以下、西やんから寄せられた「不帰1峰尾根山行報告」です。
原文の主旨を変えない範囲で、読みやすいように、改行等の処理を行いました。

                        by 管理者NG(noguring)



'00 GW 不帰1峰尾根〜五竜山荘〜遠見尾根単独行
(メンバー:西田 重人 単独)

山行報告と若干の所見

[1] 行 程
5/3  夜行「アルプス」臨時にて新宿発
5/4  白馬駅=二股〜不帰沢〜不帰1峰P2P3間ルンゼ〜断壁〜JP〜2350m付近BP
5/5  2350mBP〜不帰1峰Pk〜唐松岳〜五竜山荘CS(夕刻 沢村・野口Pと合流)
5/6  五竜山荘CS〜遠見尾根〜テレキャビン駅=神城駅 - 松本(「しづか」に て宴会)- 新宿

[2] 総 括
 この山域にあまたある「有名人気」雪稜ルートの中でも冬季は困難度も第一級である本ルートを、残雪期に単独で、八方尾根の動力に頼らずBCも設けずワンプッシュで踏破するべく試みた。残雪期と言えどもイマドキのクライマーは本ルートを敬遠し他の「有名人気」ルートに集中するであろうとの、昨今の本邦クライマーの傾向に関する綿密な調査に基づく極めてスルドイ「読み」は見事的中し、尾根取付からトレースはしっかり付いているもののルート上には4人の先行パーティー1パーティーのみ、というこれ以上望めないような好条件に恵まれ、完登することが出来た。先行パーティーを抜いた後の本ルート上のトレース状態から想像するに、前日以前の本ルート登攀 者は確かにいたが1日せいぜい1パーティー程度であったと思われる。登攀初日JP付近から不帰沢を見下ろすと、そこを徘徊し上部をうかがう人影を確認したので、翌日取付いたパーティーもあっただろう。さらに、登攀終了後唐松岳に向かう途上、2峰から見下ろせる3峰A、C各尾根上に1パーティーずつの登攀者を確認した。これらのいずれのルートにも、先行のトレースは見られなかった。過去は知らぬが、現在の不帰はGWでも混雑を避けられる「穴場」となっているのかもしれない。良い傾向である。これでいいのだ。「ナンチャッテクライマー」達は近づかないでよろしい。白馬主稜で渋滞でもしていなさい。
 結果的に初日に約1600mを獲得するという好ペースで登ることが出来、そのため3日目に八方尾根下山という当初の計画を変更し2日目に五竜山荘まで足を延ばすことが出来た。トレース様様である。

[3] ルート概要

序章)急行「アルプス」
 3日夜の新宿駅ホームは予想外に空いていた。見送った23:20発の臨時にも乗客はまばらであった。23:50発の定番は、座席が埋まりつつある程度。難無く禁煙自由席に座席を確保できた。落ち着いたところでビールでも、と思ったところで後列の山姿オヤジたちがあまりにやかましいのに気付く。3人のオッサンが横に並んで座っており、うち1人は通路をはさみ2席独占してかつ窓側に座っている。当然大声を出さないとあとの2人と話せない訳だ。またこの2席独占オヤジがしょうもないことを延々わめいている。彼が会社の上司なのかなんか知らんが、あとの2人は感心した風で聞き入っている。隣のホームには23:54発臨時が入線してきた。客は少なそう、しかも旧型急行車両である。座席下に断差がなく、デッキも広い。寝やすい。迷わず乗り移る。自由席最後列の座席を確保し、ビールを飲みながら発車を待つ。荷物は座席の後ろに押し込み、寝るときはそこに銀マットを敷けばよい。最高のポジション。隣ホームの列車を追うように間もなく発車。ウイスキーを舐めながらあたりを見回す。隣の列には仲間に遅れて出かける風のスキーを持った若いネエちゃんひとり。前の列には、鉄道旅行が趣味という感じの高校生風男ふたり。山ヤもチラホラ、たいがい1人で2席独占である。白馬到着も先行列車の14分あとというし、こちらで大正解、と思っていたところが前列の野郎2人の様子がヘンである。メガネかけた華奢なガリ勉風の肩や首筋に、もうちと歳とればズングリ赤ら顔スケベオヤジ風が、やたら指を這わせているのが背もたれの間を通し後ろからも分かる。明らかにモーホだ。高校生(たぶん)モーホのお泊まり旅行だ。きしょくわる〜。早々にマットを敷いて寝た。途中トイレに立った時に彼等を見ると、寄り添って手をお互い相手のヘソのあたりに置いて寝てやがる。彼等は松本手前で朝焼けを見ながらささやきあい、そのあと歯を磨き、そして松本でそそくさと下車していった。「オヤジ」も「ヤング」も終わってる。

