以下は、にしやんから寄せられた「丸山東壁1ルンゼ〜雄山第三尾根山行報告」です。
原文のまま、引用します。
なお、PC環境のちがいにより、一部文字・改行情報が正しく反映されていない箇所が
あるようです。予めご了承下さい。
                       by 管理者:NG(noguring)


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`00夏山報告/黒部〜立山周遊 単独行 (by にしやん)

●ルート:黒部丸山東壁1ルンゼ〜丸山主峰〜内蔵助峰〜内蔵助乗越〜サル又のカール
 〜雄山東面第三尾根〜大汝山〜一ノ越〜黒部ダム
●期 日:`00.7.19 〜 7.22
●行動記録:
(7月19日)
 4月の赤沢岳西尾根帰りに購入した「あずさ回数券」を使って、新宿を昼間の特急 で発つ。この回数券では、大町まで片道5千円見当である(通常約7千円)。扇沢か らの最終トロリーで夕方5時頃黒部ダム着。夏の登山者出口にて泊まることとする。
 全行程スニーカー(ナイキのエア・マダ初期型、ソールパターンは擦り減ってツルツル)で通すこととし、ラバーソールは出口脇の壊れたスチールロッカーにアッセンダーや着替えなどと共にデポする。4月に来たとき置いていった古新聞が、まだあった。
(7月20日)快晴
 05:00ダム発。このあとやってくる始発トロリーでの入山者は多いだろうが、今はだれもいない。ダム下まで駆け下り橋を渡る、とそこには釣師が4人ほど。既に釣糸を垂れている。釣師はいつでも、どこにでもいるもんだ。
 日電歩道の補修資材があちこちに転がっている。県警HPでは、内蔵助出合までの整備がやっと完了したとのことだった。内蔵助谷出合周辺の黒部川は、膨大な残雪の下。内蔵助谷沿いの道は、草に覆われている。タイツが朝露でグッショリになるころ、 1ルンゼの押出のガレ場着。1ルンゼ押出に入るとすぐに残雪が現われ、これは1ルンゼ1ピッチ目終了点付近まで続いている。しかし、壁とは接しておらず、巨大スノーブリッジの下に降り、泥を掴んで、2ピッチ目取付と思われる乾いたバンド目指し 這いずり上がる。
 登攀具を身に付け、ロープを引きずり登攀開始07:15。このあたりはどこでも登れる。左ルートに入っても、登りやすい所を選んで行けば全く簡単なフリーソロ。1ヵ所5mほどの凹角部が出てくるが、岩もしっかりしており4級程度。気休めに残置ピンにカラビナをかけ、全く意味のないランニングビレー(ロープ下端は宙ブラリンだもの)を取り、難無く抜ける。各ピッチ終了点にはボルトがしっかり打ってあるが、それを使うこともなくロープを引きずりペタペタと上がっていく。東日を背負い、暑い暑い! 振り返ると、今春這いずった、赤沢岳西尾根下部が良く見えている。幾条ものルンゼには、まだ雪がしっかり残っている。ビバーク地もほぼ同定できる。やっぱりあそこからの直上でルート的には正解だったようだ。
 やがて傾斜の緩い、ブッシュだらけのルンゼ状となり、実質登攀終了。この上部は丸山主峰と東壁の頭との鞍部に続いている。鞍部はすぐそこに見えているようだが、薮だらけ。ここにも残雪があり、小休止。冷たい水で喉を潤すことができた。ブッシュをかき分け登って行き、鞍部着10:00前。
 さて、ここから丸山主峰へは20年ほど前には踏み跡があったらしいが、今はそこそこの薮漕ぎ。途中、枝から紫や赤のスリングが垂れているのが確認されたが、そこは内蔵助平への下降点なのだろう。少々の薮漕ぎには動じなくなってしまっているのか、大した苦労もなく内蔵助峰方向への分岐点を過ぎ、丸山中央山稜に踏み込んで行く。分岐手前には薮に覆われて池塘が2箇所ほど、そこには残雪もあった。このあたりから一挙に薮が濃くなってくる。
