ムービーランド
店長の 映画言いたい放題 1-100

★=1ポイント、☆=0.5ポイントで、最高は5ポイントです。


『スペーストラベラーズ』
観た日:2000/04/11 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1999)の本広克行、脚本は岡田恵和。キャストは金城武、深津絵里、安藤政信、池内博之、渡辺謙、甲本雅裕、武野功雄、筧利夫、鈴木砂羽、ガッツ石松、大杉漣、濱田雅功。

孤児院からの付き合いの保(金城)・誠(安藤)・功(池内)の3人は、幼い頃に夢見た南の島へ行くために、銀行強盗を思いつく。しかし押し入った先のコスモ銀行では、予期せぬ出来事が次々に起こり、結局ロビーに残った人たちを人質にして立てこもることになる。そのメンバー構成から、誠は自分たちを人気TVアニメのスペーストラベラーズに例えた。次第に連帯感を覚える彼らをよそに、外では警察が突入の機会を待つ。そして夜が明け、銀行内のすべてのロックが解除される。

『踊る〜』で味をしめた本広克行が、同じテイストで作った映画。“同じテイスト”というのは、大筋のストーリーとは別に、細かい細かい伏線をこれでもか!とばかりに盛り込むことである。まさに、何度も映画を観るかビデオを借りろ!と言いたげである。伏線の質が、スティーブン・キングのそれとは全然違う。違うが、観る側に本広カラーに対する拒否反応がなければそれもよかろう。
この映画のもう1つの特徴は、登場人物の役回りにある。原作は舞台劇『ジョビジョバ大ピンチ』だが、それが理由になっている。演出も含めて『ラジヲの時間』(1997)に近いものを感じる。
ただし、この作品のテイストは、あくまでTVドラマの2時間スペシャルという感じで、映画というジャンルのものではないと思う。スクリーンという場所で発表する必然性がないと感じる。だから、中身はつまらなくはないが、残るものもなかった。
深津絵里、巧すぎる。困った。見方によっては、男の目を気にした“媚び”とも取れそうな演技だが、エンディングのロングカットの涙と表情の展開は、舌を巻かざるを得まい。
金城武は、日本語も上手になったし、視線の持って行き方もよい。渡辺謙はごつくてよい。濱ちゃんは何でキャスティングされたのかワカラン。ガッツ石松は地でやってるが大根なのか巧いのかワカラン。大杉漣は情けなさが巧い。安藤政信は『キッズ・リターン』(1996)より順調に伸びていてよい。全体に、俳優が伸び伸びやっている。脚本をよく理解している証拠だと思う。現場の雰囲気も良かったのだろう。
警察の対応のすべてが、おままごとというか飾り物というか、本物もこんなもんなんだろ〜な〜と思わせてしまうところが、笑える部分でもあるし情けない部分でもある。『シュリ』を見習えとは言わないが(日本は、臨戦態勢ではないからね。安全な国でもないと思うけど)、「ど〜せこんなもんだろう」感が滲んでいるね。
本広監督に、2匹目のドジョウはいなかった。けど、次回作までは結論を出すのは早いと思う。


『ロッタちゃんはじめてのおつかい』
観た日:2000/04/05 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

原作はアストリッド・リンドグレーン、監督・脚本はヨハンナ・ハルド、制作はワルデマル・ベルゲンダール。主演はグレテ・ハヴネショルド、共演はマルティン・アンデション、リン・グロッペスタード、クラース・マルムベリィ、ベアトリース・イェールオース。

ロッタ(グレテ)は5歳の女の子。ブタのぬいぐるみのバムセといつも一緒。意志が強く、気に入らないことが多くていつもふくれっ面だ。今日も、ママ(ベアトリース)が着せようとするチクチクのセーターが気に入らない。ハサミで切ってしまった後、隣のおばさんの物置小屋の2階に家出した。お兄ちゃん(マルティン)やお姉ちゃん(リン)が遊びに来たり、ママやパパ(クラース)が呼びに来ても、家に帰らないと言って聞かない。でも夜になって、屋根から吊り下がっているいろいろなものを見ているうちに恐くなったロッタは、パパが迎えに来てくれたのにホッとしたが、強がって「パパとママが帰って欲しいなら帰ってあげる」と言う。

1993年のスウェーデン制作。童話『長くつ下のピッピ』で有名な原作者の、もう一つの有名シリーズの映画化である。オムニバスで、『ロッタちゃんのひっこし(上記概要)』『ロッタちゃんとクリスマスツリー(大雪で町ではもみの木が足りず、ツリー無しでクリスマスを迎えることとなったロッタちゃんの家族は・・・)』『ロッタのひみつのおくりもの(復活祭間近だというのに町のお菓子屋さんが店じまい、パパはお菓子の詰まったイースターエッグが手に入らず、家族はガッカリ・・・)』の3つの原作からなる(いずれも絵本として出版中)。
アストリッド・リンドグレーンは1907年生まれの92歳、スウェーデンの国民的作家で、ここ数年ノーベル文学賞の候補になっているという(自国の賞だからなかなかもらえない?)。撮影は、彼女の功績を称えるテーマパーク『アストリッド・リンドグレーン・ヴェールド』で行われた。
さて、主役のグレテ・ハヴネショルド。500人のオーディションから選ばれたということだが、彼女は当時5歳。眩むようなエネルギーを体中から放つ、可愛い可愛い女の子である。原作はともかく、彼女の抜擢がこの映画の成功を保証したようなものだ。
共演者もみな明るく巧い。
バイキングの時代より隣国から恐れられた強国。ダイナマイトを発明した国。ウィンタースポーツのメッカ。オーロラの降り注ぐ所。私の脳味噌からはその位しか引っぱり出せないが、しかしこんな映画を作り出せるからには、1度は行ってみなければなるまい。


『グリーンマイル』
観た日:2000/03/29 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本・制作は『ショーシャンクの空に』(1994)のフランク・ダラボン、原作は“キング”スティーブン・キング、撮影は『コン・エアー』(1997)『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999)のデヴィッド・タッターソル、編集は『セブン』(1995)『ショーシャンクの空に』のリチャード・フランシス=ブルース、美術は『ドクトル・ジバゴ』(1965)『オリバー!』(1968)のテレンス・マーシュ、SFX/VFXはご存じILM、アニマルトレーナーは『マウス・ハント』(1997)のブーン・ナールと『ベイブ』(1995)のチャールズ・ギブソン。主演に『スプラッシュ』(1984)『アポロ13』(1995)『プライベート・ライアン』(1998)のトム・ハンクス、他キャストに『アルマゲドン』(1997)のマイケル・クラーク・ダンカン、『ザ・ロック』(1996)『交渉人』(1998)のデヴィッド・モース、『Xファイル・ザ・ムービー』(1998)のジェフリー・デマン、『プライベート・ライアン』のバリー・ペッパー、『ベイブ』『ディープ・インパクト』(1998)のジェームズ・クロムウェル、『評決のとき』(1996)のダグ・ハッチソン、『ヘアー』(1979)『ラスベガスをやっつけろ』(1998)のマイケル・ジェター、『セレブリティ』(1998)のサム・ロックウェル。

老人ホームのリビングルームのTVで昔の映画『トップハット』がかかったとき、ポールは思わず涙を流した。女友達がその訳を聞くと、彼は以前務めていた刑務所内での出来事を話し始めた。1935年、ポール(トム)は死刑囚を収監しているE棟の主任で、やがて死刑にされる囚人達に慈愛と節度を持って接していた。ある日、少女2人を強姦殺人した罪で捉えられた巨体の黒人、ジョン・コーフィ(マイケル)がやってきた。彼は見た目とは裏腹に、暗闇に怯える穏やかな男だ。ところが尿道炎で苦しんでいたポールを呼び寄せると、彼に触れ、たちまちに治してしまう。驚くポールは、ジョンの犯した罪に疑問を抱く。さらに、E棟にいつのまにか居着いたネズミのMr.ジングルズが踏みつぶされたときも、ジョンは瞬く間に生き返らせたのだ。ポールと看守達は、規則を犯し、脳腫瘍で命幾ばくもない妻を抱える所長のムーアズ(ジェームズ)の家へジョンを連れていき、奇跡の力で彼女を救う。その後のやり取りから、ポールはジョンの無実を確信したが、彼の死刑執行を覆すだけの力は、ポールにはない。そして、ついにその日がやってくる。

四の五の説明すればするほど、自分の稚拙さが恨めしくなる映画。素晴らしい!
上記の要約は、全くの手抜きというか、いい加減である。したり顔で全てを書き記せないほどの濃密さが、本作にはある。何よりも、原作のスティーブン・キングを褒めるべきだろう。そして、これほどの脚本を仕上げたフランク・ダラボンも!
あらゆるキャストが持てる能力を最大限に発揮しているのが容易に知れ、3時間超の作品をまったく長く感じさせない。
ジョン・コーフィの、何にも代え難い無垢なる眼差しが、曇り、苦しみ、喜ぶ。活動写真を観たいという最期の願いがかなえられたときの、映写機をバックにした彼のアップの映像は、あたかも彼の背後から後光が差しているかのようであった。
静かで深い涙を幾度となく流させる映画。スピルバーグが試写で4回泣いたというエピソードも頷ける。
パンフレットのキャスト紹介のページが秀逸である。
何でもいいから観ろ!とにかく観ろ!必ず観ろ!!!


『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
観た日:2000/03/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★

監督は『パリ、テキサス』(1984)『ベルリン・天使の詩』(1987)のヴィム・ヴェンダース。キャスト(演奏者)に『パリ、テキサス』『エンド・オブ・バイオレンス』(1997)のライ・クーダー(ギター)、ルーベン・ゴンザレス(ピアノ)、イブライム・フェレール(ボーカル)、エリアデス・オチョア(ギター)、オマーラ・ポルトゥオンド(ボーカル)、コンパイ・セグント(ギター)、オルランド・“カチャイート”・ロペス(ベース)、マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール(トランペット)、バルバリート・トーレス(ラウー:キューバの弦楽器)アマディート・バルデス(ティンバレス:パーカッション)。

第二次大戦後、クーデター・革命・社会主義と、世界に紛争の臭いをまき散らし、今もなお経済制裁を受けるキューバ。ここには豊かな音楽の文化があった。1950〜60年代、時代の波を越え才能を開花させた多くのミュージシャン達は、年を経るにつれ、ある者は忘れ去られ、ある者は音楽を捨てた。そんな彼らが数十年振りに、今度はバンドという形態で集う。その名は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。圧倒的な喝采を受けた同名のアルバムをひっさげ、遂に憧れのカーネギーホールの舞台に立つ。

詳しくは知らないが、アメリカのメジャーレコード会社が、高齢化する現代に対し、どのようにCDセールスを成功させるかと思案して、若年層にではない中高年層に対する音楽を探し求めた結果、サルサを含めたキューバ音楽に注目、“過去の偉人”とされていた彼らを1つのバンドにまとめた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、目論見通り大ヒットした。その彼ら1人1人にスポットを当て、その生き様をなぞると共に、キューバ・ハバナの町並みをスナップしている。
長大なプロモーションビデオと言えなくもない。このバンドの生い立ち自体、商売の臭いがプンプンする。しかし演奏する彼ら(最高齢は92歳!のコンパイ・セグント)と、彼らの生きてきた道に、嘘はない。
前評判も観覧後の感想もピカイチの作品ですが、ど〜なんでしょ?私は、ちょっと寝ちゃいました。流れる音楽は心地よいけれど。
ただし、カーネギーホールでのスタンディングオベーションには、ホロリときました。喝采には弱いのでした。


『WILD ZERO』
観た日:2000/03/27 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督・脚本は竹内鉄郎、キャストはロックバンドのギターウルフ、『二十歳の微熱』(1993)の遠藤雅、稲宮誠、仲条春香、シティチャイ・クワンチャイル。

エース(遠藤)は、ロッケンロールのスーパーバンド・ギターウルフに憧れる少年だ。ライブハウスのオーナー室でギターウルフとオーナー(稲宮)との争いに飛び込んだエースに、ギターウルフは「何かあったらこれを吹け」と笛を渡す。次の日、隣町のギターウルフのライブへ向かうエースは、ゾンビが町に溢れているのに気付く。それは宇宙から飛来したUFOの仕業だった。途中で出会った少女トビオ(シティチャイ)が気にかかり、彼女を救出するが、ゾンビに追い詰められる。一方、武器商人の山崎(仲条)は、同じくゾンビに悩まされていた。ギターウルフは、エースの吹く笛に気付き、彼を救出に向かう。かくして、山崎の武器を手に、ギターウルフはゾンビ・UFOと壮絶な戦いを始める。

エネルギー爆発なのは買おう。フィルムが汚いのは目をつぶろう。やってみたい要素をしこたま盛り込んだのも良しとしよう。
しかし、肝心のギターウルフというバンド、音はともかく、言葉が聞き取れない。歌詞を読む限りではかなり期待していたのだが。歌手論をぶちあげる気はないが、伝えたいメッセージを伝えられないのでは、どんなに個性的な歌詞を書いたって意味がないのではないだろうか?勢いがあるのはわかったんだけどね。結局のところ、彼らのプロモーションビデオ、というか、彼らのファンに対するサービスフィルムの域を出ていない気がする。
タイでロケをしたそうだ。ゾンビも、現地で募集したという。シティチャイなんて、ディスコでナンパしたらオカマだったけど、あんまり可愛いのでヒロインにした、という。いい加減だが、結果オーライだった。
チープ感と貧相をはき違えている映画。と、ここまで言ったら言い過ぎかなぁ。


『ナビィの恋』
観た日:2000/03/03 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★!

監督・脚本は『パイナップル・ツアーズ』(3話オムニバスの第2話を担当)(1992)『パイパティローマ』(1994)の中江裕司、撮影は『月山』(1979)『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(1986)『ラヂオの時間』(1998)の高間賢治。主演は『ひみつの花園』(1997)『学校の怪談3』(1997)の西田尚美、他キャストに平良(たいら)とみ、村上淳、登川誠仁、平良進、兼嶋麗子。

東京でのOL生活にけりをつけて、生まれ故郷である海と空と音楽の島、沖縄・粟国(あぐに)に戻ってきた東金城(のぼりきんじょう)奈々子(西田)は、恵達おじぃ(登川)とナビィおばぁ(平良とみ)に暖かく迎えられる。おじぃは三線(サンシン)を片時も離さない。おじぃの牧場で寝ていた福之助(村上)は、住み込みで牛飼いの手伝いをすることになる。一方、同じく島に60年振りに戻ってきたサンラー(平良進)に、おばぁは慌てふためく。彼とおばぁは60年前の恋仲で、東金城家の一方的な都合で引き裂かれた後、サンラーは永らくブラジルに渡っていたのだ。「きっと迎えに来て下さい。いつまでも待ちます」という心に秘めた想いに身を焦がされるおばぁ。

どうみても貧乏だが、音楽と一緒に全てを(運命をも)受け入れ明るく暮らす島人。ウチナンチュ(島)はヤマトンチュ(本土。映画ではズバリ「日本」といっている)にはない『豊かさ』を持っている。その辺もこの映画の意図した部分だろう。文化が違うのだ。歴史にも、ここは独立した文化圏だ。国家という概念であれば日本ではあるけれど、字幕をいれなければならないほどに聞いても解らない琉球語が、その一つの証明だ。・・・今回、初めてこれが韓国語に似ているな、と思いました。耳触りのイメージだけですが。
脚本が秀逸。破綻無く“60年振りの恋”を描ききっているし、奈々子・福之助・恵達や、島の人たちを見事にキャラ立ちさせている。つぼを心得たカメラも巧い。
登川誠仁は、三線の早弾き“カチャーシー”の名手で、その筋にはつとに有名な人物らしい。役者なんぞ本来ならお断りのところを、中江監督の三顧の礼で仕方なく引き受けたそうだ。ナビィとサンラーの悲恋を目の当たりにしながら入り婿し、今また2人の再びの出会いを淡々と受け入れる、という大変に重要な役を、ユーモアたっぷりに好演した。「lunchはtwelve-fortyにね」と言いアメリカ国家を演奏しながら牧場へ向かうその姿は、初演技とは思えん。
西田尚美、元気でてらいがなくて、かわいいです。真性かなづちなのに、海に飛び込む根性もグッド。
心は老いた肉体をやすやすと凌駕し、60年という年月も「儚い」という言葉に当てはめてしまえる。“恋”という魔法に、喝采を!


『逢いたくてヴェニス』
観た日:2000/03/03 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本はビビアン・ネーフェ。主演はアグライア・シスコヴィッチ、共演はハイノ・フェルヒ、ヒルデ・ファン・ミーゲン、ゲデオン・ブルクハート。

エバ(アグライア)は、売れない画家である夫のルイス(ゲデオン)を支えながら、レストランでアルバイトをする2児の母。店に来ていた弁護士のニック(ハイノ)に水をかけてしまったことでケンカとなり、クビになる。そのニックは、銀行家の妻シャルロット(ヒルデ)と、多忙で無機質ながらもそれなりに満足して暮らしている。しかし、シャルロットは芸術家支援を行うことで知り合ったルイスと、長い間不倫関係にあったのだ。ある日、ルイスとシャルロットは口裏を合わせ、旅行に出かける。何も知らないエバは、家族の写真を忘れていったルイスの為に空港へ急ぐが、そこにはシャルロットと仲良く立ち去るルイスの後ろ姿があった。その後のルイスからの電話の後ろで鳴り響く鐘の音から、彼らがヴェニスにいることを突き止めたエバは、なんとニックを誘拐し、2人の子供を連れて、車でヴェニスへ向かう。

最高!『ラン・ローラ・ラン』といい、『ノッキン’オン・ヘブンズ・ドア』といい、最近のドイツ映画の面白さはどういう訳だ?単に私が知らなかっただけではあるまい。
ビビアン・ネーフェ監督、お見事の一言に尽きる。スピーディでストレートで長さも91分とベスト。特に感心なのは、弁護士ルイスのキャラクター設定だ。バリバリの仕事人間で、ヴェジタリアンでビタミン剤とかの補助食を欠かさず、子供アレルギーで、水と高いところが大の苦手。なのにその全てを、エバに拉致されてからは、順番(まさに順番!)に解消・克服させられてしまう。
アグライア・シスコヴィッチは、気丈で強くて逞しくて、女らしい脆さも持ち合わせた大変に魅力的な主人公を、真正面から好演している。でかい鼻もまた良し。
2人の子供がかわいくて巧い。
最後に、映倫へ。冒頭の、長男が消防署にイタズラ電話をして消防士がエバの家に来るときに、丸裸で慌てふためくルイスの長いチンチンが、丸っ見えなんですけど。いや、私としては、何ら文句はないんですけどね。


『ノイズ』
観た日:2000/03/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★

監督・脚本は、これがデビュー作となるランド・ラビッチ、撮影は『太陽の帝国』(1987)『わが心のボルチモア』(1990)のアレン・ダビュー、美術は『オルランド』(1992)『ガタカ』(1997)のジャン・ロールフ、音楽は『オースティン・パワーズ:デラックス』(1999)『ワイルドシングス』(1999)のジョージ・S・クリントン。主演は『トゥー・デイズ』(1996)『ディアボロス 悪魔の扉』(1998)『マイティ・ジョー』(1999)のシャーリズ・セロンと、『エルム街の悪夢』(1984)『ギルバート・ブレイク』(1993)『ラスベガスをやっつけろ』(1999)のジョニー・デップ。共演に『パラサイト』(1999)のクレア・デュバル、『スピード』(1994)『ブルース・ブラザーズ2000』(1998)のジョー・モートン。

ジリアン(シャーリズ)は、スペース・シャトルで宇宙へ飛び立った夫スペンサー(ジョニー)が、同僚と船外活動中に、爆発事故に遭ったことを告げられる。交信が途切れた時間は2分。彼らはクルーの懸命の作業で救助されたが、帰還後のスペンサーに何かしらの違和感を覚えるジリアンだった。同僚は脳卒中で死亡、その妻は「私の中に彼がいる」との言葉を残して、ラジオを抱えてバスタブで感電自殺した。スペンサーはNASAから航空機開発会社に転職、ジリアンと共にマイアミからニューヨークに引っ越す。やがてジリアンは双子を身籠もっていることを知る。ある日、NASA職員だったリース(ジョー)がジリアンの前にあらわれ、“空白の2分間”にかつてない異常事態が起こっていたと告げる。自殺した同僚の妻が、やはり帰還後に双子を妊娠していたことも。深夜、ラジオのノイズを聞く夫。宇宙から帰ってきてから、何かが違うのだ。

