山行報告 (2000年 5月初旬 北ア・鹿島槍ヶ岳東尾根)
鹿島槍ヶ岳東尾根・最上部雪稜
「鹿島槍ヶ岳東尾根・最上部雪稜」
(標高2700m付近)

第二岩峰の登攀を終え、荒沢ノ頭付近の急峻な雪稜を登る。
圧倒的な高度感に伴う緊張感が素晴らしい。



 4月中旬のある朝、僕たちは大谷原でガスにかすむ鹿島槍ヶ岳東尾根を見上げていた。
 ほぼ2ヶ月前、八ヶ岳・阿弥陀南稜から下山してすぐに、僕たちは次の目標をここに定めた。その目標に向けて、僕たちはミーティングを重ね、トレーニングを続けてきた。そして、ふたりの休日を何とか調整して、ここまでやってきたのだ。
 今回、ある程度の天候悪化を予測して、優先順の低い装備を信濃大町駅に残置した。そして最軽装備でここを駆け上がり、本格的な天候悪化の前に冷池冬期小屋に逃げ込むつもりだった。朝、雨が降っていなければ…。
 しかし、無情の雨だった。
 気温は高く、温かな雨が降りしきっていた。高度が上がると気温が下がり、この雨はみぞれに、そしてやがては降雪に変わっていくだろう。それとともに雨に濡れた装備はバリバリに凍りつく。そのなかで、第1岩峰、第2岩峰を登攀し、緊張の続く雪稜・雪壁を越えて、十数時間の行動が続けられるだろうか。そうやって無事に冷池冬期小屋にたどり着いたとしても、翌日には確実な悪天候、おそらくは吹雪が僕たちを待っている。
 問答無用だ。
 僕たちはリベンジを誓って、敗退した。

 その三週間後、5月初旬、僕たちは再びここにやってきた。今回は何が何でも登るつもりだった。ここをやっつけておかなければ、僕たちの冬はいつまでも終わらない。しかも単なるリベンジだけではおもしろくない。特に季節が約一ヶ月ずれただけで、気象条件ははるかに穏やかになり、困難度は低くなってしまっている。それならば、転んでただ起きあがるだけだ。起きあがりついでに、一発お見舞いしておかないと気が済まない。それで鹿島槍ヶ岳東尾根登攀後、八峰キレットを越えて五龍岳まで縦走する計画を追加した。この時期、八峰キレットにはある程度の困難さが期待できる。困難の克服は自信につながる。

 この山行の背景はこういうことだ。
 以下、時間経過をたどりつつ、僕たちの記録を追うことにする。

5/4(木)下部では晴れ、上部ではガス、時折小雪、風強し

05:05 信濃大町駅
 多くの登山者で賑わっているが、そのほとんどは立山黒部アルペンルートを利用するようだ。駅前で車を拾って大谷原に向かう。この方面への入山者は見当たらない。ほっと安心…したのがまちがいだった。何と、大谷原の林道終点付近には何十台もの車が駐車されているではないか。こりゃ、渋滞に巻き込まれてしまうのかな? このうち半数が赤岩尾根、残りの半数が東尾根と天狗尾根で二分されるのだろう、と僕たちは予想したのだが。

05:55 大谷原(標高1100m)
 入山口の情報で、冷池小屋が営業を開始していると知る。例年は6月初旬からの営業なのに。そういうことをするから、小屋泊まりの気安さで登山者がどっと押し寄せるのだ。自分たちの実力のほども知らない連中が。
 大谷原で腕時計の高度計を1100mにセット。林道を詰めて、途中から東尾根に取り付く。三週間前に大谷原でも1m近い残雪があったが、今では木陰のそこここに残る程度だ。それでもやはり今年は残雪が多い。尾根に至る踏み跡に沿って、カタクリの小さな群落が続く。1250m付近から残雪が現れ、それ以後、残雪の上をたどる。小鳥のさえずりが耳に心地よい。

