山行報告(2000年 9月中旬 北ア・黒部支流東谷〜鹿島ウラ沢)
「鹿島ウラ沢上部、ブロック崩壊帯を行く」
崩壊した巨大スノーブロックを縫いつつ、上部をめざす。
ここが鹿島ウラ沢核心部の上部ゴルジュだ。



 今年、僕はきわめて順調なスタートを切ることができた。年初からかつての仲間たちに次々と出会い、そのなかの何人かとパーティを組んだ。それまでレベルアップをめざしながらも自分の限界に行き詰まっていた僕は、彼らのおかげで自分の限界を一歩一歩越えることができた。
 目標とする山々を次から次へと定め、ある目標を終えた後にすぐに次の目標を作った。だから、僕は日常生活における瑣末かつ余計なことを何も考えず、ただ次の目標に向けてトレーニングを重ね、テンションを高めていけばよかった。
 今年行った主な山行は以下だ。

  二月初旬、八ヶ岳・阿弥陀南稜、完登(with さわむらどん)
  四月中旬、北ア・鹿島槍東尾根、悪天候アプローチ敗退(with さわむらどん)
  五月初旬、北ア・鹿島槍東尾根(リベンジ)〜八峰キレット〜五龍岳縦走、完登(with さわむらどん)
  六月初旬、北海道・利尻北稜、完登(単独)
  八月中旬、大峰・芦廼瀬川、完登(with KYO)

 そしてこれらの山行の合間を縫いつつ、ほぼ隔週末にKYOと比良山系の沢を訪れ、僕は登攀技術を磨いた。
 しかし、昨年来の目標であった芦廼瀬川を完登した後、僕は激しい虚脱感に襲われた。僕は目標を見失ってしまっていた。こうなると僕は弱い。心の張りを失い、体調すら崩しかけて空しい秋を迎えようとしていた。
 そんなときだ、山歩会掲示板で、先輩「にしやん」の書き込みを見たのは。
 僕は一も二もなく、彼の計画に乗っかった。正直なところ、自分のレベルアップを図れるところならばどこでもよかった。にしやんと初めてパーティを組めるということも魅力だった。僕はきっとその山行から何かを学び取ることができるだろう。そんな期待があったことは確かだ。
 その計画というのは、黒部川支流東谷から鹿島ウラ沢を詰めて鹿島槍ヶ岳を越えるというものだった。何気ない計画だけど、よく考えればすごいことだ。黒部川の川底から後立山主稜線を越えて信州側に降りるのだから。
 不安がなかったかというと嘘になる。
 何しろ、黒部川支流域に関する予備知識は、僕には皆無だ。どんなところなのか、見当もつかない。地図で調べると、ゴルジュが発達していそうだ。わかったのはその程度だ。非常にマイナーな山域であり、その記録はほとんどないに等しい(ほんまに、にしやんは物好きやなあ)
 さわむらどんは「這いずり倒してこい」とけしかける。しかし、その意味も僕にはよくはわからない。しかもずっと山を続けており、山岳ガイドが本職(だよね?)であるにしやんとは、体力、技術、経験、何を取ってみても、僕と大きな差があるのはまちがいないのだ。ここ二、三年でにわかに鍛えはじめて、ちょっとまじめに山に向かいはじめた僕とはレベルがちがう。十九年前、僕が新入部員だったとき、残雪期の東北・朝日連峰で繰り広げられたHOZ氏との一騎打ちバトルの再来か(知る人ぞ知る、あんときゃ、僕が負けた、くそ〜ッ、笑)と思わなかったわけでもない。
 でも、付け焼き刃かもしれないけれど僕は僕なりに体力的に鍛えてきたし、今年は初夏から隔週末のように続けた沢登りで登攀技術も磨いてきた。何より、ここ二、三年、だてに積雪期単独行を続けてきたわけではないつもりだ(いや、実は「だて」なんだな〜)
 そんな薄弱な自信を自分のなかから無理矢理引きずり出して、僕はにしやんに同行を申し込み、にしやんはそれに応えてくれた。

 インターネットは偉大だ。わずかなやりとりで未知に近い間柄を旧知の間柄にしてしまう。僕とにしやんは山歩会では一年間ダブっただけだ。一度も一緒に山に行ってはいないし、もしかしたら酒も飲んだことはないかもしれない。実は、中学、高校、そして京大法学部を通じた先輩だったのだが(今回の山のなかで、血液型が一緒(AB型)であることも判明、勤務先で上司と激しく激突したのも一緒、吐いたせりふ「あんたに言われる筋合いはない」も一緒なんだってさ、やれやれ)
 今回、すべての打ち合わせは掲示板とメールを使って行われた。電話一本かけるわけでなく、ファックス一枚送るわけでなく、すべてインターネットで打ち合わせを終えた。インターネットを通じて、第三者からの励ましや応援、助言も得た。
 そして、当日朝、北陸本線魚津駅で、僕はにしやんと落ち合った。今年になって会うのはこれで三回めだ。今年のGWに五龍岳で利尻以来十年ぶりに出会い、そのあと一回東京八重洲口で飲んだのが唯一に近い対話だったかもしれない。それまでの僕たちは互いの存在を知っているぐらいだったはずなのだ。その前に顔を合わせたのは、さらに七、八年前にさかのぼる。
 でも、魚津駅で落ち合った僕たちはまるで昔からの深い知り合いだったかのように挨拶を交わした。
「まいど」と片手を上げて。
 いかん、前書きが長すぎた(ま、それだけ今回の山行への思いが大きかったっちゅうことです)
 以下、記録。

