山行報告(2001年 7月下旬 北アルプス・黒部源流、赤木沢)
連続する滝、滝、滝…

〜北アルプス・黒部源流、赤木沢にて〜




                 黒部源流、赤木沢



1.山域  :北アルプス・黒部源流、赤木沢

2.日程  :2001年7月20日〜21日(山中1泊)

3.メンバー:NG   (39歳) 山岳同人「黒部童子」所属
       かみさん ( ?歳) 京女山歩会OG会
       長女   (13歳) 無所属

4.記録  :7/20(金) 晴
        折立平(08:30)〜太郎平(11:30)〜薬師沢出合(13:00)〜黒部川源流CS(15:00)
       7/21(土) 晴のち曇
        CS(05:30)〜赤木沢出合(06:30)〜中俣乗越(10:30)〜太郎平(13:00)〜折立平(15:00)

5.詳細  :下記

<はじめに>
 僕は昨今の中高年登山者による登山ブームには個人的に激しい反発を覚えています。さらに言うならば、「登山」という行為の本質を見失った登山装備のファッション化にも。
 なかには基本的な約束をわきまえた中高年登山者もいらっしゃいます。そういう方々には僕は敬意を払う。でも、その多くは下界の延長線上で傲慢なエゴを撒き散らす連中です。いや、そこにはもう「登山」なんて行為は関係ない。人としての基本的な常識、たしなみすら知らないような連中なのです。ゴミを撒き散らし、山小屋での入浴を要求し、山小屋の不便さや登山道の整備に文句をつけ、厚化粧を洗い落とした汚水を平気で垂れ流し、そして「ああ、自然はなんて美しいんだろう」と、のうのうと口走る。その挙げ句に不十分な装備、経験、体力を原因とした事故を起こし、その事故の責任を他人に転嫁する。そんな連中です。今はそんな連中が山に登ってくる時代なのです。
 こんな腹立たしさを背景に、この記録を書きました。だから、表現はかなり過激です。

<やはり今回にも背景がある>
 一昨年、昨年と二年連続で沢登りの相棒を務めてくれたKYOが海外協力青年隊の一員としてブータンに赴任してしまった今年、僕は相棒を失ってむなしい夏を迎えようとしていた。
 夏は沢登りに限る。これがここ数年で得た僕の結論だ。夏山一般縦走路などまったく行く気も起こらない。延々と長蛇の列をなしつつ、不愉快な言動をまき散らす、そんな傍若無人な中高年登山者など見たくもない。ましてやそんな連中の尻を拝みながら登ることなどごめんだ。
 だから、今年の夏はこのくそ暑い京都でおとなしく過ごそうかと考えていた。この秋から冬の山々に向けて鋭気を養いつつ。
 そんなとき、突然、かみさんが「赤木沢に行きたい」と騒ぎ出した。
 黒部川源流、赤木沢。
 流長約90km、標高差約3000mを流れ落ちるという日本でも有数の急流・黒部川にあって、穏やかなナメ滝が連続する明るい支流として有名だ。一時期には秘境とさえ呼ばれたともいう。でも、近年は秘境などというものは存在しえない。「秘境」などと呼ばれたが最後、押しかける中高年登山者に食い物にされるだけだ。そして近年の赤木沢もそんな登山者たちに食い荒らされているとも聞く。まったくイナゴみたいな連中。
 僕はここを十七年前、学生の頃に訪れた。そのときの仲間はアキラちゃんとパー助だ。みんな、まだまだ若かったぞ。そのころは「秘境」という名にふさわしく、誰とも出会わない静かな山行が楽しめた。流木を釣り竿に川虫を餌にして釣り上げたイワナを焚き火で焼き、担ぎ上げた大量のビールを飲みながら星空の下で語り明かしたものだった(拙著:山岳紀行集『彼方の山稜』収録、「寺地山」参照) 僕はそんなすばらしい想い出を赤木沢に持っている。

赤木沢のナメ滝

 そのときの写真を僕のアルバムで見たからだろうか。荒れた赤木沢を見たくないという僕とは反対に、かみさんはどうしても行きたいとこだわる。やはり僕のアルバムを見ていた山好きの長女もそれに同調する。それに対して、つらい登山を敬遠しはじめた次女と三女は留守番に傾く。それも仕方がないだろう。小学校に上がる前から自分の装備はすべて自分で背負って自分で歩くことを基本に、さまざまな幕営縦走に連れまわされてきたのだ。だから登山の想い出なんてつらいことしか覚えていない。
 こうして、次女と三女を家に残置、かみさんと長女を連れて僕は赤木沢に向かうことになった。

