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『キングダム』は、原泰久による日本の漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2006年9号より連載中。
第17回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞作品である。単行本販売部数(発行部数と電子版の売上部数を足した物)は58巻発売時点で累計6,600万部を突破している。2008年に集英社運営の『VOMIC』にて全8回のラジオドラマが放送された。2010年11月にはコナミデジタルエンタテインメントからPlayStation Portable用ゲームが発売された。
2011年11月にテレビアニメ化が発表され、2012年6月から2013年2月にかけて第1シリーズが、2013年6月から2014年3月にかけて第2シリーズが放送された。2020年4月より第3シリーズが放送中。
2018年4月の第50巻達成を記念して実写映画化が発表され、2019年4月に劇場公開された。2020年5月29日には映画続編の制作が発表された。
== あらすじ ==
紀元前3世紀の古代中国の春秋戦国時代末期を舞台にして、後の始皇帝となる秦王政と、秦の武人である主人公・信の活躍を中心に描かれている中国時代劇である。信は後の秦の大将軍・李信であることがあらかじめ明かされている。
=== 1 - 24巻 ===
■嬴政との邂逅 - 王弟反乱編(1巻 - 5巻)
●時代は紀元前。500年の争乱が続く春秋戦国時代、中国最西の大国「秦」に「信(しん)」と「漂(ひょう)」という名の二人の戦災孤児がいた。二人は、下僕の身分ながら、「天下の大将軍」を夢見て日々修行に明け暮れていた。
●やがて、秦国大臣・昌文君に見出され仕官した漂は、ある夜、深手を負った状態で戻って来る。息絶えた漂から託された紙に書いてあった場所に辿り着いた信は、そこで漂と瓜二つの少年を目の当たりにする。その少年こそ秦国第三十一代目大王・政(せい)であった。漂落命の原因となった政に激昂する信だったが、自らに託された漂の思いと自らの夢のため、乱世の天下に身を投じるのだった。
■初陣編(5巻 - 7巻)
●反乱鎮圧の功により平民の身分を得た信は三ヶ月後、兵卒として秦魏戦争で初陣を迎える。戦場である蛇甘平原で劣勢の秦軍の中で信の伍は奮闘、千人将・縛虎申と共に魏軍副将・宮元を倒して戦場の要地を奪う。
●そこに突如現れた秦の怪鳥の異名を持つ秦国大将軍・王騎。信は図らずも天下の大将軍と会話する機会を得る。
●戦は秦魏両軍総大将同士の一騎討ちで決着し、勝利した秦軍は帰国の途についた。信は功により百将に昇進。
■暗殺者襲来編(8巻 - 10巻)
●王宮に政を狙う暗殺団が放たれた。これを迎え撃つ信は、暗殺団の中に戦場を共にした羌瘣の姿を見つける。羌瘣こそは、伝説の女刺客「蚩尤」に名を連ねる者だった。彼女に圧倒されるが、他の暗殺団の到着に図らずも共闘し、撃退。
●発覚した首謀者の名は秦国丞相・呂不韋であった。今は手を出せぬ政敵に、政陣営は忍耐を余儀なくされるも対抗するために王弟陣営を吸収し、着実に力をつける。
■馬陽攻防編 - 王騎の死(11巻 - 16巻)
●始皇3年、韓を攻める隙に、趙軍から馬陽を攻められた秦では、急遽編成した迎撃軍を最後の六大将軍・王騎に託す。
●そこで初戦を迎えた信率いる百人隊は王騎の特命により、趙将軍・馮忌を討つ。その功で「飛信隊」の名を授けられた信は、将軍への道を垣間見た。
●蒙武軍の活躍もあって趙将軍・趙荘の采配を悉く上回る王騎であったが、総大将の趙国三大天・龐煖との決着のために、罠を承知で軍を進める。龐煖は妻となるはずだった秦国六大将軍・摎を討った因縁深き相手だった。
●本軍同士が激突、総大将同士が一騎討ちを戦う最高潮の中、突如秦軍の背後に未知の新手が姿を見せる。率いるのはもう一人の趙国三大天・李牧であった。一転して死地に追い込まれた秦軍、一瞬の隙を突かれて王騎も致命傷を負う。
●信に背負われ激戦の末脱出に成功した王騎は、信に自らの矛を託し、皆に多くのものを残してこの世を去る。
■秦趙同盟 - 山陽攻略編(17巻 - 23巻)
●始皇4年、王騎亡き後、諸国に国境を侵され始める中、三百人隊に増強された飛信隊は各地を転戦。そんな中、呂不韋の画策により趙国宰相が秦を訪れることが伝わる。その宰相こそ誰あろう李牧その人であり、秦趙同盟という土産を携えていた。同盟成立後の宴席で李牧と直接話す機会を得た信は、李牧を戦場で倒すことを宣言した。
●始皇5年、秦趙同盟の効果は早くも現れ、魏国要衝の地「山陽」の奪取を目的とした、対魏侵攻戦が開始される。総指揮官は「白老」の異名を持つ秦国大将軍・蒙驁。遠征軍に加わった飛信隊は同じく三百人隊の玉鳳隊(王賁)、楽華隊(蒙恬)と競い合いながら功を挙げていく。
●秦軍の前に立ちはだかった魏軍は、元趙国三大天・廉頗に率いられていた。廉頗の登場で全中華が注目する中、秦魏両軍は決戦の火ぶたを切る。六将級と評される王翦、桓騎の両名を副将に擁する秦軍と、廉頗四天王が率いる魏軍の間で交わされる激戦の中、信は廉頗四天王・輪虎を討ち取り、戦功第三位の大功を挙げる。
●ついに相対した総大将同士の一騎討ちの中、蒙驁は六将と三大天の時代の終焉を廉頗に告げる。自らの存命を理由にそれを否定する廉頗であったが、輪虎を討ち取った信から王騎の最期を聴き時代の流れを悟る。敗北を認めた廉頗は信に六将と三大天の伝説を塗り替える唯一の方法を教え、堂々と去って行った。
■幕間(23巻 - 24巻)
●先の戦功により千人隊に昇格した飛信隊であったが、軍略の要たる羌瘣の不在で苦戦を続け再降格の危機に陥るも、河了貂の加入により救われる。
●秦の山陽奪取により生まれた新たな情勢に対し、李牧はある決意を固め動き出す。
=== 25 - 40巻 ===
■合従軍侵攻 - 函谷関攻防戦(25巻 - 30巻)
●始皇6年、突如六国から同時侵攻を受け、自国城塞を次々と失陥するという凶報が秦国都「咸陽」へもたらされた。秦の本営に立て直す間も与えぬ破壊力を示し、かつ進撃を止めぬ侵攻軍。これこそ、李牧が画策し、発動させた多国籍連合「合従軍」であった。
●たった一国で六国全部を迎え撃つために、秦国の本営は防衛線を一切放棄、国門「函谷関」での集中防衛に国運を賭けた。
●開戦初日には信が趙軍の万極を、騰が楚軍の臨武君をそれぞれ討ち取る活躍を見せた。2日目に楚軍の将軍である媧燐による献策により、主力を温存し消耗戦による秦軍の疲弊を狙い、全軍総攻撃を仕掛け函谷関を落とす策を行い、15日目に全軍による総攻撃が行われた。各所で行われた死闘によって、秦軍大将軍の張唐が韓軍による毒兵器によって瀕死の状態になるも、桓騎軍ら共に僅かな軍勢を引き連れ、韓軍本陣を奇襲し韓国大将軍・成恢を討ち取るとその後に死去した。一方楚軍と対峙していた騰・蒙武連合軍は激しい戦いの末、蒙武が汗明を討ち取り、そのままの勢いで汗明軍を半壊させる活躍を見せたが、媧燐の二重三重に張り巡らせた策により、函谷関が開門寸前にまで陥るも、王翦の活躍により函谷関を守り切ることに成功した。
■合従軍侵攻 - 蕞防衛編(31巻 - 33巻)
●北門の函谷関では秦軍の奮戦もあって凌ぎきるも、南門の武関から咸陽に至る道沿いの城が次々と陥落するという不測の事態が発生。この軍の正体は国都・咸陽を陥落させるべく電撃戦を開始した、李牧が自ら率いる別働軍であった。この動きを察知した麃公軍の猛追が間に合うも、龐煖との一騎討ちの末に麃公を討たれ、飛信隊も敗走。
●その頃、呂不韋が不穏な画策をするなど内外から危機の迫る咸陽を、国を守る最後の拠点「蕞」を防衛すべく、政は自ら出陣する。蕞に辿り着いた信達敗残軍は政達と合流。政は蕞の住民達を奮い立たせて皆兵とし、李牧軍と激しい攻防戦を繰り広げる。奮闘空しく城門が突破されるが、そこに密かに救援を要請した楊端和ら「山の民」が現れ形勢逆転し、信は龐煖と対峙し死闘の末彼を撃退し李牧軍を撤退させて蕞を守り抜いた。李牧はこの敗北が決定的となり、合従軍総撤退を余儀なくされる。
■幕間(33 - 34巻)
●合従軍に辛勝し、亡国の危機を脱した秦国では戦災復興と国境防備の再編に忙殺。一方、列国でも李牧や春申君ら合従軍を主導した要人らが遠征失敗の責により左遷され、国体の変化を遂げつつあった。
●その頃、飛信隊を離脱して久しい羌瘣は、仇敵・幽連の居所を突き止め、決戦の地へ乗り込む。幽連含む幽族に羌瘣は襲われ、大いに苦戦するも飛信隊の繋がりが彼女の力となり敵討ちに成功し、羌瘣は再び飛信隊へと戻った。始皇7年に蒙驁が危篤状態となる。駆けつけた信と蒙恬らに自身の半生を語り、彼らに激励の言葉を送り、そのまま死去した。
■王弟謀反編(34 - 35巻)
●始皇8年、合従軍以来、久しく無かった敵国侵攻を退けた屯留から、突如「王弟謀反」の凶報が咸陽にもたらされた。
●自ら立ち上がった成蟜の人間的成長を認める政としてはにわかに信じがたく、政陣営の予想通り、王弟謀反は呂不韋と屯留代官・蒲鶮の策謀によるものだった。
●この事態を解決すべく飛信隊と壁軍が成蟜救出の命を受け出陣、屯留を奪還するも一歩間に合わず成蟜は信に政を託し落命。
■著雍攻略編(36巻 - 37巻)
●戦災復興と防備の再編を経て、再び攻勢に移った秦国は、山陽に続く魏国の「著雍」奪取に狙いを定めた。騰へその任が下ると、独立遊軍の玉鳳隊と飛信隊へも増援招集がかかった。
●しかし、ただでさえ堅固な「著雍」防衛網に、呉鳳明を急遽呼び寄せてまで要衝の防衛強化に努める魏軍に苦戦。そこで北方の王翦軍に増援を求めようとしようにも、王翦軍と対峙中の趙軍まで招き入れてしまう懸念から、現有戦力だけでの継戦を騰は決断。
●王賁の献策で三方から一斉に攻め込む秦軍だが、その魏陣営には、かつての秦国六将や趙国三大天と並びうる魏国大将軍「魏火龍七師」の旗が翻っていた。
●大いに苦戦を強いられるも玉鳳隊と飛信隊の奮戦により魏火龍三将のうち二将を討ち、「著雍」奪取に成功。信と王賁は大功により五千人将に、羌瘣は三千人将に昇進。
■嬴政加冠編 - 嫪毐の乱(37巻 - 40巻)
●奪取した著雍を、山陽と並ぶ不退転の要地として要塞化するのに莫大な資金を必要とする難題は、雍に隠棲していたはずの太后が後宮による負担を突如申し出てきたことで解決を見出した。ただし、その見返りに北の辺地「太原」での暮らしと、その地方長官へ有能なる宦官・ロウアイ|を据えろとの要求を、大王派ばかりか相国派でさえも呑むこととなった。
●ところがやがて千・万規模で守備兵を引き抜かれた著雍では、魏軍の襲来対応に忙殺される。引き抜かれた守備兵たちの転出先は北の辺地「太原」。そればかりか「毐国」と国家を僭称した太原では、中央政府からの勧告の使者すら取り合わぬ始末。
●秦内外から人や資金を続々と入手し、国家としての体裁を整えていく「毐国」への対応に手をこまねき、越年した(始皇9年)秦では、とうとう政が成人した。そう、内外に向けた正式な王としての宣言であり、大王派と相国派の長きに亘る暗闘に終止符を打つ「加冠の儀」を迎える年である。
●しかし、その儀式を厳かに執り行えるほど、国内情勢は穏やかではなかった。加冠に乗じ、毐国が反乱を起こす。しかもその乱は政を葬るため呂不韋が仕組んだものであった。
●三者三様の思惑が複雑に絡み合う中、咸陽では反乱を知った飛信隊が蕞兵と共に防戦に当たる。内では呂不韋と舌鋒を交わす政は自らの信じる道を示し、その大器を呂不韋に認めさせ、決着を咸陽の戦いに委ねる。
●呂不韋一派の妨害もあり飛信隊ら防衛軍は咸陽防衛に大いに苦戦するも、呂不韋陣営を離脱した昌平君率いる援軍が敵総大将・戎翟公ワテギを討ち、反乱軍は撃退。9年におよぶ呂不韋との争いに完全勝利した。
=== 41巻以降 ===
■新章・中華統一へ - 黒羊攻防戦(41巻 - 45巻)
●長年の政争はついに決着。ようやく国内をまとめた政はいよいよ、国家総動員で戦い抜ける限界年数の「十五年」で中華統一させる大構想を信に明かす。
●最初の標的は魏国「衍氏」。昌平君は「山の民」という切り札を早くも晒し、秦国の新たな戦略を内外に示した。一方楚国では、考烈王と春申君の両名が立て続けに死去し、長年に渡り楚国を支えて来た両名の死により、国が大きく揺れ動く不安定な状態になってしまった。
●秦国が次に攻め込む戦地の趙国「黒羊」は城が無い、大森林の中で森林にある五丘の丘を取り合うという複雑な戦場。そこへ最後の三大天に最も近いと言われる慶舎と離眼城主の知られざる名将・紀彗が立ちはだかる。それに対し、飛信隊は己と全く異質な桓騎軍の指揮下で戦いに臨む。
●地の利を生かした趙軍に苦戦を強いられるも、信は激戦の末慶舎を討ち取ったが、紀彗は慶舎の死を隠してなおも徹底抗戦をする構えを見せる。だがその時、桓騎による非道な作戦が密かに行われる。
■斉王との会談(45巻)
●桓騎によって黒羊丘を占領し、結果的に大勝利を収めた。その戦いで慶舎を討ち取る大功を立てた信だったが、桓騎軍との刃傷沙汰で武功取り消しとなる。その後、黒羊丘の守備を楽華隊と交代し、内地へ帰還。
●そのころ、蔡沢の手引きによって斉王と李牧が密かに咸陽へ訪れた。まず斉王との密談で、中華統一が空論ではない訳を問われた政は新たな統治方法を示して、斉王を感嘆させ、非公式の口約束ながら、斉王から事実上の降伏宣言を勝ち取る。
●だがその後の李牧による謁見の場では「七国同盟」を提案されても一蹴。それを宣戦布告と受け取った李牧は、滅ぶのは秦国だと宣言して咸陽を去る。
■幕間(45巻 - 46巻)
●内地へ戻った飛信隊は、三ヶ所で募兵を行う。その過酷な入隊試験で、秦国唯一の「中華十弓」であった蒼源の子、蒼仁と蒼淡の兄弟を含めた選りすぐりの新兵千人を増員した。
■鄴攻略編 - 出征 ~ 鄴包囲(46巻 - 48巻)
●趙攻略を目指す秦の本営では、趙西部に複雑な防衛網の構築が続くことにより、「十五年」での中華統一は困難と判断した昌平君は、李牧を出し抜くために敢えて王都「邯鄲」の喉元の「鄴」を一気に狙う、軍の全滅もあり得る奇策を献言し、政はそれを決断。
●昌平君ら本営は王翦を総大将に抜擢し、そこに楊端和が率いる「山の民」、桓騎軍を加えた三軍連合軍に加えて、飛信隊、玉鳳隊、楽華隊らを合わせた総勢二十万超えの大軍を、鄴攻略に向けて派兵。咸陽を発つ際、見送る政から長年預かってもらっていた王騎の矛を受け取ると、信はそれを携えて鄴に向けて出陣する。
●趙では連合軍の出陣が解ると、李牧らは秦を迎え撃つべく準備をしている最中に、燕からオルドが率いる軍が侵攻して来た事を知り、趙は「秦」と「燕」両国の迎撃に当たる事になる。李牧はオルド軍が「青歌」に向かっていると解ると、無名ながらも「三大天」を担う事の出来る実力があり、「三大天」の任命を断った青歌城城主・司馬尚に燕軍の迎撃を任せた。李牧は秦軍の動向を探っていた副官・舜水樹からの情報により、秦の本当の狙いが鄴と言う事に気がつく。
●飛信隊と「山の民」により趙国国門といえる列尾を半日で陥落させたが、李牧により仕掛けられた列尾の秘密に気付いた王翦は、昌平君による戦略の破綻を悟る。王翦は密かに列尾から僅かな兵を引き連れて、鄴を自身の目で見に行く。鄴を自身の目で見た王翦は鄴が力技では落とせないと分かると、新たに鄴を落とすための策を即興で新たに練り上げ、列尾を放棄する事で兵站を断ち、全軍で王都へ攻め込み、軍の兵糧が尽きる前に鄴を落とすことを決断。鄴を落とすための必要な下地作りを三軍に命じて鄴を包囲した。
●一方の趙では、悼襄王の身勝手さで邯鄲からの援軍に頼れず、窮地の鄴を救い得る近場の城塞は「橑陽」と「閼与」の二つのみ。李牧は舜水樹に橑陽軍を任せ、自らは閼与軍を率いて出陣。対する王翦は鄴の包囲と橑陽軍と閼与軍以外の迎撃を桓騎軍に任せると、橑陽軍を対峙する楊端和軍へ、壁を援軍に向かわせ「山の民」らに橑陽軍を任せて、自らは李牧が指揮するであろう、閼与軍を迎撃に出た。王翦軍に組み込まれた飛信隊・玉鳳隊・楽華隊も李牧を討つべく、朱海平原へ転進する。
■鄴攻略編 - 朱海平原 ~ 犬戎族(48巻 - 51巻)
●朱海平原での一日目には趙軍右翼の紀彗軍を討つべく、飛信隊は楽華隊・麻鉱軍と連携して優位に戦況を進めるが、李牧の奇襲により王翦左翼軍の指揮官・麻鉱将軍を討たれたことでたちまち劣勢に陥った。壊滅寸前まで弱った中核の麻鉱軍を、機転で立て直させた蒙恬の手腕と戦術眼を大いに認めた王翦は、蒙恬を臨時将軍に昇格させて左翼軍大将に命じた。
●一方、橑陽では楊端和率いる「山の民」と壁率いる秦軍が当初は圧倒していたが、舜水樹が到着すると、舜水樹は趙軍を橑陽城まで撤退することを決断。橑陽城まで撤退することで、橑陽城城主・ロゾ一族が率いる異民族・犬戎族による援軍が加勢することになり、彼らによる加勢で戦は膠着状態に陥る。
●朱海平原戦三日目、秦軍右翼の玉鳳隊・亜光軍への合流命令を受けた中央予備軍の飛信隊は、元趙国三大天藺相如軍「藺家十傑」の尭雲・趙峩龍らの趙軍左翼と対峙する。彼らに加え李牧の副官・馬南慈と元慶舎の副官・岳嬰の猛攻の前に劣勢に立たされる秦軍右翼。そこへ元々、兵糧に不安のあった秦軍では、橑陽で壁が預かる兵糧の大半を焼かれてしまう。李牧は算出させた鄴の残りの兵糧が、秦軍よりも上回っていると判断し、長期戦に持ち込んで自壊させることを目論む。
■鄴攻略編 - 橑陽攻略(51巻 - 53巻)
●趙軍左翼の猛攻を何とか凌ぐ朱海平原では、九日目に尭雲と馬南慈によって王翦右翼の将軍・亜光が意識不明の重体となる。だが、その代わりに信は仇討ちに燃える岳嬰を討ち取ることに成功する。
●橑陽では兵糧が尽きかけることで楊端和は総攻撃を決断。壁も失態を挽回するために主攻の一つを願い出る。ロゾの息子達を討つなど攻勢だった「山の民」と壁軍だったが、舜水樹とロゾに見抜かれて、総戦力での迎撃に遭い、散り散りとなる。楊端和は執拗に狙われる中、自らを囮とすることによって別動隊による大逆転を画策し、ロゾを壁が討ち取った。そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。敗北した舜水樹ら趙軍は秦軍の退路を断つべく列尾へ撤退する。
■鄴攻略編 - 覚醒(53巻 - 55巻)
●朱海平原では、岳嬰を討っても変わらぬ劣勢で、大将不在の状態にも関わらず本陣からの指示も無く、そのうえ兵糧まで尽きるせいで、士気も著しく低下し絶望的な状況に陥る王翦右翼軍。万策尽きかける中、十一日目の夜に信を呼び出した王賁は、両隊を覚醒させることを訴える。そして翌日の十二日目で、隊長からの渾身の檄に促された飛信隊・玉鳳隊は、趙軍左翼を圧倒し大きく後退させる。この一報に、王翦の中央軍も前進を始め、朱海平原の戦況が大きく動く。趙軍左翼も反撃を受けた十三日目には王賁が尭雲によって瀕死の状態に追い込まれる。その夜に右翼では、状況を公転するために右翼の大将を信にする決断をした。そのころ鄴では、鄴が包囲される前に密かに負傷した民に化けて、鄴に侵入していた王翦の兵士によって、鄴の兵糧庫が焼かれてしまい、兵糧の殆どを失ってしまう。十四日目には右翼で信が趙峩龍を討ち取り、趙軍の左翼に大きな打撃を与えることに成功した。一方でその夜、蒙恬の陣営では突如三大天・煖の単独夜襲を受けた。
■鄴攻略編 - 朱海平原決戦(56巻 - )
●十五日目の朱海平原中央では、兵糧難を察して守備に徹することで秦軍を干上がらせる算段の李牧だったが、肝心の鄴で兵糧の殆どを焼かれた報告を受けて方針を大転換。目前の王翦軍を撃破し、そのまま鄴を包囲している桓騎軍を四散させ鄴を開放させる必要性に迫られた李牧軍が、いよいよ王翦の本軍と会戦。独自の戦術によって王翦軍に苦戦を強いるも、戦術の謎を解いた王翦によって互角の戦況に戻される。その間、右翼では王賁が尭雲を討ったことで趙軍左翼を突破し、そのまま李牧軍への挟撃を仕掛けるも、趙軍も傅抵・馬南慈が王翦軍に挟撃を仕掛け、さらに蒙恬軍と紀彗軍も中央に駆け付けて激しい攻防戦となる。飛信隊が李牧を目前にまで迫ったその時、煖が立ちはだかる。
== 登場人物 ==
声の項は原則としてテレビアニメ版。第1-2シリーズと第3シリーズで演者が違うものと、VOMIC版・PSP版のものは別途記載する。演は実写映画版。
=== 主要人物 ===
●声 - 森田成一(幼少期:福井美樹) / 鈴木千尋(VOMIC) / 吉村和紘(VOMIC++) / 阿部敦(PSP)
●演 - 山崎賢人 (幼少期:大西利空)
●主人公。飛信隊百人将→三百人将→千人将→三千人将→四千人将→五千人将→将軍。得物は漂が持っていた剣。合従軍編以降は主力武器を剣から矛に変え、鄴編では王騎の矛を扱う。
●大将軍を目指す戦争孤児で、下僕だった少年。豪気かつ直情径行で、自分の意志を貫く頑強な心を持つ。短気で乱雑なところがある一方で、「自分の馬を殺されても、相手を咎めず、酒を振る舞って饗した」という穆公の逸話を聞いて感動するなど、純真なところもある。礼儀作法に疎い。
●相手が格上でも、比例して実力を底上げする天才。当初は武偏重の猪突猛進型であったが、幾多の助言や経験を経て「本能型の将軍」としての実力を身に付けて行く。
●宮仕えした幼馴染の漂が秦王・嬴政の影武者として身代わりとなったために瀕死の状態になり夢を託され最期を看取る。その後、漂の死の原因となった政と一悶着を起こすも叱咤され王都奪還に協力。放たれた刺客・徐完、ムタを返り討ちにし、山民族との会談で同盟締結の一助を成す。王都奪還戦で王宮門を開放し、竭軍将軍・左慈を討ち、さらに成蟜子飼いの護衛官・ランカイを山民族の援護もあって撃退。これらの功績により恩賞として土地と家を与えられ下僕から平民になる。蛇甘平原編では一兵卒として初陣を飾り、そこで出会った尾平・尾到兄弟と羌瘣と共に澤圭の伍に組まれ、千人将・縛虎申の指揮下に入る。要所奪取と魏将軍・麻鬼討伐の功により、異例の百人将へ昇進。
●刺客襲来編では肆氏の要請で政暗殺を目論む刺客と奮戦。馬陽編では秦六将・王騎に「飛信隊」の名を貰い、彼の最期を見届けた後に矛を譲り受けた。馬陽戦後、趙将軍・馮忌討伐を初めとした功により三百人将へ昇進。山陽編では、臨時千人将となり山陽戦後、廉頗四天王・輪虎討伐の功により、正式に昇進。しかし、千人隊になった後、羌瘣が一時離脱したことで弱体化し降格の危機に瀕していたが、河了貂が軍師として加わったことで改善される。
●合従軍編では公軍へ所属、臨時二千人将扱いとなる。その後、秦国大将軍・麃公の最期を見届けた後に盾を託された。叢攻防戦終盤では、趙国三大天・煖を一騎討ちの末に撃退。合従軍戦後、趙将軍・万極討伐の功も評価され、三千人将へ昇進し、国境の防衛と復興に尽力。
●王弟謀反編では四千人将に昇進。成蟜救出の密命を受けるも間に合わず、成蟜の最後を看取り、政を託された。著雍編では、魏軍本陣陥落のための三主攻の一つを任され、魏火龍七師・凱猛撃退と霊凰討伐の功により、五千人将に昇進。秦国統一編では政の危機を知り、独断で兵一千を率いて咸陽攻防戦に参戦し、陽や向と麗母子を救出し、毐国将軍・樊琉期を捕縛。黒羊編では趙将軍・慶舎を討ち取るも、同士討ちの罪で武功取り消しになった。
