山行報告(2000年 2月初旬 八ヶ岳・阿弥陀南稜)
晴れゆく八ヶ岳連峰・横岳
晴れゆく八ヶ岳連峰・横岳
左端の鋭い岩峰が大同心、その右に小同心と小同心ルンゼが見える



 今、僕はあの山行について、どこからどう描こうかと考えている。
 週末、穏やかな陽の射す京都。下山して一週間がたった。
 今でも僕はあの山行を鮮明に思い出す。
 八ヶ岳連峰、阿弥陀南稜。
 僕の手足の指先にはまだしびれが残っている。
 マイナス15度の風雪のなかで、凍りつき感覚を失った指先。
 このしびれはあと1ヶ月もすれば消えていくだろう。
 でも、このしびれとともに焼き付けられた記憶は残る。
 ぎっちりと圧縮された、すごく濃密な、あの時間。
 そう、あれは…。

     *     *     *     *     *

 「おい、ザイルなしで行くぞ」
 「え、何?」
 「ザイルなしだ」
 「了解」
 激しい風雪が深くかぶったオーバーヤッケの風防にたたきつけられて、はぜるような音をたてる。
 先輩Sの声が聴き取りにくい。
 視界はほとんどない。
 僕たちは今、阿弥陀南稜核心部、P3の基部にいる。
 視界が悪く、先ほどまでは自分たちの現在位置さえはっきりとはわからなかった。
 しかし、眼前にフェース(岩壁)が立ちふさがり、僕たちはそれがP3だろうと考えた。
 フェースの基部を左へトラバースすると、ルート図通り、狭い急峻なルンゼが姿を現した。
 時刻は13:45。
 なんとか、夕方までには阿弥陀岳頂上に抜けられそうだ。
 昨夜からの降雪で、阿弥陀南稜は深い積雪におおわれていた
 立場山を過ぎてから、積雪は急に深くなった。
 膝から太股までの深いラッセルに阻まれ、ペースはがっくりと落ちた。
 この様子だと、P3ルンゼは新雪が不安定に積もっているんではないか。
 僕たちはそんな不安を抱えていた。
 しかし、見たところ、ルンゼには新雪はほとんどなく、締まった雪面がガスのなかに突き上げていた。
 急傾斜のせいで、積雪が流れ落ちてしまうのだろうか。
 とにかくこれならばザイルは不要だ。
 ザイルを使えば、僕たちはそれだけ貴重な時間と体温を失ってしまう。
 今回の山行の考え方は「スピーディ」であること。
 そのために僕たちは徹底的な装備の軽量化を図ったのだ。
 ある程度の犠牲を払ってまで。
 しかし、そのルンゼにはすでにフィックス・ロープが張られていた。
 僕たちは舌打ちする。
 こんなことをして、ルートのグレードを下げるヤツがいるのが何とも情けない。
 最近ではあちこちのバリエーションルートがフィックス・ロープだらけだともいう。
 どんなに急峻なルンゼであろうと、両足のアイゼンのツァッケ(前爪)とピッケルをしっかり効かせるだけ。
 その三点のどれかが外れてバランスを失えば、ルンゼの彼方にサヨウナラ。
 ごめんだね、そんなのは。

     *     *     *     *     *

 あのとき、僕は何を思い、何を考えて登っていたのだろう。
 しびれかけた指先の冷たさか? ちくちくと細かな針を突き立てるような寒さか?
 朝からまったく補給できていない水分と熱源への渇きと飢えか?
 ちがう、そんな苦しみを考えていたわけじゃない。
 そう、僕は微笑んでさえいた。この、濃密な時間に、そして「生きている」という実感に。
 僕はそれを全身で感じ、それが嬉しかった。
 冬山から離れて十年、そして冬山に復帰して二年。
 久々にひりひりするような緊張感を味わい、僕は嬉しかったのだ。
 これはもう禁断の麻薬…。味わったことのある者にしかわからない快感…。

