ムービーランド
店長の 映画言いたい放題 151-200

★=1ポイント、☆=0.5ポイントで、最高は5ポイントです。


『E.T.20周年アニバーサリー特別版』 観た日:2002/05/20
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・製作はスティーヴン・スピルバーグ、製作は『カラーパープル』(1985)のキャスリーン・ケネディ、脚本は『クンドゥン』(1997)のメリッサ・マシスン、撮影は『太陽の帝国』(1987)のアレン・ダビュー、編集は『白いドレスの女』(1981)のキャロル・リトルトン、音楽はジョン・ウィリアムス、特別版視覚効果スーパーバイザーは『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(2002)のビル・ジョージ、E.T.製作は『未知との遭遇』(1977)『エイリアン』(1979)のカルロ・ランバルディ。キャストは『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)のヘンリー・トーマス!、ロバート・マクノートン、『ペーパー・ファミリー』(1984)のドリュー・バリモア、『テン』(1979)のディー・ウォーレス・ストーン、『エリン・ブロコビッチ』(2000)のピーター・コヨーテ。

アメリカ西海岸のある町の郊外。地球の植物を採取しに降り立った1000万歳の植物学者(E.T.)は、近づく警備隊から逃走する宇宙船に乗り遅れ、一人地球に取り残される。民家の物置に潜む彼を見つけたのは気弱な10歳のエリオット(ヘンリー)だった。E.T.を家に招き入れ、食べ物や言葉を教えるエリオットは、E.T.と感情が共鳴していく。兄マイケル(ロバート)や妹ガーティ(ドリュー)とも打ち解けたE.T.は、しかし母船への帰還を思慕し、3兄弟はそれに答えるために通信機の部品を調達して、ハロウィンに紛れE.T.を連れ出す。しかしE.T.の体力は限界を迎えていた。止む終えず母メアリー(ディー)に相談を持ちかけるエリオット達だが、キース(ピーター)らNASAのチームは、エリオットの家の包囲を完了していた。

人類の映画史上、燦然と輝く金字塔の1本。
とやかくは言うまい。観た一人一人がこの映画のシーン1つ1つを胸に刻み、人生の事ある毎に思い出せばよい。
・・・と、これで締めてしまってはコラムの意味がないので、個人的感情をぶちまけさせていただく。
スピルバーグの評価はさまざまだ。もちろん“一流である”という揺るぎない意見は疑う余地がないが、では何処が一流なのか?
映画人としての“格”ではない。“品位”でもない。“カリスマ性”では断じてない。あるのは“技術力”“キャスティング”“演出力”である。
映画という文化(芸術じゃないぞ!)を、観客を揺り動かす作品としてまとめ上げる“技術力”と、その作品に対する審美眼ゆえのキャスティング&演出は、古今東西の映画(に限らない!)監督の中ではここ20年にわたり常に最上である。彼の映画人への求心力は、もちろんこの才能に依るものだけではないだろうが、まさにここに帰結すると言えよう。11歳のヘンリー・トーマス少年を、あんな高みにまで押し上げられたのは、まさに真骨頂ではないか!
それにしても、もう何度観ているかわからないのに初めてわかる事がある。E.T.が何で生き返ったか?それは、E.T.は暑いのが苦手だからだ(違うかな〜・・・)。
パンフレットは是非買ってもらいたい。ライナーノーツに裏話がいろいろ書いてある。そこに漏れている話を1つだけ。エリオットのクローゼットでE.T.が人形に紛れて知らんぷりして母をやり過ごすシーン。あれはロバート・ゼメキス監督が助言したそうだ。
それから、思い入れある話。もし私が泣かなきゃいけない羽目になったときに思い出すであろうシーンは、『ベイブ』(1995)で愛すべき子ブタちゃんが牧羊犬コンテストで羊たちを統率する場面と、エリオットが自転車でE.T.を連れ去るときに仲間達に対して言う「Come with me !」のセリフである。
と、まぁ、話し始めたらキリがない映画、それが『E.T.』なのであった。

(2002/05/24 追加)
スピルバーグは、『20周年特別版』を作るにあたり、どうしても気がかりだったいくつかのシーンに手を加えた。その最も重要な箇所を紹介する。本編で確認して欲しいのである。自転車とパトカーの、あの有名な追走劇。追い詰める警官達の手に握られていた拳銃をすべて、無線機にCG処理したのだ。また道を塞ぐパトカーを楯にライフルを構える警官のシーンは、バッサリとカットされた。何故か。スピルバーグは「この映画に銃は相応しくないと、特に自分が子供を持ってから強く思うようになった」と語っている。私はスピルバーグを支持する。みなさんはどうだろうか。


『スパイダーマン』 観た日:2002/05/16
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督は『死霊のはらわた』(1982)『ギフト』(2000)のサム・ライミ、撮影はドン・バージェス,A.S.C.、美術はニール・スピサック、編集はボブ・ムラウスキーとアーサー・コバーン,A.C.E.、特殊効果は『ハリー・ポッターと賢者の石』(2000)のソニー・ピクチャーズ・イメージワークス、音楽は『バットマン』(1989)のダニー・エルフマン。主演は『サイダーハウス・ルール』(1999)!のトビー・マグワイア、共演は『ヴァージン・スーサイズ』(1999)『チアーズ!』(2000)のキルスティン・ダンスト!、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)のウィレム・デフォー、『25年目のキス』(1999)のジェームズ・フランコ。

ピーター・パーカー(トビー)はさえない高校生。勉強ができてカメラが趣味だが、気が弱く腕っぷしも全然ダメ。隣に住む幼なじみのメリー・ジェーン(キルスティン)が大好きだけど、声もかけられない。ある日、某大学へ見学会に行ったとき、ピーターは脱走した遺伝子操作クモに噛まれてしまう。その日一日気分が悪かったピーターは翌朝、鏡に映った自分の肉体にビックリ!マッチョになってる!しかも、足は速いしケンカは強いし、それどころか壁に張り付いて昇ることができる!手首から糸が出る!育ててもらっている叔父の言葉「大いなる力は大いなる覚悟が必要」を噛みしめ、ピーターはスパイダーマンとして悪を退治し続ける覚悟を決める。一方ピーターの友人ハリー(ジェームズ)の父ノーマン・オズボーン(ウィレム)は起業した軍需産業会社で開発中の新薬を飲み、副作用で凶暴なグリーン・ゴブリンと化した。かくしてニューヨークにて戦いの火蓋が切って落とされた。

説明するのも面倒くさい、アメリカンコミック最大のヒーローの実写映画化。
良く練り込まれているし、CGも的確なので、楽しめるのは間違いないから、その辺りについてはコメント省略。いつものように、ヘンテコな角度でこの映画を切っていこう。
ヒーローものというジャンルは「それを言っちゃ〜おしまいだ」みたいな部分が、多々とあるのだ。スパイダーマンがビルの谷間を手首から出した糸でターザンよろしく飛び回る所。切って捨てたあの糸、一体ど〜なるんだ?あんなに出没して目撃されまくっているにも関わらず、正体がばれないのは何故?どうしてピーターはいちいちシャツを脱いでコスチューム姿になるのか?などなど、もっと言いたいことがあるのだが、しかしそれを言っちゃ〜おしまいなのである。そんな馬鹿馬鹿しいところもグーです。
でも、カットが細切れ過ぎる。スピーディとかドライブ感とかと細切れカットの数珠繋ぎとは似て非なる。CGも実写も編集も、続編では再検討を望む。
トビー・マグワイア。26歳にもなって高校生はないよな〜。マッチョに肉体改造して頑張っているけど。でも、彼は巧いのである。応援してます。ディカプリオと夜遊び三昧でも。それと【キャノンF-1】を持っていたのがベリーグー!
キルスティン・ダンスト。あのキキが、全然可愛くないのである。物凄いガッカリ。外国女優では、ポッチャリ系はクリスティーナ・リッチ、ナイスバディ系はキキ、と決めている私としては、あんな目張りメイクは許せないのである。まぁアメコミキャラだからしょ〜がないのか?雨降り路上のシーンでビーチクくっきり(最近この手のハリウッド女優、多いよな〜・・・)は嬉しいけど。
取りあえず観てみることに反対しません。面白いですから。
最後に。あのギターをかき鳴らしてヘタクソな歌をがなっているあいつ、もしかしてブラピ?


『シュレック』 観た日:2002/04/19
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

PDI/ドリームワークス(スティーブン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグ、デビッド・ゲフィンが作った映画会社ドリームワークスのアニメ部門)の製作。担当はディズニーアニメ『美女と野獣』(1991)『アラジン』(1992)『ライオンキング』(1994)のジェフリー・カッツェンバーグ。原作はウイリアム・ステイグ、脚本はデッド・エリオット&テリー・ロッシオとジョー・スティルマンとロジャー・S・H・シュルマン。キャストはシュレック(マイク・マイヤーズ)、ドンキー(エディ・マーフィ)、フィオナ(キャメロン・ディアス)、ファークアード卿(ジョン・リスゴー)。

森の沼に住むシュレックは、汚い好きのモンスター。人間は醜い自分を嫌っているので、一人で暮らすことにしている。ある日、ファークアード卿の命令で、おとぎ話の主人公達が一同に集められ追放されることになった。追放先は何とシュレックの沼。迷惑千万と文句を言いに、ひょんな事から知り合ったドンキーと共にファークアード卿の所へ向かったシュレックは、勘違いで戦いを挑んでくる騎士達をぶん投げているうちに、ファークアード卿が妃として迎えるつもりの、ドラゴンが守る城の塔に幽閉されているフィオナ姫を救出するはめになった。

今年から新設された米アカデミー賞長編アニメ賞をめでたく受賞した作品。
CGの出来が云々、というのは、もうウンザリなので書きません。
この映画に出てくるキャラクターは、外見と内面が相反するものばかり。シュレックは醜いモンスターだが、人間達に怖がっていてもらえれば彼らは近づいてこないので自分もそんなに傷つかない。だから一人で暮らしている。ドンキーはうるさいほどしゃべりまくるロバだが寂しがりや。フィオナは美貌を誇るが夜が恐い。ファークアード卿はチビだが権力主義者。で、彼らの落ち着く先が、心地よいほどに過去のおとぎ話を踏襲していない。
パンフレットでは「逆さの美学」について、折に触れ書かれているが、言いたいことはわかる。伝統的手法で正当な童話を作っておいて、オセロゲームみたいに片っ端からひっくり返したらできた映画なのである。
マイク・マイヤーズ。もっと変でも良かったよ。
エディ・マーフィ。『ムーラン』(1997)のコオロギよりも、こっちの方が遙かに良い出来だ。
フィオナの秘密とか、エンディングが“どっち”になるんだ?とかについては、ここでは書きません。まぁ観て楽しんでください。
最後にもう1つだけ。ルーファス・ウェインライトの歌う『ハレルヤ』、良い歌だな〜。


『シッピング・ニュース』 観た日:2002/04/18
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『サイダーハウス・ルール』(1999)『ショコラ』(2000)のラッセ・ハルストレム、脚色は『ダイナソー』(2000、脚本)のロバート・ネルスン・ジェイコブズ、撮影は『ペイ・フォワード/可能の王国』(2000)のオリヴァー・ステイプルトン,B.S.C.、編集は『シックス・センス』(1999)のアンドリュー・モンドシェイン(第二班監督も)、音楽は『ラウンダーズ』(1998)のクリストファー・ヤング。主演は『セブン』(1995)のケヴィン・スペイシー、『ブギー・ナイツ』(1997)のジュリアン・ムーア、『恋に落ちたシェイクスピア』(1998)のジュディ・デンチ、『耳に残るは君の歌声』(2000)のケイト・ブランシェット、アリッサ&ケイトリン&ローレン・ゲイナー、『ノッティングヒルの恋人』(1999)の変態!リス・エヴァンス。

クオイル(ケヴィン)はニューヨークの新聞印刷工場で静かに働いていた。父ガイの暴力的な教育により、クオイルは何事にも消極的な態度のまま中年にさしかかろうとしていた。ある雨の日、クオイルはガソリンスタンドで喧嘩しているペタル(ケイト)を拾う。捨て鉢なペタルはクオイルと関係を持ち、やがてバニー(ゲイナー)が生まれるが、所詮ペタルにとっては2人とも邪魔な存在、酒場で働きながらいろんな男をくわえ込んでくる。しかしクオイルは、何も言うことができなかった。両親の突然の自殺で落ち込んでいるクオイルを見限ったペタルは、バニーを連れて、どこかの男と共に家を出た。呆然とするクオイルの元に、叔母のアグニス(ジュディ)が尋ねてくる。祖先の土地・ニューファンドランド島に帰ろう、というのだ。そのとき警察から電話があり、ペタルと男が死亡、バニーは闇組織に売り飛ばされる所だったことを聞く。クオイルはアグニスとバニーと3人で、ニューファンドランド島へ渡ることを決意する。島で地元新聞社に務めることになったクオイルは、コラム“シッピング・ニュース”を担当することになる。慣れない記者生活だが、同僚や島の人々、とりわけ夫を事故でなくしたウェイヴィ(ジュリアン)と親しくなっていった。しかし次第にクオイルは、クオイル家がこの島で過去に何をやってきたのかを知らされる。更に、アグニスやウェイヴィの秘密も。

ラッセ・ハルストレム節が全開の、たわいもない大作。
この監督は、念入りに登場人物の過去を想定し、それが一筋縄ではいかないというか、奇妙というかヘンテコというかえげつないというか異常というか、しかしあり得そうなものなのである。この映画は原作があるのでオリジナル脚本というわけではないのだが、題材の拾い方や味付けの仕方というのは、まさしくハルストレム風味なのだ。これが嫌いな人はダメダメだし、好きな人ははまる(と思う)。私は・・・飽きた。
キャラクターも多すぎる。しかし雑な感じがしないのが、演出の上手さだ。ここにもしっかり監督の目が行き届いている。
ケヴィン・スペイシー。巧い。それだけ。
ジュリアン・ムーア。あんまり可愛くない。
ケイト・ブランシェット。『ロード・オブ・ザ・リング』(2002)ではあんなにカマトトぶってたのに、こっちでは黒目張りに赤Tバック!潔くていいです。今のところはヘレン・ハント2世という感じ。もうしばらく注目。と思ってたら、産休なのね。ちょっと残念。
バニー役のゲイナーは三姉妹。どうりで演技にムラがあると思った。
恋愛も家族愛もあって、友情も嫉妬もあって、生も死もあって、暴力も殺人も近親相姦もあって、ゴシップもスマッシュヒットもあって、海難事故も交通事故もあって、死んだ人間も蘇る。何でもかんでも盛り込まれているけど、嫌みな起伏がない映画。不思議な映画だ。観る方も、甘んじてハルストレムの支配下に置かれた上で黙々と鑑賞しよう。そうすれば、それなりに心地よい。


『白い犬とワルツを』 観た日:2002/04/18
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は月野木隆、脚本は森崎東、撮影は小林達比古、照明は中須岳士、編集は石島一秀、音楽は加古隆。キャストは仲代達矢、南果歩、若村麻由美、横山通乃、豊原功補、藤村志保。

中本英助(仲代)は現役の樹木医。ある日、40年間連れ添った妻の光恵(藤村)が突然死んでしまった。長女由恵(南)、次女恵美(若村)は、気落ちする英助から目が離せない。在日韓国人の順礼(横山)は、息子秀一(豊原)に乳を分けてもらった恩を未だ忘れずに、英助の面倒を見てくれている。そんな中、英助の前に一匹の白い犬が現れる。犬は英助が一人のときだけにやってくるので、他の人達には見つけられなかった。英助は、秀一とのやり取りの中で、光恵が最後に言い残した言葉と、指を三本立てた仕草の意味を思い出した。秀一と遊んでいた息子の英一郎が事故で死んだときに、その現場にほど近い桜の木の下へ骨を埋めた。そのとき英助と光恵はここにきっと帰ってくる、と約束したのだ。そうだ、光恵はあの桜の木の下へ行きたいのだ。四十九日を終えた夜、英助は光恵の骨を持ち出して、今は道さえないあの桜の木のある遠い山へ、白い犬と共に出かける。

原作はテリー・ケイ(アメリカ)のベストセラー小説。
月野木監督は、今村昌平・岡本喜八・北野武の元で助監督をこなし本作が監督第一作。実績は十分だろう。
淡々と家族を見つめ続ける、美しい日本映画の典型作だ。
仲代達矢。映画にそっくりな実体験をしており、「何もしない」演技でスタッフに答えたという。いつ見ても凄いです。はい。
他のキャストもみんな巧い。現場の雰囲気も知れる。
さて。いつものように原作を読んでいないので憶測だが、まぁ間違いないので言っちゃうが、在日韓国人の事が伏線にあるのである。こんなこと、アメリカ人が書く訳ないので、脚色として入れられたのだろう。
西日本、ことに関西というところは、この在日朝鮮人のこととか、いわゆる部落問題のこととかが、未だに根強く残っている(気にしている)地域、というイメージを持っている(知らずの偏見だったら御免なさい。ご指摘メールをお待ちしています)。ちなみにこの映画の舞台は京都近郊の山の中。
この伏線自体は、映画に厚味を持たす効果を得ていると思う。しかしでは設定が在日韓国人でなければならない理由は?というと、どっこい実は皆無なのだ。何故ここで在日韓国人をわざわざ取り上げるのか?ワールドカップへの便乗か?コリアンブームへの追従か?
しかし、この映画の、在日韓国人の組み込み方を方を私なりに俯瞰すれば、どうも正真正銘の右翼映画に思えてしまうのだ。いや、映画そのものが、えいや!で振れば右寄りだ。
もちろん、そんな映画があっても良いのだ。ナショナリズムを全て否定する気なんてないし。ただ「何でここで在日韓国人?」ということなのだ。コレがなけりゃ、全然違うテイストになったかもしれないのに。
原作から得たインスピレーションがそうさせたのかしらん。じゃあ、やっぱり原作を読まねば。
劇場内は、中高年層でいっぱい。しかし年齢層を絞った作り方をしている訳ではないので、いろんな想いを掻き立てられに、みんなに観て欲しいです。


『ロード・オブ・ザ・リング』 観た日:2002/04/11
お薦め度:★★★★☆ もう一度観たい度:★★★★☆

監督・脚本・製作は『ブレインデッド』(1992)のピーター・ジャクソン、共同脚本はフラン・ウォルシュ(製作も)とフィリッパ・ボウエン、編集は『クラッシュ』(1996)のジョン・ギルバート、撮影は『ベイブ』(1995)!のアンドリュー・レスニー,A.C.S.、美術はグラント・メイジャー、衣装クリーチャー&メイクエフェクトはリチャード・テイラー、SFX・VFXはWETA社。キャストは『パラサイト』(1998)のイライジャ・ウッド、『グーニーズ』(1985)のショーン・アスティン、『ゴッド・アンド・モンスター』(1998)のイアン・マッケラン、『アルマゲドン』(1998)のリヴ・タイラー、『リプリー』(1999)のケイト・ブランシェット。

冥王サウロンは全ての悪、全ての生きとし生ける者を治める力を持った“指輪”を作り上げた。“指輪”の力で“中つ国”の種族を次々と滅ぼしたサウロンは、しかし遂に勇者イシルドゥアにより指を切り落とされる。その後“指輪”は所有者を変え、今はホビット族のバギンズの元にあった。バギンズが111歳の誕生日、念願の旅に向かう彼は養子のフロド(イライジャ)に“指輪”を託した。一方、復活を始めていたサウロンは“指輪”を見つけるために手下を放っていた。“指輪”をサウロンに渡すわけにはいかないが、しかし“指輪”の力を支配できるのもサウロンのみ。何をしても壊れないこの“指輪”は、鋳造した“滅びの山”の火に捨てる以外にない。フロドは仲間と共に、この危険な旅に出る。