1)南股入〜1峰尾根末端
 塩尻では沢村Pを確認できず、モーホカップルは松本で降り、すいた車内でボーっと白馬到着を待つ。白馬駅には山ヤはいるものの、さして多くはない。うち、山スキーヤーが半数か。猿倉までは除雪完了しておらず、バスは夏まで入らないらしい。やはり今年は雪が多いんだろう。タクシーの相乗りを申し入れようかとも思ったが、八方のバス停から二股までは2kmほどなので八方までバスを使い、あとは車道を歩くことにする。バスに乗ったのは10人ほどか、八方で下車するとすぐにケーブル方面に歩いて行ってしまった。こちらは彼等とは逆方向へ歩き出す。車道にはペラペラのスニーカーが正解である。二股には日帰り温泉施設があった。

 二股からは不帰がよく見えるはずなのだが、標高2千近辺から上は雲の中だ。川の左岸の林道に入る。両岸とも車でキャンパーが多数入っている。雪もないコンクリートの林道を小1時間歩くと、急に林道上に雪が多くなってきた。靴を履きかえ、握り飯を詰め込みさらに進む。湿った雪だが、沈みはしない。快調なペースで取入口に着く。やっぱり入山には、ウオーミングアップのためにも気持ちの切り替えのためにも、平坦な歩きの部分があるアプローチは必要だと思った。赤沢岳の時のようなトンネルを出ると即雪壁、というのはよろしくない。(二股〜取入口 朝飯時間入れて約2時間)

 広々とした雪原となっている取入口付近は日当たりよく、気持ちのよい所だ。左手には八方尾根が高い。この辺りからは緩んだ雪の上を、10cmほどだがもぐりながら進む。少し以前に付けられた人間の足跡らしきものがたまに現われるが、ずっと辿って行けるほどそれは明瞭ではない。

 やがて沢筋の両岸が少しずつ狭まり、立ってくる。土砂混じりのデブリや落石跡やブロック崩壊跡が多くなってきた。実際、両側壁からは時々石や雪塊が大きな音と共に落ちてくるが沢の幅は十分ある。本流は雪崩るような傾斜ではない。上部では雪かミゾレなのか、強い風に乗って正面上方の雲の方向から水滴が飛んでくるようになってきた。風で木片も飛ばされてくる。でもこちらのペースと同じペースで雲も上がっていくようである。登る尾根の末端付近がよく見える。沢のドン詰まりには南滝が見えてきた。厚い雪板の右下を豊富な水が滑り落ちている。このあたりで唐突にトレースがはっきりし始めた。トレースは滝の左側の雪壁を大きく巻いている。果たしてこち らと同じく二股から詰めてきたパーティーのものなのか、第2ケルンあたりから下降してきたパーティーのものか、それとも山スキーヤーがこのあたりでツボ足になったのか。いずれにせよ、どこに向かっているのか、今日なのか昨日なのかは分からない が明らかに先行者がいる。

 南滝を高巻いて沢に向かって雪壁を今度は下る。トレースはさらに先に延びており唐松沢と不帰沢の二俣を目指して登っていっている。雲はさらに散って行くようである。上部の天気も回復傾向と確信する。しかし相変わらず吹き下ろしと吹き上げのいずれの風も強い。尾根末端、すなわち唐松沢・不帰沢出合はすぐそこだ。トレースは不帰沢に入っていく。こちらは尾根末端下の薄い樹林の出た台地の下で風と落石を避けて大休止、この先のルートをどう採るかしばし考える。時刻は正午。南滝からこちら側へ登ってくるスキーヤーが目に入ってきた。今日初めて登山者を見る。計3名、軽装でシールを利かせ、早いペースだ。八方尾根に置いたBCからだろう。不帰沢に入る ようだ。(取入口〜1峰尾根末端二俣 2時間)


2)1峰尾根末端〜2350mBP
 ここでしばし峻馴する。トレースはP2P3間ルンゼから1峰尾根上に出ているんだろうか。P2P3間ルンゼは安全か。今から尾根上に出て、うまい具合にビバーク地を得られるか。何よりも単独で核心を抜けられるのだろうか、トレースはないがむしろ唐松沢を辿って始めから上部ルートに迂回したほうがよいのでは。それともここでビバークして、雪の締まっているあいだに一気に抜けるか....。P1下の絶悪な雪壁を見上げながら、上部もこんな壁では登攀不可能だなとも思う。