 薮が一瞬途切れ、小さな雪田に出たところが御前谷乗越であった。12:00。残雪のおかげで、要所要所で冷たい水が飲めるのは有難いが、なにぶんにもブヨ・アブが多い。乗越の潅木の枝には、20年程前のものと思われる大量のカラビナの束がギア掛けと共にぶら下げてあった。何らかの理由でここから敗退したパーティーが残置したものだろう。サレワショイナードや、ボナッティ、今でも自分が使っているモノやないの。持って行こうかとも思ったが、白く変色しているし、重くなるのでさすがのワシもそれはパス。
 ここから御前谷へは快適に下れそうだが、それでは「岳人」のガイドそのままになってしまう。今回はまだしばらく丸山中央山稜を内蔵助乗越までたどるのが「こだわり」のひとつなので(あんまし変わらん、ってか?)、さらに濃くなってきた薮に突っ込んでいく。濃い薮のせいで視界は全くないのだが、とにかく尾根が登っている方向に突進する。立ち止まると、全身をアブかブヨが覆ってしまうので、とにかく動く。
 やがてところどころに残雪のある小さな小さな沢に入った。薮尾根の中に一条の小沢が内蔵助峰方向に上がっているという、不思議な地形だ。そろそろ暑さに参ってきた状況では、この上もなく有難い。度々立ち止まり、冷たい清水をすくって喉を潤す。でも虫を嫌って、keep on moving。
 内蔵助峰2279mは、濃い薮に覆われたピーク。潅木に乗らないと、視界も全く効かない。潅木に立って薮から頭を出すと、剱、立山が望まれた。内蔵助カールには豊富な残雪。小屋はまだ開いてないとか聞いたが。ここでも虫の集中攻撃を受ける。Tシャツの中にも入りこんでくるし、タイツの上からも刺してくる。直線距離でわずか50mほど先の内蔵助乗越に目星を付けて、またも薮に突入。しかし水平に張り出した太い潅木の束にいいかげん嫌気がさし、まあええわ、と内蔵助乗越手前の小沢を下ってしまう。残雪と小滝が連続し、全く効かないくせしてすぐに外れる4本爪アイゼンに悪態をつきながら、冷たい水がだんだん豊富になってきたこの沢をバイル片手に滑るようにジャブジャブ下る。下りきると、御前谷の広大な雪渓に飛び出した。15:00。両岸から小沢が何本も流れ込んできており、水を得ること、そしてビールを冷やすことに関しては心配無用だ。
 雪渓上にツエルトでは寒そうなので、左岸を一段上った傾斜したテラスに、生木を1本引きちぎってきて1本ポールのツエルトを設営。今夜は晴れと確信しているので、これで十分だろう。立山東面は日陰になり、ちょっと不気味。意外に岩ゴツゴツなんやなあ。壁も多く、どれが第三尾根なんかよう分からん。黒部湖が西日でキラキラ光っている。水を汲み、ビールを冷やし、晩飯までツエルトの外でのんびりと夏の夕暮れを楽しみたいところだが、この虫の攻撃! 雨具のフードまでかぶっているが、隙間隙間を狙って入りこんできやがる。耳は既にパンパン、メガネと顔の接しているところにも何匹も入りこんで、刺していきよる。かゆいことこの上ない。ツエルトの中でタバコをふかして、あぶり出すしかないようだ。しかし、日没ころには皆さんお帰りになったようだ。夜は満天の星。
(7月21日)快晴
 暑いくらいの夜だった。例によって、2時ころから目覚めていた。今日も暑くなりそう。虫のほうは、出勤時間が異常に早い。日の出前からお仕事かいな? ツエルトの撤収は速くて楽。ザックの隙間に押し込んだらいいんだから。立山東面は朝日を浴びて、ゴツゴツがさらに際立っている。
 のんびりと06:00ころ出発。豊富な残雪の御前谷を詰めていく。雲ひとつない青空、サングラスしないと雪目になりそう。しかし4本爪アイゼンっちゅうのは、ホンマ役立たずだなぁ。スプーンカットの盛り上がったところに土踏まずを置かないと、効いてはくれない。これならなくても同じ、と途中から外して行く。
 いくつかカール状を登りきると、ひときわ広大なカールが現われる。これがサル又のカール。第三尾根末端(1峰)の壁は結構大きい。それを見ながら若干左に回りこんで、半島状の小尾根を登りきったところから取付くようだ。エスケープルートとしていた第二尾根を見ると傾斜も緩く、両サイドの雪渓との高度差も数十m程度をキープしたまま稜線へ続いている。登る価値なしと決めつけて、予定通り第三尾根に取付く。09:30前。