08:15〜08:45 一ノ沢ノ頭(標高2004m)
 二時間ほどで高度差900mを獲得。昨夜の夜行列車でそれほど熟睡できなかったわりには体調はいい。樹林帯の尾根をひたすら登り、高度を稼ぐ。上空に青空が広がるが、後立山主稜線にまとわりついているガスがなかなか晴れない。稜線上は降雪だろうか。観天望気でレンズ雲、吊し雲が観察され、上空の寒気・強風の存在を教えてくれる。
 一ノ沢ノ頭で多数の幕営跡が見られる。残置天幕はここをベースに東尾根を往復するということだろうか。ここで、僕たちも防寒具、アイゼン及びハーネスを装着して、完全装備に身を固める。ここからは荒沢側にストンと切れ落ちた雪稜がはじまる。

09:20 二ノ沢ノ頭(標高2177m)
 快適な雪稜の登高が続くが、空模様はすぐれない。高度が高くなるにつれて風が強まる。主稜線にまとわりついていたガスはやや晴れてはきたものの、爺ヶ岳頂上付近はまだガスのなか、東尾根上部もまたガスに隠されている。標高2400m前後から上はガスのなかのようだ。核心部はガスのなかで確認できない。右側から荒沢尾根が荒々しく突き上げてきている。はるか下方、西俣出合付近に二、三張りの天幕が見える。反対側に見える天狗尾根上にも天幕がある。一ノ沢ノ頭で二人パーティと行き会った以外、誰も見かけない。うまくいけば、渋滞に巻き込まれなくてすみそうだと期待する。しかし、東尾根がガスに隠れるあたりを、十人近いパーティが登っているようだ。動きが遅く、このままでは第二岩峰のあたりで僕たちが追いついてしまいそうだ。若干の順番待ちが生じてしまうのかなあ。

10:30 第一岩峰基部(標高2450m付近)
 第一岩峰手前の急な雪壁を登り切ると、眼前にさらに急な雪壁が現れた。どうやらここが第一岩峰のようだ。残雪が多いため、第一岩峰は雪壁になってしまっている。しかし雪壁の方がかえって登りやすい。さきほどの大人数パーティに、第二岩峰どころか早くも第一岩峰基部で追いついてしまった。このパーティはここでザイルをフィックスして登っているようだが、初心者が混ざっているのだろうか、スピードが遅い。小休止を取ってしばらく待っていたが、ラストがザイル回収をはじめたのを機に、僕たちはアイスバイルも使い、ダブルアックスで登りはじめた。途中でラストを抜き確保者を抜くと、やがて僕たちは深いガスに包まれた雪稜に出た。この急な雪稜を黙々と詰めていると、左上方から人声がする。声の内容から判断すると、第二岩峰の登攀で手こずっているパーティがいるようだ。時折、女性の悲鳴とそれに伴うどよめきが聞こえたのでたまげた。おいおい、いったい何が起きているんだ?

11:20 第二岩峰基部(標高2650m付近)
 第二岩峰は深いガスに閉ざされて視認できない。しかし、何と…! 僕たちは絶句した。第二岩峰手前には大渋滞ができているではないか。確かに大谷原の駐車状況から考えても予想しえないことではなかった。しかし、その多くは夜明けとともに東尾根を登りはじめたか、あるいは一ノ沢ノ頭の幕営地から登りはじめたか、そのどちらかのはずだ。少なくとも僕たちよりは、二、三時間先行していてもおかしくはない。僕たちもある程度の順番待ちは覚悟していたが、そのピークを過ぎた頃になるはずだと予想していたのだ。深く閉ざされたガスのなか、日照はない。風が強まり、時折、小雪が舞う。そんななかで、僕たちは馬鹿げた待ち時間を過ごすことになるのだった。

