山行報告(2001年10月下旬 北アルプス・赤沢左俣)
抜群の高度感のなか、赤沢岳西尾根を登攀する
左後方に黒部湖、右後方に3峰(猫ノ耳)




              赤沢左俣遡行、赤沢岳北西壁



1.山域  :北アルプス・赤沢岳周辺(赤沢左俣、赤沢岳北西壁)

2.日程  :2001年10月20日〜22日(山中2泊)

3.メンバー:さわむらどん(46歳)
       にしやん  (43歳)
       NG    (39歳)
                    以上、山岳同人「黒部童子」所属

4.記録  :10/20(土) 晴れ
        黒部ダム(08:20)〜赤沢出合(08:50)〜最初の滝<1500m>(09:50)〜25m滝<1650m>(12:00)
        〜二俣<1750m>(13:10)〜デポ地<1950m>(14:10)〜BS<1850m>(14:40)
       10/21(日) 晴れのち曇、夜には一時晴れ
        BS(07:00)〜赤沢左俣右岸尾根<2250m>(10:30)〜北西壁中央稜末端<2400m>(13:30)
        〜北西壁基部「バルコニー」<2450m>(15:00)
       10/22(月) 曇のち雨
        BS(07:00)〜赤沢岳(08:30,09:00)〜種池(12:00,12:30)〜扇沢(14:00)


5.詳細  :下記参照

<いつものように背景から>
「この秋、黒部詣りはどこに行くかなぁ…」
 夏の終わり頃から、こんなつぶやきが僕たちのあいだをメールで行き交っていた。昨秋、黒部別山谷左俣に入山して(おまけにエライめに遭って)からまだ1年めの秋だけど、この時期に「黒部詣り」をするのが毎年の恒例となりそうな予感があった。
 しかし、企画力のない僕はだいたい誰かが出すアイデアに相乗りする。もともと僕は「行こうや!」と言われたら、物理的障害(カネとか休暇とかそんなもの)さえなければ「おう、行こ行こ」と後先考えずに乗っかる性分だ(で、あとで家族から「また、山?」という冷たい視線を向けられる) で、そういう声をかけさせるべく、僕はさわむらどんとにしやんにメールで企画を督促していたわけだ。
 そんななか、にしやんから「赤沢左俣〜北西壁」というアイデアが浮上してきた。赤沢って、志水哲也が「…十字峡以奥の黒部支流では最も険しい。遡行の難しさは極度に悪い草付きと脆い岩の登攀…」とか、書いてなかったっけ? あ、やばいなあ。昨秋の黒部別山谷左俣の「極度に悪い草付き」が脳裏をよぎる。で、「美しいラインを描かないと山登りとちゃう」というにしやんならきっと言い出すやろな、と思っていたら、案の定「北西壁はダイレクトルートやで!」というメールが舞い込んだ。何や、全部、僕が好きやけど(?)苦手なところばかりやないか。もう、焼くなり煮るなり好きにしてくれ。

<入山前>

 …ということで、入山前には緊張感がみなぎっていたはずなのに、僕は1週間前に風邪を引いた。ここ二、三年、風邪知らずだったのに。でも1週間もあればよくなるやろ、と思っていた風邪は日を追う毎に悪くなり、僕は入山前日にあわてて医者に駆け込んだ。そして、症状をやたら大袈裟に訴えて抗菌剤を処方してもらったのだ。咳も激しく何となく熱っぽい。行くべきか、やめるべきか。自分のつらさ、パーティへかけるかもしれない迷惑、いろいろ考える。今年二月の八ヶ岳連峰赤岳東稜でも僕はインフルエンザで入山をあきらめた。でもあのときは発熱が39度を超えたからだ。今回、この程度であきらめたら僕は絶対に激しく後悔するだろう。この赤沢左俣は僕にとって絶対にいい経験、今後にとってプラスとなるはずなのだ。
 よし、行こ。とにかく、黒部ダムまでは行くぞ。
 その夜、さわむらどんと京都駅で合流。その日の夕方に江戸詣りから帰洛した彼もお疲れの模様。サボリーマンはつらいわい。
「風邪、大丈夫か」
「まあ、ぼちぼち」
「おまえ、頼むでぇ」とさわむらどんが笑う。こうして仲間と話していると風邪も治りそうな気もする。
 早朝、松本で「ちくま」から「アルプス」に乗り換える。「アルプス」で新宿からきたにしやんと「まいど!」の挨拶。
「おまえ、風邪、どないやねん?」
「まあ、ぼちぼち」
 にしやんは無言で笑った。

