ムービーランド
店長の 映画言いたい放題 1-100
★=1ポイント、☆=0.5ポイントで、最高は5ポイントです。
『スペーストラベラーズ』
観た日:2000/04/11 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★
監督は『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1999)の本広克行、脚本は岡田恵和。キャストは金城武、深津絵里、安藤政信、池内博之、渡辺謙、甲本雅裕、武野功雄、筧利夫、鈴木砂羽、ガッツ石松、大杉漣、濱田雅功。
孤児院からの付き合いの保(金城)・誠(安藤)・功(池内)の3人は、幼い頃に夢見た南の島へ行くために、銀行強盗を思いつく。しかし押し入った先のコスモ銀行では、予期せぬ出来事が次々に起こり、結局ロビーに残った人たちを人質にして立てこもることになる。そのメンバー構成から、誠は自分たちを人気TVアニメのスペーストラベラーズに例えた。次第に連帯感を覚える彼らをよそに、外では警察が突入の機会を待つ。そして夜が明け、銀行内のすべてのロックが解除される。
『踊る〜』で味をしめた本広克行が、同じテイストで作った映画。“同じテイスト”というのは、大筋のストーリーとは別に、細かい細かい伏線をこれでもか!とばかりに盛り込むことである。まさに、何度も映画を観るかビデオを借りろ!と言いたげである。伏線の質が、スティーブン・キングのそれとは全然違う。違うが、観る側に本広カラーに対する拒否反応がなければそれもよかろう。
この映画のもう1つの特徴は、登場人物の役回りにある。原作は舞台劇『ジョビジョバ大ピンチ』だが、それが理由になっている。演出も含めて『ラジヲの時間』(1997)に近いものを感じる。
ただし、この作品のテイストは、あくまでTVドラマの2時間スペシャルという感じで、映画というジャンルのものではないと思う。スクリーンという場所で発表する必然性がないと感じる。だから、中身はつまらなくはないが、残るものもなかった。
深津絵里、巧すぎる。困った。見方によっては、男の目を気にした“媚び”とも取れそうな演技だが、エンディングのロングカットの涙と表情の展開は、舌を巻かざるを得まい。
金城武は、日本語も上手になったし、視線の持って行き方もよい。渡辺謙はごつくてよい。濱ちゃんは何でキャスティングされたのかワカラン。ガッツ石松は地でやってるが大根なのか巧いのかワカラン。大杉漣は情けなさが巧い。安藤政信は『キッズ・リターン』(1996)より順調に伸びていてよい。全体に、俳優が伸び伸びやっている。脚本をよく理解している証拠だと思う。現場の雰囲気も良かったのだろう。
警察の対応のすべてが、おままごとというか飾り物というか、本物もこんなもんなんだろ〜な〜と思わせてしまうところが、笑える部分でもあるし情けない部分でもある。『シュリ』を見習えとは言わないが(日本は、臨戦態勢ではないからね。安全な国でもないと思うけど)、「ど〜せこんなもんだろう」感が滲んでいるね。
本広監督に、2匹目のドジョウはいなかった。けど、次回作までは結論を出すのは早いと思う。
『ロッタちゃんはじめてのおつかい』
観た日:2000/04/05 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★
原作はアストリッド・リンドグレーン、監督・脚本はヨハンナ・ハルド、制作はワルデマル・ベルゲンダール。主演はグレテ・ハヴネショルド、共演はマルティン・アンデション、リン・グロッペスタード、クラース・マルムベリィ、ベアトリース・イェールオース。
ロッタ(グレテ)は5歳の女の子。ブタのぬいぐるみのバムセといつも一緒。意志が強く、気に入らないことが多くていつもふくれっ面だ。今日も、ママ(ベアトリース)が着せようとするチクチクのセーターが気に入らない。ハサミで切ってしまった後、隣のおばさんの物置小屋の2階に家出した。お兄ちゃん(マルティン)やお姉ちゃん(リン)が遊びに来たり、ママやパパ(クラース)が呼びに来ても、家に帰らないと言って聞かない。でも夜になって、屋根から吊り下がっているいろいろなものを見ているうちに恐くなったロッタは、パパが迎えに来てくれたのにホッとしたが、強がって「パパとママが帰って欲しいなら帰ってあげる」と言う。
1993年のスウェーデン制作。童話『長くつ下のピッピ』で有名な原作者の、もう一つの有名シリーズの映画化である。オムニバスで、『ロッタちゃんのひっこし(上記概要)』『ロッタちゃんとクリスマスツリー(大雪で町ではもみの木が足りず、ツリー無しでクリスマスを迎えることとなったロッタちゃんの家族は・・・)』『ロッタのひみつのおくりもの(復活祭間近だというのに町のお菓子屋さんが店じまい、パパはお菓子の詰まったイースターエッグが手に入らず、家族はガッカリ・・・)』の3つの原作からなる(いずれも絵本として出版中)。
アストリッド・リンドグレーンは1907年生まれの92歳、スウェーデンの国民的作家で、ここ数年ノーベル文学賞の候補になっているという(自国の賞だからなかなかもらえない?)。撮影は、彼女の功績を称えるテーマパーク『アストリッド・リンドグレーン・ヴェールド』で行われた。
さて、主役のグレテ・ハヴネショルド。500人のオーディションから選ばれたということだが、彼女は当時5歳。眩むようなエネルギーを体中から放つ、可愛い可愛い女の子である。原作はともかく、彼女の抜擢がこの映画の成功を保証したようなものだ。
共演者もみな明るく巧い。
バイキングの時代より隣国から恐れられた強国。ダイナマイトを発明した国。ウィンタースポーツのメッカ。オーロラの降り注ぐ所。私の脳味噌からはその位しか引っぱり出せないが、しかしこんな映画を作り出せるからには、1度は行ってみなければなるまい。
『グリーンマイル』
観た日:2000/03/29 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★
監督・脚本・制作は『ショーシャンクの空に』(1994)のフランク・ダラボン、原作は“キング”スティーブン・キング、撮影は『コン・エアー』(1997)『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)のデヴィッド・タッターソル、編集は『セブン』(1995)『ショーシャンクの空に』のリチャード・フランシス=ブルース、美術は『ドクトル・ジバゴ』(1965)『オリバー!』(1968)のテレンス・マーシュ、SFX/VFXはご存じILM、アニマルトレーナーは『マウス・ハント』(1997)のブーン・ナールと『ベイブ』(1995)のチャールズ・ギブソン。主演に『スプラッシュ』(1984)『アポロ13』(1995)『プライベート・ライアン』(1998)のトム・ハンクス、他キャストに『アルマゲドン』(1997)のマイケル・クラーク・ダンカン、『ザ・ロック』(1996)『交渉人』(1998)のデヴィッド・モース、『Xファイル・ザ・ムービー』(1998)のジェフリー・デマン、『プライベート・ライアン』のバリー・ペッパー、『ベイブ』『ディープ・インパクト』(1998)のジェームズ・クロムウェル、『評決のとき』(1996)のダグ・ハッチソン、『ヘアー』(1979)『ラスベガスをやっつけろ』(1998)のマイケル・ジェター、『セレブリティ』(1998)のサム・ロックウェル。
老人ホームのリビングルームのTVで昔の映画『トップハット』がかかったとき、ポールは思わず涙を流した。女友達がその訳を聞くと、彼は以前務めていた刑務所内での出来事を話し始めた。1935年、ポール(トム)は死刑囚を収監しているE棟の主任で、やがて死刑にされる囚人達に慈愛と節度を持って接していた。ある日、少女2人を強姦殺人した罪で捉えられた巨体の黒人、ジョン・コーフィ(マイケル)がやってきた。彼は見た目とは裏腹に、暗闇に怯える穏やかな男だ。ところが尿道炎で苦しんでいたポールを呼び寄せると、彼に触れ、たちまちに治してしまう。驚くポールは、ジョンの犯した罪に疑問を抱く。さらに、E棟にいつのまにか居着いたネズミのMr.ジングルズが踏みつぶされたときも、ジョンは瞬く間に生き返らせたのだ。ポールと看守達は、規則を犯し、脳腫瘍で命幾ばくもない妻を抱える所長のムーアズ(ジェームズ)の家へジョンを連れていき、奇跡の力で彼女を救う。その後のやり取りから、ポールはジョンの無実を確信したが、彼の死刑執行を覆すだけの力は、ポールにはない。そして、ついにその日がやってくる。
四の五の説明すればするほど、自分の稚拙さが恨めしくなる映画。素晴らしい!
上記の要約は、全くの手抜きというか、いい加減である。したり顔で全てを書き記せないほどの濃密さが、本作にはある。何よりも、原作のスティーブン・キングを褒めるべきだろう。そして、これほどの脚本を仕上げたフランク・ダラボンも!
あらゆるキャストが持てる能力を最大限に発揮しているのが容易に知れ、3時間超の作品をまったく長く感じさせない。
ジョン・コーフィの、何にも代え難い無垢なる眼差しが、曇り、苦しみ、喜ぶ。活動写真を観たいという最期の願いがかなえられたときの、映写機をバックにした彼のアップの映像は、あたかも彼の背後から後光が差しているかのようであった。
静かで深い涙を幾度となく流させる映画。スピルバーグが試写で4回泣いたというエピソードも頷ける。
パンフレットのキャスト紹介のページが秀逸である。
何でもいいから観ろ!とにかく観ろ!必ず観ろ!!!