16:00 相変わらず、第二岩峰基部(標高2650m付近)
 5時間近く待ち続けるが、まだまだ僕たちは第二岩峰に取り付くことができない。僕たちの前にはまだ何パーティも待っている。何故、このような大渋滞が起きてしまったのか、僕たちには小一時間もすればわかった。多くのパーティが、この東尾根を、特にこの第二岩峰を登攀するだけの実力を備えていないのだ。
 この第二岩峰は、30mほどの高度差があるが核心部はわずか2〜3mほどだ。チムニーにチョックストーンがかかり、わずかにオーバーハング気味となっている。確かに左側の一枚岩はスタンスが細かい。しかし、残置シュリンゲも豊富にあり、グレードで言えば、V級プラス、A0レベルだ。そんなに難しいレベルではない。でも、ここ、鹿島槍ヶ岳東尾根を登ろうとする多くの連中は、不思議なことにここを越える実力を持ち合わせていないのだ。
 下界で十分なアイトレ(アイゼントレーニング)を行い、実際にアイゼンで岩を登ったことがあるのか。あるいはそのアイトレも本チャンと同じぐらいの荷重を背負ってやっているのか。いったい彼らはどんなトレーニングをやっているのだろう。
 情けなかった。きっと彼らにとっては本チャンがトレーニングなのだ。ゲレンデという言葉はもはや死語なのだ、きっと。
 そういう連中に限って、腰回りには使いもしないヌンチャクをいくつもぶら下げ、スノーバーを何本も背負い、ブランドもので身を固めて見るからに立派なクライマーの格好をしている。彼らにとって山とはファッション披露の場なのか?
「おい、NG、こりゃあかんわ」
「こいつら、夜までかかりそうですねえ」
「もうここでビバークや。早いとこ、テントを設営してまおうや」
「賛成、賛成! 酒でも飲みながら見物しましょか」
 僕たちは雪稜を平たく削り取り、手際よく1mx2mほどの平地を作った。ここが今宵の安眠場所。今晩は、両側がすっぱりと切れ落ちたこの雪稜でビバークだ。
 夕方、単独行で不帰1峰尾根に入山中の西やんと携帯電話で連絡を取る。西やんは核心部の「断壁」を抜けた、とのこと。すごいなあ、さすがだ、西やんは。こちらの混雑状況を伝えつつ、明日、うまくすれば、五龍岳のテン場で会おう、と話し合う。
 この頃から、爺ヶ岳付近の稜線が晴れはじめる。素晴らしい展望とともに、第二岩峰での夕暮れを迎える。