●鄴編では出陣前に政から王騎の矛を受け取り、楊端和軍と共に列尾を陥落。朱海平原戦では、最終的に秦軍右翼の主力となり、最終戦では大将代理となる。列尾では王騎の矛の重さに慣れず扱いに苦労していたが、朱海平原での激しい戦いの中で王騎の矛に急激に慣れていき、右翼の戦いで九日目に趙将軍・岳嬰と十四日目に藺家十傑・趙峩龍を討ち、十五日目には中央の戦いで因縁の煖を死闘の末に討ち取る。煖を討った直後に力を使い果たして倒れるが、羌瘣の蘇生術によって復活する。咸陽へ凱旋後、政から将軍になるために姓が必要だと教えられ、漂が「李」の姓を与えられたことを知って自身も「李」の姓にすることにし「李信(り しん)」と名乗ることを決めた。また、以前から田有に頼んでいた家が、大豪邸として完成する。そして、その後の論功行賞で二人の将軍と三大天・龐煖を討った功績で遂に将軍へ昇進する。
●声 - 福山潤(幼少期:金田アキ) / 朴璐美(VOMIC/PSP)
●演 - 吉沢亮
●第三十一代目秦国王。後の始皇帝。漂と瓜二つの容姿をしている。
●幼少時代を趙で育ち、その際、趙人に憎悪の対象として虐げられていたため感覚が殆ど無く、他人を一切信用しない荒んだ性格であった。昭王崩御後、秦への帰路で紫夏との出会いを通じて失っていた五感や人を信じる気持ちを取り戻した。現在は冷静でポーカーフェイスを崩さないが、昌文君や信のことを信頼している。発想が柔軟かつ大胆な賢人ながら武芸にも長けている。
●王都奪還の際、中華統一を公言、成人して正式に王となるために呂不韋陣営と政争を繰り広げる。
●合従軍編では思考停止に陥る上層部を叱咤激励して戦意を復活させ、蕞攻防戦では自ら出陣、率先して鼓舞し続け、途中で重傷を負うも、秘かに援軍を要請した「山の民」の出現によって勝利を得る。
●秦国統一編では、加冠の儀をやり遂げ、呂不韋との対談では中華統一の真意を語って呂不韋を感嘆させた。そして、咸陽での勝利で遂に呂不韋との長年の政争に勝利。黒羊戦後、斉王・王建王との会談で斉王を感嘆させ、非公式に斉の事実上の降伏を勝ち取った。
●声 - 釘宮理恵 / 小林由美子(VOMIC/PSP)
●演 - 橋本環奈
●飛信隊軍師。山民族の一つ梟鳴(きゅうめい)族の末裔。鳥頭の蓑を被っており、初見は困惑されることが多い。得物は南越の戦士ムタから譲り受けた吹き矢。
●当初は金のため政と信に協力していたが、共に行動するうちに仲間となる。やや幼い容姿と男勝りな性格、さらに着ている蓑のために登場時は性別不明であった。王都奪還編の時に女性と明らかになるが、信は千人将になるまで気づいていなかった。
●幼くして天涯孤独になって以降、生き抜くために様々な知識や技能を身につけており、字を読むことも出来、史についても学んでいる。特に料理の腕前は一級品。
●王都奪還後は信と共に暮らしていたが、刺客襲来編で急激に力をつけていく信や同性の羌の姿を見て、軍師として力になることを決意。昌平君の下で蒙毅と共に兵法を学び、山陽編後に飛信隊の軍師として配属。魏の間永軍に苦戦する飛信隊を魏軍師・氷鬼を上回る戦略で勝利に導き、以後は飛信隊の軍師として活躍する。その一方で蕞攻防戦で旧知のカイネを思わず助けたりするなど、非情に徹しきれない一面がある。
●著雍編では、初日に荀早隊に囚われる失態を犯す。その夜、凱孟からの問いに臆せず素直に胸の内を語ったことで、それ以降は粗略にされず、翌日の人質交換で飛信隊に生還し、勝利に貢献。この経験が信への想いを明確にした。
●秦国統一編では加冠の儀での危機を知り、政に伝えた後に飛信隊一千と共に咸陽に駆けつけ、昌平君の策を完成させるための援護をし勝利に貢献。黒羊編では二日目に丘右側を奪取するために奇策を立て、丘右側を奪取に成功。鄴編では、朱海平原戦後半で秦軍右翼全軍の軍師を担い、最終決戦では金毛軍の奇襲を受け討たれ掛けるも、蒼兄弟に救われる。
●声 - 日笠陽子 / 沢城みゆき(PSP)
●飛信隊副長兼羌瘣隊千人将→三千人将→五千人将。
●伝説の刺客一族「蚩尤」の後継候補として育てられた羌族の少女。年齢は信の一つ下。緑穂(りょくすい)という剣を武器に戦う。
●蚩尤を決める“祭”で羌象を謀殺された恨みから、現蚩尤・幽連に復讐するために生きる道を選び、里を出奔。
●蛇甘平原編で信と出会い同じ伍となる。信達に戦車対策の助言をしたり、澤圭達の援護をしていた。刺客襲来編では一度信と敵対するも呉越同舟で共に刺客を撃退、馬陽編で百人隊として結成された飛信隊副長となり参謀としても支えていく。当初は他人との慣れ合いを嫌っていたが、徐々に周囲に心を開くようになり、飛信隊を自分の居場所だと思うようになる。しかし、自分の道はあくまで復讐の先にあるという思いから、山陽編後に出奔を決意。この時、女であることを飛信隊に知られる。
●飛信隊を出奔後、合従軍戦後に趙の老山で幽連と遭遇。窮地に追い込まれるも復讐を果たし、飛信隊出奔後392日目に帰途に付いた。帰還した後、帰還前に立てた二つの目標の一つである大将軍になるという願いを叶えるために武功を重ね、王弟反乱編では既に千人将に昇進。さらに対騎馬戦術「剛力」を考案する。著雍編では、本陣陥落の功により三千人将に昇進。黒羊編では趙将軍・劉冬を討ち取るも、混達を虐殺されたことに激高して味方の桓騎兵を殺傷した罪で信共々武功帳消しになる。
●鄴編では、朱海平原戦で獅子奮迅の活躍により幾度も飛信隊の窮地を救い、重傷を負った王賁の治療を担った。十五日目には煖と対峙し、善戦するが撃退されて左足首を折られる重傷を負う。そして、倒れた信を復活させるべく、蚩尤に伝わる禁術である蘇生術を行う。精神世界で羌象と幽連の魂に自分の命を懸ける覚悟を見せ、何もかも忘れて天に上ろうとする信を必死に止めて全てを思い出させて、信の復活に成功する。信を現実世界に送り、自分はそのまま力尽きようとするが、松左と去亥の魂によって現実世界への穴に送られて、羌象と会話した後に現実世界で目覚める。戦後、五千人将に昇進。
●信に対して全面的に信頼し、気遣ったりしている場面がよく見られる。特に、秦趙同盟の席にて舞妓に鼻の下を伸ばす信を蹴ったり、河了貂と二人きりになろうとする信に疎外感を覚えたりと、恋愛感情を持っているようにも見える。後に飛信隊への帰還前に立てた二つの目標の一つである信の子を産むという願いにその想いが反映されていたが、河了貂から子作りについての詳細を聞かされたことで、しばらく信を避けていた。そして、信を蘇生させた後の精神世界での羌象との会話で、信のことを出会ってからすぐに気になっていたと話した。
=== 秦国 ===
==== 王族 ====
●声 - 宮田幸季 / 阿部敦(VOMIC)
●演 - 本郷奏多
●政の異母弟。王族は崇高な存在であるという考えから、自らの血筋に誇りを持ち、臣下を道具の如く扱っていた。
●平民の血を引くという理由から政を憎み、王位を奪うため竭氏と組んでクーデターを起こすも失敗。軟禁されていたが、政によって一派共々解放され、見返りに協力を行う。合従軍編では、出陣する政に王宮を任され呂不韋を監視。この一件も含め兄を認められるようになり、信が感嘆するほど人間的にも大きく成長する。
●始皇八年に支持基盤である屯留を侵攻されるも、自ら出征して趙軍を一時的に撃退。ところが屯留代官・蒲鶮に拘束された上に、反乱軍の首謀者に仕立て上げられてしまう。しかし、中央からの鎮圧軍との戦闘の最中に幽閉先から脱出。瑠衣の救出に向かうも、遭遇した蒲鶮兵との交戦で重傷を負うも自ら蒲鶮を討ち取り、駆け付けた信に政を託し、瑠衣に一派の取りまとめを頼み息を引き取った。
●成の正室で、秦国公女。北東の大都市・屯留出身。嬴政との関係は疎遠ではないが、当初はよく思っていなかった。
●始皇八年、趙軍を撃退した成蟜軍が蒲鶮によって反乱軍に仕立て上げられ、自身も幽閉されていた。鎮圧軍との戦闘中に成蟜に助け出されると、末期の夫から一派の取りまとめを託され、呂不韋打倒を誓った。秦国統一編では、政の加冠の儀に列席し、政と呂不韋の対談にも立ち会い、政の語る中華統一の真意に涙した。
●始皇七年に、嬴政と向の間に生まれた娘。扶蘇の異母妹。
●秦国統一編では、樊琉期に命を狙われるが、飛信隊に救われた。
●嬴政と妃との間に生まれた息子で、秦国太子。秦国統一編では、樊於期に命を狙われるが、昌平君が手配した近衛兵に救われた。
●秦国第九代目秦王。政と成の先祖。故人。
●愛馬を殺されたにも関わらず、山の民に馬肉に合う酒を振る舞う粋なところを見せた。こうして結ばれた交流は一代限りで途絶えたが、その威徳は未だに忘れ去られてはおらず、穆公の離宮を整備し続けた程である。
●声 - 金尾哲夫
●秦国第二十八代目秦王。政と成の曽祖父。故人。
●在位五十五年の大半を戦に費やし、戦神と呼ばれ、秦国中の武人に慕われた。晩年には、目元を隠す仮面のようなものを付けていた。
●秦国第三十代目秦王。政と成の父。故人。
●呂不韋の力で秦王となるも、操り人形同然だった。
●昭王の甥。孝文王と摎の従兄弟。嫪毐の反乱時に、樊琉期に殺害された。
==== 秦国廷臣・諸侯 ====
●声 - 玄田哲章
●秦国右丞相→相国。秦の王宮内を竭氏と二分し、権力争いを繰り広げる。昌平君からは、商鞅・范雎に比肩する偉人と評されている。
●王弟反乱鎮圧後は、政に代わって政治を執り行っている。後に、丞相よりさらに上の相国という地位に就く。
●合従軍編後、大王派に勢力争いで押されるも再び逆転。始皇八年には謀略で成蟜を葬り、さらに著雍攻略編から二ヶ月以上後に、食客に編纂させていた一大書物『呂氏春秋』が完成し公開。
●秦国統一編では、毐国の乱を利用して秦国新王になろうと企む。政との対談では、自身の「中華の統治」の持論を語った。そして、政の語る中華統一の真意を聞いた直後に政の成長に思わず涙ぐんだ。そして、咸陽からの知らせで政との長年の政争に敗れたことを受け入れ、その後は罪状について審議中であるため、監視付きではあるが咸陽を自由に出歩きしていた。始皇十年には、相国を罷免され河南での隠居を命じられた。しかし、鄴攻略戦後、肆氏から政争に敗れた竭氏陣営や嫪毐陣営の残党達が続々に自身の元に集まり、朝廷を脅かせれるほどの勢力になっていると報告される。そして、始皇十二年に河南城を訪問した政との会話の一ヶ月後に、毒酒を飲んで自殺したと秦の朝廷に報告があったが実際に死亡したのは別人であり、呂不韋本人は愛人を連れて政の中華統一への道を見届ける為に、馬車に乗って放浪の旅に出た。
●声 - 辻親八 / 遠藤大輔(VOMIC)
●演 - 石橋蓮司
●秦国左丞相。
●呂不韋打倒を目論む野心家であり、王位を奪った後の国政委任を約束した成と共に謀反を起こした。
●その後、山の民が咸陽に現れた際、山の民の戦力の欲しさと盟を結びたいという言葉を信じたせいで山の民に紛れた政一派の咸陽侵入を許してしまう。本殿での戦いでランカイが敗れたため成を見捨てて逃げ出すも騰に阻まれた上、河了貂の吹き矢を受けて怯んだところをバジオウとシュンメンに斬殺された。
●屯留代官。
●騒動前年から屯留に現れた新参者のようで成はおろか瑠衣ですらその存在を知らなかったが、治政能力はあったようで城主である瑠衣の曾祖母からは信任を得ていた。しかし裏で呂不韋と通じており、始皇八年に成蟜軍が趙軍を撃退した前後に瑠衣を拘束した上に、城内で成蟜を拘束した。そして成蟜を首謀者に仕立て上げて、屯留の反乱を引き起こした。
●本来の計画では、鎮圧軍が屯留城内に侵入した時点で成蟜の首を刎ねて差し出し、褒美として瑠衣と屯留を手中に収める予定だったが、成蟜に脱獄されて真相露見の危機に陥る。兵と城内を追うも、待ち構えていた成蟜に斬殺された。
●景城城主の娘で、容姿端麗で聡明な美女。
●父の死後、権限を氷雷に乗っ取られ策略で蝸牛と結婚させられそうになる。前日に出会った信に諦観と本音を涙ながらにぶつけると信に救出を約束され、信の過去を知ったことで如何なる状況でも諦めない精神力を手に入れた。別れ際に信への想いを心中に隠そうとしたが、信の方から再会を約束されたことで、その日を楽しみに景城城主として堅実に統治する。
●景城代官。
●翡翠の父である城主の死後、権力を手中に収めて景城を牛耳っていた。翡翠を追い出すために魏と取引して政略結婚させようとしたが、魏将軍・蝸牛に裏切られ一族ごと根絶やしにされた。
===== 秦王派 =====
●声 - 仲野裕 / 秋元羊介(VOMIC) / 玄田哲章(PSP)
●演 - 高嶋政宏
●政傘下筆頭家臣。周囲に高く評価される熟練の将軍。武勇に優れ投槍術に長ける。
●王都奪還編後は文官として自らの派閥を秦王派として立ち上げる。王都奪還の際に無力であった己を恥じ、文官の極みである丞相を目指すことを誓い、呂不韋の相国昇格に伴い、左丞相となった。合従軍編終盤の蕞攻防戦では、政に同行し参戦。秦国統一編では、加冠の儀に列席し、儀式後に昌平君と共に兵一千を率いて、咸陽攻防戦に参戦。
●声 - 遊佐浩二 / 小西克幸(PSP)
●演 - 満島真之介
●政傘下家臣。秦国千人将→三千人将→将軍。得物は剣で、後に矛に変更。
●名家出身だが生真面目で気取らない性格で信の兄貴分。基本戦術を得意とするが、奇策や奇襲と言った戦法には対応が遅れがちになることが多い。
●漂の死に最も悲しみの態度を見せた人物であり、信に漂と別れた時の振る舞いを語っていた。「山の民」の元に訪れた際、楊端和に一目惚れする。
●王都奪還編では別働隊に参加、宮中の秘密通路を通って王弟たちの元へと向かうが、その途中で待ち構えた左慈と遭遇。一太刀を浴びせるものの重傷を負わされるが生還。この際力不足を実感し、より力をつけ大将軍を目指すことを誓う。
●蛇甘平原編で千人将として登場。山陽編においては王翦軍に配属される。千人将として基本戦術を習得し、地形を利用して優勢な敵相手に踏みとどまるなど成長が見られた。合従軍編では三千人将に昇進し、蕞攻防戦では麃公軍の残兵を指揮していた。王弟謀反編では将軍に昇進、屯留の反乱軍の鎮圧軍総大将に任命された。飛信隊と合流後、成蟜救出を託して鎮圧に専念し反乱軍将軍・龍羽を討ち取る。
●秦国統一編では加冠の儀に列席し、終了後に昌文君と共に咸陽攻防戦に参戦。鄴編では、三軍連合軍の一員として参戦。鄴を兵糧攻め後一万の軍を率いて山民族軍の援護に向かった橑陽戦の二日目に預かっていた全兵糧の半分を焼き払われる失態を犯すが、九日目の決戦では犬戎王・ロゾを討ち取った。
●当初の構想では成蟜反乱時に戦死する予定だったが、史記文中の「壁死」の意味に別解釈(壁=城内にて将軍が死んだ)が出たため生き残ることになったと、コミックス35巻末あとがきで語られている。
●声 - 高瀬右光(第1-2シリーズ)
●演 - 加藤雅也
●政傘下家臣。文官としての能力なら昌文君より上。
●元は竭氏筆頭家臣で、反乱の総指揮を執っていたが敗れ鎮圧後、反逆罪を不問とされ一部の竭氏残党を任される。竭氏にいたころから政を高く評価しており、自身を登用してくれた恩から尽力して働く。刺客襲来編では、信を護衛に呼び寄せて暗殺阻止に貢献。後に才能を認められて、政の側近の一人として信任を得る。
●声 - 福山潤(幼少期:金田アキ) / 斎賀みつき(VOMIC)
●演 - 吉沢亮 (幼少期:南出凌嘉)
●政傘下家臣。信とは同じ下僕の幼馴染。共に大将軍になることを夢見て、武芸の稽古に明け暮れた。対戦成績は1253戦334勝332敗587引き分け+2戦分(勝敗不明)。
●政と瓜二つの容姿により、昌文君に身請けされ王宮に影武者として仕官。王弟反乱の際、重傷の身を押して村へと戻り、信に全てを託して力尽き死亡した。壁曰く、初陣ながらも影武者としての役割を全うし、窮地に陥りながらも兵を鼓舞し、戦う姿は既に将であったという。
●葬儀の際には、隣村から弔問する者がいるほど様々な人に慕われていた。
●羌瘣の蘇生術による生と死の狭間の世界では、役割を制限された魂の状態で信と再会し、信と昔話をしながらあの世への入り口である朱い階段へと到着するが、直前で信が羌瘣によって大将軍になる夢を思い出したことで現実世界への穴が出現し、羌瘣に礼を告げながらあの世へ戻った。
●影武者として仕えることで姓を与えられた際、姓を思案している時に政が「李(すもも)」を食べていたのを目にしたことで「李(り)」と決め、「李漂(り ひょう)」と名乗った。そのことを政が信に話したことで、信が「李信」と名乗ることとなる。
●政傘下家臣。政の護衛を務める槍の達人。
●合従軍編で、蕞攻防戦に参戦。信の政に対する態度に、内心では激怒していた。蕞攻防戦五日目で矢を受け、怯んだ所を斬られ戦死。
●声 - 星野充昭(道剣)/ 林和良(単元) / 森田成一(田慈)
●昭王時代の家臣。政が邯鄲にいた際、その脱出の手引きをするため、紫夏に協力を要請。脱出戦の際に死亡。
===== 呂不韋四柱 =====
●声 - 青木強(第1-2シリーズ)
●呂不韋四柱筆頭→政傘下家臣。「法の番人」の異名を持つ。
●秦国統一編では、呂不韋を王位につけるために咸陽の守備兵を少なくするという暗躍を行ったことで、咸陽攻防戦後に入牢。しかし翌年に、その存在が不可欠と判断した昌文君の懇願により復帰し、政の側近に加わる。
●確実さを重視する生真面目な性格のため、呂不韋の考えを理解出来ず振り回されることが多かった。
●声 - 諏訪部順一
●呂不韋四柱→政傘下家臣。秦国軍総司令官兼右丞相。楚国公子。得物は矛。
●蒙武とは幼馴染で親友。軍略家だが、戦場では先陣を切る文武両道の名将。幼少期は蒙武よりも強く、側近の介億曰く「誇張すれば武力は蒙武級、誇張無しに頭脳は李牧級」
●山陽編、合従軍編でそれぞれ戦略を完成させ、さらに蕞に迫る李牧軍撃退のため尽力。
●秦国統一編では、加冠の儀の前に飛信隊に暗号文を送り危機を伝え、咸陽には麾下軍を配置し、加冠の儀が終了した直後に呂不韋陣営から離反。兵一千を率いて咸陽に駆け付け、毐国将軍・ワテギを討ち取り勝利。始皇十年に李斯復帰直後に、政に鄴攻略を進言する。
●声 - 千田光男
●呂不韋四柱→政傘下家臣。昭王時代の丞相であり、秦国筆頭外交官として各国の交渉を担当。
●「強者にのみ仕える」という考え方を持っている。「剛成君」という称号で呼ばれることもある。
●合従軍編では斉王に謁見し、斉の合従軍離脱を成功させた。
●始皇十年、容態が悪い中で斉王と李牧を咸陽まで招き、政と斉王の会談を実現させ自身も同席した。そして、中華統一後の統治のあり方を問う斉王に対して政が話した「法治国家」という答えに満足し、李牧との会談に向かう政を見送り激励した後、眠るように息を引き取った。
==== 秦国軍 ====
===== 秦国大将軍 =====
●声 - 伊藤和晃
●秦国筆頭大将軍。「白老」の異名を持つ。蒙武の父にして、蒙恬・蒙毅の祖父。得物は矛。
●元々は斉国出身。伍長から昇進を重ねてきた歴戦の将であったが、廉頗によって幾度も敗北させられたことから故郷での出世の道を諦め、蒙武と共に秦へ移住。
●自ら前線で武勇を示すのではなく本陣で全体の指揮を執り、不利な戦況でも柔和な笑みを崩さずどっしりと構えている。攻城戦を得意とし、戦闘で負傷した部隊への見舞いや兵卒に対しても親愛のこもった檄を飛ばすなど、末端への配慮も欠かさない。六大将軍のことは偉大さゆえに嫌っていた反面、憧れ尊敬してもいた。
●周囲から凡将との評価に反し、人材登用においては中華一と評される。考えに行き詰まると一兵卒に変装し、自軍陣営内を徘徊する癖がある。
●山陽編において、因縁の相手である旧趙国三大天・廉頗と四十年ぶりに対決。一兵卒に扮して徘徊していた時に邂逅した信との会話で当初の弱腰を払拭し、廉頗のためだけに四十年間練り上げた秘策で迎え撃つ。廉頗からも高く評されるが突破され、本陣に迫られる。そこで挑んだ一騎討ちでは廉頗を馬ごと弾き飛ばす怪力で善戦するも左腕を失う。しかし、桓騎による魏軍本陣を陥落の報に廉頗が降参したことで、目的であった山陽攻略に成功。戦争終結後、この時の負傷から事実上は引退状態にあるとされたが、合従軍編において国門函谷関の守将を任され死守した。
●始皇七年に危篤状態となり、信と蒙恬が駆け付けた際に一時意識が戻り、王賁と三人で高みへ登れと二人を激励して死去。
●声 - 斎藤志郎
●秦国大将軍。
●大きく見開いた目と、鋸の歯のようなギザギザの歯が特徴の巨漢。敵軍に突撃する際は棘をあしらった仮面と盾を装備し、矛を振う。昭王も認める六将級の猛将だが、王からの招聘を無視して長年前線を拠点としていたことから、中央での知名度は低かった。
●戦を「燃え盛る大炎」という独特の感性で表し、戦の局面が動く時と判断した際の決断は大胆で、戦が最高潮に達した時は、自ら出陣して敵総大将の首を狙うといった独特な戦い方をする。言わば知略や軍略よりも本能で戦う武将で、李牧・王翦が「本能型の極致」と称賛するほどであった。
●蛇甘平原編では滎陽攻略のため出陣し、蛇甘平原で魏軍と対峙。信達の奮戦で大炎を感じ取ると自ら出撃。魏将軍・朱鬼を瞬殺し、魏火龍七師・呉慶を一騎討ちの末に討つも、自軍の損害を省みて帰国。
●合従軍編では、侵攻する魏軍を足止めするため交戦するも、魏国大将軍・呉鳳明が仕掛けた罠を察して撤退。その際、援軍に現れた飛信隊を指揮下に加える。函谷関攻防戦では、序盤に趙軍と相対し、三倍もの兵力差を物ともせず互角に渡り合う。初日の夜に信を臨時の二千人将に任命する。終盤には李牧軍の暗躍を察知して猛追。新趙国三大天・李牧の迎撃策を看破して本陣へ迫るも、出現した新趙国三大天・龐煖との一騎討ちで、片腕を折るも敗死。死の間際、加勢しようとする信へ盾を投げ渡して自分に構わず咸陽へ行くよう命じ、「火を絶やすでないぞォ」と言い遺した。
●声 - 浦山迅
●秦軍大将軍。
●十五歳で初陣して以来五十年間、戦歴を重ねた老将。得物は矛。
●しかし昭王時代には六大将軍の影に隠れており、それ故に彼らを嫌っていた。性格は頑固そのもので、秦国軍人であることを誇りに思っている。反目する桓騎の才能だけは認めている。
●合従軍編で咸陽に招集され、函谷関の守将の一人になる。だが韓軍の毒兵器により余命を悟ると、桓騎軍と共に韓軍を襲撃して韓国大将軍・成恢を討ち取った。桓騎には「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽き、死亡した。
●声 - 楠大典
●呂不韋四柱の一人で秦国将軍→大将軍→筆頭大将軍。蒙驁の子であり蒙恬・蒙毅の父。得物は大錘。
●戦闘方法は、己の武力を筆頭に士気を高めた兵で一気に押し潰す、軍師泣かせの力技。列国からは猪突猛進という評価を受けているが、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。
●馬陽編では、秦軍副将となる。序盤こそ武力で勢いに乗るが、終盤では趙荘の策によって壊滅寸前の窮地に陥る。その後、王騎を戦場から離脱させるために突破口を開き、王騎から秦軍の顔になるべき一人とこれからのことを託される。