<出発>
 七月下旬の三連休前夜、木曜日に仕事を終えて帰宅した後、仮眠。四時間ほど眠って真夜中の2時に出発、登山口には朝6時過ぎに到着する…はずだったが、目を覚ますと、何と朝の4時。やれやれ寝坊だ。しかたがあるまい。1週間の激務のあとなのだ(毎日定時退社のどこが激務やねん?) でも、今から出発すると現地に着くのは8時過ぎになってしまう。これでは中高年登山者のお尻見物になってしまいそうだぞ。
 京都東ICから名神高速に入り、さらに北陸道をひたすら富山へぶっ飛ばす。竜王、彦根など定位置で騒ぎだすレーダ探知機をなだめすかしつつ、巡航速度はいつも120km/時。朝7時半には立山ICで降りて、8時過ぎに折立登山口に到着した。
 折立駐車場はいっぱいで、周辺林道への路側駐車の列が延々と続く。なんでこんなところに無理矢理駐車するのかなあ、と思いつつ、狭い林道を少し奥に入っていくと広大な空き地が現れる。かわいそうに、みんなここに駐車場が隠れていることを知らないのだ。のびのびと車を止め、そのまわりでのびのびと店開き、出発準備。

<黒部源流へ =第1日=>
 折立休憩所の前を通り、薬師岳大遭難の慰霊碑の傍らから入山。標高1850m三角点まで、いきなり標高差500mの急登だ。樹林帯で展望はない。なによりの障害は延々と連なる中高年登山者の長蛇の列。この後ろに付き従って登った日にゃ、太郎平に着く頃には日が暮れるぞ。後ろから追いついても、こういう中高年パーティは道を譲るということを知らない。のんびりぺちゃくちゃ、好き放題。もちろん僕たちも彼らが道を譲ってくれるなんて期待もしていない。登山道が少し広がったところで強引に追い越しをかける。いったい何百人を抜いたことだろう。1時間で標高差500mを登り切る。「標準」コースタイムの半分以下。日頃から走って鍛えている僕とかみさんは楽勝。でも後ろを振り返ると少し遅れ気味の長女は息を切らせて真っ赤な顔。まだまだ若いモンには負けへんで〜。それでもこの異常なペースにちゃんとついてくるのだから長女も立派なものだ。しかし、この「標準」コースタイムとやらは何が「標準」なんだろう。
 三角点から先は草原のなかのなだらかな登り。登山道も広くなり、登山者の影もまばら(まだみなさんは急登の途中)、僕たちも久々の夏山景観を楽しみつつのんびり登る。今年の夏は順調に梅雨明けを迎え、夏空が広がる。周辺の草原にはニッコウキスゲの黄色い花が揺れ、足下にはチングルマの白い群落が広がる。それでも太郎平には11時過ぎに着く。いいペースだ。ここでカロリー&水分補給。もちろんビールだ。ただ理由を付けるだけで、ビールがカロリー&水分補給、どちらにもならないことは知っている。500cc缶が700円、生ビール500ccも700円。みんな、生ビールに惹かれているようだがあの紙コップでは泡を差し引くと500ccも入らないぞ。にしやん流の観察術で僕は500cc缶を選ぶ。当然だ。
 素晴らしい夏空、眼前には薬師岳がそびえる。中高年登山者の多さにさえ眼をつぶれば、典型的な夏山風景、夏山賛歌だ。

夏山賛歌 〜太郎平にて〜

 ここでわずかな休憩の後、僕たちは薬師沢に向かって駆け下る。しばらくは立派な木道が続く。僕がここを初めて訪ねたのは二十数年前、高校1年生の頃。このあたりも、ここ十年ほどですっかり変わってしまった。完全な公園化だ。北アルプスの三千m級稜線も今では中高年の散歩道になってしまった。登山道の整備状況が悪いと文句を言い出す輩もいるという。そんなやつは来るな! まあ、もっともこの木道というやつも登山道周辺の裸地化防止には役立っているのかもしれないが。こういう登山者が登山道以外に足を踏み入れて荒らし回ることを少しは抑止しているのかもしれない。
 さすがにこの時間帯にここを下る登山者は少ない。結局、他人と同じことをしていてはダメだ。ルートを変える、時間帯を変える、そういう努力をしないと、今の日本では他人のお尻観察登山になってしまうということだ。途中、コバイケイソウ、ニッコウキスゲなどの典型的な高山植物の群落に迎えられ、湿地帯ではモウセンゴケ(=食虫植物、たぶん僕以外は誰も見向きはしないな)を観察しつつ、午後1時過ぎには薬師沢出合に着く。

