山行報告(2001年 5月初旬 北アルプス・黒部別山中尾根支稜)
中尾根支稜核心部を登る
春浅い剱岳
〜北アルプス・黒部別山西尾根2200m付近より〜




            黒部別山中尾根支稜 〜魔の山域、再訪〜



1.山域  :北アルプス・黒部別山

2.日程  :2001年5月3日〜5日(山中2泊)

3.メンバー:さわむらどん(46歳)
       にしやん  (42歳)
       NG    (38歳)
                    以上、山岳同人「黒部童子」所属

さわむらどん、にしやん NG


4.ルート :

(第1日)信濃大町=扇沢=黒部第四ダム(07:40)−別山谷出合(11:00)−中尾根支稜−1550m付近(15:00)
(第2日)CS(05:40)−1700m付近(08:30)−1850m付近(11:30)−主稜JP2200m付近(14:50)
     −黒部別山主峰(16:10)−西尾根2200m付近(16:40)
(第3日)CS(06:30)−ハシゴ谷乗越(07:10)−内蔵助谷出合(08:40)−黒部第四ダム(10:00)=扇沢=信濃大町

5.記録詳細:下記参照

<背景>
 今回の山行を語るためには、まず、この山行の背景から語ることがどうしても必要だ。だからその説明に少し字数を割きたい。
 昨秋、私たちは黒部別山左俣に入山した。左俣大スラブを登攀後にR3をつめて、黒部別山を越えて下山する計画だった。ここを登るからには欅平から入山、下ノ廊下を遡行して黒部別山主稜線越えで下山しなきゃ。そんなこだわりが私たちにはあった。
 結果的には完登した。崩壊するスノーブリッジをすり抜け、浮き石だらけの脆い側壁をわたり、濃密な藪漕ぎをくぐり抜けて。でも黒部別山主稜線で激しい藪につかまった私たちは、悪天候のなか濃いガスで現在地を見失い、食料なし・水なしビバークを余儀なくされた。そして最終下山予定から丸1日遅れで下山することとなってしまった。その結果、家族や多くの仲間たちに心配と迷惑をかけてしまった。とにかく私たちはあの濃密な藪に完敗したのだ。ここは私たちにとって鬼門、魔の山域となるのか。
 私たちが黒部にこだわりを持つことになったきっかけはこの山行だった。
 今年のGWの目的地は、私たちには黒部しか考えられなかった。いろいろな候補地が上がるなか、黒部別山谷を左俣と右俣に分ける黒部別山中尾根から両側の別山谷を観察しようという話にまとまった。昨秋登った大スラブの残雪状況がどんなものなのかという興味もあった。あの濃密な藪の稜線がどんな快適な雪稜に変わっているだろうかという期待もあった。

