社が優しく業務負荷を軽減してくれるはずもなく、僕は昨年の年末から「計画的に」早出残業を開始して、年明けにも「計画的に」休日出勤という「らしくない」ことまでやり(結果的にこの休日出勤で上司を黙らせることができた)、連日の五時間睡眠にも耐えて、いよいよ出発を迎えたのだった…。もうほとんど山に行く執念です、これは。ここまで頑張った自分をほめてやりたい。

<入山前>

 京都駅、いつもの時間にいつもの場所でさわむらどんに会うと、さわむらどんは「まいど、来たな!」とにやりと笑った。僕が「仕事がもつれたら、もしかしたら直前不参加になるかもしれへんで?」とあらかじめ言っていたからだ。「そんなことはありえんと思うが」とは言われてしまったが…。
 やはりいつものように入山乾杯ビールはさわむらどんのおごり。こんな時期の「ちくま」が混むはずもなく、がらがら状態。米原あたりまで今回のルートについて話しながら飲んでいたが、このあと、珍しく爆睡。やはり連日の早残疲れのせい? ふと気がついたら木曽福島停車中。そのまま眠って松本到着アナウンスで起こされた。

 ここで三十分停車する「ちくま」に乗ったまま暖まって、発車直前に下車。でも乗り換えの高尾行普通列車は一時間半後。寒いホームを意味もなく歩き回りながらひたすら待つ。やはり関西からの八ヶ岳は遠すぎるぞ。関東に比べて地理的不利を感じる。デビューしたばかりの新型「あずさ」がちょうど停車中だったので、先頭から最後尾、隅々まで見て回る(もちろん外からだけど)
 夜明け前の松本は雪模様。冷え込みも厳しい。昨日、気圧の谷が通過、今日は冬型の気圧配置だ。しかも厳しい寒気が流入するという予報だったからなあ。二年前の阿弥陀南稜と気象条件はよく似ている。
 茅野駅でにしやんと合流。いつものように「まいど!」の挨拶を交わす。

<第一日> 摩利支天沢下部〜北西稜下部

 美濃戸からの登山道はひどかった。
 先週末の三連休、全国的に異様に暖かくなって、ところによっては四月上旬の陽気となったという。そのせいなのだろう、積雪がその陽気でいったん溶けて、昨日からの寒気で再び凍ったようだ。だからつるつるの氷状態となっているのだ。滑ってひっくり返ること、二度三度。そうかと言ってアイゼンを着ける気にもなれず、僕たちはぶつくさとぼやきながら登った。
 その三連休に摩利支天沢の氷瀑登攀を目的にした登山者がいたことをわずかに期待していたが、今年の積雪量のせいか、誰もいなかったようだ。摩利支天沢にはトレースがまったくない。地図で読図をしながら摩利支天沢出合を見極めようとするがなかなか自信が持てず、いったん通り過ぎてそれらしい沢がないことを確認した後再び戻って「ここだ!」と三人全員の意見が一致。ラッセル装備に身を固めて(でも今回、わかんを持ってこなかったことをちょっと後悔)、摩利支天沢に踏み込む。いやもう積雪の深いこと! しかも最悪なのは表面近くがクラストしているので「これは行けるかな」と体重をかけた途端にずぶずぶと果てしなく太股まで沈み、何とも言いようのない絶望感を味わわされる、そんなラッセルだったのだ。それがどこまでも延々と続く。カモシカと十mぐらいの距離でご対面できたのが唯一の慰めか?
 ラッセル一時間、ようやく前方に氷瀑が見えてくる。
 アイゼンを着けてまともに直登するか、それとも両岸のどちらかをラッセルしつつ高巻くのか。いやらしいラッセルにいい加減辟易していた僕たちは直登を選択。わずかにラッセルから解放される。