有力プロデューサーが多数群がって制作された、ハリウッド式商業映画。ストーリーにも目新しい部分はなく、オチも平凡。以上。語ること無し。
シャーリズ・セロンは、喜怒哀楽を大きく表現できる女優だ。でかい背中はいただけないが、丸いお尻はかっこいい。
ジョニー・デップは、いまいち。美形だけど、体の切れがない。この映画の役としては、彼ではなくても誰でもよかったと思う。
……すみません。もう、書くことありません。やっぱり、過去の名作・傑作の寄せ集めの映画は、ダメダメですね。


『雨あがる』
観た日:2000/02/25 お薦め度:★★★★★  もう一度観たい度:★★★★

監督は小泉堯史、脚本は黒澤明、制作は原正人と黒澤久雄、音楽は佐藤勝、衣裳は黒澤和子、撮影は上田正治と斎藤孝雄、美術は村木与四郎、照明は佐野武治、録音は紅谷愃一。キャストは寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、檀ふみ、井川比佐志、吉岡秀隆、加藤隆之、原田美枝子、松村達雄、仲代達矢。

時は江戸の享保、所は東海道掛川。大井川は長らくの雨で増水し、渡ることが出来ず、川沿いの宿はどこもいっぱいだ。三沢伊兵衛(寺尾)は、剣の腕はめっぽう立つが、優しすぎて他人のことを思いやりすぎる性格が逆に仇となり、かえって巧く立ち回ることができない浪人。かつては諸藩の師範役になったこともあったが、ことごとく続かない。あてのない旅を共にする妻たよ(宮崎)には、いつも苦労をかけていると自責している。たよは、夫の優しすぎる性格については何ら不満はないのだが、たよをあまりに気遣い、今の根無しの生活に焦燥する夫に、むしろ寂しさすら覚えている。藩の侍同士のいざこざにたまたま立ち会わせた伊兵衛は、彼らを鎮める。それを見初めた藩主永井和泉守重明(三船)は、伊兵衛を指南番にしたい旨を伝える。伊兵衛は掛川城に招かれ、御前試合の後、指南番に内定したかにみえたが、後日宿場に訪れた使いの者の言葉では、城下町の道場にて賭け試合をしたこと不届き千万にて内定を見送るとのこと。しかしこの賭け試合は、長雨でぎすぎすしていた宿屋の連中を和ませようとして、酒と肴を買うためにやむなく行ったものだった。気落ちする伊兵衛を見かねたたよは思わず、何をしたのかではなく何のためにしたのかが大事なのだと、使いの者に言う。

生粋の黒澤組の、“オヤジ”への追悼作。黒澤明が残した脚本を世に送り出すべく、黒澤組の助監督を続けてきた小泉堯史がメガホンを取った。
はじめ、まさしく“クロサワ映画”が展開されるのかと思った。もちろん“クロサワ色”“クロサワ臭”はたっぷりである。カメラも照明も音も編集も“オヤジ”への一心で団結しているのである。しかし違う。監督として最も力量(というのが酷なら、個性)を問われる、俳優への演出、これが違う。「間」が違うのだ。スタッフ・キャスト、全ての人たちが塊となって“クロサワ節”を歌いたがっているのだが、やはり“クロサワ”にはなれないのだ。かく言う私も、過剰な期待を寄せてしまった。
しかしつまらないのかと言えば、それは全く逆。しっとりとした絵は、日本人の体内に刷り込まれた、日本人たる所以のようなものを立ち昇らせているし、三沢伊兵衛の剣さばきから発せられる気は、深く心に刺さる(『御法度』に感心してしまった自分が恥ずかしい・・・)。
とにかく、去年から今年にかけて、時代劇映画の当たり年ではある。初夏に公開となる『どら平太』も楽しみだ。


『シュリ』
観た日:2000/02/15 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『銀杏の木のベッド』(1996)に引き続き2作目となるカン・ジェギュ、撮影はキム・ソンボク、編集はパク・コクチ、録音はイ・ビョンハ。主演は、出演作品を全て大ヒットさせる“神話”を持つ韓国一のスター、ハン・ソッキュ。ヒロインにキム・ユンジン。他キャストにチェ・ミンシク、ソン・ガンホ、パク・ヨンウ。

飢餓と疾病に苦しむ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、北南統一を政治に託することは出来ないとする急戦派が、熾烈な訓練を重ねた兵士をスパイとして大韓民国(韓国)へ送り込んでいる。その1人で極めて優秀な兵士である女性イ・バンヒ(キム・ユンジン1役目)は、数々の暗殺をやってのける。一方、韓国情報機関“OP”のユ・ジョンウォン(ハン・ソッキュ)は、熱帯魚店を営むイ・ミョンヒョン(キム・ユンジン2役目)との結婚を1ヶ月後に控えていた。ユはイ・ジャンギル(ソン・ガンホ)と共に、イ・バンヒを追っていたが、いつも一手遅れで彼女の犯行を阻止できない。ある日、韓国国防科学研究所で開発した最新液体爆弾CTXが、北朝鮮の工作員に略奪された。ユとイ・ジャンギルは、CTXが、2002年サッカーワールドカップの朝鮮統一チームのための、交流試合を行うシャムシルスタジアムに仕掛けられたことを知り、阻止に向かう。

“シュリ”とは、朝鮮半島の固有淡水魚の名前で、キッシングラミーと言う。つがいの片方が死ぬと、もう片方も死ぬという。
韓国産の映画というのは、恐らく当局の規制もあって、日本で見られるのは生真面目で儒の教えを尊ぶ気質の申し子のようなものばかりで、端的に言うと重くて暗いものというイメージがあった。しかしこの映画は、既成概念を完全にぶち壊してくれた。何に関しても過剰なほどの激情でもって立ち向かう韓国人が、本気でアクションスペクタクル映画を作ったらどうなるかを、明快に見せてくれた。
銃の取り扱いが本格的である。変な褒め方だが、徴兵制度を持つ国ならではであろう。男優は全員、よほどの理由がない限りは軍隊経験者なのだ。1度ハワイで、遊びでパンパン撃ったことがある程度の私でさえ、いかなる時も両手で構える彼らが正しいと思うぞ。舘ひろし&柴田恭兵には、爪の垢でも飲んで貰おう。アメリカ映画では俳優保護の理由でタブーとされている顔面への発砲、やけにリアルでかえって恐い銃火機音、ミリタリーマニアならずとも、感心すると思う。
しかも、同じ民族が2国に分断されているという背景と、その2国を跨いで敵味方同士である2人の恋人(女の方が全てを知っているというのが、ある意味ミソ!)の描写。この複雑な相反する要素を、力技ではなくブレンドし、見事に消化している。ただ者ではない力量である。
予算は日本円にして3億円だという。安い。安すぎる。安すぎて変だ。おかしい。障害保険や物損保険はどうなっているのだろう。ギャラは安いか、成功歩合なのだろうか。
おもしろい映画なのは間違いない。しかし、韓国という国は臨戦状態にあるのだということを改めて知らしめてくれた訳だし(しかも同一民族で争っている国は世界でもない)、映画自体は外貨を獲得するだろうけど、観光旅行に誘う質のものではないので、国益としてはどんなものでしょう?私としては、ちょっと恐くて、韓国には行けなくなってしまいました。チゲとかキムチとか犬とか食べたいんだけどなぁ。
あと、韓国では、この映画を観ない子供が学校でイジメに遭うなんて社会現象が起こっているらしいが、こんな血みどろの首チョンパの映画を、子供に観せるのは如何なモノだろうか?もちろん、残虐シーンだけが売りの映画ではないことは百も承知なんですけど。こういう論調、見かけないもんで。


『ジャンヌ・ダルク』
観た日:2000/02/02 お薦め度:★★★★★  もう一度観たい度:★★★

監督は『グラン・ブルー』(『グレート・ブルー』)(1988)『レオン』(1994)『フィフス・エレメント』(1997)のリュック・ベッソン、脚本は『キング・ダビデ/愛と戦いの伝説』(1985)『薔薇の名前』(1986)のアンドリュー・バーキン、撮影は『フィフス・エレメント』『黒猫・白猫』のティエリー・アルボガスト、編集は『レオン』『フィフス・エレメント』のシルヴィ・ランドラ、美術は『おかしなおかしな訪問者』のユーグ・ティサンディエ、衣裳は『さよならエマニエル夫人』(1977)『愛は霧のかなたに』(1988)『フィフス・エレメント』のカトリーヌ・レトリエ。ヒロインに『フィフス・エレメント』のミラ・ジョヴォヴィッチ。キャストにジョン・マルコヴィッチ、デズモンド・ハリントン、フェイ・ダナウェイ、ダスティン・ホフマン。

フランス・ドンレミの村に生まれたジャンヌ(ミラ)は、子供の頃から大変に信心深く、神と共に生きてきた。草原や雲や風に、神の姿を見ることもあった。彼女の村がイギリス軍に焼き討ちされ、身代わりとなった姉が殺されてからは、さらに強く信心するようになり、彼女に語りかける神の言葉も具体性を帯びてくる。当時、イギリス軍はフランス領土に深く侵攻しており、次期フランス国王であるシャルル王太子(ジョン)の、ランスでの戴冠式もままならぬ状態であった。ジャンヌは王太子に謁見、オルレアン攻略を申し出る。“神の声”を常に聞くジャンヌには一片の迷いもなく、疲弊した兵士を鼓舞し最前線で指揮を取る。フランス軍はすぐさまオルレアンを奪還、イギリス軍を次々と退け、遂に王太子はランスにて戴冠式を挙行するに至る。しかし、武力一辺倒でしかも兵士・貴族に絶大な人気を誇るジャンヌを邪魔に思い出した王族は、彼女を反勢力のブルゴーニュ公に売ってしまう。ジャンヌはすぐさまイギリス軍に売られ、苛烈な宗教裁判にかけられることになる。ジャンヌは、神の代わりに現れるようになった、黒いマントの男(ダスティン)と問答する。「自分は本当に神の声を聞いたのか?」「自分は正しいことをしたのか?」「私怨に突き動かされた行動ではなかったか?」ジャンヌは、神に、そして自分に、忠実なるままに刑を受け入れ、火炙りの刑に処される。

大作である。カメラワーク・セット・衣裳、そして時代検証。隙のない脚本と編集。完璧なるテンションの俳優陣。・・・しかしなぜだ!リュック・ベッソンの作品なのに、この空気感は!!!
確かに、この映画の臭いは、ベルナルド・ベルトリッチではない。ヴォルフガンク・ペーターゼンでもない。オリヴァー・ストーンでもデヴィッド・リンチでもない。でも、リュック・ベッソンらしい、彼独自の、天然な、B級ソープオペラのような、土臭い、シニカルな、そ〜いう臭い。それが、99.9%も削ぎ落とされてしまっているのだ。まるで、落語の『目黒のさんま』の、つみれの椀のように。
作品の出来は、評価しよう。良い。優れたものだ。しかし私は、あの、リュック・ベッソンの“臭い”に期待していたのだ。過剰だったのだろうか。アメリカ資本の弊害か?(って、すぐそこに持っていく?)
ミラ・ジョヴォヴィッチ。素晴らしい。狂気的に一途な少女のカリスマ性を、果敢に演じきっている。ジョン・マルコヴィッチ。巧い。フェイ・ダナウェイ。恐い。女はこういう風に年を取っちゃいかん!という見本。ダスティン・ホフマン。圧倒的な存在感ながら、ミラを立てている。適任。
2時間40分が短い。いい映画だ。しかし、返すがえすも、リュック・ベッソンらしさが脱臭されていて、悔しい。


『I Love ペッカー』 ※R-15 15歳未満は観ることが出来ません。
観た日:2000/02/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は『ピンク・フラミンゴ』(1972)『ポリエステル』(1981)『シリアル・ママ』(1994)のジョン・ウォーターズ、キャスティング・ディレクターは『わが心のボルチモア』(1990)『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)のパット・モーラン、C.S.A.、撮影監督は『裸の銃<ガン>を持つ男』シリーズのロバート・スティーブンス。主役は『ターミネーター2』(1991)『アメリカン・ヒストリー X』(1999)のエドワード・ファーロング、ヒロインに『アダム・ファミリー』(1991)『バッファロー'66』(1998)のクリスティーナ・リッチ。キャストにリリ・テイラー、マーサ・プリンプトン、メアリー・ケイ・プレイス、ローレン・ハルシー、ブレンダン・セクストンV、シンディ・シャーマン。

ここは愛すべき町、ボルチモア。母から中古のカメラをもらったペッカー(エドワード)は、嬉しくて何でもかんでも撮りまくっている。そして、バイト先のサンドイッチショップで開いた個展で、たまたま立ち寄ったニューヨークの画廊経営者のローレィ(リリー)に1枚の写真を見初められる。それは、覗き見したストリップバーでのヘアーのアップだった。それ以外の写真もすべて気に入られたペッカーは、遂にニューヨークで個展を開くことになる。それは大成功であった。意気揚々としてボルチモアに帰ってきたペッカーは、しかし周囲の目が少しずつ変わっているのに気付く。自分の愛する写真が撮れない。ところがニューヨークでの彼への注目度は増すばかりで、ついにホイットニー美術館から個展開催の通達が来る。

“地球人の中で最もボルチモアを愛する男”ジョン・ウォーターズの最新作。しかし、今までの彼の、ストレートな異常さはなく、大変にスマートな作品に仕上がっている。いわば新境地。とは言っても、相変わらず登場人物全員に、心身どこかがフリーキーな演技を要求しており、ウォーターズ節は健在といえよう。
それにしても、クリスティーナ・リッチ(『アダムス・ファミリー』の、おさげのソバカス少女)は、『バッファロー'66』では完全にバッファロー人だったけど、この映画では完全にボルチモア人ですね。
ところで、主人公ペッカーの使っているカメラは、なんだろう?キャノンのキャノネットだと思うんだけど。
それから、“R-15”指定について。て〜ことは、15歳なら、マン毛を見てもいいのか?まったく物差しがいい加減だ!まぁ、男はみんな「We want bush !」なんだけどね。


『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』
観た日:2000/02/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★

監督・脚本・編集はダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェス。キャストはヘザー・ドナヒュー、マイケル・C・ウィリアムズ、ジョシュア・レナード。

1994年10月、メリーランド州バーキッツヴィルの森の中で、映画学科の学生3人が行方不明になり、1年後に、彼らの撮影したと思われるフィルムが見つかる。そこには、3人の、この森に古くから伝わる“ブレア・ウィッチ(ブレアの魔女)”に関する映像が残されていた。3人は、バーキッツヴィルの町に未だ伝わる“ブレア・ウィッチ”を取材した後、地図に従い森に入る。奇怪な死体があったとされる『コフィン・ロック(ひつぎ岩)』付近でキャンプを張った3人は、深夜、声や足音のような“何か”に怯える。信頼関係にも次第にヒビが入り始めるが、夜な夜な“何か”のイタズラは増していく。

ダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスが学生時代に思いついたストーリーを、極めて実験的な手法で作品としてまとめた。その制作費は3万ドルとも7万ドルとも言われているが、それに比べ興行収入は北米だけで優に1億8千万ドルを越すメガヒットとなった。
実は、この映画にはインターネットでのPRサイトの存在を欠かすことが出来ない。編集と同時に登場したこのサイトには、最初の1週間で7500万ヒットを記録、そのドキュメンタリー的な制作手法に興味はつのり、結果として上記の通りとなる。
また、撮影方法も「メソッド映像製作法」という、ドキュメントタッチな、荒削りで混沌とした現場状況をあえて作り出すことにより、究極のリアリズムを追求するというものである。さらに、カメラ・ホームビデオを俳優達に持たせて撮影させ(勿論、それこそがこの“プロジェクト”の主体なのだが)、スタッフは離れて森を移動する、という方法で、映像を得ている。
さて、感想。最低!クソ映画である。成功は、と“秘密主義”と“ドキュメント仕立て”(と、“超低予算”も入るかな?)を逆手にとって声高に叫んだら、興味を持った今や世界一無駄金を持ってるアメリカ人が、「じゃ〜、ちょこっと観てみるか」とチケットを買ったに過ぎない。私、手振れ防止機能のないホームビデオで撮った映像に(臨場感を演出したと思ってるらしい)、途中で頭痛がして気持ち悪くなりました。風邪がぶり返したのかと思った。
「メソッド映像製作法」とやらも、日本では既に『進め!電波少年』でやり尽くしている。
え〜、トレンドに敏感な方(笑)、観た方がいいです。


『バッファロー’66』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本・音楽・主演はヴィンセント・ギャロ、撮影はランス・アコード、編集は『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)『誘う女』(1995)のカーティス・クレイトン。ヒロインに『アダムス・ファミリー』(1991)『キャスパー』(1995)のクリスティーナ・リッチ、他キャストに、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・ギャザラ、ケビン・コーリガン、ロザンナ・アークエット、ミッキー・ローク。

ビリー・ブラウン(ヴィンセント)は5年の刑期を終え、故郷のバッファローに帰ってきた。彼は、アメリカンフットボールのバッファロー・ビルズのスーパーボール優勝に1万ドルを賭け、負けたが金を払えず、ギャングの身代わりに刑務所に入れられていたのだ。ビリーには、逆転フィールドゴールを外したあのビルズのキッカーを殺すこと、それが唯一の生き甲斐であり目的だった。トイレを借りるために入ったダンススクールから両親に電話をしたが、元気にやっているという嘘から、妻を連れていくという事になってしまい、たまたま通りかかったレイラ(クリスティーナ)を誘拐まがいで実家に連れていく。ビリーを恐れていたレイラは、彼と両親とのやり取りなどから、粗野で横柄で短気で我が儘なビリーが、実は小心で臆病で繊細な男だと気付く。2人はモーテルにたどり着き、ベッドでキスを交わした。しかし、ビリーは復讐のために部屋を出ていく。

暴力的なほどに自らの感性を露わにし、その圧倒的な個性で観る者全てを叩きのめそうと凄む、“天才アーティスト”ヴィンセント・ギャロの処女作。映画上のどこを切っても、彼のエキセントリックで繊細な自己が溢れてくる。ある意味嫉妬さえ覚えてしまうほどだ。
演技者としての彼も素晴らしい。こだわりのシーンを1つだけ。ボーリングのシーンでは、本当に上手く投げられるように、毎日5時間の練習を1年間続けたそうだ。
クリスティーナ・リッチも素晴らしい。『アダムス・ファミリー』のあの、弟を虐め倒す痩せっぽちのそばかすのおさげの女の子が、いつの間にやらこんなに肉感的なロリータボディを身につけたのやら。しかし身につけたのはオッパイだけではない。“間”のある演技力、表情をわずかに作るだけで何もかも語ることの出来る、(恐らく)計算し尽くしたパフォーマンス。世間的にはタップダンスとモーテルの一連のシーンに拍手を送っているようだが、個人的なお薦めは、ボーリング場のインスタント写真ボックスでのロングカットである。
エンディング。「あ、車に轢かれる!」と思った。でも、轢かれなかった。轢かれない最後は、安直である。しかし、もし轢かれたら、それは愚鈍だ。十把一絡げのハリウッド3流映画に成り下がってしまうところだった。
どこもここも私的でありながら何度も観ることに耐えうる、全く新しいジャンルの映画。総括することを拒否する映画。老婆心ながら、ヴィンセント・ギャロが、この作品が到達した聖域に次回作でも踏み止まれるか、大変興味深い。


『LIVE LOVE DRIVE』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★

ヴィンセント・ギャロが監督・脚本・撮影・編集・主演の、カラートーキー。最愛の(ただし、あくまで撮影当時)ベサニー・リッツとのキスをただただ撮りたかった作品。トヨタセリカのTVCMで使われたアレである。
特に言うことなし。新しいものはない。ギャロが、ただ撮りたくて撮ったというものなので、観せられるこちら側としては、何も感じません。はい。


『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
観た日:2000/01/18 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は新人のトーマス・ヤーン。制作・脚本・主演は『マンタ、マンタ』(1991)『アクセルの災難』(1994)『リプレイスメント・キラー』(1998)のティル・シュヴァイガー、もう一人の主演に『ふたりのロッテ』(1993)のヤン・ヨーゼフ・リーファース、共演に『ラン・ローラ・ラン』(1998)のモーリッツ・ボライプトロイ、ティエリー・ファン・ヴェルフェーケ。

マーチン(ティル)は脳腫瘍で、ルディ(ヤン)は骨肉腫で、それぞれ入院し、同室となる。たまたま見つけたテキーラを飲もうと、塩とレモンを探しに調理室に侵入し、お互いの話をし始める。ルディが海を見たことがないのを知ったマーティンは、天国では海の話題についていけなきゃお手上げだと言い、地下駐車場の車を盗んで海を見に行くことを提案する。しかし盗んだベンツSLは、ヘンク(ティエリー)とアブドゥル(モーリッツ)という下っ端ギャングが命令で運んでいた車だった。ギャングはマーティンとルディを追う。一方、マーティン&ルディは、車の中から銃を見つけ、さらにはトランクに100万マルクが入ったケースも見つけた。行く先々でトラブルを引き起こし警察にも追われ、遂に掴まってしまう。

1997年のドイツ映画。知らないキャスト・スタッフだが、そんなことはどうでもいい!スクリーンから圧力を感じる。グッドテンポで最後まで引っ張る。快作である。
トーマス・ヤン監督が、タクシードライバーをやっていた頃からこのアイデアを温めていて、脚本をティル・シュヴァイガーに送ったことから企画が立ち上がった。そして遂にはブエナビスタ(ご存じ、ディズニーの配給会社ね)まで動かしてしまうのである。
愛すべきロード・ゴーイング・ムービー。痛快で豪快で爽快。人間、好きなことやって生きていきたいものだ。
おまけ。原題が『Knockin'on Heaven's Door』なのだから、邦題は『ノッキン’オン・ヘヴンズ・ドア』だと思うのだが、如何でしょう?