 とりあえずオリジナルプランに従いP2P3間ルンゼを見に行ってみよう。ルンゼと、もし上部が見えたらそっちも偵察し、悪そうならこの台地に戻ってビバーク、明日唐松沢から上部ルートを狙おうと決め、3人のスキーヤーと前後して不帰沢に入っていく。トレースは明瞭だが、所どころで足首まで潜る。沢の傾斜も一気に増してくる。 P1の不帰沢側はとても登れる状態ではない。雪壁がズタズタである。やがてトレースは左上し始めた。明らかにP2P3間ルンゼに向かっている。傾斜はさらに増し、P1との高度差はわずかになる。アイゼンを着け、ピッケルを手にする。雪は深く重い 。雪崩は多分大丈夫だろう、たぶん。幅のあるルンゼ状の雪壁に取付く。右手の不帰沢を詰めるスキーヤー達とは高度は同じだが、もう随分離れてしまった。左上のP2の高度にはなかなか到達しない。度々息を整えるため立ち止まり、一方で早くこの雪壁を登りきらねばと気が急く。

 ようやくP2直下に達しトレースにしたがい右斜上し、ついにP2P3間のナイフリッジに飛び出した。リッジ上はすごい高度感と傾斜だ。P1から短い水平距離を激しくアップダウンしながらリッジがここまで、そしてここからも続いている。慎重にトレースを踏みしめつつ進みP3に立つと、ほんの20m先には断壁の取付がそれとすぐわかる出口をハングにフタされた凹角を露出させていた。末端二俣から2時間が経過しており、時刻は2時半。ここでも再び思案する。ここでビバークは可能だが、明朝一番で核心部に突っ込むのは気乗りしない。今は調子良いし、体もよく動く。天気ももう大丈夫だろう、不帰沢のコルまでよく見えている。不帰沢上部はデブリだらけだ。(1峰尾根末端台地〜断壁取付 2時間)

 断壁1p目が今回最も懸念していた岩の部分である。ここでビバークするにもまだ早いので、空身で岩部分だけでもルート工作することにする。それにしても、この雪稜上では少し体を動かすのも慎重にしないとセルフビレイも取っていない体は一気に垂直にも見える雪面を落ちていきそうだ。慎重にテラスを作り、登攀具を取り出し身につける。足場の悪い、岩と雪の接点に立ち、見上げてルートを探す。トレースは5mほど下りて、完全に岩の部分を左から迂回しているようだ。しかし、ステップもグチャグチャになったいやらしそうな雪壁を登っている。

 一方岩の部分はというと、正規ルートのはずのフタ付き凹角は、足場に雪が付いておらず、取付に古い捨て縄の垂れたピンがあることはあるのだが、乗り移るのは厄介に見える。凹角右の階段状フェイスには残置ピンが4〜5本見え、その出口には9ミリ径ほどのロープスリングが垂れ 下がっているのも見える。ようし、見たところ4級はないな。このフェイスを登ることとした。登り出しの支点には錆びてグラグラの残置ピンに加え、持参のウエイブハーケンを打つが半分しか入らず、テープスリングをタイオフし2本を連結。いささか心もとないが、一段登れば手の届く範囲に残置が2本あるし何とかなる、とこの支点にザイル末端を固定、ザイルにはプルージックをセットしハーネスと連結。一応単独登攀のシステムを作った上で、空身で登り出す。しかし世の中甘くはない。見えてい た残置ピンはいずれもスコスコで、叩き込むと緩んだリスに完全に埋没してしまう。ほとんど登られてないようだ。大き目のホールドはあるのだが、いずれも微妙に浮いている。2個持ってきたうちのフレンズの2番を右手の微妙に動くホールドの根元に押し込みロープを通し、これまた微妙に浮いている左手のホールドと右手のホールド両方をだましながら思いきってもう一段上がる。そこにはちょうどフレンズ3番がしっかり入る短いクラックがあり、ホッと一息つくことができた。

 このフレンズにザイルを固定し、そしてさらにプルージックからザイルを繰り出しながら出口の太いロープスリングを取りに行くが、なんとなんとそれは抜けたピンと共に岩角に単に乗っているだけというシロモノだ。悪態をつきながらそれを投げ捨て、比較的しっかりしてきた岩角を掴んでがむしゃらに乗越すと、若干傾斜の落ちた雪壁となった。左上5mのダケカンバ目がけ慎重に登り、ザイルの中間部を固定。さらに雪壁をザイル一杯まで登るが、今度はビレイ点がない。仕方なくピッケルをピックが下になるように横にしてバイルでピックを叩き込み雪に埋め、シャフトからとったテープを支点にザイルを固定した。何とか効いているようである。ホッとして何気なく上を見ると、先行パーティーが4〜5ピッチ上部のブッシュ混じりの雪壁を登っているのが目に入ってきた。JP直下のピッチのようである。少なからず緊張したこの岩のピッチだったが、この先は要所要所は細いながらもブッシュで確保できそうな雪壁である。時間もさほど要していない。まだ暗くなるまでには3時間はある。先行パーティーが見えて勇気付けられたのも大きい。急遽、今日中に断壁を抜けるべく登攀続行することとした。