 9月15日(金)快晴
 05:40、北陸本線魚津駅にて

 その前夜、仕事を終えて帰宅。僕は京都0:01発急行「きたぐに」に飛び乗った。三連休ということもあって、「きたぐに」はすでに満席状態。デッキにも人があふれていた。何とかデッキの片隅に陣取り、ほとんど眠れぬままにうとうとと過ごし、早朝五時過ぎ、北陸本線魚津駅で下車する。非常に体調が悪く、食欲もほとんどないに等しい。でも食べなければバテるのは明らかだから、駅の待合室で無理矢理に朝食を押し込む。そうするうちに上野発の急行「能登」が到着。にしやんが降りてくる。片手をあげて「まいど!」といういつもの挨拶が交わされる。
 そのあと、すぐ隣の富山地鉄「新魚津駅」にたどりつくのに二十分ぐらいかかり(汗)、始発電車で宇奈月温泉へ。そして、そこから黒部峡谷鉄道(いわゆるトロッコ電車)で欅平に向かう。約一時間二十分ほどの旅だ。朝一番の便だったせいか、三連休初日にしては人が少ない。黒部というとまだまだ秘境だというイメージを持っていたが、何のことはない、大正時代から電源開発のために多くの人間と人工物を迎え入れてきたということがよくわかった。至る所に這い回る高圧電線、いくつかの新旧の発電所、何よりもこのトロッコ電車自体が開発の証左だ。そんなことを思いながら、ぼんやりと黒部峡谷の景色を見送る。なるほどきっとそれなりに美しい景色なのだろうけれど、今の僕はそれどころではない。ここ数日降り続いた雨による増水はどうか、今日明日行くところがどんなところなのか、そういうことばかりが気になり、緊張する。標高は低いけれど、トンネルのなかを通過するときはすごく寒かった。

 09:15、欅平にて

 僕たちと一緒のトロッコ電車から下車した登山者は数パーティだった。僕たちはここで装備を最終点検し、着替えて、おもむろに出発する。最初の急登で標高差300mほどを一気に登り、あとは900m程度の標高を保った文字通りの水平道を阿曽原まで進む。水平道をたどりはじめてしばらくすると、黒部川に屹立する奥鐘西壁が現れる。高度差900mの岩壁だ。中央ルンゼは…、左方ルンゼは…、とにしやんとルートをたどりながら西壁全貌を存分に眺める。足元は黒部川に向かって数百mも切れ落ちた断崖絶壁だ。この道は大正から昭和にかけて、この黒部川における電源開発のために切り開かれた道だという。岩を穿ち作られた道だ。先人の苦労に頭の下がる思いがする。
 吊り橋はひとつもなく、沢が切れ込むたびに忠実に切れ込みをたどる。時間の割になかなか距離を稼げない。炎天下の暑い道だ。途中、水場はほとんどなく、志合谷の長いトンネル(ヘッドランプ要)から流出する冷たい地下水がほとんど唯一の水場だった。ここまで、欅平から約1時間半だ。