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
観た日:2000/03/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★
監督は『パリ、テキサス』(1984)『ベルリン・天使の詩』(1987)のヴィム・ヴェンダース。キャスト(演奏者)に『パリ、テキサス』『エンド・オブ・バイオレンス』(1997)のライ・クーダー(ギター)、ルーベン・ゴンザレス(ピアノ)、イブライム・フェレール(ボーカル)、エリアデス・オチョア(ギター)、オマーラ・ポルトゥオンド(ボーカル)、コンパイ・セグント(ギター)、オルランド・“カチャイート”・ロペス(ベース)、マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール(トランペット)、バルバリート・トーレス(ラウー:キューバの弦楽器)アマディート・バルデス(ティンバレス:パーカッション)。
第二次大戦後、クーデター・革命・社会主義と、世界に紛争の臭いをまき散らし、今もなお経済制裁を受けるキューバ。ここには豊かな音楽の文化があった。1950〜60年代、時代の波を越え才能を開花させた多くのミュージシャン達は、年を経るにつれ、ある者は忘れ去られ、ある者は音楽を捨てた。そんな彼らが数十年振りに、今度はバンドという形態で集う。その名は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。圧倒的な喝采を受けた同名のアルバムをひっさげ、遂に憧れのカーネギーホールの舞台に立つ。
詳しくは知らないが、アメリカのメジャーレコード会社が、高齢化する現代に対し、どのようにCDセールスを成功させるかと思案して、若年層にではない中高年層に対する音楽を探し求めた結果、サルサを含めたキューバ音楽に注目、“過去の偉人”とされていた彼らを1つのバンドにまとめた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、目論見通り大ヒットした。その彼ら1人1人にスポットを当て、その生き様をなぞると共に、キューバ・ハバナの町並みをスナップしている。
長大なプロモーションビデオと言えなくもない。このバンドの生い立ち自体、商売の臭いがプンプンする。しかし演奏する彼ら(最高齢は92歳!のコンパイ・セグント)と、彼らの生きてきた道に、嘘はない。
前評判も観覧後の感想もピカイチの作品ですが、ど〜なんでしょ?私は、ちょっと寝ちゃいました。流れる音楽は心地よいけれど。
ただし、カーネギーホールでのスタンディングオベーションには、ホロリときました。喝采には弱いのでした。
『WILD ZERO』
観た日:2000/03/27 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★
監督・脚本は竹内鉄郎、キャストはロックバンドのギターウルフ、『二十歳の微熱』(1993)の遠藤雅、稲宮誠、仲条春香、シティチャイ・クワンチャイル。
エース(遠藤)は、ロッケンロールのスーパーバンド・ギターウルフに憧れる少年だ。ライブハウスのオーナー室でギターウルフとオーナー(稲宮)との争いに飛び込んだエースに、ギターウルフは「何かあったらこれを吹け」と笛を渡す。次の日、隣町のギターウルフのライブへ向かうエースは、ゾンビが町に溢れているのに気付く。それは宇宙から飛来したUFOの仕業だった。途中で出会った少女トビオ(シティチャイ)が気にかかり、彼女を救出するが、ゾンビに追い詰められる。一方、武器商人の山崎(仲条)は、同じくゾンビに悩まされていた。ギターウルフは、エースの吹く笛に気付き、彼を救出に向かう。かくして、山崎の武器を手に、ギターウルフはゾンビ・UFOと壮絶な戦いを始める。
エネルギー爆発なのは買おう。フィルムが汚いのは目をつぶろう。やってみたい要素をしこたま盛り込んだのも良しとしよう。
しかし、肝心のギターウルフというバンド、音はともかく、言葉が聞き取れない。歌詞を読む限りではかなり期待していたのだが。歌手論をぶちあげる気はないが、伝えたいメッセージを伝えられないのでは、どんなに個性的な歌詞を書いたって意味がないのではないだろうか?勢いがあるのはわかったんだけどね。結局のところ、彼らのプロモーションビデオ、というか、彼らのファンに対するサービスフィルムの域を出ていない気がする。
タイでロケをしたそうだ。ゾンビも、現地で募集したという。シティチャイなんて、ディスコでナンパしたらオカマだったけど、あんまり可愛いのでヒロインにした、という。いい加減だが、結果オーライだった。
チープ感と貧相をはき違えている映画。と、ここまで言ったら言い過ぎかなぁ。
『ナビィの恋』
観た日:2000/03/03 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★!
監督・脚本は『パイナップル・ツアーズ』(3話オムニバスの第2話を担当)(1992)『パイパティローマ』(1994)の中江裕司、撮影は『月山』(1979)『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986)『ラヂオの時間』(1998)の高間賢治。主演は『ひみつの花園』(1997)『学校の怪談3』(1997)の西田尚美、他キャストに平良(たいら)とみ、村上淳、登川誠仁、平良進、兼嶋麗子。
東京でのOL生活にけりをつけて、生まれ故郷である海と空と音楽の島、沖縄・粟国(あぐに)に戻ってきた東金城(のぼりきんじょう)奈々子(西田)は、恵達おじぃ(登川)とナビィおばぁ(平良とみ)に暖かく迎えられる。おじぃは三線(サンシン)を片時も離さない。おじぃの牧場で寝ていた福之助(村上)は、住み込みで牛飼いの手伝いをすることになる。一方、同じく島に60年振りに戻ってきたサンラー(平良進)に、おばぁは慌てふためく。彼とおばぁは60年前の恋仲で、東金城家の一方的な都合で引き裂かれた後、サンラーは永らくブラジルに渡っていたのだ。「きっと迎えに来て下さい。いつまでも待ちます」という心に秘めた想いに身を焦がされるおばぁ。
どうみても貧乏だが、音楽と一緒に全てを(運命をも)受け入れ明るく暮らす島人。ウチナンチュ(島)はヤマトンチュ(本土。映画ではズバリ「日本」といっている)にはない『豊かさ』を持っている。その辺もこの映画の意図した部分だろう。文化が違うのだ。歴史にも、ここは独立した文化圏だ。国家という概念であれば日本ではあるけれど、字幕をいれなければならないほどに聞いても解らない琉球語が、その一つの証明だ。・・・今回、初めてこれが韓国語に似ているな、と思いました。耳触りのイメージだけですが。
脚本が秀逸。破綻無く“60年振りの恋”を描ききっているし、奈々子・福之助・恵達や、島の人たちを見事にキャラ立ちさせている。つぼを心得たカメラも巧い。
登川誠仁は、三線の早弾き“カチャーシー”の名手で、その筋にはつとに有名な人物らしい。役者なんぞ本来ならお断りのところを、中江監督の三顧の礼で仕方なく引き受けたそうだ。ナビィとサンラーの悲恋を目の当たりにしながら入り婿し、今また2人の再びの出会いを淡々と受け入れる、という大変に重要な役を、ユーモアたっぷりに好演した。「lunchはtwelve-fortyにね」と言いアメリカ国家を演奏しながら牧場へ向かうその姿は、初演技とは思えん。
西田尚美、元気でてらいがなくて、かわいいです。真性かなづちなのに、海に飛び込む根性もグッド。
心は老いた肉体をやすやすと凌駕し、60年という年月も「儚い」という言葉に当てはめてしまえる。“恋”という魔法に、喝采を!