<第一日> 赤沢下部遡行

 早朝の信濃大町では快晴、満天の星空だった。二日前に通過した台風の後に流れ込んだ寒気のせいだろうか。冷え込みが厳しい。
 観光客、登山客に混ざって、扇沢から黒部ダム地下駅へ。黒部ダムでは観光客と別れてまっすぐに登山者用出口へ。穴蔵から顔を出すと眼前に美しい紅葉の丸山東壁が迫る。あー、またここに来てしまったな。しかし、けっこう登山客が多い。下ノ廊下方面への入山者だ。どれもこれも中高年登山者ばかり。毎年、転落事故が絶えないとも聞く。彼らと一緒に黒部川まで下るが、日電歩道を行く彼らと河原で別れて、僕たちは黒部川右岸を下っていく。
 わずかな下りで、赤沢出合だ。楽勝、楽勝。それにちゃんと水流もあるぞ。水の確保に頭を悩ませていた僕たちは安堵のため息。この出合から水を背負い上げる気など毛頭ない。護岸工事が施された出合付近を登っていくが、すぐに唖然とする。右側から地下水路が顔を出し、赤沢出合でみた水流はこの水路からのものだったのだ。赤沢本流は…、と見上げるも水流は涸れている。僕たちは悲しく顔を見合わせ、ま、行けるとこまで行こうや、と進みはじめた。結局、まもなく水流が復活し、ほっとはしたものの、この後も飲料水確保に不安を感じながら登ることとなった。
 最初の10m滝が現れる。ここまでは普通の足ごしらえで登ってきたが、さていよいよ沢登り装備か。何と、にしやんは登山靴にわらじを直接履いている!
 出発前にずいぶん頭を悩ませた。赤沢のナメに対処しつつ、どのように軽量化を図るか。そして、遡行の後には北西壁登攀が控えている。以下に三人の装備を公開しよう。
  さわむらどん 通常&沢:ファイブテン/ウォーターテニー、北西壁登攀:ラバーソール
  にしやん   通常&北西壁登攀:ファイブテン/ガイドオールマイティ、沢:ガイドオールマイティ+わらじ(!)
  NG     通常&北西壁登攀:ファイブテン/ガイドオールマイティ、沢:地下足袋+ポリジ(ポリエチレンわらじ)

最初の滝を慎重に登る

 トップはにしやん。左岸のつるつるスラブに走ったクラックに沿って、登山靴+わらじの感触を確認しつつ慎重に登る。落ちても問題ないが、この季節にここで釜に沈没して全身びしょぬれにはなりたくはない。途中のワンムーブが非常に微妙。
 このあとすぐに、CS40m大滝が現れる。このCSは半端な大きさじゃない。小さな家ほどもある。
 シャワーを浴びる覚悟があるならば直登に挑戦してもいいが、寒い季節だ、濡れたくはない。ちょうど左岸にルンゼが入ってきている。ここを登りはじめるが途中で岩場が現れたため、ワンピッチザイルを出す。ビレイポイントにフレンズを決めて登りはじめるが、適当なランニングが取れずに不安を感じはじめる頃、ちょっと古いボルトを発見。おお、こんなところに入山する変わり者がおるんやな。その上の草付きを越えると、わずかなクライムダウンで大滝上の河原に降りられる。赤沢は午前中はまったく陽が射さない。はるかな上部に秋の陽射しを浴びた北西壁を見上げる。あたりは素晴らしい紅葉だ。

