山行報告(2000年9月上旬、比良山系貫井谷)
貫井谷登攀・標高850m付近にて
高度感のある左岸岩壁を登攀する。
比良山系貫井谷、標高850m付近にて



 僕がまだ学生だった頃、所属していた山岳会(京都大学山歩会)の先輩たちから、ここ比良山系貫井谷の悪名はよく聞かされた。
 「転落事故が後を絶たない」
 「同じ3級(このグレーディングは後述、中庄谷直氏による。以下同様)でも特別のいやらしさがあるらしい」
 「だから今では入谷禁止となっているらしいぞ」
 そんな話を酔った先輩から酒席で聞かされてきたものだ。だから僕の頭のなかでは、貫井谷は化け物のような印象を植え付けられていた。
 僕の手元に『関西周辺の谷』(中庄谷直著、白山書房、初版昭和55年、現在では絶版)がある。定価1200円。下宿学生だった当時の僕にとっては三日分の生活費だ。関係ないか。まあ、とにかく僕は三日分の食費をこの本につぎ込んだわけだ。
 そこから貫井谷の項目を抜粋すると…。
 「裏比良のなかでは一番の悪谷である。急峻な上に、滝が無数に連続し、岩溝の中を巻くこともできず、シャワーを浴びて直登しながら突破しなければならない」
 ふんふん、だからこそ、行きたいね。直登は僕たちの基本方針だ。

 昨年の夏から、僕は十数年ぶりに沢登りに復活し、KYOとともに登り続けてきた。何しろ、十数年ぶりの登攀だ。多少の経験があったとは言え、もう中年(年齢だけはね、心身では認めない、笑)に差し掛かりつつある自分たちの状況を考慮し(?)、僕たちは比較的易しい沢から取りかかった。比良山系には3級の沢が三本あるが、そのなかでも比較的易しいとされる八幡谷を目標とし、昨年九月、ここを完登することができた。そして、その帰りしなに掲げた翌年の目標が、1)貫井谷完登、2)大峰台高(芦廼瀬川)だったのだ。
 今年も水が温む五月から、僕たちはトレーニングをはじめた。貫井谷を落とすこと、それは僕たちにとって比良山系での卒業証書のようなものだった。本当はこの卒業証書をもらってから、大峰台高に羽ばたくはずだったのだが、スケジュールの都合で八月中旬に芦廼瀬川を完登してしまった。六月下旬には、二番めに難しいとされる猪谷も完登しており、僕たちは万全の自信をもって、ここ貫井谷に突入した。
 そして、僕にはもうひとつ目標があった。この貫井谷では僕のリードで完登することだ。
 今までは登攀経験が僕よりも長いKYOにリードを頼ってきた。しかし、それでは僕自身の実力は伸びない。少なくとも僕自身の自信とはなっていかないからだ。ここでその自信を身につけられれば、その翌週末に計画している北ア黒部の東谷〜鹿島ウラ沢遡行への格好のトレーニングともなるだろう。


 9月9日土曜日
 午前7時 京都・KYO宅にて

 ここ数日、秋雨前線と近づく台風の影響でぐずついた天候が続いていたが、一時的に天候は回復に向かうようだ。ただ大気は不安定、激しい夕立があるかもしれない。そんなこともあって、今回もいつもより1時間早く、出発を決めた。
 けど、KYOさん、迎えに行ってもまだ寝てましたぜ。しゃあないから、しえちゃん、なっちゃんを起こすのも申し訳ないなあ、と思いながら玄関ブザーを「ビーッ!」と鳴らす。なにやら二階で人の声。あ、起きたみたいや。やがて、KYOが玄関に現れて「あ〜、ごめんごめん、けど準備はゆうべのうちにすませてあるさかい」となにやら言い訳。
 あとで聞くと、KYOは朝の一瞬、今日は貫井谷突入の日だと忘れていたそうな。しえちゃんに言われて、朝っぱらからブザーを鳴らした不心得者が僕だと思い出したそうだ。確かに昨夜、今日の出発時間を打ち合わせたとき、あいつ、飲んで帰ってきてけっこう酔っぱらってたもんなあ。こんな話、ばらしたらKYOに怒られるか。
 家に上げてもらって、朝飯を食ってるKYOの横で朝刊を読みながら待つ。