 雪に埋めたピッケルを支点に、なるべくショックがかからないように岩場の基部まで懸垂し、ザックを担いで登り返す。岩部分を難無く登りピッケル支点を回収し、あとはザイルを引きずりながら両手のアックスをしっかりと雪面に突き刺し、慎重にステップを追う。比較的しっかりしたブッシュには迷わずザイルをダブルでかけ、登って上から引き抜くという手法を採った。赤沢岳の時とは異なり、ブッシュの少ない雪壁の中でのこのシステムはザイル回収も問題なく、有効である。やがて断壁終了点にあるというダケカンバらしい、太いカンバが見えてきた。JPまではもう2ピッチもないだろう。最後はそのダケカンバを支点に登り、ザイルを引き抜いて回収すると断壁は足下となっていた。

 取付いて2時間ちょっとで断壁を抜けることが出来た。単独で、なんてカッコいいこと言っているが、所詮は先行のトレースに頼っているわけで、大したことはない。とは言え、計画どおりのルートを予想外の順調なペースで来ているのには、やはりうれしくなってくる。周囲の景観も大迫力モノだ。緊張しつつも、ハイになる登攀である。「慎重に」「もっとゆっくり行けや」と声を出して自分に度々言い聞かせながらも、一方では思わず「ホラア〜イッタレ〜、ドリャ〜」などと口走っている。 JPからは、両側はスパっと切れているが傾斜の落ちた雪稜をザイルを引きずりながら進む。1、2箇所ビバーク適地があるが、5時半まで行動することにして歩を進める 。風が強いので慎重に。コブを回り込むと、突然狭いが水平なリッジ上の青いエスパースと、そのかたわらにしゃがむ赤いヤッケが目に入ってきた。先行パーティーだ。 この先は小ピークがあり、また急な雪稜の登りになっている。時刻も5時を回っている。タイムアップと勝手に決め、こちらもここでツェルトを張ることにした。先行のリーダーらしき人がテントから顔を出し、「お、一人か、スコップ使っていいですよ 」と言ってくれたので、有難く拝借し水平リッジ上に棺桶みたいなスペースを作り、ピッケル、バイル、ストックを使って設営。天井が低く、風にたわむツェルトの中では、座る人間がポールである。  (断壁取付〜2350m付近BP 2時間半)

 行動食をツマミに恒例のビール一気飲みをまず行い、落ち着いたところで鹿島東尾根Pに電話を入れてみる。八方尾根周辺はオリンピックがあったおかげか、J-Phoneでも結構入る。「30パーティー、9時間待ちの大渋滞、第2岩峰基部で早々にビバーク中」とのこと。出たぞでたぞ、クライマー一極集中大渋滞ルート! こっちは先行1パーティーのみでっせ!翌日の五竜での再会を約して、通話を終える。ツエルト内のローソクが度々強風に吹き消される。

3)2350mBP〜五竜山荘
 昨夜は9時頃シュラフに入ったが、夜中の1時には目覚めてしまった。いつものパターンだ。前日も夜行で熟睡したのはせいぜい2時間。今回は冬シュラフなのでヌクヌクだったから、どうやらこのパターンは暑い寒いにはあまり関係ないようだ。風が時折ツエルトを吹き飛ばさんばかりの勢いで吹き抜ける。天井は顔の上20cmくらいになっている。外気温はマイナス5度くらいか。居住空間ゼロの状態のなか起き上がるのも億劫なので、しばしそのまま時の経過を待つ。3時になるのを待ち、目の前のテント布をかきわけ起き上がる。雨具を着こんだ上半身で空間を作り、まずは水を作らないと。

 6時ジャストにパッキング完了。そして大キジをうちギアを付けて登攀再開だ。朝一だし風が強いので慎重に。先行パーティーのテント内は、目覚めたばかりという雰囲気。先行する旨と礼をテントに向かって告げると、「お気を付けて」と返ってきた。ザイルを引いて登り出す。ここもトレースは明瞭だ。朝一番は体が重い。昨日のうちに断壁を抜けたのはやはり正解であった。風はあるが天気は絶好。春山を登ってる〜、という感じ。小ピークを2つばかり越えて雪稜をたどると、間もなく1峰直下のブッシュ壁に突き当たる。最終ピッチだ。30mということなので、ザイルを使うと2ピッチだな。難しくはないが、例によってザックやザイルが引っかかりまくる。朝日を受けて雪も既にベシャベシャ、鏡岩状態。結局やっぱりダブルザイルが回収不能と なったため1ピッチの登り返しを要し、BPから2時間で登攀終了。1峰のピーク左肩に抜ける。空身でピークを踏んで、一人ガッツポーズ。八方尾根上にたくさんの登山者が見える。今は後続となった4人パーティーも行動開始している。剱立山方面が素晴しい。とりあえずは不帰1峰尾根単独完登だ!ハーネスと若干の登攀具以外はザックに収める。(2350mBP〜1峰ピーク 2時間)