 13:00頃、阿曽原小屋にて

 欅平からコースタイムで5時間のところ、約4時間足らずで阿曽原に到着。時間をにらみつつ、今日の幕営地をどこにするか、という相談になる。理想は東谷下部ゴルジュ出口付近なのだが、すでにこの時間、とてもじゃないけど無理だ。東谷出合で日和ろうかという考えもあったが、翌日以降のことを考えて、行けるところまで行こうや、という玉虫色の結論を出す。そして、僕たちは阿曽原小屋でほとんど迷うことなくビールを飲む。ま、カロリー補給になるやろ、ま、汗できれいに流されるやろ、ま、だから行動には支障をきたさないやろ…、行動中にビールを飲む言い訳なんて、僕たちビール好きにはいくらでも思いつくことができる。何しろ、今回はビールを五本、持って上がるつもりなのだ(僕は一本準備、にしやんが四本準備、軽量化を最優先に考えた僕に比べてにしやんがここまでビールにこだわるとは思わなかった…、まだまだ僕は甘い?)で、阿曽原の小屋でビールを飲んでいると、小屋のオヤジが僕たちに行き先を聞いてくる。確かに阿曽原に入る登山者で、ヘルメットとアイスバイルを持つ登山者はちょっと異様か。
「どこに行くの?」
「東谷から鹿島ウラ沢だけど、残雪、多いですかね?」
「ああ、残雪はないけど、水量は多いよ」
 これを聞いたとき、僕は疑問に思った。「残雪はないけど…」って、あんた、今年、鹿島ウラ沢をのぞいたことがあんの?
 結局、この情報は何の根拠もないことが判明するのだが。残雪はビシバシとあったのだ。
 こんな会話を聞きつけて、そこにいた登山者のうち、知ったかぶりオバチャンが口を挟んできたんだけど、話を聞くのもあほらしかったし、ここに書くのもあほらしいからやめよう。自分の知り合いの誰それがどこそこで遭難して…、っちゅう話。とにかくそのオバチャンはかつて鹿島ウラ沢を「下った」そうな。あんな怖いところを下れるんやったら、あんた、超人やで、ほんま。
 でも、小屋のオヤジの奥さん(?)の「頑張ってね」という声に励まされて、ビールでカロリー補給をした僕たちは、さらに仙人ダムをめざしたのだった。

 14:00頃、東谷出合にて

 仙人ダム近辺では、登山道が発電施設の一部を通っており、真保裕一「ホワイトアウト」を垣間見るような雰囲気だった。ちょっと迷い込んだふりをしたら、地下の発電所コントロールルームに入れそうな気がした(そんなはずはないだろうけどね)。地中に穿たれた迷路のようなトンネルはひんやりとしていたが、場所によってはサウナのように熱く、硫黄の匂いがした。これが「高熱隧道」なのか、と思われるところだった。
 黒部川をわたる吊り橋の手前で川原に降りるとそこが東谷出合だ。美しい川原だった。天気は快晴、ここで幕営したらどんなに気持ちがいいだろう、と思ったのは確かだ。でも日没までまだ時間はある。さきほど飲んだビールも、予想通り汗として身体から抜けてしまっている。ここで今日の行動を打ちきる理由は何もない。むしろ、核心部に入る明日の行動に備えて、ここで一歩でも前進しておくべきだった。
 僕たちはここでいよいよ沢登り完全装備を整えて、東谷に突入することに決めた。

 16:30頃 東谷下部ゴルジュ入口(取水口付近)にて、ビバーク(標高950m付近)

 東谷に突入すると、さっそく両岸には険しい岩壁が屹立する。東谷出合ゴルジュだ。こんなゴルジュで滝に出会ったら、ここを高巻くっちゅうても、どこをどないして高巻けばいいねん? そんな不安に襲われながら奥へと踏み込んでいく。でも100mも行かないうちに、さっそく登場しましたなあ、すごい直瀑が。入口二段10m直瀑だ。やっぱり黒部はスケールがちがうぞ。どうどうと流れ落ちる水流に見ているだけで圧倒されてしまう。左岸岩壁にわずかな切れ込みがあり、ここがこの直瀑の弱点だ。藪漕ぎをしつつ登るのだが、ワンムーブがきわめて悪い。落ちても死なないだろうが怪我はする。にしやんはザイルなしで強引にせり上がったが「おい、ザイルを下ろすから待ってろ」とさっそくザイルを出す。さて、この先、どうなることやら。
 藪をかき分けて登ると、残置スリングあり。今度はそこからトラバースに入る。さっそく激しい藪漕ぎの洗礼を受ける。傾斜はきつく、藪のなかにザイルを伸ばすこと二、三ピッチ、ようやく再び川底に降り立つが異様に静かだ。水流がまったくなく、土砂が堆積、これまた一面の藪だらけだ。どうやら人工的に水流がバイパスされているらしい。にしやんによると、この堆積した土砂を黒部川本流に流し込まないためにバイパス水路が造られたとのことだが。しかし、黒部川のこんなところにまで人の手が加わっているんだな。この藪を詰めていくと眼前に高さ10mほどの堰堤が現れる。取水口に水流を導くための堰堤だ。このむこうにバイパス水路の取水口があるようだ。堰堤に埋め込まれたくさび形の梯子を登り、上流を見渡す。奥に5m斜瀑が懸かっているのが見える。その手前にわずかに広くなった川原がある。あたりには取水口に流れ込む水流のすさまじい爆音が満ちている。
 出合ゴルジュの高巻きに二時間近くもかかってしまった。今日はあの川原でビバークだ。
 けど、降りられへんで〜、堰堤から。
 上流側の梯子は増水時に堰堤に激突する岩石のせいだろう、ほとんどすべて押し潰されて使いものにならない。堰堤のコンクリートさえボコボコに削られているのだ。ほんま、何という水流だ! おまけに堰堤上部はオーバーハングしている。無理矢理降りても、明日、登り返せるのか? でも、とにかく降りて、再び登り返すしかない。あの川原しかビバークサイトはないのだから。草の根を束ね岩壁基部のクラックにフレンズを埋めて支点にして、懸垂下降で降りる。ロープは残置。翌朝はこのロープを使って登り返すのだ。