『指輪物語』三部作の1編目。ニュージーランドで一気に3作分作っちゃって、その1つ目がこれだ。
原作者トールキンとその原作『指輪物語』は、もはや神格化しているというのが、各書評によるほぼ統一された見解であるらしい。パンフレットで解説者の一人はこの映画について「プレミア・ロードショーでは原作崇拝者達が意気込んで試写に望んだ」とまで書いている。で、彼らの評価は「総立ちで拍手」。はぁ。
CGについては言わずもがな。良いのである。というか、上手い。もう、言うこと無し。はいはい良くできました、てなもんだ。
もちろん意地悪を言っているわけではなく、ここまでやられたとしてももう観ているこっちは全然驚かないのである。この映画に関してただ一つを除いては。
身長1メートルに満たないホビット族と人間達が行動を共にしているのだが、当然ながらホビット族らも人間だ。つまり実際の身の丈は同じはず。だけど小さい。で実写の如く動いている。う〜む、遠近法と広角レンズを使って背の大小を見せるトリックは古典であるが、これはもちろん違うのだ。メイキングフィルムでも観ないとワカラン。
まぁそんなことはど〜でもいいや。濃厚な映像と濃厚な脚本が、バランスよく成立しているので、CGにもそんなに腹が立たないし2時間58分と長いけど飽きない。
イライジャ・ウッド。目が、いろんな意味で凄い。あの左右の形こそ、CGで何とかできないものか?
リヴ・タイラー。顔が長いぞ。芝居は大根だし。
ケイト・ブランシェット。32歳のカマトト。
乗りかかった船で、取りあえず残り2作も観るつもりだが、繰り返すけど、な〜んか私はもうCG不感症だな〜。トホホ。


『モンスターズ・インク』 観た日:2002/04/04
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督はピート・ドクター、製作総指揮は『トイ・ストーリー』(1996、監督)『バグズ・ライフ』(1998、監督)のジョン・ラセター、脚本はアンドリュー・スタントンとダニエル・ガーソン、音楽は『ナチュラル』(1984)のランディ・ニューマン、映像はピクサー・アニメーション・スタジオ。キャストはサリー(ジョン・グッドマン、石塚英彦)、マイク(ビリー・クリスタル、田中裕二)、ブー(メアリー・ギブス)、ランドール(スティーブ・ブシェーミ)、ウォーターヌース(ジェームズ・コバーン)。

モンスターシティのエネルギーは、人間の子供の悲鳴だ。これを集めているのがモンスターズ・インク(株式会社)。子供部屋に続く570万ものドアを保管しており、社員(もちろんモンスター)がそこを通り子供部屋に侵入、子供を驚かすのだ。しかし最近の子供はめったなことで驚かないので、悲鳴を集めるのも一苦労。そんな中、サリーとアシスタントのマイクのコンビは、会社一の稼ぎ頭だ。それを舌打ちしてながめているのが万年二位のランドール。いつか出し抜こうと策略を練っている。ある日ランドールが規定を無視し残業しようとして用意していたドアから、2歳の女の子ブーが飛び出してきた!モンスター達は、人間の子供はエネルギー源ではあるが触ると死ぬかもしれないと考えられている危険なもの。それがこともあろうに、たまたま出くわしたサリーになついてしまったのだ。仕方なく自分の家へブーを連れて帰るサリーは、しかし人間の子が言われているような危ない存在ではないことがわかってくる。ところがブーはそんなことはお構いなく、2歳の子供らしく町中で大暴れ。泣いたり笑ったりするたびに何やらエネルギーが出るらしく、まわりはパニックになる。何とか元の子供部屋へ送り返そうと四苦八苦するサリー&マイクだが、遂に社長のウォーターヌースに見つかってしまった。

『トイ・ストーリー』シリーズや『バグズ・ライフ』で一世を風靡したピクサー&ディズニーのフル3DCG最新作。
技術的にはいまさらいちいち紹介するまでもない。サリーの体毛300万本を動かしてど〜のこ〜の、なんて、もう驚かない。この手の映画で語るべきはそのストーリーなのである。
モンスターが子供を驚かすのは悲鳴を集めるためで、それは会社運営によりなされ、モンスター達はサラリーマン、子供には触っちゃいけない、などなどの設定と、豪快な画面の作り方が巧くマッチしている。これを実写でやるわけにはいくまい。逆に言うともう、実写とアニメとの接点を、とか、アニメは実写を越えたか?とか言う議論は無意味なのである。・・・なんて事は、日本では10年以上も前から言われていることだけどね。ただし、クライマックスは布石がありすぎて見え見え。ここでは書かないけど。
それと、どうもドラえもんの“どこでもドア”をパクッたように思える。上手くひねってあるけれど。まぁいいか。面白いし。
良質なファンタジーだ。大人にこそ観て欲しいな。


『フォー・ザ・バーズ』 観た日:2002/04/04
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

ピクサー・アニメーション・スタジオの短編アニメ。2001年度の米アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞している。
『モンスターズ・インク』(2001)の前座扱いで、露払いのようにチョロッとしか上映されないが、これが最高に面白い。何よりも優れた作品にセリフはいらない(これは短編だというコンセプトもあるとは思うが)ことを改めて示してくれている。
とぼけたビッグバードと、ちっこい鳥達の上質なコント。
長編化ぜずにこのままの短編路線で、あと何本か観たい。


『助太刀屋助六』 観た日:2002/03/01
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『独立愚連隊』(1959)の岡本喜八、撮影は『EAST MEETS WEST』(1995)の加藤雄大、企画・美術は『かあちゃん』(2001)の西岡善信、照明は『悪名』シリーズの中岡源権、編集は『愛を乞うひと』(1998)の川島章正、音楽は山下洋輔と林英哲。キャストは真田広之、鈴木京香、村田雄浩、仲代達矢、岸部一徳、岸田今日子、小林桂樹。

ひょんな事から敵討ちの助っ人をし、その快感に味をしめた助六(真田)。幾らかの礼金も貰えるとあって、敵討ち探しが仕事となる。そして数年、故郷に錦を飾るべく帰ってみると、何やら宿場に不穏な空気が漂っている。番太となっていた幼なじみの太郎(村田)に聞くと、これからここで敵討ちが行われると言う。願ったりと喜ぶ助六だが、これは関八州取締出役(岸部)立ち会いの元に行われるものであり、討ち手には既に助っ人が2人ついているし、助六の出る幕はないと言う事。敵役のいる棺桶屋を覗いてみるとそこには、どうにも悪人に見えない片倉梅太郎(仲代)が、顔見知りの棺桶屋の主(小林)と共にいた。手が震えるので刀を右手に縛ってくれと頼まれて縛る助六の、みぞおちに柄を当てて気絶させ、切られに行く梅太郎。取締出役に種子島で打たれた音で目が覚めた助六は、主とのやり取りらから梅太郎が自分の父親らしいと気付いた。そう言えば死んだ母親の墓前にも、梅太郎が持っていた同じ野菊が添えてあったっけ。憎っくきは取締出役だが、敵討ちの亦討ちは御法度だ。ここは頭を冷やして・・・ そうだ梅太郎の助太刀というなら話は通る、それで行こう。

おなじみ喜八リズムが炸裂する、軽妙にして含蓄のある時代劇。
総評としては、良い出来だと思います。決定的なミスは、監督が喜寿なので、真田も鈴木ももう年なのに“若造”に見えてしまうらしく、彼らを24歳とか、もっと若いおぼことかいうキャスティングをしてしまったことだね。
真田広之は『ヒーローインタビュー』(1994)にも増して奇妙とも取れる腰の軽さで所狭しと飛び回って、また演技が鼻につくほど巧い。自分が巧いと思っているようだから、余計に鼻につく。
上のあらすじでは一切触れていないが、鈴木京香、おきゃんな上州女という感じで良い。乗馬もなかなか。襦袢が見えちゃってるけど。でもさすがに処女役には無理が・・・
仲代達也。ちょっとコミカルな持ち味が出ていて好感。
さて。実は一番書きたいのは以下。
この映画の照明の中岡源権は、日本映画の大先生の一人で照明の神様みたいな人である。NHK-BSの『シネマ・パラダイス』でもやってた。
映画の際の照明というのは、階調に基本があると思う(写真というヤツなら何にでも当てはまる話です)。こちとら素人なので偉そうに語るのはこっ恥ずかしいのだけれど。つまり、フィルムの回転速度はもちろん一定であり、シャッタースピードも一定なので、カメラの枠の中で、明るい部分は露出オーバーにならないように、暗いところもアンダーにならないようにする。しかも暗くても暗いなりにそこに何があるのか解らないと、絵として成立しないので、黒く潰れてしまわないようにちょこっとは光を加減する必要がある。現像時にデジタル処理をしてしまったりする手法もあるが、まぁ現場でコントロールできるに越したことはない。この辺はもちろん経験がモノを言うと思うし、才能も努力もあるだろう。そういう意味ではモノクロフィルムの時代から映画屋として鍛えられてきているのは財産である。実際、特に人物にはしっかりと光が当てられていて、これが中岡組の仕事なんだな〜と思わせる。
でもねでもね、何で影が2つ3つあるのかな〜。レフ板が別方向から向けられてるからだよね。岡本喜八も中岡源権も第一人者だから、現場では面と向かって文句を言えなかったのかも知れない。編集時も気が付かなかった振りをしなきゃいけなかったのかも。しかし、そんな肝っ玉の小さい連中が作った映画なんて、私は、ありがたがる気なんてこれっぽっちも起きない。嘘を固めたのが映画なのは百も承知、ならばせめて、本気で嘘をつこうよ。太陽は2つも3つもないんだよ。時代考証や大道具小道具のミスとは決定的に違うと、私は考えるのである。つまり、これがどうにも気になって、星が3つなのだ。
あ、あともう一つ、“宅急便”は登録商標(たぶん)ですよ、喜八っつぁん。


『耳に残るは君の歌声』 観た日:2002/03/01
お薦め度:★★★★★×10! もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本・音楽プロデューサーは『オルランド』(1992)『タンゴ・レッスン』(1997)のサリー・ポッター、撮影は『去年マリエンバートで』(1961)のサッシャ・ヴィエルニー、編集は『デリカテッセン』(1991)のエルヴェ・シュネイ、美術はカルロス・コンティ、衣装は『フォー・ウェディング』(1994)のリンディ・ヘミング、音楽はオスヴァルト・ゴリジョフ。主演は『バッファロー'66』(1998)のクリスティーナ・リッチ!、『エリザベス』(1998)のケイト・ブランシェット、『ショコラ』(2000)のジョニー・デップ、『バートン・フィンク』(1991)のジョン・タトゥーロ。

1927年ロシア。ユダヤ人のフィゲレは父と祖母と3人で暮らしていたが、貧しい暮らしは一向に良くならない。父は歌が上手く、フィゲレにいつも子守歌を歌ってくれていた。ある日、仲間と共に父はアメリカに出稼ぎに旅立つ。娘を置いていく辛さに後ろ髪を引かれる思いの父。やがて、ユダヤ人迫害の波がフィゲレの村を襲い、命からがら逃げ出したフィゲレは、父の写真を胸に後を追うが、移民船でイギリスへ。スージーという新たな名前をつけられ、子のない夫婦に養子として迎え入れられる。友達もいなくロシア語も禁じられ、孤独なスージーに残ったのは父譲りの美声だった。成長したスージー(クリスティーナ)は、人を感動させられるこの才能で父を探すことにした。コーラスガールのオーディションを受けパリに移ったスージーは、ロシア人ダンサーのローラ(ケイト)と親しくなる。ローラは強烈な上昇志向の持ち主で、テノール歌手ダンテ(ジョン)に接近、オペラに出演し同棲も始めた。一緒にオペラ座に採用されたスージーは、同じくここで働くジプシーの曲馬乗りチェーザー(ジョニー)に惹かれる。しかしナチスドイツの攻勢によりパリは陥落した。

イギリス-フランス合作。
まず開始5分でノックアウト。カメラが凄いのである。撮影監督のサッシャ・ヴィエルニー、恐るべし。あの構図と被写界深度に憧れないカメラマンはいないだろう。この映画が遺作だとは何とも惜しいではないか。
脚本も秀逸。スージーの生き様という縦線に、つかず離れず絡む登場人物たちの書き込み方の見事さ。ユダヤ人迫害の背景と共に考えていけばますます、サブキャストの距離感が内容の濃さと共に映える。1時間37分という適切な長さで上手に圧縮されている。
なんてったってクリスティーナ・リッチ!名前がもうかっこいいよね。あの目、あの唇、あの額。ポッコリしたお腹。わずかに拗ねているような暗いような表情と誰もが唸らずにおれない寡黙な演技。『アダムス・ファミリー』(1991)の残酷な女の子はその後着実に成長した。見守るファンとしてはホントに嬉しいです。お願いだから、くだらないダイエットなんてしないでね。太めだからこそのクリスティーナ・リッチです。
ジョニデ@ハサミ男。『ショコラ』に続きまたも流れ者の役。似合いすぎ。しかも『スリーピー・ホロウ』(1999)でも組んだ相性抜群のクリスティーナ・リッチとの共演だ。口をポカンと開けている以外に欠点なし。歌えるんだから歌えば良かったのに。
ケイト・ブランシェット。なんであんなに笑顔が汚いのだろう。そういう天性も含めて、ビッチな感じが巧い。男主体の社会で媚びるという武器を本能的に身につけた女は、ある意味無敵で殆どが哀れだ。
ジョン・タトゥーロは、そんな卑怯な男社会にドップリ浸かったヤリチン歌手。ハードボイルドな粋とは正反対だけど、方向性は同じだと思う。男に都合の良い社会でないと生きられないのだ。
『耳に残るは君の歌声』というのは完璧な邦題だ。『The Man Who Cried』より百倍良い。この題名を追いかけて、スクリーンに浸って欲しい。
傑作!必見!何を差しおいても観ろ!


『化粧師』 観た日:2002/02/14
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督はこれが初の田中光敏、脚本は横田与志、美術は『利休』(1989)『どら平太』(2000)の西岡善信、撮影は『いつかギラギラする日』(1992)の浜田毅、編集は川島章正、顔師・ヘアメイクは今義美、ヘアメイクは藤原美智子、衣装協力は花井幸子。キャストは椎名桔平、菅野美穂、池脇千鶴、田中邦衛、柴田理恵、秋山拓也、岸本加世子、いしだあゆみ、佐野史郎、あき竹城。

時代は大正。小三馬(椎名)は稀代の化粧師(けわいし)。彼の化粧は運がつくと贔屓にする芸者や女優がいる一方、横柄とも取れる寡黙な仕事ぶりに偏屈者と眉をしかめる者もいる。しかしその腕前は皆が一目置いている。小三馬の住む二階屋の隣りで天麩羅屋の看板娘の純江(菅野)は、彼に恋いこがれ、弟子入りを希望しているが、父茂蔵(田中)はにべもない。大火で焼け出され呉服屋に奉公する文盲の時子(池脇)は、文字を必死に覚えていくうちに、女優になる夢を膨らませる。彼女は同じ境遇の子供達に本を呼んで聞かせることを楽しみにしており、小三馬はそれを影で応援していた。ある日、政府が占有地を理由に、焼け野原に寄り添って生きる住民を力ずくで追い出そうとした。居合わせた時子は礼状を奪って逃げ、小三馬は彼女をかくまう。折しも純江の見合いの日、一世一代の化粧を純江にほどこした小三馬は、警察からの任意同行を無視するようないつもの態度を取ったために捕まってしまう。そんな彼に、これが最後と純江が叫ぶ。彼女は小三馬の秘密を知っていたのだ。

石ノ森章太郎原作の漫画の映画化。石ノ森本人が、生前に映画化を希望していたほどに思い入れのある作品。
原作を読んでいないので推察なのだが、きっとこの漫画は、一話完結(あるいはそれに近いセンテンス)なのだろう。映画に込められた個々の女性のストーリーが、原作の一話一話を想起させる。だから全体の流れとしては、はっきり言ってぶつ切りだ。
田中光敏監督は、カット毎を丁寧に絵にする事にこだわったあげく、結局は全体としての流れを寸断してしまった。木を見て森を見ず。和風テイスト盛り沢山なので、なおさら残念。繋ぎ方によっては日本を代表する映画としてどこにでも持って行けたのに。
言わずもがな、脚本も未熟。小三馬の秘密も、『シックス・センス』(1998)以降、流行り病みたいなもの。ブルータスお前もか、ってなもんですな。
椎名桔平。巧いのか下手なのかよくワカラン。まぁこういう設定だから仕方ない。次に期待。
菅野美穂。意見の分かれるところだが、個人的にはこの役はバツ。あんなに丸顔なのに、顎に弛みがないのは羨ましいッス。
田中邦衛。いつでもどこでも素で通す。というか、素で通る役を選んでいるということだと思うけど、でも許す!かっこいいし。
岸本加世子。化粧で引き立つのが分かり切っているのにあんな汚れ役。美形はずるい。願わくば、ヘンに痩せないでね。
そして池脇千鶴。三井のリハウスでボロボロ泣いてからこっち、大活躍だが、この娘に化粧はいらないのでは?というほどに、ドアップOK。そうそうアップは耐えられるうちにどんどん撮ろう。
観て「つまらない!」とは思わないでしょう。お気に入りの俳優がいるのなら、どうぞ。


『息子の部屋』 観た日:2002/02/14
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本・主演は『親愛なる日記』(1993)のナンニ・モレッティ、共同脚本はリンダ・フェリとハイドラン・シュリーフ、撮影はジュゼッペ・ランチ、編集はエズメラルダ・カブリアラ、音楽は『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)!のニコラ・ピオバーニ。キャストはラウラ・モランテ、ジャスミン・トリンカ、ジュゼッペ・サンフェリーチェ、ソフィア・ビジリア。

精神科医のジョバンニ(ナンニ)は、出版社に勤める妻パオラ(ラウラ)、娘のイレーネ(ジャスミン)、息子のアンドレア(ジュゼッペ)と、小さな港町に暮らしていた。家族に愛され患者に信頼された生活。ジョバンニは満たされていた。ある朝、競争欲に欠けるアンドレアを日課であるジョギングに誘ったジョバンニは、急な患者からの往診以来を断れず、車で出張する。パオラは買い物へ、イレーネはバスケの試合のために、アンドレアは友人と約束したスキューバダイビングにそれぞれ出かけた。そして、アンドレアだけが帰ってこなかった。自責にさいなまれ遂に診療所をたたむジョバンニ。泣いて泣いて愛する息子の死を受け止めるパオラ。両親の微妙な行き違いを敏感に察知し恋人とまで別れて仲に立つイレーネ。そんなある日、アリアンナ(ソフィア)という見ず知らずの女の子からアンドレア宛に手紙が来る。息子は、両親の知らぬ間にガールフレンドを持っていたのだ。家族が知らないアンドレアの真実。パオラはアリアンナに電話で息子の死を告げた。そして突然、写真を携えてアリアンナが訪れた。

イタリア映画にして、2001年カンヌ映画祭のパルムドール受賞作。
ナンニ・モレッティは「饒舌な監督」らしい。他作を観てないからよく解らない。しかしこの映画を残した。もうそれだけでいい。
何という脚本力。監督自らが執筆しているからこそ、恐らくカメラの前で書き換えていけたのだろうが、それにしても全体の構成力の驚くべき非凡さ。ああ、生涯で1本でもこんな作品が書けたら、幸せだろ〜な〜。
特に、アリアンナが登場してからエンディングまでの一連の発想力が白眉。突飛さもてらいもなく、監督としての手腕と共に、まさに見事な映画らしい叙情を作り出しているのである。
これはね〜、観なきゃ損ですよ、皆さん!
音楽がまた素晴らしい。ピアノのしっかりエッジが揃った和音って、大好きです。
俳優達の、作品の意図をよく理解した抑揚を抑えた心の演技も、まさに的確で良い。
死は、年齢順であるべきだ。家族の長老から死んでいくのなら、それが寿命をそこそこ全うしたのであれば、「よく生きてきたね」と言える。寂しくなるが悲しみは薄い。ところが、もっと生きられるはずの者が死ぬと、寂しさよりも悲しみが先走る。
死を少なからず経験すると、自分の死を受け止める心構えにも思慮する時間ができてくるものだ。ところが何より受け入れたくないのは、自分が関わった特に年下の、更に言えば自分の子供の死だ。想像だにしたくない。本件に関しては、確率論とかをしたり顔で引っぱり出す輩とは親しくなりたくない。
万人の琴線に触れる、触れたくないモチーフ。う〜む、ナンニ・モレッティって、やっぱり残酷だ。