20:00 第二岩峰基部でビバーク(標高2650m付近)
 あたりはもう真っ暗だ。それでも第二岩峰ではまだ声がする。核心部を登れず、悲鳴を上げている女の声がする。僕たちはあきれてしまって言葉もない。僕たちの直前を登っていた十人ほどのパーティだ。僕たちが早々とビバークを決めてしまわずに、まだ登ろうとしていたなら、まだ彼らの後で待っていなければならなかっただろう。だとしたら、9時間待ち? 勘弁してくれよ、ほんと。
 僕たちのように早めの判断を決めたパーティもいくつかあった。第一岩峰基部まで下ってビバークをしようとしたパーティ、あるいはこのばかばかしい大渋滞を冷笑してきっぱりと下山を決めて引き返した単独行者などだ。
 でも、僕たちの後にはもう一組がいた。60歳前後の男女二人連れだ。彼らは西俣出合にベースキャンプを置き、一日で鹿島槍ヶ岳を往復して、ベースに帰る予定だった。しかし、この馬鹿げた大渋滞のせいで、ベースに戻るのをあきらめて、冷池小屋に逃げ込むことに計画を変更していた。話をしてみると、男性の方は昭和三十年代初めにここを冬期登攀したこともあるベテランだった。彼らの唯一、かつ最大のミスはツエルトなどのビバーク装備を携行していないことだった。そのミスを招いた要因のひとつは「これほど下手くそなクライマーが東尾根を登るはずがない」という、ごく当然の根拠だった。彼らの実力、この天候なら計画遂行できただろう。
 ビバーク装備をもっていない彼らとしては、何としても冷池小屋にたどりつかなければならなかった。さもなければ、三千m近い稜線上で何の装備もなくビバークしなければならない。下手をすると、それは死に直結しかねない。
 僕たちは彼らに熱いスープや紅茶を差し入れし、精神的に支援を続けた。しかし、直前の初心者団体が三時間近くも悲鳴を上げながらモタモタともたついているのだ。このまま彼らを行かせてしまえば、運が良くとも冷池小屋到着は夜半前になってしまう。視界が悪く、もしかしたら吹雪いているかもしれない雪稜だ。最悪、遭難だ。
 澤村どんは決断する。
「おーい、もう下りてくださーい。われわれの天幕で一緒にビバークしましょう!」
 この一声で、たぶん彼らは救われたのだと思う。特に女性の方は気丈な発言を続けていたが、精神的にも限界に近かったのではないか。澤村どんは彼らの撤退を支援するために装備を身につけて外に出る。僕は彼らに温かい食べ物を用意する。最後に澤村どんはそれまで抑えに抑えていた怒りを夜の闇に向かって放つ。まだもたもたと登り続けていた彼らに。
「馬鹿やろう! おまえら、もっと練習してから登りにこい! 人を殺す気か!」
 他人に迷惑を及ぼすだけではない。彼らは自分たちのパーティすら危険にさらしている。今日は天候が安定していたから運がよかったのだ。もしも天候が急変し、これが激しい吹雪のなかの夜間登攀だったら? 彼らのなかにいる初心者は(もしかしたら全員が初心者かもしれないね、笑)その厳しい条件のなかで精神的、肉体的緊張感を維持しつつ行動が続けられるのか? 滑落、疲労凍死など、そこで重大な遭難が起きてもおかしくはないのだ。
 僕たちは二人用天幕に四人を押し込めたビバークとなった。当然、膝を抱えて座っているだけのスペースしかない。ビバーク用装備を持ち合わせていない彼らにシュラフを与え、僕たちはシュラフカバーだけだ。身体を伸ばすことができず、腰、頸、肩と苦痛がつのる。寒さと苦痛の伴う長い夜がはじまった。

5/5(金)快晴、風強し

03:30 第二岩峰基部、起床(標高2650m付近)
 うとうとと微睡みながらふと気が付いてはそのたびに腕時計とにらめっこだ。朝がこれほど待ち遠しいとは。睡眠不足よりも一刻も早くこの肉体的苦痛から解放されたい。そんな思いだった。
 三時半に起床。本当はもっと前から目覚めてはいた。実質的には二時間ほど微睡んだだけだろうか。それでも全員が元気に朝を迎えられたのが嬉しい。誰からともなく、ほっとした笑顔が交わされる。
 天幕からひょこっと顔を出すと、満天の星空だ。やったぜ、今日は快晴だ。昨夜の寒さもビバークのつらさもすべてが一瞬のうちに吹き飛び、快晴の雪稜を山頂に向かう楽しみが僕たちを勇気づける。昨日、第二岩峰を順調に抜けていれば、本当は八峰キレットまで行く予定だった。そうすれば今日は五龍岳まで楽勝だっただろう。でも、ここ第二岩峰から五龍岳までは核心部ばかりが連続する長い行程だ。のんびりはできない。
 手早く水を作り、簡単な朝食の用意をする。しかし、二人用天幕での四人ビバークでは、水作りも食事の用意もかなり手間取り、出発は少し遅くなってしまった。