 写真に見える川原では岩壁からの落石が怖いので、もっと手前の小さな砂地に天幕を張る。凹凸が激しかったけれど丹念に整地をしたおかげで砂上の極上ビバークサイトができあがった。沢筋の日暮れは早く、もう薄暗い。たき火こそしなかったが、僕たちは天幕の外でのんびりと酒をなめながら食事の準備をする。晴れ渡った空にはいつのまにか星が瞬いている。でもその空は狭い。そそりたつ両岸の岩壁に扼されてほとんど真上にしか空がない。ロウソクのほのかな灯を見つめながら、僕たちは酒を飲み、そして語る。山のこと、日常の瑣末なこと、その他もろもろ。濃い時間だったなあ。今回の酒は、ビール5本、ワイン1リットル、日本酒300cc、ウイスキー300ccだ。これが僕たちの二泊分のお・さ・け。で、今日のノルマはビール3本、ワイン、そして日本酒だ。わしらはいったい何をしにここに来てるねん(笑)でも、にしやんがボソっと洩らした言葉に僕も深い共感を覚える。
「こうして山にきて、こうして幕営して、こうして酒を飲む。おれにとっては最高に幸せなシチュエーションやな」
 明日は核心部への突入だ。ちょっとした緊張感を酒でほぐしつつ、にしやんと山を語り、つまらない冗談に笑い転げる。うん、僕にとっても最高に濃い時間だ。

 9月16日(土)晴れのち曇りときどき雨、風強し
 06:00 ビバークサイトを出発

 前日の夜行列車でふたりともほとんど眠っていないせいか、昨夜は熟睡した。午前四時、自然に眼が覚める。あらゆる季節を通じて山で起床する基本時間だ。身体はとっくに街の時間を離れ、山の時を刻む。そうなんだよな、山から街への切り替えではいつも山を引きずるけど、街から山へはほんの一瞬だ。
 でも沢筋は夜明けも遅く、僕たちはコーヒーを楽しみながら明るくなるのを待つ。月明かりが素晴らしい。予想が外れて今日も好天が続くのかと期待するが、空を見上げると雲の去来が激しい。ん〜、どうなんだろ?
 朝いちばんの登りは、堰堤のオーバーハングだ。昨日の残置ザイルにプルージックを取り登るのだが、これまたにしやんは強引にねじ伏せてしまった。ん〜、さすがや! 僕はザックを荷揚げして空身で挑んだけれど、あきまへん。スリングをアブミ代わりに人工登攀で抜ける体たらく。くっそ〜。
 そして、堰堤上から左岸岩壁へザイルを伸ばし、いきなり核心部、下部ゴルジュ高巻きがはじまる。高度差100m以上の壁が屹立している。地形図で予想するかぎり、標高差150mは高巻きが必要だと僕たちは踏んでいるのだ。灌木をかき分け、岩を登る。延々とこれを繰り返す。問題なのは瀑流の騒音が岩壁に反響し、僕たちの声が通らないことだ。「ビレイ解除!」も「いいぞ!」も何も聞こえない。ザイルの動きだけで相手の動きを判断するしかなかった。
 ザイルを数ピッチ伸ばすとようやく傾斜が緩まる。それでも草の根をつかんで、藪をかき分ける登高が続く。
 半島状ピークに達し、地形図で現在地を確認。ここからはしばらくトラバース気味に下ることになる。問題はその先、そこからどこをどう下って再び川底に達するのか。地形図を読みながら相談する。一度は沢状を下りかけたものの、どうにも傾斜が急で状況が悪く、さらにトラバースを継続。地形図での断崖手前の沢状を再び下ることにする。下るにつれてどんどん傾斜が急になる。下部では抜けそうな草の根をつかまえつつ、泥壁をクライムダウンする。東谷の流れが樹間にようやく見えてくる。しかし、そこまで、僕たちは絶壁の上に出てしまった。ここからは懸垂下降をするしかない。
「懸垂下降、だいじょうぶやな?」とにしやんが念のため僕に確認。一応、昨日の高巻きでもわずかな懸垂下降はあった。しかし、今回の方がより厳しい条件だ。
「もちろん」と僕。そのあと小声で付け加える。「ゲレンデでは、ねぇ…」もちろん、にしやんには聞こえないように言っている。おまけに今回、確保器はエイト環ではなくATCを使っている。ATCでの懸垂下降は初めてだ。もちろん下界でシミュレートはしてきているけれど。
 にしやんは慎重に確保支点を見定める。全体重をかけて下降するわけだから当然だ。ここはゲレンデではない。ばっちりと決まったボルトなど存在しないのだ。あるのは頼りなさそうにひん曲がりながら生えている灌木だけ。できるだけ捨て綱はつかいたくない。昨日の下降点にすでに捨て綱1本、カラビナ1枚を残置してしまっている。だから幹にロープを直接かけて下降開始だ。
「下に降りたら、ロープを引っ張ってみる。回収可能か判断してくれ。もしも引っかかるようだったらカラビナ残置でロープをセットし直して降りてこいよ」
 降りたもののロープが回収できないという事態は許されないからだ。支点にそっと全体重を移し、にしやんは懸垂下降に移る。
 降下した付近であらたな下降支点を探し、ロープの滑りを確認して僕に合図を送ってくる。さて、行きますか…。
 このあともう一度下降すると、ずいぶん東谷が近くなった。あと1回で届けよ! そう念じながらロープを垂らすと末端がぎりぎり谷底に届いた! しかし、ここは適切な支点がなく、にしやんも僕もぐらぐらと今にも抜けそうな灌木の根元にセルフビレイを取っているのだ。その灌木に懸垂下降の支点を取る。
「死なばもろとも、っちゅうやつやな」にしやんがつぶやく。
「おい、NG、できるだけセルフビレイに体重をかけるなよ」
「了解、了解」僕も笑って答えるがなにぶんにも足場が悪すぎる。
 にしやんが慎重に降りていく。灌木の幹がぐらぐらとたわむ。心臓に悪いで〜。
 最後は岩壁に出た。連続三回の懸垂下降で、ようやく僕たちは東谷に降り立った。時間はすでに九時、この高巻きに三時間を要した。予定よりも一時間オーバーだ。