『WASABI』 観た日:2002/02/09
お薦め度:☆ もう一度観たい度:☆

監督は『TAXi2』(1999)のジェラール・クラヴジック、脚本・製作は『フィフス・エレメント』(1997)のリュック・ベッソン、編集はヤン・エルヴィ、衣装はアニエス・ファルクと富樫昇。主演はジャン・レノ、共演は広末涼子、『TAXi2』のミシェル・ミューラー、『007/ユア・アイズ・オンリー』(1981)のキャロル・ブーケ。

有能だが乱暴で短気な刑事ユベール(ジャン)は、かつて愛した日本人女性ミコが忘れられなかった。理由無く別れてもう19年になる。いつものようにやりすぎた捜査の後、強制的に休暇を取らされたユベールに突然、ミコの死を告げる連絡が入る。日本へ直行すると、弁護士から遺言と遺品、そして19歳の娘ユミ(広末)の存在を知らされる。茶髪で乱暴な言葉遣いで始終ケータイで話をしているユミに面食らうユベールは、とてもじゃないが自分が父親だとは言い出せない。だが、もっと驚いたのは、ユミに振り込まれていたミコからの遺産2億ドルだった。そして、ユミを付け狙う黒い一味。ユベールはユミを連れながら、ミコの秘密と財産の謎を追う。

仏日合作。
ダメ。駄作。金を払って観る価値無し。ガッカリ。
“ベッソン・マジック”は、こと日本を題材にした映画に関しては全く発揮しなかった。(それ以前に、脚本が陳腐極まりない!)
これは、そもそも日本の事を認識できていない事にあると思われる。理解のための努力が足りない。勤勉さがないのだ。
最も酷いのが、ユベールとユミが荼毘に賦するミコに面会するシーン。ユベールが、ミコの顔と爪に付着していたモノを採取するのである。火葬場の霊安室から出てきた棺桶の中、燃やす直前の死人の顔に、一体どんな“証拠品”が残っているというのであろうか?フランスには“死化粧”という文化は存在しないのか?しないとしても、何のための日本人スタッフなのだろうか?日本人スタッフ全員、死人を見たことがないのか?う〜、物凄い脱力感だ・・・
だいたい、フランスという国(なのかフランス人という奴らがそうなのかは知らんが)は、強大な田舎者というか、独りよがりでワガママだ。核拡散条約締結前に滑り込みで核実験するし。日本の、特に文化芸術に関して一目置いていると公言する割には、日本人をバカにしているように感じるし、って、本題からずれてきちゃっているが、とにかく変な国なのだ、と思っている。
歴史物なら時代考証を、現代劇なら最新の情報と事情の疎通を怠ってはならぬ。これに手を抜いた時点で、広末が気が変だとか、ジャン・レノの一人演技はトム・ハンクスには遠く及ばないとか、そんな話なんか吹っ飛ぶよ。
ベッソンは、わさびを食ったことないみたいだ。あれは、わさび業者・和食関係者にとっては屈辱だろうな〜。あのシーンに深意があれば、是非ともお聞きしたいものですね、ベッソン君。
まぁいいや。どうせもう観ないし。


『オーシャンズ11』 観た日:2002/02/09
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『トラフィック』(2000)のスティーブン・ソダーバーグ、脚本は『ラビナス』(1999)のテッド・グリフィン、編集は『キル・ミー・テンダー』(1993)のスティーブン・ミリオン、音楽は『アウト・オブ・サイト』(1998)のデイビッド・ホルムズ。キャストはジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、アンディ・ガルシア、マット・デイモン、『200本のたばこ』(1998)のケイシー・アフレック、『60セカンズ』(2000)のスコット・カーン、『ミッション・トゥ・マーズ』(2000)のドン・チードル、『バグジー』(1991)のエリオット・グールド、『スキゾポリス』(1997)のエディー・ジェイミソン、『バーニー・マック・ショー』(2000)のバーニー・マック、シャオボー・クィン、『オー・ゴッド!』(1977、監督)のカール・ライナー。

仮出所した窃盗犯ダニー・オーシャン(ジョージ)は、懲りずにかねてからの計画を実行するため、朋友ラスティ(ブラッド)に連絡、かつて誰もなし得なかったラスベガスのカジノ王ベネディクト(アンディ)の金庫を狙う。コンピューター・爆弾・運転などのスペシャリティが集まってきた。しかしラスティの心配は、ダニーに愛想を尽かしベネディクトの元に走ったテス(ジュリア)だ。この計画に私情が絡めば失敗するだろう。案の定、ダニーはテスとベネディクトに接触、マークされてしまう。チームからダニーを外し、1億6000万ドル強奪作戦は開始される。

ピンで立てる役者をかき集めた映画。
というのは、いささか違うようだ。みんなマジで楽しそうだもの。
ジョージ・クルーニーが自分のギャラを削ると言い、その割合で他の俳優にもギャラカットの交渉をしたらしい。なるほど。
これは、ソダーバーグ監督のオスカー効果も大きいのか。まぁ旬の監督とは、みんな仕事したがるもんだよね。
ただし、この映画は1960年制作の『オーシャンと11人の仲間』のリメイクで、しかも当時の出演者がフランク・シナトラ、ディーン・マーチン、サミー・デイビスJr.らである。ここいら辺に、キャストの豪華さへのこだわりがあるかも。
ソダーバーグは、上手いです。この映画については、あの独特の色触りのフィルムの焼き方が合ってるし、音楽も良い。尺の長さもちょうど良い。
ブラピ。これほど下品にジャンクフードを食える男は他にいない。そしてカッターシャツをこれほどチンピラらしく着られる男も。勘違いされると困るが、これは褒め言葉である。
ジュリア。世間一般の評価はともかく、私は、彼女は美人かブスかと問われれば間違いなく後者なのだ。まぁど〜でもいいが。
アンディ。かっこいい。が、ちょっと表情を抑えすぎかな?
エンディングに強烈な暗示がある。オヤッ?と思われる人も多いかと思うが、まぁ悪銭身に付かず、という事で。


『ハリー・ポッターと賢者の石』(吹き替え) 観た日:2001/12/27
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・製作総指揮は『ホーム・アローン』(1990)のクリス・コロンバス、脚本は『ワンダーボーイズ』(2000)のスティーブ・クローブス、編集は『セブン』(1995)のリチャード・フランシス=ブルース,A.C.E.、撮影は『いまを生きる』(1989)のジョン・シール,A.C.S.,A.S.C.、美術は『ガンジー』(1983)のスチュアート・クレイグ、衣装は『バガー・ヴァンスの伝説』(2000)のジュディアーナ・マコーフスキー、視覚効果監修は『スタートレック』シリーズのロブ・レガート、音楽は尊敬すべき作曲家ジョン・ウィリアムス。主演はダニエル・ラドクリフ、共演はルパート・グリント、エマ・トンプソン、ドビー・コルトレーン、リチャード・ハリス、イアン・ハート。

捨て子同然で、ダーズリー家にぞんざいに育てられたハリー・ポッター(ダニエル)。彼の11歳の誕生日、封筒が届いた。それは、ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可書だった。今まで何度も現れた、怒りや恐怖に駆られたときに起こる不思議な“現象”は、実は知らずに使っていた魔法のせいで、つまりハリーは魔法使いだったのだ。学校の番人ハグリッド(ドビー)の導きで必要な買い物を済ませ、汽車に乗り込むハリーは、同期入学のロン(ルパート)とハーマイオニー(エマ)と出会う。学校は、信じられないような出来事で満ち溢れていた。次第にハリーは、ダーズリー家がひた隠しにしてきた自分の生い立ちについて知るようになる。ハリーの両親は優秀な魔法使いで、しかし悪の魔法使いヴォルデモートに殺されてしまった。生まれたばかりのハリーも殺される所だったが、何故かヴォルデモートはその場を去ってしまう。ヴォルデモートに狙われて生き残った魔法使いはこれまでいなかったので、魔法使い達はハリーを“特別な救世主”と噂していた。何も知らなかったのはハリーだけだったのだ。ある日、ハグリッドが持ち帰った“賢者の石”をヴォルデモートが狙っていることを突き止めたハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、それを食い止めようと立入禁止の部屋へ侵入する。

世界中で1億冊売れた原作の映画化。今更説明はいらないだろう。
最初、ど〜せCGバリバリの姑息な特撮映画だろ〜なんて、タカを括って観に行ったのだが、全然違いました。御免なさい。正直言って、CGの可能性はまだまだ先が見えないな〜と思う。予算に目途をつけない、という大前提はあるけど。
でも、一括りにCGと言ってしまうが、この作品に関しては美術とSFXが極めて上手く融合していて、それが鼻につかない、というのが良いところなのだ。えげつない撮り方だってできただろうに。
ハリーが実は「選ばれた魔法使い」であるというシンデレラストーリーと、「努力・友情・勝利」のキーワードが古今東西を問わず人気を博すツボであるという事。上手といえば上手。常套といえば常套。
まぁ、あら探しはすまい。やはりこの映画の持ち味は、全体を包むファンタジーという名のパフォーマンスが、極めて高次元だということに尽きるのだから。
子役に関しては、まぁあんなもんでしょう。取り巻きも、衣装のインパクトの方が強すぎて、誰が演じても大同小異な気がする。
次回作をふまえて作られていることに不満はあるが(原作もそうだもんね)、まずは皆さん、観て損はないよ。


『バニラ・スカイ』 観た日:2001/12/26
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督・脚本は『ザ・エージェント』(1996)『あの頃ペニー・レインと』(2000)のキャメロン・クロウ、編集は『マルコビッチの穴』(1999)のジョー・ハットシング、撮影は『ブレイブ・ハート』(1996)『シン・レッド・ライン』(1998)のジョン・トール。主演(兼製作)は『マグノリア』(1999)のトム・クルーズ、『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)のペネロペ・クルス、『遊星からの物体X』(1982)のカート・ラッセル、『あの頃ペニー・レインと』のジェイソン・リー、『メリーに首ったけ』(1998)のキャメロン・ディアス。

デヴィッド・エイムス(トム)は、親譲りの出版社を掛け持ちする若き成功者。作家のブライアン(ジェイソン)と遊ぶのも忘れないし、セックスの相性の良い友達ジュリー(キャメロン)もいる。ニューヨークの生活を謳歌していたが、自分の誕生日パーティで、ブライアンが連れてきたソフィア(ペネロペ)の美貌と純粋さに一目惚れする。早速自分の流儀で彼女に接近し、親密になったデヴィッドだが、ソフィアの家から出てきたところを、尾行してきたジュリーに見つかってしまう。ジュリーの車に同乗したデヴィッドは、彼女が過剰な嫉妬に我を忘れていることに気付くが、暴走した車は欄干を越えて橋下の壁面に激突した。ジュリーは死亡、デヴィッドは顔面損傷などの重傷を負う。医師団の看護と形成手術も虚しく、デヴィッドの甘いマスクは失われ、後遺症から言葉もままならず、思考にも支障をきたすようになる。会社重役からは解任を要求され、ソフィアは離れ、ブライアンには愛想を尽かされる。・・・そして今、デヴィッドは取調室で精神科医のカーティス(カート)と向き合っていた。

変な映画。懲りすぎ。見終わった直後に、後ろの席から「意味分かんね〜」の声あり。それに、長いし。
つまり、1度観たくらいじゃついていけない人がいるのである。最近、こういう作りの映画が増えてきている。そしてこれを良しとする人がいる。まぁいてもいいのだが、その中には「これこそ最高!オスカーに相応しい!」という輩もいるのである。
この映画の、何にオスカーをあげるというのだろうか?脚本か?でも原作はスペイン映画『オープン・ユア・アイズ』(1997)だ。脚色か?う〜む。編集か?確かに、脚本や監督の意向を忠実に現しているのだろうから、力量は凄いものがあると思うが、でも上記のように「訳わかんない」人がいる映画を、高評価しても良いモノなのだろうか?
トム・クルーズにあげるのか?あんなポッカンと口を開けっぱなしの演技で?ペネロペ・クルスとの度を超したイチャイチャも、下品だ。じゃあ、ペネロペ・クルスの、あの右のオッパイのほくろにあげる気か?確かにグッドだけど。それともキャメロン・ディアスのナイスな脚にあげるのだろうか?
カート・ラッセルかジェイソン・リーのどちらかに助演男優賞?これもな〜。カートは頑張った。でも、肝心のラストが大根だったと思うよ。あれで帳消し。
ということで、消去法でジェイソン・リーが残りました。でも、オスカーって消去法で選んでもいいの?
と、ガチャガチャ書いてしまいましたが、総括すれば面白いです。関係者の方、ご安心を。
字幕を読むことに苦労してしまい絵が追いかけられない人は、観念して吹き替え(ということはビデオかな?)まで待った方がいいでしょう。
私も、もう一度観てみます。評価が変わるかも知れないし。


『アメリ』 観た日:2001/12/26
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督は『デリカテッセン』(1991)『エイリアン4』(1997)のジャン=ピエール・ジュネ、脚本は『ロスト・チルドレン』(1995)のギョーム・ローラン、音楽はヤン・ティルセン。キャストは『エステサロン/ヴィーナス・ビューティー』(1999)のオドレイ・トトゥ、『クリムゾン・リバー』(2000、兼監督)のマシュー・カソヴィッツ、ドミニク・ピノン、イザベル・ナンティ、ジャメル・ドゥブーズ、アンドレ・デュソリエ。

アメリ(オドレイ)は幼いときに、医者で冷淡な父のそそっかしい誤診のせいで心臓病とされてしまってからは、家から一歩も出ることはなかった。アメリの友達は、空想から生まれたモノ達だけだった。神経質な母は早くに事故死。さすがに成人となり、この家も自分もかなりヘンテコだと気付いたアメリは、アパルトメントを借りて自立、近くのカフェで働くようになる。ある日、偶然にも壁の穴から、この部屋に昔住んでいた人のものと思われる玩具のブリキ箱を見つけたアメリは、それを持ち主に返そうと思いついた。内気で超人見知りの彼女にとって、これは大冒険!なんとか彼の元へ辿り着き、箱を返せたアメリは、その過程で出会った人たちといろんな関係を持ち始める。父には友人のスチュワーデスにお願いして、大事にしている小人の人形の世界旅行の写真を、意地悪な八百屋にはイタズラを、骨軟化症の老人にはビデオクリップを、そしてインスタント写真のボックス周りを漁る青年ニノ(マシュー)には、恋を。

フランス映画。2001年、最もフランス国内を騒がせた作品。
はっきり言って、ヘンな人ばかりが出てくるのである。こんなキャラクターばかりで、ストーリーがよく破綻しないものだ。アメリを設定してから周りを膨らませていったのだろうか?とにかく、まともな人間はこの映画には1人も出てこない。
かといって、ファレリー兄弟の作品のように、奇人変人でもない。一歩手前で踏み止まっているようだ。思うに、この映画の登場人物のヘンさというのは、本人と接触しないとわからないような種類のものである。つまり離れてみているだけでは気付きにくいヘンさなのである。この部分に、この映画を観た人の共鳴なり親近感なりを呼び起こすエッセンスがあると考える。いずれにしても、キャラクター同志のやりとりを、エスプリとかギャグとか愛とかのように身近に感じるか、鼻持ちならない嫌みな演出と感じるかで、評価は二分するだろう。
カメラワークが、あざとい感じもするが、良い。
CGはせこい。米TV『アリーmyラブ』のパクリ。オドレイ・トトゥの演技力(があるかどうかはワカランが)で見せればいいのに。
そのオドレイだが、この女優は良い。素材としてピカイチ。この映画ははまり役だ。願わくば、役回りが固定しないことを望む。まぁアップで勝負できるうちは、女優というものはアップまたアップなのである。
ということで、ヘンさとオドレイ・トトゥのアップを体感したいなら、迷うことなく劇場へ。


『ブリジット・ジョーンズの日記』 観た日:2001/10/25
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督はTV畑のシャロン・マグワイア、原作・脚本・製作総指揮はヘレン・フィールディング、脚本は『テイラー・オブ・パナマ』(2001)のアンドリュー・デイヴィスと『フォー・ウェディング』(1994)のリチャード・カーティス、撮影は『ピアノ・レッスン』(1993)のスチュアート・ドライバーグ、音楽は『カリートの道』(1993)のパトリック・ドイル。主演は『ザ・エージェント』(1996)『ベティ・サイズモア』(2000)のレニー・ゼルウィガー、共演は『ノッティングヒルの恋人』(1999)のヒュー・グラント、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)のコリン・ファース。

私はブリジット・ジョーンズ(レニー)。ロンドンに住む32歳のシングルトン。出版社に務めている。今朝も二日酔いだ。実家の両親や親戚からは「早く結婚しろ」「女の魅力には寿命がある」と言われ続け、自分でもそう思っているが、なかなかうまくいかないのだ。セックスだけなら簡単。でももうそれだけの相手で満足できる歳ではないのも熟知。何よりも、このお気楽な生活パターンと、ちゃらんぽらんでドジで思ったことをすぐ口にしてしまう性格を改善せねば。そうだ、新年を迎えたことだし、新しく日記をつけよう。決意を持って生きよう。・・・どうせすぐに挫折しちゃう気がするけど。気になる上司のダニエル(ヒュー)と運命の出会いをしたような気がしたけど、幼なじみの弁護士マーク(コリン)もまんざらではないし、しかもダニエルとマークは旧知にも関わらず確執を抱えているみたい。とにかく、パンツは脱いだら洗濯かごに入れよう。まずはそこから。私は、変わってやる〜!

