山行報告(2001年12月初旬 南ア・甲斐駒ヶ岳黄蓮谷右俣)
眼前に坊主ノ滝(50m)が立ちふさがる。
下半分の結氷は甘いが上部は完全に氷結している。
僕たちはザイルを結び、直登に挑んだ。




           南アルプス、甲斐駒ヶ岳黄蓮谷右俣



1.山域  :南ア・甲斐駒ヶ岳黄蓮谷右俣

2.日程  :2001年12月 6日〜 9日(山中3泊)

3.メンバー:さわむらどん(46歳)
       NG    (39歳)   以上、山岳同人「黒部童子」所属

4.記録  :12/ 6(木) 雨、その後、曇りのち時々晴れ
        竹宇駒ヶ岳神社駐車場(11:30)〜五合目小屋(16:30)
       12/ 7(金) 晴れ 夜には季節風が強まる
        五合目小屋(06:00)〜黄蓮谷千丈ノ滝下(1650m、07:30)〜坊主ノ滝下(1750m、08;50)
        〜奥千丈ノ滝下(2000m、11:20)〜インゼル(2400m、15:10)
       12/ 8(土) 晴れときどき曇り
        インゼル(06:00)〜10m滝上(2450m、08:00)〜奥ノ滝最上部(2600m、11:00)
        〜甲斐駒ヶ岳山頂(2967m、13:30)〜七丈小屋(2360m、17:00)
       12/ 9(日) 晴れ
        七丈小屋(07:00)〜駐車場(11:00)


5.詳細  :下記参照

<いつものように背景から>

 九月中旬、さわむらどんと屏風岩東壁雲稜ルート(結果的に悪天候敗退)から下山したときには、すでに十二月に甲斐駒黄蓮谷右俣に行くことは合意事項だった。しかも、それは「右俣」であって「左俣」ではない。あるガイドに載っていた美しい氷瀑の写真が僕たちを魅了したことも事実だが、何よりも甲斐駒ヶ岳山頂に向けて突き上げるという「美しい」ラインが気に入った。そういう意味から言えば、黒戸尾根から下降して黄蓮谷に入るというのは「美しくない」のだが、その点は時間の制約のある社会人、ある程度は眼をつぶらざるを得ない。
 さわむらどんの氷瀑登攀は二十数年ぶり、僕の氷瀑登攀は今回が初めてとなる。しかし不思議なことに不安はまったくなかった。ここまで積み上げてきたものの「重み」のおかげなのか。この黄蓮谷は僕にしてみれば、僕自身がここ数年もがき続けてきた「ステップアップ」における第一段階のひとつの区切りだったと思う。
 いつものように入山前の「勉強会」(名前だけ)は京都の居酒屋で。「どうせ酔っ払うんやから酔いがまわる前に」とはじめた装備の打ち合わせもそこそこに、やはり山の話題でがんがんと飲み続ける。元々、旧山歩会の山行は居酒屋での発案が多い。その例に洩れず、早くも黄蓮谷を越えて、次の山々、その次の山々がここで語られた。

<入山前>

 さて、問題はアプローチだ。
 関西からは八ヶ岳でさえ遠いのに、ましてや南アなどはるかな彼方だ。いつもの夜行を使うとなれば、夜明け前の塩尻で二時間待ちの乗り換えをした後、入山口に到着するのは午前中も半ば過ぎになってしまう。おまけに今回は入山初日は朝方に雨が残りそうな気配。
 さんざん迷ったあげく、車を出すことに決定。いつもは夜行列車の中で行う入山前祝いは現地に着いてからできるが、下山祝いの打ち上げはとりあえず我慢することにする(という建前)
 押し寄せる業務を片付け、それでも残りそうな業務を僕の入山に理解ある(あきらめてる)同僚女性陣に「後は頼んだ!」の一言で押しつける。会社から帰宅後、あわただしく食事をして九時過ぎにさわむらどんの自宅まで迎えに行く。