カモシカとご対面 10m氷瀑を登る

 そのあともますますラッセルは深くなる。傾斜が急になると胸の高さの雪を掻き落としつつ登ることになる。前方に蒼氷が見えてくる。これがおそらく35m大滝なのだろう。下部は半ば積雪に埋もれ、上部には大きな氷柱がいくつかぶら下がっている。直登などする気もない。両岸どちらも高巻けそうに見えたが、過去の記録では左岸高巻きが正解とのこと。胸までのラッセルに喘ぎつつ、急な藪斜面をひたすら直登していく。
 左岸を高巻いてしまったので、北西稜に戻ろうと思えば、いったん摩利支天沢に下らねばならない。ところがどっこい、地形的になかなか摩利支天沢に下ることができず、結局、高度差100mほどの大高巻きとなってしまった。しかし何とか摩利支天沢に再び下降を果たす。でも摩利支天沢とはすぐにお別れだ。ここで対岸の尾根状に取り付き、あとは苦しいラッセルがどこまでも続く。やれやれ、僕たちが悲しくも?得意な藪ラッセル、木登りラッセルだ。腕力で猿のように木から木へと渡っていく。しかし、沢筋から尾根状に出たものの、天候はなかなか回復せず、ガスで視界がよくない。いったい自分たちがどこにいるのかもわからない。もう北西稜に抜けたのか、まだ支稜上にいるのか。
 やがて灌木帯が途切れるが、股下までのラッセルは続く。腕時計の高度表示は2600m付近。にしやんの高度計もほぼ同じ高度を示している。そろそろ北西稜上に出ていなければおかしい。
 左手10mほどのところに岩場が見えてくる。
「こりゃ、完璧な岩小屋やで!」とトップのさわむらどんが叫ぶ。
 どれどれ。ほう、こいつは素晴らしい! 高さ約1m、奥行約1m、幅3mほどの完璧な岩小屋だ。甲斐駒黄連谷右俣の岩小屋とは格段の差。三人とも吸い寄せられるように岩小屋へと深い雪をかきわけてトラバースをはじめる。時刻は午後3時過ぎだ。
 このまま北西稜を抜けてしまおうという意見もでかかったが(結果的には不可能だった)、この時刻、この天候、このラッセルのなかで、この岩小屋を見せられてしまうと、もう前進意欲も失せてしまう。行動打ち切りを決定。
 しかし、その岩小屋は今回持参の三人用天幕を張るには天井が低すぎると判明、そこからさらに10mほどトラバースしたところでわずかな平坦地を発見、雪スコ(今回は持参して正解!)で整地。
 冷え込みがかなり厳しい。寒暖計はマイナス二十度以下を示している。
 さて、いつものようにビールで入山祝いの乾杯だ。約1名、パッキングが不完全で凍りかけていたが、僕はザックの奥深く、着替用手袋にくるんでおいたので大丈夫!
 日暮れまで視界は得られずに現在地は判然としないが、翌日の好天は確信していたので不安はない。それよりも僕は両足先が気になる。特に黄連谷以来、しびれが完全に治っていない右足親指だ。天幕のなかで食事をしながら暖めて、丁寧に揉みほぐす。

<第二日> 北西稜上部〜阿弥陀岳山頂

 五時少し前に起床。昨夜はかなり冷えたが、疲れのせいかよく眠れた。しかし、浅い意識の片隅では冷たい足先がずっと気になっていた。
 外をのぞけば満天の星空だ。やがて明るくなるにつれて位置関係がはっきりしてくる。僕たちの天幕のすぐ南側はすっぱりと切れ落ちている。阿弥陀岳北壁だ。僕たちはまちがいなく北西稜上にいる。どうやら昨日はずっと支稜を登ってきて、最後の岩小屋へのトラバースで北西稜の本稜に乗ったようだ。
 朝のコーヒーの儀式を終え、マルタイラーメンの朝食という儀式も終えて、意を決して寒い天幕外へ這い出る。
 おお、これは素晴らしい。朝日を浴びて北西稜上部から阿弥陀岳が真っ白に輝いている。

出発準備、左奥に阿弥陀岳方面 朝日を浴びる摩利支天(阿弥陀岳支峰)