 1峰から唐松岳へは大半の雪が飛んだ縦走路をたどる。クサリやハシゴもあり、ルートは明瞭だがなかなか悪い。トレースも消えている。1峰尾根を登った者くらいしかトレースしていないのか。2峰北峰直下なぞ、すごい傾斜の雪壁のトラバースだ。今回一番確保が欲しかったくらいのところ。無雪期はクサリかなんかが出てるんだろうか。ルートを誤ったかな。唐松はなかなか近づいてくれない。3峰C尾根に登攀者がいるのが見下ろせる。あそこも1パーティーのみだな。たっぷり3時間かかって唐松山頂到着、久しく聞いていなかったオバチャン軍団の嬌声が耳にはいる。いきなりの人ごみから逃げるように山頂を素通りして、唐松山荘へ。山頂からは3峰A尾根にも登攀者が見える。オバチャンはそれを見て喚いているのであった。ビールが飲みたい 。(P1ピーク〜唐松山荘 3時間)

 五竜山荘までは2時間半くらいのはずだが、鞍部までの下りとそこからの登り返しを見ていると八方尾根を下りたくなる。社会人2年目24歳のGWに、スキーや幕営装備一式を担いで一人五竜からこちらへの逆コースを歩いたことがあったが、シンドかったという記憶はない。若くて元気だったんだろう。鹿島Pの進捗状況を聞こうと電話を入れるが、出ない。これより唐松から五竜に向かう旨、留守録を残す。それにしてもさすがに人が多い。メットに目出帽、ゴーグルの雑誌から抜け出たような完全武装 クライマーカップルも通りすぎる。大きな荷物で不帰のどっか登ってきたんかな。これからBCを移して五竜に継続ってところか。こっちももうちと元気だったら、これからGIIにでも行くところなんだがね。でもなんか今はちとお疲れ気味。あんまりひねくれていても仕方ないので、この人出もオバチャンの絶叫もGWの山の風物としておこうと強引に納得する。

 半時間ほど休み、最後の水を一口で飲んで正午に立ち上がる。縦走路はいたるところ石がゴロゴロしていそうなので、雪はあっても腐っていると決め付けて、アイゼンも外して行くことにした。ちょっとアイゼンの調子も良くないし。バイルとストック以外は全てザックに収めたので、さらにザックが重く感じられる。せいぜい15、6Kgなんだろうが。鞍部まではなんでもない下りが続きどんどん高度を落としていく。もったいない。五竜方面からテレマークを担いで上がってきた関西ネエチャンが愛想良くまた可愛く挨拶してくれたので、アイゼン付けた彼女の足元を見て、この先五竜方面は雪は多いのん?と聞いてみたところ、「初めてなんで分からないんでスウ、でも雪が出てきたらアイゼンないと怖いシイ」と。初々しくて、こういうのは許す許す。

 そんなこんなのあと5分も下ったところで、何やら先行ペアの女性が苦労している。小さな岩稜をヘツりながら下るようなところだが、クサリもあり前向きで難無く下れそうなところで動けなくなっている。後ろ向きになって、なんとかアイゼンの置ける足場を探っているのだが上体が完全に岩に寄っているので足下の水平な岩のテラスにすら降り立てないのだ。一段下にいる相方の男性が、あそこのスタンス、ここのスタンスと指示しているのだが、女性は動けない。急遽、こちらがアドバイスする羽目に。「ほら、上体を岩から離して、アイゼンの爪全部を岩の面に付けて垂直に立って!」。よく見ると(いや一目瞭然でした)、さっき小屋の前を30分も前に通って行った完全武装クライマー達である。まさかこれで不帰を登ったり、五竜のバリエーション登ったりするんじゃないやろな、一般道でも危なっかしいではないか。いや彼等はクライマーではない、単なる雪山初心者である。それにしてもスゴイ格好で歩くもんである。厳冬の剱八ツ峰縦走かと錯覚しそう、さすがにアンザイレンはしていなかったが。耐暑訓練、アイゼン歩行訓練にボッカ訓練をこの稜線でやってるんですかね。「もう追い付かれちゃいましたね」と野郎が言うので、「気を付けて」とのみ返してとっとと追い抜いた。こういうのは許せん。あんなのが渋滞の元凶になるんやな。あれではきっと日が暮れる。