イギリス作。大ヒット小説を、満を持して映画化。
最初、米人気TVシリーズ『アリー・my・ラブ』の二番煎じだと思っていた。でも違った。30歳前後の女性が、自分らしさをキーワードに、本音で本性をさらけ出している(と、いうことにしておこう)という点では同じだけど。どちらが面白いかは、意見の分かれるところだと思うが。私としては、性的な意味でない嫌らしさが希薄なこっちの方が、強いて言えば好みかな。
レニー・ゼルウィガーは、朝からケーキを食べまくって6kg太ったそうだ。本作でのポッチャリさは、それはそれでいい感じ。全然美人じゃないけど、放っとけないタイプ。「何でこの子がもてるの?」と、同性から不思議がられたり虐められちゃったりするような女優である。『ふたりの男とひとりの女』(2000)で天才ジム・キャリーを相手に一歩も引かなかった演技力も、さらに磨きがかかっている。
ヒュー・グラント。世界一の垂れ目セレブ。ろくでなし振りがいい。コリン・ファース。英国男児の典型の1つらしい。ジワジワと情熱が現れてくる役を好演。
さて。
本作はR-15指定である。15歳未満は観られない。
何で!?と思う。裸はなし。セックスシーン(と拡大解釈)は2つ。暴力は、男2人がブリジットを巡って殴り合うシーンだけ。つまりは、ブリジットのセリフ、例えば電話を取るところで「は〜い、セックス大好きで今も男をくわえ込んでいるブリジットで〜す」とか言っちゃうのが問題になったと推測する。
最近、R指定が厳しい。こんな下らない規制業務は、ハッキリ言って担当者の一存で決まるのだろう。で、最近就任した担当者は、ガッチガチの宗教家かマザコンなのだろう。
昨年、『バトルロワイヤル』が、やはりR-15指定を受けて問題になった。全国の中学校の中から選ばれたクラス全員が最後の1人になるまで殺し合う、という、いわゆる“暴力行為”縛りのためのR-15指定だ。しかし、主人公は中学生。中学生が観られなければ、この映画の存在意義は無きに等しい。
はっきり言って、大バカである。こんな下らない事に血道をあげるくせに、アンダーヘアーはもう公然だし、おチンチンも「性行為でない限りはOK」なのだ。言わずもがな、“外圧”の賜物だ。
まったく日本というのは、自己というものを持たないだらしない国なのだ。いい加減に、プライド持てよな〜。


『オー・ブラザー!』 観た日:2001/10/25
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★☆

監督・脚本はジョエル・コーエン(兄)、製作・脚本はイーサン・コーエン(弟)、編集はロデリック・ジェインズ(コーエン兄弟の偽名?)とトリシア・クック、撮影は『クンドゥン』(1997)のロジャー・ディーキンス、美術は『バグジー』(1991)のデニス・ガスナー、衣装は『ファーゴ』(1994)のメアリー・ゾフレス、偉大なる!音楽は『モンタナに吹く風』(1998)のT・ボーン・バーネット。キャストは『アウト・オブ・サイト』(1998)のジョージ・クルーニー、ジョン・タトゥーロ、ティム・ブレイク・ネルソン、クリス・トーマス・キング、『ピアノ・レッスン』(1993)のホリー・ハンター、『フリントストーン モダン石器時代』(1994)のジョン・グッドマン、『メル・ブルックスの大脱走』(1983)のチャールズ・ダーニング。

1930年代のアメリカ・ミシシッピ州。鎖に繋がれ石を割る連中に背を向けて、エヴェレット(ジョージ)・ピート(タトゥーロ)・デルマー(ティム)の3人は、綿花畑をひた走った。エヴェレットが強奪し隠した120万ドルが、数日後に完成するダム湖に沈んでしまうのだ。手こぎトロッコに乗る盲目の老人に、波瀾万丈の今後を読み諭され、ちょっとビビる3人。まずピートの親戚にすがり3人を繋いだ鎖を切ってもらうが、保安官にたれ込まれる。十字路でヒッチハイクをしていた黒人トミー(クリス)は、悪魔に魂を売ってギターのテクニックをもらったそうだ。ラジオ局で『ずぶ濡れボーイズ』と適当に名乗って歌を歌ったら、局員がお金をくれた。保安官に追い詰められ、トミーを放ったらかして逃げたら、今度は陽気な銀行強盗と行動を共にするはめに。川では3人の美女に良いことをされたあげく、ピートがカエルにされて?しまうし、変な聖書販売員(グッドマン)にぶん殴られて有り金を奪われるし、再逮捕されて!いたピートを脱獄させて逃げてたら、クー・クラックス・クランに捕まって処刑されそうになっているトミーを救出するし。で、実は有り金の真実というのが・・・

上記に随分と凝縮したつもりだが、ストーリーはまだ半分近く残っている。よくもまぁ、こんな濃厚で面白い脚本を書きやがって、コーエン兄弟、恐るべし!ダムのシーンとか、ヘンテコな部分はあるけれど(だって、水って、せき止められて増えていくのであって、ドドッと迫ってくるものじゃないよね?)。
フィルムの色が特徴的なのだ。一度フィルムに焼き付けた映像を、デジタルに読み込んで色彩操作&CG追加し、再度フィルムとしたのだという。効果覿面、色の浮き出させ方(葉っぱや花や、人の肌)やCG(牛が轢かれたり)が、お見事。特に、牛に関しては、スクリーンでは「上手な“張りぼて”を作ったなぁ」としか思ってなかったよ。
ジョージ・クルーニー。男性ホルモン垂れ流しのいけ好かない野郎とばっかり思っていたが(『アウト・オブ・サイト』なんて、もう最低!)、どうしてどうしてこの役はお見事。気に入ったよ。大量の水は、『パーフェクト・ストーム』(2000)のパロディか?
犬。最高。やっぱり犬という生き物でもっとも情けない姿は“仰向け”であり、そのときはどちらかと言えばやはりオスが相応しい。爆笑(ただし劇場内では私だけ)シーンだが、ここでは秘密。
前にも書いたような気がするが、この世の中には観たい映画とど〜でもいい映画と、観といた方が良い映画の3つがあるのだが、この映画は、例え前評判とか寸評とかでそれなりのイメージを持ってしまっていたとしても、観ておいたほうが良い。個人的にはイチオシである。でも、デートには使えないけど。下品な笑いのツボを相手に知られて、愛想をつかれるからね。
まぁでも、ドタバタのロードムービーには、女の入り込む余地はないみたいだ。差別を言うつもりではなく、この映画を観てしまうと、そう直感してしまうのだ。それほどまでに出来具合の良い映画。
何度も言うが、観ておいた方がいい。


『ラッシュアワー2』 観た日:2001/09/27
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『天使がくれた時間』(2000)のブレット・ラトナー、脚本は『ツイスター』(1996)のジェフ・ネイサンソン、スタント・コーディネーターは『リーサル・ウェポン』(1987)のコンザット・E・パルミザーノ。キャストは『プロジェクトA』(1984)のジャッキー・チェン、『フィフス・エレメント』(1997)のクリス・タッカー、『初恋のきた道』(1999)のチャン・ツィイー!、『ラスト・エンペラー』(1987)のジョン・ローン、ロセリン・サンチェス。

L.A.での大活躍の後、休暇を取ったカーター捜査官(クリス)は、共に手柄を立てたリー(ジャッキー)と、彼の祖国である香港へ旅立った。ところが、アメリカ大使館での爆発事件と偽札事件に遭遇、生真面目なリーはすぐさま捜査を開始する。バケーションのつもりで香港をガイドさせようと思っていたカーターは、目論見が外れてしまう。しかし仲間を放っておけない彼も、渋々協力することとする。殺し屋フー(チャン)の猛攻、ドンと目されるリーの父の元相棒リッキー(ジョン)、米国秘密捜査官のイザベラ(ロセリン)らが入り乱れ、舞台はL.A.からラスベガスへ!

済みません、3ヶ月も放ったらかしにしてしまいました。だって、トホホなんだもん。
面白くないと言えば、嘘です。なかなか良いです。
御年47歳のジャッキー・チェンが相も変わらず動き回って、椅子やら机やら竹製の足場やらを、蹴ったり昇ったり落ちたり。両替の格子の窓口を抜けるなんざ〜、アクション以前に思いつきません(エンドロールでNG集があるよ)。
クリス・タッカーの目ン玉も、相変わらずでかい。口もでかい。切れも良い。
でも、それだけなんだよな〜。
チャン・ツィイーはバンザイ!なんだけど、彼女の設定の殺し屋というのが仇になっちゃって、クールというよりは跳ねっ返りの小娘です。身体の切れが良いのは、『グリーン・デスティニー』(2000)、というよりは幼少時のダンスレッスンの賜物ですが、如何せん殺し屋・・・
ジョン・ローンも、かっこいいんだけど、それだけ。
スタッフについては、いちいち書かなくてもいいや。
という、まぁ、ヒマな時に『ラッシュアワー』(1998)と一緒にビデオでも借りて一気に観る(ストーリーとしても繋がってるから)というのが、一番良いのではないでしょうか。


『ウォーターボーイズ』 観た日:2001/09/20
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★☆

監督・脚本は『アドレナリンドライブ』(1999)の矢口史靖、撮影は『式日』(2000)の長田勇市、美術は『催眠』(1999)の清水剛、録音は『CURE/キュア』(1997)の郡弘道、編集は『ナビィの恋』(1999)の宮島竜治。キャストは妻夫木聡、玉木宏、金子貴俊、近藤公園、三浦哲郁、平山綾、真鍋かをり、竹中直人、杉本哲太。

唯野高校は男子校。ただ一人の水泳部員である鈴木(妻夫木)は、パッとしないまま3年生になった。ところが顧問が新人の女教師佐久間(真鍋)になったとたん、不純な動機で入部する者が続出。しかし佐久間先生の専門はシンクロナイズドスイミングなのであった。これを聞いた連中はすぐさま退部。残ったのは佐藤(玉木)、早乙女(金子)、金沢(近藤)、太田(三浦)の4人。男でもシンクロができるのか?よく解らないが、体育教師の杉田(杉本)との約束で、何とか廃部と学園祭のプール使用のために、シンクロを成功させなければならない。怪しい水族館員の磯村(竹中)の信用できない指導が何故か効を奏し、それなりに浮かべるようになった5人。予備校で知り合った静子(平山)には恥ずかしくて話せないが、人数も増え演技も上達した。そしていよいよ学園祭の前夜。何と、ボヤ騒ぎで消防のためにプールの水が使われてしまい、プールが空っぽ!呆然とする部員達。そこに、桜木女子高校の学園祭実行委員の人が、自分達の学園祭で演技をして欲しいと名乗りを上げる。でもここは静子の高校だ・・・

男子校である埼玉県立川越高校水泳部の、学園祭のためだけに演技される名物“男子シンクロ”に大感銘を受けた矢口監督が、気合を込めて作り上げた、健全な青春映画。
“男子シンクロ”を舐めちゃいけない。脚が水底につく分、パワー溢れるリフティングができるので、豪快なコンビネーションを見せることができるのだ。
計算とアドリブのミックスされたお笑いがそれほどあざとくなく底辺を流れていて、コンパクトで、精通したスタッフと若さ溢れるキャストが良いコンビネーションを見せている。
脚本の、計算されているようでいい加減な出来が、上手く映像に結びついている。この味は、日本映画の持つ独特な長所の一つだと思う。外人キャストでは、こうはいかないだろう。
妻夫木聡。巻き込まれながらもギリギリの所で流されずに一生懸命生きている情けない主人公を好演。
平山綾。堀プロの秘蔵っ子らしいが、個人的には、歯並びのガチャガチャな娘はどうも・・・
竹中直人。やり過ぎ。変に凝った演技(特に発声!)とか、過剰な動作とか、もう飽きた。鼻につく。このままじゃ、西田敏行みたいになっちゃうぞ。
観てから3ヶ月も経っちゃってから書くのも何だが、これは必見。
特に、若いお兄ちゃんのピチピチの肌を見たい人!グーです。実際、劇場には40歳代以上のおばちゃんが、群れてたぞ。


『チアーズ!』 観た日:2001/09/06
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督はペイトン・リード、脚本はジェシカ・ベンディンジャー、編集は『101』(1998)のラリー・ボック、音楽は『写真家の女達』(1999)のクリストファー・ベック。主演は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)『ヴァージン・スーサイズ』(1999)のキルステン・ダンスト、『トゥルーライズ』(1994)のエリーザ・ヂュシュク、ジェシー・ブラッドフォード、『恋のから騒ぎ』(1999)のガブリエル・ユニオン。

カリフォルニアのランチョ・カルネ・ハイスクールの名物は、何といってもチアリーディングチーム“トロス”だ。昨年の全国優勝に続き連覇を期待されている。新チームのキャプテンに任命されたトーランス(キルステン)は、やる気満々!しかし、練習でキーマンが怪我したり、新人ミッシー(エリーザ)を採用するものの、彼女はあんまり乗り気でない。挙げ句の果てには、ミッシーが、練習中の振付は大会出場のできないサンディエゴの高校チーム“クローヴァーズ”の盗作であることを知らされた。現在の振付は、前キャプテンが持ち込んだものなのだ。大会を前に、急遽振り付け師を雇い、何とか間に合わせることに成功。気合を入れて臨んだ大会予選。しかし、あろうことか全く同じ振付で演技する他校を見た。呆然!しかも初出場のクローヴァーズは、ダントツで優勝し、全国大会でも一躍大本命と噂されるようになる。昨年の実績によりシードで全国大会に進めるルールに助けられたが、トロスにはもう殆ど時間がない。

観る前の想像を、心地よく裏切る映画。
チアリーディングというのは、何も野球やアメフトでポンポンを振っているアレを指すのではない。器械体操や組体操や、ダンスやミュージカルや、そんな“魅せる”ためのあらゆる要素を、テンポよく表現する集団競技だ。知力・体力・美貌が要求される、華のある“スポーツ”なのだ。
ただし、これにスポットを当てて映画に仕立てる(しかもコメディあり努力ありラブあり!)のは、相当にチャレンジングだったと思う。スタッフ、偉い。
眩しいばかりにはち切れる肢体と笑顔にクラクラするも、実は根っこはスポ根。しかし、汗と気合はあるけど、しごく鬼コーチはいないし、安っぽい涙もない。
何たってキルステン・ダンスト!もうクラクラ。言葉なし。
今年のお気に入り映画。そしてハイスクール・ムービーとして、相当上位にくる作品だ。


『夏至』 観た日:2001/09/06
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『青いパパイヤの香り』(1993)『シクロ』(1995)のトラン・アン・ユン、撮影は『花様年華』(2000)のリー・ピンビン、美術は『シクロ』のブノワ・バルー、音楽はトン・タ・ティエ。キャストはトラン・ヌー・イエン・ケー、グエン・ニュー・クイン、レ・カイン、ゴー・クアン・ハイ。

長女スオン(グエン)、次女カイン(レ)、三女リエン(トラン)は、ハノイに住む仲の良い三姉妹。しかし3人共に、人に言えない秘密があった。スオンは、写真家の夫に別の女の存在を感じていた。しかも自らも、最後の一線を越えない事を課しながらも、あるビジネスマンと逢瀬を重ねている。新婚のカインは、妊娠を喜んだが、取材に出かけた作家の夫のスーツから、口紅で書かれたメモを見つける。リエンは兄と、まるで恋人のような関係の2人暮らしをしており、学生の彼がいる。母の命日に顔を合わせた3人。亡くなる間際の母が、父のことをトアンという別名で呼び続け、父が苦しんでいたことについて、カインは、母が本当に愛した人は父ではなくトアンという人だったのではないか、と言う。その父の命日は、来月。各々が何もかも飲み込んだまま、ハノイの夏が過ぎる。

ベトナム・フランス合作。
トラン・アン・ユン監督は、ベトナム生まれ。1975年(12歳)の時に家族と共にフランスへ亡命し、以後フランスに住んでいる。小津安二郎が大好き。第1作『青いパパイヤの香り』でカンヌ映画祭のカメラドール(新人)賞、第2作『シクロ』でヴェネチア映画祭金獅子賞(グランプリ)。で、これが第3作目。
・・・通ぶる人たちの好みそうな映画ではある。
しかし、何だかな〜、計算の上の巧さが、鼻についちゃうんだよな〜。悪い映画じゃないんだけど。
例えばカメラ。スコールに濡れて艶めかしい原色の町ハノイ。高湿度の空気感。黒髪の三姉妹。良いんだけど。
例えば音楽。三女リエン(ユン監督の妻!)とその兄の、ヘンテコな関係が続く毎朝に流れる、奇妙にけだるい選曲。マッチしていて良いんだけど。
キャストはハッキリ言ってダメ。というか、好みじゃない。自分の女房を使うのを主義とするのは良し。しかし、三女の23歳なんていう、突飛な役はないだろう。トラン・ヌー・イエン・ケーは確かに上手いが、年齢的に無理無理。ところが長女役では、不倫三昧なので出したくないのだろう。この辺に、監督としての歪みが出てるのかも。それが鼻につくのかも。
脚本としては、白か黒かでしか切り口を作れない西洋人とは違い、秘密を持ち不安を内在させつつも、現実をフウワリと生きることのできる東アジア人の感触を、上手く表現している。日本にも当たり前のように存在している(かつてと違い、主流ではなくなってしまっているが)この感覚。きっと儒教とか仏教とかに根ざしているのだろう。詳しい分析はできませんけど。
う〜む、他の2作も観てみよう。観ねば。


『千と千尋の神隠し』 観た日:2001/08/09
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

原作・監督・脚本はTV『未来少年コナン』(1978)の宮崎駿、作画監督は安藤雅司、美術監督は武重洋二、音楽は久石譲。声優は柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、菅原文太、玉井夕海。

千尋(柊)は分譲住宅への引っ越しのため、父母(内藤・沢口)と車で急いでいたが、道を間違い、見知らぬ門の前に出る。暗い回廊を抜けると、閉園したテーマパークのような所に出た。なぜか飲食街だけが営業しており、父母は勝手に食事を始める。千尋は食べずに奥へ進んだ。そこには『湯屋“油屋”』という大きな建物があった。橋のたもとで出会ったハク(入野)は「千尋、帰れ!」と言う。なぜ彼が自分の名前を知っているのか解らなかったが、千尋はとにかく不気味な感じを覚え、父母の元へ戻る。ところが父母は、醜く太った豚に変わっていた。夕闇が迫る。何とかハクの段取りで助かった千尋は、そのまま“油屋”の釜炊きである釜爺(菅原)や仲居のリン(玉井)の助けにより、ここの女主人の湯婆婆(ゆばーば)(夏木)と、セン(千)という名で仲居として働く契約をする。一言でも文句を言ったら、父母は食肉にされてしまうのだ。ここ“油屋”は、八百万の神々がその身を癒やしに来る場。さまざまな経験より、千尋は自分も知らぬ間に逞しくなっていく。一方、ハクは白い龍として湯婆婆の側近として仕えていたが、傷だらけで戻ってきた。センは彼が魔法の印鑑を飲み込んでいることを知り、それを持ち主である湯婆婆の双子の姉、銭婆(ぜにーば)(夏木、2役)の元へ返しに、お供を連れて出発した。“油屋”で大騒ぎを起こしたカオナシを銭婆の元へ残し、迎えに来たハクの背中に乗り帰る途中で、遂にセンはハクの本当の名前を思い出す。

独創性、緻密さ、濃密度で、現時点で日本映画が到達し得た最高峰。
もうアニメーションだ実写だなどという些末な議論の余地はない。
もちろんキャラクターの設定は、アニメならではである。奇天烈ともいえる神々や“油屋”の従業員。町並み。電車。雨と海と雲。森と家と灯り。色彩と光彩。荒唐無稽さ。実写では到底不可能なキャラクターの動き。ワンシーン毎のテンポ。
しかしながら、まさに特筆すべきは、この脚本の書き込みの濃厚さなのだ。観客の深読みなど必要ないほどに明快で、且つ深遠なシナリオは、古今東西含めて経験がないほどに希有。勧善懲悪が骨子の簡潔な脚本は存在した。どんでん返しに傾注する脚本も存在した。愛や家族や名誉や義理を重んじる脚本も、主人公の成長をなぞる脚本も存在した。しかし!
宮崎駿は「10歳の女の子の為の映画を作った」と語る。ならば、ここまで誠実に、人生の何もかもを導きうるようなメッセージを盛り込めるのだろうか。かつての、日本映画のスタンダードと呼んでも差し支えない宮崎作品の数々から得た経験と反省を、ここまで昇華できるものだろうか。羨望、である。
何はともあれ、カオナシである。センの好意をすべての糧にする彼に、失笑も覚え、憂いも覚える。
ハク。セン(彼にとっては千尋)が、彼を、幼少の時に溺れかけたあの“コハク川”だと認識し、伝えたときの、あの自己再認識の際の心騒ぐ演出。もう参ったとしか言えない。
この映画を観て、初めて泣いたという子供が続出したという。そう、ちゃんと届くのである。ホンモノはね。
さて、ビデオはクリスマスに発売されるんだろ〜な〜。ブエナビスタ・ジャパン(ディズニー作品配給元)と徳間書店、商売上手だ。


『A.I.』 観た日:2001/07/19
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・製作・脚本はスティーブン・スピルバーグ、原案はスタンリー・キューブリック、共同製作はキャスリーン・ケネディ、編集はマイケル・カーン、撮影はヤヌス・カミンスキー、特撮はI.L.M.、要するにスピルバーグ組さ!主演は『シックス・センス』(1999)のハーレイ・ジョエル・オスメント、『リプリー』(2000)のジュード・ロウ、フランシス・オコーナー、熊の人形テディ。