<第1日> 曇りのち雨
 京都で乗り込んだ大阪発の「ちくま」はすでに満席状態。さわむらどんと私は指定席車輌のデッキに陣取る。車内放送でも指定席満席を告げているが、米原を過ぎてもいくつか座席が空いているではないか。
「席、空いてるで?」
「おう、座ってまおうや!」
 結局、松本まで誰からも何も言われることなく安眠する。おやじの域に達したふたりの厚かましさが幸いしたのか。しかし、たまたまキャンセルが出たのか、旅行会社の定員割れか、いったいどないなってるねん? まあ、眠れたからよしとしよう。
 一方、にしやんが乗り込んだ新宿発「アルプス」臨時列車はがら空き状態だったらしい。あちらの方が臨時列車の本数も多いせいだろうか。関西と関東の待遇差に腹が立つ。こら、JR、もっと増発せんかい!
 明け方の信濃大町駅で私たちは集結する。いつも通り、私たちの合い言葉「まいど!」の挨拶が交わされる。
 連休後半初日、信濃大町駅は登山者、観光客で大混雑だ。その多くはアルペンルートで室堂方面に向かうのだろう。いや、そう期待したい。ここで遭対協の担当員に山行計画書を提出する。黒部別山に入山するとわかると変な顔をされたが「残雪が多いから気をつけて」と言われただけだった。
 しとしとと雨が降りしきる。数日前から雨を降らせている南岸低気圧の速度が予想以上に遅く、天候回復が遅れているのだ。今日は夕方まで、雨は降り続くだろう。
 バスを乗り継ぎ、黒部第四ダムに入る。下ノ廊下方面登山者用出入口脇で、雨の気配を見つつ出発待機。それにしても懐かしい。しばし感慨にふける。半年前、下山遅延で焦りながら、疲れ切ってここにたどり着いたのだ。あのとき、わずか半年後にここを再訪することになるなどと考えただろうか(実は予感はあったんだな、これが)
 いつのまにか雨は降り止み、空模様にも回復の兆しが見られる。予想外の展開に喜びながら出発。この方面の入山者は意外と多いようだが、黒部別山東面にはいったいどれだけ入山するのか…。黒部川沿いで観察する限り、今年の残雪はやや少ないようだ。途中、赤沢岳西尾根や北西尾根末端部などを観察、記憶しつつ下っていく。
 内蔵助谷出合からさらに黒部川下流方面に向かったのは私たちだけだった。ほかは全員、内蔵助平方面へ。ここから途端に残雪状況が悪くなり、残雪はズタズタに切れはじめる。いきなり懸垂下降、そのあともクレバスに注意しながら黒部川本流に沿って下降を続ける。さすがに豊かな残雪だ。今年の残雪は例年並みか、やや少なめ? 所々にぽっかりとクレバスが開く。


タテガビン沢出合付近から黒部川下流方面

正面に壁尾根、そして別山谷右俣

 左手に大タテガビンの胸壁を見上げつつ、内蔵助谷出合から一旦東に向かった流れが緩やかにうねりながら北に向きを変えると、前方にそびえたつ壁尾根末端が見えてくる。左手には大へつり尾根末端、チムニー状ルンゼなどが見える…はずなのだが、いったいどれがどれやらわからんぞ? 黒部別山に通いはじめてよくわかった。ここは地形が複雑すぎる。尾根筋、谷筋が複雑に入り組んでいるのだ。しばらく通い詰めて、ひとつひとつ地形を確認するしかないか。
 時折、遠雷のようなブロック雪崩の響きが春浅い黒部の谷をわたる。
 やがて左手前方に大きく別山谷が開ける。雪崩の気配に全神経を集中しつつ、別山谷に踏み込む。唯一の安全地帯と思われる中尾根基部までは直線距離で約200mほどだ。息を切らせながら一気に登りつめる。


黒部別山谷左俣
(左俣は雪崩のデブリの堆積…)

右端の岩壁が中尾根支稜末端、
中央に中尾根末端、
左手奥には大スラブが屹立する

 注意深くあたりを見回す。何ヶ所か、見覚えのある地形に思い当たる。昨秋、確かにここを、あそこを登ったぞ。しかし、あの脆い側壁はどこに消えたのだろう? あのいやな草付はどこにいったのだろう? そうか、ほとんどの地形は別山谷下部を埋め尽くす分厚い残雪の下に隠されてしまっているのだ。
 左俣上部を見上げる。上半分をガスに隠された大スラブがすぐ近く見える。あれほど苦労したアプローチがこんなに近いとは。そう言えば確かに、あのときは出合から大スラブを見ることはできなかったっけ。これも出合が豊富な残雪で嵩上げされているからなのだろう。
 観察、観察、ひたすら観察を重ねる。


黒部別山周辺図
(国土地理院発行二万五千図「十字峡」を二倍に部分拡大)

いつも入山前には丹念なルート研究を行う。
沢筋には青色ラインを、尾根筋には橙色ラインを入れ、そして100m毎の等高線を赤色ラインで示す。
そうするとどんな複雑な地形も自ずと脳裏に浮かび上がってくるのだ。
この地図は今回持参したもの。太い橙色ライン(下山後に記入)が中尾根支稜を示す。