06:00 第二岩峰、登攀開始
 すっかり陽が高くなった。ひとときの安息を与えてくれた天幕を撤収する。ナイフリッジに作ったテントサイトは高度感にあふれ心地よい。登攀装備に身を包み、僕の確保で澤村どんが第二岩峰にザイルを伸ばす。核心部もなんのその、十分ちょっとで岩峰上に抜け、確保姿勢に入る。ビレイを解除、今度は僕が第二岩峰に取り付く。核心部は確かにハング気味、スタンスも細かいけれど何の問題もない。トップが残したランニング・ビレイを回収しながら登攀終了。僕たちふたりの登攀時間は、合わせて二十分ほど。第二岩峰上に抜けると、なめらかな雪稜がはるか天空に連なる。こんな美しい雪稜も久しぶりだ。僕たちは一歩一歩、天空への階段を登り詰める。素晴らしい高度感だ。
 途中、昨日遅くに第二岩峰を登攀したパーティがビバークしている。例の初心者団体も荒沢ノ頭手前でビバークしていた。僕たちと知ってか知らずか、彼らは挨拶をしてきたが、僕たちは言葉を返す気持ちもなく無視して通り過ぎる。

07:15 鹿島槍ヶ岳北峰(標高2842m)
 両側にすっぱりと切れ落ちたナイフリッジをたどって、鹿島槍ヶ岳北峰に立つ。やったぜ、ついに東尾根を登ったぞ。強風が吹き荒れる山頂をすぐあとにして、僕たちは南峰とのコルに降り立つ。東尾根を登り切ったとはいえ、まだまだ核心部は続き、先は長い。気は許せない。小休止の後、北峰を回り込むトラバースを開始。なかなかの緊張感が心地よい。これが雪山の醍醐味か。前方の岩峰上に数名のパーティが見える。どうやらザイルをフィックスして下降しているようだ。あそこが核心部の八峰キレットだろう。澤村どんが彼らの下降点を観察し、ほかにルートがあるはずだと判断。その岩峰を手前から回り込むと、果たして、残雪に隠された夏ルートを発見。そう、ルートはこちらが正解だ。さすが、澤村どん! ただ、キレットのコルに至るまでに、ちょっとヤバイ雪面のトラバースが必要だ。
「野口、おまえ、トップで行ってみろ」と澤村どん。さんくす、澤村どん。行けと言われたら、行きまっせ。本チャンで初めてのトップだ。やっぱりトップはスリルだなあ、とか思いながらトラバースをはじめるが、雪質が悪い。ステップが崩れて落ちてしまいそうだ。どこかでランニング・ビレイを取らなきゃヤバイなあ。そりゃ、落ちても澤村どんが止めてくれるだろうけど、落下距離が長くなっちまう。あたりを見回すと、左上方に夏ルートの鎖が露出。やや左上気味にトラバースをしてビレイを取り、ほっと一息。そのあともフロントツァッケを効かせつつ慎重にトラバースを続けて小さなテラスで、一旦ピッチを切る。もう1ピッチは澤村どんがトップ。こうして、僕たちよりもはるかに先行していたパーティとほぼ同時に、キレットに降り立った。

09:50 キレット小屋(標高2440m)
 キレットからの登攀ルートが読みにくい。正面の岩壁はややハング気味。ここにはルートは取れない。岩壁に沿って東側に大きな雪庇が出ており、おそらく夏ルートはその下に隠れているはず。澤村どんは岩壁と雪庇の境界線にルートを取る。実は先行パーティは僕たちを見るなり「お先にどうぞ」と言っていた。ルート取りがわからなかったんだろう。僕の確保で澤村どんが取り付くが、上部で雪壁がハング気味となり右へ右へと逃げざるをえない。そこは完全に雪庇なのか、どうなのか。
「おい、野口、ちょいヤバイから、頼むぞ」と澤村どんから声が飛ぶ。陽が昇って雪が腐りはじめてきた。あの雪壁ではビレイを取れないから、もしも落ちたら落下距離は長くなる。僕は澤村どんの動きをみながらザイルを繰り、落下に備える。
 やがて澤村どんが雪壁の上に消え、しばらく後に「ビレイ解除!」の声が飛ぶ。よっしゃ、うまく登ったんやな。
「行くぞ!」「よし、こい!」と声を交わし、セカンドの僕が登りはじめる。
 お? その途端、僕の右足は空を踏む。雪庇を踏み抜いた! 澤村どんのトレース通りに登りはじめたのだが、そこはやはりやばい雪庇の上だった。幸いホールドがしっかりしていたので、転落は免れる。まあ、落ちても澤村どんが止めてくれただろうけど。
 ここを抜けると、穏やかな雪稜となる。前方には大きく五龍岳がそびえる。う〜ん、はるかに遠いぞ。今日はあれを越えなければいけないのだ。やがて急な岩混じりの雪稜を下り、ひっそりと冬期閉鎖されたキレット小屋に着く。