 09:00 東谷(標高980m付近)にて

 朝から三時間をかけて、獲得した標高はたかだか30mだ。高度差200mの大高巻きをやったのだからしかたがないけれど。でもここからは川幅も広くなり、しばらくのあいだはひたすら歩き続けるだけだ。
 懸垂下降点で大休止を取り、水と燃料(食糧ですな)を補給。地下足袋を履いて沢装備を万全にして、さあ出発だ。
 いきなり左岸をへつり、行き詰まったところで右岸に徒渉。そしてこの先数十mで徒渉したとき、ちょっとした油断から僕は徒渉に失敗、東谷の流れに足をすくわれて転倒、左足むこうずねをしたたかに打った。支流とは言え、さすがに黒部川流域。今まで僕が歩いてきた沢とはちがう。徒渉のときの水圧もかなりのものだ。それを見誤った僕の失敗だった。
 眼前が真っ白になるくらいの痛み、失神寸前。あ〜、やばい、骨をやったかな〜。立ち上がってみると激痛は走るが歩けそうだ。にしやんは僕の転倒に気付かず、先に進んでいる。沢筋には水流の轟音が鳴り響いている。たまたま後を振り返ることがない限り、僕が遅れているのに気が付くはずがないのだ。傷口は調べないことにした。ひどい傷口だろうと予想がしたが、見たところでどうしようもない。むしろそのひどさで登ろうという闘志がそがれ弱気になることを怖れた。とにかく誰もあてにはできないのだから。自分の足で下山するしかないのだから。
 このとき、胸に下げていたカメラを水没寸前まで濡らしてしまい、僕はザックのなかにカメラを収容してしまった。だから東谷核心部の写真がない。
 ずきずきと痛む足を引きずりつつ、にしやんを追う。ときどき徒渉で水流につかり、冷たくひやされるのが心地よい。
 要所要所にへつり、登攀、徒渉などが散りばめられ、緊張は続くが決して難しいところではない。僕たちは今日中に源流帯に踏み込むべく時間を気にしながら先へ急ぐ。

 11:00 二股(標高1250m付近)にて

 途中から雲が広がりはじめ、小雨がぽつぽつと降ったり止んだりしている。何とかもってくれよ、という願いもむなしく天候は下り坂だ。ここ二股で、東谷は本谷と鹿島ウラ沢に分かれる。本谷は今回、エスケープルートと位置づけていた。天候、時間などの都合上問題が起きたときには本谷をたどる予定だった。雨は降ったり止んだりを繰り返しているが、僕たちは迷うことなく予定どおり鹿島ウラ沢を詰めることで合意した。
 そこからも単調な登りが続く
 ついに出た!
 標高1450m付近で、最初のスノーブリッジに出くわす。
 ほらほら〜、ちゃんとあるやないか。阿曽原小屋のオヤジさん、ちゃんとありまっせ〜。
 真っ暗な口をぽっかりと開け、そこから水流を吐き出している。スノーブリッジの手前でザックからアイスバイルを外し、このブリッジは上を越えていくことにする。