コバイケイソウ クルマユリ ニッコウキスゲ

 さて、ここから一般ルートから外れて、いよいよ黒部源流帯に足を踏み入れることになる。一般登山者とはおさらばできるのがうれしい。吊り橋のたもとから黒部川本流の河原に降りる。そこには「立ち入り禁止」(?)のロープが張ってあり「幕営指定地以外での幕営は禁止されています、ここから先は一般ルートではありません、入山者は薬師沢小屋にて届け出をしてください、云々」という札がぶら下がっている。そんなこたぁ、わかってるがな。でも近年は、赤木沢人気につられて中高年登山者が押しかけて、事故多発らしい。そういう連中への警告のつもりなのか。ほんまに鬱陶しい連中だ。
 僕はすんなりと源流に足を踏み入れるが、かみさんと長女がなかなか来ない。おかしいなと思って吊り橋まで戻ると、僕を見失って方向がわからずにきょろきょろしている。こら、あんたら、素早く行動せんかい! 小屋番に見つかるやないか! 声をかけて手招きする。僕には黒部川の轟音で聞こえなかったが、このふたりを不審に思った小屋番が、ふたりが黒部源流に足を踏み入れるのを見て、「ちょっと! 何処に行くつもり?」と声をかけてきたそうだ。
 ごめん、小屋番! けど、今、君と会話するわけにはいかんのじゃ。この時間に黒部源流に入谷しようとしたら、君は「指定地外幕営禁止」をたてに僕たちの入谷を阻もうとするだろう。そんな不愉快なやりとりを避けたい。でも僕たちは問題の中高年パーティではない。少なくとも僕たちは黒部川源流や赤木沢を遡行するくらいの技術も経験もある。それに指定地外幕営など、そういったことの最低限のマナーも知っているつもりだ。勝手な言い草かもしれない。でも二十年も昔から山を登っている者として、沢登りなどのバリエーション・ルートの場合には「指定地外幕営」も含めて暗黙の了解があったはずだと考えている。その原則に従って、僕たちは入谷させてもらうよ。
 そうは言っても割り切れなさも残る。本当はきっちりと小屋番と話をつけて入谷すべきなのだろう。それをせずに入谷しようとする自分は卑怯者かもしれない。そんな自分を責める自分もいる。でもいくら訴えたところで、懐疑心に凝り固まった小屋番はそんなことは聞き入れはしないだろう。ある意味、彼らも「自分の言葉は法律だ」と思いこんでいる権力者だ。昨今の中高年登山者を相手にしていたらそれも仕方がないかもしれないが。でも、かつての秘境、熟練者のみに許された黒部源流も、今ではそんな夏山一般ルートのルールを適用しなければいけないような、そんなところに成り下がってしまったのだろうか。そうだとしたら、とても悲しいことだと思う。
 一抹の後ろめたさを感じながら、僕たちは源流に踏み込んでいく。でも、わけのわからん輩の姿もなく、黒部源流は快適だ。しばらく左岸をたどるが、行き詰まって徒渉が必要になる。ここで地下足袋+草鞋に履き替えて、いよいよ沢登りの準備。さすがに黒部川本流だ、流れは強い。二度、三度とかみさんと長女を介添えしながら徒渉する。夏とは言え、沢の日暮れは早い。どうせどこかでビバークするわけだから、河原の広い黒部本流でのビバークを考える。ビバーク候補地を見定めながら遡行を続けるが、左岸からの押し出しの上を最適地と見定める。本流から数mは高いため急な増水にも強い。何よりも広い平坦地が得られる。この上流にもこれ以上の適地はないだろう(実際、そうだった)
 ここでビバークの準備をしていると、下流から1パーティが上がってきた。彼らはどうやって薬師沢小屋の関所を通過したのだろうか。軽い会釈だけで、彼らはさらに上流に進んでいった。
 ここで、ささやかな食事と焚き火。暮れゆく夕空はやがて満天の星空に移ろう。旨い酒を飲みつつ、ここで至福のときを過ごす。そして黒部川本流の流れを聞きながら深い眠りに沈む。