●合従軍編では、騰軍と共に楚軍を担当。15日目に楚国大将軍・汗明を一騎討ちの末に討ち取って汗明軍に再起不能の打撃を与えたばかりか、撤退する合従軍を猛追してさらに打撃を与えた。その後の論功行賞では、第一功として大将軍に任命された。毐国建国宣言後、秦国に侵攻してきた楚軍を蒙恬と共に迎撃した。
●声 - 加藤亮夫
●演 - 要潤
●王騎傘下筆頭将軍。王騎軍副官→秦国将軍→大将軍。
●常に王騎の傍に控えており、普段は飄々としてポーカーフェイスを崩さない御茶目な紳士だが、実力は王騎からは「私に見劣りしない」評価しており、呉鳳明がその実績と経験から秦国の武将の中で1番警戒している程。王騎へ答える時は、「ハ。○○です」と答えることが多い。片手に持った剣を高速回転させ、撫で斬りにする。その際、「ファルファルファル」という独特の擬音が出る。
●馬陽編では、終盤で趙軍本陣に突撃して趙将軍・趙荘を討ち取り、その後で王騎から王騎軍の全てを託された。
●合従軍編では、七将の一人として蒙武軍と共に楚軍と対峙。初日楚将軍・臨武君を一騎討ちで討ち取り、その後は媧燐軍と激闘を繰り広げた。著雍編では、秦軍のさらなる強化を見据え、信と王賁に主攻を託し、攻略に成功。この功により、秦国第二位の大将軍に任命された。
●鄴編では、鄴陥落後に魏の前線から北上し、趙軍に塞がれていた列尾を落とすべく向かうも、敵が撤退したことで難なく制圧する。
●声 - 園崎未恵 / 棟方真梨子(PSP)
●演 - 長澤まさみ
●山民族王兼秦国大将軍。山民族からは「山界の死王」と呼ばれる美女。
●女性ながらその武力は山界一とされ、自ら先頭に立って統合していった。幼少より世界を広げたいと考えており、かつてない国の広がりを求めて、政と強固な盟を結び王都奪還に力を貸した。
●奪還後も戦に明け暮れ、さらに北の匈奴討伐のため大軍を引き連れて北上中、匈奴軍十万以上が屍となっている光景を目の当たりにし、その事態からそれを成した人物への注意を政に伝えた。
●合従軍編ではバンコ族と戦っていたが、窮地の秦国を救うべくそれまでの全ての戦績と犠牲を投げ打って蕞攻防戦に援軍として参戦。その功績で秦の大上造(大将軍)の爵位を貰い、嫪毐処刑後に魏国の衍氏を攻略した。
●鄴編では、三軍連合軍の一角として参戦。飛信隊と共に列尾を陥とす。さらに橑陽で対峙した犬戎将軍・ゴバを討ち取ると、自らを囮に敵を引き付ける間に橑陽城を陥落させ、犬戎族を配下にした。
====== 秦国六大将軍 ======
●声 - 小山力也 / 中田譲治(PSP)
●演 - 大沢たかお
●秦国六大将軍の一人。得物は大矛。
●かつて昌文君と共に昭王に仕え、中華全土から讃えられた武人。本家の王翦らと違い、分家の出。ありとあらゆる戦場にどこからともなく参戦し、その武で猛威を振るったことからついた異名が「秦の怪鳥」。オカマっぽい口調で慇懃無礼な言葉遣いや「ココココ」などという独特な笑い方をするが、個人的武勇と戦場全体を見渡せる知略の双方を兼ね備える、最強の六大将軍。また摎の出生の秘密を知る一人であり、想われ人でもあった。
●昭王に心酔し、その亡き後は一線を退いていた。気まぐれで竭氏陣営に付き昌文君と争うが、昌文君から政の評価を聞き竭氏陣営にいながら秦王派を援護する行動に出る。王都奪還戦では終盤に兵を率いて登場し、竭軍将軍・魏興を討ち戦いを止めて政と問答し、未熟と一蹴しつつ彼を認める。
●蛇甘平原編では、魏国に亡命した廉頗を見舞いに行く途中で通り掛かり、あくまで丘に登りたいという名目で魏軍を一蹴しそこで邂逅した信に大将軍が如何なる存在かを示唆した。呉慶戦死後、魏将軍・白亀西の前に立ちはだかり撤退させた。
●馬陽編にて突如として復帰し、蒙武を退けて秦軍総大将となる。序盤は飛信隊を使って趙将軍・馮忌を葬り、後に趙将軍・渉孟を自ら討ち取るが、深追いし過ぎた蒙武の救援に向かったところを趙本軍と李牧の別動隊との挟み撃ちに遭う。そして、ほぼ互角だった煖との一騎討ちにて、止めの一撃を加える好機を得るも「中華十弓」の魏加から不意に狙撃されたために煖の矛に胸を貫かれた。その後、致命傷を負いながらも包囲を突破し、騰や蒙武、信に言葉を残し、最後に信に矛を託して力尽き死亡した。出陣直前に政を仕えるべき主と認め、昭王に託されていた遺言を伝えていた。
●秦国六大将軍筆頭。故人。
●せり出した両目が常に血走っている、特異な容貌で描かれる。得物は大矛。
●危険を冒さず、相手がムキになるほど力を抜いて勢いをかわす戦い方をし、廉頗から「六大将軍の中でも最もやりづらい」「正真正銘の怪物」と評される。
●長平の戦いにおいて秦軍総大将を務め、投降した趙兵四十万人を全員生き埋めにするという無慈悲な決断を下した。
●声 - 高梁碧
●秦国六大将軍の一人。故人。六将の中で最も謎に包まれている人物。得物は長剣。
●六将最年少にして、苛烈さは六将一と言われており、かつて戦ったことのある廉頗も笑いながら殊更酷いと思い返す程。
●その正体は、昭王の実の娘。昭王の子ながら生母の身分が低く、暗殺を危惧した母親によって王騎の屋敷に引き取られた。政と成蟜にとっては大叔母にあたる。
●母親はその後焼身自殺し、あたかも娘と共に心中あるいは権力争いによって殺害されたかのように見せかけ、娘を守った。
●本人はその事実を知らず召使いとして育てられ、同時に王騎を間近で見てきたことにより武人へと成長。戦場へ出るより前の幼いころに王騎と「将軍になって城を百個とったら妻にしてください」という約束をしており、そのために召使いという身分であったが、王騎の側近として幾度も戦場へ出ていた。
●その後、昭王との対面で互いに親子であることを感じ取るが、公に出来ず暗黙の了解となる。このころより、素性を探られることを防ぐために顔の上半分を覆う兜を付けるようになった。それから戦果を挙げ続け、将軍となりさらに戦の才能を開花させ、六人目の大将軍に任命された。
●その後、馬陽を攻略中に突如現れた煖との一騎打ちで力及ばず落命。皮肉にも馬陽が約束の百個目の城であった。この事実が与える影響が大きいと判断した王騎と昌文君によって、病死したことになっていた。
●秦国六大将軍の一人。故人。
●長く伸ばした鬚髯と、顔を斜めに走る傷が特徴。六将随一の怪力豪将と呼ばれ、得物は長柄大斧。
●かつて人知れず楚へ侵攻した際、汗明との一騎討ちに敗れて撤退していると汗明は語ったが、真偽は不明。
●秦国六大将軍の一人。故人。
●六大将軍唯一の軍師出身。自由に戦っていたという六将も、実際には胡傷が戦略の大枠を作り、皆がそれに従っていたと言われている。昌平君の師でもあり、王翦を高く評価していた。
●秦国六大将軍の一人。故人。
===== 秦国軍人 =====
====== 信軍(飛信隊) ======
●声 - 赤城進
●飛信隊副長兼千人将。得物は槍。
●元々は壁と信の連絡役であったが信に同行した結果、なし崩し的に王騎からの修行に付き合わされ、そのまま副長となる。
●隊における現場の支援兼纏め役。「集」の基本的な戦い方を把握しており、特出した武力や知力は無く目立った活躍が描かれることは少ないが、誰よりも責任感が強く飛信隊にとって重要な存在。
●黒羊編では、二日目に決死の激流の渡河に成功し、奇襲して馬呈軍を退ける功を立てた。鄴編の朱海平原決戦では将として自覚が強くなっており、鼓舞により士気を保たせている。
●声 - 小松史法(第2シリーズ) / 広瀬竜一(第3シリーズ)
●飛信隊副長兼千人将。元郭備隊所属。左眼を縦断する傷がある武人。得物は矛。
●郭備隊の副長だったが、山陽編で郭備が輪虎に暗殺されたことにより部下共々急造千人隊の飛信隊へ転属し、仇の輪虎を討つことを目指す。終盤、輪虎と一騎打ち中の信を狙おうとした魏将軍・魏良を阻んで討つ。その際、目の前にいた輪虎に思わず斬り掛かろうとして返り討ちに遭うが、一命を取り留める。
●その後、正規千人隊となった飛信隊の補給を一任。河了貂が加入した後は主力の騎兵隊を率いて戦う。
●飛信隊千人将。「黒飛」隊指揮官。元公軍所属。得物は矛。
●無骨な性格で、信を嫌う旨の発言もあるが、その実力は認めている。合従軍戦後に我呂ら元公兵五百人とともに配属。のちに発足された乱戦特化兵「飛」の指揮官として猛威を振るう。かつて蒼源に窮地を救われたことがあり、息子の蒼兄弟が飛信隊への入隊試験を受けた際に、蒼兄弟が知らなかった蒼源の活躍を彼らに教え、間接的ではあるが自分が蒼源の死の遠因を作ったと彼らに詫びた。
●信が将軍になると、二つに分かれた「飛」の内の「黒飛」隊指揮官に就任。
●飛信隊千人将。「赤飛」隊指揮官。元麃公軍所属。得物は矛。
●やや軽い性格で気が強く毒舌だが、実力は確かで常に前線に立つ。作戦会議でもよく口を出し茶々を入れるが、筋が通ったことには義理を尽くす。「飛」の一員として岳雷とともに行動している。
●朱海平原戦の十五日目には、「十槍」の三番槍・平秀に圧倒されるが、蒼仁の矢を右腕に受けて怯んだ平秀の一瞬の隙を突いて討ち取った。信が将軍になると、千人将に昇進し、二つに分かれた「飛」の内の「赤飛」隊指揮官に就任。
●飛信隊千人将。元桓騎軍所属。得物は曲剣。
●常に飄々としていて冷静沈着な性格だが、一度キレると本人曰く「雷土よりもおっかない」という。彼を含め隊員は元野盗であることから、隠密・斥候などに長けている。
●黒羊編では、桓騎軍で行なっている隊の入れ替えをするために、尾平隊の代わりに飛信隊に加わる。初日の飛信隊の失態によって桓騎から信の右腕を持ち帰るよう言われた時は、自身が飛信隊に加わった経緯から自身の責任でもあるため自身が預かると言ったことでことなきを得て、4日目には趙将軍・慶舎を信に討たせる貢献を果たす。戦後、飛信隊の居心地の良さに惹かれ、転属する。
●鄴編の朱海平原決戦では随所で活躍を見せ、14日目には、窮地の信を羌瘣と共に助け、さらに軍を立て直す為に撤退した、趙峩龍の居場所を元野盗の経験から見つけ出し、退路を塞ぎ信に討たせる援助をした。
●声 - 林和良(第1-2シリーズ) / 関口雄吾(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→百人将→千人将。
●蛇甘平原編で、伍作りで大人気だった巨漢の大工の棟梁。見た目通りの怪力の持ち主で、飛信隊の主力を担う。得物は槍だったが、後に矛に変更。
●当初は信のことを「騎兵殿」と呼んで実力を認め、戦後は地元で彼の武勇を語っていた。その後、鎧を買いに地元に来ていた信と再会し、鎧を売ってくれずに困っていた彼を助けた。飛信隊結成時に第十四伍長となり、沛浪と共に精鋭の歩兵を集めた。飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将となる。
●合従軍編では、蕞攻防戦で傅抵に重傷を負わされ一時前線を引くも、六日目に復帰。秦国統一編では、呂不韋派の弓隊の伏兵から信を守るために矢を浴びるが、一命を取り留める。黒羊編では、桓騎の非道な作戦で信達が騒動を起こした際、危うく桓騎兵達に処刑されそうになる。
●鄴編では、千人将に昇進。出征前から信に新たな住居の建築を頼まれており、咸陽に凱旋した時に丁度自身の組によって完成していた。
●声 - 高橋英則(第1-2シリーズ) / 井之上潤(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→百人将→歩兵長兼千人将。
●飛信隊第三位の剣士。崇原の側近は、彼同様に皆が剣の達人。
●十七歳で初陣を飾った時に、尿意を我慢していたところに奇襲を受けて小便を漏らしたことから、「小便もらしの崇原」と馬鹿にされた過去を持つ。
●飛信隊結成時に、第五伍長として所属。馬陽編で左眼を失い、三百人隊になると什長へ、黒羊編後には歩兵長に就任。信が将軍になると、千人将へ昇進。
●声 - 小山剛志
●飛信隊伍長→什長→百人将→副歩兵長兼五百人将。得物は剣だったが、後に矛に変更。
●経験豊富な歴戦の兵士。蛇甘平原編では伍長として山和、脇次、筏建、英の四人と伍を組む。信と出会った当初は彼を見下していたが、活躍を目の当たりにして考えを改める。
●飛信隊結成時に第一伍長となり、田有と共に精鋭歩兵を集めた。飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将へ昇進。信が将軍になると、五百人将へ昇進し、副歩兵長に就任。
●声 - 田尻浩章(第1-2シリーズ) / 石黒史剛(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→五百人将。
●強面の大男で、旧友の沛浪の誘いで飛信隊に配属。得物は槍。
●口が悪く、喧嘩っ早い。また時に自己中心的な一面も見せるが、本質を見誤らないしっかり者。
●飛信隊結成時に、第六伍長として所属。飛信隊が三百人隊になると什長へ、信が将軍になると、五百人将へ昇進し、騎兵隊の指揮官となる。
●声 - 高橋英則(第1-2シリーズ) / 佐久間元輝(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→百人将→五百人将。
●飛信隊随一の巨漢。得物は棍棒。
●妻子持ちで、鄴編の時点で五人生まれている。本人曰く田有の三倍の膂力の持ち主で、その膂力を生かして敵の防御陣を破壊する。
●飛信隊結成時に飛信隊第十六伍長になり、飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将へと昇進。信が将軍になると、五百人将へ昇進。
●馬陽編では、趙将軍・馮忌を奇襲する際、妻子を想うあまり尻込みしていたが、信の喝を受けて決心し、突破口を開く。合従軍編では、蕞攻防戦で傅抵に重傷を負わされるが、不意を突いて城壁から突き飛ばして落下させた。その後、治療のため一時前線を引くが、六日目に復帰。
●声 - 佐藤晴男(第1-2シリーズ) / 山本満太(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→二百人将。
●信が初陣で伍を組んだ時の伍長。得物は剣だったが、後に槍に変更。
●頼りない外見と性格のせいで常に最弱の伍を率いるが、弱者なりの戦い方を熟知しており、蛇甘平原編まで彼の伍は今まで誰も死んでいなかった。
●飛信隊結成時に第十一伍長になり、三百人隊になると什長に昇進。信が将軍になると、二百人将へ昇進。
●声 - 鳥海浩輔
●飛信隊伍長→什長→三什長→百人将。
●信の同郷。出っ歯が特徴。尾到の兄。お調子者で小心な性格だが、飛信隊のムードメーカー的存在。得物は槍。
●蛇甘平原編で尾到とともに徴兵された時に信と再会し、澤圭の伍の一員となる。
●飛信隊結成時に第十二伍長となり、三百人隊になると什長へ、鄴編では三什長へと昇進。信が将軍になると、百人将へ昇進。
●黒羊編では一時的に桓騎の軍に配属したが、混の遺品を持っていたことで信と羌瘣の怒りを買って除隊される。途方に暮れていたところ、信を嘲笑した岩迅達に激怒し、殴り掛かって返り討ちに遭うが那貴に助けられる。その後、飛信隊の幕舎で手当てを受け、信に謝罪して飛信隊に復帰。
●声 -青木強
●飛信隊伍長→什長→百人将。
●蛇甘平原編で、伍作りで大人気だった強面の大男。「富村の殺し屋」の異名を持つ。得物は曲刀。
●飛信隊結成時に第十五伍長になり、三百人隊になると什長に昇進。信が将軍になると、百人将へ昇進。
●声 - 青木強(第1-2シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→百人将。
●蛇甘平原戦第二軍の生存者。得物は槍。
●気難しい性格で、当初は信達に悪態をついていた。元料理人のため料理上手で、鄴編では斉国の食材を見て心を躍らせていた。
●飛信隊結成時に第十八伍長になり、三百人隊になると什長へと昇進。信が将軍になると、百人将へ昇進。
●声 - 高橋英則
●飛信隊伍長→什長→百人将兼偵察部隊指揮官。
●山民族の一つである「青石族」族長。得物は槍。
●彼を筆頭に聴覚など身体能力や特殊能力に優れた者が多数おり、要所で飛信隊に貢献。
●飛信隊結成時に、第二十伍長として所属。三百人隊になると什長へと昇進。鄴編では、結婚式を挙げていたために不参戦。
●声 -高塚正也
●飛信隊伍長→什長→副歩兵長兼百人将。
●槍術の達人。飄々とした性格をしているが、頭が切れ核心をついた発言も多く、精神面でも飛信隊を支える。崇原とは、初陣の時からの付き合い。
●飛信隊結成時に第十伍長となり、飛信隊が三百人隊になると什長に昇進。合従軍編では、途中で負傷して療養していたため、蕞攻防戦に加わっていない。著雍編では百人将になり、同時に副歩兵長も務める。
●鄴編では、朱海平原決戦十四日目に河了貂から視野の広さから各隊の救援の判断を託され、窮地の干斗達の救援に向かい助け出すも、致命傷を受けてしまう。敵が撤退した後、愛槍を干斗に与え、最後は信の腕の中で息を引き取った。
●羌瘣の蘇生術による精神世界に去亥と共に現れ、羌瘣を救った。
●声 - 下妻由幸(第1-2シリーズ) / 奥村翔(第3シリーズ)
●飛信隊伍長→什長→百人将。
●右目の周りに大痣が特徴。得物は槍。
●蛇甘平原編で壊滅状態に陥った秦国第二軍の生存者であり、第四軍で大功を挙げた信達には当初不満を募らせていた。
●飛信隊結成時に第十七伍長になり、三百人隊時に什長へ、飛信隊が千人隊になると百人将へと昇進。羌瘣の指揮下で戦うことが多い。鄴編で、先陣を切って李牧軍を攻め込み李牧の目前にまで迫るが、立ちはだかった煖に斬られ戦死。
●羌瘣の蘇生術による精神世界に松左と共に現れ、羌瘣を救った。
●飛信隊将校。崇原の側近。左眼を髪で隠している。得物は剣。
●飛信隊結成時から崇原の伍に所属しており、崇原同様に剣の達人。
●声 - 井之上潤(第3シリーズ)
●飛信隊将校。河了貂の補佐と伝令役を担う。
●飛信隊将校。那貴の側近で、元桓騎軍所属。得物は槍。
●消極的な性格だが、実力は確か。
●飛信軍将校。元郭備隊所属。朱海平原決戦三日目で戦死。
●飛信軍将校。朱海平原決戦十五日目で金毛軍の奇襲から河了貂を守り、戦死。
●声 - 林和良
●飛信隊伍長→什長。
●最年長で戦場の経験も豊富な老兵。得物は槍。
●知恵袋的存在として、時に信に助言をしている。
●飛信隊結成時に第八伍長になり、三百人隊になると什長へと昇進。山陽編後に引退。
●声 - 高塚正也(幼少期:日笠陽子)
●飛信隊伍長。
●信の同郷。尾平の弟。兄より高い背と角刈りが特徴で、真面目な性格。得物は剣。
●蛇甘平原編では、尾平と同じく澤圭の伍の一員となる。
●飛信隊結成時に、飛信隊第十三伍長となる。夜襲して来た煖の援護のために現れた万極軍の矢を受け、信を背負いながらも襲撃から逃れるが、その矢傷が元で戦死。死の間際、信に大将軍になって欲しいという願いを託した。
●声 - 坂巻学(脇次)/青木強(山和)/ 堀井茶渡(筏建)
●飛信隊伍長。得物は剣(脇次)、矛(山和)、槍(筏建)。
●蛇甘平原編では、沛浪の伍の一員。
●飛信隊結成時に伍長となるが、煖に討たれ死亡した。
●飛信隊結成時の伍長。得物は槍。煖に討たれ死亡した。
●飛信隊の崇原隊所属の伍長。得物は槍。
●列尾戦で干斗達と伍を組むが、魯平の暴走で陣形が崩れた隙を襲われ戦死。
●飛信隊弓兵。
●黒羊戦後の始皇十年に飛信隊が募集した入隊試験に臨んだ狩人の少年で、蒼淡の兄。
●小柄な体格で、入隊試験の体力検査で弟と共に不合格となるが信と河了貂らに、卓越した弓術を披露したことで、兄弟共に飛信隊に特例合格で入隊し飛信隊弓兵隊所属。
●初陣となった鄴編では随所で大きな功を挙げ、最終決戦では指がボロボロになるまで弓を引き続け、金毛軍の奇襲で窮地に陥った河了貂を身を呈して死守した。
●飛信隊弓兵。
●兄の蒼仁と共に飛信隊の入隊試験に臨んだ狩人の少年で、兄と違い大柄な体格をしている。
●弓の腕前は父や兄譲りであるが、気が弱い一面を見せる。思ったことをすぐに口にするため、度々蒼仁に叱られる。
●列尾戦では、敵を射ることを躊躇って本来の力を発揮できずに終えてしまい、蒼仁から叱られて落ち込んだ。朱海平原戦では、馬を射ることで敵を圧倒した。その後も人を射れずに蒼仁の補佐に徹していたが、金毛軍により蒼仁が重傷を負ったことで激昂し、人体を吹き飛ばす程の豪弓で金毛軍を圧倒し、趙将軍・金毛を討ち取った。
●声 -下妻由幸
●飛信隊の尾平隊所属の少年歩兵。得物は槍。
●信の同郷で当初は小柄で気が弱いところを見せていたが、「母親に楽をさせるために出世したい」という熱意を持つようになる。空気が読めないところがあり、何かと余計な一言が多い。
●声 - 青木強(第1-2シリーズ)
●飛信隊の尾平隊所属の兵卒。信の同郷。得物は槍。
●尾平とは馬が合うようで、よく絡んでいる。黒羊編では、尾平とともに一時桓騎軍に配属する。
●飛信隊の兵卒。得物は槍で、後に松左の愛槍を受け取る。
●飛信隊に憧れ、入隊試験を受けるも一度不合格となり、仲間と共に食って掛かるが、崇原に叩きのめされる。崇原から今一度チャンスをもらい合格し入隊。
●鄴編では、初陣の列尾戦で魯平の暴走により窮地に陥るが、崇原に助けられる。戦後は己の不甲斐なさに憤っていたが、尾平達が労いに来て励まされ、その際に信の初陣の時の武勇伝を聞いて感嘆としていた。そして朱海平原戦では、三日目に晋陸隊の奇襲で負傷するも、蒼兄弟の援護で仲間を叱咤反撃したことで反撃するきっかけとなった。趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を松左の捨て身の救出で救われ、その最期を看取り、彼の愛槍を継承した。
●飛信隊の兵卒。干斗の親友で彼よりも長身。得物は槍。
●列尾戦では窮地を崇原に助けられる。朱海平原戦では、奮戦を続けるも十四日目の趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を、松左の捨て身の救出で救われる。
●飛信隊の尾平隊所属の兵卒。兄弟揃って、肥満体の体格。得物は槍。
●列尾戦で五人ずつ敵を倒したことで、戦果を出せなかった干斗達を見下していた。朱海平原戦では奮戦を続けるも、十四日目の趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を、松左の捨て身の救出で救われる。十五日目には、開戦前に干斗らに松左から教えられた言葉を言ったことで、気を引き締める様に忠告した。戦後、尾平隊に配属。
●飛信隊の石隊所属の兵卒。得物は槍。
●石と同じ青石族。感覚が鋭く、索敵などで活躍する。
●飛信隊の渕隊所属の兵卒。
●峡村出身の兵卒で、実家が漁師のため、隊内で一番川に詳しい。黒羊編では河了貂を補佐し、激流を単身で渡河し、懸け橋となる綱を繋いだ。
●飛信隊の渕隊所属の兵卒。
●黒羊編で、渡河する任務で先陣を名乗り出たが、あまりの激流に耐え切れず流されて死亡。
●飛信隊の兵卒。得物は槍。
●列尾戦で干斗達と伍を組むが、戦場の空気に飲まれ暴走し、一人で突っ走って返り討ちに遭い戦死。
====== 王賁軍(玉鳳隊) ======
●声 - 細谷佳正
●玉鳳隊百人将→三百人将→千人将→二千人将→三千人将→四千人将→五千人将→将軍。王家嫡男。王騎とは同族で、王賁は本家筋になる。得物は槍。