 ここから山頂までの高度差は約200mほどだ。これなら午前中も早いうちには楽勝で登れるだろう。誰もがそう思った。
 ここから相変わらずの苦しいラッセルを続けると灌木帯は終わり、僕たちは稜線上へと飛び出した。突然、眼前に視界が開け、阿弥陀岳北西稜がその全貌を現した。まるでゴジラの背中のようなギザギザした稜線が連なっている。その険しさと美しさに、僕たちは一瞬、息をのんだ。
 ここからは迷わず、ザイルを出す。
 下部はゴジラの背中の西斜面をトラバースしつつ、しばらくはコンテで登る。どうせすぐに必要になるから、とザイルを2本とも出して、50mザイルを2本使用した長大なコンテだ。しかしまもなく行き詰まり、スタッカートに切り替える。トップはザイルを2本引きずり、その後から二人が同時登攀を行う。

北西稜核心部が眼前に迫る 青い虚空への登攀…

 短めに2ピッチほど切ると、岩壁が現れた。第一岩壁のようにも思うが、それにしては大きい? この積雪だから第一岩壁が今まで通過した雪壁の下に隠れていてもおかしくはない。しかし、もしかしたら第二岩壁か?(結果的には第一岩壁だった) どちらとも判然としないまま、ルートを探る。正面岩壁には不安定な積雪、そして無数にこびりつくエビの尻尾。正面突破は考えないことにする。まず、右側(摩利支天沢側)を巻くルート偵察にさわむらどんが行くが、なかなかザイルが伸びない。やがて引き返してくる。積雪状態が非常に悪いようだ。さわむらどんはそのまま、左側(北壁側)のバンドを伝う左上ルートを探る。いやなトラバースをこなしつつ、小さな尾根を越え、視界から消える。こちらもなかなかザイルは伸びない。北壁沢に叩き落とされた雪塊が断続的に落ちていくのを見て、さわむらどんの苦闘を推察するしかない。
 やがて「終了!」との声がかかり、登りはじめるが積雪状態が非常に悪い。昨日までのラッセルと一緒、表面はクラストしているのだが、なかはふかふか。踏み固めることもできずもがいているうちに、やがて草付きの地肌が見えてくる。その草付きもぼろぼろに崩壊しかけた岩質だ。ホールドはほとんどなく、付近にまばらに生えている折れそうな細い灌木に体重を預けるか、ダブルアックスを草付きにだましだまし効かせるか、そのどちらかだ。さわむらどんがセットしたランニングも気休め程度。まともに落ちたら、こんな灌木は折れて吹っ飛ぶだろう。
 さわむらどんのビレイ点に達するが、ほとんどハンギング・ビレイ、足場など今にも崩れそうだ。