『エンド・オブ・デイズ』
観た日:2000/01/14 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督・撮影監督(!)は『カプリコン1』(1977)『2010年』(1984)『レリック』(1997)のピーター・ハイアムズ、脚本は『エアフォース・ワン』のアンドリュー・W・マーロー、VFX総監修は『エイリアン2』(1986)『ターミネーター2』(1991)『ジュラシック・パーク』(1993)のスタン・ウィンストン。主演は我らがヒーロー、アーノルド・シュワルツェネッガー。ヒロインは『ナイアガラ・ナイアガラ』(1997)『ジュリアン・ポーの涙』(1998)のロビン・タニー、敵役は『エクスカリバー』(1981)『ユージュアル・サスペクツ』(1990)『仮面の男』(1998)のガブリエル・バーン。

1979年。バチカン。満月の上を弧を描いて横切る彗星に、凶兆を見た修道士は、聖書にある“サタンの復活”を食い止めるべく、サタンの子を身ごもるはずの女性を探し始める。そして1999年12月28日。元刑事で今はVIP専用ガードマンをしているジェリコ(シュワちゃん)は、今日の警備主に向かって発砲した狙撃犯を追い、地下鉄構内に追い詰める。彼は、サタン復活を唱えていた。一方、クリスティーン(ロビン)は、昔から表れる幻影が最近頻出する事に困っていた。ある日突然、彼女は自宅で何者かに襲われる。殺される直前で、狙撃犯のことを追っていたジェリコに救われる。やがて、彼女がサタンに選ばれた女性であることが判明し、教会も彼女を救おうとする者と彼女を殺すことでサタンの復活を阻止仕様とする者がいることがわかる。しかし、男(ガブリエル)の身体を借りたサタンは、遂にクリスティーンを奪取する。

いかにもハリウッド発の、全世界でお金を稼ごうとする魂胆見え見え&そのお金に群がる亡者ウヨウヨ、の映画である。150億円も使っていやがる。ふ〜。何だかなぁ〜。でもそんなに金を持ってるなら、夜景の撮影時の、ネオンや車のライトによるハレーションを消せよ!
シュワちゃんは、今回は真面目に演技で勝負している。というか、パワー一辺倒のイメージは既にない(はず)なのだが(それでも1人でクリスティーンの救助に行っちゃったり、無茶はしてる)、この作品のジェリコは、刑事時代に妻と娘をテロリスト集団に惨殺されており、その痛手を未だ引きずり、しょっちゅう自殺を企てるアル中、という役柄なのである。ちょっと珍しいよね。
ガブリエル・バーンは好演。残虐で妖艶。しかしこのイメージは、既にアル・パチーノが『ディアボロス』で見事に演じ切ってしまっているので、新鮮さは全然ない。
ロビン・タニーは、少女の面影が残っており(俗っぽく言えばロリータ系)、昔のたるむ前のメグ・ライアンみたいだ。ただし、演技がどうかはこの作品からは判別不明。
とにかく、“ミレニアムもの”のトリみたいな映画。な〜んて言ってると、今度は21世紀になるのに云々、と、またカレンダーを食い物にする連中が現れるんだろ〜な。


『ファイト・クラブ』
観た日:2000/01/14 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督は『エイリアン3』(1992)『セブン』(1995)『ゲーム』(1997)に続きこれが第4作目となるデイヴィッド・フィンチャー、脚本はジム・ウールス、編集は『ゲーム』(1997)のジェイムズ・ヘイグッド、撮影監督は『ペギー・スーの結婚』(1986)『めぐり逢えたら』(1993)『ゲーム』(1997)のジェフ・クローネンウェス。主演は『真実の行方』(1996)『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(1996)『ラウンダーズ』(1998)のエドワード・ノートン、共演(とさせてもらおう)に『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)『セブン』(1995)『12モンキーズ』(1995)のブラッド・ピッド、『眺めのいい部屋』(1986)『鳩の翼』(1998)のヘレナ・ボナム・カーター。

車両会社で保険関係の仕事をしているジャック(エドワード)は、不眠症で悩んでいた。彼は、医者からの進言で重病患者のセラピーに無断で参加し、つかの間の安らぎを得ていたが、同じように潜入している女・マーラ(ヘレナ)を知る。一方、ジャックは出張中の機内でタイラー・ダーデン(ブラッド)と知り合う。彼と別れて帰宅すると、自宅は爆発による火災に見舞われていた。ジャックはタイラーに連絡を取り、2人はバーで飲んだ。ジャックは、タイラーにいきなり「俺を殴れ」と言われる。戸惑いながらもタイラーと殴り合うジャック。やがて2人は、殴り合うことによって本物の“生”を感じるようになる。タイラーは石鹸を作り売っていたが、その材料は美容形成で吸入排泄された人の脂肪だった。彼は、石鹸もダイナマイトも簡単に作れると言う。タイラーの家に住むことになったジャックと、やがてタイラーとのセックスを目当てに訪れるようになったマーラ。さて、彼らの廻りには、“生”の為の殴り合いに共感する人が集まりはじめ、ついに他言無用の『ファイト・クラブ』が結成される。カリスマ性を発揮し始めたタイラーは、さらに『ファイト・クラブ』の精鋭を自宅に集め、現代社会を打倒する『スペースモンキー』なる組織を作り、非合法なテロを繰り返し始める。遂に、複数のビルを爆破する計画を企てている事を知ったジャックは、タイラーを追い、阻止しようとする。

原作はチャック・ポーラックの処女作『ファイト・クラブ』。彼は運送会社の整備調査員の傍ら、これを書き上げたそうだ。
まずは、デイヴィッド・フィンチャー。“奇才”の名に相応しい、切れのある映像を見せる。随所に織り交ぜるパロディ(特に、爆破予定のビルの地下駐車場で見せる、ブラピのファイトは、まるっきり『燃えよドラゴン』!)も、わざとらしいがさりげなくて良し。ただし、もう少しオリジナリティのあるアイデアを盛り込んで欲しかった。どれもが、どこかで観たようなカットである(パロディの非難ではありません、為念)。
エドワード・ノートンは、おどおどしたような独特の表情・物腰が、かえって切れたら恐そうで、役どころにはまっていたと思う。
そのエドワードを、終始圧倒するブラピ。あんなにマッチョだったっけ?という感じだが、彼には、今回のような狂気を孕んだ瞳もよく似合う。というか、もともとのチンピラっぽい所にもどって、むしろ生き生きとしている。
まったくもって、原作・脚本の一人勝ちの映画。映像メイカーや俳優にはなれなくとも“映画”という魅力ある文化に参画する夢を、我々に抱かせてくれる作品だ。


『御法度』
観た日:1999/12/27 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『青春残酷物語』(1960)『愛のコリーダ』(1976)『戦場のメリークリスマス』(1983)の大島渚、撮影は栗田豊通、美術『地獄門』(1953)『利休』(1991)『梟の城』(1999)の西岡善信、衣裳は『乱』(1985)『宋家の三姉妹』(1998)のワダエミ、音楽は『戦場のメリークリスマス』(1983)『ラストエンペラー』(1987)の坂本龍一。キャストはビートたけし、松田龍平、武田真治、崔洋一、浅野忠信、トミーズ雅、坂上二郎。

池田屋襲撃のあと、西本願寺に本陣を移転させた新撰組。加納惣三郎(松田)と田代彪蔵(浅野)は新隊士の試験に合格した。その夜、田代は加納を抱く。一方、以前、衆道(男色)で隊の規律が乱れた経験を苦々しく思っている土方歳三(ビート)は、加納のあまりの美少年ぶりを心配して近藤勇(崔)にその事を相談するが、取り合ってもらえない。そのうちに、加納は衆道に目覚める。加納は腕が立つだけに、何とか女の道に目覚めさせようとする土方だが、彼を取り巻く他の隊士にも加納を求める者が出始める。遂に、隊士が何者かに襲われ始める。現場に田代の小柄が落ちており、近藤は田代を加納に討たせる命令を出す。立会人として土方と共に随行した沖田総司(武田)は、「雨月物語」の「菊花の約(ちぎり)」の話を持ち出し、「この話に出てくる2人は、衆道であったろう」と言う。土方は、加納と沖田の逢い引きの幻を見る。

私、大島渚という男を軽んじていました。いや、彼は何にもしていない(訳はないのだが)のかも知れないが、スタッフ・キャストの行き詰まる程の緊張感が、スクリーン上からキンキンに伝わってくるのだ。物凄い達成感。それを享受できる喜び。そんなものが立ちこめている。
よくもまぁ、あれほどの殺陣を練習したものだ(あくまで素人目ではあるが)。
しかし、聞けば、新撰組のチャンバラとか男気とかは、はっきり言ってどうでもよくて、あくまで“御法度”を、松田龍平という人間で表現したかったらしい。脚本の段階で周囲固めをしているうちに、質・量共に高まってきたのだ。
あら探しをいくつか。ビートたけしがせっかく語り部をしているのに、佐藤慶がいきなりナレーションを入れるのはいただけない。浅野忠信が松田龍平を稽古で追い回しているときに、掛けてある竹刀にぶつかる。アクシデントなのだろうが、浅野はそれに振り向いてしまう。いかん。松田は、衆道とはいっても“ネコ”役(“受け身”のほう。逆は“タチ”です、為念)なんだから、もっと上目遣いのアングルがよろしいんじゃないでしょうか。
いみじくも、ベルナルド・ベルトリッチが「the SOE(the Srecial Oshima Effect;大島監督の特別な感情表現方法)」という表現で、大島作品を評価している。みなさんも、「the SOE」を経験されてはいかが?少なくとも、日本映画も捨てたもんじゃないって気にはなると思うよ。


『海の上のピアニスト』
観た日:1999/12/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★☆

監督・脚本は『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)『明日を夢みて』(1995)のジュゼッペ・トルナトーレ、音楽は『天国の日々』(1978)『アンタッチャブル』(1987)『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)のエンニオ・モリコーネ。主演に『レザボア・ドッグス』(1991)『ロブ・ロイ/ロマンに生きた男』(1995)のティム・ロス、共演に『エンゼル・ハート』(1987)『JFK』(1991)のプルート・テイラー・ヴィンス、ピーター・ヴォーン、メラニー・ティエリー。

楽器店にトランペットを売りに来たマックス(プルート)は、最後に一曲吹かせてくれと店主(ピーター)に頼み、思い出の曲を吹く。ところが店主は、割れてつぎはぎされたレコードを持ち出してきてそれをかける。流れてきたのは、まさにマックスが吹いた曲だ。題名のないその曲について、マックスは話し始めた。移民でごった返す船の上で生まれ、そのまま捨てられ、機関士に拾われた赤ん坊は、1900年最初の月に生まれたことから「ナインティーン・ハンドレッド」と名付けられる。彼には驚くべき才能が備わっていた。誰もが一度聴いたら忘れられないようなメロディをピアノで奏でることが出来たのだ。やがて、マックスは彼(ティム)と共に、船のバンドで一緒に演奏することになる。幾年か過ぎ、マックスはバンドを辞職、船を下りた。・・・その船が明日、洋上で爆破処理されるのを知ったマックスは、その船に未だナインティーン・ハンドレッドが乗っていることを確信し、彼を捜しに船に乗る。

練り込まれた脚本と、期待に応えきる俳優陣が素晴らしい。特に、ティム・ロス。ピアノの猛特訓で、圧倒的な演奏シーンを熱演している。プルート・テイラー・ヴィンスの演技もよい。
エンニオ・モリコーネは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督から原作の紹介をされた時点で、既に作曲を開始、脚本よりも先に楽曲が感性するという、物凄い事をしでかした。
・・・って、あんまり乗り気でない感想文なのは、ズバリ、エンディングが気に入らないからだ。ナインティーン・ハンドレッドは、良く言えば純真無垢の男だが、ハッキリ言えば、自分の殻=船の上から外の世界へ踏み出すことの出来ない世間知らずの臆病者だ。マックスは、ぶん殴ってでも彼を船から引きずり降ろすべきだったのだ。たとえそれで“天賦の才”であるピアノが弾けなくなっても。
数々のピアノの演奏シーンを楽しめれば、それでいいんじゃない?という作品。と言ってしまうと、トルナトーレフリーク・『ニュー・シネマ・パラダイス』フリークに怒られそうだが。
1つだけ真実を。どうしてイタリア人の男の子は、あんなにかわいいんだ!


『ワイルド・ワイルド・ウエスト』
観た日:1999/12/03 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

製作・監督は『アダムス・ファミリー』(1991)『メン・イン・ブラック』(1997)のバリー・ソネンフェルド、脚本は『ショート・サーキット』(1986)『ニューヨーク東8番街の奇跡』(1987)『トレマーズ』(1990)のS・S・ウィルソン&ブレント・マドックと『ロジャー・ラビット』(1988)『ドク・ハリウッド』(1991)のジェフリー・プライス&ピーター・S・シーマン、撮影は『ハスラー2』(1986)『ブロードキャスト・ニュース』(1987)『ドラキュラ』(1992)『アウトブレイク』(1995)のマイケル・バルハウス、A.A.C.、美術は『カラー・パープル』(1985)『シザーハンズ』(1990)『バットマン・リターンズ』(1992)『パーフェクト・カップル』(1999)のボー・ウェルチ、衣裳は『E.T.』(1982)『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い』(1994)『タイタニック』(1998)のデボラ・L・スコット、音楽は『十戒』(1956)『モダン・ミリー』(1967)『レインメーカー』(1997)のエルマー・バーンスタイン、特撮はILM。主演に『インデペンデンス・デイ』(1996)『メン・イン・ブラック』(1997)『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)のウィル・スミス、共演に『ソフィーの選択』(1982)『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988)『イン&アウト』のケビン・クライン、『ヘンリー5世』(1987)『ハムレット』(1998)のケネス・ブラナー、『デスペラード』(1995)のサルマ・ハエック。

1869年、第9黒人騎兵隊大尉のジェイムズ・ウェスト(ウィル)は、先の南北戦争でのイリノイ州ニュー・リバティー大量虐殺の主犯である元・南軍のマグラス将軍を追いつめるが、女装したアーティマス・ゴードン(ケビン)とのトラブルで取り逃がす。ゴードンは合衆国法執行官で、国内の著名な科学者が相次いで誘拐された事件を追って、やはりマグラス将軍にたどり着いたのだった。2人は大統領の任を受け、スーパーSL「ワンダラー号」で、マグラス将軍とその背後にいると思われる天才科学者アーリス・ラブレス(ケネス)を追跡する。紆余曲折の末、なんとかラブレスの秘密基地にたどり着いた2人だが、しかし彼らを待ち受けていたのは、25メートルもある巨大な鉄のタランチュラを操るラブレスだった。彼は大統領を誘拐し、合衆国を譲れと脅迫する。

制作総指揮が5人、製作が2人、脚本家が4人に原案が2人もいて、オスカースタッフが目白押しの、ワーナー・ブラザーズ社の大商業映画。アメリカでは、7月4日の独立記念日の週に封切られる映画には、大袈裟に言えば社運を賭けた大作を各社持ってくるらしいが、この『W・W・W』は、今年大勝ちした作品だ。
この映画で出てくるヒロイン・リタ(サルマ)の扱われ方。美貌があって、男によろめきやすくて、ちょっと足りなくて、ヒーローの足を軽く引っ張ったりして、最後には消えてしまう、という、この描かれ方。こんなの作ってたら、女性の地位なんて、男の下のままだ。あるいは言い方を替えると、女性擁護団体の化粧の濃いおばちゃん達の気勢が揚がるだけだ。
まぁ、監督はバリー・ネソンフェルドで、主演はウィル・スミスだもの、「アメリカ大好き!アメリカは正義!アメリカは正しい!」というメッセージが、痛いほどスクリーンから溢れてきていて、そのあっけらかんとした脳天気の様が、かえって小気味いいとは言える。
VFXについては、今更へっ!という感じである。凄いことは凄いけど。ILMだもん。衣裳と美術には注目する価値がある。
制作費1億超ドルのポップコーンムービー。それ以上の価値は見いだせないが、しかしこの手の映画は、やっぱり大スクリーン&サラウンドスピーカーで楽しむのがセオリーだ。


『ウェイクアップ!ネッド』
観た日:1999/12/03 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本はイギリスのCM界では有名な(らしい)カーク・ジョーンズ。キャストにイアン・バネン、デヴィッド・ケリー、フィオヌラ・フラナガン、スーザン・リンチ、ジェイムズ・ネズビット。

南アイルランドに浮かぶ小島のうら寂れた漁村。年寄りばかりのこの村に、宝くじの当選者がいる。これを突き止めようとするジャッキー(イアン)とマイケル(デヴィッド)は、ネッドがその人だと知るが、ネッドは当たりくじを握ったまま心臓麻痺で昇天していた。当たり額はなんと6,894,620アイルランドポンド!ジャッキーはマイケルに、ネッドになりすまして賞金を受け取る詐欺を思いつく。調査員が訪れ、なんとかやり過ごしたマイケル。しかし最後に調査員は「次回、村の人に、あなたがネッドさんであることを訪ねます」と告げる。まずい!これは、村人全員(といっても52人しかいないが)を巻き込むしかない!

スタッフもキャストも知らないが、間違いなく傑作!こういう上等なコメディに出会うと、幸せになる。
ジャッキーもマイケルも村人も、あっけらかんとした結束力で困難(!)に立ち向かう。子供も臨時赴任の牧師も、みんな。その結束力が心地よい。さらに、教会でネッドの葬儀を行っていてジャッキーがスピーチしようとしたとき、調査員が入って来る場面。全員が固唾を飲んで見守る中、ジャッキーはマイケルに目配せをして、マイケルの葬儀にすり替えてしまうのだ。きっと、ジャッキーとマイケルは、生まれて間もなくからずっと親友同士なのだろう。そんなこんながこの名場面でのスピーチに息づく。
そして、死んだはずのネッドが、いつも村人全員を見守っている。彼の視線を常に感じる。それは、非難の目ではなく、慈愛のまなざしだ。
年寄りばっかりの映画。しかし、老優というのは、なんて滑らかな立ち振る舞いをするのだろう!そして、永久に変わらぬ友情に尊敬を!
ところでマイケルの、裸の後ろ姿。年取っちゃってお尻の肉が落ちちゃってるから、キンタマ見えてるゾ!


『プリティ・ブライド』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

監督は『プリティ・ウーマン』(1990)のゲーリー・マーシャル、脚本はサラ・パリオットとジョナサン・マクギボン、衣裳デザインはアルバート・ウォルスキー、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。主演に『プリティ・ウーマン』(1990)『八月の狂想曲』(1991)のにやけ男リチャード・ギアと『プリティ・ウーマン』(1990)『ペリカン文書』(1993)『ノッティングヒルの恋人』(1999)のジュリア・ロバーツ。

ニューヨークで新聞のコラムを書くアイク(リチャード)は、バーで何度も結婚式の最中に逃げ出す花嫁の事を聞き、記事にするが、その内容に間違いがあるとして本人から抗議文が届き、嘘を載せたとして新聞社をクビになる。アイクはその“ランナウェイ・ブライド”のいる田舎町に出向く。そこで出会ったのは、魅力的なマギー(ジュリア)だった。彼女は4度目の結婚式を目前にしていた。アイクはマギーを取材するうちに、彼女が自分というものを未だ持っておらず、相手の男性に合わせているうちにそのギャップに耐えられなくなり、結婚式のドタキャンを繰り返すことに気付く。それを彼女に告げるが、マギーもアイクに「あなたの記事にはあなた自身の事が一切書かれていない。あなたも、自分を知らない」と言う。しかし2人は、お互いに惹かれ始めていることに気付く。4度目の結婚式をキャンセルしたマギーは、予約した一式をアイクとの結婚につぎ込む。噂を聞きつけたマスコミの取材が殺到するなか、結婚式が始まる。

特に書くことありません。『プリティ・ウーマン』が美味しかったので、もう一度、女性客の財布からお金を頂戴しようという、姑息な映画。
音楽もせこい!最近の流行だが、さもありなん風な顔をして、昔のヒット曲を並べて、サウンドトラック盤を売ろうとする、最低の金の亡者どもだ。
1つだけ。ジュリア・ロバーツのでかい口が何に似ているかが、映画の中で遂に判明した。カモノハシである。まぁ、観ればわかる。でも、観てもつまらないぞ!