CS40滝を越えて
はるかに北西壁を望む
核心部? 二段25m滝
滝奥に北西壁

黒部支流、赤沢の紅葉

 しばらくは穏やかなゴーロを登っていくが、やがて二段25m滝が現れる。
 これまた志水哲也が「ここは直登せざるをえず、上部でかなり悪い草付きの登攀を余儀なくされた」と書いているところだ。僕たちもここが左俣核心部になるだろうと覚悟はしていた。確かに直登はひどく悪そうだ。しかし、滝の手前、左岸に小さな斜上バンドが走っている。そこを伝って左岸の一段上のバンドに出て、そこからルンゼを上がり、あとは藪壁をトラバース、そのあとは…知らん。けど、何とかなるやろ。
 結局、その激しい藪壁をトラバース、もう滝を越えたやろと見当をつけたあたりでワンピッチの懸垂下降、こうして最悪と覚悟した25m滝は難なく越えた。入山前、この滝のためにちょっと胃が痛くなりかけたんやけどな。
 そのあとは穏やかな登り、小さな滝を越えていくと二俣に着く。ちょっとした草原があったりして、穏やかなところだ。
 少なくとも二俣には水流がある。あとはこの水流がどこまで続くか、だ。
 ここからはとにかく単調な河原登りだ。今日はどうせ水流が途絶えるところまでと、のんびりと行くがすぐにも水流が途絶えてしまう。ちょっと早すぎはしないかいと思いつつ腕時計の高度表示を見ると1850mだ。計画書でBSはおそらくこのあたりになるだろうと予想していた高度だ。それでも水流復活を期待してなお高度差で100mほど登るがその気配もない。それに地形は両岸が切り立って傾斜も急になり、ビバークしづらい。ここの岩陰に登攀装備その他をデポ。さきほどのところまで戻る。
 しかし、3人がビバークできるスペースというのがない。けっこう探し回った挙げ句、傾斜地ビバークを決定。眼前に1畳ほどの平らな大岩があり、テーブル代わりにもなる。本当は焚き火もしたいんだけど、周囲は晩秋の枯れ草野原。下手すると山火事だよなあ。
 焚き火はあきらめて、入山祝いの乾杯。もちろん各自のザックからは当然のようにビールが転がり出る。水の確保に苦労するところはいわゆるボトル缶ビールを持ち込む。空き缶がそのまま水入れになるからだ。
 夜が更けるにつれて、酔っ払いモードになっていく。頭上は今日も満天の星空。「次の山は…」「この冬には…」とここから下山もしないうちからその次の山を語り合う。こんな山を語る時間が僕たちにとっては最高だ。漆黒の闇、ほのかな星明かりに山のシルエットが浮かぶ。正面、丸山東壁方面に灯りが見える。1ルンゼ上部あたりでビバークでもしているのか。むこうからもこちらの灯りが見えるだろう。「あんなところに灯りがあるぞ? どこだ、いったい?」と首を傾げているにちがいない。僕らは満足の笑顔を交わして眠りについた。

正面に丸山東壁を眺める絶好のBS 酔っ払いモードでっせ!

<第二日> 赤沢左俣から北西壁基部へ

 昨夜は夜中前に厳しい寒さで目覚めた。左俣上部から吹き下ろしてくる風が冷たい。結局、ツェルトなんて張ることができず、ただ被っているだけなのだ。これはもう朝まで眠れないかなあ、と思っていたが、いつしか再びぐっすりと眠りに落ちた。ほかのふたりも同じだったようだ。
 5時に起床するが、この季節、あたりは真っ暗だ。いつものようにコーヒーを飲み、身体を隅々まで目覚めさせる。簡単な朝食の後は水汲みだ。ここから上には水流が期待できない。ビールの空きボトル缶も含めて、空いている容器すべてに水を満たす。ひとりあたり約5Lになる。ザックに詰めるとずっしりと重い。やれやれ。
 ここから上はただひたすら沢筋を詰めるだけ。標高2000m付近で再び水流が復活。二日前の台風による雨のせいか、いつも水流があるのかはわからない。ただ、このあたりになると両岸は脆い壁となり、落石が怖い。やはり昨夜の場所でのビバークが正解だ。問題はこの左俣をどこまで詰め上がるかだ。
 「日本登山体系」概念図によると、北西壁基部には「北西壁ルンゼ」なるものが走っており、ビバーク適地の「バルコニー」もそのルンゼから少し上がった尾根上にあるという。その北西壁ルンゼにどのように入るのか。概念図を見れば、左俣を詰め上がってその北西壁ルンゼにそのまま直接分岐できそうな気もする。しかし、その分岐が明瞭なほどに顕著なルンゼなのか。だいたいこの北西壁、われわれのうち誰も行ったことはないのだ。志水哲也は下から詰め上がった結果、「岩壁基部に出るルンゼが見つけられず」「ヤブこぎで北西尾根に抜けた」という。
 出発前、僕は僕なりに二万五千図上で北西壁ルンゼを同定しようとした。そして、曖昧ながらもほぼ同定したつもりだった。それは概念図とはやや異なっていた。北西壁ルンゼは「崖記号」で左俣本流と分断されている。それとも、この「崖記号」が概念図の「滝記号」に相当するのか。いずれにしても左俣から直接入れそうにない。
 左俣の標高2100m付近に至る。両岸が迫り、だいぶ悪くなってきた。このままではやはり落石が怖い。僕たちは右岸に取り付いて、二万五千図にある「顕著な尾根」に出ようと考えた。まずは右岸直上を試みるが、かなり傾斜が立ち上がり悪い。ザイルを出して浮き石だらけのトラバースの後、急峻なルンゼを登る。2ピッチでルンゼから右の小さな尾根上に上がり、ここからはひたすら黒部の濃い藪を漕ぎ、場所によっては木登りだ。