     *     *     *     *     *

 苦しい登攀だった
 数歩登っては息をつき、数歩登っては喘いだ。
 朝からのラッセルと熱源不足が、僕をほとんどバテさせていた。
 しかし、どんなにバテていようとも、その一歩はおろそかにできない。
 不用意な一歩はいつでも僕たちの命をすくい取る。
 ルンゼを五十mほど直上すると、傾斜は緩くなり、逆に積雪は深くなった。
 登りのラッセルだ。ときには胸近くまで積雪に没して、僕たちは喘いだ。
 積雪を掘るように進み、僕たちはP3上にせり上がった。
 これでこいつにはけりをつけたぞ。僕は喘ぎながらそう思った。
 P3の登攀のあとにも、まだP4が僕たちを待ちかまえていた。
 P4基部のトラバースも、積雪が不安定で悪かった。
 左へ下り気味にトラバースしたあと、小さな凹角を直上した。
 この頃から、ようやくガスが晴れはじめた。
 「おい、ガスが晴れはじめたぞ」と相棒
 「ああ、ようやくだなあ」と僕。
 時折のぞく青空と、弱々しい冬の陽射しが暖かかった。
 雪稜に移ろう淡い陽射しのなか、僕たちはP4の岩峰を超え、阿弥陀岳(2805m)頂上に立った。
 15:45過ぎ。
 ガスがみるみるうちに晴れていく。
 八ヶ岳主稜線が姿を現し、やがて三六〇度の展望が広がる。
 もともと気象図から判断して、夕方から晴れるという確信の下に、僕たちは風雪に突っ込んだ。
 しかし、晴れてくれるまでが長かったなあ。
 それまでに、僕の手足の指は凍傷になりかけちゃったよ。
 眼前に大きく主峰・赤岳(2899m)がそびえる
 明日は、あの頂上だ。
 僕たちは腰までの積雪に埋もれながら、阿弥陀岳を下りはじめる。
 僕たちの前にトレースはない。
 膝までのラッセルで僕たちが最初のトレースをしるす。
 この快感
 中岳の手前、標高2650m付近の雪稜でビバークを決定。
 雪稜を削り、踏み固めて、1mx2m程度の整地をする。
 ここに天幕を張れば、そこが僕たちの寝場所だ。
 傾きかけた陽射しのなかで、まわりの大気がきらきらと光る。
 ああ、これがダイヤモンド・ダストなのか?
 冷え込みによって、大気中の水蒸気が凍りつき、氷粒となってきらきら光る現象だ。
 ある一定の条件下でないと見られないともいう。
 冬の太陽ははやくも阿弥陀岳に隠れ、気温がぐんぐんと下がりはじめた。
 赤岳が夕日の残照に真っ赤に染まる。
 遠くには、どこの街の灯なのだろうか、明るい街明かりが連なっていた。
 あそこには暖かい生活があるのに、僕たちはこんな凍てついた雪稜で夜を明かす。
 なんだかとても不思議な気持ちがした。

 夜半過ぎからの冷え込みは厳しかった。
 僕は足指を動かし続ける。凍りついた指先に血行を取り戻すためだ。
 いつものようにうとうとと微睡んでは眼を覚まし、一時間毎に時計を見ながら朝を迎えた。
 午前四時過ぎ、寒さに耐えかねて起床、シュラフ(寝袋)も天幕もばりばりに凍りついている。
 天幕内の気温はマイナス十五度。
 シュラフをたたみ、コンロに火をつける。
 ゴォーという頼もしい音とともに青い炎が天幕内をうっすらと照らし出す。
 その淡い光のなかで吐く息がそのまま氷になってきらきらと輝く。
 簡単な食事を終え、コンロの火を消す。再び寒さが染み渡る。
 天幕の入り口のファスナーを開け、ひょこっと顔を突き出す。
 「ああ、晴れてるぞ。満天の星空だ」
 街明かりがきらきらと美しい。
 でも、それよりも漆黒の夜空に瞬く、無数の星々の仄かな明かりの方がもっと美しい。
 おそらく八ヶ岳主稜線上でビバークしているのは僕たちだけだ。
 僕たちだけが、この満天の星空の下で、夜明けの雪稜を独占しているのだ。
 心身に気合いを入れて、マイナス二十度の大気のなかに飛び出す。
 東の空では薄明がはじまる。
 午前六時過ぎ、ヘッドライトを点灯して出発。
 昨日の後半、バテかけた僕はP3以降、ラッセルをほとんど相棒に頼った。
 だから今日は僕がトップで行く。
 中岳を超えると積雪は強風で飛び、雪混じりの岩稜となった。
 主峰赤岳までは標高差250m弱の登高だ。
 夜明けの空が紅く染まり、山々も紅く染まる。
 後方には昨日、風雪のなかを登った阿弥陀南稜の険しい雪稜が見えている。
 その彼方には、中央アルプス、御岳、乗鞍岳、そして北アルプスの山々が一望の下だ。
 苦しくも快適な登高を続け、七時半、赤岳頂上(2899m)に立つ。
 快晴、無風。昨日の風雪が嘘のようだ。