『黒い家』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★

監督は『失楽園』(1997)『39 刑法第三十九条』(1999)の森田芳光、脚本は大森寿美男、撮影は北信康、編集は田中槇二。キャストに内野聖陽、大竹しのぶ、西村雅彦、田中美里。

金沢で生命保険会社に務める若槻(内野)は、ある日「自殺したら保険金はおりるのか」という電話をもらう。翌日、顧客の菰田重徳(西村)がクレームを持ち込み、指名された若槻は彼の家に行く。そこには菰田の息子が首を吊っていた。その後、毎日のように菰田と妻の幸子(大竹)が会社に保険金の受け取りの催促に訪れるようになる。若槻は、菰田夫妻の過去を調べ始めるが、彼らは小学生時代の同級生だったこと、幸子は再婚であること、重徳は以前に左手親指の切断により高度障害の給付を受けていること、などがわかった。また、心理学を先攻する恋人・恵(田中)らの協力により、小学生のときの文集の作文から、重徳は情緒性欠如者である疑いが出てくる。多くの疑問が噴出する中、今度は重徳が両腕を切断するという事故が起こった。そして若槻の自宅に嫌がらせのFAXが届く。

原作は、貴志祐介の第4回日本ホラー小説大賞作。
森田組の最新作で、前作『39』に似通った臭いがしなくもない。森田監督の演出は独特で、登場人物全員が何らかの精神障害を煩っているかのごとく独特である。端的なのが話し方。必要な時に目を見ない。小声。さらに、今回は音響や照明で“異常さ”を誇張している。また、森田監督は「ポップでキャッチーなホラー映画」を目指したらしい。編集にその苦労が見て取れる。が、映画全体に漂う臭いが異常なので、私にはポップ感はあまり感じなかった。
大竹しのぶがいい。こんな巨乳だったけ?と思いパンフレットを見たが、あれは詰め物らしい。なら、「乳吸え〜!」と吼えるシーンのおっぱいも、別物か。
下らない勘違い映画の多い日本で、個性のある数少ない映画監督の作品。観ておいて損はないと思う。
しかし、あんなにアドリブや思いつきを連発するような現場(らしい)では、脚本家はたまったもんじゃないな。


『リトル・ボイス』
観た日:1999/12/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★☆

監督・脚本は『ブラス!』(1996)のマーク・ハーマン、脚本・原戯曲(原作のミュージカル)はジム・カートライト、音楽はジョン・アルトマン、編集はマイケル・エリス。主演に『メンフィス・ベル』(1990)『ライフ・イズ・スウィート』(1991)の“天才”ジェイン・ホロックス、共演に『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)『秘密と嘘』(1996)のブレンダ・ブレシン、『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)『スター・ウォーズT/ファントム・メナス』(1999)のユアン・マクレガー、『アルフィー』(1966)『ハンナとその姉妹』(1986)のマイケル・ケイン。

リトル・ボイス(LV)(ジェイン)は、口やかましい母マリー(ブレンダ)とは正反対の、自閉で内向的な少女で、いつも亡き父の形見のオールディーズのLPレコードを聞いている。2人の家に電話がついた。電話屋のビリー(ユアン)は、鳩を唯一の友とするこれまた内気な少年だが、LVが気になって仕方がない。ある日、マリーは飲み屋で知り合った興行師のレイ(マイケル)を家に連れ込んだ。停電の中、2階からLVの歌声が聞こえてきた。それは、まさにジュデイ・ガーランドの「虹の彼方に」に他ならない!レイは、LVの天才的な歌とその物真似を惚れ込み、ぜひステージに立ってくれとお願いするが、LVは人前で歌うなどまっぴら御免!しかし、彼女の歌は金になる。無理矢理クラブに引っぱり出したLVは、そこで愛する父の面影を見て、勇気が湧き、歌い始める。金の卵を見つけたレイとマリーは、次の舞台のセッティングをする。

……最初、ジェイン・ホロックスの歌を見て、「こりゃ〜上手な吹き替えだ。実際に歌ってはいるようだが。しかし、よくジュディ・ガーランドやマリリン・モンローやビリー・ホリディのカラオケがあったもんだ」と思った。だから、確かに良い出来(ただしエンディングに至る10分間は「?」)の映画だが、もう観なくてもいいや、と考えていたのだ。しかしパンフレットのライナーノーツを読んで、脳天に火花が散った。あの「歌」は、吹き替えではなかった。ジェインが自ら歌っていたのだ!
まさに、世紀末のジュリー・アンドリュース!しかも、原題は1992年初演の舞台劇『The Rise and Fall of Little Voice』で、ジェインはそこでLVを演じ続けていたのだった。
そして、脇役が素晴らしい。特にマリーを演じるブレンダ・ブレシンの怪演!色と金に狂った中年女の滑稽さと執念と悲哀を、体中からほとばしらせる。そして、マイケル・ケイン演じるレイと、金子地獄の火に炙られていくのだ。
圧巻のステージと、かくも醜い大人の欲を頑なに拒絶するLV。エンディングの処理が未消化なので後味の悪さはあるが、しかし、“奇蹟の女優”ジェイン・ホロックスを、是非とも観に行ってもらいたい。


『梟の城』
観た日:1999/11/26 お薦め度:★★ もう一度観たい度:☆

監督・脚本は『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『写楽』の篠田正浩、合同脚本は成瀬活雄、美術は西岡善信、衣裳は朝倉 摂。主演は中井貴一、共演に鶴田真由、上川隆也、葉月里緒菜、マコ・イワマツ、小沢昭一、中尾 淋、根津甚八。

織田信長に滅ぼされた伊賀の里。その恨みを晴らすべく潜伏する忍者たちは、しかし時代が豊臣秀吉(マコ)に移り、復讐の機会を逸する。そんな忍者の1人である葛籠(つづら)重蔵(中井)は、茶道の大家である今井宋久(小沢)から「秀吉暗殺」の依頼を受ける。忍びとしての生き様を捨て功名を欲す風間五平(上川)、雑技団として市井になじむ木さる(葉月)、徳川家康(中尾)に庇護されている甲賀忍者の長・服部半蔵(根津)に心を支配され、葛籠に近づく小萩(鶴田)。幾度の失敗と犠牲を乗り越え、葛籠は遂に大阪城に忍び込む。

原作は司馬遼太郎。直木賞作である。
まず脚本&編集。へったくそ!観客サービスかなんか知らないが、意味無し濡れ場に吐き気。
次に映像。冒頭の織田勢が伊賀の里を襲うシーンで、照明や煙に、赤や青の色を付けてる。グレート・クロサワのまねである。これでもうアウト。大阪の町などの遠景にCGを使い、この辺はまぁ少しは頑張ってるかなとも思ったが、夜の忍者シーンは昔のアメリカTV(『コンバット』とか『ララミー牧場』とか)みたいに昼撮り!個人的に、大嫌いな手法である。
編集もダレダレ!
加えて、中井貴一をはじめキャスト連中が、舞台役者みたいな節回し(北野武が最も忌み嫌うあのしゃべり方だ)でセリフを吐きやがる!唯一はマコ・イワマツ。さすがはハリウッド俳優だ。
以上、本邦初の、もう一度観たい度で星0個のクソ映画でした。
篠田、司馬の墓前で腹を斬れ!


『シックス・センス』
観た日:1999/11/09 お薦め度:★★★★★  もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本は29歳の天才M.ナイト・シャマラン、制作総指揮にサム・マーサー、制作に『E.T.』『ポルターガイスト』『生きてこそ』のフランク・マーシャル&キャスリーン・ケネディ(ケネディ/マーシャル・カンパニー)とバリー・メンデル、特殊メイク(SFX)に『エイリアン2』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』『シザー・ハンズ』のスタン・ウィンストン・スタジオ、視覚効果(SFX)は『プレデター』『ザ・ロック』『アルマゲドン』のドリーム・クエスト・イメージズ、撮影監督は『羊たちの沈黙』『フィラデルフィア』『青いドレスの女』のタク・フジモト。主演に『ダイ・ハード』『フィフス・エレメント』『アルマゲドン』のブルース・ウィリスと『フォレスト・ガンプ/一期一会』のハーレイ・ジョエル・オスメント、『ポストマン』のオリビア・ウィリアムス、『ミュリエルの結婚』『ベルベット・ゴールドマイン』のトニ・コレット。

小児精神科医のマルコム(ブルース)は、フィラデルフィアで何人もの子供を治療してきた。しかし、市長から表彰された日に、ビンセントというかつての患者に銃で撃たれてしまう。翌年の秋、マルコムは1人の患者と出会う。彼はコール(ハーレイ)。たった1人の家族である母親のリン(トニ)にも心を閉ざしている8歳の少年だ。マルコムは、妻のアンナ(オリビア)との関係を修復できぬまま、コールに歩み寄ろうとする。マルコムを認め始めたコールは、今まで誰にも打ち明けなかった秘密を打ち明ける。「僕、死んだ彼らが見える」。コールは、かつての救えなかった、自分を撃ったビンセントに症状に似ていた。コールの言葉を信じられないマルコムは、ビンセントとの治療の際の録音テープを聞き返す。すると、微かに、スペイン語で「死にたくない」と繰り返すビンセントの言葉が聞き取れたのだった。コールは嘘をついていない。直感したマルコムはコールに、見える死者に話しかけ向き合うことを提案する。コールは、自分の“第6の感覚=シックス・センス”と対峙し始める・・・

不協和音の音楽とのバランスが恐怖感を効率よく高めているとか、不安定に揺れるカメラワークが益々ゾッとさせるとか、もちろんその通りなのだが(「新感覚スリラー」と称される謂われである)、違う違う!
断言する。これは“ホラー”でも“スリラー”でもない!親子・夫婦・友人という絆を描く力作である。親子の絆は、あらゆるお互いの無知を凌駕する。夫婦もまた同じ。
決して嘘ではない。席を立つ観客が、みんな泣いている。ホラーじゃ泣かないだろ?
M.ナイト・シャマラン!この監督の名前を刻み込め!エンターテインメントの全てを1本のフィルムにぶち込む本能は、インド出身のなし得る技なのか?
完全オリジナル脚本、それがなし得た世界一のバックアップ、ブルース・ウィリスのいいおじさん風な好演、そしてそして、神童ハーレイ・ジョエル・オスメント。総てが、完璧な融合をなし得ている。
ことにハーレイ。アカデミー主演男優部門の最年少ノミネート確実、とまで言われている彼。この彼を観るだけの目的でもいい。是非、劇場に足を運んで欲しい。
言いたいことがあり過ぎて、でも、映画の冒頭でブルースと、絶対に内容を話さないって約束したから、これ以上は秘密。
ただし、これだけは言える。スクリーンで観ろ!
(読者の投稿がありますので、こちらもお読み下さい。 
投稿1 )


『ディープ・ブルー』
観た日:1999/11/05 お薦め度:★★★  もう一度観たい度:★★★

監督は『ダイハード2』『クリフハンガー』のレニー・ハーリン、制作総指揮は『ホームアローン2』『アウトブレイク』のダンカン・ヘンダーソンと『評決のとき』『ツイスター』『マトリックス』のブルース・バーマン、脚本はダンカン・ケネディとドナ・パワーズ&ウェイン・パワーズ、美術は『ロボコップ』『トータル・リコール』『スモール・ソルジャーズ』のウィリアム・サンデル、アニマトロニクスは『フリー・ウィリー』『フリッパー』のウォルト・コンティ。キャストにサフロン・バローズ、『ブギー・ナイツ』のトーマス・ジェーン、『トイズ』のLL・クール・J、TV『ER』のマイケル・ラパポート、『交渉人』のサミュエル・L・ジャクソン。

洋上に浮かぶ海洋研究施設“アクアティカ”では、サメの研究を行っている。サメはボケないしガンにならないので、そのメカニズムをアルツハイマーなどの病気の薬に利用したいのだ。しかし、その為に遺伝子操作を加えられたサメは、第一世代は4.5m・900kg、第二世代はなんと8m・4,000kgもある!さらに、マカリスター博士(サフロン)が手柄を焦って行った脳のDNA操作によって、人間並みの知能をも獲得していた。製薬会社の社長でこの研究の投資をしているラッセル(サミュエル)が、“アクアティカ”を訪れたときは、ちょうどハリケーンが迫ってきていた。彼は実験成果を確認したが、麻酔から突如目覚めたサメが暴れだし、負傷者が出る。駆けつけた救助隊のヘリコプターに吊された負傷者はワイヤートラブルで水面に落下、それをサメが襲い、引きずられたヘリは施設の管制塔へ衝突!暴風雨と火災の中、“アクアティカ”は水没し始め、サメはその中へ侵入、人々を襲い出す。

“海上”で“大嵐”で、“水没”し始めた“炎上”中の施設の中に、“巨大”で“人間並みの知能”を持った“サメ”!しかも、大抵の映画は、生き残るのが誰かわかっちゃうもんだが、この映画は、最後の最後まで予測不能(LL・クール・Jだけは、バレバレ?だけど)。
最初、またまたハリウッド製のダメダメSF映画の1つと思い、あまり気乗りじゃなかったのだが、どっこいそこはレニー・ハーリン監督、さすがの手腕である。普通『ジョーズ』という古典かつ偉大な“サメ映画”が存在するのだから(未だに“生き物パニック映画”では、『ジョーズ』が一番だと思う。脚本・編集・音楽、すべてのバランスが高度で、今観ても色褪せていない)、大体が尻込みしそうだが、やはり勇気の源は脚本なのだろう。パニックムービーの代表作になり得る完成度を持っていると言えよう。
おもしろいです。観て損した気はしないと思うよ。


『54』
観た日:1999/10/22 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★☆

監督・脚本はこの作品が長編デビュー作のマーク・クリストファー、プロデューサーに『ルル・オン・ザ・ブリッジ』のアイラ・ドゥッチマンと『レザボア・ドッグス』のリチャード・N・グラッドスタインと『ウェディング・バンケット』のドリー・ホール。主演に『クリムゾン・タイド』『ラストサマー』のライアン・フィリップ、共演に『オースティン・パワーズ』シリーズのマイク・マイヤーズ、『ザ・クラフト』『スクリーム』『ワイルド・シングス』のネーヴ・キャンベル、『デスペラード』『パラサイト』のサルマ・ハエック。

ニュージャージ州のガソリンスタンドで働くシェーン(ライアン)は、毎日のありきたりな生活から抜け出したい。雑誌で憧れている隣の州・ニューヨークにある最もスキャンダラスなディスコ『スタジオ54』に、友人と向かうことにする。入り口では、オーナーのスティーヴ・ルベル(マイク)が“ヴェルヴェット・コード”と呼ばれる、入場者の選択を行っていた。混乱の大人数の中から、シェーンは見事スティーヴの目に適い、入場を許される。中は、王妃もセレブリティ(芸能人)も配管工も関係なく、恍惚と快楽とリズムに身を委ねていた。ドラッグ。セックス。何でもありの世界に一夜浸ったシェーンは、『54』で働くことを決心する。彼はスティーヴに運良く認められ、ウェイターからどんなことでも可能なバーテンダーへと、身体1つで昇格していく。しかし夢はうたかた、長くは続かない。

アメリカ東海岸製の映画。1979年という、アメリカが快楽文明を最も強く発していた1の時代に、その情報発信基地として君臨した『スタジオ54』をリアルに再現している、と言う事だ。
史実を徹底的に検証し、細微にわたり再現したそうです。が、それなら余計に、何というか、狂ってるよアメリカ!『アイズ・ワイド・シャット』も、キッドマン&ハンクス演じる上流階級専門の医師夫婦が、ベッドでマリファナを回し飲みしているが、ドラッグは日常なのか。『スタジオ54』内では、あらゆるドラッグ、あらゆる形態のセックスが、フロア所狭しと繰り広げられ、オーナーのスティーヴ・ルベルもヤク中。これに、本当に憧れていたのか、アメリカ国民?
スキャンダラスでミステリアスでグラマラスなのは解った。でも、これは私にとっては異常です。良い子の皆さんは、まねをしてはいけません。これは“自由”ではありません。ソドムです。


『秘密』
観た日:1999/10/22 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『病院に行こう』シリーズ、『お受験』の滝田洋二郎、脚本は『国会へ行こう』『SF サムライ・フィクション』の斉藤ひろし。主演に日本一勃たないアイドルの広末涼子、共演に小林薫、岸本加世子、金子賢。

法事兼スキーツアーの為に田舎へ向かった直子(岸本)と藻奈美(広末)の乗った夜行バスが谷底へ転落した。病院へ駆けつけた平介(小林)の前で、直子は息を引き取り、直後、藻奈美は目を覚ました。呼びかける平介に「私、直子よ」と答える藻奈美。娘の肉体に妻の精神が入り込んだのだ。40歳の“直子”は、外では18歳の女子高生としての“藻奈美”の人生を、家では平介の世話をする“妻”としての二重の生活をする事になる。一見、やりくり出来そうなこの秘密生活だが、平介は“直子”の性的欲求に“藻奈美”の体が枷になり答えられない。やがて彼女は医大に合格し、ヨット部にも所属し、“藻奈美”としての生を謳歌し始める。行き場のない疎外感に暮れる平介。しかし、バスの運転手を父に持つ文也(金子)の、家族に対する秘密に触れた平介は遂に、“直子”に「藻奈美として生きろ」と伝える。直後、彼女に“藻奈美”が戻ってくるようになる。ある日、“直子”が「最初にデートしたあの岬に行きたい。きっと最後の“私”になると思うから」と言う。平介と“直子”は最後の時を過ごし、以降、“直子”は去って“藻奈美”だけが残る。そして数年後、藻奈美と文也の結婚式を迎える。

東野圭吾のベストセラーミステリの映画化。いつものように原作を読んでいない私は、一つの仮説を立てて足を運んだ。この映画を観た人・原作を読んだ人・ミステリ小説を後ろから読む人は、以下のクリップに飛んで下さい。映画を楽しみたい人は、見ないように!  
“藻奈美”は“藻奈美”   “藻奈美”は“直子”
さてヒロスエ。娘の体に母が憑依する、いわば二重人格の役なのだが、最初のほうはともかく、途中から役分けがチャランポランになってしまってて、ただの女子大生、つまり“素”になってしまっている。精神的に姉妹に近い母親であったから、という善意的解釈もかなり苦しい。小林薫にパンツ脱がされても(私見だが、あれ、ダミー女優じゃない?詳しい事知らないけど)全然興奮しないのもヒロスエならでは。それに、いい加減ちゃんとキスくらいしろよな。
一方の小林薫。いくら娘の体に妻の精神が入り込んだ、なんて奇特な状況だったかといって、少しは悲しまんかい!いつもいつもヘラヘラしやがって。
あと、岸本加世子。最後のシーンで、小林の肩にもたれながらの「ありがとう」のセリフの次に「ゴメンね」を瞬時に連想してしまった私は、バカ?(わかんない人は『HANA-BI』を観てね。)
まぁ、とどのつまりは、映画の基本は脚本ですね。俳優陣に興味のない人も、充分楽しめるのではないでしょうか。


『ラン・ローラ・ラン』
観た日:1999/10/19 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督・脚本・音楽はトム・ティクヴァ、撮影はフランク・グリーベ、編集はマティルデ・ボンフォイ。主演にフランカ・ポテンテ、共演にモーリッツ・ブライプトロイ。

ローラ(フランカ)は、恋人でチンピラのマニ(モーリッツ)の「20分以内に10万マルク必要だ」という電話を受ける。ボスに渡すべき金を地下鉄に忘れてしまったのだ。しかもそれは浮浪者に持ち去られてしまった。アパートを飛び出し、銀行頭取の父の元へ走り出すローラ。すれ違う人々に目もくれず走るローラ。しかしマニは彼女を待ちきれず、スーパーマーケットに押し入る。レジからお金を奪ったはいいが、ローラは警官に撃たれてしまう。「こんなはずじゃないわ」と一心に思うローラ。彼女の意志、マニへの愛は、時間を20分巻き戻す。

ドイツ映画としては久しぶりのスマッシュヒットである(『Uボート』以来?そりゃまた随分と前だこと!)。スピード感、コンピューター音楽(ジャーマンテクノ、だってさ)の緊張感、俳優達のひたむきさ。なによりもカット(編集)の実験性だ。といっても堅苦しいものではない。1コマ何万ドルなんて馬鹿げた金をかけるまでもなく、如何に観客を驚かすか、という、苦心と自信の吐露だ。アニメと実写のつなぎ方、ローラを中心に回転するカメラ(『マトリックス』のそれとは正反対の手法!)、広角・望遠のレンズを駆使してローラの走りを追いかけるカメラ。最後のエンドロールが上から下に進むのも提案性がある。
多くのパブリシティが示すとおり、簡単に言ってしまえばこの映画は、ローラが走る、それだけだ。速いわけでもない、美しいフォームでもない、でかいお尻のローラが、それでも一途に無心に走る走るベルリンを!その一生懸命さが奇蹟を起こすのだ。といっても、冒頭から既に、ローラは自らが持つ超能力を見せる。だから、極めて強引な、ご都合主義ともされそうな、2度にもわたる“時間の巻き戻し”をも少なからずの説得力を持つ。
3度にわたりローラとすれ違う人々の、3度とも違うその後の人生。3度目に勝利(まさしく大勝利!)を勝ち取ってしまうローラの人生。評論家は物知り顔に、新首都として機能させるべく準備に勤しむベルリンに住む人々に、人生はひょんなことから変わる、変えられる、と示唆したことがドイツ新記録の大ヒットになった、と言うが、深読みし過ぎだよ、それは。テンポ(脚本と編集)とパワー(俳優の情熱)で、充分に人は映画館に足を運ぶのだ。
それにしても白人独特の、尻と腿の外側に肉が付いていく太り方、その片鱗を見せるフランカ・ポテンテの、今後の活躍は如何に?