●堅物で真面目、プライドが高くエリート志向が強い。そのため信への対抗心が強い。一方で独断専行が多いことから軍の上層部に快く思っていない者も少なくない。
●山陽編では、独自に用意した井蘭車で攻城戦で大いに武功を立てる。その後、臨時千人将になり戦後の平定の最中に正式に昇進、合従軍編前には二千人将に昇進。合従軍編では騰軍に所属、臨時五千人将になる。戦後、三千人将に昇進。
●著雍編では四千人将に昇進し、玉鳳隊は五千人隊に増員。騰に戦略を献策、三主攻の一つを担い、さらに魏火龍七師・紫伯討伐の功も評され五千人将に昇進。
●鄴編では、三軍連合軍の一員として出陣。朱海平原戦で秦軍右翼の一角を担う。藺家十傑・尭雲に一度は敗れ意識不明となるが、最終日の再戦では尭雲を討ち取った。凱旋後の論功行賞で、将軍へ昇進する。
●声 - 高塚正也
●王賁筆頭家臣。玉鳳隊副長。王賁の教育係で老練な武将。得物は槍。
●王賁に心酔しているが、やや傲慢な性格。飛信隊や楽華隊に対しては王賁以上に辛辣な言葉を浴びせるが、内心では信や蒙恬の実力を認めている。
●玉鳳隊千人将。元王翦軍所属。得物は矛。
●よく軽口を叩き不真面目な印象が強いが、実力は将軍に匹敵する。王賁からは、王翦からの監視役と思われている。また元王翦軍所属のため、王翦軍についても詳しく、王賁に王翦軍の将軍のことを教えている。
●鄴編では、朱海平原戦の十三日目に雷獄に捕まった王賁を逃がすために、尭雲の前に立ち塞がって重傷を負うが、一五日目には負傷した身体を押して復帰。
●玉鳳隊将校。関常の側近。口元を顔当てで隠している小柄な二刀流使い。
●宮康とは長年共に戦ってきた間柄で、「兄弟」と呼び合うほどの絆がある。
●鄴編で、朱海平原戦の十三日目に王賁を死守し、自分に変わり捨て身の殿軍を買って出た宮康に王賁を託され、その最期を看取る。その後は「十槍」を討つことに執心する。
●玉鳳隊将校。関常の側近の巨漢。得物は鉄球槌。
●鄴編で、朱海平原戦の十三日目に尭雲に敗れた王賁を救うべく捨て身の殿を引き受け、「十槍」に討たれ戦死。
●玉鳳隊将校。左眼の傷が特徴。
●血気盛んで好戦的な性格。そのため、よく王賁に窘められる。
●玉鳳隊将校。得物は槍。鄴編で朱海平原戦初日に、馬南慈に討たれた。
====== 蒙恬軍(楽華隊) ======
●声 - 野島裕史
●楽華隊百人将→三百人将→千人将→二千人将→四千人将→五千人将→将軍。蒙家嫡男。得物は剣。
●飄々とした掴み所のない奔放な性格だが、昌平君の軍師養成学校を卒業しており、昌平君から才能の底が見えないと評価される程であり、時に大将軍級の軍才を見せる天才。
●当初は千人将に値する実力を持つと評されていたが、蒙驁によって三百人将の地位にいた。山陽編では臨時千人将になり、戦後正式に千人将昇進。合従軍編では騰軍に所属し臨時五千将になり、蒙武と汗明の一騎打ちの時に背後を狙った楚将軍・媧偃から父を守った結果、楚大将軍・汗明に重傷を負わされるも一命を取り留める。戦後、二千人将に昇進。
●毐国建国宣言後、秦に侵攻してきた楚軍を蒙武と共に迎撃。咸陽攻防戦後に四千人将に、鄴編では五千人将に昇進しており、三軍連合軍の一員として出陣。
●朱海平原戦では左翼の一角を担い、初日戦死した麻鉱に代わり、王翦からの指示により秦軍左翼大将として臨時の将軍に昇進。十五日目には王翦のもとへ駆けつけて馬南慈の右目を斬り、傅抵を防いで王翦を守った。凱旋後の論功行賞で将軍へ昇進する。
●声 - 林和良
●蒙恬筆頭家臣。楽華隊副長。得物は矛。
●蒙武に頼まれて幼少期から蒙恬の教育係を務め、蒙恬に過保護な面が多い。蒙恬から「じい」と呼ばれている。
●鄴編で、朱海平原戦十四日目の夜に楽華隊本陣に忽然と現れた龐煖に襲われ重傷を負いが、蒙恬の元へ行かせまいと立ちはだかって剣で刺して一矢報いた後討たれた。
●声 - 高橋英則
●楽華隊副長。若手の将校。得物は槍。
●蒙恬に過保護な胡漸に苦言を呈すことが多い。胡漸から王賁に劣らぬほどの槍の腕を持つと評されているが、本人は否定している。
●楽華隊副長。元蒙武軍所属。
●鄴攻略戦後に、胡漸の後任で蒙武軍から配属。中性的な見た目で口数は少ない。
====== 王騎軍(騰軍) ======
●声 - 田尻浩章(第1-2シリーズ)
●王騎軍第一軍長→騰軍第一軍長→騰傘下筆頭将軍。軍内最強にして随一の激情家。得物は矛。
●馬陽編において万極軍と交戦中に王騎の死の知らせを受けて激昂し暴走、万極軍に大打撃を与えた。合従軍編で、楚将軍・臨武君と一騎討ちを繰り広げるが力およばず敗北し、騰に救出される。次に媧燐軍戦象隊に苦戦をするも指揮官を討ち、次に乱戦を生き残り、干央軍と共に媧燐軍の背後に急襲。著雍編では将軍に昇進しており、魏軍本陣を陥落させるための三主攻の一つを任された。戦後、王賁と共に蒙武軍の援護のために楚国国境へ向かい、毐国編で媧燐軍を迎撃した。
●声 - 加藤亮夫
●王騎軍第二軍長→騰軍第二軍長→騰傘下将軍。軍内随一の智将。得物は矛。
●馬陽編では驀進する蒙武を止められず、趙荘の策によって壊滅的な被害を負った。王騎の最期に立ち会い、騰が王騎軍を託されたことへの証人となった。その後は、参謀の役割に就いている。合従軍編では、前線で暴れる騰に代わり、本陣で総指揮を代行。著雍編では将軍に昇進し、戦後は魏国境での総指揮を任され、飛信隊と共に転戦する。用兵術に疎い信を厳しく指導している。
●王騎軍第三軍長→騰軍第三軍長。毒舌家。得物は矛。
●馬陽編で、渉孟と争った。その後、王騎の死の知らせを受けると言葉を発せず、泣き崩れた。
●合従軍編で秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と同金とともに迎撃。函谷関攻防戦で録嗚未とともに臨武君に襲い掛かろうとするが、白麗に射殺された。
●声 - 赤城進 / 稲垣拓哉(VOMIC++)
●王騎軍第四軍長→騰軍第四軍長→騰傘下将軍。死闘を最も得意とし、軍の突破力は王騎軍で一二を争う。得物は矛。
●馬陽編の序盤で馮忌軍と対峙し、馮忌を討ち取った信の名を高らかに宣言する粋な計らいを見せた。その後、龐煖の夜襲にいち早く反応して攻撃を仕掛けるが、援軍としてやってきた万極と交戦し、隙を突かれ負傷。合従軍編で、媧燐軍戦象隊に苦戦をするも堅実な攻めで撤退させ、次の乱戦を生き残り、録嗚未軍と共に媧燐軍の背後に急襲。著雍編では、将軍に昇進。
●王騎軍第五軍長→騰軍第五軍長。得物は矛。
●馬陽編では王騎の死の知らせを受け号泣していた。
●合従軍編で、秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と鱗坊とともに迎撃するが、臨武君に瞬殺された。
●王騎軍将校→騰軍将校。隆国軍所属。得物は矛。
●隆国から軍内でも精強と評されていたが、合従軍編で媧燐軍本隊に突撃を敢行するも返り討ちに遭う。
●王騎軍将校→騰軍将校。合従軍編で媧燐軍と戦い戦死。
●王騎軍将校。馬陽編で渉孟と戦うも部隊ごと殲滅された。
====== 蒙驁軍 ======
●声 - 玉木雅士
●蒙驁傘下将軍。得物は矛。
●山陽戦では、栄備と共に本隊の正面軍を率いる。初戦では第一陣を指揮し、不利な戦況では自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。
●始皇十一年の鄴攻略戦にも参戦し、金安での本陣への呼び出しに最後に到着した信を叱った。
●声 - 竹内栄治
●蒙驁傘下将軍。顔に一閃の傷跡がある。
●山陽編では、輪虎に郭備ら八人の千人将を討たれて蒙恬に危機を忠告されるもそこまで深刻に受け止めておらず、山陽へ進軍中に奇襲を仕掛けた輪虎に討たれる。
●声 - 竹内栄治
●蒙驁傘下将軍。得物は矛。
●山陽戦では、本隊の正面軍を率いる。最終局面では輪虎の突破力を目の当たりにして敗北を悟り、果敢に突撃をするも輪虎に討たれた。
●蒙驁軍千人将。得物は剣。
●制圧後の高狼城で部下達と乱暴狼藉を働き、それを咎めた信に逆上して斬り掛かるが、返り討ちに遭い重傷。後に蒙恬の働きで信は軽い罰で済み、部下達は罰せられることとなる。
●声 - 土田大
●蒙驁軍千人将。知勇兼備の武人で将来が期待されていた良将。
●実は下僕出身であり、子のいない郭家の養子となった。そういった経歴から、信の活躍に共感と親近感を覚えていた。
●山陽編で、飛信隊と対面して激励するも、直後に輪虎に暗殺された。後に信が臨時千人将に抜擢された時、七百人が郭備隊から補充されるも郭備が生前に信のことを好意的に語っていたことから、すんなりと信の指揮下に入ることを受け入れた。
●蒙驁軍千人将。山陽編で、廉頗四天王・輪虎に暗殺された。
●蒙驁軍三百人将→千人将。山陽編で臨時千人将に昇進するも、廉頗四天王・輪虎に討たれた。
====== 蒙武軍 ======
●蒙武傘下将軍。蒙武軍副官。隆々とした豪傑。得物は矛。
●蒙武軍将校。
●三十年以上も敵国前線にいた老兵。だが、王齕の楚侵攻は知らなかった。
====== 麃公軍 ======
●声 - 佐久間元輝
●麃公傘下筆頭将軍。麃公軍副官。得物は矛。
●麃公が若いころから仕える、歴戦の将。蛇甘平原編や合従軍編で麃公の傍で仕え、終盤には李牧軍を猛追し、麃公と共に敵本陣まで辿り着く。そして、新趙国三大天・李牧を討とうと奮戦するも戦死。
●声 - 宇垣秀成
●麃公軍千人将。自他共に厳しい激情家。信が初陣の時の上官。得物は剣。
●将の目的は勝利であり、そのために如何なる犠牲も躊躇わないと言う考えの持ち主。苛烈な性格のため猪突猛進という印象を与えているが、勇猛と無謀の違いを信に諭すなど本人なりの考えを持っている。配下の部下にも篤く信頼されていた良将。
●蛇甘平原編では、要所の丘を奪取するために無謀とも思える突撃を敢行、満身創痍になりながらも頂上へ到達し、魏将軍・宮元と相討ちになって戦死。
●麃公軍将校。
●合従軍編で、緒戦で第一陣に配置し、疲弊して後方軍へ回った時に背後から万極軍の猛攻を受けるが、信の檄に応えて反転して反撃に出る。
●麃公軍将校。特殊弓騎兵団「蒼弓隊」隊長。故人。蒼仁と蒼淡の父親。
●かつて秦国唯一の「中華十弓」に名を連ねるほどの名手。同じ「中華十弓」の馬朱離と戦うために幼い二人を置いて戦場へ赴き、その弓の実力を麃公に認められたことで特殊部隊の指揮を任され、戦場で大いに活躍をし、魏の「中華十弓」の白公を討ち取ったことで「中華十弓」と認められる。その後、ある戦場で敵の伏兵に遭って戦死したが、彼に救われたことがある元公兵の岳雷達からは深く尊敬されている。仁と淡は父の活躍を知らず、麃公軍に配属されて直ぐに亡くなったと聞かされていた。
====== 桓騎軍 ======
●声 - 伊藤健太郎
●秦国将軍。元は秦南方の野盗団の首領。
●独自の兵法を駆使し、奇策を得意とする六将級の軍略家。得物は剣。
●野盗時代に落としたある城邑の住民全員の首を自ら斬り落とした逸話から「首斬り桓騎」の異名を持ち、将軍となっても投降兵諸々を殺してしまう残忍な性格の持ち主。傲岸でもある一方、蒙には敬服している。砂鬼一家の中に桓騎軍の最古参を名乗る者がおり、桓騎の中にある根源は「全てへの激しい怒り」であることを那貴に語っていた。傘下の兵や将校達は元々はそれぞれ別の野党団であり、それらを一つ一つ説得したり、潰したりしていった。
●山陽編では、秦国右軍を指揮し、遊撃戦で介子坊軍を翻弄。敵伝令兵に変装して廉頗四天王・玄峰を討ち、その後も敵本陣を奇襲して魏国大将軍・白亀西を討って勝利に貢献。合従軍編で函谷関の守将の一人に抜擢され初日に「巨大井闌車」を焼き尽くし死守。さらに15日目には「巨大井闌車」を逆に利用し地上に降り、張唐と自軍の僅かな兵で韓軍本陣を奇襲をし、張唐に成恢を討ち取らせる貢献を果たす。秦国統一編で函谷関から敗走する毐国軍を迎え撃ち、毐国王・嫪毐を生け捕る。
●黒羊編では、総大将として飛信隊と共に慶舎軍と対峙。3日目に敢えて一切何もしないことで慶舎を怒らせ、4日目には慶舎を誘い込んで討ち取りに掛かる。信が慶舎を討ち取った後に総大将が紀彗に変わったのが分かると、捕らえていた趙兵を拷問したことで紀彗の過去と離眼兵の関係を知り、その後は手段を択ばぬ非道な戦略により、予想よりも圧倒的に少ない損害で黒羊を奪取。
●鄴編では、三軍連合軍の一角として参戦。王翦が鄴へ兵糧攻めを仕掛けた後は、鄴包囲軍を担当する。鄴の兵糧が焼かれて失ったことを知ると、兵士らを使い降伏を呼び掛けて城内の難民達の暴動を煽る。そして、難民達によって城門が解放されるとすぐに攻撃を仕掛けて鄴を陥落させる。
●声 - 川島悠美(第2シリーズ) / 永峰遥(第3シリーズ)
●桓騎傘下将軍。
●配下からは「姐さん」と呼び慕われる眼力が鋭い女傑。得物は弓。
●弓の名手で一流の戦術家。面食いで、部下の扱いは容姿で差がある。桓騎に惚れている。また勘が鋭く摩論曰く「いつも外さない」。料理が非常に下手で雷土曰く「生肉食った方がマシ」。
●黒羊編では、副官として中央丘の右翼で紀彗軍と戦い、紀彗を黒羊戦の鍵を握る人物だと警戒した。
●声 - 小松史法
●桓騎傘下将軍。
●左目の周りに輪っかの入れ墨がある巨漢。得物は矛。
●粗暴な性格だが、戦況を見極めることに長けており、野盗時代に培った知恵と経験を駆使する。その実力は高く、かつて桓騎が雷土とその一家を取り込もうとした時には相当苦労した。
●黒羊編では、左翼軍大将として岳嬰軍と戦い、初日に慶舎による策で危機に陥った時には、ゼノウと共にかつて野盗時代に使用していた笛「火兎」を吹いたことで、危機を脱しその後ゼノウらと共に中央丘にいた趙軍を襲撃した。
●鄴編では、鄴解放軍の迎撃に当たり、鄴へ到着した疲労困憊の李牧軍をゼノウ一家と迎え撃つ。
●声 - 佐久間元輝(第3シリーズ)
●桓騎傘下将軍。
●桓騎軍随一の智将。得物は持たず手に羽毛扇を持つ。黒桜同様、野盗時代からの配下で自称紳士と呼称し、相手には常に丁寧語を話す。料理が得意。
●黒羊編では、参謀として中央丘の左翼で金毛軍と戦う。鄴編では、同じく参謀として鄴解放軍の迎撃を担う。戦後の論功行賞では、桓騎の代理で訪れる。
●桓騎傘下将軍。
●桓騎軍最強の武力かつ随一の獰猛さを誇り、死地にも嬉々として突っ込んでいくため、戦狂いとまで言われるゼノウ一家棟梁。得物は大石球。
●蒙武よりも一回り大きい体格と、野牛を素手で捩じ切る程の膂力の持ち主。大きく見開いた目をギョロギョロと動かす。
●黒羊編では初日は桓騎の指示で雷土軍とともに行動し、趙軍を圧倒するも慶舎による策で危機に陥ると、雷土から「火兎」を使う用言われ使用することで危機を脱し、その後は合流した雷土達と中央丘にいた趙軍を襲撃した。2日目には左翼で動かない理由を雷土に問い質し、自分らの出番があると聞かされると納得した。4日目には飛信隊を襲撃した慶舎を逆に追い詰め、五日目の最終戦では飛信隊と共に中央丘奪取の立役者になる。
●鄴編でも参軍し、到着した李牧軍を雷土達とともに迎え撃つ。鄴が開門すると李牧軍との交戦を勝手に止め、鄴から逃げ出す難民達を押し除け真っ先に入城し、趙兵を殲滅した。
●残虐さでは桓騎軍随一とされる一家。
●拷問を好み、「砂鬼に捕まることが中華一の不運」と言われている。桓騎軍の拷問係を担当。皆切断された指や耳で作られた装飾品を装着し、常に死臭を漂わせている。また一家の中には桓騎軍最古参と名乗る人物がいる。
●黒羊編では捕らえていた趙兵を拷問し、黒羊丘近辺に住む村人達の屍で作った「贈り物」を紀彗に届けて脅し、勝敗を決定づける。
●桓騎軍千人将。
●独特の髪型に鼻輪など、非常に奇抜な格好をしている。得物は曲剣。
●実力は確かなのだが、落ち着きがなく頼りない言動が多い。また、壊滅的なまで弓が下手。桓騎が千人将に抜擢した理由は「面白いから」。
●黒羊編では何故か飛信隊への伝令として訪れるが、あまりに怪しすぎたため飛信隊の兵に止められていた。
●桓騎軍千人将。精鋭騎馬隊指揮官。得物は双剣。
●顔にピエロのような刺青をしているが、曲者揃いの桓騎軍の中では比較的良識派。
●黒羊編では騎馬隊を発揮出来ない森林地帯のため桓騎の傍らに待機。桓騎軍と飛信隊が衝突した際、那貴と入れ替わりで桓騎軍に一時加入していた尾平を割って入らせたことで同士討ちを阻止した。
●鄴編では、鄴解放軍を相手に騎馬隊を指揮し奮戦する。
●桓騎軍千人将。
●黒桜軍所属で黒桜に想いを寄せており、大活躍して惚れさせるのが夢。得物は矛。
●「鉄壁」と呼ばれるほど守戦に長けているが、黒羊編では奇襲してきた趙将軍・紀彗に首を刎ねられ戦死。
●桓騎軍将校。
●山陽編では、桓騎と共に敵本陣を落とす。
●桓騎軍将校。辮髪の巨漢。
●黒羊編では、飛信隊の伝令として活躍。一日目に失態を起こした信に対し片腕を斬るように命じるも、逆に自分の腕を斬られそうになるが、この一件関しては黒羊戦の前に飛信隊に加わっていた那貴が預かることでことなきを得た。
●桓騎軍将校。黒桜軍所属で黒桜軍最強とされる。
●桓騎軍将校。黒桜軍所属の太った中年の醜男。得物は剣。
●黒羊編では、苦戦して黒桜に援軍を要請するが、出さなければ退却すると身勝手なことを言ったため黒桜の反感を買う。
●桓騎軍将校。黒桜軍所属の美形の青年。得物は槍。
●黒羊編では、外摩と同じく苦戦して黒桜に援軍を要請するが、外摩と違ってあっさりと増援を差し向けられる。
●桓騎軍将校。
●雷土軍所属の大男で、仲間達とともに信を嘲笑したことで殴り掛かって来た尾平を逆上して殴り殺そうとしたが、仲裁に入った那貴を侮辱したことで彼に殺害された。
●桓騎軍将校。
●鄴編で密かに兵糧を横領していたために摩論の怒りを買い、みせしめとして砂鬼一家差し向けられ一家もろとも粛清された。
●桓騎軍将校。
●鄴編では一家で北を見張っており、鄴を包囲している桓騎に、李牧軍が南下して鄴に向かって来てることと、それを追撃しようとしている王翦軍の動きを伝えた。
====== 王翦軍 ======
●声 - 堀内賢雄
●秦国将軍。王賁の父親で、王一族の現頭首。得物は矛。
●恐ろしい形相を模した鎧に身を包み、目元を隠す仮面を付けている。秦六将・胡傷に「軍略の才だけで六大将軍の席に割って入ることの出来る」、三大天・廉頗から「白起に匹敵」、秦国内では「王騎と同等」と評価される名将だが同時に秦国一の危険人物とされ、長年冷遇されていた。その理由として、自らが王になりたいという野望を抱えているという噂があるためである。蒙鰲の下で一緒に副将を務めていた桓騎からは「負ける戦は絶対にしない」と評する。
●山陽編では秦軍左軍を指揮して姜燕軍と対峙し、壁軍を囮に使い窪地に姜燕軍を誘い込み包囲するが、廉頗が現れたことで分が悪いと判断し後退。その後、秘かに築いていた山砦に籠城、虎視眈々と出撃の機会を狙っていたがそのまま終戦となる。合従軍編では、燕軍を担当。15日目には燕軍を終始翻弄しつつ、さらに函谷関の裏手に現れた楚軍を一掃して、函谷関陥落の危機を救った。
●鄴編では三軍の総大将として参戦。列尾では李牧による罠を見抜くと、昌平君の戦略を放棄し己の立てた戦略による継戦を決断し、列尾を放棄し全軍で趙国王都圏に侵攻。そして、鄴に兵糧攻めを仕掛けた後、鄴を桓騎軍に任せ、鄴を解放しようとする超軍を迎え撃つべく朱海平原で秦軍中央軍から総指揮を担う。十五日目の会戦で李牧の戦術を見破り戦況を優位に進め、朱海平原での決戦が決着した後は、鄴へ向かった李牧軍を速度を重視した精鋭を選抜して追撃する。その後、鄴に潜入させた配下達に兵糧を焼き払わせたことにより、生じた難民達の暴動によって鄴を陥落させる。さらに出撃前に鄴の陥落後に発生すると予測した兵糧問題を昌平君に頼んで斉国に援助してもらうことで打開。のちに趙軍が鄴一帯から撤退したことで鄴攻略に成功。その後、最前線で扈輒軍と対峙している。
●王翦傘下筆頭将軍(第一将)。王翦からの信頼も厚く、李牧も高く評価する名将。得物は矛。
●策謀に理解があるが、それ以上に自身と自分の分身とも呼べる自軍の兵による武力頼りの強引な力技を好む。また長年に渡り王翦軍の第一将を務めてきたことで、自身も王翦が使用する戦術を複数使用出来る。
●鄴編では、朱海平原で秦軍右翼の指揮を担うも、九日目に防陣を破った馬南慈と尭雲の両者の攻撃を受けて重傷を負う。その後、亜花錦と玉鳳隊が駆け付けたことで一命を取り留めたが、意識不明の重体となる。しばらく昏睡状態だったが鄴陥落後に復活し、列尾に向けて出陣する。
●王翦傘下将軍(第二将)。亜光と並ぶ名将。得物は矛。
●亜光と同様に優れた武力を持つが、亜光とは違い策謀を好む。徹底的な練兵を重ねた麾下軍の練度は王翦軍最強とされる。
●鄴編では、朱海平原の決戦初日で、秦軍中央軍から左翼へ王翦軍第二軍を率いて楽華隊に翻弄される紀彗軍に、波状攻撃を仕掛けて追い詰めつつあったが、李牧に急襲され戦死。
●王翦傘下将軍(第三将)。王翦軍随一の智将。主に王翦の補佐を担当。
●自らは矛は振るわない将であるが、麾下軍は臨機応変に戦場で対応出来る剛柔を併せ持ち、王翦軍最賢とされる。
●朱海平原決戦十五日目に倉央と共に共伯軍と対峙し、朱海平原での決着がついた後は、鄴へ向かった李牧軍を追撃するための、精鋭軍以外の十分の八の残軍を指揮する役目を任され、残軍を率いて陥落した鄴へ到着した。
●王翦傘下将軍(第四将)。堅物揃いの傘下の中では珍しく軽口を好む猛将。得物は矛。
●王翦傘下の将軍らと同じく優れた知略を持っているが、自ら先陣を切れる高い武力をもっており、本人曰く「自分は戦い専門」。
●朱海平原決戦十五日目に、田里弥と共に共伯軍と対峙。李牧軍の撤退後は李牧軍を追撃する為の精鋭軍の一員に選ばれ、王翦らと共に鄴へ向かう。
●王翦傘下将軍。亜光軍副官。王賁の元教育係。
●四十五年間戦場に出続ける歴戦の老将。朱海平原決戦九日目に藺家十傑・堯雲の足止めに失敗し、戦死。
●王翦傘下将軍。倉央軍副官。得物は双剣。
●大柄な隻眼の女傑で、倉央とは恋仲。倉央と同じく高い武力を持ち、自ら先陣を切れる力の持ち主。
●朱海平原決戦十五日目に、王翦からの指示で共伯軍へ、倉央と共に先陣を切り猛威を振るう。大乱戦の最中李牧軍本陣まであと一歩で迫るも龐煖に阻止され、立て直しのため一時退却。再度、李牧軍本陣を狙い、立ちはだかった趙将軍・共伯を一騎打ちの末に討ち取り、右軍から駆け付けた馬呈と対峙するが決着は着かなかった。李牧軍の撤退後は精鋭軍に選ばれ、李牧軍の追撃へと向かった。
●王翦傘下将軍。亜光軍所属で、柔軟な思考が出来る良将。また、勝ち戦には能力以上の力を発揮する。娘が五人いる。
●朱海平原決戦九日目に意識不明の重体となった亜光に代わり、大将代理を担当。亜光と王賁不在の戦場で、信を新たに大将に据える。終盤、馬南慈軍を足止めしていたが、馬南慈軍の機動力を読み違えたことで森からの王翦軍本陣への突破を許してしまう。
●王翦軍二千人将。
●亜光軍所属で、朱海平原決戦十五日目に金毛軍に苦戦する飛信隊の援軍に向かう。亜花錦の実力を認めており、普段から信頼している。
●王翦軍千人将。
●亜光軍所属で「悪童」の蔑称で呼ばれ、性格難のため千人将に置かれているが、関常に軍才は亜光軍一と評価される。得物は短柄蛇矛。