 以下は余談となるが、今回も休暇調整に苦労した。当初は十二月中旬の週末を目標にして、その週末に絡めて休暇を取ろうとしたのだが、仕事の都合で休暇が取れず、さわむらどんにSOS。日程調整をしてもらい、初旬の週末と決めた。しかし、十一月末に僕の担当する顧客が倒産。実はその半月ほど前からその気配が濃厚で、僕は戦々恐々としていたのだ。その倒産業務整理で休暇取得など絶望的とも思われたのだが、会社内におけるそれまでの地道な根回しが奏功して?何とか、予定通りに二日間の休暇を取ることができた。
 いつも思うのだが、休暇は「取れそうなら取ろう」では絶対に取れない。「ここで絶対に取るぞ!」と決めた日に降りかかってくる出張、会議、その他もろもろの仕事を断固として拒否、排除、調整して、へとへとになりながら休暇取得の意志を貫かなければ、絶対に取れない。言うなれば「オレは絶対に休むぞ」という気迫やね。この気迫を周囲に伝えて「こいつはこんなやつだ」という認識(あきらめ)を得ることだ。その代わり、出世しようなんて思っちゃいけませんが。

 で、いつものように高速道路を120km/hオーバーでぶっ飛ばして、なんと、夜中の1時過ぎには竹宇駒ヶ岳神社駐車場に到着。京都からたった四時間、車なら近いもんだ。
 ここでビールを飲んで、車中仮眠。

<第一日> 竹宇駒ヶ岳神社〜黒戸尾根五合目

 前夜、南岸低気圧が通過したようだ。夜半過ぎに京都から車で到着したのだが、朝起きると、しとしとと降り続く雨。「やっぱり車で来てよかったよなあ」と言葉を交わしつつ車の中で居眠りしながら雨が上がるのをひたすら待つ。ようやく昼前になって雨が上がったため、出発。静岡県の二人パーティと相前後して出発する。彼らも黄蓮谷右俣らしい。
 黒戸尾根はとにかくひたすら登り、登り、登り。このあとに黄蓮谷という楽しみが控えているからこそ登る意欲もわいてくるというもんだ。
 標高1600m付近から積雪が現れはじめ、五合目小屋では50cm前後の積雪だった。本来はこの日のうちに黄蓮谷まで下って、岩小屋でビバークするはずだったのだが、雨で出発が遅れたために五合目小屋で泊まることにする。

<第二日> 黒戸尾根五合目〜黄蓮谷右俣インゼル付近

 夜明け前に起床。まだ暗いうちにヘッドランプを点けて出発するが、やがて薄明を迎えてあたりが明るくなる。五合目小屋から黄蓮谷への下降では途中で赤布を見失い、右寄りに下りすぎてしまった。静岡県のふたりは「夏に偵察にきたときに目印とした岩場がまだ現れないから」とか言いながらどんどん右寄りに下っていくのだが、さすがに僕たちはその後ろについて行く気がせず、途中で彼らを見送って沢筋に沿って下ることにした。それでも千丈ノ滝の下に出てしまったのだ。右に寄りすぎ。しかしそのおかげで千丈ノ滝の雄姿を眺めることができた。これは負け惜しみか? 静岡県のふたりはもっと下流に行ってしまったらしい。その後、ほとんど常に僕たちが先行することになる。千丈ノ滝はほとんど凍っておらず、右岸を簡単に巻き上がって上部に抜ける。

坊主ノ滝下で登攀準備

 その先、坊主ノ滝は半分ほど凍った状態。下部の結氷が甘く部分的に水流が見えるが、上部はしっかりと結氷しているようだ。ここは直登すると決めて、登攀準備。僕のビレイでさわむらどんがリード。難なく直登。僕自身はアイスは初めてだったが特に難しいとも感じなかった。続く15m滝も簡単に越えると両岸が切り立ったゴルジュ状となり、左手に黄蓮谷左俣を見送る。ここが二俣だ。このゴルジュを抜けると前方に見事な氷瀑が現れる。これが奥千丈ノ滝だ。ここは見事なほどに完全に氷結している。しかし予想したほど傾斜は強くないようだ。取り付きでさわむらどんと相談し、これならザイルを出すまでもなく直登できるだろうと判断。結局、僕でもザイルなしで簡単に登れてしまった。しかし最下部の滝しか見当たらず、ほかの滝はすべて積雪に埋没した模様。ここを過ぎると一気に積雪が深まり、ラッセルが苦しい。ここ一週間ほどで三度の南岸低気圧が通過した。それに伴う降雪なのだろうか。