 最低鞍部周辺はカンバが生えた広い雪原状で、信州側には大きな雪庇が出ているが黒部側にはスキーに良さそうな沢状斜面もある。黒部川まで下れるんだろうか。ここでキャンプ宴会やったらいい なあと思わせるところである。この頃になると雪はグサグサ、トレース上でも所どころ腿までもぐる。完全にジジババツアーリーダーのペースで登り、やっとこさ五竜山荘に到着。ブロックで囲ったテントが7〜8張。沢村Pはまだのようだ。電話を入れるが電波が微妙な位置らしく、プップッいってるのみ。小屋の公衆電話からは「電波の届かない...」だと。キレットのあたりだと携帯は無理でしょうね。ザックの中の残りのビールを一気に飲み、さらに1本8百円也のロング缶を小屋で調達。東西両方の風が強いので、他人様のテントのブロック壁の陰でしばし和む。日は燦々と降り注 いでいる。(唐松山荘〜五竜山荘 2時間半)

終章)五竜山荘CS
 単独の親切なオジサンが防風壁付きテントサイトの一部を分けてくれ、そこにツエルトを張って沢村Pを待つ。早くビールで乾杯したいものだ。2時間遅れて到着した完全武装「ナンチャッテクライマー」カップルは、「もう一つスコップ持って来ればよかったねえ」と言いながらすぐ上に設営している。パンパンの70L程の巨大ザックには何が入っているんだろう。そこにさらにまだもう1本スコップを追加しよって、 一人がスコップ1本か? 設営完了し、こっちに「どちらからですか」と聞くので、「昨日白馬駅を出発し沢筋詰めて不帰1峰尾根を登って、ワンビバークでここまで来た」と言うと、「あ、ぼくらの仲間も八方尾根のBCから昨日取付こうとしたんだけど 、風が強いんで止めたんですよ。下からだと風強くなかったですか?」ときたので、完全に返す言葉を失い黙っていた。そんな仲間は、1週間でも1ヵ月でも雪がなくなるまででも天候待ちしてから登ればよろしい。こんなメンバーばかりなのは一体どこの会なのか知りたかったが、また話が通じなくなるのが面倒で聞くことはしなかった。なにより、昨日そんな先行パーティーがいたら大変なことになっていたろう。つくづくラッキーである。

 そんなこんながあり精神的に消耗(マジ)し、また沢村Pももしかしたら今日中には無理かなと思い、ひとり寂しくジフィーズ作ろうかと考え始めたちょうどその時、今風のサングラスをかけ、こころもち顎を上げた山ヤがテン場の上に現われた。こちらを一瞥しても気付かないようだが、紛れもなく沢村どんであった。「マイド〜ッッ」「オウ」。再会実現である。野口も少し遅れて到着、皆でガッチリ握手。野口は少しお疲れのよう。4人ビバークの話やとんでもないクライマーの話を立ったまま早口におのおのまくしたてた後、「軍資金」を預かって小屋にビールを調達にいく。ついでにテン場の受付も済ませる。受付の際の小屋番の「今日はどちらから来られました 」の問いに、「一人は不帰1峰尾根から、二人は鹿島東尾根から」と答えると、彼の 反応が面白かった。「うまくここでランデブー出来たんですね。でもこの受付簿にはどう書こう、困ったな」「一名唐松より、二名鹿島槍より、山荘にて合流とでも」「そうですね」。

 その夜はさんざ「ナンチャッテクライマー」ばなし。すぐ隣が「 ナンチャッテクライマー」達なので小声で話そうとするのだがお互いヘンな目に遭遇してきたので、すぐに喚くようになってしまう。そして、翌朝は6時になるかならぬうちに下界でのメインイベント、宴会、のため下山の途についたのだった。その前に沢村・野口共に、またも完全武装で五竜山頂往復に出発する「ナンチャッテクライマー」をしっかり確認したのであった。

[番外]
「ナンチャッテクライマー」に関する考察、
若くは「日本の登山は本当に終わってしまったのか?」のintroduction

「ナンチャッテクライマー」とは筆者の造語で、要は一義的には「クライマーのような外見をしているが実はそうではない登山者」の総称であるが、それ以外にも「自身はクライマーだと思っているが内実はそうではない登山者」や「クライマーを目指しているのだが、彼(女)の目指すクライマー像が実はクライマーとは呼べぬ代物」である場合なんかも含まれる。しかし、「(内)実はそうではない」という部分が実は本論であり、後者二例で明らかなようにこれはまさに「登山」に対する個々の登山者の思想/意識に直結する議論となる。