これが黒部の藪だ

 このあと1ピッチはスタッカートで登るが、ますます濃くなる藪のなか、50mザイルの両端と中央で3人がつながり、同時登攀を行うという僕たちの定番藪登り法「スタッカート・コンテ」に切り替える。少々落ちても藪がビレイしてくれる。やがて濃い藪を抜け、見晴らしのいい急傾斜の草原で一服。背後に剱・立山連峰の景観が広がる。この高度、この角度、当たり前ながら、なかなか見られない珍しい風景だ。時折、カラカラカラ…という乾いたイヤな音が左俣方面にこだまする。落石だ。つい先程は視認できるほどの大落石があった。やはり左俣上部は危ない。

剱岳方面を望む 北西壁基部で地形を同定する 「バルコニー」にて

 ここからさらに3ピッチほど登攀、だんだん北西壁が近くなる。どうやら北西壁基部に至るにはこのルートが大正解のようだ。再び藪壁をスタッカート・コンテで登りつめると眼前に、おそらく左岩壁だろう、急峻な岩壁が屹立する。僕たちは右岩壁を登攀予定だ。岩壁基部を右へ右へとトラバース、中央稜末端から1ピッチ、懸垂下降をすると、おそらくこれが北西壁ルンゼだ。地形を確認すると、ルンゼ末端はルンゼ状が曖昧になり、崖となって左俣方面に切れ落ちているようだ。やはり下から詰め上がるには無理があったようだ。北西壁ルンゼの左岸側尾根が「登山体系」概念図で言う「右岩稜」のはずだ。あのあたりに「バルコニー」があるはず?
 はたして、ルンゼからわずかに上がった尾根上に「バルコニー」らしき、平坦地があった。この付近では唯一の安全なビバークサイトだろう。しかし、その広さは1畳半ほど。三人が横になるのにやっとの広さだった。今日も窮屈な眠りとなりそうだ。周囲にビレイ点を確保、ザイルを張り巡らせて夜間用セルフビレイを取る。そして、ツェルトを張るのに生木を一本拝借。背後の岩と生木ポールの間にツェルトを張り渡して、何とか屋根(のようなもの)を確保する。
 ところが天気があまり良くない。入山直前に確認したところでは、広い帯状高気圧に覆われて、少なくとも明日まではなんとかもつはずだった。しかし、今朝から薄雲がかかり、今ではすっかり曇ってしまった。念のために気象通報で地上天気図をとる。確かに高気圧は日本付近に勢力を残しているように見える。しかし、好天をもたらした高気圧は逃げ足が早く、何と時速55kmの猛スピードで東進、しかもすでに九州から関西にかけての広い範囲で雨が降りはじめているではないか。なんてこった。下手すりゃ、今晩から雨が降り出すぞ。ムードが暗くなる。にしやん持参のスモークレバーをつまみにビールを飲みながら(まだビールがあるんだよな、笑)、明日の行動打ち合わせ。
 にしやんはダイレクトルート、もしくは凹状ルートにこだわる。せっかく黒部川から赤沢を詰めてきたのだ。赤沢岳頂上に向けて最後まで美しいラインを…という想いだ。さわむらどんも想いは一緒だが、天候を考えて慎重だ。僕は右ルートを主張する。たとえ途中で雨に降られても迅速な行動で抜けることができる。しかし、結論は明朝に先延ばし。雨が降りだしていれば結論はひとつしかないからだ。