 ルート図は持っていたが、取付とされている凹角はコケに覆われており不快そうなので、その右から登る。自由にルートファインファインディングして登れる。岩は比較的しっかりしているが、ハイマツも多い。(支点に使えるので、有難いのだが。)古い残置ピトンも散見される。一本「これは」と思ったモノがChouinardだったので 、回収させてもらった。こちらは出だしから傾斜のある壁で、慎重を期して途中3回ほど懸垂〜登り返しを使った。
 背後から太陽が容赦なく照りつけており、岩もハイマツもムンムンしている。まさに「正しい日本の山壁」である。こういうのん、ひさしぶりやなぁ! しかし3千直下というのに、暑い暑い! 10:00を少し回ったころだったろうか、突然県警のヘリが現われた。この第三尾根ととなり第二尾根間のすぐ上でホバリングしている。ちょうど主稜線の高さくらい。ここからは見えないが、稜線の一般道はすごい人出なんやろな。それの「視察」か? ワシの様子も見に来たんかな?「夏壁を満喫してまっせ!」とばかり、懸垂を中断して大きく手を振ってやる。5分ほど(けっこう長かった)ホバリングしたあと、一ノ越方面を回り黒部ダム方向へ飛び去っていった。
 ブッシュのない硬いフェースを快適に登ると、1峰上であった。残雪の大汝山頂に人が何人も見える。登山道は稜線のわずかにむこう側なんだろう、稜線上にはそれ以外に人影はない。ここで登攀具はザックに収め、針峰の林立する岩尾根をたどって、 もう間近になった稜線を目指す。このあたり、ちょっとルートファインディングの力を要しますね。かぶったワイドクラックを強引に越したりしながら行くと、残雪の多い稜線に飛び出した。大汝休憩所のすぐ脇であった。ベンチに座っていたカップルが 目を白黒させながら、突然ヘンなところから現われた登攀者を眺めている。12:0 0前。
 この稜線からは、登山道を歩いている限り、今登ってきた東面は見えない。だから 、ワシも岩場の存在を知らなかった。3千の山頂に飛び出す岩場は魅力だ。第三尾根末端壁の一番高距の長い部分(2百mほど)は未登らしいので、こんど開拓にでもくるか。オールフリーの快適なルートができる(かもしれない)。でも夏の立山、あまりやってくる機会はなさそうだ。
 中高年グループや、学校登山の大団体が行列をなすのをすりぬけ、かわして、一ノ越へ急ぐ。頭も身体も共に完全にビールモード。キリンラガー普通缶5百円也とキリン発泡酒ロング缶6百円也の微妙な価格設定に一瞬迷うが、なによりも量を選択。2百人はいると思われる人ごみの隅で、一気飲み。結局、立て続けに3本を飲み、その時点で五色ヶ原への縦走は頓挫した。15:00ころまで登山者観察。そのころには、山荘の周辺には宿泊客くらいしかいなくなっていた。
 一ノ越から黒部ダムへの道は、「警告!! 残雪のため、12本爪レベルのアイゼンがなければ通行禁止」(県警の立て看板)らしい。雪が多くて下れずに引き返してきた、というハイカー二人組に状況を尋ねるが、彼らの話はまったく要領をえない。 時間的には楽にダムまで下れたのだが、稜線の一夜を小屋で過ごすのも悪くはない、と素泊りを決めた山荘で、主人に下山道の状況を聞いてみる。「東一ノ越から下のトラバース部分にしばらく雪が多いんですよ、アイゼンないと危ないでしょう」「春スキーするほどの斜面ですよね、ピッケルはあるんですけど」「ちゃんと停止ができるのなら、、、」「あ、わかりました、そういうことですね」 主人は、一応立場上制止はするが、自信があるならご勝手に、と言っているのだ。乱立する警告看板より、百倍好感の持てる主人の態度だ。宿帳の記入欄には、本日の出発地を内蔵助乗越とし、翌日の目的地を黒部ダムとした。
 小屋はガラすきというわけでもないのに、六帖間を独占。ワシへの主人の計らいなのか、胡散臭い山ヤと相部屋になる他の客への配慮なのかはわからんが。下階に下りる階段に最も近く、窓は西向き。剱が美しく望める最上の部屋である。始めはあとから人がきては、と思って一番隅に布団を敷き、ザックも整理していたが、どうやら独占と察した時点で敷き布団2枚重ね、ザックの中味は部屋じゅうにブチまけた。