『逢いたくてヴェニス』
観た日:2000/03/03 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★
監督・脚本はビビアン・ネーフェ。主演はアグライア・シスコヴィッチ、共演はハイノ・フェルヒ、ヒルデ・ファン・ミーゲン、ゲデオン・ブルクハート。
エバ(アグライア)は、売れない画家である夫のルイス(ゲデオン)を支えながら、レストランでアルバイトをする2児の母。店に来ていた弁護士のニック(ハイノ)に水をかけてしまったことでケンカとなり、クビになる。そのニックは、銀行家の妻シャルロット(ヒルデ)と、多忙で無機質ながらもそれなりに満足して暮らしている。しかし、シャルロットは芸術家支援を行うことで知り合ったルイスと、長い間不倫関係にあったのだ。ある日、ルイスとシャルロットは口裏を合わせ、旅行に出かける。何も知らないエバは、家族の写真を忘れていったルイスの為に空港へ急ぐが、そこにはシャルロットと仲良く立ち去るルイスの後ろ姿があった。その後のルイスからの電話の後ろで鳴り響く鐘の音から、彼らがヴェニスにいることを突き止めたエバは、なんとニックを誘拐し、2人の子供を連れて、車でヴェニスへ向かう。
最高!『ラン・ローラ・ラン』といい、『ノッキン’オン・ヘブンズ・ドア』といい、最近のドイツ映画の面白さはどういう訳だ?単に私が知らなかっただけではあるまい。
ビビアン・ネーフェ監督、お見事の一言に尽きる。スピーディでストレートで長さも91分とベスト。特に感心なのは、弁護士ルイスのキャラクター設定だ。バリバリの仕事人間で、ヴェジタリアンでビタミン剤とかの補助食を欠かさず、子供アレルギーで、水と高いところが大の苦手。なのにその全てを、エバに拉致されてからは、順番(まさに順番!)に解消・克服させられてしまう。
アグライア・シスコヴィッチは、気丈で強くて逞しくて、女らしい脆さも持ち合わせた大変に魅力的な主人公を、真正面から好演している。でかい鼻もまた良し。
2人の子供がかわいくて巧い。
最後に、映倫へ。冒頭の、長男が消防署にイタズラ電話をして消防士がエバの家に来るときに、丸裸で慌てふためくルイスの長いチンチンが、丸っ見えなんですけど。いや、私としては、何ら文句はないんですけどね。
『ノイズ』
観た日:2000/03/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★
監督・脚本は、これがデビュー作となるランド・ラビッチ、撮影は『太陽の帝国』(1987)『わが心のボルチモア』(1990)のアレン・ダビュー、美術は『オルランド』(1992)『ガタカ』(1997)のジャン・ロールフ、音楽は『オースティン・パワーズ:デラックス』(1999)『ワイルドシングス』(1999)のジョージ・S・クリントン。主演は『トゥー・デイズ』(1996)『ディアボロス 悪魔の扉』(1998)『マイティ・ジョー』(1999)のシャーリズ・セロンと、『エルム街の悪夢』(1984)『ギルバート・ブレイク』(1993)『ラスベガスをやっつけろ』(1999)のジョニー・デップ。共演に『パラサイト』(1999)のクレア・デュバル、『スピード』(1994)『ブルース・ブラザーズ2000』(1998)のジョー・モートン。
ジリアン(シャーリズ)は、スペース・シャトルで宇宙へ飛び立った夫スペンサー(ジョニー)が、同僚と船外活動中に、爆発事故に遭ったことを告げられる。交信が途切れた時間は2分。彼らはクルーの懸命の作業で救助されたが、帰還後のスペンサーに何かしらの違和感を覚えるジリアンだった。同僚は脳卒中で死亡、その妻は「私の中に彼がいる」との言葉を残して、ラジオを抱えてバスタブで感電自殺した。スペンサーはNASAから航空機開発会社に転職、ジリアンと共にマイアミからニューヨークに引っ越す。やがてジリアンは双子を身籠もっていることを知る。ある日、NASA職員だったリース(ジョー)がジリアンの前にあらわれ、“空白の2分間”にかつてない異常事態が起こっていたと告げる。自殺した同僚の妻が、やはり帰還後に双子を妊娠していたことも。深夜、ラジオのノイズを聞く夫。宇宙から帰ってきてから、何かが違うのだ。
有力プロデューサーが多数群がって制作された、ハリウッド式商業映画。ストーリーにも目新しい部分はなく、オチも平凡。以上。語ること無し。
シャーリズ・セロンは、喜怒哀楽を大きく表現できる女優だ。でかい背中はいただけないが、丸いお尻はかっこいい。
ジョニー・デップは、いまいち。美形だけど、体の切れがない。この映画の役としては、彼ではなくても誰でもよかったと思う。
……すみません。もう、書くことありません。やっぱり、過去の名作・傑作の寄せ集めの映画は、ダメダメですね。
『雨あがる』
観た日:2000/02/25 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督は小泉堯史、脚本は黒澤明、制作は原正人と黒澤久雄、音楽は佐藤勝、衣裳は黒澤和子、撮影は上田正治と斎藤孝雄、美術は村木与四郎、照明は佐野武治、録音は紅谷愃一。キャストは寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、檀ふみ、井川比佐志、吉岡秀隆、加藤隆之、原田美枝子、松村達雄、仲代達矢。
時は江戸の享保、所は東海道掛川。大井川は長らくの雨で増水し、渡ることが出来ず、川沿いの宿はどこもいっぱいだ。三沢伊兵衛(寺尾)は、剣の腕はめっぽう立つが、優しすぎて他人のことを思いやりすぎる性格が逆に仇となり、かえって巧く立ち回ることができない浪人。かつては諸藩の師範役になったこともあったが、ことごとく続かない。あてのない旅を共にする妻たよ(宮崎)には、いつも苦労をかけていると自責している。たよは、夫の優しすぎる性格については何ら不満はないのだが、たよをあまりに気遣い、今の根無しの生活に焦燥する夫に、むしろ寂しさすら覚えている。藩の侍同士のいざこざにたまたま立ち会わせた伊兵衛は、彼らを鎮める。それを見初めた藩主永井和泉守重明(三船)は、伊兵衛を指南番にしたい旨を伝える。伊兵衛は掛川城に招かれ、御前試合の後、指南番に内定したかにみえたが、後日宿場に訪れた使いの者の言葉では、城下町の道場にて賭け試合をしたこと不届き千万にて内定を見送るとのこと。しかしこの賭け試合は、長雨でぎすぎすしていた宿屋の連中を和ませようとして、酒と肴を買うためにやむなく行ったものだった。気落ちする伊兵衛を見かねたたよは思わず、何をしたのかではなく何のためにしたのかが大事なのだと、使いの者に言う。
生粋の黒澤組の、“オヤジ”への追悼作。黒澤明が残した脚本を世に送り出すべく、黒澤組の助監督を続けてきた小泉堯史がメガホンを取った。
はじめ、まさしく“クロサワ映画”が展開されるのかと思った。もちろん“クロサワ色”“クロサワ臭”はたっぷりである。カメラも照明も音も編集も“オヤジ”への一心で団結しているのである。しかし違う。監督として最も力量(というのが酷なら、個性)を問われる、俳優への演出、これが違う。「間」が違うのだ。スタッフ・キャスト、全ての人たちが塊となって“クロサワ節”を歌いたがっているのだが、やはり“クロサワ”にはなれないのだ。かく言う私も、過剰な期待を寄せてしまった。
しかしつまらないのかと言えば、それは全く逆。しっとりとした絵は、日本人の体内に刷り込まれた、日本人たる所以のようなものを立ち昇らせているし、三沢伊兵衛の剣さばきから発せられる気は、深く心に刺さる(『御法度』に感心してしまった自分が恥ずかしい・・・)。
とにかく、去年から今年にかけて、時代劇映画の当たり年ではある。初夏に公開となる『どら平太』も楽しみだ。
『シュリ』
観た日:2000/02/15 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★
監督・脚本は『銀杏の木のベッド』(1996)に引き続き2作目となるカン・ジェギュ、撮影はキム・ソンボク、編集はパク・コクチ、録音はイ・ビョンハ。主演は、出演作品を全て大ヒットさせる“神話”を持つ韓国一のスター、ハン・ソッキュ。ヒロインにキム・ユンジン。他キャストにチェ・ミンシク、ソン・ガンホ、パク・ヨンウ。
飢餓と疾病に苦しむ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、北南統一を政治に託することは出来ないとする急戦派が、熾烈な訓練を重ねた兵士をスパイとして大韓民国(韓国)へ送り込んでいる。その1人で極めて優秀な兵士である女性イ・バンヒ(キム・ユンジン1役目)は、数々の暗殺をやってのける。一方、韓国情報機関“OP”のユ・ジョンウォン(ハン・ソッキュ)は、熱帯魚店を営むイ・ミョンヒョン(キム・ユンジン2役目)との結婚を1ヶ月後に控えていた。ユはイ・ジャンギル(ソン・ガンホ)と共に、イ・バンヒを追っていたが、いつも一手遅れで彼女の犯行を阻止できない。ある日、韓国国防科学研究所で開発した最新液体爆弾CTXが、北朝鮮の工作員に略奪された。ユとイ・ジャンギルは、CTXが、2002年サッカーワールドカップの朝鮮統一チームのための、交流試合を行うシャムシルスタジアムに仕掛けられたことを知り、阻止に向かう。
“シュリ”とは、朝鮮半島の固有淡水魚の名前で、キッシングラミーと言う。つがいの片方が死ぬと、もう片方も死ぬという。
韓国産の映画というのは、恐らく当局の規制もあって、日本で見られるのは生真面目で儒の教えを尊ぶ気質の申し子のようなものばかりで、端的に言うと重くて暗いものというイメージがあった。しかしこの映画は、既成概念を完全にぶち壊してくれた。何に関しても過剰なほどの激情でもって立ち向かう韓国人が、本気でアクションスペクタクル映画を作ったらどうなるかを、明快に見せてくれた。