第一岩壁基部、左ルートを探る 第一岩壁基部、エビの尻尾

 続けて、次のピッチにはにしやんがリード。これまたなかなかザイルが伸びない。ようやくの終了コールで登りはじめるが、やはり絶悪の雪壁。
「あかん、これ以上は登れんぞ。悪すぎや。ここから懸垂下降してもう一度、ルートを探そう」
 確かに、周囲にはいくつかボルトが打ち込まれ、あるいは太めの灌木に古いスリングがかかっていたりもするが、どれも敗退用の捨て綱みたいだ。
「その前に、NG、そっちのバンドから向こう側に回り込めへんか、確認してくれ」
 僕の右手に下降気味のバンドがある。上部からちょっと岩がハングしており、バランス的に嫌らしいトラバースだが、にしやんにザイルを繰り出してもらいながら偵察。約15mほどのトラバースでうまく北西稜上に戻ることができた。しかもそこにはボルト、残置ハーケンが見つかった。どうやらここが第二岩壁基部のようだ。これでさきほどの岩壁が第一岩壁だったとわかる。
 さて、正面、右、左、どこを登るか。『登山体系』にはいろいろ書いてあったように思うが、基本的に僕たちは現場主義。自分の眼で見てルートを決める。左はたった今、トラバースしてきたルートだ。正面直上はやはり雪の付き方が非常に悪いし、けっこう傾斜も立っている。今度は右だ。さわむらどんがリード。
 これがまた非常に悪いトラバース。やはりザイルは伸びず、果てしない時間の果てに「終了!」のコールを聞いたときにはほとんど全身が凍っていた。
 朝から陽光を浴びたのはほんのわずかな時間しかない。「北西」稜である以上、当たり前だ。北西稜核心部手前、あるいは第一岩壁基部でわずかに射した陽光もすぐに北稜に遮られ、ずっと日陰登攀が続く。幸いにして風が強くないから助かった。しかし、手先足先冷え性の僕はなかなかつらい。足踏みをしたり、靴のなかで指を屈伸したり、手袋のなかで拳を握りしめたりして保温&血行促進を図ってはいるのだが。このトラバース・ピッチを終えた後、続けてにしやんがリードしたが、そのときも僕は指先が完全に凍えてしまって激痛が走り、確保体制に入れなかった。んー、「冬壁はやめろ」っちゅうことかいな。
 で、続けてにしやんがリード。しかし、今までの絶悪雪壁などかわいいくらい、ここはもっと絶悪だった。
 ぼろぼろ岩質のルンゼ状。傾斜はかなりきつい。積雪はなく、ぼろぼろ岩壁がコンクリートされていない。さわむらどんと僕がセルフビレイを取り、さらにそのビレイ点でにしやんを確保しているのだが、そこは根っこがぐらぐらと揺れる灌木…。しかもランニングが取れるのはただ一ヶ所、確保点からたった5m先の細い灌木だけ。にしやんが落ちたら、ランニングは吹っ飛び、下手したら全員一緒に落っこちる?
 しかし、そうはならず、にしやんは見事にランナウト、慎重に登り切った。20m上のやや太めの灌木にランニングを取った瞬間、にしやんは振り返ってにやりと笑った。そこからも嫌な真横トラバースを行い、リッジを越えてにしやんは視界から消えた。やがて「終了!」のコール。フォローで登って、その悪さを実感。脆い岩にバイル、ピッケルを打ち込み(と言うより、引っかけ)アイゼンを蹴り込み、わずかに引っかかったポイントに体重を預けて迫り上がるわけだ。

最後の絶悪トラバース 笑顔、核心部を抜けて…

 最後の絶悪トラバースを終えて、ビレイポイントでにしやんと合流する。
「久しぶりにアドレナリンが出まくったわ」とにしやんが笑う。
 頭上には午後の陽光を浴びた摩利支天がそびえている。あともうわずかだ。
 最後のピッチはさわむらどん。快適な雪壁をぐいぐいと登り、ようやく午後の陽射しを浴びるのが見える。
「あー、さわむらどん、陽の光のなかに出たで」
「おー、暖かそうやなあ。わしらも早よ、出たいなあ」
 登攀を続けるさわむらどんを見上げながら、にしやんと言葉を交わす。
 そして、僕たちもいよいよ日溜まりのなかに飛び出す。暖かい。信じられないぐらいに暖かい。核心部を抜けきった安堵感とも相まって、僕たちは無言で笑顔を交わす。
 そこからはコンテでわずかな登り。眼前には阿弥陀岳頂上が近い…。

