祇園祭-巡行@新町通り-July16-17 '04



蘇民将来子孫者也
疫病神"牛頭天王(ごずてんのう)"を快く泊めてあげた蘇民将来。
以後、蘇民将来の子孫には厄病神として暴れないことを約束。 それが、お札になっている。
祇園祭は疫病が流行ったころにできた八坂神社のお祭り。そして、八坂神社の祭神は牛頭天王。
疫病神として恐れられていた牛頭天王を御霊として祀っている。

姉が新町蛸薬師近くに引っ越してから毎年、祇園祭の期間、お囃子の聞こえる姉のマンションへお邪魔している。今まで、週末は、鉾建ての日だったけど、今回は、巡行が土曜日と言うことで、金曜の夜から泊り込む。2002年の鉾建てはこちら
今年の宵山金曜日。ものすごい人。新町蛸薬師から普通なら10分の友達の家まで、 もみくちゃにされながら30分かかる。
夜11時半から新町では、暴れ観音といって南観音山の観音を御輿のようにして新町通りを担いで暴れさす行事がある。
伝統行事、、、だけど、暴れ観音がUターンするところで、”ここで一回暴れさしたって!”の一言に担いでる人”え、、、あ、、んーじゃ、回そっか、、、””ん!、回そ、回そ、、、”のような具合で、暴れ方が決まる。洗練されすぎてないところに親しみを感じる。
新町の南観音山と北観音山は鉾ではなく山だけど、鉾のようにお囃子つきで、鉾のような辻回しで角を曲がる。

翌日、巡行の日。掛け声が聞こえてきたので、慌てて外に出てみる。すると、北観音山では建物の中で、引き手の掛け声の練習が行われている。山にはきれいな柳が添えられている。
その後、いろいろな段取りや打ち合わせがあちらこちらで始まる。

10時ごろ、囃し方が山の上に上がり、出発準備ができる。引き手も等間隔に並ぶ練習などをしている。その際、"かぶっているかさがずり落ちて信楽の狸みたいにならないようにしてくださいね。"と注意が入る。観音山は昔、北から出発(今は南の四条通から出発)していたので、正面が北向いている。そう、観音山は、で四条通の辻回しまで後姿で出て行くことになる。みんなに見守られて、山は、四条通へ向かう。

1時半、御池通りから帰ってくる北観音山をお出迎えするために会所の前で待つ。すると、新町の一番四条よりの放下鉾が帰ってくる。人間のお稚児さんが乗っているのはなぎなだ鉾のみ。他の鉾にはお人形のお稚児さんがのっている。その中で、放下鉾のお稚児さんは、なんと、舞が舞える(2人でお人形を操る)。六角通りあたりで舞を披露。 新町で鉾や山の帰りを待っている人は、目の前を通る鉾や山を温かく拍手で迎える。 そして、やっと北観音山が会所に到着。私も、カメラから手を離し、拍手。写真を撮るより、みんなと無事終えたことに感謝したい気分。お囃子と手拍子でしめられる。 そして、柳の取り合いに。。。"みんなに愛があるんやったら、みんなで別けてねー"と切った柳の束が渡される。

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