『ホーンティング』
観た日:1999/10/08 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

監督は『スピード』『ツイスター』のオランダ人ヤン・デ・ボン、脚本は今回初作品のデビッド・セルフ、あと省略(ドリームワークス組のいつもの連中)。主演に『ショート・カッツ』『身代金』のリリ・テイラー、共演に『スター・ウォーズ エピソードT』の鑑真和尚リーアム・ニーソン、『マスク・オブ・ゾロ』『エントラップメント』のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、『アナコンダ』『アルマゲドン』のオーウェン・ウィルソン。

長年の闘病の末亡くなった母の面倒を一手に引き受けてきたネル(リリー)は、極度の不眠症に悩まされていた。不眠症の人を対象とした医学実験の被験者募集の新聞広告を見たネルは、破格の報酬だったこともあり参加することにした。場所は“ヒルハウス”と呼ばれる、地元の住人が夜には決して近寄らない古城である。“ヒルハウス”で、同じく被験者として集まってきたテオ(キャサリン)やルーク(オーウェン)らと、募集をかけた医者のデビッド(リーアム)がおち会った。しかしデビッドの真の目的は、恐怖に対する人間の反応を調べるというものだったのだ。夜になり、“ヒルハウス”では怪奇な現象が起こり始める。しかしネルは、それらに自分が深く関与していることに気付き、“悪霊”に立ち向かう。

クソ映画である。利権とか俳優(プロダクションと言った方が適切か)のエゴや契約が透け透けの、ハリウッドの小汚い部分がプンプンの作品である。SFX・VFXにしても、折角持っている技術を使わなきゃ損、と考える気持ちもわかるが、あんまりバカにしてるんじゃないのじゃないの、ドリームワークス!『ハムナプトラ』と同じで、気分悪いよ!しかも『ハムナプトラ』は俳優にもまだ仁義があったが、何だい、この映画は!
ど〜してキャストの最初がリーアム・ニーソンで、次がキャサリン・ゼタ=ジョーンズなんだ!誰がどう見ても主人公はリリ・テイラーだろう!ネームバリューというか俳優の“格”というか、スピルバーグ組の2人への贔屓というか、そんなものが鼻に突いてならない。
この悪人2人が、どうせ「ほら、フィルムに出ている時間について、契約書にこう書いてあるでしょ」みたいな事を言ったんだろう、編集も間延び!もっと切れ!
さらに「私達が死ねるわけないでしょ!代わりにあの、いっぱしにストーリーを引っ張って目立ってるリリーを殺して!そ〜すれば私達、脇役扱いでも少しは気が紛れるわ」みたいな事を言ったに違いない。いや、ヤン・デ・ボン監督の意図かも知れん。しかし、そんな会話も聞こえてきそうである。あぁキャサリン、お気に入りだったのになぁ・・・
坊主憎けりゃ、じゃないが、こうなるとあら探しも容赦ない。エンディング間近で、悪霊に吹っ飛ばされたリーアムの、飛ばされた先の柱か壁かわかんないが、間違いなく大理石か青銅で出来ているはずのそれに手をついて起きあがる場面。なんでグンニャリへこむんだ!ラバーかなんかで出来てんだろ、それ!まぁラバー製でも構わないが、そんなのなんで編集時にチェック出来ないんだ!
ダメダメハリウッド製映画の、典型的見本。胸くそ悪くなるのを承知で観たい、という方はどうぞ。


『ノッティングヒルの恋人』
観た日:1999/10/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『PERSUASION』『TITANIC TOWN』の(殆ど無名)ロジャー・ミッチェル、脚本・制作総指揮は『フォー・ウェディング』『ミスター・ビーン』シリーズのリチャード・カーティス。主演に『モーリス』『フォー・ウェディング』の“たれ目”ヒュー・グラント、共演に『マグノリアの妻たち』『プリティ・ウーマン』『ペリカン文書』の“アヒル顔”ジュリア・ロバーツ、『AUGUST』『ツイン・タウン』のリス・エヴァンス。

ウェストロンドンのノッティングヒルで売れない旅行書専門店を営むウィリアム・タッカー(ヒュー)は、妻には駆け落ちされるし、同居人のスパイク(リス)はとんでもなく変なヤツだし、さえない人生を歩んでいた。ある日、店に見たことのある女性がトルコの本を求めにやってきた。彼女は、世界一有名で美しい女優アナ・スコット(ジュリア)。アナは本を買い、出ていった。ウィリアムは彼女を見送り、ため息をつく。ところがそのあとすぐに彼は、街角でアナにぶつかり、買ってきたオレンジジュースを浴びせてしまう。ウィリアムはアナに、自分のアパートで着替えるよう促し、アナも彼に誠実さを感じ応じる。帰りがけ、アナはウィリアムにキスをする。びっくりするウィリアム。数日後、スパイクから、女性から電話が会ったことを伝えられたウィリアムは、アナとの再会を果たす。その日はウィリアムの妹の誕生日で、アナは同席を望む。パーティに集まった友人達は、大スターのアナに驚きながら、あくまでウィリアムの女友達として接する。ノッティングヒルの心優しい人々に安らぎを覚えるアナ。そして、ウィリアムを深く愛するようになる。しかし、アナはハリウッドの大スター、しがない本屋のバツイチ男は、彼女の生きる世界からはあまりに遠い。

初めにお断りするが、これはヒュー・グラント主演の映画である。誰が何と言っても、ジュリア・ロバーツは共演者である。鼻息荒く言わせていただく。といっても、『恋に落ちたシェイクスピア』のオファーを蹴ってまでこの役を取ったと噂されるジュリア、なかなかいいです。彼女、私の基準から言えば、決して美人ではない。ゴージャスな顔だ。目はかわいい。まぁ、メグ・ライアンよりはいい。
結局の所、男に都合のいい恋愛物語だ。それがそう思えないのは、ウィリアムの、というかヒュー・グラントという人物の醸す人柄の成すところ、これに尽きる。
ウィリアムは、誠実で不器用で、優しいが故に傷つきやすくて、その心の傷を癒やすのに多くの時間を必要とし、再び同じ傷を負うことに臆病になっている。しかし、だからこそアナのような大女優が心を許したのだ。
一方、アナには、猛烈に忙しいスケジュールや、、有名俳優とのスキャンダルや、過去のヌードグラビアを煽るマスコミや、普通の生活を送っている人とは全く無縁の出来事ばかりで、だから彼女は“普通”に惹かれる。ウィリアムの妹の誕生パーティでは、「19歳の時から太っちゃダメ。いつもお腹が空いてるわ。今は映画に出てるけど、もうすぐ年を取って、アナ・スコットに似ているおばあちゃんになる。みんなが知ってるアナは、映画の中にいるから」と、デザートを賭けた“情けない競争”に参加する。
本来、あり得ない出会いであり、継続しない恋愛である。アナがロンドンに滞在する時のみが、2人が会える時間であり、それぞれの別れ際には、ウィリアムがこれでもか!とばかりに傷つく。会えないままで1年、なんてことも(このくだり、ストリートを歩くウィリアムに四季が展開するシーン、古典的だが上手い!)。しかし、アナはウィリアムを愛していた。出会った瞬間から。だから、ウィリアムを求めたし、彼の、元恋人の言うところの“もうやめて!となっちゃう耳へのキス”も心地よかった。まぁ、やっぱり、女というものは、素の姿をさらせる相手を見つけたときは、強いのだった。
あと、忘れちゃいけないスパイク役のリス・エヴァンス!こんなアナーキーなヤツ、血縁にはいて欲しくないが、遠い友達に1人くらいはいてもいいかな。
脚本のリチャード・カーティスは、例の“ミスター・ビーン”ローワン・アトキンソンと旧知の仲で、コメディはお手の物だ。しかし本作は、笑いはちりばめられてはいるが、しっとりと仕上がっている。舞台がニューヨーク(=アメリカ)でないところもいい。
編集は長すぎる。俳優との契約のせいか。もっとチョキチョキ切って欲しかった。


『マトリックス』
観た日:1999/09/28 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本・制作総指揮は『バウンド』のラリー&アンディー・ウォシャウスキー兄弟、視覚効果(VFX)は『奇蹟の輝き』でアカデミー視覚効果賞を得たマネックス社、撮影は『バウンド』のビル・ポープ、アクション監修・指導は『ドランクモンキー・酔拳』『フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳』の、アジアの至宝ユアン・ウー・ピン。主演に『スピード』『デイアボロス』のキアヌ・リーブス、元モデルのキャリー=アン・モス、『ボーイズ’ン・ザ・フッド』『ティナ』のローレンス・フィッシュバーン、オーストラリアを代表する男優であるヒューゴ・ウィービング。

コンピューターソフト開発会社に務めるネオ(キアヌ)は、もう1つ、ハッカーの顔を持つ。彼は、いつしかコンピューターに没頭する自分と実生活上の自分とに、その境界線が曖昧な感覚を覚えるようになった。その理由が知りたい。ある日、パソコンのモニターに「起きろ」「マトリックスが見ている」「白うさぎについて行け」という文字が出る。友人の女友達の左肩に“白うさぎ”の入れ墨を見つけたネオは、彼らの誘いに乗り、クラブへ向かう。そこで会ったのはトリニティ(キャリー=アン)だった。彼女に導かれて出会ったモーフィアス(ローレンス)から、ネオは、『今は1999年ではなく2199年頃で、“現実”と思っている世界は知能を持った巨大コンピューターが作り出した“マトリックス”という仮想世界(バーチャルリアリティ)であり、本当の人間は、その生体エネルギーをコンピューターに供給するために“栽培”されている』という驚愕の事実を聞かされる!人間が本当の自由を勝ち取る為には、この“マトリックス”の呪縛−−五感・物質の質感から重力から、何から何までコンピューターに作られたもの−−から解き放たれなければならないのだ。そしてネオは人類の救世主だと言うのである。確信の持てぬまま、ネオは“マトリックス”での反乱分子管理システムである、“マトリックス”上では理論上最強の存在であるエージェント・スミス(ヒューゴ)と戦う。

評価について2日間考えた。ストーリーはアニメコミック、カメラワーク(VFX)は日本のテレビゲームの格闘技モノ、アクションは香港ムービーだ。総括してしまえばそれで終わり。しかし!観終わった今は何と、観ていたとき以上に興奮しているのである。もう一度観たい!と思う。それが正直な感想なのである。
ウォシャウスキー兄弟は本作のアクションを、傾倒しきっていた香港アクション映画の巨匠であるユアン・ウー・ピンに依頼した。ユアンは出演者に4ヶ月に及ぶ訓練を希望した。お茶を濁すが如くの幼稚な振付にはウォシャウスキー兄弟も望んではいなかったし、キアヌら出演者もユアンを師事していたので、この無謀ともいえる拘束に快諾した。かくしてハリウッド初の、役者が自らの肉体を駆使しワイヤーアクションやカンフーアクションを演じきった、“本物”の活劇が完成した。
その格闘シーンを、あたかも日本のテレビゲームやゲームセンターの格闘モノのようなカメラワーク(アクションシーンを、俳優達を中心に360度回転させたりする。俳優の周囲に120台のカメラを置いて撮影し、それを編集したそうだ。拍手!)で処理して完成させた。パンフレットにあった蘊蓄を一つ。VFX(ヴィジュアル・エフェクト=視覚効果)というのは、撮影終了後のフィルムに対しCGやデジタル合成やアニメなどの二次的な効果を加えることをいう。一方、SFX(スペシャル・エフェクト=特殊効果)は、機械装置や人的な捜査(雨・風のような天候、爆発・銃器効果など)を指す。で、この作品でVFXはまた新しい可能性を示した。しかしながら本作に関しては、上記の肉体演技がVFXを凌駕しているのは明白である。たとえ、ヘリコプターでぶら下がったキアヌとローレンスの、繋いだ手に命綱が見えたとしても(あら探しするなって)。
そして、まさしくアニメチックなストーリー。後頭部に開けられた穴(コンピューターに肉体を支配されていたときの名残で、人間を“マトリックス”に支配させるのに必要)にプラグを差し込むことで、“マトリックス”にアクセスし、管理システムのエージェントと戦う、のである。ソニーやセガや任天堂の考えることである。これを実写で違和なく映像化したのである。見事!
キアヌが、体が締まっていて切れがありかっこいい。表情は相変わらず無い(よく解釈すればクール)が。ローレンスが、サミュエル・L・ジャクソンが入っていて、でも良い。キャリー=アンが、これでのし上がろうという気合い充分で小気味良い。
三部作が予定されていて、2・3作目も近日公開だそうだ。楽しみである。
ひとつだけ御不満。パンフレットが綴じA4で且つ変な段組で、しかも高い(800円)!配給会社のバカヤロー!


『エントラップメント』
観た日:1999/09/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★☆

監督はイギリス人で『ラッキー・カフェ』『ジャック・サマースビー』『コピーキャット』のジョン・アミエル、制作総指揮はロン・バスとイアン・スミス、脚本はロン・バスとウィリアム・ブロイルズ、音楽は『ヘルレイザー』『ラウンダーズ』のクリストファー・ヤング。主演に言わずもがなのショーン・コネリーと『ブルージュース』『マスク・オブ・ゾロ』のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、共演に『ミッション:インポッシブル』『素顔のままで』のビング・レイムス、『マドンナのスーザンを探して』『ファイヤーワークス』『アルマゲドン』のウィル・パットン。

ニューヨークでレンブラントの名画が盗まれた。その手口をマック(ショーン)のものと確信する、保険会社に務めるジン(キャサリン)は、マックとの接触に試みる。ジンはマックと、ロンドンに展示されている中国の秘宝・黄金のマスクの強奪を成功させ、信用を得る。次第に惹かれ合う2人だが、マックは“仕事”に私情を交えない。やがてジンは、クアラルンプールにある国際銀行から80億ドルを盗み出す計画を打ち明ける。2000年問題のために一時停止する警備のスキを突くのだ。一方、ジンの上司であるクルーズ(ウィル)は、ジンの行動に疑問を持ちクアラルンプールまで来る。

まずまず練られたシナリオで、退屈はしない。どんでん返しも二転三転し、まずまず(きっと10年昔なら諸手を挙げて喝采したか?すれっからしになったもんだ)。
ショーン・コネリーほど、年を取るほどに味の出る干し椎茸のような俳優も珍しい。自身も自覚しているようで、相当に脚本選びには時間を掛けるようだ。ただし『ザ・ロック』のほうがかっこよかった。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズは今が旬のいい女。ちょっと眉毛書き過ぎだけど。体の切れが良い。相当鍛え込んでいるのだろう、話題の赤外線警報機をくぐる姿が美しい。
まぁ、いいんじゃないでしょうか。面白くない、と言えば嘘になるし。最後の電車のシーンの、ジンの飛び移り方がわかんなくて、何か峰不二子みたいだけど。


『オースティン・パワーズ:デラックス』
観た日:1999/09/01 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★×10!

脚本・製作・主演は『ウェインズ・ワールド』『オースティン・パワーズ』のマイク・マイヤーズ!監督はこれが第一作目のジェイ・ローチ、衣裳は『Dearフレンズ』『ホーリー・ウェディング』のディーナ・アッペル、振付けはエミー賞を2度受賞し『バットマン&ロビン』『ショーガール』のマルゲリーテ・デリックス、音楽は『ワイルドシングス』のジョージ・S・クリントン。共演に『ロスト・イン・スペース』『ブギーナイツ』のヘザー・グラハム、『メン・イン・ブラック』『ボルケーノ』のヴァーン・トロイヤー。

1967年から冷凍冬眠で1997年にやってきた、スーパースパイでカメラマンで世界で一番イケてる男、オースティン・パワーズ(マイク)。彼に地球征服の夢を打ち砕かれたDr.イーブル(マイク2役目)は、宇宙から帰還すると、すぐさま野望に向かって一直線。自分のクローンであるミニ・ミー(ヴァーン)と共にオースティンの抹殺を図る。大デブのファット・バスタード(マイク3役目)をタイムトンネルで1969年に送り、オースティンのパワーの源である“モジョ”を抜き取らせる。“玉抜き”になったオースティンも、エージェントらの開発したタイムマシンで1969年へ戻り、そこで知り合ったCIAのフェリシティ(ヘザー)と活躍、1999年に戻ってきても大活躍、Dr.イーブルを追って月でも超活躍!

本物のバカ映画。何から何までバカ。マイク・マイヤーズが眩しいほどの大バカ!
『007』シリーズのパロディに1960年代後半のサイケ+モッズっぽさを入れて、明るくて下品なエキスをこってり染み込ませて(ただし『メリーに首ったけ』ほどシニカルさはない)、細かいギャグをストーリーが霞むほどにトッピングして。マイク・マイヤーズのセンスにはただただ脱帽である。天才である。
出だしが、もういきなり凄い!パンフレットの言葉を借りて言うならば(これ以上の適切な表現が見あたらないので、あえて引用)「映画史上最もバカなタイトル・バック」。しかも、私の見るところ、この舞台になっているのは、ロンドンのあの『ホテルリッツ』である(違う?)。
現在のTV『サタデーナイトライヴ』の面々や実力俳優や、バート・バカラックやエルビス・コステロやウイリー・ネルソンや、てんこ盛りのパロディや、とにかく無駄なほどに豪華。
公開3日間の興行収入が『スター・ウォーズ エピソード1』を抜いて5470万ドルという今年1番を記録したという。こういう映画を評価するアメリカ、侮り難し。
これを単なるカルトムービーにしてはいけない!いかなる脳味噌の皺の持ち主も見るべし!そして、語り合い、語り継ごう!
あ、エンド・クレジット(タイトル・バックもそうだが、これほど字を読んでる暇のない映画もないだろうなぁ)を待てずに席を立った人、その癖やめたほうがいいよ。理由は、も〜一度、観てみれば?
最後に。こんな映画ではピカイチの仕事をする日本語訳の林寛治。がんばれ!