●朱海平原決戦二日目に王賁を援護し、九日目には窮地の亜光を救出。十四日目は馬南慈の足止めに専念しつつ、自隊の兵を失いつつも馬南慈を足止めし、信による趙峩龍討伐の報を聞くと、すぐに段茶に突撃の指示を出し、自身は潰れ役として馬南慈を足止めする事で馬南慈軍を半壊させた。十五日目には、馬南慈軍を段茶と共に足止めしていたが、飛信隊が金毛軍に苦戦しているのを見ると、段茶の命令で援軍に向かい金毛軍を撃破し、飛信隊らと共に李牧軍を攻撃する。
●王翦軍将校。
●合従軍編で弓隊を指揮し、崖を登ろうとする燕軍主力八千を殲滅する。
●王翦軍将校。得物は矛。
●合従軍編で王翦に燕国大将軍・オルド捕縛を命じられ、退却中のオルドを襲うも返り討ちに遭い戦死。
●王翦軍将校。
●麻鉱軍所属で、朱海平原戦の初日の麻鉱戦死と参謀全滅の報に動揺し、放心の所を蒙恬に叱責され、彼の指揮で立て直しを図り、全滅を阻止。以降、臨時将軍となった蒙恬に従い、紀彗軍と戦う。
====== 壁軍 ======
●壁傘下将軍。壁を尊敬している。
●屯留の反乱では、副将として参戦。秦国統一編では、壁に代わり反乱鎮圧軍大将として参戦。
●壁軍千人将。壁の従弟。
●壁軍将校。橑陽戦で、ブネン軍と戦い戦死。
====== 昌平君軍 ======
●昌平君傘下筆頭家臣。軍師学校の教官。得物は矛。
●合従軍戦編では、昌平君の命により蕞攻防戦に参戦。秦国統一編では加冠の儀に参列し、終了直後に昌平君と共に呂不韋陣営から離反。その後、昌平君に同行して咸陽攻防戦に参戦。鄴編では、昌平君たちと共に鄴攻略の戦略を苦労して完成させた。
●鄴編では、昌平君の命で王翦軍に兵糧を送るために出陣し、列尾で扈輒・舜水樹軍と対峙する。実は黄河を渡って兵糧を運ぶ青忠水軍の陽動だったが、李牧に見抜かれていた。
●昌平君傘下家臣。得物は矛。
●秦国統一編では加冠の儀に参列し、終了直後に昌平君と共に呂不韋陣営から離反。その後、昌平君に同行して咸陽攻防戦に参戦。
●昌平君傘下筆頭将軍。昌平君麾下近衛兵団団長。得物は矛。
●秦国統一編では、咸陽攻防戦に参戦。始皇十二年に政が呂不韋が隠遁している河南城を訪問した際には、護衛として同行している。
●声 - 水沢史絵
●蒙家の次男。軍師候補生で昌平君の軍師養成学校で学び、そのまま側近になる。若輩ながら、蒙恬も認める軍才の持ち主。得物は剣。
●合従軍編では蕞攻防戦に、秦国統一編では昌平君に同行して咸陽攻防戦に参陣。さらに、昌平君たちと共に鄴攻略の戦略の練り上げにも参加した。
====== 成蟜軍 ======
●成蟜傘下筆頭家臣。得物は剣。
●成蟜の元教育係を務めた老臣で、瑠衣と共に失脚後の成蟜を見捨てなかった数少ない忠臣。嬴政によって復権された後の成長した成蟜を頼もしく思っている。始皇八年に成蟜に同行して従軍するが、屯留城内で蒲鶮によって成蟜と共に拘束され、成蟜と同じ牢に幽閉される。その後、成蟜と共に脱獄するが、瑠衣を救出に向かう途中で蒲鶮兵に発見されて、成蟜を庇って死亡。
●成蟜傘下家臣。
●屯留出身で、蒲鶮に拘束され飛信隊に救出されると成蟜と瑠衣の救出に一助を成すが成蟜を救えず、亡骸の前で号泣。成蟜の死後、瑠衣と共に政を支える。
●成蟜傘下筆頭将軍。得物は矛。
●屯留救援戦において、成軍の副将として参戦。しかし蒲鶮が本性を現した際、蒲鶮に斬り掛かろうとして龍羽に不意打ちで殺される。
●成蟜傘下将軍。得物は矛。
●屯留救援戦において、成軍の副将として参戦。しかし裏で蒲鶮と通じており、屯留城内で袁夏を斬殺し成蟜を拘束。そして屯留の反乱では、反乱軍の指揮官として討伐軍と交戦。本来の計画では、裏で内通していた趙軍と共に討伐軍を殲滅して、壁の首を手土産に趙へ亡命する予定だったが、飛信隊の参戦によって戦況が不利となり屯留城へ撤退。反乱の終盤で、なおも壁の首を狙って奇襲をかけるが、それを察知していた壁が伏せていた弓隊によって射殺された。
●声 - 青木強
●演 - 大内田悠平
●成蟜軍将校。
●貧しい工人の出で、口減らしで捨てられた過去を持つが、剣と筆の才能に恵まれて成蟜の側近にまで上り詰める。だが、その出自を嫌った成蟜の気まぐれでランカイに潰されて死亡。
====== 竭軍 ======
●声 - 青木強
●演 - 宇梶剛士
●竭氏傘下筆頭将軍。肆氏の片腕にして、精鋭弩弓隊を率いる。得物は剣。
●政一派との戦闘中、乱入した王騎の前に立ちはだかり、偽の昌文君の首を差し出した件で斬り掛かるが返り討ちにされ戦死。
●実写映画版では、竭氏死後、謀反人になることを恐れてなおも抵抗するが王騎に阻まれる。政の中華統一という目的に賛同せずに斬りかかるが、信に斬り殺された。
●声 - 高塚正也
●演 - 坂口拓
●竭氏傘下将軍。肆氏の片腕にして、竭氏の人斬り長と呼ばれる。服を汚されただけで相手を真っ二つにするほど、気性が荒い。得物は長剣。
●王都奪還戦で策を読んだ肆氏の指示により、別働隊が通ると予測した回廊で待ち構え、壁や信たちと対峙。選抜された勇猛な山の民を圧倒するほどの武力を持ち、力と速さを兼ね備えた自らの剣を天下最強と豪語するも、壁に負わされた傷で剣が鈍り、信に敗死。
●実写映画版では、序盤に兵を率いて政の追跡の指揮を執り、口封じに信がいた村を焼き払っている。終盤にランカイと入れ替わる形で回廊ではなく、本殿で信達と対峙して敗死する。
====== その他の秦国軍人 ======
●声 - 高塚正也
●秦国千人将→三千人将→将軍。壁とは幼馴染の武官で、飄々とした性格をしている。得物は剣だが、後に矛に変更。
●蛇甘平原編では千人将、合従軍編では壁とともに三千人将に昇進し、秦国統一編では将軍に昇進する。壁の依頼で反乱鎮圧軍副将として、咸陽攻防戦に参戦。
●秦国将軍。丸城守将で「星眼の黒龍」の異名を持つ隻眼の猛将だったが、蛇甘平原編で魏火龍七師・呉慶に敗死。
●秦国将軍。馬央守将。馬陽編で趙将軍・公孫龍に敗死。
●秦国将軍。水軍指揮官。
●鄴編で水軍を率いて黄河を渡って王翦軍へ補給物資を運ぼうとしたが、待ち構えていた趙将軍・甲鬼央の水軍に壊滅される。
●秦国将軍。故人。昭王時代の将軍で南安攻略の総大将だったが、戦死したため王騎が後任で総大将を遂行。
●秦国兵士。蛇甘平原編で沛浪の伍の一員だったが、戦車隊の投槍を受けて戦死。
●屯留兵士。屯留の反乱時に成蟜の見張りをしていたが、説得により寝返り、成蟜と瑠衣の救出に死力を尽くし死亡した。
●秦国兵士。秦国統一編で昌平君の指令書を届けに伝令として飛信隊のもとに現れる。河了貂に指令書の封が切れていることを指摘されて慌てて言い訳して誤魔化すなど怪しい様子を見せていた。
===== 楊端和軍(山の民) =====
●声 - 新垣樽助
●演 - 阿部進之介
●楊端和傘下筆頭将軍。戦に巻き込まれて滅んだバジ族の生き残り。得物は双刀。
●発見当時は人語すら出来ず獣のような気性だった。楊端和に敗れ一族に加わり、次第に人間性を取り戻して山の民、秦両方の言語を話す有能な戦士に育つ。しかし過去の獣の心は未だに持っており、本人の意思でその獣を解放することができる模様。実は方向音痴。
●王都奪還編で信にランカイを倒させる貢献を果たし、シュンメンと共に秦国左丞相・竭を討ち取る。合従軍編では蕞救援に駆け付け、趙将軍・晋成常を討ち取った。鄴編にも参戦し、列尾を陥落させ、橑陽を落とすべく犬戎将軍・ゴバと対峙し、後の逃走戦で死力を尽くして端和を死守した。
●声 - 高橋英則
●演 - 一ノ瀬ワタル
●楊端和傘下将軍。巨漢で剛力を誇る戦士。得物は大石球。自らの面を折った信を戦士として認める。
●王都奪還編で、信にランカイを倒させる貢献を果たす。合従軍編では蕞救援に駆け付け、一騎討ちで疲弊し倒れた信を死守した。鄴編では、秦国の言葉を少し覚えたが片言でしかも間違っているため、まだ上手く話せない。その後、橑陽を落とすべくバジオウ指揮の下でゴバと対峙し、後の逃走戦でシュンメンと共に端和とバジオウを救出した。
●声 - 高塚正也
●演 - 阿見201
●成子飼いの、常識外れの巨体と怪力を持つ巨漢。幼少期に化猿の子として売られていたところ、成に買われる。その後、彼により「お仕置き」という拷問に近い行為により、恐怖によって支配されていた。反乱鎮圧後は、山の民に引き取られた。
●合従軍編では山の民と共に救援に駆けつけ、李牧軍相手にその暴威を揮って、信を除く飛信隊の面々を驚愕させていた。
●実写映画版では、左慈と入れ替わる形で回廊に現れるも、信たちに敗死。
●端和の側近。橑陽戦で、壁の通訳を担当。
●端和の側近。王都奪還編から仕える古参。橑陽戦で、端和の命で全族長への伝令を任された。
●端和の側近。王都奪還編から仕える古参。
●端和の側近。王都奪還編から仕える古参。橑陽戦で、端和を守り抜いて戦死。
====== 鳥牙族 ======
●声 - 青木強
●鳥牙族族長。得物は長刀。
●王都奪還編で信にランカイを倒させる貢献を果たし、さらにバジオウと共に秦国左丞相・竭を討ち取り、最後に王都奪還後に引き取られたランカイの教育係を担当。合従軍編では蕞救援に駆け付け、趙軍を蹂躙。鄴編では、橑陽戦の犬戎族との戦いで負傷するも九日目に復帰し、バジオウ指揮のもとで犬戎の将軍ゴバと対峙し、後の逃走戦でタジフと共に端和とバジオウを救出した。
●シュンメンの側近。派手な首飾りが特徴。
====== フィゴ族 ======
●フィゴ族族長。得物は大矛。カプロという鷹をペットにしている。下ネタを好んで使用している。
●タジフ並の巨漢で周囲から「フィゴ王」と呼ばれ、皆が一目置く猛将。かつては楊端和らと幾度と無く死闘を繰り広げて来たが、今は端和に惚れ込んでおり、彼女が自分に惚れることを狙って鄴攻略戦にも山民族軍の一角として参戦。橑陽戦では九日にはトアク軍と対峙し常に先陣に立ち自軍の兵の半数を失うが、犬戎将軍・トアクを瞬殺。その後、端和救出の際にロゾ軍と趙軍に遭遇し、舜水樹にワザと策の全貌を伝えることで、趙軍を戦場から離脱させ、ロゾとの一騎打ちでは自らを囮にして壁を援護し、ロゾ討伐の一助を成した。
●ダントの側近。平地の言葉を話せるため、通訳も担当。ダントの下ネタも翻訳することがある。
====== メラ族 ======
●メラ族前族長。得物は曲剣。
●妹のキタリと共に端和の側近を務めている。秦国の言葉も話せる有能な青年で、山民族では珍しく温和で礼儀正しく冷静な性格。
●橑陽戦では、壁軍と共にブネン軍と対峙するも、ジリ達に纏わりつかれたところをブネンに彼らごと刺されて、致命傷を受けて戦死。
●メラ族族長。得物は二振りの曲剣。
●カタリの妹で、勇猛な女戦士。兄と違って秦国の言葉は流暢に話せず、血気盛んで毒舌。
●橑陽戦では、壁軍と共にブネン軍と対峙。カタリを失い激昂して単騎突貫するも、討死寸前で壁に救われた。復活後に当初は壁に激昂するも役割を思い出し、メラ族族長を継承。その後、ブネン軍を追撃し、犬戎将軍・ブネンを瞬殺し仇を討った。
●カタリの側近。メラ族長老の一人。
====== 猿手族 ======
●猿手族族長。壁を走る者と言われる猿手族随一の壁登りの達人。
●小柄な老人だが、周囲から「エンポじぃ」と呼ばれ一目置く老将。端和を「マンタンワ」と間違えて呼ぶ。端和から橑陽攻略の特命を受け、猿手族を率いて城を一夜で陥落させた。
●エンポの側近。猿面を被った大男。得物は徒手空拳。
●素手で人を殴り殺せる程の膂力を持つ、格闘術の達人。
==== 後宮 ====
●声 - 中津真莉子 / 松田利冴(第3シリーズ)
●宮廷に仕える宮女。貧商の娘。何度も夜伽で政の相手を務めているが、政が伽の時間に書を読むためであったり、話し相手になっているだけで、長い間手はつけられていなかった。
●宮女という立場としてだけではなく、本心から政を慕い、呂不韋と太后の密通を目撃した際に、宦官に刺されるも何とか逃げ出して政にことの次第を伝えた。
●後に、政との娘である麗を出産。秦国統一編では、毐国軍に追い詰められるが、間一髪で信と飛信隊に救われた。反乱鎮圧後、嫪毐の処刑の際に政を責め立てる太后に対し、涙ながらに怒りを露わにして政に愛情を向けない太后を責めた。
●声 - 中塚智実 / 井上遥乃(第3シリーズ)
●宮廷に仕える宮女で、向の親友。向とは対照的に、高貴な生まれ。
●重傷を負った向を助けるために、夜伽の順番を無視して政に助けを求めた。秦国統一編では、向と麗を逃がすために身を挺して毐国軍の前に立ちはだかったが、間一髪で信と飛信隊に救われた。
●声 - 棟方真梨子
●嬴政に直属で仕える女性医師。嬴政の指示によって、重傷を負った向を救った。
●宮廷に仕える宦官。秦国統一編では、陽と向と麗を守るために逃げ道へ案内するが、念のため付けていた目印によって逃げ道の罠を回避するも、直後に現れた刺客の亜民に立ち向かい死亡。
●宮廷に仕える宦官。秦国統一編では、呂不韋側に付き陽達を殺害しようとするも微久に阻まれ失敗し、反乱鎮圧後に処刑された。
==== 毐国 ====
●声 - 坪井木の実
●政の実母にして、後宮の長。
●かつて傾国の美女と謳われ、政を産んだ以後も年を取らぬという噂が立つほど若く美しい容姿をしている。かつては「邯鄲の宝石」「美姫」などと呼ばれ、呂不韋の許嫁にまでなっていた。ところが荘襄王の妃として宛がわれたことに絶望し、そのうえ趙国で民衆から侮辱と虐待を受ける日々を送ったことで、全てを憎悪するようになった。太后となってからもその性格は直らず、政への母性や愛情は皆無。
●政権争いの助力を政から請われて引き受ける姿勢を見せたが、実際は助けるつもりは無く、後宮勢力を呂氏陣営へ入れるために呂不韋と姦通し、その後は太后との肉体関係を断ち切ろうとした呂不韋が送り込んだとの肉欲に溺れる。
●それ以降、秦の古都「雍」に籠もっていたが、実際はとの間に二人の子供を儲けていた。そして、著雍編から二ヶ月後に突如朝廷に現れて、随行させていたを山陽長官に任ずるよう呂不韋に認めさせた。さらに太原一帯に兵民を集めさせ、太原一帯を「毐国」にすると宣言した。
●嫪毐が飾りであっても、趙高の実務能力で毐国を創り上げる算段だったが、国としての体裁を整える前に虎歴に出し抜かれ、中央政府への挙兵に追い込まれる。
●反乱鎮圧後は、その責任を一身に引き受けた嫪毐の貢献もあって雍に軟禁されながらも助命され、嫪毐との二人の子も政によって密かに逃された。その過程で、政との間の母子の繋がりを取り戻した。始皇十年には幽閉を解かれ、雍から咸陽に帰還した。
●宦官の一人として後宮に入った男性。実は宦官ではなく、呂氏陣営の命で太后の伽を務めることのみを任務にしている巨根絶倫の男。
●著雍戦から二か月後、山陽長官に推す太后に伴われて朝廷に現れた。その後、太后と共に山陽から太原へ移住し、建国に至った。そこでは暴走しがちな廷臣を押しとどめる才覚も無く、ただ毐国造反の旗頭として祭り上げられてしまう。しかし、太后が心の中に隠している悲哀を見て取ったことで、太后のために忠誠を尽くし生きることを決意した後は、愚鈍ながらも一角の男としての器量と風格を見せるようになる。
●反乱鎮圧後、捕えられて車裂きの刑に処せられ一族もすべて誅殺されたが、取り調べでは反乱をすべて自らの計画として太后を庇い通した。最期まで太后への愛に殉じ、太后に今までの感謝を述べたのち、従容として刑に臨んだ。
●声 - 竹内栄治
●秦国太后傘下筆頭家臣。後宮に仕える宦官。
●太后に従順だが、彼自身の思惑を垣間見せる時もある。その才能を高く買う太后には個人的な秘書官のように重用され、実務面から毐国建国を担った。反乱失敗後は、蜀に流刑された。
●毐国筆頭家臣。毐国建国に尽力したが、実は楚に派遣されていたスパイ。太后と嫪毐の子二人を人質に取り、反乱に追い込んだ。
●毐国筆頭将軍。の反乱に参加。得物は矛。
●咸陽を攻めるもワテギが討死したことで反乱失敗を悟り逃亡、その後で変装して咸陽での息子の処刑を見届けた。以降は消息不明。
●毐国将軍。樊於期の息子。の反乱に参加。得物は剣。
●常に笑みを浮かべているが、弱者を殺すのは軍を持つ者の特権と考える残虐で歪んだ性格で、そのため人望が無い。咸陽を攻めて民を虐殺し、後宮に侵入して向達を狙うも、駆け付けた信に右腕を切断され、さらに部下に見捨てられ捕縛。反乱鎮圧後、咸陽で処刑された。
●毐国将軍。異民族・戎籊(じゅうてき)族の王。通称は戎籊公。得物は矛。
●領土を制圧された過去から、秦国に恨みを持つ。の反乱に参加し総指揮を任されるが、昌平君に敗死した。
●毐国将校。戎籊族出身。咸陽攻防戦で戦死。
●毐国将校。得物は槍。樊琉期の側近で、信に討たれた。
==== 秦国国民 ====
●声 - 赤城進
●演 - 六平直政
●城戸村の長。里典は役職名で本名不明。下僕時代の信と漂の主。家事や仕事ができない信にムチを打ったり暴言を吐く暴力漢だが、漂の敵討ちに燃える信を案じたり、漂の遺体から首を取ろうした追っ手を止める等、根っからの悪党ではない。
●実写版では、原作程の暴挙ぶりは鳴りに潜めており(ムチ打ちこそはしたが)、将軍を目指して修行に打ち込む信に感心して唖然する等、コミカルな面も見せた。
●声 - 金田アキ / 西墻由香(VOMIC)
●城戸村の里典の息子。
●父同様、何をやってもうまくできない信についてはあまりいい感情を持っていなかったが、漂のことは気に入っていた。しかし、漂の死に怒りを露わに暴れる信を停め、漂の遺言に守るように言った。
●声 - 槙乃萌美
●尾平の婚約者。
●尾平との仲はかなり良好。容姿は小柄で可愛く、面倒見の良さから飛信隊の隊員達から「尾平には勿体ない」と言われている。
●尾到の婚約者。
●馬陽戦後に尾到戦死の報を聞き、泣き崩れた。
●蕞に住む少年。父の名は甘仁(かん じん)で、函谷関で戦っていた。
●合従軍編で李牧軍が蕞に迫る中、政の檄に真っ先に応えた。戦後は生き残り、咸陽へ戻る政達を見送った。
●王翦の妻で、王賁の母。故人。秦の大貴族「関家」出身の女性。
●王賁を妊娠後に不義の噂が流れたが、本人は完全黙秘したことで真偽不明のまま王賁の出産直後に死亡。
=== 趙国 ===
==== 王族 ====
●第九代目趙国王。
●自分本位で身勝手な人物。病弱で寿命が長くないことを自覚しており、国の行く末については全く関心がない。李牧を始め臣下からは失望されており、廉頗からは「先代以上のバカ王」と酷評されている。桃泉殿という浴場でよく大勢の童子達と湯治している。
●鄴編では、秦軍侵攻の報告を聞いても邯鄲軍の出陣を認めないだけでなく、自分が生きている間王都が落とされなければ良いと断言している。鄴が陥落しても邯鄲軍を送らないどころか、李牧を朱海平原の敗北の責で強引に呼び戻して投獄したことで、鄴一帯が秦国に奪われる。その後は舜水樹ら李牧の腹心達と邯鄲で内戦状態となるが、湯治中に童子達に毒を盛られて死亡する。
●第八代目趙国王。故人。長平の戦いの敗戦の遠因を作った愚王。
●趙国太子。
●父と違い聡明であり、鄴攻防戦では邯鄲軍の出陣を認めない悼襄王に代わって李牧に詫び、必要とあらば自ら出陣すると告げるなど、李牧から真の光明と期待されている。
●李牧の処刑を取り止めるように父に必死に訴えるが、反感を買い右耳を噛み千切られる。悼襄王の死後、次期趙王として実権を握り、捕らわれていた李牧ら賢人達を解放して趙国の立て直しを図るが、悼襄王の遺言で末子遷が次期国王に指名されたことで実権を奪われる。その後、逆臣として遷一派の刺客や追手に命を狙われるも、李牧達と共に小城の法紹まで落ち延びる。父以上の暗愚になるであろう遷が王位を継いだことで趙国の未来に絶望し、慟哭した。
●悼襄王末子。
●日頃から行いが悪く、堂々と奴隷を引き連れている。悼襄王の遺言で、次期趙国王に指名される。
●悼襄王の夫人。
●悼襄王の伯父で、鄴城主。
●民は国の礎であるという考えを持つ、民想いの人物。李牧からは賢人と評される。鄴攻防戦で、鄴周辺の王翦軍に落とされた小城から避難して来た民を全て鄴の城内に収容したことで、逆に兵糧攻めにあってしまう。当初は秦軍よりも兵糧が備蓄されていたことに安堵していたが、朱海平原開戦の十三日目の夜に避難民に扮して潜入していた王翦兵の決死の覚悟による焼き討ちで兵糧の大半を失い窮地に立たされる。
●兵糧がつきると難民達が暴徒と化し、押さえ切れず秦趙大戦十八日目に難民達によって城門が開門されてしまい、桓騎軍の侵入を許してしまう。最期は楼閣に登って、鄴を守れなかったことを悔いながら飛び降りて自害する。
==== 趙国廷臣・諸侯 ====
●趙国筆頭大臣→宰相。李牧失脚後、趙国の政権を奪取した佞臣。裏で呂不韋と繋がっている。
●鄴編で李牧を地下牢に投獄し、公開処刑を言い渡す。また、宰相位を剥奪された李牧の後任の宰相となって、李牧から列尾へ兵の増強を訴えられるも握り潰し、その後も李牧の助言を悉く握り潰した。悼襄王の急死で自身の立場が危うくなったが、遷が次期国王に指名されたことで再び実権を得る。遷の立場を盤石にすべく、すぐに太子嘉や李牧ら嘉一派の粛清に動き出す。一方で握り潰していた李牧の助言を使い、対秦防衛網を構築する。
●趙国家臣。郭開に取り入って、李牧失脚に貢献。実は昌文君によって派遣されているスパイであり、得た情報を昌文君へと流している。
●趙国家臣。良識派の老臣で秦軍侵攻を知り、悼襄王に邯鄲軍の出陣を上奏するも聞き入れられなかった。
●趙国家臣。嘉の直臣で、良識派の重鎮。李牧と行動中に郭開の差し向けた刺客の手に掛かって死亡する。
●趙国家臣。悼襄王の寵愛を受けている青年。呂不韋とは旧知で、書簡を貰い秦に出向いた所を拉致され、秦趙同盟が結ばれるきっかけとなった。
●趙国家臣。趙国財界の要人。秦趙同盟締結後、春平君の代わりに人質になる。
●趙国家臣。郭開派の佞臣で就寝中に屋敷に侵入した李牧救出隊に家族を人質に取られ、李牧の居所を話すが虚報だったため、舜水樹によって報復として処刑される。
●趙国書記官。悼襄王が亡くなる前に、遷を次期趙国王に指名する遺言を作成させられる。
●趙国近衛隊長。
●郭開らのことを快く思っておらず、悼襄王死後は近衛兵という立場を利用して郭開の命令を拒否していたが、遷が次期国王に指名されたことで止む無く従うことになる。
●青歌城城主。得物は大矛。
●表向きは病弱だとされているが、実際は趙国中枢を嫌って命令を全て無視している。それ故に李牧の推挙による「三大天」の任命すら断り、青歌から動かずにいる。
●鄴編では、燕軍が青歌に侵攻したことで兵五千を率いて出陣しオルド軍二万と互角の戦いをしている隙に、趙泊軍が燕国国境の二城を攻め落としたことで燕軍を撤退させ、オルドに「大虎」と評された。
●離眼城城主。得物は矛。
●黒羊編では、知勇兼備の名将として慶舎から副将に抜擢され、黒桜軍と対峙。二日目に押されている中央丘の味方の前に姿を現して鼓舞し、反撃して黒桜軍を後退させる。慶舎の死後金毛を説き伏せて継戦したことで実質的な総大将になる。ところが桓騎の非道な戦略で離眼が狙われ、離眼を見捨てられず黒羊から撤退。その後離眼も放棄し灰城へと流れた。