 私たちは今、別山谷を左俣と右俣に分ける中尾根基部にいる。この中尾根に接するようにある小さなルンゼ、あれがR1だ。今は残雪が詰まっている。その右岸の短い尾根で左俣本谷と分けられている。左俣本谷はこのすぐ上でR2、R3を分岐し、さらにその上でR4を分岐する。R2は小尾根の陰となり確認できない。R3を分岐する尾根が大スラブだが、今日は大スラブ上部はガスに隠されてその残雪状況を確認できない。左俣本谷からR4を分岐する尾根が中尾根「主稜」だという。左俣と右俣を大きく分岐する長い尾根が中尾根「支稜」で、左俣本谷からR4を分岐する短い尾根が中尾根「主稜」だというネーミングが納得できないところだ。今回も条件さえよければ中尾根「主稜」も視野に入れてはいたのだが、今、観察したところでは「主稜」取り付き付近はデブリの巨大な堆積が築かれている。どこだかわからないガスのなかで遠雷のような雪崩が響く今、とても左俣本谷に踏み込んでいく勇気はない。ときどき支稜登攀に使われるというR1右岸岩稜まででさえ、なかなか怖そうだぞ。
「それじゃ、行くか」
「ああ、予定通り支稜だな」
「でもいきなり藪漕ぎからはじまるとはなあ」
 短い会話を二言三言交わして、私たちは支稜末端の急傾斜の藪に分け入る。昨秋の藪漕ぎが脳裏を過ぎる。おいおい、黒部はいつでもこうなんか?
 ここからは延々と藪漕ぎが続く。ところどころで雪面が現れるものの、基本的には連続する藪だ。もうちょっと残雪が多ければいいのになぁ…。
 そのうち、小雨が降りはじめ、やがて強くなってくる。
「わしらが黒部別山にくるときは、いつもこういう天気なのか」
 互いに苦笑を交わし、ぼやきあう。左側にはR1に落ち込む絶壁が続く。左手には、昨秋、登攀した大スラブが見える。不安定な雪塊が今にも滑り落ちそうな姿勢でスラブにしがみついている。あの崩落が起きたらすごいだろうな、と思っている矢先、R3上部でブロック雪崩が発生、左俣に鈍い響きが轟きわたる。
 雨が強くなるなか、ビバーク地を探しつつ登り続けるが、急傾斜の藪が連続し、たまに現れる雪面も多数の亀裂が入って、不安定なこと、この上ない。こんなところでビバークする気にはとてもなれないぞ。尾根とそこに張り付く残雪ブロックとの境界をたどり、上へ上へとにじり上がって行く。
 午後3時過ぎ、R1右岸尾根とのJP、標高1550m付近の小さな台地の雪面上でビバークを決定。


ビバークサイト 
〜中尾根支稜標高1550m付近〜

後方には後立山連峰の峰々が連なる
右奥に赤沢岳と西尾根

 手早く天幕を張り終えて、さて、お楽しみの入山祝いだ。
「いや、ご苦労さんでした」
 装備の軽量化には死に物狂いになるくせに、私たちはビールを手放せない。真冬でもビールで乾杯だ。事前に打ち合わせるまでもなく、各自のザックからは当然のように缶ビールが転がり出てくる。さらには当然のごとくウイスキーまでも。
 激しい雨が天幕を打ちはじめる。気象通報では顕著な高気圧もなく、やや意気消沈。明日も雨ならどうなることやら。そんな思いとともに私たちは眠りにつく。
 時折、遠くでブロック雪崩の響きが轟いていた。