銃の取り扱いが本格的である。変な褒め方だが、徴兵制度を持つ国ならではであろう。男優は全員、よほどの理由がない限りは軍隊経験者なのだ。1度ハワイで、遊びでパンパン撃ったことがある程度の私でさえ、いかなる時も両手で構える彼らが正しいと思うぞ。舘ひろし&柴田恭兵には、爪の垢でも飲んで貰おう。アメリカ映画では俳優保護の理由でタブーとされている顔面への発砲、やけにリアルでかえって恐い銃火機音、ミリタリーマニアならずとも、感心すると思う。
しかも、同じ民族が2国に分断されているという背景と、その2国を跨いで敵味方同士である2人の恋人(女の方が全てを知っているというのが、ある意味ミソ!)の描写。この複雑な相反する要素を、力技ではなくブレンドし、見事に消化している。ただ者ではない力量である。
予算は日本円にして3億円だという。安い。安すぎる。安すぎて変だ。おかしい。障害保険や物損保険はどうなっているのだろう。ギャラは安いか、成功歩合なのだろうか。
おもしろい映画なのは間違いない。しかし、韓国という国は臨戦状態にあるのだということを改めて知らしめてくれた訳だし(しかも同一民族で争っている国は世界でもない)、映画自体は外貨を獲得するだろうけど、観光旅行に誘う質のものではないので、国益としてはどんなものでしょう?私としては、ちょっと恐くて、韓国には行けなくなってしまいました。チゲとかキムチとか犬とか食べたいんだけどなぁ。
あと、韓国では、この映画を観ない子供が学校でイジメに遭うなんて社会現象が起こっているらしいが、こんな血みどろの首チョンパの映画を、子供に観せるのは如何なモノだろうか?もちろん、残虐シーンだけが売りの映画ではないことは百も承知なんですけど。こういう論調、見かけないもんで。
『ジャンヌ・ダルク』
観た日:2000/02/02 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★
監督は『グラン・ブルー』(『グレート・ブルー』)(1988)『レオン』(1994)『フィフス・エレメント』(1997)のリュック・ベッソン、脚本は『キング・ダビデ/愛と戦いの伝説』(1985)『薔薇の名前』(1986)のアンドリュー・バーキン、撮影は『フィフス・エレメント』『黒猫・白猫』のティエリー・アルボガスト、編集は『レオン』『フィフス・エレメント』のシルヴィ・ランドラ、美術は『おかしなおかしな訪問者』のユーグ・ティサンディエ、衣裳は『さよならエマニエル夫人』(1977)『愛は霧のかなたに』(1988)『フィフス・エレメント』のカトリーヌ・レトリエ。ヒロインに『フィフス・エレメント』のミラ・ジョヴォヴィッチ。キャストにジョン・マルコヴィッチ、デズモンド・ハリントン、フェイ・ダナウェイ、ダスティン・ホフマン。
フランス・ドンレミの村に生まれたジャンヌ(ミラ)は、子供の頃から大変に信心深く、神と共に生きてきた。草原や雲や風に、神の姿を見ることもあった。彼女の村がイギリス軍に焼き討ちされ、身代わりとなった姉が殺されてからは、さらに強く信心するようになり、彼女に語りかける神の言葉も具体性を帯びてくる。当時、イギリス軍はフランス領土に深く侵攻しており、次期フランス国王であるシャルル王太子(ジョン)の、ランスでの戴冠式もままならぬ状態であった。ジャンヌは王太子に謁見、オルレアン攻略を申し出る。“神の声”を常に聞くジャンヌには一片の迷いもなく、疲弊した兵士を鼓舞し最前線で指揮を取る。フランス軍はすぐさまオルレアンを奪還、イギリス軍を次々と退け、遂に王太子はランスにて戴冠式を挙行するに至る。しかし、武力一辺倒でしかも兵士・貴族に絶大な人気を誇るジャンヌを邪魔に思い出した王族は、彼女を反勢力のブルゴーニュ公に売ってしまう。ジャンヌはすぐさまイギリス軍に売られ、苛烈な宗教裁判にかけられることになる。ジャンヌは、神の代わりに現れるようになった、黒いマントの男(ダスティン)と問答する。「自分は本当に神の声を聞いたのか?」「自分は正しいことをしたのか?」「私怨に突き動かされた行動ではなかったか?」ジャンヌは、神に、そして自分に、忠実なるままに刑を受け入れ、火炙りの刑に処される。
大作である。カメラワーク・セット・衣裳、そして時代検証。隙のない脚本と編集。完璧なるテンションの俳優陣。・・・しかしなぜだ!リュック・ベッソンの作品なのに、この空気感は!!!
確かに、この映画の臭いは、ベルナルド・ベルトリッチではない。ヴォルフガンク・ペーターゼンでもない。オリヴァー・ストーンでもデヴィッド・リンチでもない。でも、リュック・ベッソンらしい、彼独自の、天然な、B級ソープオペラのような、土臭い、シニカルな、そ〜いう臭い。それが、99.9%も削ぎ落とされてしまっているのだ。まるで、落語の『目黒のさんま』の、つみれの椀のように。
作品の出来は、評価しよう。良い。優れたものだ。しかし私は、あの、リュック・ベッソンの“臭い”に期待していたのだ。過剰だったのだろうか。アメリカ資本の弊害か?(って、すぐそこに持っていく?)
ミラ・ジョヴォヴィッチ。素晴らしい。狂気的に一途な少女のカリスマ性を、果敢に演じきっている。ジョン・マルコヴィッチ。巧い。フェイ・ダナウェイ。恐い。女はこういう風に年を取っちゃいかん!という見本。ダスティン・ホフマン。圧倒的な存在感ながら、ミラを立てている。適任。
2時間40分が短い。いい映画だ。しかし、返すがえすも、リュック・ベッソンらしさが脱臭されていて、悔しい。
『I Love ペッカー』 ※R-15 15歳未満は観ることが出来ません。
観た日:2000/02/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督・脚本は『ピンク・フラミンゴ』(1972)『ポリエステル』(1981)『シリアル・ママ』(1994)のジョン・ウォーターズ、キャスティング・ディレクターは『わが心のボルチモア』(1990)『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)のパット・モーラン、C.S.A.、撮影監督は『裸の銃<ガン>を持つ男』シリーズのロバート・スティーブンス。主役は『ターミネーター2』(1991)『アメリカン・ヒストリー X』(1999)のエドワード・ファーロング、ヒロインに『アダム・ファミリー』(1991)『バッファロー'66』(1998)のクリスティーナ・リッチ。キャストにリリ・テイラー、マーサ・プリンプトン、メアリー・ケイ・プレイス、ローレン・ハルシー、ブレンダン・セクストンV、シンディ・シャーマン。
ここは愛すべき町、ボルチモア。母から中古のカメラをもらったペッカー(エドワード)は、嬉しくて何でもかんでも撮りまくっている。そして、バイト先のサンドイッチショップで開いた個展で、たまたま立ち寄ったニューヨークの画廊経営者のローレィ(リリー)に1枚の写真を見初められる。それは、覗き見したストリップバーでのヘアーのアップだった。それ以外の写真もすべて気に入られたペッカーは、遂にニューヨークで個展を開くことになる。それは大成功であった。意気揚々としてボルチモアに帰ってきたペッカーは、しかし周囲の目が少しずつ変わっているのに気付く。自分の愛する写真が撮れない。ところがニューヨークでの彼への注目度は増すばかりで、ついにホイットニー美術館から個展開催の通達が来る。
“地球人の中で最もボルチモアを愛する男”ジョン・ウォーターズの最新作。しかし、今までの彼の、ストレートな異常さはなく、大変にスマートな作品に仕上がっている。いわば新境地。とは言っても、相変わらず登場人物全員に、心身どこかがフリーキーな演技を要求しており、ウォーターズ節は健在といえよう。
それにしても、クリスティーナ・リッチ(『アダムス・ファミリー』の、おさげのソバカス少女)は、『バッファロー'66』では完全にバッファロー人だったけど、この映画では完全にボルチモア人ですね。
ところで、主人公ペッカーの使っているカメラは、なんだろう?キャノンのキャノネットだと思うんだけど。
それから、“R-15”指定について。て〜ことは、15歳なら、マン毛を見てもいいのか?まったく物差しがいい加減だ!まぁ、男はみんな「We want bush !」なんだけどね。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』
観た日:2000/02/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★
監督・脚本・編集はダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェス。キャストはヘザー・ドナヒュー、マイケル・C・ウィリアムズ、ジョシュア・レナード。
1994年10月、メリーランド州バーキッツヴィルの森の中で、映画学科の学生3人が行方不明になり、1年後に、彼らの撮影したと思われるフィルムが見つかる。そこには、3人の、この森に古くから伝わる“ブレア・ウィッチ(ブレアの魔女)”に関する映像が残されていた。3人は、バーキッツヴィルの町に未だ伝わる“ブレア・ウィッチ”を取材した後、地図に従い森に入る。奇怪な死体があったとされる『コフィン・ロック(ひつぎ岩)』付近でキャンプを張った3人は、深夜、声や足音のような“何か”に怯える。信頼関係にも次第にヒビが入り始めるが、夜な夜な“何か”のイタズラは増していく。
ダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスが学生時代に思いついたストーリーを、極めて実験的な手法で作品としてまとめた。その制作費は3万ドルとも7万ドルとも言われているが、それに比べ興行収入は北米だけで優に1億8千万ドルを越すメガヒットとなった。
実は、この映画にはインターネットでのPRサイトの存在を欠かすことが出来ない。編集と同時に登場したこのサイトには、最初の1週間で7500万ヒットを記録、そのドキュメンタリー的な制作手法に興味はつのり、結果として上記の通りとなる。
また、撮影方法も「メソッド映像製作法」という、ドキュメントタッチな、荒削りで混沌とした現場状況をあえて作り出すことにより、究極のリアリズムを追求するというものである。さらに、カメラ・ホームビデオを俳優達に持たせて撮影させ(勿論、それこそがこの“プロジェクト”の主体なのだが)、スタッフは離れて森を移動する、という方法で、映像を得ている。
さて、感想。最低!クソ映画である。成功は、と“秘密主義”と“ドキュメント仕立て”(と、“超低予算”も入るかな?)を逆手にとって声高に叫んだら、興味を持った今や世界一無駄金を持ってるアメリカ人が、「じゃ〜、ちょこっと観てみるか」とチケットを買ったに過ぎない。私、手振れ防止機能のないホームビデオで撮った映像に(臨場感を演出したと思ってるらしい)、途中で頭痛がして気持ち悪くなりました。風邪がぶり返したのかと思った。
「メソッド映像製作法」とやらも、日本では既に『進め!電波少年』でやり尽くしている。
え〜、トレンドに敏感な方(笑)、観た方がいいです。
『バッファロー’66』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督・脚本・音楽・主演はヴィンセント・ギャロ、撮影はランス・アコード、編集は『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)『誘う女』(1995)のカーティス・クレイトン。ヒロインに『アダムス・ファミリー』(1991)『キャスパー』(1995)のクリスティーナ・リッチ、他キャストに、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・ギャザラ、ケビン・コーリガン、ロザンナ・アークエット、ミッキー・ローク。
ビリー・ブラウン(ヴィンセント)は5年の刑期を終え、故郷のバッファローに帰ってきた。彼は、アメリカンフットボールのバッファロー・ビルズのスーパーボール優勝に1万ドルを賭け、負けたが金を払えず、ギャングの身代わりに刑務所に入れられていたのだ。ビリーには、逆転フィールドゴールを外したあのビルズのキッカーを殺すこと、それが唯一の生き甲斐であり目的だった。トイレを借りるために入ったダンススクールから両親に電話をしたが、元気にやっているという嘘から、妻を連れていくという事になってしまい、たまたま通りかかったレイラ(クリスティーナ)を誘拐まがいで実家に連れていく。ビリーを恐れていたレイラは、彼と両親とのやり取りなどから、粗野で横柄で短気で我が儘なビリーが、実は小心で臆病で繊細な男だと気付く。2人はモーテルにたどり着き、ベッドでキスを交わした。しかし、ビリーは復讐のために部屋を出ていく。
暴力的なほどに自らの感性を露わにし、その圧倒的な個性で観る者全てを叩きのめそうと凄む、“天才アーティスト”ヴィンセント・ギャロの処女作。映画上のどこを切っても、彼のエキセントリックで繊細な自己が溢れてくる。ある意味嫉妬さえ覚えてしまうほどだ。
演技者としての彼も素晴らしい。こだわりのシーンを1つだけ。ボーリングのシーンでは、本当に上手く投げられるように、毎日5時間の練習を1年間続けたそうだ。
クリスティーナ・リッチも素晴らしい。『アダムス・ファミリー』のあの、弟を虐め倒す痩せっぽちのそばかすのおさげの女の子が、いつの間にやらこんなに肉感的なロリータボディを身につけたのやら。しかし身につけたのはオッパイだけではない。“間”のある演技力、表情をわずかに作るだけで何もかも語ることの出来る、(恐らく)計算し尽くしたパフォーマンス。世間的にはタップダンスとモーテルの一連のシーンに拍手を送っているようだが、個人的なお薦めは、ボーリング場のインスタント写真ボックスでのロングカットである。
エンディング。「あ、車に轢かれる!」と思った。でも、轢かれなかった。轢かれない最後は、安直である。しかし、もし轢かれたら、それは愚鈍だ。十把一絡げのハリウッド3流映画に成り下がってしまうところだった。
どこもここも私的でありながら何度も観ることに耐えうる、全く新しいジャンルの映画。総括することを拒否する映画。老婆心ながら、ヴィンセント・ギャロが、この作品が到達した聖域に次回作でも踏み止まれるか、大変興味深い。
『LIVE LOVE DRIVE』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★
ヴィンセント・ギャロが監督・脚本・撮影・編集・主演の、カラートーキー。最愛の(ただし、あくまで撮影当時)ベサニー・リッツとのキスをただただ撮りたかった作品。トヨタセリカのTVCMで使われたアレである。
特に言うことなし。新しいものはない。ギャロが、ただ撮りたくて撮ったというものなので、観せられるこちら側としては、何も感じません。はい。
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督・脚本は新人のトーマス・ヤーン。制作・脚本・主演は『マンタ、マンタ』(1991)『アクセルの災難』(1994)『リプレイスメント・キラー』(1998)のティル・シュヴァイガー、もう一人の主演に『ふたりのロッテ』(1993)のヤン・ヨーゼフ・リーファース、共演に『ラン・ローラ・ラン』(1998)のモーリッツ・ボライプトロイ、ティエリー・ファン・ヴェルフェーケ。
マーチン(ティル)は脳腫瘍で、ルディ(ヤン)は骨肉腫で、それぞれ入院し、同室となる。たまたま見つけたテキーラを飲もうと、塩とレモンを探しに調理室に侵入し、お互いの話をし始める。ルディが海を見たことがないのを知ったマーティンは、天国では海の話題についていけなきゃお手上げだと言い、地下駐車場の車を盗んで海を見に行くことを提案する。しかし盗んだベンツSLは、ヘンク(ティエリー)とアブドゥル(モーリッツ)という下っ端ギャングが命令で運んでいた車だった。ギャングはマーティンとルディを追う。一方、マーティン&ルディは、車の中から銃を見つけ、さらにはトランクに100万マルクが入ったケースも見つけた。行く先々でトラブルを引き起こし警察にも追われ、遂に掴まってしまう。
1997年のドイツ映画。知らないキャスト・スタッフだが、そんなことはどうでもいい!スクリーンから圧力を感じる。グッドテンポで最後まで引っ張る。快作である。
トーマス・ヤン監督が、タクシードライバーをやっていた頃からこのアイデアを温めていて、脚本をティル・シュヴァイガーに送ったことから企画が立ち上がった。そして遂にはブエナビスタ(ご存じ、ディズニーの配給会社ね)まで動かしてしまうのである。
愛すべきロード・ゴーイング・ムービー。痛快で豪快で爽快。人間、好きなことやって生きていきたいものだ。
おまけ。原題が『Knockin'on Heaven's Door』なのだから、邦題は『ノッキン’オン・ヘヴンズ・ドア』だと思うのだが、如何でしょう?
『エンド・オブ・デイズ』
観た日:2000/01/14 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★
監督・撮影監督(!)は『カプリコン1』(1977)『2010年』(1984)『レリック』(1997)のピーター・ハイアムズ、脚本は『エアフォース・ワン』のアンドリュー・W・マーロー、VFX総監修は『エイリアン2』(1986)『ターミネーター2』(1991)『ジュラシック・パーク』(1993)のスタン・ウィンストン。主演は我らがヒーロー、アーノルド・シュワルツェネッガー。ヒロインは『ナイアガラ・ナイアガラ』(1997)『ジュリアン・ポーの涙』(1998)のロビン・タニー、敵役は『エクスカリバー』(1981)『ユージュアル・サスペクツ』(1990)『仮面の男』(1998)のガブリエル・バーン。
1979年。バチカン。満月の上を弧を描いて横切る彗星に、凶兆を見た修道士は、聖書にある“サタンの復活”を食い止めるべく、サタンの子を身ごもるはずの女性を探し始める。そして1999年12月28日。元刑事で今はVIP専用ガードマンをしているジェリコ(シュワちゃん)は、今日の警備主に向かって発砲した狙撃犯を追い、地下鉄構内に追い詰める。彼は、サタン復活を唱えていた。一方、クリスティーン(ロビン)は、昔から表れる幻影が最近頻出する事に困っていた。ある日突然、彼女は自宅で何者かに襲われる。殺される直前で、狙撃犯のことを追っていたジェリコに救われる。やがて、彼女がサタンに選ばれた女性であることが判明し、教会も彼女を救おうとする者と彼女を殺すことでサタンの復活を阻止仕様とする者がいることがわかる。しかし、男(ガブリエル)の身体を借りたサタンは、遂にクリスティーンを奪取する。
いかにもハリウッド発の、全世界でお金を稼ごうとする魂胆見え見え&そのお金に群がる亡者ウヨウヨ、の映画である。150億円も使っていやがる。ふ〜。何だかなぁ〜。でもそんなに金を持ってるなら、夜景の撮影時の、ネオンや車のライトによるハレーションを消せよ!