13:40 北尾根ノ頭
 キレット小屋以降、僕は意識朦朧状態となり、記憶が定かでない。とにかくバテた。緊張感の必要な核心部を抜けたせいもあるかもしれない。それでも黒部側の急な雪壁が続き、とにかく延々とトラバースを繰り返した。バテてはいても最初こそ緊張したが、次第に感覚が麻痺。どんな急斜面だろうと、確実にピッケルとアイゼンを効かせるだけ。最後は不感症となった。意外に小ピークの登下降が多く、バテた身体から体力が搾り取られる。
 澤村どんは僕のバテ方を見て「こりゃ、五龍岳までは無理かな」と思ったそうだが、僕は必ず西やんが五龍岳まで来ているはずだと思っていたので、這ってでも行くつもりだった。それでも五歩進んでは息が切れ、十歩進んでは立ち止まるという亀の歩みだ。途中、「あかん、ちょっと休む」と言って僕はザックを放り出し、水とカロリーを大量補給する。すると出力10%程度まで落ち込んでいたパワーが60%程度まで回復、睡眠不足が原因かと疑っていたが、ようやく、所謂「シャリバテ(カロリー不足によるバテ)」だとわかる。それでも行動食で7〜800カロリーは摂ったはずなんだが。大食らいの僕には少なすぎたか?(笑)

16:50 五龍岳頂上
 GX峰(ジー・ファイブ、五龍岳第五峰の意味)、そして、五龍岳本峰への急登をあえぎながら登る。途中で、僕たちを抜いていったパーティがビバークの準備をしていた。どうやら、やはりひとりが激しくバテたようだ。彼らは、僕たちが五龍岳までの予定だと聞いて「五龍岳? すぐじゃないの? 自分らは唐松岳まで行くつもりなんだけどね」とのたもうていた。
 ワシも確かにバテたけどな、五龍岳までは這ってでもたどりつくで? 心のなかでつぶやきながら、僕は彼らのそばをのろのろと通り過ぎた。彼らも口ほどにもなかった身の程を思い知ってか、僕たちから眼をそらし挨拶もない。
 最後の雪壁を登り切ると、100mほど先に五龍岳頂上が見えた。太陽はもう西に大きく傾かけている。でも、とうとうここまでやってきたぞ! そして僕たちは五龍岳山頂に立つ。振り返れば、はるか鹿島槍ヶ岳の双耳峰(北峰・南峰)が見える。
 半年前、新雪のラッセルで、僕はひとり、ここに立った。あの頃は相棒もなく、山に登り続けている仲間がいることも知らず、ひとりで登り続けていた。あのときの僕に今の僕が想像できただろうか? 今は澤村どんがいる。西やんもいる。
 ちょっと不思議な気がした。