(以下、先入観なしに映画が観たい!という方は、読まないほうが良いかも。取りあえずご忠告を。)
地球温暖化で南北両極の氷は解け、海抜が上昇し、以前あった海沿いの都市は軒並み水没した。生き残った人類は出産制限を採択した。幸いにも科学技術の発達は、人手不足をロボットで補えるようになっていた。ロボット製作会社に務める従業員とその妻モニカ(フランシス)は、試作の子供ロボットを提供された。名前はデイビッド(ハーレイ)。彼らには意識不明の息子がいて、現在は冷凍保存されている。出産許可は未だもらえない。そんなケースはこの試作ロボットの適応環境に好都合だということから、会社はこの夫婦を選んだのだ。デイビッドには愛情プログラムが組み込まれている。生涯1人だけを愛し、愛を求め続けるというもので、変更は不可能。モニカはためらいつつも、このプログラムをセットする。デイビッドはモニカのものになった。しかし予期せぬことが起こる。奇跡的に息子が意識を取り戻したのだ。喜ぶ夫婦だが、しかしデイビッドの存在が次第に負担になる。所詮は人工の産物だったのだ。いくつかのトラブルの後、モニカは会社にデイビッドを返却することにした。しかしそうすれば、デイビッドは廃棄されてしまう。人工的ではあるけれど、自分をひたすら慕ってくれる彼を哀れに思ったモニカは、森の中にデイビッドを置き去りにした。デイビッドは、モニカに読んでもらった“ピノキオ”の話を思い出した。ブルー・フェアリーに人間にしてもらう木の人形。自分も人間になれば、またモニカに愛してもらえるかもしれない。スーパートーイの熊のテディと、途中で出会ったセックス専用ロボットのジョー(ジュード)と共に、ブルー・フェアリーを探す旅が続く。

一見して、ピノキオと『2001年宇宙の旅』(1968)が題材になっている。
故スタンリー・キューブリックが長年温めていた企画は、スティーブン・スピルバーグとの出会いと交流の中で育ち、引き継がれた。特撮技術と子供への演出に長けたスピルバーグに任せたいと考えたキューブリックの判断は的確だった。ストーリー的にも、キューブリックの扱えるようなものではないように思える。
ただ、雰囲気はキューブリックをプンプンさせている。もちろんあの隅々までピントのあった広角固定カメラの撮影法とか、そういう「キューブリックカット」は、スピルバーグは用いていない。そういうパクリはしない。敬愛と模倣とに明確な一線がもうけられている。さすがは当代最高の“技術者”スピルバーグである。
ひたむきに母の愛を求めまた注ぐことを目的に作られたロボット・デイビッドは、だから極めてシステマチックに遂行していく。ところが途中、懇願や嫉妬や怒りや破壊行為や自殺未遂など、ロボットらしからぬ事も行う。これは何故か?メッセージはあるのか?
私は、無いと思う。なぜならこの映画は、おとぎ話だからである。つまり演出。面白く見せるためのエンターテインメントなのだ。デイビッドに遂に涙を流させ、夢までを見させるのも、おとぎ話として成立している。(劇場で号泣している人が多いけど、個人的にはこの場面には高ぶるモノはないです。)
それにしても、このデイビッドの変移の過程はアニメでは無理だ。徐々に滑らかになっていくデイビッドの動きを現せるのは、人間しかいない。しかし誰にこんな演技ができるのだろうか?
スピルバーグが強運なのは、彼が企画する映画には適材が常に存在することである。この映画に関しては、言わずもがな、ハーレイ・ジョエル・オスメントである。
『シックス・センス』でみせた、あの驚異的に老けた演技は、彼の中でこともなく消化され、個性となって素直に還元されている。舌を巻かざるを得ない。ライナーノーツを読んで改めて気付いたのだが、シーンの中で彼は瞬きをしない。ロボットだから。おいおいおい!
ジュード・ロウも凄く上手い。もともとロボコップみたいな感じだが、あそこまで演技が上手いとは。しかも地に足が着いていない(これ、褒め言葉です)。自身も語っているが“スピルバーグ・マジック”だそうだ。よい。許す。
フランシス・オコーナー。しっかし、どうやってスピルバーグはこんな女優をみつけてくるのだろうか(本人はオーストラリアのベテランなんだけど)?いつもながら不思議だ。もちろん、演出に長けたスピルバーグならでは、という事もあるが。
“人間vsロボット”の世界観は『メトロポリス』(2001)の方が上だが、本作はおとぎ話としての価値に注力されているので、着地点がそもそも違う。比較してやろうと目論んでいた私の意図は、残念ながら失敗だった。
とにかく、もう1度観たい。そして、キューブリック&スピルバーグの深意を探ってみたい。


『ココニイルコト』 観た日:2001/07/12
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は『はつ恋』(2000、脚本)の長澤雅彦、脚本は三澤慶子、撮影は『夢二』(1991)の藤澤順一、編集は『五条霊戦記』(2000)の掛須秀一、美術は『落下する夕方』(1998)の富田麻友美。キャストは真中瞳、堺雅人、中村育二、小市慢太郎、黒坂真美、原田夏希、島木譲二、笑福亭鶴瓶。

東京の広告代理店でコピーライターをしていた相葉志乃(真中)は、常務との不倫が夫人にばれて、50万円の手切れ金と共に大阪に転勤させられる。何も言ってこない常務。仕事、生活、生きていることに情熱を抱かぬように過ごしてきた志乃。子供の頃の経験から、処世術としてそうやって生きてきた。期待しなければ失うものはない、と。大阪では営業部に回される。戸惑う志乃だが、自分よりももっとヘンテコな中途採用者と出会う。それが前野悦郎(堺)だった。上司に叱られても「ま、ええんとちゃいますか」、志乃が誕生日に初めて常務から何も貰えなかった夜も「ま、ええんとちゃいますか」。玩具屋の社長(島木)との接待の場で、彼のCMセンスを失笑したときにフォローしてくれたのも前野だった。しかし前野には、心臓の持病があったのだ。玩具屋から、志乃に正式にCM撮影の依頼がきた。前野は志乃に「自分を信じられなければ願いは叶わない、願えること自体が幸せなのでは」と言う。志乃も前野に、手術を嫌がらずに受けることを約束させ、時期はずれの雪原シーンを撮るためにロケ現場に向かう。

題名でピンときた、数少ない映画。
フィルムから感じる“湿度”の上下感や、カットの中に写っているものの“密度”とセリフの“間”が、日本映画らしく心地よい。
この作品には“星”がキーポイントとして丁寧に織り込まれている。明石市天文台のプラネタリウムへ行くシーンとか、前野がアパートの窓から見上げる“昼間の星”とか。何よりも、幼い志乃が降る雪を星に見立てて懸命にお願いをするシーンとか。上記の要約には書かなかったけど、一番のキーポイントです。
鶴瓶が経営する骨董屋や、前野の友人がやっているホルモン屋などの、通天閣・新世界界隈のディープな街もいい。淀屋橋あたりの、濡れた石畳もいい。阪急ブレーブスのネタもいい。上手い。上手いが鼻につかない。監督の手腕なのかな。
何にしても、真中瞳が良い!21歳で25歳の役をしているが、とてもそうは思えないほどに落ち着いて見える。いや、落ち着いているというよりは、肝が据わっている。何にも解らずにポンポン演じている、な〜んて逆の意味にこじつけることすら出来ない。存在感すらある。スタッフに、丁寧に撮ってもらったんだね。
スクリーンいっぱいにアップになっても耐えられる今を、もっと俳優業に使って欲しい。そのツルツルの顔の今を。
堺雅人。壮絶かつのらりくらりと生きる姿を、飄々と演じている。彼も、今後に期待。
この映画、何も真中瞳フリークだけの映画ではありません。お薦めしますよ。そろそろビデオになるんじゃないかな?秋の夜長のお供にちょうどいいよ。


『メトロポリス』 観た日:2001/06/28
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

原作は手塚治虫、監督は『銀河鉄道999』(1979)のりんたろう、脚本は『AKIRA』(1988)の大友克洋、キャラクター・デザインは『銀河鉄道の夜』(1986)『天空の城ラピュタ』(1986)の名倉靖博、美術は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)の平田秀一、音楽は『マルサの女』(1987)の本多俊之。

巨大都市国家メトロポリス。有力者レッド公の率いるマルドゥク党により統率されており、単純労働や危険労働などはロボットが行っている。探偵ヒゲオヤジと甥のケンイチは、臓器売買・生体実験の容疑者ロートン博士を追って、日本からメトロポリスへやってきた。折しもレッド公が建設した超高層ビル『ジグラット』の完成パーティを、街をあげて行っている最中だった。ロートン博士はレッド公の命を受け、究極のロボット「ティマ」を制作していた。レッド公は『ジグラット』最上階の兵器『オモテニウム発射装置』のコントロールをこのティマに制御させ、世界征服を企んでいたのだ。しかしこの研究所は、レッド公に育てられた孤児でマルドゥク党の幹部ロックの嫉妬により破壊される。ケンイチは燃える研究所からティマを救い出し、マルドゥク党に追われながら、記憶のないティマに言葉を教える。人間にしか見えないティマはケンイチを慕い、ケンイチもティマをロボットとは思っていない。2人は地下レジスタントと暮らすが、レジスタント達の決起に伴い地上へ出ていき、マルドゥク党に発見される。レッド公はティマを『オモテニウム発射装置』の制御座席に座らせた。自分がロボットであることを自覚したティマは、この兵器を使って、人間への復讐を始める。

日本が誇る“ジャパニメーション”の、現時点での最高峰の1つ。
なんといっても、見事な作画力に圧倒される。CGとセル画の高度な融合。りんたろう監督は、原作が描かれた頃の手塚治虫のタッチ(微妙にくずれた線とか)にこだわったという。
もちろん作画監督の名倉靖博の力によるところが大きい。人を構成する丸い線の具合やレトロな車。健全で明るい都市部と、艶やかな色彩が溢れる地下層の描き分け。いわゆる“手塚ワールド”を上手に消化していると思う。
アニメを観るときにいつも気になる事がある。大衆の動きにパターンがないか。同じ降り方をする雪はないか。意地悪なのは承知だが、いつもガッカリしてきたのも事実。手間暇をかけないとクリアできないこの欠点は、しかし手間暇だけでは解決しない。予算も熱意もスタッフも揃わなければいけない。
この作品をご覧になる方は、どうかこの点に注目してください。涙が出ますよ。セル画を中国に発注したらしいが(最近はよくあるパターン)、見事な仕事を成し遂げている。ありがとう、中国のクリエーター!
脚本も緻密だ。原作とは大きく異なる展開だが、そんな事は問題ない。映画として確立している。
ティマは自分が生まれた理由を求めている。人間なのかロボットなのかも解らず。情緒回路の存在と、その意図的停止は、しかしティマ(=ロボット)だけが持つ能力だろうか?時に人間だってこれを行うではないか。
ケンイチはティマを無垢に愛した。ティマがロボットだと知っても。“愛”は外見(=ハードウェア)を凌駕するという事実を具現するケンイチは、愚かだろうか?
クライマックスで流れる、レイ・チャールズの歌う『I Can't Stop loving You』が映画側の解答だとは思わないけれど(泣いてくれ!あざとさも感じるが)。
スピルバーグ監督の『A.I.』(近日登場!)の前に、是非とも観て欲しい映画。テーマが近似しているからね。もちろん、双方を比べるためだけの意味合いで、この映画を薦める訳では決してない。
とにかく!観て、溺れてほしい。アニメはお子ちゃまだけのものではないのだ。


『ホタル』 観た日:2001/06/28
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は『鉄道員ぽっぽや』(1999)の降旗康男、脚本は竹山洋、撮影は木村大作、編集は西東清明。キャストは高倉健、田中裕子、奈良岡朋子、井川比佐志、小澤征悦、水橋貴己、夏八木勲、小林念侍。

山岡秀治(高倉)は、妻の知子(田中)と2人、鹿児島で漁師をしている。山岡は第2次大戦の特攻隊員で、鹿児島・知覧から出撃したが、機体故障で帰還したという過去を持つ。昭和天皇が崩御したこの年、山岡の戦友である藤枝(井川)が、八甲田山で命を絶った。思いの交錯するなか、知覧で特攻隊員の世話をしていた国指定の富屋食堂の女主人山本(奈良岡)から、当時の山岡の上官である金山(小澤)の遺品が見つかったので、自分の代わりにそれを遺族へ届けて欲しい、と依頼される。金山の本名はキム・ソンジュ、朝鮮国籍だ。知子はそれを知っていて許嫁となったが、金山は特攻隊員として出撃し戦死した。山岡と藤枝は、金山からの遺言を聞いていた。藤枝が死に、長年お互いの苦しみを理解し合ったうえで暮らしてきた知子も腎臓透析を受けている身。過去に区切りをつける為、山岡と知子は、金山の故郷である韓国・河回(ハフェ)へ向かう。しかし金山の遺族たちは、山岡を冷たくあしらった。誇りある我らが朝鮮民族が、日の丸をつけて日帝の為に命を捨てるわけはない、未だ行方不明なだけだ、と言うのである。山岡は戸惑いながら、しかしただ自分だけが知る金山の遺言を口にする。「自分はこれから死んでいくが、それは愛する故郷の家族のためであり、知子のためである」と。金山らと歌ったアリランを涙ながらに口ずさむ山岡に向かって、遺族の老女が語り始めた。ソンジュの叔母だった。「ソンジュの母は、息子の妻が日本人だと、当時から廻りに隠そうともせずに言い続けてきた。妻を連れて帰るのを心待ちにしていた。」

2ヶ月も思い悩んでしまった。この映画は面白い。しかし良作とは認められない。その境界線を考え込んでしまったのだ。
許せない点は明白。「朝日新聞の記者」などと、資本提供絡みのこととはいえ、売名がセリフとなって表れるのには閉口。ビールやジュースのラベルを常にカメラに向けるあざとさも気にくわんが、それに勝る卑劣行為。
健さんのセリフにもガッカリ。「な〜んも」は『鉄道員ぽっぽや』に封印していて欲しかったよ。北海道と鹿児島じゃ〜、離れすぎジャン。
水橋貴己。このイモネーチャンを出した経緯は何なのか?全然必要ないじゃないか。東映がこれから育てたいと思っているからなのか。スポンサーのごり押しなのか。スパイスにもクッションにもなってないのだ。無駄キャスト。
もちろん良いところもたくさんある。
特攻で死んでいった若者は、お国のために死んだのではなく愛する者の為に死んだのだ、という事(突き詰めれば、多くはそうであったのだろう。敗戦を肌で感じていたに違いないのだから)を軸にしていること。
朝鮮や台湾などの日本帝国が侵略統治した国の人たちにも「お前らは日本人だ」という強引極まりない理屈で、日本兵として扱われたことと、無条件降伏・ポツダム宣言受諾という形で敗戦したがために、逆に戦争中の理不尽な振る舞いは全部清算したと思い込んでいる、戦後に生きる私たちを生き難くしている体質を、怖がらずに書き込んでいること。
昭和天皇崩御を重要点にしていて、しかも国家や政治や思想にではなく個人に回帰させていること。
などなど、凄く凄く、凄いことだと思うのですが。
田中裕子がピカイチ。色っぽいよね〜。個人的には20年以上も前からノックアウトされっぱなしなのである。夫である健さんを見つめる目がタマラン。はっきり言って健さんよりもずっと良い。
韓国の俳優達も良い。日本人みたいに他人事ではなく、彼らにとってまさに現在進行形の事を、再咀嚼して、役に取り組んだはずだ。日本人スタッフの、相当の勉強と説得があったように思われる。ボンクラ政府に任せず、コツコツと関係修復・改善・調和・進歩していった方が、遙かに解り合えるという、多くの良例に改めて説得力を与えた。
最後に。
健さん、ツルの真似とかハーモニカとか、最高でした。まだまだ開けていない引き出しがたくさんあるのを見せてもらって、嬉しかったです。健さんには北国が似合う、なんて〜のは、個人的な思い込みであって、別に南国の漁師でもいいんです。でもでも、『鉄道員ぽっぽや』がヒットし過ぎたための資本主義的弊害が、どうしても鼻についてしまいました。だから★5つにはなりません。ゴメンね、健さん。
……いずれにしても、ヒロシマ・ナガサキと共に、知覧にも行かなければならなくなったのは事実である。


『みんなのいえ』 観た日:2001/06/21
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『ラヂオの時間』(1997)の三谷幸喜、撮影は高間賢治,J.S.C.、照明は上保正道、録音は瀬川徹夫、美術は小山富美夫、編集は上野総一。キャストは唐沢寿明、田中邦衛、田中直樹、八木亜希子、白井晃、八名信夫、江幡高志、吉村実子、野際陽子、ほかいっぱい。

飯島夫妻(田中直樹、八木)は、遂に家を建てる決心をした。妻の後輩のインテリアデザイナー柳沢(唐沢)にデザインを依頼するが、彼は建築士でも大工でもないので、大工の父長一郎(田中邦衛)に建設を任せることにする。ところが柳沢と長一郎は、ことあるごとに対立し、間に入る飯島も、お互いの言い分がわかるだけに気が気でない。設計しては現場で覆される状況に何度も切れかかる柳沢だが、引き受けたからにはやり遂げたい。長一郎も、愛娘のために一世一代の家を建てたいが、自分の思うように腕を振るってもみたい。或る夜の事、台風に気を病んだ唐沢・長一郎・飯島は、建築中の家に集まるが、唐沢と飯島の車が接触しそうになり、飯島のワゴンが横倒しになった。中には顧客から預かった古い家具があったが、完全に分解してしまった。

三谷幸喜の劇場映画第二作。
前作『ラヂオの時間』は、4年前から舞台劇として演じられていたものであり、自らによる映画化はいわばリメイクといえるものだが、本品はバリバリの新作である。
そつのない演出。役者に相当要求しているのがわかる。俳優達は、カメラが向いていない所でも演技しているであろう。
たわいない複数の会話を追いかけて長回しされるフィルムには、マンガ『軽井沢シンドローム』を思い出させる。
まぁ、括って言えば、三谷節だ。
釈然としないのは、ザラザラ出てくる俳優達だ。はっきり言ってこの映画は、デザイナー柳沢と大工の長一郎と飯島夫妻の4人で完結すると思う。おかずが多すぎるのである。この辺、「三谷さん、映画に出させて下さいよ」と言い寄る連中を断りきれなかったのか、「三谷ですけど、ちょこっとでいいから出てくれませんか?」と声をかけて回ったのかは定かでないが、正直言ってやり過ぎ。明石家さんまが出てくる必然性なんて皆無。
田中直樹。人間関係に踏み込んでオロオロする役が、本人のキャラクターとリンクしていて、ひどく自然だ。
八木亜希子。元フジTVの局アナ。表情の作り方が極端。舞台向きか?唐沢寿明。巧いんだけど。キャスティングに違和感あり。でも、他に思い当たる俳優もいないし。
田中邦衛。お茶目で一生懸命のいいジジイだ。理想の年寄りの一人。
う〜む、ホームコメディの佳作だが、正直言って期待していたほどには面白くなかった。
三谷幸喜が、映画という世界で、伊丹十三になれるかどうか?
結論を出すのは、もう少し待とう。


『山の郵便配達』 観た日:2001/06/21
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督はフォ・ジェンチイ、脚本はフォ監督の妻ス・ウ、撮影はジャオ・レイ、美術はソォン・ジュン、録音はウ・ジュン、編集はガン・シンルゥオンとリィウ・ファン、衣装はリ・チャンイェン。キャストはトン・ルゥジュン、リィウ・イェ、ジャオ・シィウリ、チェン・ハオ。