 午前8時 葛川細井集落にて、忘れ物発覚

 今日は貫井谷を登って、比良山系最高峰・武奈ヶ岳に突き上げたあと、細川尾根を駆け下るつもりだ。だから、入山口の貫井集落ではなく下山口の細井集落に車を止める。
「あれ?」とKYOが突然、装備を引っかき回す。
「おい、どうした、忘れもんか?」と僕。
 結局、ヘルメットを忘れたようだ。今までも難しいルート以外ではヘルメットは使わなかったのだが、奥ノ深谷でKYOも僕も転落を経験し、僕が額に裂傷を負ったことをきっかけにして、それ以来、どんな沢でもヘルメットをかぶることにしてきた。ましてや、今回は貫井谷やで? ん〜、痛いのは痛いが、致命的ではない。昨年、地下足袋とわらじを忘れたときには(いったい、何しに行くつもりやってん?)さすがに取りに戻ったけど。
「じゃ、トップがヘルメットをかぶることにするか」
「それやったら、NGさん、トップ行ってや」
「うん、そういう考え方もあるな」
 KYOは米子市武道館(KYOが設計、施工に関わってきた)落成記念の日本手ぬぐいをヘルメット代わりに頭に巻く。「心、技、体」と染め抜かれた文字のうち、「技」がちょうど頭上にくる。エエ感じぢゃ。
 準備を整え、入山口の貫井集落まで国道を歩く。

 午前8時半 貫井谷突入、ヒルの攻撃を受ける

 入山してしばらくは左岸に見え隠れする小道をたどる。堰堤をふたつばかり越えるとやがて谷らしくなってくる。
 しかし、何ぢゃ、この水量は? ちょろちょろ水量やないか!
 今年の夏は雨が少なかった。琵琶湖の水位も警戒水位マイナス80cmを超え、取水制限がはじまった。増水した沢もかなわんもんだが、ちょろちょろ水量の沢も勘弁願いたい。昨夕、久々にまとまった夕立が降った。もしかしたらこのちょろちょろ水量も昨日の雨のおかげかもしれない。
 約30分ほどで二股(らしきところ)に着く。
 登攀ルートは左股だ。だから、ここが二股なら左に入らなければいけない。しかし、どうみても右の流れの方が水量が多く、奥には滝らしきものも見えている。ここは本当に「二股」なのか、ここを左に入ると支流に入ってしまうのではないか。水量が少ないだけに迷うところだ。おまけに『関西周辺の谷』では二股まで約1時間とある。僕たちは30分ほどできてしまった。今回は腕時計の高度計を使用している。高度計によれば標高490m。地形図から読みとった二股は標高520m。微妙なところだ。高度計及び地形図の誤差の範囲と言えるかどうか。
 まずはここが二股と信じて、左の流れに入り、数mほどの滝をふたつ直登。しかし、そのわずかな水量も入ってすぐの右岸側壁から流れ落ちるものがほとんどで、すぐに水流が途絶えてしまった。こりゃ、ちゃうで〜、とクライミング・ダウン。今度は右の流れに入る。左の流れに比べると水量はまだ多い。二段20mほどの滝が懸かっているのが見える。おまけに左岸にはかすかな高巻きの踏み跡らしきものまであるのだ。KYOを残して僕が踏み跡をたどって高巻いてみる。しかし、どうもおかしい。こっちやない、左の流れが正解だ。
「おおい、こっちやないぞ」と僕は見えないKYOに声を投げる。
「僕もちがうと思います」とKYOの声が返ってくる。
 ふたりの意見が一致。さて、もう一度、クライミング・ダウンで二股に戻るべ…。
「あ〜、NGさん、ヒルや、ヒルが血を吸っとるで〜」とKYOの声。
 なに? ヒル?
「あ〜、ほんまや〜、おれの手にも二匹、ヒルが食いついとるわ〜」
 手を見ると、ぶよぶよとした丸い固まりがふたつもくっついている。血を吸ってふくれあがったヒルだ。よく見ると地下足袋の上にはミミズのように長細いヒルが侵入口を求めてくねくねと這い回っていた。
 食いついたヒルは引っ張っても取れない。煙草の火で焼き殺すのが上策だ。傷口の血はなかなか止まらず、しばらくのあいだ流れ落ちていた。