シュワちゃんは、今回は真面目に演技で勝負している。というか、パワー一辺倒のイメージは既にない(はず)なのだが(それでも1人でクリスティーンの救助に行っちゃったり、無茶はしてる)、この作品のジェリコは、刑事時代に妻と娘をテロリスト集団に惨殺されており、その痛手を未だ引きずり、しょっちゅう自殺を企てるアル中、という役柄なのである。ちょっと珍しいよね。
ガブリエル・バーンは好演。残虐で妖艶。しかしこのイメージは、既にアル・パチーノが『ディアボロス』で見事に演じ切ってしまっているので、新鮮さは全然ない。
ロビン・タニーは、少女の面影が残っており(俗っぽく言えばロリータ系)、昔のたるむ前のメグ・ライアンみたいだ。ただし、演技がどうかはこの作品からは判別不明。
とにかく、“ミレニアムもの”のトリみたいな映画。な〜んて言ってると、今度は21世紀になるのに云々、と、またカレンダーを食い物にする連中が現れるんだろ〜な。
『ファイト・クラブ』
観た日:2000/01/14 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督は『エイリアン3』(1992)『セブン』(1995)『ゲーム』(1997)に続きこれが第4作目となるデイヴィッド・フィンチャー、脚本はジム・ウールス、編集は『ゲーム』(1997)のジェイムズ・ヘイグッド、撮影監督は『ペギー・スーの結婚』(1986)『めぐり逢えたら』(1993)『ゲーム』(1997)のジェフ・クローネンウェス。主演は『真実の行方』(1996)『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(1996)『ラウンダーズ』(1998)のエドワード・ノートン、共演(とさせてもらおう)に『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)『セブン』(1995)『12モンキーズ』(1995)のブラッド・ピッド、『眺めのいい部屋』(1986)『鳩の翼』(1998)のヘレナ・ボナム・カーター。
車両会社で保険関係の仕事をしているジャック(エドワード)は、不眠症で悩んでいた。彼は、医者からの進言で重病患者のセラピーに無断で参加し、つかの間の安らぎを得ていたが、同じように潜入している女・マーラ(ヘレナ)を知る。一方、ジャックは出張中の機内でタイラー・ダーデン(ブラッド)と知り合う。彼と別れて帰宅すると、自宅は爆発による火災に見舞われていた。ジャックはタイラーに連絡を取り、2人はバーで飲んだ。ジャックは、タイラーにいきなり「俺を殴れ」と言われる。戸惑いながらもタイラーと殴り合うジャック。やがて2人は、殴り合うことによって本物の“生”を感じるようになる。タイラーは石鹸を作り売っていたが、その材料は美容形成で吸入排泄された人の脂肪だった。彼は、石鹸もダイナマイトも簡単に作れると言う。タイラーの家に住むことになったジャックと、やがてタイラーとのセックスを目当てに訪れるようになったマーラ。さて、彼らの廻りには、“生”の為の殴り合いに共感する人が集まりはじめ、ついに他言無用の『ファイト・クラブ』が結成される。カリスマ性を発揮し始めたタイラーは、さらに『ファイト・クラブ』の精鋭を自宅に集め、現代社会を打倒する『スペースモンキー』なる組織を作り、非合法なテロを繰り返し始める。遂に、複数のビルを爆破する計画を企てている事を知ったジャックは、タイラーを追い、阻止しようとする。
原作はチャック・ポーラックの処女作『ファイト・クラブ』。彼は運送会社の整備調査員の傍ら、これを書き上げたそうだ。
まずは、デイヴィッド・フィンチャー。“奇才”の名に相応しい、切れのある映像を見せる。随所に織り交ぜるパロディ(特に、爆破予定のビルの地下駐車場で見せる、ブラピのファイトは、まるっきり『燃えよドラゴン』!)も、わざとらしいがさりげなくて良し。ただし、もう少しオリジナリティのあるアイデアを盛り込んで欲しかった。どれもが、どこかで観たようなカットである(パロディの非難ではありません、為念)。
エドワード・ノートンは、おどおどしたような独特の表情・物腰が、かえって切れたら恐そうで、役どころにはまっていたと思う。
そのエドワードを、終始圧倒するブラピ。あんなにマッチョだったっけ?という感じだが、彼には、今回のような狂気を孕んだ瞳もよく似合う。というか、もともとのチンピラっぽい所にもどって、むしろ生き生きとしている。
まったくもって、原作・脚本の一人勝ちの映画。映像メイカーや俳優にはなれなくとも“映画”という魅力ある文化に参画する夢を、我々に抱かせてくれる作品だ。
『御法度』
観た日:1999/12/27 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★
監督・脚本は『青春残酷物語』(1960)『愛のコリーダ』(1976)『戦場のメリークリスマス』(1983)の大島渚、撮影は栗田豊通、美術『地獄門』(1953)『利休』(1991)『梟の城』(1999)の西岡善信、衣裳は『乱』(1985)『宋家の三姉妹』(1998)のワダエミ、音楽は『戦場のメリークリスマス』(1983)『ラストエンペラー』(1987)の坂本龍一。キャストはビートたけし、松田龍平、武田真治、崔洋一、浅野忠信、トミーズ雅、坂上二郎。
池田屋襲撃のあと、西本願寺に本陣を移転させた新撰組。加納惣三郎(松田)と田代彪蔵(浅野)は新隊士の試験に合格した。その夜、田代は加納を抱く。一方、以前、衆道(男色)で隊の規律が乱れた経験を苦々しく思っている土方歳三(ビート)は、加納のあまりの美少年ぶりを心配して近藤勇(崔)にその事を相談するが、取り合ってもらえない。そのうちに、加納は衆道に目覚める。加納は腕が立つだけに、何とか女の道に目覚めさせようとする土方だが、彼を取り巻く他の隊士にも加納を求める者が出始める。遂に、隊士が何者かに襲われ始める。現場に田代の小柄が落ちており、近藤は田代を加納に討たせる命令を出す。立会人として土方と共に随行した沖田総司(武田)は、「雨月物語」の「菊花の約(ちぎり)」の話を持ち出し、「この話に出てくる2人は、衆道であったろう」と言う。土方は、加納と沖田の逢い引きの幻を見る。
私、大島渚という男を軽んじていました。いや、彼は何にもしていない(訳はないのだが)のかも知れないが、スタッフ・キャストの行き詰まる程の緊張感が、スクリーン上からキンキンに伝わってくるのだ。物凄い達成感。それを享受できる喜び。そんなものが立ちこめている。
よくもまぁ、あれほどの殺陣を練習したものだ(あくまで素人目ではあるが)。
しかし、聞けば、新撰組のチャンバラとか男気とかは、はっきり言ってどうでもよくて、あくまで“御法度”を、松田龍平という人間で表現したかったらしい。脚本の段階で周囲固めをしているうちに、質・量共に高まってきたのだ。
あら探しをいくつか。ビートたけしがせっかく語り部をしているのに、佐藤慶がいきなりナレーションを入れるのはいただけない。浅野忠信が松田龍平を稽古で追い回しているときに、掛けてある竹刀にぶつかる。アクシデントなのだろうが、浅野はそれに振り向いてしまう。いかん。松田は、衆道とはいっても“ネコ”役(“受け身”のほう。逆は“タチ”です、為念)なんだから、もっと上目遣いのアングルがよろしいんじゃないでしょうか。
いみじくも、ベルナルド・ベルトリッチが「the SOE(the Srecial Oshima Effect;大島監督の特別な感情表現方法)」という表現で、大島作品を評価している。みなさんも、「the SOE」を経験されてはいかが?少なくとも、日本映画も捨てたもんじゃないって気にはなると思うよ。
『海の上のピアニスト』
観た日:1999/12/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★☆
監督・脚本は『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)『明日を夢みて』(1995)のジュゼッペ・トルナトーレ、音楽は『天国の日々』(1978)『アンタッチャブル』(1987)『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)のエンニオ・モリコーネ。主演に『レザボア・ドッグス』(1991)『ロブ・ロイ/ロマンに生きた男』(1995)のティム・ロス、共演に『エンゼル・ハート』(1987)『JFK』(1991)のプルート・テイラー・ヴィンス、ピーター・ヴォーン、メラニー・ティエリー。
楽器店にトランペットを売りに来たマックス(プルート)は、最後に一曲吹かせてくれと店主(ピーター)に頼み、思い出の曲を吹く。ところが店主は、割れてつぎはぎされたレコードを持ち出してきてそれをかける。流れてきたのは、まさにマックスが吹いた曲だ。題名のないその曲について、マックスは話し始めた。移民でごった返す船の上で生まれ、そのまま捨てられ、機関士に拾われた赤ん坊は、1900年最初の月に生まれたことから「ナインティーン・ハンドレッド」と名付けられる。彼には驚くべき才能が備わっていた。誰もが一度聴いたら忘れられないようなメロディをピアノで奏でることが出来たのだ。やがて、マックスは彼(ティム)と共に、船のバンドで一緒に演奏することになる。幾年か過ぎ、マックスはバンドを辞職、船を下りた。・・・その船が明日、洋上で爆破処理されるのを知ったマックスは、その船に未だナインティーン・ハンドレッドが乗っていることを確信し、彼を捜しに船に乗る。
練り込まれた脚本と、期待に応えきる俳優陣が素晴らしい。特に、ティム・ロス。ピアノの猛特訓で、圧倒的な演奏シーンを熱演している。プルート・テイラー・ヴィンスの演技もよい。
エンニオ・モリコーネは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督から原作の紹介をされた時点で、既に作曲を開始、脚本よりも先に楽曲が感性するという、物凄い事をしでかした。
・・・って、あんまり乗り気でない感想文なのは、ズバリ、エンディングが気に入らないからだ。ナインティーン・ハンドレッドは、良く言えば純真無垢の男だが、ハッキリ言えば、自分の殻=船の上から外の世界へ踏み出すことの出来ない世間知らずの臆病者だ。マックスは、ぶん殴ってでも彼を船から引きずり降ろすべきだったのだ。たとえそれで“天賦の才”であるピアノが弾けなくなっても。
数々のピアノの演奏シーンを楽しめれば、それでいいんじゃない?という作品。と言ってしまうと、トルナトーレフリーク・『ニュー・シネマ・パラダイス』フリークに怒られそうだが。
1つだけ真実を。どうしてイタリア人の男の子は、あんなにかわいいんだ!