<第2日> 快晴、一時曇り
 予定通り、3時に起床。
「おい、晴れてるぞ。天の川が見える」
 少し前に起きて天幕から外をのぞいていたにしやんが静かに言う。その静かな口調の裏には圧縮された思いがある。
「やったぜ、完登だ!」
 その言葉を聞いた私は素直に感情を吐露。精神的に強靱な者ならいざ知らず、私のような者は天候の良し悪しで、その意気は大きく影響を受けるのだ。
 朝はまず1杯のコーヒーから。簡単な食事を終えたあと、好天のせいか、いつもよりのんびりと出発準備。
 5時40分、CSを後に出発する。今日は出発時からザイルを結ぶ。トップはにしやん、ミドルが私、ラストがさわむらどん。けれども、いきなり木登りからはじまるところが「やれやれ」だ。藪漕ぎならまだいい。しかし、こりゃ、正真正銘の木登りだぞ? 岩壁に密生する灌木を「登攀」する。ザックは枝に引っかかり、ザイルは絡まり、顔は小枝で鞭打たれ、涙が出るほど快適だ。そのあと、比較的緩やかな雪稜が続くが、小さな雪壁を登り切った途端、「おい、何じゃ、こりゃ?」の言葉が思わず飛び出す。標高1750m付近、前方に見えてきたのは小さな岩峰。その上に大きく、それは立派なキノコ雪が乗っている。
 おいおい、ルートはあのキノコ雪を越えるのか? どこをどう登って、どこをどう降りればええねん? 絶望的だぞ、これは?
 しかし、トップを行くにしやんが笑って振り返っている。そして、セカンドの私とラストのさわむらどんに叫ぶ。
「おい、これ、どないしたらええと思う?」
「ちょい待て、何や、そりゃ?」と、さわむらどんが叫び返す。
「大丈夫や、大丈夫。ちゃんと行けるで!」と、にしやんが笑う。「ここまできてみぃ、わかるから!」
 巨大なキノコ雪の右側に、岩壁に張り付くようにしてかろうじて残雪のブロックが残っている。ここをすり抜ければ、通過できるかもしれない。そのキノコ雪の直前で、小休止。雪塊を観察。そう言えば、昨夜のCSの前後から断続的にかすかな踏み跡がある。その踏み跡は私たちの入山の二週間ぐらいは前のもののように思われた(下山後、実際には数日前のものと判明) その踏み跡もやはりそのキノコ雪が乗った岩峰の右側基部を回り込み、岩峰にしがみつく雪塊の上をたどっている。確かにこのキノコ雪を越えるのには相当な勇気がいる。でも、この雪塊上をたどるのも怖いぞ?
「やはり右側を巻くしかないな。でも今にも崩壊しそうやぞ。ザイルで確保しながら、一気に通過やな」
 言葉通り、私たちはそこを素早く通過。そして、次の雪稜、さらに再び木登りに取り付き、悪戦苦闘をしているそのときだ。
 どどぉーん。
 鈍い響きが轟きわたる。確かに陽が昇るとともに、黒部別山東面の至る所でブロック雪崩が発生していた。特に壁尾根側壁、中尾根主稜ドーム東壁などでは頻繁に発生した。でも今回はちがう。これはもっと近いぞ。
 振り返る私たちの眼前でブロックが崩落していく。先程、私たちがキノコ雪の右側を巻いた、その雪塊の直下だ。
「おお、こいつは…」
 私たちは絶句。
「通過中にあれが起きたら、生きている心地がせんかったやろな」
「ザイルを張れ、逃げろ、って半狂乱で叫びまくったやろ」
 私たちは顔を見合わせてため息をつく。そして気を取り直してさらに上部をめざす…。