奥千丈ノ滝、登攀 ラッセルが続く…

 沢筋は積雪が深いので右岸よりを進むが、ここでもやはり積雪は深い。結局、どこも一緒なのだろう。静岡の二人パーティはなかなか追いついてくれず、ふたりだけの(と言っても、さわむらどんが半分以上頑張ってくれたが)ラッセルが続く。後ろを振り返るとふたりパーティが休んでいるのが見える。おーい、早く追いついてくれい!
 尾根状を灌木につかまりながら四苦八苦のラッセルを続けているとやがて谷が開けてくる。右手に(写真で)見覚えのある氷結した滑滝が現れたことにさわむらどんが気付き、インゼル付近とわかる。本当は今日中に主稜線まで抜けてしまおうと(内心では)思っていたのだが、もう午後もいい時間になっている。ここで行動をうち切り、岩小屋でのビバークを決定、巨岩の下に潜り込んで入り口をツエルトで塞いだ(つもり) 滑滝を見物に行くが簡単に登れそうだ。

岩小屋でのビバーク

 暮れなずむ夕空を見上げ、正面には長坂町方面だろうか、ほのかな街の灯を眺めつつ、ビバーク体制に入る。残念ながらビールはないが(今日の分は酔っぱらって昨日のうちに飲んでしまった)ウィスキーを飲みながらリラックスモード。過去の山々を語り合う。遠い過去をただ懐かしむのではない。今の僕たちは、その過去の山々の延長線上にある。いや、一度はその延長線上から外れてしまったが、自分たちの意志でその延長線上に再び帰ってきたのだ。それが嬉しい。過去の山々を思い出だけで語るのはあまりにも悲しすぎる。寒さにふるえながら、でも同じ志を持つ者同志が山を語るのは最高の幸せ。
 やがて眠りにつくが、寝入ってすぐに季節風の強い吹き出しがはじまり、巨岩上の斜面からのすさまじいスノーシャワーが襲いかかってくる。そして、巨岩とツェルトのわずかな隙間から渦巻く雪片が舞い込み、身体が埋没してしまう。特に外側に寝ていたさわむらどんはひどかったようだ。うとうと眠りかけると、雪の重みと冷たさで目覚め、身体の上から除雪。それを何度も何度も繰り返す。一睡もできない。さわむらどんは一度起きあがってツェルトを張り直したようだが、あまり効果はなかったようだ。わずかな隙間を容赦なく攻めたてて、スノーシャワーは僕たちを埋め尽くそうとする。
「おい、生きてるか」
「ああ、生きてるぞ」
 眠ることをあきらめた僕たちは半ばやけくそになって、こんな声を掛け合ったものだ。

<第三日> 黄蓮谷右俣インゼル付近〜甲斐駒ヶ岳頂上〜七丈小屋

 たまらずに3時起床。身体もツエルトもほとんど埋没。岩小屋のなかに取り込んだ登攀具、その他装備もすべて埋没。除雪に1時間かける。夜半過ぎから季節風の吹き出しもおさまったようだ。そのおかげでスノーシャワーもおさまっている。今は満天の星空。きんきんと音が響きそうな澄んだ星空が頭上に広がる。眼下には街の灯。僕たちは思わず除雪の手を休めて、そんな凍てついた夜の空気に心を奪われる。そして再び黙々と除雪作業。なんと身体の下の敷いたはずのウレタンシートは数十cmもの雪の下から発見された。
 あらゆるものが雪まみれになってしまった岩小屋のなかでは落ち着いて朝飯を食う気にもなれず、コーヒーを沸かしてビスケットなどをかじるだけで朝飯をすませる。
 インゼルの滑滝を軽快に越える。その後はしばらく膝までのラッセルが続く。