●鄴編で李牧によって馬呈と共に召喚され、朱海平原では趙軍右翼の指揮を担う。初日に楽華隊と麻鉱軍によって窮地に陥るも、李牧が麻鉱を討ち取ったことで形勢が逆転し、一気に麻鉱軍を壊滅させようとするが失敗、その後は左翼の将となった蒙恬の策によって膠着状態となる。終盤、右翼軍を率いて秦軍中央軍をかすめるように動いて馬呈を回収し、鄴へ向かう。
●橑陽城城主兼犬戎族の王。得物は大矛。
●自らの軍を徹底的な恐怖により支配しており、敵を味方もろとも討つ策を奇策でなく通常の策として用いる。将兵の家族はすべて人質とし、わずかでも失敗したり怖気づいた将兵は家族もろとも処刑する残虐な性格。悼襄王のことは侮蔑しているが、李牧のことは評価している。
●鄴編では、無断で山民族軍を橑陽までおびき寄せた舜水樹を部下に斬殺させようとしたが、彼との取引に応じて山民族軍と戦う。楊端和を捕える寸前まで追い詰めるも、別動隊に橑陽城を落とされ、フィゴ王・ダントとの一騎討ちで、彼に気を取られた隙を突かれ壁に討たれた。
●乱城城主。李牧軍の補給を手伝い、さらに燕軍や鄴周辺の状況を李牧に報告した。
●前・離眼城城主。故人。
●紀彗の父で、馬呈と劉冬の育ての親。戦上手で民思いの名君であったが、唐釣に隙を突かれ、離眼城を落とされ、勅命により城内の人質の助命と引き換えに唐釣の手によって火刑で処刑され、紀彗に後を託した。
●前・暗何城主。故人。圧政を敷いていて、地域の覇権を紀昌と争っていたが、「旦虎の戦い」で紀彗に討ち取られた。
●暗何城主。唐寒の子で臆病者だが紀昌の隙を突いて離眼を落とし、勅命により紀昌達を処刑した。その後紀彗との争いに敗れる。
==== 趙国軍 ====
===== 趙国大将軍 =====
●声 - 高橋英則
●趙国大将軍。故人。得物は矛。
●長平の戦いで、廉頗の後任として秦軍と戦うも王騎に討たれた。
●趙国大将軍。廉頗と二十年間共に戦い、趙軍第二位大将軍に位置した人物。
●王命に従い、やむなく廉頗軍と戦い数で圧倒したものの、単騎で切り抜けて来た廉頗に矛を突きつけられ降伏。廉頗からは「腹六分目」と評され、格の差を痛感した。後に、他国に亡命した。
====== 趙国三大天(新) ======
●声 - 森川智之 / 浪川大輔(PSP)
●新・趙国三大天筆頭。得物は剣。
●どこか涼しげで飄々とした立ち振る舞いで穏やかな性格をしているが、中華でも指折りの知略と自ら敵中に飛び込んで敵将を討てるほどの武勇を持つ知勇兼備の英傑。
●馬陽編では、中盤にカイネ達とともに河了貂と蒙毅達がいた廃砦に現れる。実は訪れる前に十万の匈奴を誰にも知られずに討伐し、終盤で四万の軍を率いて参戦。秦六将・王騎を討つきっかけを作った。その功から、趙国宰相となる。
●馬陽戦後に呂不韋と秦趙同盟を締結し、秦が山陽を占領している間に燕へ侵攻し燕国大将軍・劇辛に圧勝した。
●合従軍の発起人で、秦を滅亡寸前まで追い詰めるも、蕞攻防戦で山の民の出現によって敗走。帰国後、失脚し前線地の監督の見回りに左遷された。始皇八年には宰相に復帰したが、実権は失脚していた間に勢力を増した郭開に握られている。
●秦の中華統一阻止のために西部防衛網を築くが、舜水樹の報告で秦の目標が鄴であると看破。鄴を包囲した秦軍に対し閼与の軍を率い、朱海平原で王翦軍と激突。初日に少数の部隊を率いて奇襲を仕掛けて秦将軍・麻鉱を討つ。死闘の末に朱海平原から退却し鄴の救援に向かうが、鄴の陥落を目の当たりにし後退。そのまま鄴を包囲し兵糧攻めしていたが、朱海平原の敗北の責で王印の騎士団に邯鄲へ連行されて、地下牢に囚われて軍総司令を罷免された上に、宰相位も剥奪される。郭開に処刑を言い渡されるが、太子嘉によって解放される。だが、末子遷が次期国王に指名されたことで太子嘉とともに粛清対象となり、カイネとともに彼を守りながら法紹まで落ち延びる。その後、舜水樹・馬南慈達と合流し、いずれ郭開達が自分を頼ると予想して雌伏することを決め、司馬尚の協力を得るため青歌に向かう。
●声 - 高塚正也
●新・趙国三大天の一人。"武神"と称する恐るべき武勇を持つ大男で、ざんばらに伸ばした髪と顔の傷が特徴。得物は大矛。
●人を超えた存在になることを目指しており、他の強者の存在を許さず、強者がいれば敵中であろうと単身で乗り込んで討ち取りに行く奇行を繰り返していた。そうした面から昌文君に一個人の武勇は認めざる得ないものの「将として人を率いる器ではない」と評されていた。
●かつて趙国領だった馬陽を攻めていた秦軍本陣を襲撃し、秦六将・摎を一騎打ちの末に殺害。その直後、激情に駆られた秦六将・王騎に顔を斬られ敗北。この因縁から、王騎を討つために李牧の誘いに乗って趙軍総大将となって因縁の馬陽へ出陣。
●馬陽編では夜襲を仕掛け、飛信隊を半壊させ信と羌瘣を圧倒的な実力で追い詰めるも決着には至らなかった。決戦日での王騎との一騎討ちで、自身の矛を砕かれてしまうが、魏加の横槍で出来た一瞬の隙を突いて砕かれた矛で王騎を刺して致命傷を負わせた。しかし、致命傷を負ってもなお自身を圧倒する王騎の力を目の当たりにし、王騎を討っても納得がいかないまま、戦場を立ち去った。
●その後、深山で修行を積んでも王騎を超えた感触を得られず迷っていた際に、李牧の誘いで趙燕戦争の総大将となり、燕軍大将軍・劇辛を一騎打ちで討ち取った。合従軍編では、李牧軍に同行。追撃してきた秦国大将軍・麃公を一騎討ちの末に、片腕を折られるも討ち取った。蕞攻防戦終盤で、信との一騎討ちの末に重傷を負い、信との決着には至らず、信に名を覚えておくと告げて撤退した。
●鄴編では、朱海平原戦九日目に信が岳嬰を討った時に王騎の気配を感じ取り、十四日目の夜に秦軍左翼の蒙恬陣営に突如姿を現し、胡漸隊を壊滅させた後、姿を消した。最終局面で李牧本陣目前に迫った飛信隊の前に立ちはだかり、羌瘣を退けると、因縁の信との一騎討ちを繰り広げるが、最期は信に討ち取られ死亡する。
●気功術で人々を治療していた夫婦の間に産まれた子だったが、赤ん坊の時に現在の煖のような姿の大男に両親が襲われて殺され、自身はその大男に攫われた過去を持つ。鄴編から十九年前に山中である戦に敗走して瀕死だった李牧と出会い、彼を"求道者"である自身に答えを示す"導く者"だと悟り、追手を全滅させて彼を助けた。
====== 趙国三大天(旧) ======
●旧・趙国三大天の一人。廉頗と刎頸の交わりを交わした人物でもあり、兄弟に例えられる。故人。
●敵味方全てを掌で転がして勝つのが大将軍という考えを持ち、李牧から「智」と「勇」を兼ね備えた大戦略家と評され、持ち合わせていなかった「武」を担わせる「藺家十傑(りんけじっけつ)」と呼ばれる十将を配下にしていた。予知能力とも言える先見の明の持ち主で、生前一度だけ会った秦六将・王騎と中華について語った。
●全盛期に突如病に倒れ、病死。今際の際に、尭雲と趙峩龍に二人の朱海平原での奮戦を匂わせる預言をし、二人にはまだ役目があると言い殉死をしない様言い残した。生前に尭雲と趙峩龍の二人に中華についての行く末を語り、二人に対して二つの遺言を残していた。
●旧・趙国三大天の一人。故人。
===== 趙国軍人 =====
====== 藺相如軍 ======
●藺家十傑筆頭。藺相如から教え込まれた知略を兼ね備えた本能型の猛将。配下に精鋭麾下軍「雷雲」を所有。さらにその中から、選りすぐりの十人からなる「十槍」がいる。獲物は大矛。
●鄴編では、朱海平原で趙軍中央軍の一角を担っていたが、3日目に左翼へ援軍として向かい、飛信隊と交戦に入る。河了貂の裏を悉くかいて戦局を優勢に進め、飛信隊本陣への奇襲を仕掛けた時に信と一騎討ちを行うも、決着に至らなかった。終盤王賁を狙いに行き追い詰めたが取り逃がす。その際右腕を負傷したため翌日に十槍に軍を任せ療養のため待機に留まり、趙峩龍の最期を聞き趙峩龍軍を吸収し復帰を決意。仇を討つべく、馬南慈の指示を無視して秦軍に突撃をかけたが、王賁に討たれ戦死する。最期に信と王賁に対して、自身が藺相如から託されていた遺言を伝えた。
●藺家十傑次席。配下に精鋭麾下軍「土雀」を所有。尭雲に劣らぬ武勇を持ちながら知略で敵を討つことを好む智将。獲物は矛。
●鄴編では、朱海平原で趙軍左翼の実質的な将として策を巡らせる。終盤に捨て身の戦法に出てきた飛信隊を包囲し追い詰めるも返り討ちにされ、主力を失い森の中へ撤退。兵を集結させて立て直しを図るが、那貴に発見されたことで立て直しを終える前に襲撃を受けてしまう。藺相如の遺言を胸に信と一騎打ちを繰り広げ、激闘の末に尭雲に後を託して討ち取られ戦死した。
●藺相如軍将校。趙峩龍軍「土雀」右隊長。徐林の兄。得物は長槍。両頬にホクロが一つずつあるのが特徴。
●朱海平原決戦十四日目で、徐林が討たれたことに激昂して主力を集結させて殲滅を図り、羌瘣を狙うが逆に討たれ戦死した。
●藺相如軍将校。趙峩龍軍「土雀」左隊長。徐肖の弟。得物は長槍。両頬にホクロが二つずつあるのが特徴。
●朱海平原決戦十四日目で、徐肖と共に信を追い詰めるも逆に討たれ戦死した。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」第一槍。得物は槍。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」第三槍。得物は槍。朱海平原決戦で我呂を圧倒するも、蒼仁の矢を受け怯んだ所を我呂に討たれ戦死した。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」第四槍。得物は槍。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」第五槍。得物は槍。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」の一員。得物は槍。
●藺相如軍将校。尭雲軍「十槍」の一員。得物は槍。朱海平原決戦十三日目に王賁を追い詰めるも、殿を引き受けた宮康に討たれ戦死した。
●藺相如軍将校。尭雲軍所属で、朱海平原決戦三日目で飛信隊を揺さぶるべく単隊で新兵隊へ吶喊、蹂躙するも蒼兄弟の援護と干斗達の反撃を受け、撤退出来ず崇原に包囲殲滅された。
●藺相如軍将校。尭雲軍所属で、朱海平原決戦三日目で飛信隊に横撃を仕掛けるも、直前に去亥隊の突撃を受けて戦死し、部隊は半壊した。
●藺相如軍将校。尭雲軍所属で、朱海平原決戦三日目で那貴に包囲殲滅された。
====== 李牧軍 ======
●李牧傘下将軍。李牧軍副官。李牧軍随一の智将。得物は剣。
●感情が乏しく常に無表情だが、思考を巡らせると一転して雰囲気が変わる。匈奴に縁がある。
●鄴編では、秦国軍の動向を探り、わずかな情報から敵の狙いは鄴ではないかといち早く感付き、李牧に報告する。その後、李牧の命令で橑陽軍総大将として犬戎族を嗾けて楊端和と戦い、追い詰めるも別働隊の猿手族によって橑陽を失って撤退。その後、列尾に向かい、敵の退路を塞ぎにかかる。扈輒とともに列尾を死守し北部軍の増援を待つが、李牧の投獄と北部軍不動の知らせを受けて激昂。扈輒の提案を受けて、列尾から撤退する。その後は李牧を救出するために、カイネ達を率いて居所の捜索をしていた。しかし、事態の急変で李牧と太子・嘉を守る為に馬南慈や傅抵と共に李牧軍を率いて王都の外で邯鄲軍と交戦し、脱出に成功した李牧と合流する。
●李牧傘下将軍。李牧軍副官。蒙武並の巨漢で「雁門の鬼人」の異名を持つ、李牧軍随一の猛将。得物は大矛。
●鄴編では、朱海平原で趙軍右翼の一角を担い、中盤で堯雲とともに亜光を追い詰めるも、亜花錦の横槍で失敗。終盤で李牧の指示に従って戦略的後退を行い、後に飛信隊らを守っていた段茶軍を無視して、森を突破して王翦軍本陣の側面を突いて傅抵隊と挟撃して王翦を追い詰めるが、救援に駆け付けた王賁と蒙恬に阻まれ、蒙恬に右目を斬られる。
●李牧傘下将軍。常に笑みを絶やさぬ歯が無い白髭の男。陽気ながら峻烈な言動が目立つ。得物は矛。
●合従軍編で李牧軍副将を務める。蕞の戦いに敗れると李牧を諭して殿軍を引き受け、最期はバジオウに討たれ戦死した。
●李牧傘下将軍。
●共伯と共に麾下の兵士達らと同じく、李牧の戦術を徹底的に仕込まれている。鄴編では、朱海平原決戦十五日目で王翦本軍と対峙するが、共伯軍と田里弥軍と倉央軍との交戦を見て戦術の絡繰りを見抜いた王翦によって戦術を破られ、苦戦を強いられる。退却後、邯鄲に連行される李牧に代わって鄴包囲の指揮を執る。
●李牧傘下将軍。得物は矛。
●雷伯と同じく、麾下の兵士らと共に李牧の戦術を徹底的に仕込まれている。鄴編では、朱海平原決戦十五日目で田里弥・倉央軍と対峙。李牧の戦術を用いて、田里弥と倉央らを翻弄する。その後は本陣に迫ってきた糸凌と一騎打ちするが、討ち取られ死亡する。
●李牧傘下将軍。
●合従軍編では、蕞攻防戦で西軍大将として蕞西門を開放し陥落させるも、直後に楊端和軍の急襲を受けて軍ごと殲滅された。
●声 - 優希(第1-2シリーズ) / 村井美里(第3シリーズ)
●李牧軍三千人将兼側近の女性剣士。得物は双剣。信を「つり目」と呼び嫌う。
●雁門出身で、両親を匈奴に殺害されたことから憎悪していた。当初は李牧の撤退戦術に反発し嫌っていたが、後に心服。
●馬陽編では貂と最初正体を隠し友情を築き、合従軍編では李牧軍で参戦し貂と再会、彼女を切れず説得しようとして失敗。
●鄴編では、三千人将へ昇進し李牧と共に秦軍を迎撃。秦将軍・糸凌に立ち向かうも圧倒され、駆け付けた馬呈に促されて李牧の元へ向かう。
●戦後は、囚われた李牧の捜索に奔走するも待ち伏せを受けて重傷を負う。李牧が解放された後、李牧と共に刺客や追手から太子・嘉を死守する。
●李牧軍三千人将。鼻と口を覆うように布を巻いた剣士。得物は双剣。
●三大天の一角になる野望を抱いている。カイネに好意を寄せているが、いつもあしらわれている。合従軍編では、李牧別働軍で参戦。蕞の戦いでは田有と竜川を倒し、信を一時圧倒するが、すぐに圧倒された上、復活した竜川に城壁から落とされた。「山の民」が現れた際、側面を突いて楊端和を討とうとするが、ランカイに阻まれる。
●鄴編でも、李牧と共に秦軍を迎撃。最終局面で田里弥軍と倉央軍を突破し、馬南慈軍と共に王翦軍本陣を挟撃する。王翦の目前まで迫るが、王賁と蒙恬に阻まれる。その後、事態の急変で李牧と太子・嘉を逃がす為に舜水樹や馬南慈と共に李牧軍を率いて邯鄲軍と交戦し、脱出に成功した李牧と合流する。
●李牧軍将校。「中華十弓」の一人。
●馬陽編で新時代の幕開けに自らの軌跡を残すことと煖を守るため、汚名を覚悟で王騎へ一矢報いた後、激昂した信に討たれ死亡した。
●李牧軍将校。李牧軍所属で、朱海平原決戦十五日目に左翼の最終防衛線をになっていたが、飛信隊に突破され戦死。
●李牧軍将校。得物は槍。馬南慈軍所属で、朱海平原決戦初日に馬南慈と共に亜光軍を横撃し援軍にきた玉鳳隊を迎撃するも、王賁に討たれ死亡した。
●李牧軍将校。得物は槍。傅抵隊所属で、朱海平原決戦十五日目に馬南慈軍と共に王翦軍本陣を挟撃し左翼を抑えていたが、駆け付けた楽華隊に背後から急襲を受け戦死。
====== 慶舎軍 ======
●声 - 平川大輔
●李牧傘下筆頭将軍。「沈黙の狩人」の異名を持つ。得物は剣。
●麃公と異なる本能型の武将で、蜘蛛の用に幾重にも策を巡らせ、相手を誘い込み討ち取る知略家であるばかりか、信と打ち合えるほど武力を持つ知勇兼備の名将。元々は戦争孤児であったが、その戦略の才能を李牧に見出された。その軍略の際は凄まじく、李牧との模擬戦では李牧に何度か勝ち、その戦い方故に李牧からは「自分でも実戦で慶舎を討ち取るのは至難の業」と言わしめる程。市松模様の頭飾りに見られるように、同じ市松模様の馬装で統一された直属の配下らの中でも、近衛兵は桓騎兵や元公兵を圧倒するほどの実力を持つ。
●合従軍戦では、李牧に替わって趙軍の総指揮を執り、公軍と対峙。自身の策で同じ本能型である麃公を翻弄した。
●黒羊編では、総大将として桓騎軍と飛信隊と対峙。初日に奇襲を仕掛けて雷土とゼノウらを追い詰めるも、「火兎」によって逃げられる。三日目には好機にも関わらず何もせずに一日を終えた桓騎に対して苛立ちを覚え、四日目に自ら近衛兵を率いて飛信隊を殲滅に行くも、それを読んでいた桓騎の策により追い詰められる。紀彗に助けられその後は撤退するが、少数の兵を率いて来た信との一騎討ちに敗れて戦死。
●慶舎傘下筆頭将軍。気性が荒い長身の猛将。得物は槍。
●横柄で一匹狼な性格だが、慶舎には心酔していた。黒羊編では、右翼として雷土軍と戦う。緒戦は奇襲で雷土達を翻弄するが、「火兎」で逃げに徹する敵を追い切れず逃げられる。離眼へ戻ろうとする紀彗達を殺してでも止めようとするが、金毛にその短絡的な考えを叱責される。なお、討たれた慶舎の遺体を見た時は、味方を死傷させるほど怒り狂った。
●鄴編では李牧に従軍し、慶舎を討った飛信隊に並々ならぬ憎悪と復讐心を漲らせ、朱海平原で趙軍左翼の一角を担う。九日目に仇討ちのため、自ら信の首を取りに行くが逆に討たれ死亡した。
●慶舎傘下将軍。恰幅が良い智将。得物は曲刀。
●黒羊戦では、中央丘にて摩論軍と対峙し四日目には慶舎の危機を察知すると、救出に向かおうとするも磨論によって止められ、摩論軍との激闘中に慶舎を失う。それによって心が折れかかるが、紀彗の説得で奮い立ち、継戦を懇願する紀彗を総大将に立てる。しかし、その紀彗軍がやむなく離脱してしまい、そこに攻めて来た桓騎軍を防戦しきれず黒羊から撤退。
●鄴編では李牧に従軍して朱海平原では趙軍中央軍の一角を担う。終盤に左翼を突破した飛信隊と交戦し善戦するも、援軍に来た亜光軍の前に敗れ李牧軍まで離脱した。その後、飛信隊の要の一人である河了貂を討つために奇襲を仕掛けるも蒼兄弟に阻止され、最期は蒼淡に射られて戦死する。
●慶舎軍将校。黒羊編では慶舎を補佐。
●慶舎軍将校。岳嬰軍所属で、朱海平原決戦九日目で玉鳳隊を足止めした。
●慶舎軍将校。得物は槍。金毛軍所属で、朱海平原決戦十五日目に飛信隊と交戦し善戦するが、援軍に来た亜光軍の前に敗れる。自暴自棄になり突撃しようとする金毛を窘め離脱させた後、殿を務め奮戦の末に戦死。
●慶舎軍将校。金毛軍所属で、朱海平原決戦十五日目に金毛と共に河了貂を討とうとするも、蒼仁に討たれ死亡する。
====== 趙荘軍 ======
●声 - 津田健次郎
●趙国将軍。大将代理の軍師。
●馬陽編で煖に代わって全軍の指揮を執っている。蒙武軍を壊滅に追い込み、援軍として現れた王騎軍と激突。ここで騰隊に追い詰められ離脱を試みるが、逃げ切れずに騰に討死。間際に自らが大将代理を務めたことに満足し、王騎の死を見届けられなかったことだけが唯一の無念であると残していた。
●声 - 武藤正史
●趙国将軍。「特攻の万極」の異名を持つ。長く伸ばした白髪に黒い歯が特徴で吃音の気がある。得物は波打った刃を持つ曲刀。
●長平の戦いで父・万顔と兄・万剛とともに従軍し、生き埋めにされたが自力で這い上がった数少ない生存者。この経緯から誰よりも秦国に憎悪しており、その復讐で秦国民の虐殺を繰り返していた。
●馬陽編では副将を務め秦領の馬央周辺集落を蹂躙。龐煖夜襲時に同じく夜襲を仕掛け、干央を負傷させ、飛信隊を半壊させた。王騎討死の時は、それを知って激昂し暴走した録嗚未軍の猛攻を受けて大打撃を被る。
●合従軍編では、長平の戦いで犠牲になった兵士達の遺族や遺児達で構成された軍を指揮する。公軍の背後を襲って大打撃を負わせるが飛信隊によって押し止められ、長平の怨念とともに猛威を振るうが、信との一騎討ちの末敗れて致命傷を負った。その後、信からの誓いを聞き、最後は憑き物が落ちた表情で死亡。
●声 - 浜田賢二 / 我妻正崇(VOMIC++)
●趙国将軍。「頭脳の馮忌」の異名を持つ。中華に名が知られる智将。
●長距離戦に強いが、近づかれると弱くなることを自覚しているため、近づかれる前に早期に決着を付けることを好む。
●馬陽編では趙右軍を指揮し、初戦で秦左軍と当たり壊滅同然にまで追い込んだが、それも全て王騎の狙い通りであったことに気付き、離脱を試みるも干央に阻まれた隙を突かれて信に討たれた。
●声 - 水島裕
●趙国将軍。「破壊の渉孟」の異名を持つ。頭上で結った辮髪と太めの容姿が特徴。得物は月牙鏟。
●鱗坊に危険と言わしめるほどの武力を持つが、それゆえに尊大で傲慢な性格。煖を嫌い、自身が軍功で三大天となることを目指している。秦六将のことは実力は認めているものの過去の遺物と見下している。
●馬陽編では初戦で凄まじい武勇を見せる。その後、秦六将・王騎と相見えた時に一騎討ちを挑むが、直前に格の違いを目の当たりにして討たれた。
●声 - 斉藤次郎
●趙国将軍。「万能の公孫龍」の異名を持つ。隻眼で、左眼を縦断する傷痕が特徴。
●馬陽編では、副将を務めた。鄴編では橑陽軍の指揮を任されるが、後に命令で舜水樹と指揮官を交代。九日目で、バジオウに右手を斬り落とされた。
●声 - 桐本琢也
●趙国将軍。「守備の李白」の異名を持つ。かつて八千の寡兵で、五万の燕軍を撃退した守戦の達人。
●馬陽編では、蒙武軍と対峙。初戦は斜陣で蒙武軍を防いでいたが、次の日に蒙武に突破されて大きな損害を被る。合従軍編では、初日は慶舎の指示で敢えて何もせず、次の日からは堅実な守りで飛信隊を終始翻弄した。
●趙荘傘下筆頭将軍。趙荘軍副官。
●騰隊突撃により片腕を失う重傷を負い、李牧に王騎軍の追撃を訴えるも叶わなかった。
●趙荘軍千人将。李白軍所属で、重装騎兵隊隊長。緒戦で中央軍の先鋒を務めるも、秦将軍・蒙武に討たれ死亡した。
●趙荘軍将校。趙荘軍所属で、過去の戦で一族を王騎に殺されており憎悪しているが、王騎を前に戦慄していた。
●趙荘軍将校。馮忌軍所属で、飛信隊を殲滅しようとするも干央に部隊ごと壊滅させられた。
====== 紀彗軍 ======
●紀彗傘下将軍。紀彗の幼馴染で、紀彗軍随一の猛将。身体中が傷だらけの巨漢。武器は長柄大斧。
●「離眼の悲劇」では、味方が「旦虎の戦い」で勝利した一方で、傷病兵として劉冬と共に離眼で療養していたところを唐鈞軍に襲撃され、応戦するも力およばず失陥し、紀昌の前で劉冬と共に深く悔いていた。
●黒羊編では、飛信隊と対峙し一時的に撃退するが渕隊の奇襲によって一時後退。最終的に桓騎軍が離眼に向かったことで撤退。
●始皇十一年の鄴攻防戦では、朱海平原で趙軍右翼の一角を担う。終盤に紀彗からの指示で中央軍へ救援に駆けつけ、カイネの代わりに糸凌と対峙するも決着はつかず、駆け付けた右翼軍に回収されて鄴へ向かう。
●紀彗傘下将軍。紀彗の幼馴染で紀彗軍随一の智将だか武勇にも優れている。得物は剣。「離眼の悲劇」で左眼を失い、以後は前髪で隠している。
●黒羊戦では、飛信隊と対峙し一時的に勝利するが深夜に羌瘣に奇襲を受ける。攻防の末、彼女に重傷を負わせ撃退するも自身も深手を負い、一時戦線を離れるが怪我をおして戦線に復帰し、羌瘣との再戦の末に戦死した。
●紀彗軍傘下将軍。黒桜軍と対峙し苦戦するも紀彗の出現で士気向上した軍を率いて黒桜軍を押し返した。
●紀彗軍二千人将。鄴編で蒙恬に誘い込まれ、陸仙に討たれ死亡した。
●紀彗軍将校。黒羊編で要衝を任され、黒桜軍と対峙。
●紀昌の側近。故人。勅命により、紀昌と共に処刑された。
====== その他の趙国軍人 ======
●趙国将軍。