『ワイルド・ワイルド・ウエスト』
観た日:1999/12/03 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★
製作・監督は『アダムス・ファミリー』(1991)『メン・イン・ブラック』(1997)のバリー・ソネンフェルド、脚本は『ショート・サーキット』(1986)『ニューヨーク東8番街の奇跡』(1987)『トレマーズ』(1990)のS・S・ウィルソン&ブレント・マドックと『ロジャー・ラビット』(1988)『ドク・ハリウッド』(1991)のジェフリー・プライス&ピーター・S・シーマン、撮影は『ハスラー2』(1986)『ブロードキャスト・ニュース』(1987)『ドラキュラ』(1992)『アウトブレイク』(1995)のマイケル・バルハウス、A.A.C.、美術は『カラー・パープル』(1985)『シザーハンズ』(1990)『バットマン・リターンズ』(1992)『パーフェクト・カップル』(1999)のボー・ウェルチ、衣裳は『E.T.』(1982)『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い』(1994)『タイタニック』(1998)のデボラ・L・スコット、音楽は『十戒』(1956)『モダン・ミリー』(1967)『レインメーカー』(1997)のエルマー・バーンスタイン、特撮はILM。主演に『インデペンデンス・デイ』(1996)『メン・イン・ブラック』(1997)『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)のウィル・スミス、共演に『ソフィーの選択』(1982)『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988)『イン&アウト』のケビン・クライン、『ヘンリー5世』(1987)『ハムレット』(1998)のケネス・ブラナー、『デスペラード』(1995)のサルマ・ハエック。
1869年、第9黒人騎兵隊大尉のジェイムズ・ウェスト(ウィル)は、先の南北戦争でのイリノイ州ニュー・リバティー大量虐殺の主犯である元・南軍のマグラス将軍を追いつめるが、女装したアーティマス・ゴードン(ケビン)とのトラブルで取り逃がす。ゴードンは合衆国法執行官で、国内の著名な科学者が相次いで誘拐された事件を追って、やはりマグラス将軍にたどり着いたのだった。2人は大統領の任を受け、スーパーSL「ワンダラー号」で、マグラス将軍とその背後にいると思われる天才科学者アーリス・ラブレス(ケネス)を追跡する。紆余曲折の末、なんとかラブレスの秘密基地にたどり着いた2人だが、しかし彼らを待ち受けていたのは、25メートルもある巨大な鉄のタランチュラを操るラブレスだった。彼は大統領を誘拐し、合衆国を譲れと脅迫する。
制作総指揮が5人、製作が2人、脚本家が4人に原案が2人もいて、オスカースタッフが目白押しの、ワーナー・ブラザーズ社の大商業映画。アメリカでは、7月4日の独立記念日の週に封切られる映画には、大袈裟に言えば社運を賭けた大作を各社持ってくるらしいが、この『W・W・W』は、今年大勝ちした作品だ。
この映画で出てくるヒロイン・リタ(サルマ)の扱われ方。美貌があって、男によろめきやすくて、ちょっと足りなくて、ヒーローの足を軽く引っ張ったりして、最後には消えてしまう、という、この描かれ方。こんなの作ってたら、女性の地位なんて、男の下のままだ。あるいは言い方を替えると、女性擁護団体の化粧の濃いおばちゃん達の気勢が揚がるだけだ。
まぁ、監督はバリー・ネソンフェルドで、主演はウィル・スミスだもの、「アメリカ大好き!アメリカは正義!アメリカは正しい!」というメッセージが、痛いほどスクリーンから溢れてきていて、そのあっけらかんとした脳天気の様が、かえって小気味いいとは言える。
VFXについては、今更へっ!という感じである。凄いことは凄いけど。ILMだもん。衣裳と美術には注目する価値がある。
制作費1億超ドルのポップコーンムービー。それ以上の価値は見いだせないが、しかしこの手の映画は、やっぱり大スクリーン&サラウンドスピーカーで楽しむのがセオリーだ。
『ウェイクアップ!ネッド』
観た日:1999/12/03 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★
監督・脚本はイギリスのCM界では有名な(らしい)カーク・ジョーンズ。キャストにイアン・バネン、デヴィッド・ケリー、フィオヌラ・フラナガン、スーザン・リンチ、ジェイムズ・ネズビット。
南アイルランドに浮かぶ小島のうら寂れた漁村。年寄りばかりのこの村に、宝くじの当選者がいる。これを突き止めようとするジャッキー(イアン)とマイケル(デヴィッド)は、ネッドがその人だと知るが、ネッドは当たりくじを握ったまま心臓麻痺で昇天していた。当たり額はなんと6,894,620アイルランドポンド!ジャッキーはマイケルに、ネッドになりすまして賞金を受け取る詐欺を思いつく。調査員が訪れ、なんとかやり過ごしたマイケル。しかし最後に調査員は「次回、村の人に、あなたがネッドさんであることを訪ねます」と告げる。まずい!これは、村人全員(といっても52人しかいないが)を巻き込むしかない!
スタッフもキャストも知らないが、間違いなく傑作!こういう上等なコメディに出会うと、幸せになる。
ジャッキーもマイケルも村人も、あっけらかんとした結束力で困難(!)に立ち向かう。子供も臨時赴任の牧師も、みんな。その結束力が心地よい。さらに、教会でネッドの葬儀を行っていてジャッキーがスピーチしようとしたとき、調査員が入って来る場面。全員が固唾を飲んで見守る中、ジャッキーはマイケルに目配せをして、マイケルの葬儀にすり替えてしまうのだ。きっと、ジャッキーとマイケルは、生まれて間もなくからずっと親友同士なのだろう。そんなこんながこの名場面でのスピーチに息づく。
そして、死んだはずのネッドが、いつも村人全員を見守っている。彼の視線を常に感じる。それは、非難の目ではなく、慈愛のまなざしだ。
年寄りばっかりの映画。しかし、老優というのは、なんて滑らかな立ち振る舞いをするのだろう!そして、永久に変わらぬ友情に尊敬を!
ところでマイケルの、裸の後ろ姿。年取っちゃってお尻の肉が落ちちゃってるから、キンタマ見えてるゾ!
『プリティ・ブライド』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★
監督は『プリティ・ウーマン』(1990)のゲーリー・マーシャル、脚本はサラ・パリオットとジョナサン・マクギボン、衣裳デザインはアルバート・ウォルスキー、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。主演に『プリティ・ウーマン』(1990)『八月の狂想曲』(1991)のにやけ男リチャード・ギアと『プリティ・ウーマン』(1990)『ペリカン文書』(1993)『ノッティングヒルの恋人』(1999)のジュリア・ロバーツ。
ニューヨークで新聞のコラムを書くアイク(リチャード)は、バーで何度も結婚式の最中に逃げ出す花嫁の事を聞き、記事にするが、その内容に間違いがあるとして本人から抗議文が届き、嘘を載せたとして新聞社をクビになる。アイクはその“ランナウェイ・ブライド”のいる田舎町に出向く。そこで出会ったのは、魅力的なマギー(ジュリア)だった。彼女は4度目の結婚式を目前にしていた。アイクはマギーを取材するうちに、彼女が自分というものを未だ持っておらず、相手の男性に合わせているうちにそのギャップに耐えられなくなり、結婚式のドタキャンを繰り返すことに気付く。それを彼女に告げるが、マギーもアイクに「あなたの記事にはあなた自身の事が一切書かれていない。あなたも、自分を知らない」と言う。しかし2人は、お互いに惹かれ始めていることに気付く。4度目の結婚式をキャンセルしたマギーは、予約した一式をアイクとの結婚につぎ込む。噂を聞きつけたマスコミの取材が殺到するなか、結婚式が始まる。
特に書くことありません。『プリティ・ウーマン』が美味しかったので、もう一度、女性客の財布からお金を頂戴しようという、姑息な映画。
音楽もせこい!最近の流行だが、さもありなん風な顔をして、昔のヒット曲を並べて、サウンドトラック盤を売ろうとする、最低の金の亡者どもだ。
1つだけ。ジュリア・ロバーツのでかい口が何に似ているかが、映画の中で遂に判明した。カモノハシである。まぁ、観ればわかる。でも、観てもつまらないぞ!