 13:00、鹿島ウラ沢上部ゴルジュに突入

 ここまでは比較的いいペースできている。このあと、どこまで高度を稼ぎ取ることができるだろうか。
 標高1550m付近から鹿島ウラ沢上部ゴルジュに突入する。両岸には岩壁が屹立する。そして、結果的に僕たちはここでスノーブリッジ攻め、落石攻めに苦しめられることになる。それでも狭いゴルジュのなか、僕たちには逃げ場がなかった。
 スノーブリッジは崩壊したばかりのものも散見された。崩壊したブロックは小さなものでも机ぐらい、大きなものでは小部屋ほどの大きさがある。これが崩壊したときのエネルギーたるや、いったいどれほどのものなのだろう。つい一ヶ月ほど前にも、加賀白山の沢でスノーブリッジ崩壊による死亡遭難事故があった。こんなブロックに押し潰されたら、僕たちはミンチのようにずたずたに引き裂かれるだろう。あ〜、いやだ。そんな緊張感を味わいつつ、僕たちはブロックをすり抜ける。
 この先でゴルジュ核心部を抜け、この付近では比較的安全地帯と思われるところで、僕たちは小休止を取った。このころから風が強まり、時折、突風が吹くようになる。突然の突風に僕は顔を伏せた。その途端、カーンと明るい音を残して僕のヘルメットを打ったものがあった。落石だ。突風のために落石が起きて、僕のヘルメットを襲ったのだ。
「お〜、落石や」と、僕は引きつった笑顔をにしやんにむける。
「どっからきたんや?」とにしやん。
 その一分後、にしやんのそばで、バシッと音がして石が弾ける。えっという表情で僕たちは上を見上げる。ゴルジュ核心部を抜けて、僕たちの休む右岸側の傾斜は緩んでいるのだが、左岸にはまだ岩壁がそそり立っている。しかもオーバーハング気味に僕たちの上に覆い被さるようにそそりたっているのだ。そのハング上部からの落石だ。
「あかん」とにしやん。
「やばいで、これは」と僕。
 ふたりとも慌てて荷物を背負い、脱出を図る。それから二、三分後、その休憩場所から数十m離れたとき、ガラガラガラ…といういつ聞いてもいやな崩壊音とともに落石が起きた。今度は傾斜の緩んだ右岸上部から机ほどの大きさの岩が転がり落ちてきた。つい先ほどまで僕たちが休んでいたその場所に。右からも左からも落石の雨だ。僕たちは言葉もなく顔を見合わせ、必死で逃げだした。
 しばらく進むと両岸からの落石はおさまり、滝が懸かりはじめた。鹿島ウラ沢のかなり上部まできている。だから傾斜が強まってきたためだろう。
 ほっと息をつくひまもなく、崩壊したスノーブリッジが現れた。標高1900m付近、鹿島ウラ沢が左に支流を見送って右に小さく屈曲するあたりだ。これ以上の崩壊がないことを祈りつつ、僕たちは急ぎ足でくぐり抜ける。これが最後のスノーブリッジだった。
 今回、やはり積雪が多かった年だけあって、鹿島ウラ沢上部ゴルジュではスノーブリッジが連続した。確かに緊張を招くような危ないブリッジがあったことも確かだが、概してブリッジの厚みが分厚かったため、僕たちはブリッジは全て上を越えた。結果的にはこれが正解だったと思う。よほど短い距離だとか、越えることが困難だというケースを除いて、スノーブリッジの通過は上を越えることが基本のように思った。そして、今回はスノーブリッジが連続したおかげで、沢筋を詰めるよりもむしろ歩きやすく、時間的に助かったこともまた確かだった。

 16:30、行動終了、ほぼ予定どおりの標高でビバーク(標高2200m付近)