17:30 五龍岳テン場
 バテた僕は相変わらず、のろのろと下り続けたが、澤村どんは一足早くテン場に行き、西やんを探す。はるか遠くで澤村どんが天幕を巡っているのがわかる。やがて彼が誰かと話しているのが見える。澤村どんがピッケルで僕の方を指す。もうひとりが僕に向かって手を挙げる。ああ、西やんだ、やっぱり来ていた! 僕もピッケルを振り上げて応える。
 やがて僕はたどりつき、西やんとがっちりと握手。
 西やんは僕の4年先輩。学部の先輩のみならず、中学・高校の先輩でもある。だから昔から頭が上がらなかった(笑)。で、彼はサボリーマン生活に早々と見切りをつけて(羨望…)、山岳ガイドなどをやりながら山を続けている。利尻遭難以来、十年ぶりの再会だ。しかし、西やん、昔とちっとも変わっていないなあ。
 その夜、天幕で酒を飲みながら語る。話題は当然、山のことばかり。充実した濃い時間だった。

5/6(土)高曇り

06:00 下山開始
 今日は遠見尾根を下るだけ。下ったその先は当然、宴会だ!
 残雪豊かな遠見尾根を僕たちは一目散に下ってゆく。その先にあるはずのビールをめざして。高度が下がるにつれて気温が上がって水が欲しくなるがひたすら我慢、我慢。だって僕たちの身体はもうビール・モードなんだもの。
 そして、9時過ぎにはJR神城駅前で仕入れたビールを三人で浴びていた。
 12時前には松本で馴染みの「しづか」に開店時間前に押し入り、再び大量のビールを飲み続けたのだった。
 僕たちはずっと山を語り続けた。

 (以上、鹿島槍東尾根登攀〜五龍岳縦走記録)

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 はっきり言って、学生時代の僕はこんな山行とは無縁だった。澤村どんとパーティを組んだこともなかったし、西やんと山を語ったこともなかった(やれやれ)。冬山とは言っても、南ア方面の縦走主体の山ばかりを登っていたからだ。どこかで無意識のうちに自分に枠をはめていた。自分はこれでいいんだ、と。
 でも、今は少しちがう。
 もっともっと、僕は「何か」をできるのではないのか、「何か」をすべきではないのか、と。

 僕自身も長く山からは離れていた。再び、山に向かいはじめたのはここ数年、それも子連れ山行から。そして、特に冬山を再開したのはここ3年ほどのことだ。
 すべて単独行だった、昨年末までは。
 ひとりで冬山に登り、滑落し敗退しながら、自分の方向を、ステップアップを模索していた。でも、ひとりで登り続ける限り、僕はある限界をどうしても超えることができなかった。

 年が明けて澤村どんと出会ったとき、僕は「ステップアップをしたい」と率直に澤村どんに話した。それが2月初旬、八ヶ岳阿弥陀南稜登攀へと結びついた。澤村どんにすれば、冬山再開への妥協できるぎりぎり最低レベル、でも僕にすればステップアップ(技術と経験の差がもろわかりだなあ、苦笑)。そして、もっと「何か」があるはずだと思って、この鹿島槍東尾根を計画した。澤村どんというパートナーに恵まれたことが大きい。
 でも、それ以外にもいろんな理由があると思う。
 遅まきながらこの歳(今年38歳…)になって、何かが吹っ切れたのかもしれない。あるいは長期の休みが取りにくいから、短期間での充実を得るために登攀要素を求めたのかもしれない。
 でも、そもそものきっかけは、そう、利尻だ。

 あれからちょうど十年が経つ。
 でも僕は利尻を忘れない。
 性格的なものなのかどうかはわからない。きっと何かを引きずりやすい性格なのだろう。僕はいつも過去の何かを、多くのことがらを引きずりながら生きている。そして僕はやはりいつもどこかで利尻を引きずっている。
 穏やかすぎる日常とは何か、緊張感に責められる非日常とは何か。
 そんな思いとともに、たぶん僕は登り続けているんだと思う。僕なりの山(…って、そんな格好いいもんじゃないんだけど)をずっと求めながら。

 最後に。
 えっと、ちと照れ臭いけど、僕に刺激を与えてくれた澤村どんと西やんに感謝!
 さんくす、また一緒に登ろう!(ん? 登って下さい、だなあ…)

 (以上、鹿島槍東尾根山行を終えて、所感)