『ホーホケキョ となりの山田くん』
観た日:1999/08/26 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・脚本は『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』の高畑 勲、プロデューサーは鈴木敏夫、主題歌は矢野顕子。原作はいしいひさいちの『となりの山田くん』(朝日新聞連載)。

山田家の平凡ながらにして起伏ある毎日を、時に切れ味鋭く、時におおらかに描く。
冒頭の、たかし・まつ子の、結婚式からのぼる・のの子を授かるまでのシーンが泣けた。いきなり。若者にはわからないかも知れないが、ここの部分で掴みはOKである。スピードあるギャグも然り、深い思慮も然り。飽きる暇がない。
ストーリーは、あってないが如し。ひたすら原作の追求である。あるいは原作の路線の忠実なトレースである。
ということは、原作は越えられない。今、書いてて分かったが、観ていて非常に面白い作品だが、何か腑に落ちない所があったのだが、理由はここだ。いきなり結論が出てしまった。いしいひさいち、恐るべし!
技術的な部分は、さすがはスタジオジブリ、文句の付けようがない。高畑監督は、新聞連載の4コマ漫画を、そのまんまの雰囲気100%でスクリーンに出す“勇気”の手段に、徹底的な作画構成の排除を選んだ。TVアニメ『タッチ』(作:あだち充)も大胆な余白を導入したように記憶しているが、この映画は余白の導入どころではない。絵(というか線)のほうが少ない。デジタル処理がどうの、セル画を重ねてこうの、という過程はどうでもいい。極めて先進的で独創的な映像、ここだけを踏まえればよい。桜や花火の色の重ね方に目を見張り、低級アニメでは絶対に動かないような端っこの部分が遠近法の通りに動くことに驚く。いしいタッチの線で。それだけでよい。


『アイズ ワイド シャット』※R-18指定 18歳未満の方はご覧になれません。
観た日:1999/08/09 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

製作・監督・脚本は異端の巨匠スタンリー・キューブリック、協同脚本はフレデリック・ラファエル、撮影・照明はラリー・スミス、編集はナイジェル・ゴルト。主演はトム・クルーズ、(ダブルメインと言いたいが私見で)共演に二コール・キッドマン、シドニー・ポラック、マリー・リチャードソン、トッド・フィールド。

ウィリアム・ハーフォード(トム)は成功した内科医で、アリス(ニコール)と7歳の娘と幸せで平和な生活を送っていた。あるクリスマスの夜、知人のジーグラー(シドニー)からパーティーに誘われたハーフォード夫妻は、会場で離れ各々別の異性と会話やダンスを楽しんだ。自宅に戻り、パーティー会場でのお互いの行動に対する軽い嫉妬から始まった会話の中で、アリスはウィリアムに、去年の夏、ホテルで出会った見知らぬ海軍士官に抱かれる妄想を強く持ったことを告げる。「その時、全てを捨ててもいいから抱かれたいと思った」と言うあまりに不意なアリスの言葉に戸惑いながらも、患者の急な呼び出しにウィリアムは外出する。帰路、パーティーで学生時代以来久しぶりにあったピアノ奏者のニック(トッド)の事を思い出し、彼の演奏するカフェへ行く。そこでニックから、これから演奏に向かう秘密の会合の入場暗号を聞く。貸衣装を借りて忍び込んだウィリアムが見たものは、仮面をつけての乱交パーティーだった。会員でないことがばれ、罰せられる事となったウィリアムだが、身代わりを申し出る謎の女性のおかげで、その場を離れることができた。翌日、ニックが何者かに拉致されたことを知り、また謎の女性の正体であろう、ジーグラー邸でのパーティーで助けた女マリオン(マリー)の死を知る。自分も誰かに尾行されていた。

セックス観、特に貞操観に関する内面の葛藤をテーマにおいた衝撃作。
キューブリック監督が生前、「私の最高傑作」と言っていたのも頷ける。無駄なカットが何一つない。無駄なセリフもなく、無駄な演技もない。素晴らしい作品。
映像としての“キューブリック・マジック”の1つは、照明である。赤。青。黄。部屋毎に照らし分けられた光が、画面の緊張を引き出す。
もう1つは、撮影である。室内で人物を撮るとき、超広角レンズで人物に寄って極端な遠近感を作りだし、奥に収束する放射線状のカットを絞り出すとともに、望遠レンズにより捉えている人物のみを絶妙な被写界深度であぶり出す。この2種類の撮影が入り交じることで、観客はキューブリックの罠にかかるのである。
ウィリアムを誘いながら彼のアクシデントで“未遂”に終わり、直後にHIVキャリアーと判る娼婦。貸衣装屋の父親に隠れ使用人2人とセックスしている女の子。訴えるとわめきながら翌日には仲直りをしているその父親。病死した父親の前でウィリアムに口づけする娘。尾行する男。マリオン。ニック。海軍士官。そしてジーグラーの忠告。禁断の扉を開ける暗号『フェデリオ』。現実に見え隠れする妄想、理想と同時に存在する虚構、プライドと堕情。明確な境界はなく、性的欲望に際限もない。
それにしても、アダルトビデオだけじゃなくても金髪のヘアー(頭の毛じゃないぞ、為念)が拝める時代になったのね。
そうそう、ニコール・キッドマン。オッパイもお尻もかっこいいのはわかったから、せめてもう少ししっかり丁寧におしっこを拭くように。
あと、乱交パーティ。完璧主義のキューブリックにしては、疑似ファックだ。ど〜せヤるなら、ガチンコでしょう!


『パラサイト』
観た日:1999/08/09 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督・脚本は『エル・マリアッチ』『デスペラード』『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のロバート・ロドリゲス、脚本は『スクリーム』『スクリーム2 』『ラストサマー』のケビン・ウィリアムソン。キャストに『ディープ・インパクト』のイライジャ・ウッド、ジョシュ・ハートネット、ジョーダナ・ブリュースター、ローラ・ハリス、ショーン・ハトシー、クレア・デュバル、アッシャー・レイモンド、『ターミネーター2 』のロバート・パトリック、『007 7ゴールデンアイ』のファムケ・ヤンセン。

イジメられっ子のケイシー(イライジャ)は、高校のアメフトのグラウンドでサナギのような薄茶色の物体を拾った。生物室で誤って水をかけられたその物体は、突然動きだした。水槽に入れると、泳ぎだして2つに分裂する。一方、アメフト部の監督や他の先生達がいつもと違う。表情が無く、水をやたらと飲みたがる。異常に気付いたケイシーら6人は、この現象がエイリアンによる侵略であるとし、高校中に広がる得体の知れない勢力と対決することとなる。しかし、実は仲間の中にも、体を乗っ取られた者がいるかも知れないのだ。

何て事はない、キャラクターは『エイリアン』の、ストーリーは『遊星からの物体X』(カーペンター監督作のほうね)のパクリである。それに、親玉エイリアンが死ぬと、子供エイリアンもみんな死んじゃうってのも変だ。
まぁ、いろいろ変だしいい加減だし二番煎じなのだが、おもしろい。セリフややり取りも笑える。
ロバート・ロドリゲス監督は、『エル・マリアッチ』製作のための資金を、製薬会社の新薬開発の実験台になって稼いだという逸話の持ち主。脚本から編集からカメラから、何から何までやらないと気が済まないらしい。その辺のオタクなこだわりが、この映画がただのパロディにならない理由かも知れない。
ピンク・フロイドの「another brick in the wall」のリメイクがいいところで出てくる。どこかは秘密。
でもまぁ、何よりおいしいのは、数年先には間違いなくスターとなるであろう俳優の宝庫だということだ。ジョーダナ・ブリュースター、いいっす。チェック!


『永遠と一日』
観た日:1999/07/16 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『旅芸人の記録』『ユリシーズの手紙』のテオ・アンゲロプロス、撮影はヨルゴス・アルヴァニティスとアンドレアス・シナノス。主演は『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツ、共演に『堕ちてゆく女』のイザベル・ルノー、アルバニア難民のアキレアス・スケヴィス。

偉大な詩人のアレクサンドレ(ブルーノ)は不治の病に冒され、自らの肉体が「今日1日しか命が続かない」と言うのを聞いた。子供の時から住んでいる海辺の家。少年の頃の泳いだ日、または娘が生まれ親戚がみな訪ねてきた時の事、つれづれに思い出しながら、犬を娘に引き取ってもらおうと車を走らせる。そこに、アルバニアからの難民の少年(アキレアス)が窓を磨きに来る。警察に追われる彼をとっさにかばい、アレクサンドレと少年との旅が始まる。アレクサンドレは孤独で、少年もまた孤独。しかし、少年は命を賭けて国境を越え、また今夜何処とも知らぬ土地に旅立つ。アレクサンドレはただ待つのみ。幾重にも重なり、過去が去来する。そして朝が来る。

1998年のカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得したギリシャ映画。
まず、5分10分当たり前の、長い長いカットである。それも、ただ役者のセリフや演技を追うのみのシーンではなく、現在から過去へ飛んだり(室内から窓の外へ出ていくと家族に囲まれた風景になる、とか)、その場面に次に起こる出来事を巧みにつなぐのである。一度観たら忘れない編集、というかカメラワーク、というか監督の力量である。
死期を知ったとき、人は過去を想い浸るだろうか。現在を清算するだろうか。未来に何かを託すだろうか。恐らく、割合は違えどその全てを成すだろう。そして、アレクサンドレのようにいくらかの焦燥感を持って、その時を迎えるのだろう。成し遂げて、少なくとも、妥協無しに区切りをつけて命を終わることの難しさ。ほとんど困難なこの命題を、やはりあがきながらアレクサンドレも体験する。「私はただ言葉をちらかしただけだ」と。
ブルーノ・ガンツが素晴らしい。彼はギリシャ語が話せず、演技はするが言葉は吹き替えなのだそうだ。日本語の字幕を読んでいる私たち日本人にはどっちでもいいけど。
少年(彼、名前なしです)の難民仲間のセリムがリンチで死に、死体安置所に置かれている場面。少年が顔を覆った布をとり、声無く泣くその時、セリムが動くんだよなぁ。しかも顔が。ゴメン、揚げ足取りで。でも凄い気になるんだもん。
ちょっと文句を言いましたが、深く静かな想いをもたらす映画。明るくはないが癒やされるものがある。


『スター・ウォーズ エピソード1』
観た日:1999/07/14 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本・製作総指揮にジョージ・ルーカス、撮影監督に『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』のデイヴィッド・タッターソル、視覚効果スーパーバイザーにILM(インダストリアル ライト&マジック。ご存じルーカスのSFX/VFX工房)の重鎮デニス・ミューレンと、同じくILMのスコット・スクワイアーズ、デザイン監督は『ターミネーター2』『永遠に美しく』のILM所属のダグ・チャン、衣裳デザインに『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』『モル・フランダース』のトリシャー・ビガー、音楽は説明不要の御大ジョン・ウィリアムズ。キャストにリーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド、レイ・パーク、イアン・マクダーミド。

通商連合の強引な武力封鎖に抵抗する女王アミダラ(ナタリー)率いる惑星ナブー。銀河共和国の2人のジェダイ、クワイ=ガン・ジン(リーアム)と弟子オビ=ワン・ケノービ(ユアン)は平和的解決の為に通商連合の司令船を訪れるが、暗殺されそうになる。ひとまずアミダラらと共に惑星ナブーを脱出したクワイ=ガン一行は、通商連合の目の届かない惑星タトゥーインに逃げる。そこでクワイ=ガンは強大なフォースを持つ9 歳の男の子アナキン(ジェイク)に出会う。アナキンは奴隷で武器商人の元で働いていたが、ポッドレースでの優勝で自由を獲得、クワイ=ガンは彼を銀河共和国の首都である惑星コルサントに連れていく。惑星ナブーの現状を訴えるアミダラだが、議会は機能せず、失望とそれを上回る闘志を胸の内にし惑星ナブーへの帰路につく。クワイ=ガンはジェダイ評議会に、惑星タトゥーインで襲ってきた正体不明の敵が、シス(ジェダイと同じくフォースを操る悪の集団)ではないかと提言し、アミダラを守る任に就くこととなる。惑星ナブーは通商連合に制圧され、残るは水陸両性のグンガン族のみになってしまった。アミダラはグンガン族に、共に戦い惑星ナブーを救おうと呼びかけ、ついにグンガン族は戦列に加わることとなる。かくして壮絶な通商連合との戦いが始まった。

前回3部作の1世代前を描く3部作の第1発目。あらゆるパブリシティに紹介されているので変なコメントは避けよう。本コラムなりのへそ曲がりな話を幾つか。
よく、人と違う所で泣けてしょうがない事が、映画を観ているとある。代表作が『E.T.』で、主人公のエリオット少年がE.T.を自転車籠に乗せたまま大人達から逃げる場面で、仲間達に「Come with me!」と叫ぶ所。固い絆で結ばれたE.T.を守ろうとする余り、気が弱くいじめられっ子体質のエリオットがイニシアチブを取って必死になる、その加速度的な成長振りについウルウルとなってしまうのである。で、今回の『エピソードT』では、停まっていた戦闘機に身を隠していたアナキンが、意に反してオートコントロールで通商連合の司令船との戦いに巻き込まれた際、自分の戦うべき意味と相手を認識し、R2-D2の「惑星ナブーへ帰ろう」との問いかけに対し「マスター(クワイ=ガンのこと)に、『ここにいろ』と言われたろう?」と言い放つシーンである。ウルウル。
CGは、もはや実写との完全融合を実現した。最近のCGには辟易していたのだが、本作を観て改めて考えを変えた。というより、どうやら「『スター・ウォーズ』は何だかやっぱり違う」と認めざるを得ない。面白そうな表現ができるからCGを使ってみた、というありきたりのB級映画と違い、ストーリーテラーとして叙事詩を生み出す際に必要だからCGを用い、または開発したというルーカス監督の明確なビジョンに寄るところが大きい。
ともあれ、『エピソードW(最初のヤツね)』のデス・スターを爆発させたときの、排気口にミサイルをぶち込むシーンや、『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』の大量の水で流された丸太が坑道から絶壁へ突き出すシーンのような、アニメーション全開の(つまり、当時はそれ以外の表現方法が無かったのだ)映画よりは本作の方が、これから訪れるデジタル時代での家庭鑑賞にはふさわしい。
さて、例の友情出演のE.T.君達がどこにいるか、わかった?


『アンダルシアの犬』
観た日:1999/07/11 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督はルイス・ブニュエル、脚本はルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同執筆。音楽はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』。1929年のモノクロトーキーである。

三越新宿店で『ダリ展』が開催されており、それを観に行ったら、会場で上映されていた。17分の短編であるが、そこはダリ、ただの映画なんぞ作るわけがない。
彼はシュルリアリズムの旗手として知られているが、彼の作風は、今まで見えていた光景があるときまったく違うように見えるという『ダブル・イメージ』という感覚を自在に操ることで生まれている。この映画もまさにそう。目玉をひげ剃りで切り裂いたり、女性の胸や尻を揉む幻想に浸ったり、自転車に乗った少年が抱えていた木箱の中に切り取った手首が入っていたり、引きずる2本のロープの先にピアノと男と腐った牛があったり、と、きりがない。挿入される時間設定のテロップも、現在−8年後−13年前など脈絡がない。
この“脈絡の無さ”こそダリの持つ世界観を表現する方法の1つであり、如何に脈絡無く映像を繋ぐかに一生懸命に体力知力を注いでいるのである。その意味では大変微笑ましい。
アップで映る蛾の背中の模様に題名の由来を見たが、如何であろうか。


『交渉人』
観た日:1999/07/09 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督は『フライデー』『セット・イット・オフ』の新進気鋭F・ゲイリー・グレイ、脚本は『ジャック』のジェイムズ・デ・モナコと、ケビン・フォックスの共同、編集は『トゥルー・ロマンス』『ザ・ファン』『フェイス/オフ』のクリスチャン・ワグナー。主演に『ジャングル・フィーバー』『パルプ・フィクション』『ダイ・ハード3』『ジャッキー・ブラウン』のサミュエル・L・ジャクソンと、『ワーキング・ガール』『アウト・ブレイク』『セブン』そして『ユージュアル・サスペクツ』で助演男優として助演男優賞をゲットしたケビン・スペイシー。共演に、デイビッド・モース、ロン・リフキン、ジョン・スペンサー、J・T・ウォルシュ、リジーナ・テイラー。

人質をとる凶悪犯との交渉を担当するシカゴ警察のローマン(サミュエル)は、同僚が警察内の年金横領の情報を掴んでいることを知ったが、その同僚の殺人の容疑者に仕立てられてしまう。サミュエルは自分の潔白を証明するために、警察ビルに人質を取って立てこもる。捜査・交渉は難航する。サミュエルは身内の誰も信用せず、自ら交渉人に別区内のセイビアン(ケビン)を指名する。

素晴らしい脚本と編集。飽きさせないだけでなく、サスペンスとして一流の出来だ。
サミュエル・L・ジャクソンが傑出している。冒頭の交渉人としての仕事ぶりで、犯人のライフルを奪った場面。銃口を向けるその手その目が、ブルブル震えている。これからのストーリーでの演技振りへの期待感を煽るに充分だ。
ケビン・スペイシーも素晴らしい。淡々と交渉を進めるが誰も信用せず、自分のみを信じて任務を遂行する。
脇役も100%実力を発揮し、良い出来である。
久しぶりに繰り返し観たいハリウッド映画。賞レースの先頭の噂も納得である。


『鉄道員(ぽっぽや)』
観た日:1999/07/01 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督は『網走番外地』シリーズや『駅 STATION』『藏』の降旗康男、脚本は『マリコ』『海峡に女の歌が聞こえる』の岩間芳樹、撮影は『駅 STATION』『居酒屋兆治』『あ・うん』の木村大作。主演に高倉健、共演に小林稔侍、大竹しのぶ、広末涼子。その他、安藤政信、奈良岡朋子、吉岡秀隆、田中好子、志村けん。

元炭坑町の幌舞を繋ぐ幹線として栄えた幌舞線も、閉山によりその使命を終え、廃線が決定した。蒸気機関車の機関士だった佐藤乙松(高倉)は、このローカル線の終着駅・幌舞の駅長をまかされ数十年、もうじき定年を迎える。彼は無骨なまでに一途に仕事を遂行するが故、17年目にして授かった娘の雪子を生後2ヶ月にして失った時も、愛妻の静枝(大竹)を亡くしたときも、ホームに立っていた。同僚の杉浦(小林)はそんな乙松のことが気がかりで、何かと気を揉む。ある日、乙松のいるホームに女の子がやってきて、人形を忘れていく。夜、その子のお姉さんが代わりに人形を取りに来る。乙松は、その人形に見覚えがあった。確か、死んだ雪子の為に買ってあげたものと同じだ。お姉さんは、またもや忘れて帰ってしまった。翌日、長女(広末)が人形を取りに来る。珍しく我を忘れて話し込む乙松。しかし、やがてその娘が、雪子だと知る。

高倉健、乾坤一擲の大作。20年振りに古巣の東映に帰ってきたこと、東映やくざ映画時代の仲間が定年間近で、彼らと1本撮りたかったという事情、浅田次郎の直木賞作品が題材であること、などなど、取り上げるべきポイントはもちろん数多くあるのだが、やはり高倉健なのである。冒頭のカットの、その醸す雰囲気だけで目頭を熱くさせる役者なんて、世界中探してもいないのである。小林稔侍との絡みもいい。大竹しのぶとの掛け合いもいい。広末との弾む会話もいい。何もかもがいい!
なぜ雪子は乙松に会いに来たのだろう。不器用で頑なな生き方を貫き通した乙松への“ご褒美”だったのだろうか。「もうすぐ一緒に暮らせるよ」と知らせに来たのだろうか。
俳優陣にむらの無いのがい。長い長いカットに潰れぬ演技力がよい。時折見せる笑いがいい。シリアス・ギャグともに冴える志村けんが抜群にいい。
雪子が死んだ時、その墓の前で“ぽっぽや”が肩を組んで歌う歌がある。てっきり国鉄で歌い次がれてきた歌だと思っていたが、この映画の為に作られたものだった。いい歌もらったね、JR。
これぞ、純日本映画である。このコラムを書き始めて、最も“もう一度観たい”映画である。
1つだけ文句がある。広末演じる雪子が乙松に「すぐ死んじゃって、親孝行できなくてごめんね」旨言う場面があるが、これは間違いである。子供というのは、生まれてきたただそれだけで、もう親に対する孝行は済んでいるのだ。


『RONIN』
観た日:1999/07/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★☆

監督は『終身犯』『フレンチ・コネクション』のジョン・フランケンハイマー、脚本は『ダイ・ハード』『ターミネーター』のJ ・D ・ザイクと『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『評決』『アンタッチャブル』のリチャード・ウェイズ、撮影は『愛人/ラマン』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のフランス人ロベール・フレース、編集は『屋根の上のバイオリン弾き』『遠すぎた橋』『砂の惑星』のトニー・ギブス。主演にミスター性格俳優ロバート・デ・ニーロと『グラン・ブルー』『レオン』『ゴジラ』のジャン・レノ、共演に『トゥルーマン・ショー』のナターシャ・マケルホーン、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のステラン・スカルゲールド、『トゥモロー・ネバー・ダイ』のジョナサン・プライス。

ディドラ(ナターシャ)の下に集まった、もと各国家のスパイ達。彼らは冷戦終結後、仕えるべき組織を失い、今は金の為、自らのプライドの為にこの仕事を続けている。今回の仕事は、スーツケースを無傷で盗み出すことである。しかしそのスーツケースはグレゴー(ステラン)の裏切りにより、彼の手により持ち去られてしまう。サム(ロバート)とヴァンサン(ジャン)はグレゴーを追う。そこには、まだ知らされていなかった秘密が隠されていた。

『RONIN』は文字通り“浪人”を指していて、すなわち“仕える君主のいない侍”ということで、この映画のモチーフになっている。複雑に仕組まれた脚本で、展開が安易に予想できない。コマ割りも複雑で、あくびをしているとストーリーが把握できなくなってしまう。
フランケンハイマー監督はこんなのが得意だ。全編に重い空気が流れており、この手のスパイ映画にはよく似合う。
武器の取り扱いに細心の注意がなされており、各俳優がよく理解されているようでリアリティがある。
と、まぁ、こんなもんかな。デ・ニーロが巧いのは当たり前なので、今更。ハード・ボイルド・タッチが好きな人はどうぞ。