 午後三時過ぎ、鹿島ウラ沢最上部、標高2100m付近に達する。ここで鹿島ウラ沢本谷はこのまま右上して、最後に落差100mほどの滝を懸けて、牛首尾根に突き上げている。それ以外に支流がここで二方向に分かれる。僕たちはどの沢を詰めればよいかを相談する。
 どの沢を詰めてもいいのだけど、とにかく水は確保しなければいけない。だから沢筋から大きく外れたくないのだ。その意味では、本谷直上は険悪そうな地形のため、滝から離れた登攀が強いられそうだ。だから、これはパス。残る支流を眺め、最後の滝を眼前にして考える。一本は水量が少なくもう一本は比較的多い。多い方を詰めようか、という意見に傾きかかったが、その滝は滑りやすくザイルを出してシャワークライミングをしなければいけない。時間は遅く、雨も降り続いている。身体もかなり疲れてきた。結局、水流の少ない沢を選択した。三本に分かれている沢のなかでいちばん左手の沢だ。
「水流を見失うか、午後五時を回るか、そのどちらかになったらビバークしよう」そう決めた。
 左手の沢に取り付くが、見かけよりも意外にシブイことに戸惑う。まず滝の取り口に至るまでで微妙なバランスのトラバースが必要だった。とにかく岩質が脆い。手をかける岩のどれもが剥がれ落ちてくるのだ。だから有効なホールドが得られない。くわえて足場はその崩落した岩屑が堆積している。
「おい、あくまで慎重にな」にしやんが声をかけてくる。
 これまでのところでもにしやんはそんな言葉をかけてこなかった。それぐらいに悪いということか。ここで一度ザイルを出そうとしたのだが有効な支点がまったく得られず、結局、ザイルなしのフリーで登ることになった。
 ようやく最後の滝の取り付きに達する。しかし、これまた悪い。岩質ぼろぼろ。
「にしやん、ザイル、出そう」僕は今回の山行で初めて主張する。「あのリスにハーケンを打てば、支点を取れるんとちゃう?」
 悪いのは取り付きのワンムーブかツームーブぐらいだとは思う。しかし、岩質は脆い。ここで落ちたらはるか下まで転げ落ちる。にしやんはたぶん、ザイルなしでも問題なく登るだろう。でも自分自身について、僕は直感的にやばいと思った。疲れていたせいなのかもしれない。朝、起き抜けの登攀なら軽々と登ったかもしれない。
 結局、リスにハーケンを打って支点を取り、ザイルを出すことになった。ところが岩質が脆いだけあって、ハーケンがなかなか決まらない。二度、三度と打つ位置を変えて、比較的マシなところに支点を取る。その支点に僕がセルフビレイを取り、ATCでトップのにしやんを確保する。にしやんは最初のワンムーブを難なく越え、上方に消えていった。
「ビレイ解除!」の声に続きザイルが引き上げられて、「いいぞ!」の声がかかった。
 僕はセルフビレイを外し、アイスバイルでハーケン回収に取りかかった。思った以上に利いていたが難なく回収。やはり確保されていると心強い。僕も取り付きワンムーブを難なく越えて、細いルンゼ状に入ったそのときだ。
 スローモーションビデオを見ているように握りこぶし大の大きさの落石が僕の登るルンゼ状のなかを転がってくるのが見えた。たぶんザイルがこすれて落石を誘発したのだろう。足場は悪く逃げようがない。僕は身をすくめて、身体全体をヘルメットとザックの陰に隠した。
 ゴン、という音がしてヘルメットに命中。落石は僕の背中を越えていずこともなく消えていった。お〜、無事やったんやね。今回はヘルメットに二度救われた。
 そのあとはザイルなしで登攀を続ける。雨に濡れたスラブが滑りやすく、ところどころシブいバランスが必要だったけれど、問題はない。問題なのは登りやすいところを選んでいるうちにどんどん水流から離れていってしまったことだ。
 午後四時過ぎ、奇跡的にわずかな平坦地が現れた。でもその平坦地は1m四方もない。あとは岩石が堆積する傾斜地だ。
「ここでビバークやな。こんな平坦地はもうあれへんで」とにしやん。
「了解、ここでビバークしましょ」と僕。
 ふたりで心ばかりの整地をする。傾斜地を岩で埋め、ごつごつながらも1mx2m、かろうじて天幕を張れるスペースを確保。寝るときにはザイルやらザックやらを下に敷かないととても眠れないだろうけど。
「ほな、おれは水を汲んでくるわ。NGは天幕をたてといてくれ」
 にしやんは疲れも見せずに軽やかにクライムダウン。ん〜、あのパワー、やっぱすごいで、ほんま。
 僕は降りはじめた小雨のなか、天幕を設営。
 やがて、にしやんが戻ってきて、午後四時半、雨を避けて天幕に入る。
 むこうずねの傷はやはり深く、出血多し。今回、救急セットを忘れた僕はにしやんにもらって大いに助かった。

 夕方、ビバークサイト(標高2200m付近)にて

「お〜、お疲れさん」「いやあ、お疲れさんでした」
 残った二本のビールで乾杯。うん、やっぱりうまい。今度からは僕もビールをもっと担ぎ上げることにしよう。
「本音を言うと、予定どおり、ここまでの高度を獲得できるとは思わなかったな」
「今回、残雪が多かったのが幸いだったなあ。あれで時間が稼げたからな」
 続けてウイスキーをなめながら、今日の行動を振り返る。
 雨は相変わらず降ったり止んだり。時折、強く降ることもあるが不思議と視界はいい。西空は茜色に色づいている。その空を背景に剣岳北方稜線がくっきりと映える。大窓の大きなくびれがよくわかる。
 今日で核心部を越えた。東谷、鹿島ウラ沢をほとんど登り切った。落石をくぐって、スノーブリッジを越えて。緊張のあとに得る、この解放感、満足感がいつもながら嬉しい。
 この日も語りながら飲み、そして背中に痛みを覚えつつもぐっすりと眠る。