10m滝を軽快に登攀する

 さらにその上に現れた10m滝で今回2度めとなるザイルを出す。さわむらどんがリード。正面上部はガチガチの蒼氷となってかぶり気味なので左岸に沿って直上。ダブルアックスが小気味よく決まる。落ち口から下方を振り返ると、静岡のふたりパーティがはるかに小さく見える。たぶん朝はゆっくりと出発したのだろう。そこからもさらに苦しいラッセルが続く。やがて両岸から岩壁が立ち上がり、正面に現れたのが奥ノ滝だ。
 最下段の滝はほとんど垂直。ここはあっさりとあきらめて、左岸の積雪深い急斜面を登る。ステップの定まらないふかふかの雪質。胸までの雪を掻き落としつつ這い上がる。
 続いて二段めの滝、これは直登するつもりで近づいて観察。確かに登れそうではあったが、今後のラッセルの深さと時間とのかねあいから見送る。このときの予定では午後一時までに甲斐駒ヶ岳に登頂、その日のうちに下山するつもりだったのだ。しかし後続の静岡県パーティは直登に決めたようだ(後で話を聞くと、われわれのラッセルがあればこそ直登を決めたそうだ!) この滝の高巻きがまた急斜面のすさまじいラッセル。いい加減に悲しくなってくる。
 最上部の滝は両岸に岩壁が屹立し高巻くことができず、いよいよ腹を決めて直登することにする。最下部は垂直、しかも脆すぎる氷瀑。さわむらどんが空荷でリード、さらにさわむらどんのザックを荷揚げの後、僕が登る。垂直部では背中のザックに引き剥がされそうな怖さを味わう。両手両足、どの支点が甘くても引き剥がされて落ちるだろう。しかしここがいちばん面白い登攀となった。
 これで最難関の奥ノ滝を越えた。はるか上方を見渡せば、甲斐駒ヶ岳主稜線らしきものが見える。しかしそこにたどりつくまでには茫漠たる深いラッセルの急斜面がまだまだ広がっているのだ。
 そのあとも再び苦しいラッセルをひたすら続ける。最上部でラッセルから逃れて左手の尾根に上がる。そこはハイマツに積もった雪の尾根を這い上がり、ようやく頂上直下のコルに飛び出す。黒戸尾根まで上がればトレースがあるだろうと半ば期待はしていたのだが、頂上付近にもまったくトレースがない。相変わらずのラッセルを続けて、13:30に甲斐駒ヶ岳山頂着。
 当初見込みよりも三十分だけの遅れだ。多少暗くはなるかもしれないが、今日中に一気に駆け下りるぞ、と思ったら甘かった。
 頂上からの下りでも股下前後の苦しいラッセルが続く。左斜面を下りトラバース気味に下っていくのだが、ここはホワイトアウトになると、トレースがなければ非常にルートファインディングが難しいだろう。二時間もかかって八合目の鳥居にたどり着くころには、もうその日のうちに下山することなどはすっかりあきらめた。ふかふか積雪でずぼずぼ潜る。疲れ切った身体は足を取られてはひっくり返り、もう雪まみれ、深いラッセルと自分の不甲斐なさに悪態をつきながら下っていく。いいかげん悲しくなった頃、七丈小屋にたどりつく。その頃には夕闇が迫っていた。もうラッセルはいらん、勘弁してくれ、という感じ。
 七丈小屋には幕営1パーティと小屋泊まりの単独行者がひとり。僕たちはここまで頑張ったご褒美として、小屋泊まりに決める。ストーブがごうごうと燃え、信じられない暖かさ。昨夜の寒さが信じられない。
 僕たちはまだ装備を身につけたまま、管理人に向かって「すみませんが、まず、ビール…」と異口同音につぶやく。1本を飲み干し、さらにもう1本飲み干して、ひと心地つける。そんな僕たちを見て、管理人が笑っていた。
 後続のふたりパーティはもっと遅くなるかと思っていたが、1時間遅れぐらいで小屋に到着。「おふたりのラッセルのおかげで…」とラッセルの御礼をさかんに言われる。いまごろそんなこと言われてもなぁ…。

<第四日> 七丈小屋〜竹宇駒ヶ岳神社駐車場

 早朝に起床して甲斐駒ヶ岳往復に出かけた単独行者を見送り、僕たちも小屋を出発する。七丈小屋から下では積雪がぐんと少なくなる。ひたすらひたすら下り続けるのみ。やがてあんなに深かった積雪が消え、落ち葉の敷き積もる樹林帯を下っている自分に気が付く。何だか不思議な感じだ。
 ふたりとも無言で下り続ける。深いラッセルの末に山頂に登りつめたという充実感を、下るにつれてますます強く噛みしめながら。