『ハムナプトラ』
観た日:1999/06/25 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本は『ジャングル・ブック』『ザ・グリード』のスティーブン・ソマーズ、音楽は『L.A.コンフィデンシャル』『ムーラン』のジェリー・ゴールドスミス。主演に『ジャングル・ジョージ』の2.5枚目俳優ブレンダー・フレイザーと『魅せられて』『チェーン・リアクション』のレイチェル・ワイズ。世紀の悪役に南アフリカの雄アーノルド・ボスルー、『フォー・ウェディング』のジョン・ハナ。

エジプト王家の宝が眠る死者の都“ハムナプトラ”で、そこをそうとは知らずに戦場として戦っていた外人部隊のリック(ブレンダー)は、破れて這々の体で逃げるが刑務所に入れられる。一方、博物館の書士であるエヴリン(レイチェル)は、伝説の“ハムナプトラ”を調査するのが子供の頃からの夢で、リックの存在を知り、彼を助ける。エヴリンの兄ジョナサン(ジョン)らを加えた一行は、同じく“ハムナプトラ”を目指す別隊とともに“ハムナプトラ”に到着、エヴリンはそこで目指す宝の1つ“死者の書”を手にする。それをつい読んでしまったがために、究極の呪い“ホムダイ”により生きながらミイラにされたイムホテップ(アーノルド)を3000年の眠りから醒ましてしまった。エジプトは“10の災い”に襲われる。イムホテップが完全なる肉体を得る前に、その復活を食い止めなければならない。

『スター・ウォーズ』の製作にあぶれたILMのメンバーが、恨みをこめて作ったスマッシュムービー。VFX&SFXの展覧会。はっきり言って食傷気味ではあるが、脚本が細かな配慮に行き届いており退屈しない。
超B級映画である。コップコーンムービーである。デートムービーである。・・・と、これ以上の評価のしようがない映画。また、制作側もこれ以上の評価を欲してはいまい。
冒頭での、イムホテップと不倫する王の愛人のコスチューム。ニプレスが貼ってあるのが興ざめ(なんて、こんなところ見つけないって。いやいや、男なら目ざとくチェックするか)。


『菊次郎の夏』
観た日:1999/06/23 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本・編集・挿入画は北野武、音楽監督は『もののけ姫』『HANA-BI』の久石譲。主演にビートたけし、関口雄介、共演に岸本加世子、吉行和子、麿赤兒、細川ふみえ、ザ・コンボイ、グレート義太夫、井手らっきょ、大家由祐子。

浅草に住む正男(関口)は、夏休みになってやることがない。父は幼い頃に死別しており、母も遠い所で働いていて面影すら覚えてない。一緒に暮らすおばあちゃん(吉行)に内緒で、母に会いに豊橋まで旅することを決意した正男を見過ごすことの出来ない近所のおばさん(岸本)は、無職でぶらぶらしている亭主の菊次郎(ビート)に、正男を豊橋まで連れていってあげるよう指示する。2人は正男の母を目指して旅に出る。寄り道しながらたどり着いた母の住所にある家の表札は、しかし正男の名字ではなかった。

カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされ、異例の13分間のスタンディングオベーション、その割には無冠、しかしその後、北野監督にフランス政府から勲章が授与、なんて記事は、どこかでご覧になったことだろう。
前作『HANA-BI』までとは明らかに違うテイストの作品。いわゆる“キタノ・ブルー”は影を潜め(編集の“きれ”は勿論変わりなし。模倣とも実験とも取れるシーンも、多数盛り込まれている)、代わりにビートたけしが楽しそうにスクリーンを走る。恐らく、いままでのスタイルを変えた事に、特別な意識もなかっただろう。「今回はこうやりたかったからやった」という、肩の力を抜いた感じが出ている。
子役の関口は、始終うつむいている。それを、まだ見ぬ母へ抱く不安ととるか、ガキ丸出しの“おじさん”に自分の行く末を預けた不安ととるか。彼の人生の中で間違いなく最悪の事態に見舞われた後の、往路に増して行き当たりばったりの帰り道、次第に視線を上げる正男。そう、人には乗り越えなければならない事があるのだ。
ところが一方の菊次郎は、乗り越えるどころか一歩たりとも踏み出さずに大人になってしまった。だめ人間の見本である。その菊次郎も、自分に一生懸命な正男を見ていて、自分に向き合うために帰路の途中で老人ホームの母を訪ねる。うん、子供の頃、「立派な大人になりなさい」と言われたものだが、大人には飯さえ食ってればなれるが「立派な人間」にはなかなかなれないんだよね。
ヒッチハイクするためのあの手この手のバカ騒動や、盗んだトウモロコシを道ばたで売ったり(しかも、1本200円で、2本500円)、井手らっきょの全裸(やつのチンチンも国際的に認知される事となった訳だ)や尻に矢を差すグレート義太夫や、その他細かいギャグでジャブを打ち続けるような映画。重厚さや緊張感はないが、軽薄でも低脳でもない。これから北野映画は、どうなるのだろう。


『メッセージ・イン・ア・ボトル』
観た日:1999/06/18 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『ギャビー 愛はすべてを越えて』『男が女を愛する時』のルイス・マンドキ、脚本は『フェノミナン』のジェラルド・ディペーゴ。主演に『フィールド・オブ・ドリームス』『ダンス・ウィズ・ウルブス』『ボディガード』のケビン・コスナーと、『ステート・オブ・グレース』『トイズ』『フォレスト・ガンプ/一期一会』のロビン・ライト・ペン、共演にミスター・ムービーのポール・ニューマン。

テリーサ(ロビン)は、息子が別れた元夫と過ごす数日の間、1人で休暇を過ごしていた。海辺でテリーサは砂浜に手紙の入った小瓶を見つける。内容は、死別した妻へ宛てた愛の言葉だった。テリーサは休暇後に務める新聞社にその手紙を持っていく。コラムに載ることになったその手紙は大反響を起こし、寄せられた同じような2通の手紙と共に、その書き手を探し当てることに成功する。手紙の主であるギャレット(ケビン)は父ドッジ(ポール)と港町でひっそり暮らしていた。お互いに惹かれるものを感じ合う2人ではあったが、ギャレットの心には亡くなった妻が未だ深く刻まれている。

原作者のニコラス・スパークスの小説がまだ半分も書けていないのに、壮絶な映画化権争いが起こった。この小説は結局、170万冊を越えるベストセラーになった。
括ってしまえば『マディソン群の橋』『モンタナの風に抱かれて』と類似する、中年男女の恋物語だが、本作は不倫じゃないところがよりピュアではある。しかし、如何せんケビン・コスナーだ、なんか濃い演技なんじゃ・・・と思ったが、予想よりは良かったと言っておこう。
ただ、ロビンとの絡みより、ポール・ニューマンとの掛け合いのほうに見るものがあるのも確か。“母と娘”ものもいいが、“父と息子”も力のある役者がやるとなかなかいい。
『ユー・ガット・メール』を観てがっかりした人は、騙されたと思ってこれを観てみて下さい。ちょっとは取り返した気がする(何をだ?)と思いますよ。


『奇蹟の輝き』
観た日:1999/06/11 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督は『ビジル』『ウィザード』『心の地図』のヴィンセント・ウォード、原作はTV『スター・トレック』TV『激突!』映画『トワイライトゾーン』のリチャード・マシスン、製作総指揮・脚本は『レインマン』『ベスト・フレンズ・ウェディング』のロン・バス、撮影監督は『タンゴ』『鳩の翼』のエドゥアルド・セラ。主演に、ハリウッドで一番忙しいおっさんであるロビン・ウィリアムス、共演に『ザ・エージェント』『恋愛小説家』のキューバ・グッディング・ジュニア、『ゆりかごを揺らす手』のアナベラ・シオラ、『偉大な生涯の物語』『エクソシスト』『ペレ』のマックス・フォン・シドー。

子供2人を交通事故で亡くしたクリス(ロビン)とアニー(アナベラ)の傷がようやく癒えたのもつかの間、今度はクリスが交通事故で他界する。アニーは原因がいずれも自分にあるとし、苦悩のあまり自殺してしまう。クリスが着いた場所はアニーが描いた絵の中(“天国”)だったが、アナベルは自殺したがために“地獄”に落ちてしまった。クリスはアナベルを救いに“地獄”へ向かう。

脚本が素晴らしい。が、天国も地獄もわざわざ映像にすることはなかろう。小説で充分、というか、小説の方が個人個人のイメージを自在に膨らませられるから、手段としては相応しいように思う。
ロビン・ウィリアムスは巧いです。でもそれだけです。『パッチ・アダムス』のほうがまだいいです。
これを観て輪廻転生に目覚めた、なんて人がいるのかなぁ?


『HANA-BI』
観た日:1999/06/07 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

キャストは、ビートたけし、岸本加世子、大杉漣、寺島進、渡辺哲。

美幸(岸本)のセリフが最後の2言しかない、って、パンフレット見るまで気が付かなかった。絵が綺麗。でも「天才たけしの才能がここにも!」などという深読みはいらない。本人の肩にはあんまり力入ってないと思う。

『キッズ・リターン』
観た日:1999/06/09 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

キャストは、金子賢、安藤政信、森本レオ。

冒頭のタイトルバック前後の一連の映像がいい。後半のストーリーは読めちゃう。

『あの夏、いちばん静かな海。』
観た日:1999/06/11 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

キャストは、真木蔵人、大島弘子。

何と言っても、タイトルがエンディングに出る事でしょう!!!あと、女がするナンパは、男のそれよりもみっともないね。

3作とも、監督・脚本・編集は北野武。
『菊次郎の夏』のプレ上映として劇場が企画した『北野武スペシャルウィーク』の3本である。
1本1本を細かく言うよりもまとめた方がいいと思ったので、無理矢理まとめます。個々の良いところについては、各作品に記載しました。
北野映画については散々語られているので、この場でどうこういうのも?番煎じになっちゃうが、あえて言うと、過剰な演出を削り取り、北野監督独特の“間”を編集に組み込み、独特な臭いのする画角で撮影し、というところが、世界中が賞賛するところの“透明感”“キタノブルー”の正体なわけだ。認める!が、脚本についてはどうだろうか。死や不治の病や障害という「回避不能」の材料を持ってくると、材料が材料なだけに、収拾をつけるのも簡単だし余韻も計算できるのではないか(『HANA-BI』なんて、みんな死んじゃう!)。総括しきれないが、しかし北野映画に一貫して流れているのは、不安感からくる不協和音のような緊張である。


『カラー・オブ・ハート』
観た日:1999/06/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★

監督・脚本・製作は『ビッグ』『デーブ』の脚本で2度ともアカデミー候補になったゲーリー・ロス、製作は『セックスと嘘とビデオテープ』『アウト・オブ・サイト』でメガホンを撮ったスティーブン・ソダーバーグ、視覚効果監督は『デモリションマン』『ウォーターワールド』のクリス・ワッツ。主演に『アイス・ストーム』のトビー・マグァイアと、リース・ウィザースプーン。共演に『ニクソン』『クルーシブル』のジョアン・アレン、TVシリーズ『ER』や『ファーゴ』『ブギーナイツ』のウィリアム・H・メイシー、『愛と追憶の日々』『ジム・キャリーはMr.ダマー』のジェフ・ダニエルズ。

デイビッド(トビー)は内気な高校生で、50年代の“古き良き時代”を描く白黒のTVドラマ『プレザントヴィル』の大ファンである。一方双子の妹ジェニファー(リース)はイケてる性格でダサいデイビッドをバカにしている。あるとき、TVチャンネルの取り合いをするうちリモコンを壊してしまう。突然現れた不思議な修理屋から貰った新しいリモコンのスイッチを押すと、なんと『プレザントヴィル』の世界に飛び込んでしまう。プレザントヴィルは愉快で清潔で、諍いも失敗もない世界。いつも晴れていて気温は22度。道は街を出ることがない。トイレなんてない。消防車が出動するのはネコが木から降りられないときだけだ。ジェニファーはつまらない世界に大不満だったが、一目見て気に入ったバスケ部のキャプテンに通称・恋人池でセックスを迫った。すると白黒の世界に“色”が付き始めたのだ。個性を発揮しはじめた住人達の“着色化”は進み、旧住民と衝突しはじめる。

予定調和の安全で幸せで、しかし虚構の“白黒”の世界と、何が起こるかわからないが個性と刺激に満ちた“カラー”の世界。ありえない幻想である“白黒”の世界が次第に変化し、それを“色”をつけていくという方法で表現するという発想が斬新である。それに合わせて主人公デイビッドの成長も描かれている。
でも、それだけ。飽きさせない展開だが、小手先での巧さが目立つだけ。
ハリウッド映画の、最も悪いところが詰まった映画。一度観ればもういい。


『39【刑法第三十九条】』
観た日:1999/06/01 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『(ハル)』『失楽園』の森田芳光、脚本は『お墓がない!』の大森寿美男、撮影は高瀬比呂志、編集は田中愼二の森田組。主演は“日本3大○ス産地”仙台の突然変異・鈴木京香、『弾丸ランナー』『アンラッキー・モンキー』の堤真一。キャストに岸部一徳、江守徹、樹木希林、杉浦直樹、吉田日出子、山本未来。

舞台俳優の柴田真樹(堤)は畑田修と妊娠中の妻・恵を衝動的に殺害した。国選弁護人の長村(樹木)は、堤の面接時の異常さや裁判中の言動から司法精神鑑定を請求、藤代(杉浦)が任命される。藤代と助手の小川香深(鈴木)の面接中も、堤は小川を襲うなどの異常行動を起こし、藤代は堤を「犯行時には精神が解離状態で心神喪失していた」と診断した。しかし小川は、襲われたときに堤から殺意を感じなかったとして藤代の診断を不服とし、草間検事(江守)に再鑑定を直訴、再鑑定人に任命される。一方、殺害された畑田修は少年時に連続幼女暴行殺人を犯していたが、未成年で且つ心神喪失であるとしてその罪を問われることなく一般社会に復帰していたことが明らかになる。名越刑事(岸部)と小川は、2つの事件を追う。

刑法第三十九条とは、『心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス、心神耗弱者ノ行為ハ其刑ヲ減刑ス』というものである。心神喪失とされた被告に対する、被害者のやり場のない憤り。心神喪失であれば“無罪放免”になれるという現法からの抜け穴。これを森田監督は真正面から取り上げた。
非常に圧迫感があり、且つ純日本風の映像。ムービーではなく限りなくスチールに近い画面構図である。
練りに練った脚本。性格俳優達の迫真の演技。文句無しに面白い。鈴木京香はTVの連続ドラマのイメージを払拭、完全に一皮むけた。あんなエッチなところにほくろがあるなんて、反則だ!堤真一の混濁と狂気の二面性の表現も良くできている。
『失楽園』なんかよりも全然いい出来の映画。


『ロリータ』
観た日:1999/05/28 お薦め度:★☆ もう一度観たい度:★☆

監督は『フラッシュダンス』『ナインハーフ』『危険な情事』のエイドリアン・ライン。キャストにジェレミー・アイアンズ、ドミニク・スウェイン、メラニー・グリフィス、フランク・アンジェラ。

仏文学者のハンバート(ジェレミー)が下宿先に選んだ未亡人シャーロット(メラニー)の家の12歳の娘ロリータ(ドミニク)は、彼が思春期に愛しチフスで失ったアナベルを彷彿とさせた。未だアナベルの幻影を追い続けるハンバートにとって、ロリータこそアナベルの再来なのだ。ロリータに近づくためにシャーロットと結婚したハンバートは、シャーロットの事故死によりロリータの心を掴む。2人は当てのない旅に出る。

ご存じキューブリック監督作のリメイク。
ロリータの、愛くるしく小悪魔的でコケティッシュな我が儘に翻弄されて、く〜幸せ!とその手の人はそう思うだろうが、はっきり言えば、小娘の気まぐれに付き合わされたおっさんの堕落の顛末をダラダラ描いた作品だ。ただしジェレミーは、正にはまり役だ。
お金払って観て、損したなぁとしみじみ思う映画。ドミニクが何歳かだけは知りたい気もする。


『ライフ・イズ・ビューティフル』
観た日:1999/05/25 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本・主演は“イタリアのチャップリン”こと天才ロベルト・ベニーニ、音楽は『ジンジャーとフレッド』『グッドモーニング・バビロン!』のニコラ・ピオヴァーニ。マドンナにロベルトの実妻ニコレッタ・ブラスキ、奇蹟の子役にジョルジオ・カンタリーニ。

1939年。友人と共に田舎から街に出てきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト)は、叔父のジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)に頼りながら本屋を開く夢を見ている。偶然に何度も出会い「今日は、お姫さま!」と挨拶し心を寄せるドーラ(ニコレッタ)を、いろいろなアプローチの末、遂に婚約者の前から奪う。男の子ジョズエ(ジョルジオ)も生まれ幸せな日々であったが、次第に戦争の影響を受け、遂にナチスの手によってグイド、ジョズエとジオが収容所送りになってしまう。非ユダヤのドーラも志願し、共に収容所へ行く。死が支配する収容所でグイドはジョズエに、「これはゲームで、我慢すればするだけ点数が貯まり、1000点になると1等賞のご褒美に本物の戦車が貰えるんだ」と嘘の説明をする。真っ先にガス室へ送られるのはジオのような老人と子供だ。運良く難をのがれたジョズエだが、いつ終わるとも知れない絶望は続く。グイドはジョズエに、ファンタジーの世界に生きることで生への希望をつながせる。しかしもう1つの気がかりは、別に収容されているドーラのことだった。

第71回アカデミー賞の作曲賞・外国語映画賞・主演男優賞を受賞したほか、作品賞などにもノミネートされ、またカンヌ国際映画祭審査員特別賞など各国の映画賞(特に作品賞)を総なめした。「ちょっと泣きたい気分だから観ようか」的に使われたり、または、コンピューターに寄りかかったりして計算高いのがプンプン鼻を突く(勿論こういうのも嫌いじゃない、為念)多くの映画(特にハリウッドや日本)とは別世界の、“本物”だ。
最初に言っておく。ラストに来る連合軍がアメリカであることで(史実に基づくことではあったとしても)“賞取りの計算”が頭をかすめた。しかしこれは、作品の出来を云々する因子ではもちろんない。
グイドとドーラが結ばれるまでのコメディ色のより濃い前半と、収容所での行き詰まる後半。そしてそこに、終始一貫して見え隠れするユーモア。『生きる事は、ただそれだけで素晴らしい。そして“笑い”“想像力”はいかなる苦境をも乗り越える力を与えてくれる』と言うベニーニの確固たる主張が貫かれている。人種差別・民族浄化へ真っ向対立する姿勢を“笑い”で示す手法はチャップリン(『独裁者』)と同じだが、歴史を塗り替える事で決着をつけるチャップリン(“独裁者”自らが侵略放棄の宣言をする)に対し、あくまで悲劇の渦中のまっただ中でありながら生きる力を迸らせるベニーニ演じるグイド。現実的で誰もが誰にも犯されない領域=『心の中に持つ希望』を、見事に謳い上げている。
ラストでの、収容室で隠れていた仲間の注意を無視してジョズエと共に取ったグイドの行動は、数多の苦境をゲームをクリアするかの如くやり過ごしてきた彼の、最初で最後の失敗だったのか。いや、彼はジョズエだけでなくドーラをも、命を賭して守ろうとしたのだ。彼にはそれに足る理由があったのだ。愛だ。だから、彼は断じて敗者ではないのだ。
ジョルジオ・カンタリーニ!もし私に泣く演技が必要になったら、君の顔を思い浮かべるとしよう。
ドーラを口説くために考えられた、偶然をマジックに置き換える手法が洗練されている。そのマジックが、最後の最後にジョズエに与えられる。脱帽の構成力!見事というしかない。
愚かなる人間の行いが横行する今こそ、観るべき映画。この『言いたい放題』を書き始めて1番の映画であり、今まで観た映画の中でも間違いなく5本の指に入る映画である。


『ラウンダーズ』
観た日:1999/05/18 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は『もういちど殺して/キル・ミー・アゲイン』『レッド・ロック/裏切りの銃弾』『甘い毒(Last Seduction)』のジョン・ダール、脚本はデヴィッド・レヴィーンとブライアン・コペルマン。主演に『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『プライベート・ライアン』のマット・デイモン、『真実の行方』『ラリー・フリント』のエドワート・ノートン、『ザ・シークレット・サービス』『仮面の男』のジョン・マルコヴィッチ、『ガール6』『Celebrity』のグレチェン・モル、『エド・ウッド』のオスカー俳優であるマーティン・ランドー、『バートン・フィンク』でカンヌ映画祭の最優秀主演男優賞を受賞したジョン・タトゥーロ。

法律学校の授業料をポーカーで稼ぐマイク(マット)は、いつか世界選手権で勝ちたいと思っている。ある日、プロのジョーイ(ジョン・タトゥーロ)の忠告を無視してテディーKGB(ジョン・マルコヴィッチ)との大勝負に負け全財産を失ったマイクは、もうポーカーから足を洗うと同棲中のジョー(グレチェン)に誓うが、出所してきた親友ワーム(エドワード)と共に再び始めてしまう。ジョーは愛想を尽かし出ていってしまうが、ワームの作った借金の返済にはあらゆる手を使って稼がなければならない。ワームも追っ手から逃げてしまった。マイクは法律学校のペトロフスキー教授(マーティン)の援助を受け、再びテディーKGBと対決する。

性格俳優の坩堝。マット・デイモンとグレチェン・モル(キュートでスリムでかっこいいオッパイ!)の団子っ鼻コンビがどう演技するかと思ったが、可もなく不可もなく。
ポーカーはもともとが心理戦なわけで、表情の乏しいマットは適任かとも思ったが、無表情の中の表情というか、奥行きというか、が今一ない。
ナレーション形式のストーリーも何だかなぁ。音楽も、スタイリッシュといえば聞こえはいいが、ジャズっぽいアレンジがありきたりだし。カメラも何処かで見たような感じでオリジナリティがない。
でも、面白いんだなぁ。なぜだろう?脚本も特別良い出来とは思わないんだけど。うーん、謎だ。
クライマックスでのテディーKGBの“癖”、あんなの持ってたら普通は勝ちきれないと思う。え、見抜けない人がいるって?