(7月22日)雨/強風/ガス
 昨夜はヒマにあかせて、4本爪のかわりに靴に縛りつけて歩こう、とスリングとピトンを使って「カンジキ」のようなモノを準備し始めたが、どうせ歩き出せばすぐに外れるわい、と面倒くさくなって眠ってしまった。
 今日も快晴を期待していたのだが、ガス、雨、強風である。のんびり準備をし、07:00ころ階下のタタキに下りると、もう室堂から上がってきたらしい多くの登山者が自炊テーブルを占拠している。天候待ちをしているようだ。山荘の宿泊客達も、出発したものかどうか迷っている様子。雨は小降りだが、視界が悪く、風が強い。皆雄山を目指すんだろう。
 ラーメンを食って、コーヒーを飲みながら出発準備をしていると、そんな登山者が次々に声を掛けてくる。「どちらへ?」と「この天気、どうなるでしょう?」皆聞いてくることはこの二つだ。「黒部ダムへ下ってみます」、「10時までに回復しなければ、今日の天気はしばらくこのままでしょう」といった返答で、相手を煙にまく。 「雄山へ」と答えようもんなら、あとをゾロゾロ付いて来られそう。別にイジワル言 っとるんとちがうんよ。ただ、目的地は各自あるんやし、また3千mの天気は誰にも 分からん、どう行動するかは自分で判断しなきゃ、と言いたいだけ。  08:00を期して、雨具は上だけ羽織り、荷物を担ぎ、山荘をあとにする。バイ ルのピックを雪面に何回も刺すことを想定すると、手袋が欲しかったので、道標に矢 印代わりに押ピンで留めてあった古びた軍手片方を失敬する。役立たずの4本爪も即席カンジキも履いていない。山荘直下の緩傾斜の雪渓で、早速転ぶ。が、下り始めて15分くらいで、視界は良くなってきた。
 結局下山道はというと、5、6ヵ所、ツルツルのスニーカーのせいでバイルに頼る、短いトラバースがあったほかは、薮を掴んで雪渓わきをズリ下りたりしながら、2時間半で「ロッジくろよん」に到着できた。因みに、登り口には「残雪多く滑落注意」程度で、「警告」看板はなかったのである。「警告」は、室堂から登るお気楽ハイカーへのものだったのだろう。東一ノ越を過ぎるあたりまで、「警告」は乱立していた。なんとも人騒がせな。
「ロッジくろよん」は、かつて志水哲也が屋根裏に下宿していたところ。サッシ戸をあけて中に入ると、山小屋というよりは民宿の玄関のようで、ひとけもない。ダム観光客しか歓迎されない雰囲気だ。ここでも自販機でビールを買って玄関先で飲んでから、降り続く雨のなか、遊歩道をダム駅目指して行く。
 早駆けだったが、楽しめた山行であった。でも、単独でもちょっと簡単すぎたか(と、言ってみる)。今度はもうちょっと壁らしい壁を単独で、と思う。とすると、奥鐘か? 後日、チーム84の丸さんに聞くと、(現代のクライマーには悪評高い)大タテガビンの鵬翔ルート(`60年代に丸さんたちが開拓)は単独しやすいだろう、しかも単独ナは未登ではないか、と言う。ふ〜ん、ヘンタイとしては大いに魅かれる。絶悪とされる大タテガビンの、鵬翔ルートを単独初登!これは、ヘンタイ登攀者にこそふさわしい。しかし、丸さんによれば、昨今言われるほど「絶悪」ではない、とも。まあ、昔の人(丸さん、ゴメン!)の感覚ではそうかもしれんけど。
 大町では、期限切れ近い回数券の残り1枚を、3人組登山者の1人に駅舎の隅でダフ屋のごとく売りつける。残りは1枚なので、始めは単独の登山者を狙っていたが、どうも警戒されてしまう。(別にこっちは悪いことしてる訳やないんやけどね。)グループのほうが「あれ、Aさん、安く帰れていいじゃない!」とか「もう1枚ないの?」などと、食いつきがいいことを発見。またこの手を使お。 強い日差しがもどってきた大町では、電車の時間待ちの間、駅前のいつもの台湾料理屋で料理をつまんでまたもビールを飲む。が、朝から「ロッジくろよん」、ダム駅、扇沢と飲んでいるので、感動はもうない。そして、まだ明るいうちに東京にもどった