山間の村々を結ぶ郵便配達を仕事とする父(トン)は、長年の辛い仕事のために足を痛め、郵便局長と相談したうえ、息子(リィウ)に仕事を継いで貰うことにする。息子は勇んで家を出るが、父と必ず旅を共にしている愛犬“次男坊”が、どうしても息子についていかない。荷物は息子が持っているし、教えなければならない事もたくさんある。父は、これが最後と、息子と一緒に村々を廻ることにした。行く先々から歓迎され、盲目の老婆に存在しない手紙を読んであげている父の姿に、尊敬と敬愛を見る息子。足を悪くした原因である冷水の川渡りで息子におぶってもらい、いつの間にか大きくなった息子の背中に思わず涙する父。村々で出会うたくさんの慈しみと、緑また緑の道中で、2人は親子として人間として、絆を深めていく。

岩波ホール渾身の出品作。
霧とも小糠雨ともつかぬような慈愛が降り注ぎ、地肌に染み込んでくる映画。
戦争と、人口増加に追従する開拓で、中国の山は何処へ行っても人の手が入っている。そしてどこにでも人が住んでいる。住んでいる人々は、時々の政府に追いやられた人たち部族たちであったり、望んで暮らす者たちであろうが、山を大事にしている。そんな暮らしに、文明社会の移動手段などが立ち入る隙間はないのだ。
そう、手紙こそが唯一の、村と“外”を繋ぐものなのである。
中国素人の私にも、この映画の背景は充分に届く。
もっとも、フォ・ジェンチイ監督が「ロケハンに勢力を注いだ」と言う言葉に、現代の桃源郷の少なさを痛み入る。
個々の俳優が素晴らしい。カメラから目をそらさない。
もっと、もっと自分の身体に染み込ませたい。あの緑の風景と、あの父の、自分を待っている村人への責任と、生きる誇りを。
パンフレットの出来も素晴らしい。


『マレーナ』 観た日:2001/06/14
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督・脚本は『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)『海の上のピアニスト』(1999)のジュゼッペ・トルナトーレ、音楽は巨匠エンニオ・モリコーネ、撮影は『海の上のピアニスト』のラホス・コルタイ、美術はフランチェスコ・フリジェリ、衣装はマウリツィオ・ミレノッティ。キャストはモニカ・ベルッチ、ジュゼッペ・スルファーロ、ガエタノ・アロニカ。

1940年のイタリア・シチリア島。12歳のレナード(ジュゼッペ)が初めてマレーナ(モニカ)を見たのは、年上の男友達らがたむろする海沿いの路上。溢れる圧倒的な色香に、初恋を実感する。彼女は新妻。結婚直後に夫(ガエタノ)が徴兵され、父と2人で暮らしていた。町の男達は彼女の美貌に見とれ、女達はあからさまに嫉妬した。子供から大人に変わる途中のレナード。マレーナに肉欲を覚え、夢想するが、できることはただ見つめる事のみ。ある日、彼女の夫の死亡通知が届く。慌ただしくなる周囲。マレーナに言い寄る男と、なおさら反発する女達。孤立していくマレーナは、弁護士の愛人となり、さらにはナチ相手の娼館へ身を落とす。やがてナチスは敗北、戦争が終わった。女達はマレーナをリンチし、町から追い出した。レナードには何もできなかった。ところがある日、死んだはずの夫が、町に帰ってくる。

トルナトーレ監督の、実に生臭い(イカ臭い?)映画。まぁ、この映画のテーマは、年上の女性に対する無限の思慕だ。だから生臭くて当然。
少しでも暗いカメラだったとしたら、ただの変態エロ映画になるところを、監督の見事な采配で秀作に仕上げている。
絶えず流れ続けるエンニオ・モリコーネの音楽が、各シーンから更に“ぬめり”を取っている。
衝撃的!な『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンがあまりに一人歩きしているような印象があるが、トルナトーレ監督の特長は、登場人物の本質を覆い隠している贅肉を、丁寧に削ぎ落とす上手さにあるように思う。この辺、脚本も書く強みだ。
モニカ・ベルッチ。エロい、といってしまえばそれまでだが、しかし崇め奉るにしては最高の体つきをしている。監督にとっての女神らしい。リンチの場面は圧巻。
この映画は、観る人すべてが、己の経験から独自の解釈をすると思う。そういう意味からすれば名作。しかし嫌悪感を持つ人もいると思う。ただし、男なんてもんは、多かれ少なかれみんなレナードみたいな面を持っていたし、女だってマレーナに興味がない訳がないだろうし、そういう意味からすれば、確信犯的映画だ。
そうか、観賞後のこのモヤモヤ感は、テクニックが鼻についてしまうからなのかな?


『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』 観た日:2001/06/14
お薦め度:★★★★☆ もう一度観たい度:★★★★☆

監督・脚本は『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999)のスティーブン・ソマーズ、撮影は『テルマ&ルイーズ』(1991)のエイドリアン・ビドル、音楽は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)のアラン・シルヴェストリ、SFX(視覚効果スーパーバイザー)は『プライベート・ライアン』(1998)のニール・コーボールド、VFX(視覚効果スーパーバイザー)は『ターミネーター2』(1991)のジョン・バートン&I.L.M.。キャストは『ジャングル・ジョージ』(1997)のブレンダン・フレイザー、『スターリングラード』(2001)のレイチェル・ワイズ、アーノルド・ヴォスルー、パトリシア・ヴェラスケス、『フォー・ウェディング』(1994)のジョン・ハナ、オデッド・フェール、フレディ・ボーズ、プロレスラーのドゥエイン・“ザ・ロック”・ジョンソン。

1933年、ロンドン。リック(ブレンダン)とエヴリン(レイチェル)はハムナプトラから持ち帰った宝のおかげで贅沢な暮らしを手に入れた。冒険好きの8歳の息子アレックス(フレディ)を連れ、エジプトへ渡った彼らは、秘密の腕輪を発掘する。それは5000年前、戦いの神アビヌスに命を捧げた砂漠の大巨人スコーピオン・キング(ザ・ロック)が眠る“黄金のピラミッド”を知る手がかりだった。一方、スコーピオン・キングが復活すると、同時にアビヌス神らも蘇る。この強大な力を支配できれば世界征服も夢ではない。大英博物館の館長は、こともあろうにリックらが散々苦労して葬ったイムホテップ(アーノルド)を掘り出し復活させた。彼にアビヌス神を操らせようというのだ。腕輪をはめてしまったアレックスを誘拐し“黄金のピラミッド”へ向かうイムホテップらと、それを追うリック達。そして遂にスコーピオン・キングが5000年の眠りから覚める。

『ハムナプトラ』の続編。いきなり8年も経ってしまい、リックとエヴリンの間には子供も出来てしまっている。それだけ年をとってしまっているのだが、そんなことはお構いなし!大爆発の映像がてんこ盛りだ。
前作は、『スター・ウォーズ エピソード1』(1999)の制作チームから漏れたI.L.M.のメンバーの怨念が渦巻く会心作だった。本作は、前作の成功がそうさせるのか、余裕がある。
パロディもいっぱい。冒頭とクライマックスの大群衆の戦闘シーンなんてもろに『S.W.』のグンガ人対ドロイド軍のパクリだし。
しかし、こんなに夢中になって観られ、劇場から出てきたらスパッと中身を忘れちゃう映画って、そうはないと思うぞ。
ブレンダン・フレイザー。顎の弛みが気になるが、まぁいい。
四の五の言いません。とにかく劇場で観よう。大音量で。


『JSA』 観た日:2001/06/07
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督はパク・チャヌク、原作はパク・サンヨン、撮影は『シュリ』(1999)のキム・ソンボク。キャストは『シュリ』のソン・ガンホ、イ・ビョンホン、キム・テウ、シン・ハギュン、イ・ヨンエ。

JSA(Joint Security Area、板門店/共同警備区域)にある橋。銃声が轟き、南北の兵士が激しく撃ち合った。北朝鮮側の監視小屋には2名の北朝鮮兵士の死体があり、1名の韓国兵士が重傷を負い逃げてきた。中立国監督委員会は事態究明のために、韓国とスイスのハーフであるソフィー(イ・ヨンエ)を派遣する。ソフィーは、韓国側の当事者である重傷のイ・スヒョク(イ・ビョンホン)を尋問するが、彼は北朝鮮兵に拉致され、小屋で脱走を試みて発砲したと答える。ところが別の部屋で聴取されていた国境監視係のナム・ソンシク(キム・テウ)は、嘘発見器の使用を問われ、窓から飛び降り自殺をしてしまう。重大な謎を悟ったソフィーは、肩に被弾し入院中の北朝鮮兵士オ・ギョンピル(ソン・ガンホ)にも面会するが、やはり要領を得ない。オにもイにも、決して話せない事がある。国家を背負った兵士の身では、絶対にあってはいけないこと。男同士の友情。真実は重い。

韓国で『シュリ』の興行成績を抜き、歴代1位のヒットとなった映画で、日本にも鳴り物入りでやってきた。
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国を分ける軍事境界線(いわゆる38度線)は南北4kmの幅を持つ非武装地帯で、立ち入りは禁じられている。板門店(ハンモンテン)は共同警備区域・JSAとして南北両国の他、国連軍(南側からアメリカ軍)が警備している。また中立国監督委員会として、韓国側にはスイスとスウェーデンから委員が派遣されている。北朝鮮側からはチェコとポーランドから委員が派遣されていたが、現在は解体状態である。板門店にはセメント製の幅5cmの“国境”があり、両軍がこれを挟んで睨み合っている。
要するに、ただ停戦しているだけで、韓国と北朝鮮は現在もなお戦争中なのである。ノホホンとした日本人には到底わからないのである。身につまされた経験がない私としては、エンターテインメントに徹した『シュリ』に比べ、この映画は痛さがより先行する。
もっとも、内容としては友情物語である。国家を背負っているので重いけど。だから、南北両国を背景にしていることを除けば、そんなに褒めちぎるようなモノではないように感じる。
丁寧な話の進め方や、俳優達の演技は、なかなか素晴らしい。
……3週間も反芻したけど、こんな感想しか出てきませんでした。前評判ほどには、あんまり面白くなかったです。誰に謝るわけでもないんだけど、う〜、済みません。


『リトル・ニッキー』 観た日:2001/06/01
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

脚本・主演は日本ではまだまだ?だがアメリカでは大スターのアダム・サンドラー、共同脚本はティム・ハーリヒ、監督はスティーヴン・ブリル、撮影はテオ・ヴァン・サンデ、コスチューム・デザイナーはエレン・ラター、音楽はマイケル・ディルベック。他キャストは『スティグマータ/聖痕』(2000)のパトリシア・アークエット、『レザボア・ドッグス』(1993)のハーベイ・カイテル、『ノッティングヒルの恋人』(1999)のリス・エヴァンス、トニー・“タイニー”・リスター、アレン・コヴァート、クエンティン・タランティーノ、リース・ウィザースプーン、カール・ウェザース、ビル・ウォルトン、ダン・マリーノ、オジー・オズボーン!

ニッキー(アダム)は地獄の魔王(ハーベイ)の三男坊。ヘビメタ好きの内気なヤツだ。兄のエイドリアン(リス)、カシアス(トミー)のように魔王になる野望はトンと持っていない。そろそろ魔王の任期が一万年の満期を迎える。兄たちは、自分こそ次の魔王だと言うが、彼らの資質を見極めた魔王は、次の一万年も自分が魔王を続けると宣言した。怒った兄たちは地下の地獄から地上の人間界に脱走した。掟破りの彼らを連れ戻さないと、魔王の身体が消えてしまう!ニッキーは勇気を振り絞って人間界に行く。そこには魔王と懇意のブルドッグ、ビーフィーがいた。慣れない人間界、ヴァレリー(パトリシア)との偶然の出会い、天使であるママ(リース)の存在など、てんてこ舞いのニッキーは、地獄を、地上を、そしてパパを救えるのか?

え〜、お笑いには“ツボ”と“決まり事”いうものがあると思うんですよ。“ツボ”は国民性、“決まり事”は日常の生活と訳してもよろしい。で、それらを突いたりずらしたりして笑いを取る訳ですよね。
アダム・サンドラーがどんなにアメリカで有名なコメディアンなのかは事情に疎い私にはわからない。わからないが、全編にわたり顔を左にひん曲げていて、それが面白いのか?というか、アメリカという狭い社会ではなく全世界的に通用するのか?う〜む。芸達者という訳でもないようだし。この映画を観る限りでは。
脚本はまずまずおバカに書けていると思う。車椅子バスケットの選手達がニッキーを追いかけ、坂道で止まれずに次々とバスの側面に突っ込むシーン。こういうの、差別だとか何だとか御託を並べる事自体が既に差別だと考えている私にとっては、もう爆笑。でも、コカコーラを魔術でペプシに変えちゃうのには?だけど。
ブルドッグのビーフィー。一言しゃべるのに2万ドルかかったという。惜しみない浪費?に賛否両論。
出演者は多彩だ。アダム・サンドラー、顔は広い。
クエンティン・タランティーノ。切れた盲目の牧師。こういうの、ニューヨークにはゴロゴロいるらしい。
リース・ウィザースプーン。性悪で媚びる女。天使らしい?何でもいいけど、悪魔と合コンするなよな〜(あまつさえ子供まで作りやがって)。
おっとビックリ!オジー・オズボーン。まさに適材適所な出演。
100億円をかけた大作だ。トホホだ。興味がある方はどうぞ。
そうそう、パンフレットにもあるけど、LP盤を逆回しにして悪魔の囁きを聴く、という元祖は、ビートルズの“ルーシー・イン・ザ・スカイ”で「ポール・マッカートニーは死んだ」と聴こえる、というものです。


『ガールファイト』 観た日:2001/06/01
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は在米日系2世のカリン・クサマ、編集はプラミー・タッカー、撮影はパトリック・ケイディ、美術はスティーブン・ビアトリス、音楽はテオドール・シャピロ。主演は新人のミシェル・ロドリゲス、共演はポール・カルデロン、ジェイミー・ティレリ、サンティアゴ・ダグラス。

ダイアナ(ミシェル)はヒスパニッシュ系の17歳。ハイスクールでは正義感にかられてつい暴力沙汰を起こしてしまい、友人も事なかれ主義だ。親父(ポール)はポーカーばかりしているろくでなし。しかし弟には、社会に出て負けないためにボクシングジムに通わせている。ある日、トレーニング費を払う為にジムに行ったダイアナは、弟を汚い手でなぶる相手にパンチを浴びせた。その感触。彼女に何かが疼きだした。ボクシングが鬱積した日常の突破口になるかも知れない。ヘクター(ジェイミー)の指導の下、親父の金を盗んだり、やる気のない弟からレッスン代を貰ったりしながら、ダイアナはボクシングにのめり込み、遂にアマチュアフェザー級として、リングに立つようになる。その頃、同じジムの先輩エイドリアン(サンティアゴ)と仲良くなる。彼はいずれプロになって稼ぐのが夢だ。しかし勝ち進んだ2人は、決勝で相まみえることになる。

2000年のサンダンス映画祭(ロバート・レッドフォード主催の若手発掘映画祭)でグランプリを受賞した。
単なる女性ボクサーの立志伝ではない。ボディウエイト(階級)が同じなら男も女もない、という明快なルールに乗っ取ったボクシング(この映画ではアマチュアではあるが)を題材にした、やるせなく生きている、よくある若者の、輝き始める過程を丹念に描いた青春映画だ。
なにはともあれ、主演のミシェル・ロドリゲスだ。“原石”の記述がパブリシティに踊るのも頷ける。全くの素人。オーディションからの発掘。5ヶ月に及ぶトレーニングと、素の演技。サンティアゴとの絡みに見せる可憐さ(特にファーストキスのロングカットの見事さ!もちろん監督の地力のなせる技でもある)と、世の中全てを刺々しく恨んでいる態度の、素直なストレートさが嬉しい。撮影が進むに連れて締まっていく肉体も美しい。
決勝戦。プロ志望のエイドリアンは、テクニック・スタミナとも持ち合わせているとはいえ、女性でかつ自分のガールフレンドであるダイアナをぶん殴れるわけないと悩む。本気でやれば秒殺必至じゃないか!このあたり、先場所の貴乃花を憂う武蔵丸に似て、察するに余る。ところが当のダイアナには、失うモノなど何もないのだ。
私は、最初はこのエイドリアンの心中は、武蔵丸だと思って観ていた。しかし、映画の流れとしては、2人のポテンシャルは全くのイーブンとして描かれているようだ。この辺の解釈・考察は、映画を観た皆様に委ねよう。
作り手の、真摯で、飛び上がりたい気持ちが前面に出ている、気持ちのいい映画。そして、インディペンデント・ムービーの王道のような撮り方・作り方の作品だ。舞台のニューヨークがよく似合う。


『ギャラクシー・クエスト』 観た日:2001/05/17
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督はディーン・パリソット、脚本はデビッド・ハワードとロバート・ゴードン、音楽はデビッド・ニューマン、VFX&SFXはご存じI.L.M.。キャストは『トイ・ストーリー』(1996)のバズの声!のティム・アレン、『エイリアン』(1979)のシガニー・ウィーバー、『ダイ・ハード』(1989)のアラン・リックマン、トニー・シャローブ、サム・ロックウェル、ダリル・ミッチェル。

1979年から足かけ4年間放映された人気TVシリーズ『ギャラクシー・クエスト』は、宇宙探査局NSEAのプロテクター号の乗組員が宇宙狭しと活躍するというもの。タガート船長役のジェイソン・ネズミス(ティム)他のメンバーは、このカルト番組を未だ支え続ける熱烈ファンとの各地ステージや、催し物会場の宣伝係を仕事としている。もう20年もドサ廻りを続ける生活に、みんな嫌気が差していて、チームワークはバラバラだ。ところがそんな会場に、本物の宇宙人が来た。ネビュラ星雲のサーミアン達だ。彼らは何と『ギャラクシー・クエスト』を傍受しており、それを生活全ての手本としているのだ。そして悪の異星人のために存亡の危機が迫る状況を説明、タガート船長らに助けを求めに地球までやってきたのだった。宇宙戦争のまっただ中に放り込まれた彼らは、自分達が俳優であることを説明しようとするが、悪意や嘘という概念のないサーミヤン達の、あまりに実直で偽りのない姿勢に触れるうち、共に戦う気持ちが生まれる。かくして乗務員は再結束し、「ネバー・ギブアップ、ネバー・サレンダー」「トカゲヘッドにかけて・・・」の決めゼリフと共に立ち上がる。

B級SF映画の皮を被ったスペシャルムービー!
最初はお笑い映画だと思っていた。シガニー・ウィーバーがヘンテコなつなぎをきて、空手っぽいアクションをしているんだもの。『ダイ・ハード』のあの悪党のボス役のアラン・リックマンが、トカゲ頭のづらだよ。普通じゃないよ。
ところがところが!うだつの上がらない巡業ばかりで腐りきっていた彼らは、真摯な宇宙人と会うことで、改めて自分に向き合い研鑽し直す。まさに努力と根性。涙ものです。泣きが入る宇宙モノなんて、そうそう出会えないよ?
それは、操縦士役(でも宇宙船の操縦なんてできるわけがない!)がTVシリーズを見返しながら必死に操縦を覚えたり、“父”とまで言ってくれたあるサーミヤンの死に感銘し、大っ嫌いなあのセリフ「トカゲヘッドにかけて」をはき、悪者エイリアンをぶっ飛ばしたり。
脚本上の伏線の張り方が、オーソドックスだが巧い。2通りあって、いわゆる典型的なパターンは、“オメガ13”の秘密がどんでん返しに繋がったり(これが何かは内緒!)、通信機が入れ替わった事で危機を脱したり。もう1つは架空のTVシリーズ『ギャラクシー・クエスト』を主に用いてのパロディ。「○○話ではこうして危機を乗り切った」とか言いながら敵をやっつけたりする。
それにしても、サーミヤンの科学力には脱帽だ。番組を見てプロテクター号を完璧に再現しちゃう。エネルギー・エンジン・操縦システム・兵器から、空間伝送装置・機関部への侵入防御装置、食事に至るまで、パーフェクトだ(だから、演技で身に付いていた事をやれば、この宇宙船は飛んじゃうのだが)。
まぁCG関係は、まかせて安心のI.L.M.です。相変わらずいい仕事をしています。
とにかくお薦め!出演作品史上最も可愛いシガニー・ウィーバーを見るだけでも、価値あり!