焚き火 至福のとき…

<赤木沢へ =第2日=>
 ビバーク地を撤収。数日ほど前らしい先行パーティが残したゴミも含めて、すべて回収。あのなあ、自分のゴミぐらい全部持ち帰れや! こういうやつらがいるから、つまらん規制が唱えられるんや! 焚き火の跡も細かく砕き、砂に埋める。僕たちがビバークした痕跡をできるだけなくして、出発。
 そこからも基本的に左岸沿いを遡行。ところどころ、淵をへつり越えるところもあり、そこそこ楽しめる。1ヶ所だけ、残置ハーケン+スリングがある。濡れた岩をへつり上がるところだ。かみさんと長女は僕の身体を踏み台してに越えさせて、僕は強引に力で越える。小さなゴルジュの左岸を高巻くと湿原に出た。ちょうど兎平のあたりだ。そのなかに続く細い踏み跡をたどると少し藪漕ぎもあったりする。うれしい。もしかしたら巷で噂されたほどには荒らされてはいないのかもしれない。

たまにはこんな藪漕ぎも…

 1時間ほど遡行すると左岸から比較的大きな水流が入ってくる。出合そのものは黒部川左岸から落ちてくる尾根末端の岩壁に遮られて視認できない。何だか記憶とちがうような気もするが、地図を見てもこれほどの大きさの沢は誤認しようがない。まちがいなくここが赤木沢出合だ。急峻なルンゼ状を詰め上がってその尾根を越え、さらに急峻なルンゼ状を木の根につかまりながら降りきったところが赤木沢だ。本当に赤木沢だろうな、と思いながらはるかな上流を見やる。今日も夏空が広がっている。彼方に見えるのは残雪を抱えた北ノ俣岳主稜線だ。視線を落とすと連続する素晴らしい滝がいくつも視野に飛び込んでくる。17年前の記憶が今、鮮やかによみがえる。
 そこからは楽しい遡行がはじまる。美しいナメ床、ナメ滝が連続、次々と現れる穏やかな滝はすべて直登できる。水流はときに激しくときに穏やかに、その飛沫はきらきらと朝陽に輝く。やがて高さ十数mの大滝が懸かり、さすがにこれは高巻きだ。左岸に広がる急傾斜の草原のなかに続く踏み跡をたどっていく。

次から次へと美しい滝が連続する…

 僕たちの前後には二、三パーティがいる。まあ、この程度なら許そうか。しかし何だか妙なパーティばかりだ。ヘルメットをかぶってハーネスをつけ、そのハーネスには何だかいろんな登攀ギアがぶら下がっていたりする。赤木沢では使わないだろうなー。足拵えはフェルト底の渓流シューズ、あるいは渓流足袋。そして渓流スパッツできりりと締め上げている。素敵に格好いいなー。『山と渓谷』の広告から抜け出てきたみたいだ。それに対する僕たちは、三人ともエアロビクス用のスパッツを履き、足拵えは農業用地下足袋にわらじ。そんな僕たちが水流を浴びてシャワークライミングをのんびり楽しんでいたりすると、こっちを登るんだぞ、とばかりに滝の側壁を濡れずにささっと登り、僕たちを一瞥して追い抜いていった。でも、そのうちのひとりはよく転ぶ。滑ったり転んだり、僕たちの眼前でそれをやられると気になってしょうがない。むしろさっさと追い抜いていってくれたのでこっちがほっとした。

沢登り完全装備 〜地下足袋編〜

 高巻きをした大滝のところで、そんなひとりが何故か質問してくる。
「これが赤木沢大滝ですか」
「大きな滝ですね。でも大滝ではありませんよ」
 僕は相手にせず煙に巻く。僕を馬鹿にするような相手の視線がこそばゆい。自分で地図を読めばそのくらいわかるでしょ、っていうことなんですよ。
 なおも快適な沢を詰めていくと谷は小さく右に曲がり、その奥から瀑音が聞こえてくる。いよいよ40m大滝だ。のんびりと遡行する僕たちを追い抜いていったパーティが皆、そこでうろうろしている。どうやら高巻きルートがわからないようだ。僕たちが近づくと期待をこめた視線が一斉に注がれるが、僕たちだとわかると、再び一斉に無視される。高巻きルートなんて、僕だって覚えていやしないよ。せいぜい左岸だったことぐらいは覚えている。でもこの地形を見れば、左岸を高巻きせざるを得ないことぐらい誰でもわかるだろう。だって右岸は岩壁なんだもの。
 たむろする連中をかきわけて大滝に近づく。そこでかみさんと娘を並べてVサインで記念写真。さあ、高巻きルートでも探すか。

Vサイン 二段40m赤木沢大滝 沢登り、最高!