『黒い家』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★
監督は『失楽園』(1997)『39 刑法第三十九条』(1999)の森田芳光、脚本は大森寿美男、撮影は北信康、編集は田中槇二。キャストに内野聖陽、大竹しのぶ、西村雅彦、田中美里。
金沢で生命保険会社に務める若槻(内野)は、ある日「自殺したら保険金はおりるのか」という電話をもらう。翌日、顧客の菰田重徳(西村)がクレームを持ち込み、指名された若槻は彼の家に行く。そこには菰田の息子が首を吊っていた。その後、毎日のように菰田と妻の幸子(大竹)が会社に保険金の受け取りの催促に訪れるようになる。若槻は、菰田夫妻の過去を調べ始めるが、彼らは小学生時代の同級生だったこと、幸子は再婚であること、重徳は以前に左手親指の切断により高度障害の給付を受けていること、などがわかった。また、心理学を先攻する恋人・恵(田中)らの協力により、小学生のときの文集の作文から、重徳は情緒性欠如者である疑いが出てくる。多くの疑問が噴出する中、今度は重徳が両腕を切断するという事故が起こった。そして若槻の自宅に嫌がらせのFAXが届く。
原作は、貴志祐介の第4回日本ホラー小説大賞作。
森田組の最新作で、前作『39』に似通った臭いがしなくもない。森田監督の演出は独特で、登場人物全員が何らかの精神障害を煩っているかのごとく独特である。端的なのが話し方。必要な時に目を見ない。小声。さらに、今回は音響や照明で“異常さ”を誇張している。また、森田監督は「ポップでキャッチーなホラー映画」を目指したらしい。編集にその苦労が見て取れる。が、映画全体に漂う臭いが異常なので、私にはポップ感はあまり感じなかった。
大竹しのぶがいい。こんな巨乳だったけ?と思いパンフレットを見たが、あれは詰め物らしい。なら、「乳吸え〜!」と吼えるシーンのおっぱいも、別物か。
下らない勘違い映画の多い日本で、個性のある数少ない映画監督の作品。観ておいて損はないと思う。
しかし、あんなにアドリブや思いつきを連発するような現場(らしい)では、脚本家はたまったもんじゃないな。
『リトル・ボイス』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★☆
監督・脚本は『ブラス!』(1996)のマーク・ハーマン、脚本・原戯曲(原作のミュージカル)はジム・カートライト、音楽はジョン・アルトマン、編集はマイケル・エリス。主演に『メンフィス・ベル』(1990)『ライフ・イズ・スウィート』(1991)の“天才”ジェイン・ホロックス、共演に『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)『秘密と嘘』(1996)のブレンダ・ブレシン、『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)『スター・ウォーズT/ファントム・メナス』(1999)のユアン・マクレガー、『アルフィー』(1966)『ハンナとその姉妹』(1986)のマイケル・ケイン。
リトル・ボイス(LV)(ジェイン)は、口やかましい母マリー(ブレンダ)とは正反対の、自閉で内向的な少女で、いつも亡き父の形見のオールディーズのLPレコードを聞いている。2人の家に電話がついた。電話屋のビリー(ユアン)は、鳩を唯一の友とするこれまた内気な少年だが、LVが気になって仕方がない。ある日、マリーは飲み屋で知り合った興行師のレイ(マイケル)を家に連れ込んだ。停電の中、2階からLVの歌声が聞こえてきた。それは、まさにジュデイ・ガーランドの「虹の彼方に」に他ならない!レイは、LVの天才的な歌とその物真似を惚れ込み、ぜひステージに立ってくれとお願いするが、LVは人前で歌うなどまっぴら御免!しかし、彼女の歌は金になる。無理矢理クラブに引っぱり出したLVは、そこで愛する父の面影を見て、勇気が湧き、歌い始める。金の卵を見つけたレイとマリーは、次の舞台のセッティングをする。
……最初、ジェイン・ホロックスの歌を見て、「こりゃ〜上手な吹き替えだ。実際に歌ってはいるようだが。しかし、よくジュディ・ガーランドやマリリン・モンローやビリー・ホリディのカラオケがあったもんだ」と思った。だから、確かに良い出来(ただしエンディングに至る10分間は「?」)の映画だが、もう観なくてもいいや、と考えていたのだ。しかしパンフレットのライナーノーツを読んで、脳天に火花が散った。あの「歌」は、吹き替えではなかった。ジェインが自ら歌っていたのだ!
まさに、世紀末のジュリー・アンドリュース!しかも、原題は1992年初演の舞台劇『The Rise and Fall of Little Voice』で、ジェインはそこでLVを演じ続けていたのだった。
そして、脇役が素晴らしい。特にマリーを演じるブレンダ・ブレシンの怪演!色と金に狂った中年女の滑稽さと執念と悲哀を、体中からほとばしらせる。そして、マイケル・ケイン演じるレイと、金子地獄の火に炙られていくのだ。
圧巻のステージと、かくも醜い大人の欲を頑なに拒絶するLV。エンディングの処理が未消化なので後味の悪さはあるが、しかし、“奇蹟の女優”ジェイン・ホロックスを、是非とも観に行ってもらいたい。
『梟の城』
観た日:1999/11/26 お薦め度:★★ もう一度観たい度:☆
監督・脚本は『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『写楽』の篠田正浩、合同脚本は成瀬活雄、美術は西岡善信、衣裳は朝倉 摂。主演は中井貴一、共演に鶴田真由、上川隆也、葉月里緒菜、マコ・イワマツ、小沢昭一、中尾 淋、根津甚八。
織田信長に滅ぼされた伊賀の里。その恨みを晴らすべく潜伏する忍者たちは、しかし時代が豊臣秀吉(マコ)に移り、復讐の機会を逸する。そんな忍者の1人である葛籠(つづら)重蔵(中井)は、茶道の大家である今井宋久(小沢)から「秀吉暗殺」の依頼を受ける。忍びとしての生き様を捨て功名を欲す風間五平(上川)、雑技団として市井になじむ木さる(葉月)、徳川家康(中尾)に庇護されている甲賀忍者の長・服部半蔵(根津)に心を支配され、葛籠に近づく小萩(鶴田)。幾度の失敗と犠牲を乗り越え、葛籠は遂に大阪城に忍び込む。
原作は司馬遼太郎。直木賞作である。
まず脚本&編集。へったくそ!観客サービスかなんか知らないが、意味無し濡れ場に吐き気。
次に映像。冒頭の織田勢が伊賀の里を襲うシーンで、照明や煙に、赤や青の色を付けてる。グレート・クロサワのまねである。これでもうアウト。大阪の町などの遠景にCGを使い、この辺はまぁ少しは頑張ってるかなとも思ったが、夜の忍者シーンは昔のアメリカTV(『コンバット』とか『ララミー牧場』とか)みたいに昼撮り!個人的に、大嫌いな手法である。
編集もダレダレ!
加えて、中井貴一をはじめキャスト連中が、舞台役者みたいな節回し(北野武が最も忌み嫌うあのしゃべり方だ)でセリフを吐きやがる!唯一はマコ・イワマツ。さすがはハリウッド俳優だ。
以上、本邦初の、もう一度観たい度で星0個のクソ映画でした。
篠田、司馬の墓前で腹を斬れ!
『シックス・センス』
観た日:1999/11/09 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★
監督・脚本は29歳の天才M.ナイト・シャマラン、制作総指揮にサム・マーサー、制作に『E.T.』『ポルターガイスト』『生きてこそ』のフランク・マーシャル&キャスリーン・ケネディ(ケネディ/マーシャル・カンパニー)とバリー・メンデル、特殊メイク(SFX)に『エイリアン2』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』『シザー・ハンズ』のスタン・ウィンストン・スタジオ、視覚効果(SFX)は『プレデター』『ザ・ロック』『アルマゲドン』のドリーム・クエスト・イメージズ、撮影監督は『羊たちの沈黙』『フィラデルフィア』『青いドレスの女』のタク・フジモト。主演に『ダイ・ハード』『フィフス・エレメント』『アルマゲドン』のブルース・ウィリスと『フォレスト・ガンプ/一期一会』のハーレイ・ジョエル・オスメント、『ポストマン』のオリビア・ウィリアムス、『ミュリエルの結婚』『ベルベット・ゴールドマイン』のトニ・コレット。
小児精神科医のマルコム(ブルース)は、フィラデルフィアで何人もの子供を治療してきた。しかし、市長から表彰された日に、ビンセントというかつての患者に銃で撃たれてしまう。翌年の秋、マルコムは1人の患者と出会う。彼はコール(ハーレイ)。たった1人の家族である母親のリン(トニ)にも心を閉ざしている8歳の少年だ。マルコムは、妻のアンナ(オリビア)との関係を修復できぬまま、コールに歩み寄ろうとする。マルコムを認め始めたコールは、今まで誰にも打ち明けなかった秘密を打ち明ける。「僕、死んだ彼らが見える」。コールは、かつての救えなかった、自分を撃ったビンセントに症状に似ていた。コールの言葉を信じられないマルコムは、ビンセントとの治療の際の録音テープを聞き返す。すると、微かに、スペイン語で「死にたくない」と繰り返すビンセントの言葉が聞き取れたのだった。コールは嘘をついていない。直感したマルコムはコールに、見える死者に話しかけ向き合うことを提案する。コールは、自分の“第6の感覚=シックス・センス”と対峙し始める・・・
不協和音の音楽とのバランスが恐怖感を効率よく高めているとか、不安定に揺れるカメラワークが益々ゾッとさせるとか、もちろんその通りなのだが(「新感覚スリラー」と称される謂われである)、違う違う!
断言する。これは“ホラー”でも“スリラー”でもない!親子・夫婦・友人という絆を描く力作である。親子の絆は、あらゆるお互いの無知を凌駕する。夫婦もまた同じ。
決して嘘ではない。席を立つ観客が、みんな泣いている。ホラーじゃ泣かないだろ?
M.ナイト・シャマラン!この監督の名前を刻み込め!エンターテインメントの全てを1本のフィルムにぶち込む本能は、インド出身のなし得る技なのか?
完全オリジナル脚本、それがなし得た世界一のバックアップ、ブルース・ウィリスのいいおじさん風な好演、そしてそして、神童ハーレイ・ジョエル・オスメント。総てが、完璧な融合をなし得ている。
ことにハーレイ。アカデミー主演男優部門の最年少ノミネート確実、とまで言われている彼。この彼を観るだけの目的でもいい。是非、劇場に足を運んで欲しい。
言いたいことがあり過ぎて、でも、映画の冒頭でブルースと、絶対に内容を話さないって約束したから、これ以上は秘密。
ただし、これだけは言える。スクリーンで観ろ!
(読者の投稿がありますので、こちらもお読み下さい。 投稿1 )
Let's go to
『ムービーランド』 's Homepage !