 9月17日 日曜日
 06:00、出発

 いつものように午前四時前に眼が覚める。昨日の疲れが残っているのだろうか、あと十分だけ寝ようと思って気が付いたら、もう四時半だった。昨夜は、時折、雨が強く、風も吹き荒れた。でもゴアテックスの天幕は快適だ。ツエルトで寝るとこうはいかない。
 起き抜けにコーヒーを沸かしてまだ眠っている心身を起こす。水が豊富ではないから、ひとつのラーメンをふたりで分けて、パンをかじる。朝食はそれでおしまいだ。
 明るくなると同時に手早く、撤収。午前六時、出発。
 雨は相変わらず。ただ視界がそれほど悪くないのが嬉しい。地形図で現在位置を推定、磁石を使って登るべき方向を定める。幸い、昨日から登り続けている沢状地形が僕たちのめざす南南東方向に伸びている。しばらくはこの沢状地形を忠実にたどろう。そうでないととんでもない藪漕ぎになってしまう。
 登るにつれてますます傾斜は強まる。草の根をつかみ、身体を迫り上げ、草付きのなかをひたすら登る。それでも比較的順調に高度を稼ぐ。
 午前七時、出発から一時間後には、標高2450mに到達。一時間の獲得高度250mだ。この地形だとまあまあのペースだろう。めざす鹿島槍ヶ岳南峰の標高は2889mだ。ビバークサイトからの標高差は約700m、頂上に達するのに三時間ほどを見込んでいたが、もう少し早く頂上に達するかもしれないと期待。
 やがて、岩石が堆積した様相となり、ハイマツ帯に達する。そこを登りつめると徐々に傾斜が緩くなり、鹿島槍ヶ岳南峰北西稜に突き上げた。ここから左側がすっぱりと切れ落ちた稜線上を牛首尾根最上部に向かい、午前八時半、鹿島槍ヶ岳南峰に達する。
 途中、チングルマの綿毛が風に揺れる秋を迎えかけた草原のなかで、ウラシマツツジの真っ赤な紅葉がひときわ鮮やかだった。

 08:30、鹿島槍ヶ岳南峰(標高2899m)

「おい、着いたぞ」とにしやん。
 視界が悪くなってきた稜線で、突然現れたピークが南峰だった。ケルンが積まれ、道標が立っている。僕たちが登ってきた牛首尾根方面には大きく「×」印が付けられ、一般登山者が迷い込まないようにとの注意表示がある。そうだ、ここはもう一般登山ルートなんだ。
 意外に早かった。まだまだ先だと思っていたからな。僕は両手こぶしを握りしめて、思わずガッツポーズ。
 僕とにしやんは無言でがっちりと握手。この瞬間が最高だ。
 雨のなか、視界がない。こんなところに長居は無用だ。僕たちの目的は東谷〜鹿島ウラ沢遡行だ。登り切った鹿島槍ヶ岳は目標ではない。頂上から下りはじめると、さっそく雨のなかを登ってくる中高年パーティと次々とすれちがった。この二日間ではじめて人に出会う。それも次々と。僕たちはやはり山深いところをたどってきたのだ、そしてまた再び人々がうごめくところに戻ってきたのだと実感した。
 最終下山予定時刻は午後四時、その二時間ほど前には下山が可能だろう。
 あとはただどこまでもただ下るだけだ。
 雨滴に濡れるナナカマドが妙に嬉しかった。

<補足>

 このあと、冷池小屋でロング缶のビールで乾杯。ラーメンを作って腹ごしらえ。視界が悪いため、爺ヶ岳への縦走は中止、赤岩尾根をひたすら駆け下る。大谷原まで四時間のコースタイムを二時間半。ここで、大町名鉄タクシーの梨子田さんというおっちゃんの車に乗せてもらう。実はこの人、四月中旬の鹿島槍東尾根の入山時と下山時、五月初旬の鹿島槍東尾根の入山時、合計三回とも僕と澤村どんを乗せてくれたおっちゃんだ。これで僕は今年このおっちゃんのタクシーは四度め。何か奇遇を感じるなあ。
 信濃大町まで降りると、天候は回復に向かっており、ときおり薄日も射していた。
 にしやんとは松本まで車中でビールを飲みながら同行、松本駅ホームで駅そばを一緒に食ったあと、がっちり握手を交わし、再会を約束して別れた。
 この次は、十一月初旬の明神東稜だったっけ?
 で、その次は十二月初旬、八ヶ岳立場川上流部だったっけ?
 おっとその前に、十月のいつか、京都で奥鐘勉強会(要するに飲み会ですな)をするんだったな。
 次々と目標を定めるのは日常生活で緊張を維持するのにはいいことだと改めて思うNGであった…。(完)