『トラフィック』 観た日:2001/05/10
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『セックスと嘘とビデオテープ』(1989)『エリン・ブロコビッチ』(2000)のスティーブン・ソダーバーグ、脚本は『英雄の条件』(2000)のスティーブン・ギャガン、編集は『スゥインガーズ』(1996)のスティーブン・ミリオン、音楽は『セックスと嘘とビデオテープ』のクリフ・マルチネス、撮影はピーター・アンドリュース(ソダーバーグ監督の偽名)。キャストは『コーラスライン』(1985)のマイケル・ダグラス、エリカ・クリステンセン、『青いドレスの女』(1995)のドン・チードル、『マグノリア』(1999)のルイス・ガスマン、『マスク・オブ・ゾロ』(1998)のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、『エニイ・ギブン・サンデー』(1999)のデニス・クエイド、『真実の行方』(1996)のスティーブン・バウアー、『ロボコップ』(1987)のミゲル・フェラー、『ユージュアル・サスペクツ』(1995)のベニチオ・デル・トロ、ヤコブ・バーガス、『アミスタッド』(1997)のトーマス・ミリアン。

ロバート(マイケル)は米国大統領の命により、麻薬取締連邦最高責任者に任命されるが、愛娘の高校生キャロライン(エリカ)は、事もあろうに友人達と共に麻薬をしていた。行方不明になったキャロラインを探して、ロバートは黒人スラム街へ出向く。
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サンディエゴの麻薬王であるカルロス(スティーブン)の突然の逮捕に困惑した妻ヘレーナ(キャサリン)は、夫の本業を知り、最初は地域から孤立したが、弁護士のアーニー(デニス)と共に夫の無罪を勝ち取るために奔走、息子の誘惑未遂などに巻き込まれていくうちに、次第に麻薬販売に関わるようになる。
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メキシコ・ティファナは、国境を隔て隣接するアメリカ・サンディエゴへ麻薬を持ち込む拠点になっている。ハビエール(ベネチオ)は相棒のマノーロ(ヤコブ)と共に取り締まりをしている。連邦警察のサラサール将軍(トーマス)に見込まれた2人は、しかしサラサールの裏の顔が麻薬密売であることに気付いた。マノーロはアメリカに情報を売りに行くがサラサールに捕まり射殺された。ハビエールは正義を貫き、遂にサラサールは逮捕された。

3つの物語を、独特の感覚でニアミスさせたりリンクさせたりして1本の映画にまとめ上げた、意欲作。ソダーバーグは、本作と『エリン・ブロコビッチ』の2本でアカデミー監督賞にノミネートされ、本作で監督賞を獲った(ちなみに『エリン〜』ではジュリア・ロバーツが主演女優賞を受賞し、授賞式の壇上であのでかい口をパクパクさせていたっけ)。
ソダーバーグ時代の到来だそうだ。有名俳優が諸手を挙げて出演を熱望しているらしい。
解らなくもない。でも、これはあくまで個人の好みの部分だが、ソダーバーグってあんまり肌に合わない。才能は認めるが、理解に努力が必要だ。駄作『アウト・オブ・サイト』(1998)のイメージが、私の中で余程悪かったのだろう。うん、あれは酷かった。
特に本作では撮影も自分でこなしているが、どうもこの手持ちの撮り方って、よっぽどツボにはまらないかぎりは、ただ粗野で下品なだけに思う(良い例が『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1998)だ)。
ただ、楽しそうに撮ってはいる。そこんところは救いがある。
ベネチオ・デル・トロ。アカデミー助演男優賞を獲った。しかし、この映画に主演・助演の別はない。強いて言えば3つのストーリーの各々の主要人物全員が主演だ。アカデミーの“主演”“助演”の定義を知りたい。
マイケル・ダグラスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズの夫妻。まったく呆れた馬鹿者夫婦漫才をしている時に、この映画を撮っていたらしい。特にキャサリンは、お腹にマイケルの子がいながらのクランクインだ。映画でデブなのはそのせいだ。子供に罪はもちろんない。あるとすればただ1つ、金に目が眩んだキャサリンの業である。
映画館でわざわざ観るほどのことはない気がする。ビデオの方が、行ったり来たりできるので良いかも(スピードが結構速いので、ストーリーを追いかけきれない人もいるかもね)。


『花様年華』 観た日:2001/05/10
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本・制作は『恋する惑星』(1994)『ブエノスアイレス』(1997)のウォン・カーウァイ(王家衛)、撮影は『花の影』(1996)のクリストファー・ドイル(杜可風)と『戯夢人生』(1993)のリー・ピンビン(李屏賓)、美術・衣裳・編集は『楽園の瑕』(1994)のウィリアム・チャン(張叔平)、音楽は『恋する惑星』のマイケル・ガラッソ。主演は『恋する惑星』のトニー・レオン(梁浅偉)、『宗家の三姉妹』(1997)のマギー・チャン(張曼玉)、スー・ピンラン(蕭炳林)。

1962年の香港。2組の夫婦が同日に引っ越してきて隣人となった。チャウ(トニー)は新聞社の編集員。その妻はホテルのフロントで働いていて、勤務時間が不規則だ。チャン夫人(マギー)は商社の社長秘書。その夫は日系企業で働いており、長期出張を繰り返す。ある日、チャウとチャン夫人は、各々の伴侶同士が不倫をしていることを知る。その偶然に戸惑いながら、一方でチャンとチャウ夫人は、惹かれ合っていく自らを否定できなかった。しかし2人は、伴侶達のように肉欲に溺れることはなかった。チャンは新聞の連載小説を執筆するようになり、ホテルの一室を借りるようになった。チャン夫人もそこに通い、小説のあらすじを語り合う。共有する時間は増すが、微妙で奇妙な2人の距離は変わらなかった。ある日、チャウは友人のピン(スー)からシンガポールでの仕事に誘われ、行くことにした。何事もなかったような別れ。翌年、チャウの滞在するホテルに、口紅の付いたタバコを見つける。彼女が来たのか?さらに3年後のカンボジア。チャウはアンコール・ワットの柱の穴に、思いの丈を呟いた。彼の薬指には、指輪は無かった。

物凄いエッチな映画、と勝手に思い込んで観に行ったら、全然違いました。済みません・・・
だからといって、面白くないかと言えば、それも嘘。
ウォン・カーウァイ監督は、何と言っていいか、深読みさせる映像を心懸けているのだろう。これは危険も伴う制作方法である。
よくあるパターンは、何にも考えてなくて薄っぺらで舌足らずなだけなのに「そこはご覧になった方がお考え下さい、ガッハッハ」というヤツで、こんなのはもちろん駄作である。
もう1つは、この映画のように、現場でのアドリブはあるにしても、練りに練ったうえに映像もセリフも大胆にカットされた映画である。“深読み”して欲しい幾つかのパターンを予め想定しておいて、どう解釈されてもつじつまが合うようになっている。巧いのである。
撮影・照明と音楽が、また良い雰囲気を作り出している。この映画を見る動機の1つに、十分なり得ると思う。
トニー・レオン。憎らしいほどにかっこいい。この映画で、カンヌ映画祭の最優秀男優賞を獲った。納得。
マギー・チャン。何てしなやかで美しいんだ!チャイナドレスが似合う第一条件は良い姿勢であることを、改めて知ったよ。
金や技術にものを言わせるような傲慢さとか、胡散臭くて悲しくなってくるようなCGなんてないからこそ、キャストやスタッフが頑張っているのがわかる映画。好みは分かれるでしょうが、損はないと思います。


『ショコラ』 観た日:2001/05/01
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『ギルバート・グレイプ』(1993)『サイダーハウス・ルール』(1999)のラッセ・ハルストレム!、脚色は『ダイナソー』(2000)のラバート・ネルスン・ジェイコブズ、撮影は『ことの終わり』(1999)のロジャー・プラット、衣裳は『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999)のレネー・エールリッヒ・カルフュス、音楽は『エマ』(1996)のレイチェル・ポートマン。主演は『存在の耐えられない軽さ』(1987)『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)のジュリエット・ビノシュ、共演は『敵、ある愛の物語』(1989)のレナ・オリン、『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』(1981)のアルフレッド・モリーナ、『恋に落ちたシェイクスピア』(1998)のジュディ・デンチ、『スリーピー・ホロウ』(1999)のジョニー・デップ、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)のピーター・ストーメア、『マトリックス』(1999)のキャリー=アン・モス、『ポネット』(1996)の天才子役ヴィクトワール・ティヴィソル。

フランスの小さな町ランスクネ。敬虔なカトリック思想に規律を統一されたこの町に、ヴィアンヌ(ジュリエット)とアヌーク(ヴィクトワール)の母娘がやってきた。ヴィアンヌは、南米生まれの母と同じくチョコレートを売り歩く仕事をしていた。アヌークは、その流れ渡る生活を甘受していたが、やはり寂しさは拭えず、見えないカンガルーを唯一の友としている。やがてこの町に、チョコレートショップが誕生。始めは警戒していた町の人も、その甘美なチョコの香りと味に、次第に心を解き放ち始める。特に、夫セルジュ(ピーター)の暴力に耐えられなくなったジョセフィーヌ(レナ)は、ヴィアンヌとチョコレートに癒やされ、ショップの手伝いをするようになった。一方レノ伯爵(アルフレッド)は心の抑制に対する開放効果を、戒律の崩壊につながると警戒し、ヴィアンヌのチョコレートショップを妨害する。ある日船上流浪民のルー(ジョニー)らがこの町にやってきた。風紀が乱れる事を憂いだ町の人々は、彼らとの接触を断つが、ヴィアンヌは無視、ルーを店に入れる。理解ある仲間と、大家のアルマンド(ジョディ)の誕生パーティを開いた翌日、彼女は天に召された。ヴィアンヌは、また流浪の季節が来たことを感じた。

まずは見事なハルストレム監督の手腕と、脚本・カメラの出来に脱帽。チョコレートを主題にしているからなのか、なおさら滑らかで上等な仕上がりだ。長年にわたり上手に使い込まれたシルクのようだ。参った。
俳優陣も適材適所で素晴らしい。ある意味、この映画の最も素晴らしい仕事が、このキャスティングである。
ジュリエット・ビノシュ。美しいッス。上手いッス。文句なし。
ジョニー・デップ。いつもの油臭さがない。本作に関しては巧い。
アルフレッド・モリーナ。絶品。あの風貌は、こういう役のために
授かったとしか言いようがない。絶食週間の終わりをチョコレートショップのショーウィンドウの中で迎える“業”。最高。
ジュディ・デンチ。ホント巧い。スクリーンでの存在感が圧倒的。
レナ・オリン。何だかボロっちいメイクだったが、グングン輝きを増してくる。役柄もそうなのだが、内面の変化の出し方が秀逸。
・・・ベタ褒めである。しかし、どうしても鼻につく事がある。
戒律・節制・敬虔な宗教に根ざした生活と、快楽至上との葛藤。もちろん、適度な配分によって生きていけることが、最も適切な暮らし方の一つの指標になろう。しかし、この映画に「古臭い因習は捨て去り、今を楽しもう」的な、地球上にはびこるアメリカ的文明(悪口ではないよ。良い面があることももちろん認識しています)を嗅ぎ取ってしまったのである。もっとも最後の最後に「“寛容”こそが最も大事な生きるための指標」とまとめてはいる。
もっとも、こんなへそ曲がりな解釈をするのは、私くらいかもしれないが。
ヴィアンヌの背中を押しに来たいつもの北風は、彼女に新しい覚悟を決めさせ、母の遺骨を乗せて吹き去った。アヌークのカンガルーは足の怪我が治り、町角へ姿を消した。ルーが戻ってきた。
これが幸せの始まりなのか、束縛の序章なのかわからないが、しかしヴィアンヌは決めたのだ。
どうか観て下さい。“秀作”の冠を頂くに充分な映画です。


『デジタルモンスター02 ディアボロモンの逆襲』 観た日:2001/04/05
お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

以前やっつけたと思っていたディアボロモンが、復活し、復讐にやってきた。この強敵に、また勝つことはできるのか?

絵が酷い!デジタル描写のようだが、陰影はないし色乗りもベッタリしていて最悪。デッサンもトホホの一言(これが作者の味、と言ってしまえばそれまでだが)。
ストーリーも、初めて観た私にとってはちんぷんかんぷん。シリーズを観ている“固定客”相手のみに作られたアニメというのならそれでも良いかも知れないが、TV放映じゃ〜あるまいし、そういうものではないだろう。
キャラクターの人気にあぐらをかいた駄作。金返せ!


『ワンピース ジャンゴのダンスカーニバル』 観た日:2001/04/05
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

ダンスパーティの行われている島で、ジャンゴとルフィー達が、踊りながらの大立ち回り!

『ワンピース ねじまき島の冒険』 観た日:2001/04/05
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

ねじまき島というところに住む連中に大事な船を盗まれたルフィー達は、奇妙な泥棒コンビと共に乗り込んでいくが・・・

ご存じ?少年ジャンプ連載の大人気マンガで、TVアニメも絶好調のシリーズの劇場版。
少年ジャンプのモットーである『友情・努力・勝利』を地で行くストーリーだが、大人が見ても結構面白い。
ゴム人間ルフィーの、切れた時の強さは、それなりに痛快。
構図もそれなりに練ってあるし、いいんじゃないでしょうか。


『サトラレ』 観た日:2001/03/29
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督は『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)『スペース・トラベラーズ』(2000)の本広克行、脚本は『メッセンジャー』(1999)の戸田山雅司、撮影は藤石修,J.S.C.、照明は水野研一。主演は『キッズ・リターン』(1996)の安藤政信、キャストは鈴木京香、八千草薫、寺尾聰、内山理名、小野武彦、小木茂光。

“サトラレ”とは乖離性意志伝播過剰障害の事である。意志が思念として周囲の人に伝わってしまうのだ。“サトラレ”は現在7名が知られているが、彼らはすべてIQ180以上の天才であり、国益としての保護が法律で定められている。“サトラレ”である事を本人が自覚した場合、多大なるストレスに見舞われ、自殺を試みるかも知れない。“サトラレ”は国家財産として位置づけられているので、本人に自分が“サトラレ”であることを知らせたり、不用意な仕草をした場合、現行犯逮捕される。“サトラレ”は特能保全委員会によって厳重に監視されているが、もちろん本人はこのことは知らない。小松洋子(鈴木)は精神医としての資格を買われ、特能保全委員会から、症例7号の里見健一(安藤)が勤務している国立美濃医大付属病院から国立薬学研究所への転任を促すという任務を受ける。興味津々で赴任した小松は、しかしそこに、後輩医師川上(内山)に恋をし、オペを担当させてくれない外科部長の東(寺尾)に不満を持ち、唯一の肉親である祖母(八千草)と暮らす、ごく普通の青年の姿を見る。

心の声が周囲に筒抜けになる“サトラレ”というキャラクターを築くことで、その能力以外は極めて普通の青年の、異性への思慕や、祖母との家族愛を、浮き上がらせる事に成功している。
本広監督は『スペトラ』で2匹目のドジョウを取り損なった。でも、路線は変えなかった。カメラワーク、照明、音楽、編集、まさしく本広節だ。
小技も相変わらず多い。里見の医師免許の厚生大臣名が“大泉純一郎”だった。無人島で里見と小松の2人が飲むビールは“モルツ”だ(これは小技じゃなくてコマーシャリズムか?)。
安藤政信。浅野忠信のもてはやされ方にちょっと?な私としては、断然彼を応援したいところだ。
鈴木京香。直射日光の下では厳しい年齢になってしまった。残念。しかしスーツ姿での全力疾走は見物だ。
八千草薫。素晴らしい!あんなに包容力のある年寄りに、私はなりたい。
泣きのツボがいくつも用意されている。本広監督は、意識してちりばめたと言う。つまり泣かせようとして作った映画なのだ。
世のへそ曲がりは、この手の映画ではかえって泣いてたまるか!みたいになるところである。しかし、素直に泣いてしまったし、後味も悪くない。
で、どこで一番泣いたかというと、おばあちゃんが東部長に「健一の腕はどうでしたか?」と聞く場面である。そう、婆ちゃんにとっては、自分の病気の事なんかよりも孫の医師としての技術能力の方が遙かに気がかりなのだ。
郡上八幡の、誠に見事な情景。釣り好きでなくとも、一度は訪れたい日本の宝だ。
観ろ!そして泣け!


『スナッチ』※PG-12 観た日:2001/03/16
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998)のガイ・リッチー、撮影はティム・モーリス=ジョーンズ、美術は『ニル・バイ・マウス』(1997)のヒューゴ・ルチック=ワイコスキー、音楽は『チューブ・テイルズ』(1999)のジョン・マーフィー。キャストはジェイソン・ステイサム、スティーブン・グレアム、ブラッド・ピット、デニス・ファリーナ、マイク・リード、レニー・ジェイムズ、『60'セカンズ』(2000)のビニー・ジョーンズ、アラン・フォード、ラデ・シェルベッジャ、ベネチオ・デル・トロ。

ロンドン。ターキッシュ(ジェイソン)とトミー(スティーブン)は、ブリック(アラン)の経営する闇ボクシングで一発当てようとしている。新しいトレーラーを買おうと、アイルランド系流浪民のミッキー(ブラッド)に接触するがオンボロを掴まされ、闇ボクサーを差し向けるも一発KOされた。ミッキーは負け知らずのファイターだった。ブリックは目当てのボクサーを連れてこないターキッシュを一喝、替わりにミッキーをリングに上げる。/フランキー(ベネチオ)は86カラットのダイヤを強奪、ニューヨークに住むボスのアビー(デニス)のところへ戻る前にダグ(マイク)と会う。無類の賭事好きであるフランキーはダグの口利きで闇ボクシングに向かう。/ボリス(ラデ)はフランキーの持つダイヤを奪うため、ソル(レニー)らを雇った。彼らはブリックの店の前に張り込む。/ミッキーは負ける約束でリングに上がったが相手をOKしてしまった。怒ったブリックはミッキーの母親の住むトレーラーに火をつけた。/マイクとデニスは、ブレット(ビニー)を雇い、ダイヤとボリスを追った。/・・・で、最後に生きているのは誰?ダイヤは何処?