今冬の積雪は質・量ともに異常だ。
私たちは阿弥陀北西稜で二日間、苦闘を続けた。
二日めの午後遅く、絶悪な雪壁を抜けて山頂に登りつめた…。

無垢の雪面をたどり、阿弥陀岳山頂へ。
午後の陽射しが柔らかく、暖かい。

 ザイルを引きずり、僕たちは阿弥陀岳山頂に立つ。付近にはトレースはまったくない。僕は三角点標注をそっと撫でる。午後の陽射しが柔らかく、暖かい。対面には赤岳が真っ白な雪化粧でそびえる。僕たちはその白さに思わず驚きの声を上げる。こんなに真っ白な八ヶ岳なんて誰も見たことがない。降雪直後でもこんなに白くはないぞ?
 時刻は午後3時半。やれやれ、普通の記録では半日行程(4〜6時間)と言われる北西稜に1日半近く(12時間)もかかってしまった。下部のラッセルも深かった。そして上部雪壁の状態も最悪だった。でも、これは貴重な経験だった。僕自身、冬の阿弥陀岳は三シーズン連続だった。一回めは二月初旬の降雪直後。今回と同じように積雪は多かったけれど、これほどではなかった。二回めは十二月初旬、暖冬のせいもあってまったく積雪はなかった。そして、今回、一月中旬、この積雪だ。

2000年 2月 4日午後撮影
前夜に寒冷前線通過、午前中まで降雪
2002年 1月18日撮影
前々日に寒冷前線通過

 この状態だと左ルンゼは難しいだろう。下部はラッセル、そして上部は脆い岩壁。行動予定は明日、そして予備日として設定している明後日まで。明後日には下り坂の天候が予想されているから、少なくとも明日中には確実に抜けていなければいけない。普通は北西稜と同様に「半日行程」と言われる、赤岳西壁最難ルートの左ルンゼを。それ以外の代替ルートを検討しようとしたが、僕たちは北西稜でけっこう消耗、そして満足していたことも確かだった。
「行者小屋に下るか」
「ああ、そうしよう」
 わずかに、にしやんが一瞬、悔しそうな表情を見せたのを僕は見逃していない。
 僕たちは太股までのラッセルを蹴散らしながら、阿弥陀岳を下って行った。

<第三日> 行者小屋から下山

 前日、行者小屋へは半ばビールを期待しながら下山した僕たちだったが、週末なのに行者小屋は閉まっていた。どうも年末年始、そして成人の日の連休までしか営業していないようだ。毎週末に行者小屋が営業していたのは、もう十年以上も前のことなのだろうか。今では赤岳鉱泉しか営業していないようだ。ビールの当てがはずれたが、実は三人合わせて、まだビールを4本持っていた(なんちゅう奴ら…) なので、特段の不便も感じない(笑) しかし、極低温にさらされ続けていたおかげで、4本ともほとんど凍りかけ。栓を抜いた途端、吹き出る泡がシャーベット状に凍ってしまい、「あわわ…」と慌てる始末。結局、凍ったビールの一部は熱燗?となったのだった。

 凍った、と言えば、僕の両足先は凍った。十数年前の北岳で真っ白に完璧に冷凍になったときよりはずっとマシだったが、ま、一応、凍った。下山後、二週間経った今もほとんど感覚がないし、十本のうち、死にそうな爪もいくつかあることがわかった。これは「黒部童子ホームページ」の掲示板に書いた登山靴レポート(スカルパ・アルファ)でも明らかにしたように、僕自身のミスが原因ともなっている。これは僕の反省材料だ。

 さて、前夜より標高は下がったが、気温は圧倒的に低かったようだ。夜半過ぎからは寒くて眠れず、一時間ごとに目覚めては遠い夜明けを待ちわびた。その割には朝は遅くまで寝袋にくるまっていた。そろそろ起きなきゃしょうがないな、と起きあがったのは七時前。今日は下山しかないので、のんびりとコーヒーを飲んで、のんびりと朝飯を食って、のんびりとキジを撃って、のんびりと出発準備。
 今日は土曜日、僕たちが天幕を畳もうとする頃から、どやどやと入山者がここに入りはじめた。ここにベースを置いて赤岳西壁を登るパーティが多いのだろう。僕たちはそんなパーティとすれ違いながら下山した。美濃戸の駐車場は入山時とはうってかわって満車状態。
 誰にも出会わず、雪深く静かな阿弥陀北西稜を堪能した僕たちは、満足感をかみしめながら美濃戸口までゆっくりと下っていった。

夕映えの赤岳西壁 夕映えの大同心・小同心