●「邯鄲の守護者」の異名を持つ名将。だが、悼襄王のことを「クソ」と言い放っている。
●鄴編で、列尾に赴き王翦軍の補給に来た介億軍と対峙する。その後、騰軍と対峙した時は舜水樹とともに北部軍が到着するまで列尾を死守しようとしたが、増援が来ないことを知ると全ての軍を邯鄲へ撤退させて邯鄲周辺を強固にすることを提案し、列尾から撤退した。その後は、最前線で王翦軍と対峙している。
●趙国将軍。
●李牧失脚後の混乱期において突如として秦への進軍を開始するが、出征してきた成蟜軍にあっさり撃退される。実は蒲鶮ら反乱軍と通じており、龍羽率いる反乱軍が壁率いる討伐軍と対峙していた際、討伐軍の側面を強襲しようとしたが、現れた飛信隊に阻まれ圧倒され撤退した。
●趙国将軍。曹州守将。飛信隊と交戦し、苦戦しても余裕を見せていたが、玉鳳隊や楽華隊が増援に現れると即後退した。
●趙国将軍。「離眼の悲劇」時の勅命の立会人。
●趙国将軍。鄴城西壁長。
●鄴城に大勢の難民を収容したことで、鄴の兵糧が保つのか危惧していた。
●趙軍将軍。趙軍東部長官。
●燕軍侵攻で李牧の献策と司馬尚の指揮に従い、燕国国境の二城を攻め落とした。
●趙国将軍。
●鄴編で「山の民」が占拠している橑陽城を包囲し、王翦軍と合流するのを阻んでいた。
●趙国将軍。水軍大将。
●李牧の指示で黄河を渡って兵糧を送ろうとする青忠の水軍を待ち伏せし壊滅させる。
●声 - 田尻浩章
●趙国将軍。故人。脱出を図る政を精兵を率いて追撃するも、昌文君に討たれた。
●趙国将軍。故人。昌文君と摎が初めて出会った戦場の将軍。摎に討たれた。
●趙国将校。「中華十弓」の一人。
●趙国将校。列尾の守将。得物は矛。
●鄴編の列尾戦で騎馬隊を率いて飛信隊を迎え撃ち、田有を退けるも信に一刀両断され死亡した。
●趙国将校。列尾弓兵隊を指揮して楊端和軍を迎え撃つも、蒼仁に討たれた。
●趙国将校。鄴の守将。得物は槍。
●鄴編で鄴から難民が全て出て行った後に桓騎軍を迎え撃とうとするが、難民を押し退けて来たゼノウに討たれ死亡する。
●趙国将校。万極、万剛の父。故人。
●長平の戦いで息子達と共に捕虜になり、生き埋めにされ死亡した。
●趙国兵士。万極の兄。故人。
●長平の戦いで捕虜になり、生き埋めにされ死亡した。
===== 犬戎族 =====
●ロゾの血族で、ブネンとトアクの兄。得物は双剣。山民族からは、三兄弟の中で一番のキレ者と評されている。
●橑陽戦九日目でバジオウと対峙し、己を囮に端和を誘い出すも彼女に全く歯が立たず首を刎ねられ戦死。
●ロゾの血族で、ゴバの弟でトアクの兄。得物は鎌矛。配下に対し酷薄な傾向の強いロゾとその血族の中でもそれが顕著であり、「恐将」と畏怖されている。
●橑陽戦九日目で壁軍とメラ族と対峙し、味方のジリ達ごとカタリを討ち取った。後に端和を直接狙うも追いついたキタリと対峙、カタリの仇打ちに燃えるキタリの前に成すすべもなく敗死。
●ロゾの血族で、ゴバとブネンの弟。得物は曲刀。
●橑陽戦九日目でフィゴ族と対峙し、ダントに一撃で屠られた。その首は彼等の手によって晒されることとなった。
●ブネン傘下筆頭将軍。ブネン軍最精鋭「ジリ兵団」団長。得物は曲刀。
●カタリによって致命傷を負うも、最後の力で部下達と共に彼に纏わりついてブネンに討たせる。
●ロゾ軍将校。処刑されたガエズに変わり、追撃を任される。
●ロゾ軍将校。山民族軍を追い詰めるも突破され逃走されたため、責任を負う形として処刑された。
●ロゾ軍将校。橑陽戦二日目で端和に討たれた。
●ロゾ軍将校。端和を捕えようとするも、タジフに討たれた。
●ゴバ軍将校。バジオウと対峙し、シュンメンに討たれた。
==== 趙国民 ====
●声 - 大原さやか
●趙国の闇商で、紫家の頭目を務める女性。故人。得物は弓。戦争孤児だったが、餓死寸前のところを敵兵から逃走中だった行商人紫啓に拾われ、育てられた。優れた商才を持ち、家督を継いでから商売を倍の規模に成長させた。養父への恩返しという意識から、自分と似た境遇の政を秦国に帰還させる仕事を受け、道中で政の失われた五感を取り戻させた。帰還の途中、追手の趙兵との戦いで落命した。
●声 - 草尾毅(江彰)/ 落合弘治(亜門)
●闇商で紫夏の孤児時代からの幼馴染。故人。二人共、紫夏に幼いころから好意を抱いており、江彰は16歳の時にプロポーズしているが、断られている。帰還に同行し、趙兵との戦いで落命。
●行商人で紫家の前頭目。故人。紫夏らの養父。孤児であった紫夏たちを救い、以後も人助けに傾注した結果、落命した。
●黒羊丘の森内に住む村の村長の老婆。劉冬奇襲後に負傷し、村へたどり着いた羌瘣を治療。しかし、黒羊戦の五日目に恒騎軍の襲撃によって村人ごと虐殺された。
=== 魏国 ===
==== 王族 ====
●第一五代目魏国王。
●廉頗に「見た目でしか人を量れぬ」と言った暴言を受けても激怒することなく、敗戦した廉頗の死罪を回避し追放に留めるなど温和な性格。また、呉鳳明の説得に応じて、先王によって投獄されていた魏火龍の三名を解放するなど、寛容さもある。
●第一四代目魏国王。故人。
●魏火龍七師の暴走を許した愚王。内乱を起こして生き残った魏火龍三人を処刑せんとしたところを呉慶の諫言で思い留まり、表向きには病死扱いとし、三人を地下牢への幽閉に留めさせた。
==== 魏国軍 ====
===== 魏国大将軍 =====
●声 - 浪川大輔
●魏国筆頭大将軍。
●呉慶の息子で父譲りの知略と戦略眼を誇り、独自の攻城兵器の開発なども手掛けている。
●合従軍では魏軍総大将を務め、函谷関攻めの主攻を担い、「巨大井闌車」や「床弩」を投入するなど函谷関の守備隊を大いに苦しめた。だが、巨大井闌車を桓騎に焼かれ、その後も徹底抗戦を受け、以降は李牧と合わせて彼も意識するようになる。
●著雍編では、駆け付けた要衝の防衛を自ら指揮するだけでなく、三人の魏火龍を地下牢から解放して呼び寄せた。秦からの猛攻の三日目に、敵の目論見に気付くも時すでに遅く、側近を影武者に仕立て間一髪で本陣から離脱。その後に合流した霊凰から騰本隊への突入で討ち取り戦況の逆転を試みんとする戦略を明かされるも、直後に信に襲撃されるが、咄嗟に霊凰を身代わりにして脱出。戦況の立て直しを断念して、著雍から魏軍を撤退させた。
●鄴編では、騰が北上して列尾に向かった隙に侵攻し、山陽近くまで攻めたことが語られる。
●声 - 楠見尚己
●旧・趙国三大天筆頭→魏国大将軍。
●顔中傷だらけの初老の大男。李牧からも「正面から当たれば勝てる人間は一人もいない」と評される。得物は大矛。
●趙の英雄とされる百戦錬磨の名将だが、「長平の戦い」の最中に王命により趙括へ総大将の任を委譲させられた苦い過去を持つ。また魏の繁陽を攻めていた最中に悼襄王が趙王に即位すると、素行の悪さを度々諌めたことで恨まれていたため、更迭処分される。これを拒否したことで逆賊扱いされるも、楽乗率いる追討軍を返り討ちにし、そのまま魏へ亡命。三年間沈黙を保っていたが、秦の侵攻に対して魏軍を率いることを決意。
●山陽編では、自身の立場を考慮して白亀西に総大将を任せているが、実質的に全体の指揮を執っている。途中、本陣を離れて別動隊として動き、王翦の罠に嵌った姜燕を救出。その後、蒙驁軍の本陣がある丘の背後から現れ、対廉頗用の防御網を次々と突破し頂上に辿り着く。蒙驁との一騎打ちでは、蒙驁の臂力に一時圧倒されるも、蒙驁の左腕を斬り落として窮地に追い込んだ。しかし、先に白亀西を討たれた上にその後の戦況の不利を察し、山陽の割譲で和睦に妥協。ただし、魏からは山陽喪失の責任を取らされ、終戦後には部下と共に魏国を追放されると、楚へ亡命。
●楚では、春申君暗殺後に李園を媧燐に面会させた。
●声 - 青木強
●元呉慶傘下将軍。呉慶軍副将→魏国大将軍。
●特別何かに秀でている物は無い凡将だが、国民から親しまれている。
●蛇甘平原編では、真ん中の丘に陣取っていた。呉慶の元へ駆け付ける途中、王騎に止められ退散。
●山陽編では、蒙率いる秦軍に対し、名目上の魏軍総大将となる。桓騎軍によって本陣陥落時に捕えられるが、総大将としての誇りから命乞いを拒否したため桓騎に惨殺された。
====== 魏火龍七師 ======
●声 - 赤城進(少年時代 - 大原桃子)
●魏火龍七師筆頭。得物は長剣。
●元は趙に滅ぼされた「甲」という国の王族であり、甲滅亡後、名を変え顔に墨を入れ、放浪中に魏の信陵君の元でその才を見出され、名を取り戻し魏の将軍となった。知略に長けながらも、前線に立つ優れた武力を併せ持ち、秦国六大将軍や趙国三大天と鎬を削った。魏火龍同士の内乱時では唯一どちらにも付かず、生き残りの処刑を阻止し、地下牢への幽閉に留めさせた。
●蛇甘平原編で、公軍の魏の滎陽へ侵攻した際に先手打って逆に秦の丸城を攻めて陥落させ、秦将軍・黒剛を討ち撃退気運を高めた。戦車隊の力を発揮するために蛇甘平原に陣取り、三つの丘を全て占領し奥の丘に布陣。秦国大将軍・公が出撃すると、それに呼応するように地の利がある丘を降りて自ら出撃。最期は公との一騎討ちを繰り広げた末に討死した。
●魏火龍七師の一人。殺した武将は百を超えるといわれる剛将。得物は大矛。
●同世代の王騎達と違って、頭が良いとは言えず、自軍が優勢な状況下で大将である自分の位置をわざわざ名乗り出るなど、兵法にそぐわない無茶振舞をすることが多い。戦争とは「強者が弱者を蹂躙する殺戮場」であり甘美な夢などないと言う持論を持つ現実主義者。かつて王騎や廉頗は自分を恐れて一騎打ちするのを避けたと豪語したが、信に志の低さから「相手にされなかっただけ」と指摘される。
●十四年ぶりに地下牢から解放され、防衛に加わった著雍編では飛信隊と激突し、信と壮絶な一騎討ちにおよぶも決着がつかず、霊凰を信に討ち取られたことで立て直しが不可能だと判断した呉鳳明からの撤退命令で、著雍から撤退した。
●魏火龍七師の一人。冷酷無慈悲な軍略家で、呉鳳明の師。
●魏火龍が同士討ちの際には凱孟とともに紫伯に味方し、先王によって表向き病死扱いとされ、地下牢へ幽閉された。
●十四年ぶりに地下牢から解放され、著雍戦に参戦。戦争とは領土の奪い合いではなく、武将の殺り合いだと考えている。魏軍本陣からの狼煙で陥落を悟り、少数で離脱してきた呉鳳明と合流した際には形勢逆転の策を示すが、直後に信の襲撃に遭うと呉鳳明に身代わりにされ討たれる。
●魏火龍七師の一人。魏国史最強の槍術師と言われる程の達人で、加えて知略にも長けた知勇兼備の名将。
●紫伯とは、紫家における当主名であり、本名は紫詠。元々、義父の紫太が囲っていた女性の連れ子であった。直接の血の繋がりが無いことから母親を流行病で亡くすと存在を疎まれて激戦地へ送られる日々を過ごし、これらの経験から槍術を実戦形式によって徹底的に鍛え上げられ、紫太に実子が生まれなかったことから紫伯の名を継ぐ。
●それまでの経歴からか全ての物事に興味を持っておらず、妹の紫季歌のみを心の拠り所としていた。その絆は義兄妹としての関係を超え、妻として娶ることを紫太に願い出るほどであった。しかし、嫌っていた紫詠があらゆるものを持っていくことに我慢ならなかった紫太により、遠征中に紫季歌の婚儀を強引に執り行う。この相手が魏火龍・太呂慈であり、その価値観によって不貞を働いたと見なされた紫季歌は斬殺され、激怒した紫詠は紫太を殺害、そのまま太呂慈とその味方に付いた晶仙と馬統の三人を討ち取った。
●著雍戦にて、十四年ぶりに解放される。その知略と武勇を持って玉鳳隊を苦戦させ、王賁に重傷を負わせた。しかし、三日目の再戦で、自身の弱点を見抜かれ王賁に討たれる。
●魏火龍七師の一人。女性に対して異常に独占欲が強く、二十名もの妻を不貞を働いたとして殺害した異常者。
●紫太の計略によって、妻となった紫季歌を殺害。火龍の昌仙・馬統を味方につけ紫伯達を迎え撃ったが、紫伯によって討たれた。
●魏火龍七師の一人。太呂慈に味方したが、紫伯に討たれた。
●魏火龍七師の一人。軍師風の男。太呂慈に味方したが、紫伯に討たれた。
===== 魏国軍人 =====
====== 呉慶軍 ======
●声 - 小室正幸
●呉慶傘下将軍。呉慶軍副将。戦略家ながらも、呉慶同様に武勇にも優れる。得物は刃渡りが長い短槍。
●蛇甘平原戦では秦軍手前の丘に陣取り、地の利と戦車隊を駆使して秦軍に多大な被害を与える。頂上まで突破して来た千人将・縛虎申との一騎討ちで、彼を槍で貫いたところを捕えられて相討ちに斃れ死亡した。
●呉慶傘下将軍。細目と無表情が特徴的。得物は長剣。
●朱鬼と共に「将狩り」の異名で知られていた。単騎で吶喊して来た信を圧倒していたが、公が迫って来る焦りで攻撃が雑になった隙を突かれて討たれた。
●声 - 高橋英則
●呉慶傘下将軍。鋭い眼光と顔の傷が特徴的。得物は長剣。
●麻鬼と共に「将狩り」の異名で知られていた。麻鬼が信に討たれて気がそれたことで突破して来た公の対応が遅れ、迎撃出来ず討たれた。
●呉慶軍将校。宮元軍所属で「中華十弓」の一人。
●奇襲してきた縛虎申隊に矢を浴びせて縛虎申を射抜き、さらに接近してきた信の騎馬の頭も射抜くも、死力を尽くした信の騎馬に突破され信に討たれる。
====== 凱孟軍 ======
●凱孟傘下筆頭将軍。
●常に投げやりな口調で話すが、戦術や兵法に精通しており凱孟軍の頭脳そのものである。凱孟からの信頼は厚く、羌瘣によって人質に囚われても、その人命を尊ばれた。
====== 呉鳳明軍 ======
●呉鳳明傘下筆頭将軍。元霊凰軍所属。鉄仮面をつけた巨漢で、武力なら六将級の猛将。得物は大矛。
●著雍編では、騰軍を圧倒するも敗北により撤退。始皇十一年の鄴攻略戦のころには、周鉱と同じく鳳明に付き従っていた。
●呉鳳明軍将校。元霊凰軍所属。
●呉鳳明が霊凰を身代わりにしたことを責めたが一蹴され、渋々ながら納得。始皇十一年の鄴攻防戦のころには、乱美迫と同じく鳳明に付き従っていた。
●呉鳳明軍将校。合従軍編で鳳明を補佐。
●呉鳳明軍将校。著雍戦で、鳳明の影武者となって戦死。
====== 廉頗軍 ======
●声 - 檜山修之
●廉頗四天王筆頭。辮髪と大柄な体躯が特徴。得物は長柄斧矛。
●変則的な戦い方を苦手とするも、正面からのぶつかり合いでは廉頗に匹敵するほどの力を持つ。配下に巨漢ばかりの精鋭部隊を所有している。
●山陽戦序盤は左軍の指揮を執り、桓騎のゲリラ戦法と非道な精神攻撃に翻弄されるも、玄峰によって発見した桓騎軍本陣を襲撃して半壊させた。また最終局面でも、断崖を騎馬で駆け上って廉頗に加勢し、蒙驁本陣で猛威を振るった。
●戦後は、廉頗に従い楚に亡命。
●声 - 川田紳司
●廉頗四天王の一人。「中華十弓」の一人。
●双眸を閉じたような容姿をした美男子。かつて小国の雄として廉頗と五分に渡り合った。国亡き後廉頗に仕えた。
●攻め重視の戦い方を得意とする武将で、矢は常人の何倍もの飛距離を誇る。自ら鏑矢を飛ばすことで離れた部隊へ指示を出し、自在に操る。その攻めはかつて廉頗との戦で幾度と無く廉頗を苦しめた。
●山陽戦では右軍の指揮を執り、王翦軍と渡り合った。壁の誘い込みの罠を見抜いて逆に罠に嵌めるが、さらにそれを読んでいた王翦の罠に嵌って囲まれる。王翦に降伏と勧誘を勧められるが、これを拒否。王翦の罠を読んで駆け付けた廉頗と合流し、秘かに築いていた天然の要塞に立て籠もる王翦軍を包囲し、そのまま対峙したまま戦いを終える。
●戦後は、廉頗に従い楚に亡命。
●声 - 櫻井孝宏
●廉頗四天王の一人。見た目は少年のようだが、実際には三十歳過ぎの中年。配下に玉鳳隊をも圧倒する精鋭部隊(通称「輪虎兵」)を持つ。
●戦争孤児だったが、廉頗に拾われ武の才能を開花させた。そのため廉頗や戦術を教えてくれた玄峰には並々ならぬ恩義を感じている。得物は双曲刀。廉頗から与えられたもの故に新調を促す廉頗の助言を断り、宝のように大切に使っていた。
●四天王の中で最も危険な存在と言われ、暗殺任務から大軍を率いての突撃まであらゆる役割を果たす廉頗の懐刀。廉頗が関わる大戦では、必ず大局を決定づける働きをする。特に圧倒的な突破力を持ち、かつて王騎の本陣を突破し、王騎に一太刀を浴びせた逸話を持つ。
●山陽編では、会戦前に郭備ら千人将八人と秦将軍・羅元を暗殺して蒙驁軍を混乱に陥れる。その際、信と接触し、標的ではなかったため敢えて見逃した。戦いでは中央軍の指揮を執り、初戦で臨時の千人将を狙い、王賁を負傷させた。その後、蒙恬の策略で信と王賁に接近を許すが、二人を同時に相手しても圧倒する実力を見せた。だが、戦いの中で成長した信によって左手の指を斬られ負傷する。最終戦では切り札の戦法「輪動」を駆使し秦将軍・栄備を討ち、信との一騎討ちを繰り広げるが、楚水を斬った隙を突かれ致命傷を負い、戦乱が次の世代へと移りゆくことを感じながら信に討たれ死亡した。戦後、愛剣は廉頗によって信に譲られた。遺体は信の願いで棺に入れられ、廉頗の元へ送られた。
●声 - 後藤哲夫
●廉頗四天王の一人。禿げ頭の老人。かつて廉頗の師でもあった、大軍略家。傲岸な性格で、口癖は「阿呆」。
●策を巡らせて、一方的に相手を殺戮する戦いを身上とする。また、武将特有の意地を持っていないため、ある程度戦果を挙げた上で少数でも敵が迫ればあっさり撤退する柔軟さを持つ。
●山陽編においては、緒戦は中央軍の第二陣を指揮し、奇策を用いて秦軍に大打撃を与えた。その後、左軍の攻防において、ゲリラ戦法に苦戦する介子坊に代わって指揮を執って桓騎軍本陣の所在を見破ったが、伝令に変装した桓騎達の接近を許し、桓騎に首を刎ねられ戦死。
====== 間永軍 ======
●魏国将軍。
●輪虎残党軍をまとめ山陽奪還を目指して里井に侵攻するも、河了貂の指揮する飛信隊によって敗れて生け捕られた。
●間永傘下筆頭軍師。魏軍師八指の一人。
●巧みな戦術で飛信隊を翻弄していた。だが、新たに飛信隊に加わった河了貂によって戦況が徐々に変わり、負けずに応戦していたが信を囮にした罠に嵌って楚水の奇襲を受けて間永共々生け捕られた。その後、自分を負かした河了貂が女と知って憤慨していたが、信に一喝されて間永とともに連行される。
●間永軍千人将。
●里井で、飛信隊と交戦を繰り広げていた。飛信隊を殲滅せんと息巻くも、河了貂の策略に圧倒され田有に討たれた。
====== その他の魏国軍人 ======
●魏国将軍。滎陽守将。呉慶によって兵力を接収される。
●声 - 高橋英則
●魏国将軍。
●守城戦に長けていて、蒙驁軍の侵攻に際しては高狼城東壁を守備し、大量の弓兵を用いる作戦で秦東軍に打撃を与える。だが、玉鳳隊の井蘭車の出現で対応が遅れ、玉鳳隊に城門が開門されて陥落する。
●声 - 田尻浩章
●魏国将軍。山陽編では輪虎の副官を務める。得物は槍。
●魏兵を軽視しがちだった輪虎に異議を唱え、魏兵の士気を大いに高めた。最終局面において信と輪虎の一騎討ちが縺れ込むと、痺れを切らして乱入を試みるも楚水に討たれた。
●魏国将軍。勝利のために手段を選ばないことで有名な将。
●景城代官の氷雷に美人で評判だった翡翠との結婚を条件に軍の撤退を持ち掛け、成立させる。しかし守る気などなく、翡翠を確保した上で秦軍を騙し討ちで殲滅しようとするも、事前に看破していた飛信隊に本陣を攻撃され信に討たれた。
●魏国将校。「中華十弓」第一位。
●「神弓」の異名を持つ名手。射殺した敵将校は百を超えるとされる。現在は引退。
●魏国将校。得物は三つの鉄球がついた三個錘。
●竜川よりも大きい巨漢で、山陽戦前の小競り合いで飛信隊と交戦し、信と一騎打ちを申し込むが一撃で討たれる。
●魏国将校。山陽戦前の小競り合いで王賁に討たれる。
●魏国将校。「中華十弓」の一人。故人。
●中華十弓・蒼源との撃ち合いで右眼を射抜かれ、戦死。
==== 魏国国民 ====
●声 - 宮本若奈
●高狼の住人。姉(声 - 財城里佳)とともに秦国兵に乱暴を働かれそうになるが、羌瘣によって救われた。
●紫家当主。紫詠と紫季歌の義父。故人。
●金しか取り柄のない好色な凡人。紫詠を嫌い彼を死地に送り続けた。晩年は病に倒れるも義子の紫詠が後継者になることが許せず、紫詠が遠征中に紫季歌を太呂慈に嫁がせ、死亡の遠因を作ったため激昂した紫詠に惨殺された。
●紫伯の義妹で恋人。故人。
●幼少期は義兄の紫詠同様義父の紫太からは愛されず屋敷では虐められていたが、後に大梁一の美女と評判を得た。義父に無理やり魏火龍七師・太呂慈と結婚させられ、彼を拒絶したことから殺害された。
=== 楚国 ===
==== 王族 ====
●第四十三代目楚国王。気位が高く、激しやすい性格。始皇九年に崩御した。跡継ぎに恵まれず、崩御前に精神に異常のある王弟より、李園の妹が産んだ春申君の子を自身の子として次の楚王に即位させるよう、春申君と李園の三人で企てた。
●楚国王族。政の戴冠式に参加した。
==== 楚国廷臣・諸侯 ====
●声 - 内田夕夜
●楚国宰相。戦国四君の一人。
●李牧と並ぶ鋭い観察眼を持つ一方、歯に衣着せない荒っぽい言動で部下や他国の将軍などに容赦なく暴言を吐くなど気性は激しい。
●合従編では、李牧から合従軍総大将に推挙された。敗戦後、責任を負って朝廷から遠ざけられ、辺境都市「来虎」に左遷された。
●考烈王と李園と共に自分と李園の妹との子を王の子として王位継承を図っていたが、始皇九年の考烈王の死後に変心。王弟に王位を継がせようと李園に刺客を送ったが、逆に暗殺された。
●春申君の食客→楚国宰相。
●考烈王と春申君の王位継承の企てに自身の妹を通じて関わっており、考烈王の死後に考えを翻した春申君を暗殺後に、楚国立て直しのために廉頗を通じて媧燐と対談し、媧燐に共に宰相になるよう頼み、媧燐と共に宰相となる。
==== 楚国軍 ====
===== 楚国大将軍 =====
●楚国筆頭大将軍。「楚の虎」の異名を持つ。作中では名前が出たのみで未登場。
●声 - 田中美央
●楚国大将軍。秦・燕以外の各国には、大柄な体躯と圧倒的な戦いぶりの両面から「楚の巨人」の異名で呼ばれる。得物は大剣と大錘。他に、巨大な分銅のような流星錐を使用する。
●初陣から全戦全勝の経歴があり、自らを天の気まぐれによって生み落された超越者と呼び、強者と自負する敵対者を「勘違い」と戒めるべく正面から叩き潰すことを責務としている。直属配下に蒙武並みの巨漢ばかりの精鋭部隊・巨暴大騎兵団を持つ。
●かつては楚に侵攻した秦六将・王をも撃退したと言うが、真偽は不明。秦・燕以外の各国前線地帯では、彼の名は恐怖と共に浸透していた。
●合従軍編では楚軍総大将を務めると、函谷関戦では蒙武・騰軍を迎撃。秦将軍・蒙武との一騎討ちでは互いの片腕を砕くほどの激戦を繰り広げるが、誤って一騎討ちに割って入ってきた蒙恬に激怒して斬り伏せると、それに激高した蒙武の一撃を受けて致命傷を負い、最後は頭部を粉砕されて討たれた。
●声 - 田中敦子
●楚国将軍→大将軍兼宰相。
●汗明と同等の体格を持つ巨躯の美女だが、自身の長身にコンプレックスを抱いている。ドSな性格で、普段はバミュウを甚振って遊んでいる。
●合従軍編では、楚国第二軍を担当。春申君に「性格に難あれど優秀」と評価され、2日目から自軍を率いて騰と蒙武らと対峙し、様々な策で翻弄し、函谷関を落とす寸前迄追い詰めた。臨武君や汗明と違い、汗明と蒙武との1対1の一騎討ちの最中に弟の媧偃に一騎討ちに乱入して蒙武を殺すよう指示を出すなど、戦いに手段を選ばない狡猾さを併せ持っており、誇りを重んじる楚将の中では異色の存在。戦後は、楚国第二位の大将軍に昇格。