 左岸を観察。ああ、なんだ。あそこやないか。「高巻き」と看板が掲げてあるほどにはっきりとルートがわかる。確認のため、僕だけが小滝を登って大滝下を右岸から左岸にわたる。近づくと草葉の陰で見えなかったが、小さな赤いテープ。あ、やっぱりね。振り返って、かみさんと長女を手招き。下部はちょっとした岩場、上部は木の根をつかむ藪壁を登っていく。本当に行けるのかと半信半疑で見守っていた連中も、僕たちは大滝の落ち口に姿を見せると、我も我もと付き従ってきた。
 大滝の上に出ると渓相は急に穏やかなものとなる。この先にはほとんど大きな滝はない。流れが穏やかなところで、僕たちは大休止。さてお楽しみの素麺だ。やはり沢登りの食料は素麺に限る。再び、僕たちを追い抜いていく他のパーティ。そのなかのひとりが声をかけてきた。多少は僕たちを見る眼が変わっている。
「赤木沢、初見ですか」
「いや、17年前に一度来たから、今度が2回めですよ」
 別に煙に巻いたつもりもないのだが、相手は不思議な顔をして首を振り振り行ってしまった。
 素麺を楽しんだ後、再び遡行開始。予定では太郎平(薬師峠)で幕営だったが、できることなら今日中に下山してしまいたい。しばらくすると、右側から顕著な支流が流れ込んできた。その分岐ではさきほどのパーティが休憩を取って、全員一斉に地図とにらめっこ。僕たちは中俣乗越まで詰め上がるつもりだから、その分岐は左、つまり本流に進む。右の支流を詰め上がれば、そのまま赤木岳に上がれるが、前回は最後のハイマツの藪漕ぎに苦労した記憶がある。なので、今回はできるだけ本流を詰め上がり、中俣乗越に出るという考え。
 迷わず左に進む僕を皆が見送っていたが、最後を歩くかみさんに声をかけてきた。僕たちがどこに向かっているかを確認したらしい。中俣乗越と聞いて、彼らも僕たちについてくることにしたようだ。
 ふたつめの顕著な支流の合流点ではやはり左に進んで、僕たちは本流をつめていく。その次に流れがふたつに分かれたところで小休止を取っていると彼らが追いついてきた。
「どちらに行けば中俣乗越ですか」
 僕は自分の耳を疑った。そんなこと僕が知るわけがないだろう。だから僕も素直に答える。
「さあ、知りませんねえ」
 しかし、相手のちょっと困った顔を見て付け加えてあげた。
「まあ、僕らはこちらを行きますよ」
 今度は右側の流れを指さす。左、左、右。別に理由なんてない。流量と流れの方向と、あとは勘だ。
 だいたい、こんな源流帯だったらどこをどう登っても、いずれは主稜線に出会う。自分が好きなように登ればいいのだ。こんなに晴れた視界がいいときに、こんなところで他人に判断を仰がなければいけないようなやつは赤木沢などに来てはいけない。
 本当はこう言いたかったんだけど、僕は黙って彼らを見送った。
 結局、僕たちは不安げにのろのろと登る彼らに再び追いついて、最後には彼らの道案内をしつつ、主稜線に上がった。赤木沢は最後まで流れが途切れず、稜線直下の雪渓に消えた。雪渓から融け落ちる一滴が赤木沢のはじまりなのだ。雪渓末端で赤木沢はじまりの記念写真を撮ろうとしていると、彼らの方から「撮ってあげますよ」と声がかかったので、これは道案内の御礼だと解釈して(?)ありがたく撮ってもらうことにした。「ご家族ですか?」という問いかけに「ええ、そうですよ」とうなずく僕に対して、「ご家族でこんな趣味を持てるなんて羨ましいですねえ」とまぶしい顔をする彼ら。

赤木沢、発祥の地にて

 ここから雪渓をわずかに登り、広い草原を行けばどんぴしゃり中俣乗越。とりあえず、かみさんと長女と握手を交わす。完登したんだもの、当然だ。かみさんは少し驚き、長女は少し照れ臭そうだった。もうここは一般縦走路だ。僕たちは再び混雑した夏山に帰ってきてしまった。
 草原からひょっこり現れた僕たちを見て、中俣乗越で休む中高年パーティは眼を白黒。そのなかのひとりだけがかろうじて「赤木沢」の名前を知っていた。それでいいんだよ、知らない方がいいんだから。「赤木沢」なんて名前は忘れてね。
 ここからはどっと疲れが出て、延々のろのろと太郎平までのかったるい稜線を歩き、そこから一気に折立に向けて下山した。途中、チングルマの白い海に浮かぶ北ノ俣岳だけが、美しく印象的だった。

北ノ俣岳とチングルマの白い海