中尾根支稜上部を望む

藪混じりの雪稜が延々と続く。
左のルンゼがR4、
左手の美しいスラブはドーム東壁。

 右俣側から上がってくる尾根との合流点付近の登攀が激しい。不安定なバランスを強いられる木登りが連続する。藪が密生しているために高度感がないが、ここは部分的に垂壁に近い。枝から枝へアイゼンを「効かせて」木登りだ。トップを行くさわむらどんから伸びるザイルが密生した藪のなかに消えている。太い枝が複雑に絡まりあった藪だ。この藪を本当に抜けられるのか。時折、私は絶望的な気持ちになった。この木登りの後にはいきなりかぶり気味の雪壁が立ちふさがる。私たちは雪壁に沿って急傾斜の藪斜面を右へ右へと逃げざるをえない。ここで滑落するととんでもないことになりそうなので、私はあえて下を見ない。そして、傾斜が緩まったところで、ようやく雪壁にしがみつく。ステップの定まらない腐れ雪の雪壁でも、猿まがいの木登りよりは随分ましだ。
 この合流点を過ぎると、しばらくは急傾斜の雪壁が続く。いよいよ中尾根支稜最上部だ。
 私たちのルートの左側から中尾根主稜が迫り上がってきている。もうまもなく主稜とのJPのはずだ。私たちの上方では再び雪壁が途切れ、灌木の密生した急斜面となっている。ここを嫌って右俣左ルンゼ方面に雪壁を右上、再び左寄りに支稜の尾根筋に戻る。ここも上方は灌木の急斜面となっているが、一旦、R4側(左側)に下降し尾根筋を回り込むように雪壁を右上、雪壁が切れたところの灌木でビレイ、最後は泥壁、草付、藪漕ぎを半ばやけくそになってぶち切れながら2ピッチ直上、最後の雪壁を登り切って、ようやく支稜と主稜のJP、2200m付近の台地上に到達する。時刻は14時50分、私たちの前方にはもう穏やかな雪稜があるだけだ。とうとう中尾根支稜核心部を抜けたのだ。


中尾根主稜最上部、雪稜を登る

背後は左俣大スラブ・R3方面

 黒部別山主稜線が前方やや高いところに連なっている。傾きかけた春の陽射しがやわらかい。ここでしばし大休止。私たちの背後には雄大な後立山連峰のパノラマが広がる。気が付けばいつのまにか、私たちはその主稜線と肩を並べる高さにまで登りつめていたのだ。黒部川の川底から、藪を漕ぎ雪稜を越えて。
 でも私たちは興奮に包まれるわけでもなく、不思議なほどに静かな気持ちでたたずんでいた。そしてほとんど言葉も交わさずにそのパノラマに魅入っていた。喜びを噛みしめていたのだと思う。こうして三人がここまでやってくるまでには、それぞれにとって長い道のりがあったから。
「そろそろ行くか」
 誰からともなくおもむろに立ち上がり、再び登高開始、黒部別山主峰直下、最後の雪壁、雪稜に取り付く。傾きかけた太陽を追うように雪壁を直上すると、ようやく黒部別山主峰を視認。あとはたおやかな雪稜をたどるだけだ。

最後の雪壁を登る あれが黒部別山主峰だ!


 荒い息づかいと心拍がやがて穏やかなものに変わっていく。ふと気が付くと足元の雪稜の傾斜が緩やかになりつつある。足元に落としていた視線を上げる。ガスのなかにかすかに見えていた山影がさっとかき消され、その一瞬の後に雄大な山肌がくっきりとガスの彼方から姿を現す。
 ああ、剱岳だ。
 ついに私たちの眼前に剱岳がその姿を現した。私たちはとうとう黒部別山主稜線を越えた。広い山頂台地の一角に立つ。16時10分。私たちは剱岳の雄姿に見とれて立ち尽くしていた。
「この剱を、剱東面を間近で見たかったんや」とさわむらどんがつぶやく。
 私たちは「ごくろうさん!」と握手を交わす。日焼けした顔で白い歯が笑っていた。


剱岳!