 現在の日本の「登山文化」(そんなもんが存在するかは別として)を語るにはこの場は余りにも不適切なので、このintroductionではその本論部分には踏み込まず、議論は別の機会に譲りたいと思う。「クライマーのような外見」と言っても、ある時は「厳冬期登攀者の格好」であったりまたある時は 「フリークライミングの道具を身に付けたなんとも不可思議な格好」であったりする。使い(使え)もしないカラビナや補助ロープをザックにぶら下げたハイカーは昔からいた。しかし、彼等は外見からして誰が見ても明らかにハイカーでありクライマーではなかったし、自身も自身をクライマーとは思っていなかったろう。現在はハイカーなのかクライマーなのか外見では当然のこと、思想/意識の面でも識別が極めて困難になっているのである。そして、その思想面の識別の作業は、これはもう彼等の育った「クライミング環境」の影響により、我々の想像を超えた困難を伴うのである。

 この場では話の単純化のために、「クライマー」を「GW北アルプスのバリエーションルートを登る人」と定義する。余談だが、もとより筆者は自身を「クライマー」とは呼ばない。(特に自身を呼ぶのに)そのカタカナ言葉自体が単に嫌いであることと、何より筆者は自身を登山者若くは山ヤだと思うからである。(おいおい、「オヤジ山ヤが何か言うとる」で片付けないでくれよ。)そもそも登山を「アルパインクライミング」、「アイスクライミング」、「フリークライミング」、「縦走」、「沢登り」等々のジャンルに分け、それぞれがあたかも独立した分野であり専用の装備/ウエアや技術が必要であるがごとき紹介の仕方をトーシロー対象メディア(某「R&S」 誌)が行う昨今であるので、より話は複雑化する。筆者個人的にはそもそも「アルパインクライミング」ってなんじゃらほいと思っている。「登山」か「登攀」じゃいかんのか。雪や岩や氷や沢や稜線を辿って頂に登る行為は元来「登山」といい、それを細分化しても意味がない。岩がうまい、氷がうまいなど誰でも得意種目はあろうが、何でも登らなければ頂上には行けないし登山ではない。百歩譲って「アルパイン」なるtermを認めたとしても、例えば「フリー」と「縦走」には飽きたから止めて、今度は「アルパイン」をやろう、とは決してならないのである。そして、言うまでもなく「スポーツクライミング」はもとより登山ではない。さらには、自身のことを「超初心者クライマーで〜す」なんて臆面もなく呼ぶ輩がいるが、そんなもんはクライマーではないと知るべきである。(超初心者からの脱却を真剣にめざしているのか?そのためには何が必要であると思い、何を行っているというのか? 10年経っても「超初心者クライマー」のままだろう。)それこそ内も外も「ナンチャッテクライマー」そのもの、典型である。「所詮遊びでしょ、他人に迷惑かけず楽しければいいじゃん、何もそんな難しいこと言わなくても」、これも彼等の言い草であろうことは容易に想像できる。確かに遊びだ、しかし真剣な遊びだ。どこをどう登りたいのか、何故登りたいのか、登るために何が必要か、どんな準備をしたか、リスクは何か、それにどう対処しようとしているのか。これらの問いに納得のいく回答は「ナンチャッテクライマー」からは期待できまい。そして、根拠の薄弱な本人達の楽しみのため現実に他者を危険にさらす、他者に不快感を与える、という大いなる迷惑をふりまきながら登るのが彼等だ。話が一気に終わってしまいそうになってしもたが、さて、「ナンチャッテクライマー」を外見で識別するのは容易である。以下の要件のうち、3つを満たしておればよい:

・装備/ウエアが最新で、モノも良い。(ウエアではThe North Face、Lowe、モンベル、金持ちはPatagoniaあたりが定番。Mountain Hardwear、Moonstoneなんかはあまり知らないようだ。ゴアの雨具って夏山用でしょ? ギアではBlack Diamond なんかが好きなようだが、それがかつてChouinard Equipmentだったなんて知る由もない。Great Pacific Ironworksってどこの鉄工所?何でもいいけど、その装備とウエア、オレにくれ!)
・どこで使うのか色鮮やかなベントゲートカラビナのヌンチャクなんぞを3、4本ハーネスにぶら下げている。加えて教科書通り、エイト環とATC両方を下げていたりもする。(フリーも当然やるのよ、ということで最小限の道具は買ったので持って行く。腐りピンにそんなカラビナが通らないなんて、パーティーの誰も指摘しない、出来ない。持ってる本人がリーダーだったりもする。)
・ピッケルのシャフトが長い。(雪山入門はコレ、というのをとりあえずそのまま持つ。だって入門したてだもん。カジタあたりのモノが多い。)
・ザックが70L以上と巨大。(店やカタログを鵜呑み。積極的軽量化の術なぞ考えたこともない。大きな器が決まってから、それに合わせて持って行くものを集める。湯上がりにはバスタオルもあれば便利でしょ。40Lは1泊2日小屋泊向きだって。)
・必ずヘルメットを持つ。(だってクライマーなんだもーん。何が落ちてくるか分からないようなところを登るんだもん、あたし。自分が落ちておればよろしい。)
・登りも下りも平坦な所でもとにかく行動が遅い。(アイゼントレーニングなんかしたことない。ゲレンデ(死語ってか?)ってアイゼンはいちゃいけないんだもん、怒られるもん、フリーするところだもん。練習てったってどこでやるの。)

 くどいが以上はあくまでも外見による識別法である。(カッコ内は筆者の注釈、または筆者による代弁。)こういう格好で直近の雑誌に紹介された「人気ルート」、「オススメルート」や人によっては人気山域の一般コースに出かけるわけである。彼等の活動山域のレパートリーは限定されている。地元の山と、八ツの西面と中部山岳である、しかも「人気ルート」である。「人気」だから行っておくのである、「オススメ」だというから行くのである。ツアー観光客の「わあ、ガイドブックの写真と同じだあ」となんら変わるところはない。そして、夏の槍穂キレットを通過したことと、夏の槍の頂上に立ったこと、そしてちょっとかじった者で雪の八ツ赤岳かせいぜいその主稜が主な山歴である。(雪の赤岳登頂は入門者の憧れであるが、一度登ると雪山経 験者となれる便利な山らしい。また、主稜が混んでるんでショルダーリッジに変更、ということはしない。先行者が多数いるほどやっぱり人気の主稜、そこを自分も登りたいのだから。)

 今回は敢えて触れないこととした彼等の思想/意識部分に若干踏み込む議論となってしまうが、上述した彼等の外見や、彼等の活動山域は何故に画一化されるのか? 選択の基準がすべからく他者、多くの場合雑誌等のメディアであり、主体性の入る余地がない、いやもともと主体性なぞ持ち合わせていないからである。彼等が自分達は違うと比較の対象としているであろうジジババ登山ツアー参加者と、実は何も変わるところはないのである。百名山狙いのほうがまだ目的意識が明確だ。雑誌で良いと宣伝されたモノを身に付け、「楽しさ120%のオススメルート」に実力もわきまえずに ホイホイ出かけ、自分達と同じ格好をした同じ様な技量の多数の「ナンチャッテクライマー」で渋滞を作り、さらにヘボさ加減が同じ者が他パーティーにもやたら多いもんだから自分がそのルートに不適格であることには最後まで気付かず、迷惑垂れ流しでも(本人達は気付かない)登ってしまうもんだから、次は「ステップアップ、登竜門の人気ルート」を探して、そこにこれまた根拠薄弱なままに出かけて行く、これを繰り返し底辺をさまよい続けるのである。(フリーの岩場でもこれと全く同じ現象が見られる。)筆者などのようなヘンクツ者が、なるべく人の入らない時期、ルートを敢えて選んで出かけて行くのは彼等には理解できないだろうし(ヘンクツたる由縁である)、もとよりそんなヘンなルートは(最近の岳人を除き)雑誌もまともに取り上げないので存在を知る由もないし、仮に知ったとしても人気もなさそうなので行く気もしない。合理的で美しい継続をやろうなどという発想が出る素地があるはずもない 。断わっておくが、筆者などは技術も思想も全くの平均的登山者である、少なくとも20年前の基準では。この20年で装備も技術も進歩したというが、現在の大多数の登山者の技術と思想のレベルは20年前の平均的登山者を超えてはいない、むしろ退化したというべきであろう。
 「ナンチャッテクライマー排除キャンペーン」、これを是非展開したいものである。某「R&S」誌のようなメディアには「ナンチャッテクライマー」の裾野なんて広げてもらわなくていいのである。増えるのは「主体性欠落トーシロー遭難予備軍ファッションクライマー」ばかりである。そんな「ナンチャッテクライマー」なぞいなくても登山は終わらないが、逆に彼等が増えると本当に登山は終わってしまいかねない。  (introduction部了、反論無用)
 ps)「岳人」6月号「岳人交差点」の記事「新潮社『ウィナーズ2000』編集部御中」には、「岳人」versus 「R&S」の代理戦争勃発の匂いを筆者は感じた。要注目。ヤレヤレ〜!