読者の皆様、御免なさい。いつもいつも、あらすじには苦労しているのです。読みにくくて申し訳ないなぁと思っているのです。そんな私が、この映画のあらすじを手短に伝えるなんて!いや、そんな人、この世にいるなんて思えません。大きくて2つ、細かくすると3つ4つのストーリーが同時進行で進んでいって、接点を持ったと思えばまた離れ、どうなることかと思えばエンディングでは無事着地するという、離れ業の映画なのです。
ガイ・リッチー、恐るべし。さすがはマドンナを射止めた男だ。
しかも、こんな男汁満載のむさ苦しく可愛いオヤジ映画を、こんなにも魅力的な絵にしてしまうとは。その力技に拍手。
出演者の誰もが、濃くてハイで頓珍漢でおバカ。俳優がみな、それを楽しんでやってる。きっと現場では、今撮るカットが映画のどのシーンだかわかんないでやっているに違いないのだが、何だか100m走のように息を詰めて全力全開の演技だ。
ベネチオ・デル・トロ。本作後に撮った『トラフィック』(2000)でオスカーを手にした。濃い!
ビニー・ジョーンズ。でかい顔だ。濃い!
アラン・フォード。英ベテランTV俳優。濃い!
ブラピ。変な入れ墨。何言ってんだかわかんない。濃い!
とにかく濃い、オヤジを煮込んだ映画。面白いです。


『グリーン・デスティニー』 観た日:2001/03/06
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督は『ウェディング・バンケット』(1993)『いつか晴れた日に』(1996)のアン・リー、撮影はピーター・パオ、音楽はタン・ドゥン、アクション監督は『マトリックス』(1999)のユエン・ウーピン。キャストは『男たちの挽歌』(1986)『アンナと王様』(1999)のチョウ・ユンファ、『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)のミッシェル・ヨー、『初恋のきた道』!のチャン・ツィイー!、チャン・チェン、チェン・ペイペイ。

大武術家リー・ムーバイ(チョウ)は、天下の名刀“グリーン・デスティニー(碧名剣)”を手放すことにした。師を暗殺された恨みから、敵を打つための修行をこなすうち、その空しさに気付いたからだ。剣を託された妹弟子のユー(ミッシェル)は、譲渡先の屋敷にて、嫁入り前の貴族の娘イェン(ツィイー)に出会う。檻に入れられるような結婚に息の詰まる思いのイェンは、ユーの武に生きる姿に憧れる。実はイェンは、家庭教師(チェン)から武術を学んでいた。その夜、剣が屋敷から盗まれた。密かに想いを寄せ合うリーとユー、貴族の家庭教師として世間から逃れている悪党と、彼女がリーの師から盗んだ武芸書を元に武芸を身につけるイェン、そして若い頃のイェンと暮らした事のある盗賊ロー(チャン)。愛と誇りを賭け、剣が煌めく。

米中(香港)合作の、マーシャル・アーツ(武術)映画。いわゆるロープアクションムービーだ。
今年のアカデミー賞授賞式、観ましたか?この映画があんなに大騒ぎになるとは、改めてハリウッド連中の視野の狭さと了見の浅さにトホホです。
いや、この映画を卑下しているのではありません。中国・香港製の武術・ロープアクション映画のおおらかな素晴らしさ、切れる肉体美に、今更ながらに拍手を送るような、その先見性の無さに対して呆れているのです。
まぁいいや。彼らも気が付いたんだから。
今回は資本が付いているので、より太いワイヤーで身体を吊って、大きなアクションが可能になったとのこと(もちろんワイヤーは後からVFXで消すのだ)。こういうデジタル処理は、大いに結構。チョウ・ユンファとミッシェル・ヨーの巧さはもちろんだが、我がアイドルのチャン・ツィイーの技の切れること!ユエン・ウーピンの指導が冴えているのももちろんだが、本人に才が無ければ、こうはいくまい。エリートは違うのだ。
碧名剣は、字幕では“碧銘剣”となっていた(確か)。パンフレット他のパブリシティで変更されているのは何故?
本作、英語名では『CROUCHING TIGER,HIDDEN DRAGON』、中国語名では『臥虎蔵龍』だ。こっちの方がいい題名だね。


『キャスト・アウェイ』 観た日:2001/03/01
お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★☆

監督・製作は『ロジャー・ラビット』(1988)のロバート・ゼメキス、脚本は『エントラップメント』(1999)のウィリアム・ブロイルズ・Jr.、撮影は『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)のドン・バージェス、視覚効果スーパーバイザーは『コンタクト』(1997)のケン・ラルストン(ソニー・イメージワークス)。主演はこの撮影でダイエットできて嬉しいトム・ハンクス、共演は『ハート・オブ・ウーマン』(2000)のヘレン・ハント。

チャック・ノーランド(トム)は宅配会社フェデックスのシステム・エンジニア。世界中を分刻みで駆け回り、恋人のケリー(ヘレン)とゆっくり過ごすこともできない。クリスマスの夜、緊急の仕事のために南米へ向かうことになったチャック。ところが乗り込んだ飛行機が嵐のために墜落、運良く助かった彼が流れ着いたのは、南海の孤島だった。文明に染まった生活から、正反対のサバイバルへ。落ちるヤシの実に驚き、火をおこす喜びを覚え、飛行機から流れ着いた配達物のバレーボールに、そのメーカー名の「ウィルソン」という名前を付けて友とした。有り余る時間は絶望の裏返しだった。自殺も考えた。しかし、ケリーがくれたクリスマスプレゼントの懐中時計と、その裏蓋の彼女の写真が、彼に生きる気力を与え続けた。4年後、漂着したトタン板を帆に、いかだを作成し、島からの脱出に成功。数日の漂流の後、タンカーに拾われる。

娯楽映画を知り抜いたプロフェッショナル集団の作品。無駄な要素はほとんどなく、ストレートな構成は迷うことがない。お上手。
冒頭のアメリカの何処か(恐らく北西部)の女性工芸家の小包が、唯一チャックが破かなかった配達物で、4年後に諸々を決着させた後、彼はそれを届けに行く。地平線まで続く道の交差点で、チャックは決意する。何を決めたかはここでは秘密だが、ここいら辺の作り方も巧妙。感心感心。
トム・ハンクス。遭難後の撮影の後に、1年間の休暇を取り、髭ボウボウ&ダイエットしてから漂着4年後の撮影をしたそうだ。ほぅ、凄いですね。
で、その間にロバート・ゼメキスは『ホワット・ライズ・ビニーズ』(2000)をチャッカリ撮っているのであった。職人だね〜。
う〜む。要するに、現在最も完成されたハリウッド式商業製品という事です。
飛行機事故と漂着の場面のSFX・VFXは見応えがあるけどね。
以上。おわり。


『リトル・ダンサー』 観た日:2001/03/01
お薦め度:★★★★★×5! もう一度観たい度:★★★★★×10!

監督は英国ロイヤル・コート・シアター芸術監督をしているスティーヴン・ダルドリー、脚本はリー・ホール、撮影は『ぼくの国、パパの国』(1999)のブライアン・トゥファーノ、音楽は『恋に落ちたシェイクスピア』(1999)のスティーヴン・ウォーベック、振付はピーター・ダーリング。主演はジェイミー・ベル、共演は『リタと大学教授』(1983)のジュリー・ウォルターズ、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998)のゲアリー・ルイス、ジェイミー・ドラヴェン・ジーン・ヘイウッド、ステュアート・ウェルズ、ロイヤル・バレエ団やAMPのプリンシパルであるアダム・クーパー。

1984年北東イングランド。不況に喘ぐ炭坑は、国策の元、大量の人員削減を発表し、組合は大反発している。ビリー(ジェイミー)は11歳。組合の要人であるパパ(ゲアリー)、同じく炭坑で働く兄トニー(ドラヴェン)、ボケ始めたおばあちゃん(ジーン)と暮らしている。通っているボクシング教室にはどうも馴染めない。ある日、バレエ教室が改修の為に、ボクシング教室のある体育館の片隅を借りることになった。初めて見るバレエ。物心ついた頃から音楽が、ダンスが好きなビリーの心に火がつく。パパに黙ってバレエを習うビリーの才能をいち早く見抜いたウィルキンソン先生(ジュリー)は、彼にロイヤル・バレエ・スクールの受験を勧める。しかし炭坑のストは予断を許さぬ状況だし、第一「男は男らしく」が信条であるパパの理解を得るのは無理だ。落ち込むビリーは、クリスマスの夜、親友マイケル(ステュアート)と共に、体育館で感情を爆発させた。そこへ偶然訪れたパパ。初めて見る息子のダンスと、自分と対峙するその表情に、才能と本気を知ったパパは、一転、ビリーの為にならどんなこともしようと誓う。組合員との協定を破ってまで会社に仕事を貰いにいくパパに共感した町の仲間達は、全員でビリーの為にカンパを企画、家族も亡きママの遺品を売却してまで資金を作る。そして、ロイヤル・バレエ・スクール受験の日が来た。

珠玉の一本。
まずはカタログ通りの褒め言葉から。
ジェイミー・ベルは、2000人の中から選ばれたラッキーボーイ。強烈な訛り(実際、この映画のほぼ全員のセリフはさっぱりワカラン。戸田奈津子は偉い!)、素朴さ、演技、なにより乱暴だが引き込まれるダンス。たとえ彼が一発屋で、今後映画界に存在できなくてもいい。それほど見事に咲いた。
これは当然、スティーヴン・ダルドリー監督と振付のピーター・ダーリングの成果である。
そしてリー・ホールの脚本!英国のお家芸バレエ、炭坑、不況とスト、保守的で厳格な父、ウィットに富んだ祖母、ちょっと変わった友人。どれをとっても素晴らしいワンピースである。
さて。この映画の重要な側面(というか、私にとっては主題)は、ズバリ父の家族愛である。強烈な父としての特性は、ただの頑固親父でもあり、家族を守る傘でもある。そして間違いなく息子達の幸せを一途に願っている。だから、ビリーの本質を理解したら一直線、脇目もふらずに力になろうとする。自分のプライドや世間体など、如何にちっぽけなモノか!ここが最大の泣かせ所だよね〜。
無骨でいかにもイングランド人という顔つき体つきのゲアリー・ルイスが、まさに演技を越えた演技で父の愛を迸らせている。
色気ムンムンのアダム・クーパー(大人になったビリー役)も素晴らしい存在感だ。さすがは世界有数のプリンシパルだ。
未来に語り継ぐに足る傑作。心して観よ!


『ペイ・フォワード 可能の王国』 観た日:2001/02/22
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督は『ピースメーカー』(1997)のミミ・レダー、脚本は『うるさい女たち』(1988)のレスリー・ディクソン、音楽は『ショーシャンクの空に』(1993)のトーマス・ニューマン。キャストは『シックス・センス』(1999)のハーレイ・ジョエル・オスメント、『交渉人』(1999)のケビン・スペイシー、『ツイスター』(1996)のヘレン・ハント、『ザ・エージェント』(1996)のジェイ・モアー、『リオ・ブラボー』(1959)のアンジー・ディキンソン、『オーロラの彼方へ』(2000)のジェームズ・カビーゼル、ジョン・ボン・ジョヴィ。

ラスベガス。中等科に進んだトレバー(ハーレイ)は、社会科のシモネット先生(ケビン)から「自分の手で世界を変える方法」を課題にもらった。彼は、受けた厚意をその人に返すのではなく、別の3人に送る“ペイ・フォワード”という、単純だが困難な発想を思いつく。凶器持ち込みを禁止するために、校門には金属探知器がある。母のアーリーン(ヘレン)はアル中だし、父(ジョン)はやはり酒飲みで現在家出中。こんなクソったれの世の中だけど、トレバーは“ペイ・フォワード”を実行してみることにした。まずは自宅近くにたむろしている浮浪者ジェリー(ジェイムズ)に、小遣いを与えてみた。次にシモネット先生と母を付き合わせてみようとした。最後に虐められている友人を助けようとした。しかし、ジェリーはまたドラッグ漬けになり、シモネット先生と母は何だかしっくりいかず、友人を助ける勇気がいざというときに出なかった。落胆するトレバー。しかし、意外なところで“ペイ・フォワード”の精神は大きなうねりを見せていたのだ。

ダメ。泣いちゃう。思い出し泣き。ミミ・レダーは、泣かせるのがホント上手い。
上記のストーリーは、実は相当に並べ替えている。ジェイ・モアー演じるチャンドラー記者が“ペイ・フォワード”の発想者トレバーに辿り着く一連の経緯、その経緯を辿る過程で明らかになる人生劇。ミミ・レダー監督お得意の、これでもか!の多数の人物描写は、しかしご覧になればわかります。破綻なく盛り込める力量に感服。
ケビン・スペイシーは全身火傷の心を閉ざした男だ。凄いメイクをしたもんだ。しかしストーリー的には必然。冒頭のアジテーションが素晴らしい。
ヘレン・ハント。刹那に生きる飲み屋のネーチャン役を、ナイスバディで見事に演じている。どんな役もOKのヘレン、凄いッス!
そしてそして、ハーレイ・ジョエル・オスメント。上手い。困った。でももっと子供らしい無邪気に笑う役を演じて欲しいなぁ。
トレバーは、“ペイ・フォワード”の火は、12歳の誕生日にケーキのロウソクを吹き消したときにいっしょに消えてしまったと思った。でも、人の心に灯る炎は消えていなかった。人は間違いなく「善」を内包している。
トレバーが起こしたムーヴメントは、レヴォリューションとなって欲しいと誰もが思うはずだ。そう、思うはず。
実現には、一歩踏み出すだけでいいのだ。でも、多くの人の足には枷がはまっている。ほんのちょっとちぎる努力をすれば、簡単にちぎれるのに。
ラストのカットだけは文句あり!あの映画(言っちゃうとオチが台無しなので言わないが、ケビン・コスナーのとうもろこし畑のアレ)のモロパクリ。でも泣いちゃうけど。


『アンブレイカブル』 観た日:2001/02/22
お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本・製作は『シックス・センス』(1999)のM・ナイト・シャマラン、編集は『マグノリア』(1999)のディラン・ティシュナー,A.C.E.、撮影は『鳩の翼』(1997)のエドゥアルド・セラ,A.F.C.、音楽は『逃亡者』(1990)TV『ER』テーマのジェームズ・ニュートン・ハワード。主演はデミ・ムーアとの離婚が成立してウキウキのブルース・ウィリス、共演は『S.W.』の撮影で忙しいサミュエル・L・ジャクソン、『メッセージ・イン・ア・ボトル』(1999)のロビン・ライト・ペン、『グラディエーター』(2000)のスペンサー・トリート・クラーク。

フィラデルフィアで起こった列車脱線事故で、全ての乗客が死亡した中、唯一無傷だったデヴィッド(ブルース)。妻オードリー(ロビン)と息子ジョセフ(スペンサー)が抱きついてきても、何故か浮かない顔だ。合同葬儀の帰り、車に「君は今まで病気になったことはあるか?」という手紙があった。過去を振り返るデヴィッド。さてイライジャ(サミュエル)は、先天性骨形成不全症で生まれたときから骨折が絶えず、外出もままならない。唯一の支えはコミック本だった。イライジャはコミックから無敵のヒーローの資質を見出していた。そして、自分のような弱い肉体を持つ人間がいるならば、その対極に完璧な肉体を持つ人間“アンブレイカブル”もいるという仮説を立て、長くその人物を探していた。彼が白羽の矢を立てたのが、デヴィッドだったのだ。デヴィッドはイライジャの元を訪れ、“アンブレイカブル”の事を聞かされるが、笑って相手にしない。しかしイライジャの言葉にはいちいち頷けることが多い。なぜ自分は病気にならないのか。怪我をしたのはいつか。仕事であるスタジアム警備の際に凶器を持つ危険人物が事前に認識できる訳は?朝、満たされない心で目覚めるのは、己が“成すべき事”をしていないからではないか?それで妻との関係が冷え込んでいるのは判っていたのだ。そして遂に、デヴィッドは行動を起こす。

才気溢れるM・ナイト・シャマランの第2作目。シャマラン節と言っても過言ではない確立された映像だ。撮影・編集・音楽が相成り、見事な個性を醸している。早熟すぎるとも思えるが、天才のみのなし得る技なのか。ロングカットもシャマラン色で見事。
ただし、生意気。「売れる映画のコツをつかんだ」とかほざいているらしい。まぁあと数作は静観しよう。
脚本力は大したものだと思う。ただし本作も『シックス・センス』と同じ“超能力”モノだ。
彼はTVゲーム世代の最初あたりの生まれに当たるはずだ。だからコミックマニアとかの設定が出てくるし、もちろん悪いことではないんだけど、超能力系ではない、地に足の着いたヒューマンドラマを書いて欲しい。これだけ丹念な家族愛を描けるんだから。
そう、この映画は、ホラーの要素が大きいけれど、夫婦・父息子の絆の、崩れまた築くという日常性を、見事に描いている(繋ぐモノが非日常なのだが・・・)。父のヒーロー性を疑わない息子が、まさに父からそれを肯定してもらい流す涙は、全ての子供が抱く父への理想像だ。関係を修復しようと何度も試みる妻が、遂に想いがかなった朝の、あの潤った視線も美しい(もっとも、夫が満たされた真の理由は判っていないのだけれど)。
サミュエル・L・ジャクソン。最高!彼のチャームポイントは、あの深く黒い肌だと思う。
観よう。損はない。


『ふたりの男とひとりの女』 観た日:2001/02/13
お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本は『メリーに首ったけ』(1998)のボビー&ピーター・ファレリーとマイク・セローン、撮影は『スキャナーズ』(1981)のマーク・アーウィンC.S.C.,A.S.C.、編集は『アメリカン・ビューティー』(1999)のクリストファー・グリーンバリー、音楽はピーター・ヨーンと『シン・レッド・ライン』(1999)のリー・スコット。スーパーヒーローは『トゥルーマン・ショー』(1998)のジム・キャリー!ヒロインは『ザ・エージェント』(1996)の レニー・ゼルウィガー、他キャストは『アメリカン・ビューティー』のクリス・クーパー、『アメリカの災難』(1996)のリチャード・ジェンキンス、『ジャッキー・ブラウン』(1997)のロバート・フォスター、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(1983)のトニー・コックス。

チャーリー(ジム)はロードアイランド州警察に務める、真面目一辺倒の男だ。町一番の女性と結婚するものの、彼女はリムジンを運転した低身長症のアフリカン・アメリカン(トニー)と恋に落ち、彼との子供である三つ子を置いて家を出てしまう。その頃からチャーリーの中には、押し殺した感情からなる別人格が存在し始める。三つ子は大きく成長し、それに比例するように近所の噂も大きくなる。遂にチャーリーの中から、もう一人の人格である猥褻で粗暴な“ハンク”が顔を出すようになる。一方、アイリーン(レニー)は務めていたゴルフ場主の贈収賄容疑で指名手配を受け、ロードアイランド州からニューヨーク州へ護送されることになり、チャーリーがその役を担う。しかし道中にチャーリーと“ハンク”が相互に出入りし、またアイリーンも贈収賄には関与していないにも関わらず、汚職に携わった警察官らが彼女の殺害を企てていることがわかり、かくして多重人格による精神分裂症の男と不器用な女の逃避行が始まる。

このメルマガをご覧になっている方であれば、筆者がいかに偏った感想文を書くかはお分かりだと思います。そして取り上げる映画自体の評価も、いかにも商業的・社会的さに欠けているかも。そしてこの、ファレリー兄弟&ジム・キャリーにピクッ!とくる感性に、自己陶酔できる面々とお見受けいたします。
いや〜、この映画は素晴らしい!
下品で横暴で最低な、そして心地よいシナリオ。マジョリティもマイノリティも一緒くたに暮らすこの地球で、そんなハンディキャップもジェンダーも巻き込んだギャグが確かに存在すること。デジタルな画面処理なんて無粋は、天才俳優の前ではまさしく取るに足らないマスターベーションであるということ。
これらをたたみかけることに、全勢力をつぎ込むファレリー兄弟。
本物である。
ジム・キャリー!ああ、ジム・キャリー。彼を二枚目と言って笑われたのは『トゥルーマン・ショー』の時か。そして本物の、少なくともハリウッドでは一番(ちなみに二番はクリス・タッカーね)のコメディアクター。本作では、もはや「ゲラゲラ」から「ほほう」になってしまった(ある意味、損)。
彼の物凄い所は、場所を選ばずに独自のパフォーマンスをキッチリとこなせる、そのスタンダップコメディのパフォーマンスにある。この映画を観ていて、1つの肉体に宿る2つの人格のあまりに見事な使い分けに感心していて気付いたが、こいつはまさに日本の噺家のアレ、古典落語を語る名人のあの、八つぁんとご隠居のやり取りに他ならない。
レニー・ゼルウィガー。全然美人じゃない。いわゆるなごみ系。近くにいたら、男ならみんな好きになっちゃいそうな柔らかさを発散している。
2つわかんない所がある。チャーリーの左頬のあざと、吹っ飛んだ××の付け根のその後の状態だ。気になる。もう一度観るしかないか。


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