 僕たちは三六〇度の展望のなか、黙って佇んでいた。
 歩く過程、登る過程が、僕たちは大好きだ。
 でも登ってしまった頂上には、あまり興味は湧かない。
 「そろそろ行くか」と相棒。
 「ああ、降りちゃおう」と僕。
 「下り、気を引き締めてな」
 「了解」
 僕たちは赤岳頂上をあとに下りはじめる
 それぞれにいろんな思いを胸に秘めながら。
 先輩Sにとっては、今回の山行が七年ぶりの冬山になるという。
 冬山復帰第一弾だ。この日のために彼は走り続け、鍛え続けてきた。
 僕の七歳上、四十代半ばの年齢で。
 僕にとっては、今回の山行が初めての、雪岩混じりのバリエーションルート。
 それまで縦走中心に登り続けてきた僕にとっては、限界を超える小さな一歩だった。
 しかも、僕には相棒がなく、ずっと単独行を続けざるをえなかった。
 そんな単独行のなかで、僕は自分の限界を見せつけられ、挑戦と敗退を繰り返してきた。
 限界とは人が心のなかで作り出すもの。でも、超えるために存在するもの。
 僕もこの山行のために、この一年間、自分の限界を一歩一歩超え続けてきたつもりだ。
 そして、何よりも、再び冬山をともに登れる相棒を得たことが嬉しい。
 ほっとした安堵感とともに、一抹の寂しさを感じながら、僕は下りはじめた。
 その瞬間には、喜びと寂しさが入り交じる。
 目標を達成した喜びと、目標を失った寂しさと。
 ここ一ヶ月間、この阿弥陀南稜だけを支えにして、日常生活の希薄な時間を耐えてきた。
 この圧倒的に濃密な時間を経験してしまうと、日常の希薄な時間がむなしい。
 でも僕はそれをもう知ってしまった。
 一度知ってしまうと、知る前の自分に戻ることはできない。
 その時間が濃ければ濃いほど、下山後の苦しみも大きくなっちまう。
 きっと、下山したその日には山の本を引きずり出して、次なる山行を思い描くのだろう。
 そしてあの緊張感を懐かしく思い出してしまうのだろう。
 辛かろうが苦しかろうが、僕はもうそんな道を歩みはじめてしまったのだから。

     *     *     *     *     *

 ふぅ〜、ようやく阿弥陀南稜の記録速報を書き終えた。
 この一週間、ため込んだものを僕はこうして今、全部吐き出した。
 まだ手足の指先にはしびれが残っている。
 このしびれには僕はいとおしさすら感じてしまう。
 濃密な時間の置きみやげだ。
 それがやがては治っていくことに、僕はきっと寂しさすら感じることだろうと思う。



 (記録)
 〜第1日〜
 茅野駅(6:30)=舟山十字路(7:15)−取り付き(8:00)−稜線上(8:30)
 −立場山(9:45)−P3基部(13:45)−阿弥陀岳(15:30)−ビバーク地点(16:15)
 〜第2日〜
 ビバーク地点(6:00)−赤岳(7:30)−地蔵尾根分岐(8:00)−行者小屋(8:30)
 −美濃戸山荘(10:00)−美濃戸口(11:30)=茅野駅(12:30)