ガスの晴れ間から剱岳が姿を現す



黒部別山主峰にて(標高2353m)
後方は白馬連峰

「わしら、とうとうここまでやってきたど?」
「ああ、ようやくな。長かったで、ほんま…」


黒部別山南峰方面

あの藪は残雪の下に消えた

主稜線をたどる

今日の行動はまもなく終了だ

 黒部別山主峰は穏やかな雪面だった。昨秋、私たちを苦しめたあの藪はいったいどこに消えたのだ? 数mはあろうかと思われる残雪の下だ。南に眼を転ずれば、私たちが苦闘を続けた南峰も真っ白な残雪に覆われている。あの激しい藪の痕跡すらないのだ。あのとき数時間かかった行程も、この状態ならものの三十分もかからないだろう。
 雪面には多くのトレースが残されていた。おそらくはハシゴ谷乗越から黒部別山を往復したパーティのものだろう。再び人の匂いのするところに帰ってきてしまった。登頂の喜びは、裏を返せば下山の哀しみでもある。
 剱岳東面の観察を終えた私たちは黒部別山主峰をあとにする。昨秋、あれほど確認に苦労した西尾根はくっきりと見えている。あのときの苦労が馬鹿々々しいほどだった。西尾根を下り、2200m付近の台地上で天幕を設営、剱岳の肩に沈みゆく夕陽の残照を浴びながら今日の激しかった登攀を振り返り、再び缶ビールで乾杯。私たちにはこれが最高の時間、最高の贅沢だ。
 夜になっても剱岳東面でのブロック雪崩は続いている。気温が高いせいか、昼夜関係なく、落ちるものは落ちるようだ。


黒部別山西尾根2200m付近、CSにて

剱・立山連峰の大パノラマが広がる。ここでのビールは旨いぞ!


<第3日> 快晴
 そうは言っても、さすがに標高2200m、昨夜は少し冷え込んだ。あたりの明るさにふと眼が覚めると、4時過ぎ。この季節、この時間にはもう明るくなるのだ。
 今日も快晴。素晴らしい展望。ゆったりした朝食、出発準備の後、私たちは黒部別山西尾根を下る。これまた快適な下降だ。あの藪漕ぎはどこに行ってしまったんだ、おい?
 ハシゴ谷乗越には二、三パーティが幕営。二日ぶりに人に出会う。昨年のGW、さわむらどんと私は鹿島槍東尾根で大渋滞に遭遇して辟易した。もうあんな人の多いルートには二度と行くものか。そして、今年、黒部別山中尾根支稜。この時期なのに人との出会いのまったくない静かな素晴らしいルートだった(木登りだけは勘弁願いたいけど、笑) この時期に静かな登山を楽しもうと思ったら、今のご時世では多少変態的なルートに行くしかないようだ、などと考えながら下っていたら、いつのまにやら内蔵助平。本当に、残雪の時期の藪山は快適だ。


内蔵助平へ下る

正面に針ノ木岳と西尾根
右奥に黒部源流の山々

内蔵助谷出合にて

緊張が緩み、笑顔がこぼれる


 ここからも内蔵助谷に沿って、快適に下り続ける。部分的にクレバスができて雪解けの流れが露出していたが、ほとんどは沢筋をたどることができる。そして、内蔵助谷出合。まだ見ぬ黒部別山中尾根支稜を思いやりながら不安に包まれてここを通過したのはつい一昨日のこと。完登したあとに再会する黒部川の流れは、きらきらと朝陽に輝き、抱きしめたいほどに美しい。
 中尾根支稜完登の余韻に包まれながら、私たちは黒部第四ダムまでの残雪豊かな黒部川の川縁をゆっくりとたどった。もうあと2時間もすれば、私たちはアルペンルートを訪れた観光客の喧噪に包まれて、再び下界に足を踏み入れていることだろう。そして、激しくも心に残る登攀を懐かしく思い出しながら、私たちは下界の時間の流れに身体を馴染ませていくしかないのだ。
 でも、緊張感に包まれて苦しみに裏打ちされた登攀のあとにこれだけの安堵感と喜びがあるのなら、私はまた新たな登攀に向かうだろう。そしてこの喜びをこの仲間たちと分かちあうことができるなら、私はその苦しみを決して厭わない。

<この後>
 黒部第四ダムで緊急連絡先に「完登」の報告。少し誇らしげな声になったことを、私は否定しない。
 そして信濃大町駅前。にしやんが顔馴染みとなっていた台湾料理の店で下山祝いの打ち上げ。どちらかと言えば散らかった乱雑な店だけど、味は抜群。台湾人(?)のおばちゃんがたどたどしい日本語を操りながら笑顔で迎えてくれた。ここで延々と山を語り続けて、僕たちは酔いしれる。
 この店の名前は…、教えないぞ(笑)