 午前10時過ぎ、いよいよ核心部へ

 二股を左に入るとすぐに水流がなくなった。涸れた沢床を、暑い、暑い、と言いながらたどる。岩石が堆積しているため伏流水となってしまっているようだ。やはり少雨による渇水でこんなみじめな沢になってしまったのだ。しかし、両岸が切り立ってくると沢床は岩盤に変わり、細いながらも水流が復活する。その岩盤は逆層のスラブ。非常に滑りやすい。はじめのうちはザイルを出さずに直登、そして、その上の連瀑帯を快適に直登していく。
 水量が少ないせいだろうか、「比良山系最悪の谷」と身構えていたわりにはそれほど難しくはない。
「これじゃあ、今のところ、こないだの猪谷の勝ちだな」こんな軽口も僕たちからはこぼれる。
 しかし、中庄谷直氏が書いたとおり、無数の滝の連続だ。しかも谷の傾斜は急峻、水量が多ければどんなにか見事な連瀑帯だろう。ここは是非、ふつうの水量のときに再訪してみたいところだ。
 第一ゴルジュを抜けたあと、両岸の傾斜は緩まるが、やがて第二ゴルジュが現れる。ここまではほとんどザイルなしできたが、このあたりからザイルを出し、コンティニュアスで登攀を続けることにする。
 第二ゴルジュは右岸がオーバーハングしてかぶさってきており、左岸も険しく高い。非常に暗く険悪な印象を受ける連瀑帯だ。岩溝のなかに悪い滝がいくつか懸かっており、高巻きは不可能、当然直登するしかないところだ。
 このあとは、悪い滝が連続し、頻繁にザイルを出すようになる。そのため、トップを交代、ヘルメットをかぶった僕がリードしたため、滝を登攀する写真を撮りにくくなってしまった。ん〜、残念。

 ただ、この貫井谷は高さはかなりあっても一見すると登れそうに見える滝が多い。しかし、実際取り付いてみると逆層スラブは非常に滑りやすく、ホールド、スタンスともに非常に細かい。ビレイなしで登りかけたものの、途中で非常に難しいことがわかり、下で待つKYOに「お〜い、ビレイしてくれ〜、けっこうシブいで〜」と声をかけ、慌ててランニングを取ることも何度かあった。しかも、ほかの沢に比べて入谷者が少ないのだろうか、ほとんど残置ハーケンがなく、細い灌木の根元でビレイを取ったり、岩角を利用したり、あるいは確実なランニングがほとんど取れないまま、グランドフォール覚悟で登ったり…、という難しさはあったと思う。

 また、ある滝ではつるつるのスラブに一本だけ浅いクラックが走り、そこに両手両足を引っかけつつ(とてもジャミングできるほどの深さはない)何とか半ばまで登りつめた。しかし、そこからはいかんせん渋く、ランニングも取れていないので、ここで墜ちたら下の滝壺まで墜ちるなあ、しかもKYOがビレイを取っているのは岩の上に生えた直径1cmほどの灌木の根元、すっぽ抜けたらKYOを引きずり込んで墜ちることになるぞ。あ〜、やばい。そう思ってふとクラックをよく見ると、なにやら細かくちぎれた繊維状のものが…。あれ、これはポリエステルのひもの繊維じゃん。一生懸命に泥を掘ると、おお、古いハーケンが現れた。ようやくランニングを取って安心したのもつかの間、そのあともビレイポイントがないのだ。クラックにナッツを埋めようとしたがやはりだめ、結局、これまた墜ちたら引っこ抜けそうな灌木に気休めのランニングを取って、最後の壁を乗り越すという場面も。

 ここは、右岸のオーバーハングの下にクラックが走り、そのハングの下に潜り込みながらクラックを手がかりに登ったところだ。左手、左足はクラックにジャミングできるのだが、右手、右足にはホールド、スタンスがない。そのため、斜めレイバックみたいな変な体制で登った。ハングの下の空間が狭く、ザックを担いだ身体ですり抜けるのに苦労したところだ。ここは僕がトップで登ったので、登攀状況を撮影できず。KYOの頭だけを撮せた(笑) ほら、「技」の一文字が光るでしょ?

 …と、まあ、ひとつひとつの滝の登攀を思い出してみると、やはり貫井谷は難しかった。沢的な非常に微妙なバランスが絶対必要だと思った。水量が多かったらもっと難しくなるだろう。

 午後1時45分 武奈ヶ岳山頂(1214m)

 水流が途絶えてしばらくすると、沢床が浅くなり灌木が茂りだす。最後は灌木とクマザサの藪漕ぎとなって、ひょっこりと主稜線に飛び出す。左手すぐに武奈ヶ岳山頂が大きく見える。数人の一般登山者も見える。一般登山者たちの胡散臭そうな視線を浴びながら(地下足袋を履いてどろどろでずぶぬれの格好だからかなあ…)ビールで乾杯。ラーメンを食べたあと、細川尾根を駆け下る。
 午後3時半、細川集落に無事下山。けど、ビールを買おうと訪ねたいつもの酒屋さんが閉まってたぁ〜(号泣)