●春申君暗殺後、廉頗からの紹介で春申君を暗殺した李園と面会し、李園からの頼みを受け李園と共に宰相となる。
===== 楚国軍人 =====
====== 汗明軍 ======
●楚国将軍。軍師も兼任するが、得物の三又槍を持って先陣を切る武勇も誇る。汗明戦死後、速やかに軍を撤退させた。
●楚国将軍。汗明軍の軍師を務める。汗明戦死後、速やかに軍を撤退させた。
●楚国将軍。本陣で指揮を執る老軍師。汗明を眼前で失い、自らがいた本陣も壊滅の憂き目に遭った。
====== 臨武君軍 ======
●声 - 安元洋貴
●楚国将軍。「楚の剛将」の異名で呼ばれる猛将。得物は大槌。
●常人よりも一回り大きな巨漢で、同時に怪力と卓越した戦闘能力を有する。楚南部の異民族・百越を相手に長年戦い、百を超えるほどの勇猛な将を討ち取ってきた戦歴を持つ。
●氾斗平原において王騎軍と相対した際、指揮官の一人だった同金を瞬殺し、函谷関戦では録嗚未をも圧倒する力を見せる。その後、秦将軍・騰との一騎討ちになるが、逆に力の差を見せつけられ敗死。遺体は後に火葬される。
●臨武君傘下筆頭将軍。臨武君軍副官。
●臨武君の死後、媧燐に指示を仰ごうとするが、媧燐に蹴り殺される。
●臨武君軍千人将。合従軍編で、録鳴未に討たれた。
====== 媧燐軍 ======
●媧燐傘下筆頭将軍。媧燐の実弟。得物は長槍。
●合従軍編では汗明と蒙武の一騎討ちの際、姉の命で蒙武の背を貫こうとしたが、蒙恬に妨害されて失敗した。
●媧燐傘下将軍。媧燐軍副官。
●ちゃらちゃらした風貌ながら、常識人。たびたび媧燐によって理不尽な制裁を受けるものの、本人も満更ではない様子である。
●声 - 鈴木達央
●媧燐軍千人将。「楚の雷轟」の異名で呼ばれる若き将。元臨武君軍所属。得物は剣中国五大宝剣の一振りに数えられる「莫耶刀」。
●白麗曰く、猪突猛進ゆえに千人将に留め置かれている模様。合従軍前は楚と秦との国境線で守備し、同じく守備していた秦軍の飛信隊に度々挑発していた。
●合従軍編で臨武君の死後、白麗と共に媧燐軍に転属。その最中、媧燐から五千人将に任命され、臨武君の仇である騰に真っ向勝負を仕掛けるも、引き分けに終わる。
●毐国建国宣言後、白麗と共に秦へ侵攻。しかし、反乱失敗後に媧燐の命令で撤退。春申君暗殺後、白麗と共に媧燐から暗殺の内情を聞かされた後で廉頗との会談に同席を命じられる。
●声 - 上村祐翔
●媧燐軍千人将。「中華十弓」第三位。元臨武君軍所属。白翠という姉がおり、臨武君に嫁いでいる。
●項翼の相棒で、先走りやすい項翼の抑え役。合従軍編では、初日に臨武君に襲い掛かろうとした騰軍の鱗坊を射殺。騰に押されている臨武君を救おうと騰を狙うも、蒙恬に不意を突かれて負傷する。
●毐国建国宣言後、項翼と共に秦へ侵攻し、その後に撤退。春申君の暗殺後には、媧燐と廉頗との会談に同席した。
●媧燐軍将校。得物は矛。合従軍編で、録嗚未の投槍から媧燐を守った。
==== 楚国国民 ====
●臨武君の妻で、白麗の姉。
=== 燕国 ===
==== 王族 ====
●燕国第四十代目燕国王。故人。
●郭隗の献策を持って、国を滅亡寸前から最盛期まで盛り立てた。
●燕国第四十四代目燕国王。
==== 燕国廷臣・諸侯 ====
●燕国家臣。故人。
●昭王によって亡国の危機を脱した後に国力を回復するために助言を請われ、「先ずは郭隗を厚遇することから始める」ように上奏した(「先ず隗より始めよ」)。その結果、楽毅や劇辛などといった有力者が続々と燕に集まり、燕は強国化した。
==== 燕国軍 ====
===== 燕国大将軍 =====
●前・燕国筆頭大将軍。軍神の異名を持つ。故人。
●滅亡寸前の燕を復興させ、逆に斉に対し合従軍を作り上げ、滅亡寸前まで追い込んだ伝説的な存在。
●燕国筆頭大将軍。かつて楽毅と共に燕を復興させた救国の英雄とされる。元々は趙人であり、金目当てで燕へ移住。得物は矛。
●蔡沢に趙に居れば、三大天の一人となっていたと評されていた。趙燕戦争で、李牧の策略を見破り本陣に迫るも、龐煖に討たれた。
●声 - 木下浩之
●燕国大将軍→筆頭大将軍。北の五十の山岳族の王であり、合従軍において燕軍の総大将を務めた。得物は剣。
●闊達で、少々子供っぽい性格。血筋は平地の民のものだが生まれと育ちが山岳地という経歴を持ち、山岳族も感嘆する程の「山読み」という技術を持つ。
●合従軍編では王翦軍と当たり、15日目には王翦軍が立て篭もる山岳要塞を攻略するも、その後は王翦の策を終始読みきれなかったことで、合従軍の函谷関突破失敗の敗因を招く。
●始皇十一年には、秦軍の鄴侵攻の直前に隙を突いて趙東部に侵攻し猛威を振るうも、青歌に侵攻したことで出陣した司馬尚に迎撃され、さらに趙軍が燕に侵攻したのを聞き、それらを迎え撃つために撤退した。
===== 燕国軍人 =====
====== オルド軍 ======
●オルド軍将校。山岳族出身で、仮面を着用。得物は弓。
====== その他の燕国軍人 ======
●燕国将校。「中華十弓」の一人。
=== 韓国 ===
==== 王族 ====
●韓国第十一代目韓国王。
==== 韓国廷臣・諸侯 ====
●韓国宰相。
●中華で賢者と名高い賢臣。政の戴冠式に参加した。
●前漢三傑の一人、張良の父。
==== 韓国軍 ====
===== 韓国大将軍 =====
●声 - 鳥海浩輔
●韓国筆頭大将軍。ドス黒い血管の浮かぶ、醜悪で異様な容貌をしている。
●合従軍編では、韓軍総大将を務めた。様々な毒物を集めて日々研究を重ねた結果、高い即効性と殺傷力を誇る多種の奇毒を扱う。かつては男も色を覚えるほどの美男子であったが、長期間の猛毒研究の悪影響で、前述したような姿に変貌した。
●自慢の毒兵器で張唐軍弱体化に成功するが、桓騎・張唐連合軍の奇襲を受け秦国大将軍・張唐に討たれ死亡した。
===== 韓国軍人 =====
====== 成恢軍 ======
●成恢傘下将軍。
●成恢後任の韓軍総大将代理。他国の総大将達の前に気圧されており、媧燐に絡まれていた。
●成恢軍将校。傷だらけの顔が特徴。得物は矛。
●合従軍編では、精鋭部隊を率いて韓軍の本陣守備長を務めた。本陣に迫る張唐軍と交戦し、張唐に討たれた。
====== その他の韓国軍人 ======
●韓国二千人将。得物は矛。
●徐国を攻め滅ぼすために独立軍を率いていたが、偶然遭遇した飛信隊に襲撃され信に討たれた。
=== 斉国 ===
==== 王族 ====
●第八代目斉国斉国王。
●常に口に蛇を咥えている癖のある人物で、あけすけな物言いを好む。国王としては優秀であり、昌平君からはその力は未知数で、合従軍を起こせる数少ない人物として警戒をする程。後述の対談の時には、他国を滅ぼして中華統一を使用とする政に対して、返答次第では李牧と共に第二の合従軍を起こして秦国を滅ぼすと断言した。蔡沢とは自身が若い時からの関係であり、自身が苦しい時に幾度と無く蔡沢に助けられたことがある。
●合従軍編では、動きこそ見せたが蔡沢からの説得に応えて合従軍への参戦を中止。その後、函谷関から撤退し腹いせで攻めてきた合従軍を迎撃した。後に合従軍への参戦を辞めた本当の理由が秦を滅ぼした後の世が、見るに耐えない汚濁になることを避けるためであったと政らに語った。
●黒羊戦後の始皇十年、蔡沢の手引きによって極秘で李牧とともに単身咸陽を訪れ、秦王政と会談する。そして、他国を全て滅ぼした後の中華統一後の統治のあり方を問い、政から「法治国家」という答えに感嘆し、政になら任せても構わないと事実上の降伏宣言を告げた。その後はもし政の答えが変わることが有れば、秦国と敵対することも厭わないと忠告し、李牧との対談に向かった政を見送った後、対談を見届けた後に亡くなった蔡沢の亡骸に、蔡沢の変わりに自身が結末を見届けることを誓った。
●鄴編では、秘かに昌平君から相場の倍の値で買われた兵糧を黄河を渡って鄴を占拠する王翦軍に届けた。本人は「秦が倍の値で買うと言ってるから、売らぬ手はない」と廷臣共々良い商談だったと満足している。
==== 斉国廷臣・諸侯 ====
●斉国の重臣。
==== 斉国軍 ====
===== 斉国大将軍 =====
●斉国大将軍。
●合従軍編で、斉国の総大将として出陣していたが、王建王が離脱を決定したことで引き返す。
===== 斉国軍人 =====
●斉国将軍。
●合従軍編で、函谷関から引き返して斉国へ攻めて来た合従軍の迎撃を命じられる。
=== 勢力不詳 ===
==== 蚩尤族 ====
●声 - 吉田小百合
●羌と姉妹同然に生きてきた、羌族の女性。羌と並んで、蚩尤候補の中でも群を抜いた強さを持っていた。得物は「白鳳(はくほう)」という名の剣。
●蚩尤となって外の世界を見たいという気持ちと、妹同然の存在である羌を殺めたくないという気持ちが葛藤し、“祭”の日に羌を香で眠らせ、一人で挑むが、幽連に謀殺された。
●羌瘣の蘇生術による精神世界では、幽連と共に羌瘣の前に現れて、羌瘣の身を案じて現実世界へ引き返すように忠告した。そして、信を現実世界へ送り出した羌瘣の前に現れて、羌瘣の寿命が縮まったことなどを伝えた。
●羌達の次の代の蚩尤候補。非常に寡黙であるが、外の世界に少なからず興味を抱いている。また男女の営みにも興味はあるようで、それに関する羌礼から羌への問い掛けの際に、さり気無く聞き耳を立てる描写がされていた。
●羌達の次の代の蚩尤候補。羌識とは対照的によく喋り、外の世界への興味も深い。特に男女の営みに興味を示し、羌に「男ができたな」と茶化していた。得物は羌象の形見でもある「白鳳」。
●かつての羌族代表の蚩尤候補。だが“祭”から脱走し、一族から命を狙われ続けた。やがて、外界における里への連絡役として一族に尽くすことで赦されている。既婚者で、子が二人いる。幽族数人を瞬殺するなど、未だ実力も兼ね備えている。
●羌の要請を受けて、幽連の居所を彼女に伝えた。
●声 - 岡田栄美
●幽族の代表にして、現・蚩尤。得物は「赤鶴」という名の剣。“祭”において他の氏族と結託して、羌象を謀殺した。
●“祭”に勝ち残り蚩尤の座を得たが、その際実妹を殺害しており、それによって巫舞を必要としない圧倒的な戦闘力を会得するが、精神に異常をきたすようになる。当初は魏王から厚遇されたものの、手に負えなくなったことから追放され、趙国の山中に潜むようになった。
●飛信隊が国境地帯で復興と防衛に務めているころに、羌瘣を誘い出して追い詰めるも形勢逆転を許し、致命傷を負わされ死亡。死後その遺体は、次の“祭”を行わせないという羌瘣の願いのために、羌明によって隠された。しかし、56巻のおまけマンガで幽連の死は幽族に知られており、幽族から全蚩尤族に次の“祭”の開催が伝えられた。
●羌瘣の蘇生術による精神世界では、羌象と共に羌瘣の前に現れるが、雰囲気が蚩尤であった頃とは異なっていた。そして、羌瘣に信を救えるのは羌瘣の寿命の半分を代償にしても十分の一だろうと告げて選択を迫るが、羌瘣の寿命を全部使ってでも信を助けに行かせてくれという言葉に、羌瘣を罵りながらも生と死の狭間である“天地の間”へと送り出した。
==== 朱凶 ====
●朱凶族長。得物は剣。
●物静かな性格ながら、実力は確か。呂氏陣営の要請で嬴政暗殺を依頼されるも、号馬の乱入によって機を失う。羌瘣が信を殺そうとしないことに失望したが、彼女の巫舞を見て評価を一変させ心服。一度捕縛されるも、脱走した。
●声 - 高塚正也 / 岡林史泰(VOMIC)
●演 - 深水元基
●朱凶の一人。得物は剣。
●四人の子を持つ。影武者であった漂に致命傷を負わせ、漂および信の足取りから政を追い詰めたが、激昂した信に斬られ敗北。命乞いして信に情けを掛けられたが、政に止めを刺され死亡した。
==== 南方人 ====
●声 - 赤城進
●演 - 橋本じゅん
●南越ベッサ族の戦士。得物は吹き矢(毒矢)と両手斧。
●徐完の後任として政達の暗殺を依頼されるが、信に返り討ちにされる。本人は信にやられた傷で「もうすぐ死ぬ」と言っていたが、実際の生死は不明。その後吹き矢を河了貂に譲り、呂不韋への警戒を促した。嫪毐の情報を探りに来た朱凶の密偵が、彼と同じ装束の人間に吹き矢で殺されている。
●実写映画版では、信に返り討ちにされて死亡した。吹き矢は河了貂にくすねられる。
== 用語 ==
●周王朝衰退後の五百年におよぶ動乱を経て生き残った秦・魏・趙・楚・燕・斉・韓の七カ国。ただし山奥などの僻地には、これらのいずれにも属さない極めて小規模な国(徐など)も残っている。
●中華西端の大国。昭王の代に六大将軍の働きによって大きくその勢力を伸ばした、七国中でも一、二を争う強国。作中でも天下統一を狙い活発な軍事活動を続けてはいるが、昭王時代よりも武威には陰りが見える。荘襄王の代に丞相となった呂不韋が国の実権を握っており、大王派との間で政争が続いていたが、嬴政の加冠の儀の際における政変により、大王派が実権を取り戻している。歩兵における什伍の制度に代表されるように、七国中最も論功行賞の制度が確立されている。
●秦よりさらに西にある深い山々に住む民族の総称。幾多の民族に分かれており、それらの盟主となった者を平地の人々は「山の王」と呼ぶ。民族ごとにデザインの違う面を被り、腰布を巻きつけただけといった簡易的な格好ではあるが、断崖絶壁を利用した城を築くなど、その技術力は非常に高い。かつての秦王・穆公は彼らと盟を結んでいたが、穆公亡き後一方的な盟の断絶を受けて山に追いやられた。これ以降、秦国に根深い恨みを抱いていたが、穆公にだけは現在でも敬意を払っている。のちに秦王・嬴政と山の王・楊端和との間に盟を結ぶこととなり、蕞の戦いで救援に来たことで確かな同盟関係となり、秦国の一大勢力となる。
●穆公と盟を結び、その後秦国と晋国の戦争で秦に援軍として現れた山の民のことを指す。名前の由来は、穆公の軍馬を勝手に殺して食らった際、馬に合う酒を振る舞われた恩を返すために援軍として訪れたことから。
●わずか三百人の戦士で数千もの兵を蹴散らし、さらには敵本陣の晋王を捕えてしまうほどの高い戦闘能力を持つものの、その戦い方は味方された秦兵ですら背筋を凍らすほどに凄惨であったという。
●昭王によって「戦争の自由」という権利を与えられた秦国の6人の大将軍。彼らの存在によって、かつての秦国は中華で最も危険な国とされていたが、昭王亡き後はその名を継ぐ者が現れず、その武の威光は失われている。
●呂不韋によると、六大将軍制は常に兵糧や兵士の補充を必要とし、国に著しい負担を与え、また独立色を強める制度のために謀反の恐れが常に付きまとうとされ、昭王と六将の間にあった鉄の忠誠心があってこそ成り立っていたという。
●構成員は白起を筆頭として王騎・摎・王齕・胡傷・司馬錯。唯一存命していた王騎も作中で没した。
●初陣での戦果で信が百人将となった時に発足した直属の部隊で、発足初戦の馬陽戦において王騎から命名される。
●発足当初は一癖も二癖もある荒くれの百姓を中心とした特殊百人隊で、渕、羌瘣の2人を副長としていた。百姓ゆえに軍装も充分に整わぬばかりか、騎馬や弓に長けた配下など皆無に等しく、剣と槍に頼った白兵戦で戦っていた。
●馬陽後には三百人隊へと増員され、さらに魏領への侵攻戦中に特例として千人隊へと増員され、増員された隊員は元郭備隊の隊員であり、郭備隊の楚水を副長に加えた。
●山陽戦終了後、正式に千人隊として認可されるも羌瘣が一時離脱。そのため策略を練ることの出来る人物がいなくなり苦戦が続く状態であったが、後に河了貂が軍師として参入し改善した。
●対合従軍戦中に麃公から兵千人を補給され実質二千人隊となった。後の論功行賞によって三千人隊へと増員し元麃公軍の岳雷とその千人隊を加える。彼らは後に乱戦特化兵の飛麃と呼ばれるようになった。
●屯留の反乱のころには隊に復帰した羌瘣が千人将、さらに信も四千人将へと昇進し五千人隊の独立遊軍となった。著雍攻略戦後には羌瘣が三千人将、さらに信も五千人将へと昇進し八千人隊の独立遊軍となった。
●黒羊戦後に元桓騎軍であった那貴とその一家が新しく飛信隊に加入し、さらに新たに寡兵を行い選りすぐりの千人の新兵が加わる。
●鄴攻略戦後に信(李信)が将軍、羌瘣が五千人将に昇進し、李信隊一万と羌瘣隊五千の合わせて一万五千人の軍となる。
●三千人を超える宮女と宦官から成る城で、宮女のほとんどが名家の出であることから、それらを束ねたならば絶大な力を要するとされる。呂不韋でさえ手を出しあぐねる強大な勢力であり、政陣営と呂氏陣営の争いにも不干渉を貫いていた。
●太后の下で後宮を仕切る三侍女の後ろ盾となっている実力者。氾家、介家、了家の三氏。
●中央部に位置する国。天下統一を狙う秦にとって中原進出の障害となっており、当面の標的国である。軍事力は秦に劣るものの、趙・韓と連携することで対抗している。生真面目な国民性で、兵も命令に忠実で粘り強い。中華最強を自負する装甲戦車隊を持ち、原野戦を得意とする。
●魏王安釐王の時代に魏国の矛戟を振るった七人の大将軍。軍旗にそれぞれの個人名の一文字に火龍の印をあしらった物を用いている。秦の六大将軍や趙三大天と並ぶ英雄とされるものの、その中の1人呉慶以外が突如としめ表舞台から姿を消したために、そこまで名を広めることができなかった。
●表向きには五人が病、一人は戦傷が元で死去となっているが、実際は呉慶を除いた六人が二派に別れて同士討ちを行い、生き残った三人は十四年間投獄されていた。作中では呉慶が麃公に討たれ、呉鳳明の働きで解放された生き残りの三人も著雍戦で霊凰と紫伯が戦死。凱孟のみ存命。
●構成員は呉慶・霊凰・凱孟・紫伯・太呂慈・晶仙・馬統の七人。
●中央北部に位置する国。仇敵の間柄である西の秦・東の燕に挟まれており、特に秦に対しては長平の戦い以降、根深い恨みを抱えている。かつての軍の要であった三大天が潰えて転換期を迎えたものの、新たに三大天に任命された李牧が、宰相としても国の中枢を担う。武霊王以来の伝統を誇る騎馬隊が精強。
●趙を支え、秦国六大将軍や魏火龍七師と戦いを繰り広げた三人の大将軍。任命された軍には「大天旗」という旗が掲げられる。王騎によると、その華々しい戦歴は三大天の異名と共に国内外の人々の頭に強烈に焼き付いており、大天旗一つで士気が跳ね上がるという。
●当初の構成員は廉頗・藺相如・趙奢だったが、唯一存命していた廉頗の出奔後しばらくは適任者不在で、趙の武威は衰えた。李牧・龐煖を新たに抜擢して、再び武威を示しているが、作中で龐煖が戦死したため、現在は李牧のみ。
●大陸の北に住む民族であり、山民族のようにいくつかの民族に分かれている。山の民ですら桁違いと評する戦闘民族であり、彼らと国境を面する秦・趙・燕は長城を築いて防御に徹している。現在判明している民族は「月氏」「匈奴」「東湖」の三つ。
●物語開始より約五百年前に君臨していた周王朝を滅ぼしたと伝えられる騎馬民族。
●周王朝を滅ぼした後中華への定住に失敗し、大半は北へと流れて「匈奴」に変貌したとされる。一部は太行山脈を縄張りとして中華に残り、趙国建国後橑陽の地と城を与えられた。しかし当人たちは趙に取り込まれたとは考えておらず、実質治外法権の領域となっている。ロゾ一族による恐怖政治が行われていたが端和率いる山民族軍との戦いでロゾ一族は全滅し、端和に吸収された。
●燕国の劇辛軍の主力を担う「毒犬」部隊もこの一族の者たちで構成されている。
●橑陽に住む一族は犬を模した鎧と長刀の様な武器を使い、毒犬部隊は重装とランスの様な武器を使う。
●領土が全土のおよそ半分にもおよぶ南方の大国。秦と並んで二大強国に数えられる。その広大さから兵の動員力は七国中最大。しかし東西に長過ぎる防衛線により燕を除いた五カ国に備えなければならないため、他国への侵攻には慎重な構えを取っている。製鉄技術の先進国としても知られる。
●北東端に位置する辺境国。他国にあまり情報が流れておらず、未知の部分が多い。様々な異民族と交流があり、彼らによって構成された特殊な部隊を擁する。
●東方に位置する国。かつては大国として隆盛を誇ったが、燕の楽毅を始めとした合従軍に撃ち破られ衰退した。
●中央南部に位置する、七国中最も領土が小さく軍も弱い小国。西の秦からの侵攻を受けているが、その立地的重要性から趙・魏の援軍を受けることで、秦軍を退けている。
●斉の孟嘗君、魏の信陵君、趙の平原君、楚の春申君の4名。いずれも数千名にもおよぶ食客を抱える有力者であり、一国の王に匹敵するほどの力を持った。唯一存命していた春申君も作中で没した。
●趙・魏・楚が隣接する国境地帯にある小さな国家。
●城一つ分だけの領土しかないが、趙・魏・楚の三国にあらゆる情報を流して生業としている。その存在は宰相以上の地位の者しか知られていない。
●赤黒い服装をした刺客一族であり、暗殺200年の歴史を持つ。二百年以上前には蚩尤に仕えた一族であった。
●暗器の使用に長ける刺客集団。登場した人物は全て肩にかかるくらいまで髪を伸ばしている。
●集団での陣形による技に長ける刺客集団。登場した人物は全て髪を後ろで束ねている。
●気を外に練り、刃物をも通さぬ肉体と剛拳で闘う刺客集団。登場した人物は全て禿頭。
●千年以上昔から闇世界で恐れられてきた特異体質を持つ幻の一族。
●山々に点在する十九氏族の中から、常に一人の女が祭(さい)と呼ばれる過酷なしきたりの末にその名を継ぐ。元々は司祭の類である巫女一族であったが、時代の流れの中で異形の変化を遂げていったとされる。
●達人が駆使する奥義はその名残か、舞うような剣技「巫舞(みぶ)」と呼ばれる。
●人の秘められた力を引き出すため、蚩尤の十九氏族ごとに異なる拍子で舞い、呼吸法によって自らを変性意識状態にする(作中では「荒ぶる神」を身に堕とすとされる)奥義。その際の陶酔で意識を遠のかせることで、あらゆる感覚を活性化させて、常人離れした剣技を駆使するため、蚩尤以外の人間には使うことができないという。その力量は「長さ」や「深さ」で表され、深い者ほど強いが、深く落とすほどその反動も大きく、解けるとまともに戦うことすら困難になるなど欠点もある。
●巫舞状態の使い手には周囲の物の動きがゆっくりに感じ、やがて飛んでいる虫ですら止まって見えるという。さらに羌瘣の場合は、青く澄んだ水の中にいるような感覚に陥り、そのままゆっくりと底の見えない深部へ沈んでいくという。
●意識を遠のかせる妨げとなるのが現世のしがらみや感情であるため、それらを強制的に断ち切る目的で蚩尤の先人たちが考案したのが、しきたり“祭”であった。その祭を経た幽連は、呼吸法と神堕としの舞による「助走」無しでも素の状態のまま、即座に巫舞同然の境地に入れる極意を体得した。
●煖の自称。蚩尤族によると「荒ぶる神」を元々身の内に宿す者のことを指し、武の道を極めることに全てを費やす求道者の一族。ただ一族といっても血の繋がりは無く、素質のある子供をさらって後継者として育てている。
●基本的に深山に籠って修行に明け暮れ、時折実力を確かめるために人里へ降りては無差別に勝負を挑むという行為を繰り返す。