<第三日> 赤沢岳頂上へ、そして下山

 比較的暖かかったわりには僕はよく眠れなかった。興奮状態にあったせいもあるだろうが、咳がひどかった。夜中に何度か激しく咳き込んで眼が覚めた。入山前からずっと薬をのみつづけてはいる。だから小康状態を保っている。しかし、咳だけは例外だ。昨日も一昨日も、行動中に何度か激しく咳き込んだ。
 誰かが起きたらしい気配で、観念して起きあがる。午前5時少し前。おや、満天の星空だ。いったいどうなってるんだ。5時半のNHKニュースで気象概況を聞く。九州北側の日本海で低気圧が発生、東進して夜には能登半島沖に達するとのこと。昼頃には北陸地方にまで雨域が広がるらしい。でも、今は晴れてるぞ? 出発直前まで結論を先延ばしにする。
 コーヒーと食事を終え、行動用に各自1.5Lの水を確保。せっかくここまで持ち上げた水だ、水を飲み溜めしてもなお残った水を名残惜しそうに捨てる。朝陽が剱岳に射し込む。やはり雲行きはあやしい。上層には高積雲が連なり、立山連峰を滝雲が越えはじめている。午前中には雨雲が広がりそうだ。

「バルコニー」でのビバーク(生木支柱) 朝陽を受けた剱岳

岩峰で遊ぶ 赤沢岳頂上にて

「右ルートやな」誰からともなくつぶやき、眼下の北西壁ルンゼから分岐する小さなルンゼ状に入る。しかし、右ルートも岩が濡れた状態。乾くのを待ってはいられない。結局、そのルンゼを直上、草付きを這い上がると、ぽっかりと西尾根上に飛び出した。
「わしはもう一度、ここにくるぞ。もう一度、下から詰めて北西壁を登ったる!」とにしやん。
 かすかなトレースのついた西尾根をたどる。いったんスバリ沢側に下降して沢状を詰めれば赤沢岳頂上もすぐなのだけど、欲求不満の僕たちは途中の岩峰でザイルを出して少し遊ぶ。
 ハイマツの藪漕ぎを少しすると、そこはもう北西尾根と西尾根のJP、赤沢岳頂上はすぐそこだ。
 赤沢岳頂上、午前8時半。三人で交互に握手を交わす。北西壁は登攀できなかったが、赤沢左俣を完登した。黒部ダムを出てからここまで、誰にも出会わなかった(当たり前だ) 人の匂いがせず、獣の臭いだけを感じた三日間だった。激しい藪漕ぎ、藪壁の木登り、黒部らしくいい山だった。

 あとはただ退屈な一般縦走路だ。ひたすら歩いて、昼頃、種池小屋着。手入れの行き届いた小屋だ。ここでビールで乾杯。この時期、宿泊者はほとんどないという。もうあと二週間もすれば小屋じまいだそうだ。こんなときなら一度小屋泊まりもいいかなあ、と思った。ストーブのそばでウイスキーでもなめながら、下界の生活を忘れて読書三昧の時間を過ごすのだ。最高だろうなあ。調理場の窓から小屋番の女の子たちがにこやかにおしゃべりしながら餃子を作っているのが見えた。宿泊客もない雨の午後、空いた時間を利用して楽しんでいるのだろう。手を振って別れを告げると彼女たちも手を振り返してくれた。
 小屋を出発する直前から激しい雨が降りはじめる。その雨のなか、僕たちは扇沢に向けて黙々と下っていった。やはり北西壁断念は正解だったのだと自分自身に言い聞かせながら。


資料編

二万五千図拡大コピー(今回も大変お世話になった)


二万五千図部分拡大

緑色のラインを僕たちは登った。
北西壁ルンゼ下部は左俣本流に切れ落ちている。
(赤い「×」印がバルコニー)
「日本登山体系 第6巻」に掲載された概念図

概ね正確だが、左俣本流から北西壁ルンゼに
直上できそうだと勘違いしてしまう。
(左図の「崖記号」が「滝記号」に相当?)