『セントラル・ステーション』
観た日:1999/05/07 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督はヴァルテル・サレス、脚本はジョアン・エマヌエル・カルネイロとマルコス・ベルンステイン、音楽はアントニオ・ピントとジャキス・モレレンバウム。主演にフェルナンダ・モンテネグロ、共演にヴィニシウス・デ・オリヴェイラ、マリリア・ペーラ。

リオ・デ・ジャネイロ中央駅で字が書けない人を相手に代筆と投函業を営むドーラ(フェルナンダ)は、万引き犯がそれだけで射殺されるような現実にも、心を無感にしたまま日々を生きている。代筆した手紙でさえも、投函したりしなかったりを独善に決定している。ある日、客として来た女性が交通事故で死に、残された息子ジョズエ(ヴィニシウス)は、ドーラに託した会ったことのない父への手紙を唯一の頼りとして、駅で待ち続ける。しかしドーラは、この手紙を投函する気はなかったのだ。ドーラは欧米に養子縁組を斡旋する者にジョズエを売ったが、そこには臓器売買の噂があることを知り、ジョズエを取り返して2人で父親を探しにバスの旅に出る。

初めて世界に問うたブラジル映画にして、1998年ベルリン国際映画祭の金熊賞(グランプリ)など、数々の国際映画賞に輝いている作品である。
いわゆる凸凹コンビのロード・ムービーではあるが、ドーラのキャラクター設定と、その役のフェルナンダの卓越した演技が特筆である。都会にまみれた初老の女性。心を閉ざすインチキ代筆業者は、旅の最中も、食料を万引きしたりヒッチハイクの相手を誘惑しようとしたりと、俗世間にドップリ浸かっているのだが、ジョズエの純粋さに徐々に心を洗われていく。ヴィニシウスはオーディションの前は、空港で靴磨きをしていたそうだ。たいした原石である。孤児ジョズエを演じきっている。特に子供にとっては血の絆が必要なのだ。
ブラジルの識字率は、1970年で50%台、90年代に入っても82%だそうだ。広大な国土には貧困が転がっている。賄賂、マフィア、銃、臓器売買、カソリックの祭。本物のブラジルの一面を見た気がする。
ドーラはリオに戻っても、生まれ変わったままの心で生きて行けるだろうか。
もっと良いフィルムで、もっといい現像で観たい映画。


『恋に落ちたシェイクスピア』
観た日:1999/05/07 お薦め度:★★★★☆ もう一度観たい度:★★★★

監督は『Queen Victoria/至上の恋』のジョン・マッデン、脚本は『ローゼンクライツとギルデンスターンは死んだ』『未来世紀ブラジル』『太陽の帝国』のトム・ストッパードと『ブレイクアウト』『キラー・エリート』『バット★21』のマーク・ノーマンのダブルキャスト、衣装デザインは『オルランド』『インタビュー・ウィズ・バンパイア』『鳩の翼』のサンディ・パウエル。主演に『魅せられて』のジョセフ・ファインズと『セブン』『ダイヤルM』のグゥイネス・パルトロウ。

16世紀末。にわかに高まった芝居人気の陰で、脚本に行き詰まるウィル・シェイクスピア(ジョセフ)は、とあるパーティで出会ったヴァイオラ(グゥイネス)に一目惚れ。一方の、裕福な商人の娘であるヴァイオラは生来の芝居好きで、当時法律で禁じられていた女性の舞台での演技=女優を夢見ており、ウィルの事も当然知っていた。男装でオーディションに合格したヴァイオラは、やがてその事をウィルに見破られる。燃えるような恋に落ちた2人は、しかし相容れない世界に住んでいる。逢瀬を重ねながら、ウィルは次回作の“ロミオとジュリエット”を作り上げる。

衣装は当時の風俗を忠実に再現しているという。ということは、金糸とかは別にして、絹の染色技術の程度が知れる(日本をはじめとするアジアの方が当然高い技術である)。道ばたのウンコとか窓からガンガン捨てるゴミとかも、史実に忠実なのだろう。また、セットは非常に小さなものらしく、引いて撮られた場面がなく息苦しい。

しかし何と言ってもこの作品は、脚本である。素晴らしい!秀逸!テンポのいい編集と相まって粗を見せない。事実と創作の調和した見事なものだ。
グゥイネスは、目元はおばちゃんみたいだしオッパイもあんまりかっこいいとは言えないが、大変に積極的な演技で好感が持てる。ジョセフも勢いがあってよろしい。
本年度のアカデミー賞を7部門(作品・主演女優・助演女優=ジュディ・デンチ・オリジナル脚本・美術・衣装デザイン・ミュージカル/コメディ部門の作曲)獲った実力は本物だ。ただし助演女優はジュディ・デンチよりは、ヴァイオラの乳母(イメルダ・スタントン)にあげるべきだ。
この映画を「シェイクスピア劇にほど遠い駄作」とするバカ評論家がいるらしい。トホホである。そんな奴こそ論ずるより演じる楽しさを経験すべきである。とはいうものの、かく言う私も、ヴァイオラという名前が『ロミオとジュリエット』の次作の『十二夜』に掛かっていることを映画を観て初めて知ったのだから、偉そうなことをのたまう立場ではないのではあるが。


『エネミー・オブ・アメリカ』
観た日:1999/04/23 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

監督は『トップガン』『ザ・ファン』のトニー・スコット、製作は『ザ・ロック』『アルマゲドン』のジェリー・ブラッカイマー。主演に『インディペンデンス・デイ』『メン・イン・ブラック』のウィル・スミス、『フレンチ・コネクション』『許されざる者』のジーン・ハックマン、『真夜中のカーボーイ』『ミッション・インポッシブル』のジョン・ボイト。

NSA(国家安全保障局)がテロ防止の目的で提出した【通信システムの保安とプライバシー法案】に反対する議員の、暗殺現場を撮影した自然写真家のデータを、知らずに受け取ったディーン(ウィル)は、暗殺を指揮したNSA幹部のレイノルズ(ジョン)により執拗に追いつめられる。職を失い、銀行口座を停止され、妻の信用も失ったディーンは、情報屋のブリル(ジーン)とゲリラ戦法で反撃に出る。

前作『ザ・ファン』でストーカーを取り上げたトニー・スコットは今回、ハイテクによる盗聴・盗撮をテーマに本作を作った。トレンドに敏感な彼ならではの映画といえる。スピーディな展開は飽きずにエンディングまで観る者を引っ張る。
でも、それだけ。脚本もカメラも、新しい工夫は1つもなし。お金をかけて特撮して、上手い俳優を集めてきて、手際よくフィルムに撮っただけ。主張もポリシーも何もなし。
善悪がはっきりとしているので誰が観ても無難。ただし、後に何も残らない。サラリーマンが嫌な嫌な仕事をサボろうとした時に、パチンコで大金をするよりは役に立つ映画。


『シン・レッド・ライン』
観た日:1999/04/20 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督・脚本は『バッドランズ』『天国の日々』のテレンス・マリック、撮影監督は『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』『ブレイブハート』のジョン・トールA.S.C.、音楽は『レインマン』『ライオンキング』のハンス・ジマー、編集はビリー・ウェバーとレスリー・ジョーンズ。主要キャストにジム・カヴィーゼル、ショーン・ペン、ベン・チャップリン、エリアス・コーティアス、ニック・ノルティ。
原作はジェームズ・ジョンズ(『史上最大の作戦』の脚本を手掛けた)の『The Thin Red Line』(1962年)で、1度映画化されている(邦名『大突撃』1964年)。

ガダルカナル島は、日本軍のオーストラリア・アメリカ方面への侵略の拠点として重要であり、ここに急造した空港は連合軍にとって脅威であった。なんとしてもこの島を攻略したいアメリカ軍は2個連隊を派遣、壮絶な奪回作戦を展開する。

……と、あらすじを書けばこんなに薄っぺらいのである。1日経った今、頭の中が、未だに整理できないのである。
何という映画!何という才能!
まずカメラ。美しい空と大地と息づく生命の描写と、一転する戦闘シーンの視線は、観る者の思慮を一歩先ずる。そして、会話や効果音より更に大きく画面に被る音楽。何にも増して、戦死より残忍さに勝る現実(最前線での心の拠である最愛の妻の、心変わりの手紙)をも、作品テーマを揺るがすことなく違和なく盛り込める脚本。
この映画の底辺には“死”が流れている。それは目の前で繰り広げられている戦闘から容易にやってくる。鳥やトカゲや蝶や草木。“生”に溢れたガダルカナル島で、“死”が『細く赤い線』のみで境となっている。自分はその上を危ういバランスでたどたどしく歩くのみ。恐怖はいつまでも消えないが、それを口にも出来ない。崩壊する間際で、理性がかろうじて人を人たらしめている。この背景を、俳優達が100%理解し、120%の力で演じている。
マスコミに言わせると、テレンス・マリックは「伝説の監督」らしい。前2作から20年ぶりの映画らしい。最近までフランスの大学の講師だったらしい。
が!そんなことは全く関係ないのである。
『プライベート・ライアン』との対比が虚しいほどの、言い様のない感動。スピルバーグはエンターティナーだ。彼の姿勢を否定はしない。つまり『プライベート・ライアン』と『シン・レッド・ライン』は同じリアリスティックな戦争映画だが、前者はエンターテインメントであり、サービス精神に溢れ、観る者に“映画鑑賞”の満足感を存分に提供する。それは(テーマがテーマなので)爽快ではないが、あえて振り分ければプラス側の感情だ。しかし後者はオデッセイだ。戦争という“死と生”(“生と死”ではない)があまりに接近している非日常が、我々の普通の日常とも『細く赤い線』のみで区切られている現実(今、いったいいくつの国が戦争に関わっているのだ!)をも思わせ、不安を胸に残す。
全てを後回しにしてでも観るに値する映画。


『ユー・ガット・メール』
観た日:1999/04/01 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

監督・脚本は『めぐり逢えたら』のノーラ・エフロン、主演にトム・ハンクスとメグ・ライアン。

インターネットのメール友達のジョー(トム)とキャスリーン(メグ)。2人は素性を一切話さない。知っているのは“NY152”と“Shopgirl”という各々のスクリーンネームだけだ。ところが、キャスリーンは母の代から続く児童書専門店のオーナーで、ジョーはそのすぐ近くに出店するディスカウントブックストアーのチェーン店の跡取り息子。お互いの恋人や友人を絡め、ドタバタ劇は続く。

頭のてっぺんから足の先まで“ハリウッド商業映画主義”にドップリ浸かった作品。けったくそ悪いったらない。でも、こんなのも日本では受けるのね。「アメリカの属国」呼ばわりされても仕方ないよ。ホントに。
トムは『プライベート・ライアン』よりは持ち味が出ている気がする。しかし、いかんせん腐った脚本に腐ったキャスト、総括すればトホホです。
失敗しないデートムービー。というか、映画の日じゃなきゃ観ない作品。得るものも、メグの目尻と目の下のシワを数える以外にほとんどない。


『ルル・オン・ザ・ブリッジ』
観た日:1999/04/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★☆

脚本・監督は『スモーク』『ブルー・イン・ザ・フェイス』のポール・オースター、撮影はエイリック・サカロフ、美術はカリナ・イワノフ。主演に『ピアノ・レッスン』『テルマ&ルイーズ』のハーヴェイ・カイテル、ヒロインに『誘惑のアフロディーテ』のミラ・ソルヴィーノ。

ジャズサックス奏者のイジー(ハーヴェイ)は、ステージで狂乱者の流れ弾を受け、片肺を取る重傷で演奏家のキャリアを断たれる。絶望していたイジーは、“暗闇で光り浮かぶ不思議な石”を手にした。同時に手に入れた電話番号からセリア(ミラ)と知り合い、愛し合う。しかし2人の仲は徐々に裂かれる。

観終わった後、意味が解らなかった。なんだ、この映画?しかし、エンディングから遡れば、途中のシーンに全て説明がつく。失われた“光る石”を求めイジーを監禁した連中の尋問シーン。なぜ、イジーの過去の全てを彼らは知っていたのか?なぜ、逃げ出したイジーを追う連中がいないのか?そもそも、なぜ“光る石”なのか???
ということは、この脚本はエンディングから真ん中を書いたのか?ポール・オースター恐るべし。人間は“死ぬときは過去が走馬燈のように脳裏を駆ける”と言われているのに。冒頭の、一つだけ違う便器にも何か意味があったのだろうか?
しっとりとしたカメラが、暗いが重くなく、暗示的だが芸術作品ではないこの映画によく合っている。
監督もスタッフも、反(?)ハリウッド、というかニューヨーク在だそうだ。その辺の、見慣れた“アメリカ”映画との違和感(良くも悪くも)も肌で感じ取れる。
イジーの無邪気な愛がいとおしい。


『バグズライフ』
観た日:1999/03/27 お薦め度:★★★☆ もう一度観たい度:★★★★☆

監督は『トイ・ストーリー』のジョン・ラセター、脚本は『ヘラクレス』のドナルド・マッケネリー&ボブ・ショー。主役にアリのフリック。

フリックは、やる気も知恵も勇気もあるがいつも失敗ばかりの働きアリ。バッタ達がアリの王国に攻めてくる。何とか助っ人を見つけてきたと思ったら、彼らはサーカス団の一員だった。王国はどうなるのか?

『トイ・ストーリー』は吹き替えにトム・ハンクスが参加したことも話題になったが、とにかくその目玉は全編完全CGであったことだ。ヘルメットに移り込む景色や絶妙の立体感など、『トイ・ストーリー』にはビックリさせられたものだ。ところがこの『バグズライフ』のCGはそれどころではない!技術の進歩といってしまえばあまりに簡単、画像のスケール感、色彩感など格段に進歩している。そして、映画に欠かせないのは勿論脚本。小さな子供も飽きさせない上手い作りになっている。
 本編が終わった後のエンディング・クレジット中に、俳優(?)達のNGクリップが出る。CGのくせにNG集!やるならとことん、の姿勢も良し。
 ビデオになったら、CGの出来を改めてじっくり観たい。


『ベイブ都会へ行く』
観た日:1999/03/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・製作・脚本に『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラー、特撮(アニマトロニクス)に『ベイブ』でアカデミー視覚効果賞を受賞したニール・スキャンラン、音楽は同じく『ベイブ』のナイジェル・ウェストレイク。主演に、子豚のベイブとジェームズ・クロムウェル、共演にアヒルのフェルディナンド、3匹のマウス、チンパンジー、オランウータン、犬、猫、ほか動物いっぱい。

事故で床にふせってしまったホゲット(マグダ・ズバンスキー)。牧場の借金を返すために、アーサー(ジェームズ)はベイブとイベントに出る旅に出た。しかし初めての都会はトラブル続きで、ついにベイブとアーサーは離ればなれに。ニューヨークとサンフランシスコとロサンジェルスとシドニーとパリと東京の混じった変な都市。がんばるベイブに未来は開けるのか?

オーストラリアのスタッフ・役者がメインの映画。前作『ベイブ』は私の96年度のベストムービーであり、しかも今まで観た映画のうちのベスト10内にランクされている。と言う訳で『ベイブ都会へ行く』は大変期待して観た。結論は、それほどハズレはせず、というところか。今回は、猿とそれ以外では“演技”に格段の差があって(当たり前か)、しかし単なる“動物映画”にならないのがよい。
ジェームズ・クロムウェルは、前作ではあくまで控えめな役だったが、本作ではコメディエンヌの面目躍如で大活躍である。
無知で無垢な子豚とおばちゃんの、無知で無垢だからこそのパワーに拍手。チンパンジーの赤ちゃん誕生に歌う、シリーズの主題歌に涙!


『パッチ・アダムス』
観た日:1999/03/24 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・製作総指揮は『エース・ベンチュラ』『ライアーライアー』のトム・シャドヤック、同じく制作総指揮にマーシャ・ガーセス・ウィリアムス。主演にアカデミー助演男優賞の『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、ゴールデン・グロ−ブ主演男優賞の『ミセス・ダウト』など今や押しも押されもしない大看板のロビン・ウィリアムス。

自殺未遂の末、精神病院に自主入院したハンター・アダムス(ロビン)は、同室の患者との触れ合いから医学の道を志すことに目覚める。「患者と心でつながること」「如何に命を長引かせるかではなく、如何に楽しく命を燃やせるか」を信念とする彼は、自らを“パッチ”(絆創膏で傷を“治す”こと)と呼び、病棟に飛び込んでいくが、その破天荒な振る舞いは医科大学の教育方針とは大きくかけ離れており、ついに学部長から放校を言い渡される。

実話である。下品で、歯に衣着せぬ物言いで、成績はトップで、皆を引きつける魅力に溢れている。強い意志を貫く勇気も持つ。まったくとんでもない医者がいたもんだ。
ロビン・ウィリアムス、また医者役かよと言いたくなるが、このパッチはそこいらへんにゴロゴロいる威張った「お医者さん」ではないのだ。医者が患者を癒やすのに投薬や手術よりも大切なことがある、それを“笑い”に求めたのだ。患者を笑わせる医者。下ネタありドタバタあり、となれば、もうロビンしかいないのだ。うまい題材を拾ってきたな、と穿った意見はある意味もっともなのだが、はまり役なのも事実。実際彼は上手い。
劇場が、テロップが流れ終わった後も、涙を拭く時間の為にしばらく照明をつけないという心配りを見せるような映画。場面場面に出てくる“鏡”に注目。
なお、制作総指揮のマーシャはロビンの妻。製作会社のブルーウルフはウィリアムス夫妻の会社である。別に文句つける訳ではないけど。


『ガメラ3』
観た日:1999/03/19 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★☆

監督は“平成ガメラのパパ”金子修介、脚本は『ダーティペア』『機動警察パトレイバー』シリーズなどアニメ脚本家の第一人者の伊藤和典、特技監督は『新世紀エヴァンゲリオン』の絵コンテなどを手がけた樋口真嗣。主演はもちろんガメラ。キャストに中山忍、前田愛、藤谷文子、山咲千里、手塚とおる。

渋谷にギャオスが飛来し、ガメラも来撃、街は崩壊し多くの死傷者が出る。「ガメラは人類の為になっていない」との世論が蔓延しつつあるなか、4年前のガメラの進行で結果的に両親を殺された綾奈(前田)は、封印されていた伝説の神獣を目覚めさせる。彼女は、イリスと名付けたこの怪獣をガメラと戦わせ、親の敵をとるため密かに育てる。やがてイリスは巨大化し、京都でガメラと死闘を演じ、京の都は破壊され大炎上する。

日本が“フィギュア特撮分野”(そんなの無いか)世界一であることを高らかに謳う記念碑的作品。セットの爆破・炎上・崩壊シーンが極めて素晴らしい。
「なぜ、日本ばかりに怪獣はやってくるのか?」「ガメラは、怪獣をやっつけてくれるのはいいが、実は人間の為には役立っていないのではないか?」「ガメラのパワーの源は?」などに金子監督は自分なりの解釈をつけ、つじつまもそれなりである。なによりも従来“味方”であるはずのガメラの“活躍”でたくさんの人が吹っ飛ぶという脚本を、単にリアリズムの追求だけでなくOKが出せる体制(というか、社会の風向き)にも敬意を表したい。それに綾奈の立場なら、やっぱりガメラを許せないもんなぁ。
登場人物はみんな下手くそ(特に藤谷!お前、能面か?)。でもいいの、主役はガメラだし。
確かに子供が多いかもしれないが、大丈夫、大人も胸を張って観にいける快作である。


『リング2』
観た日:1999/03/18 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督は中田秀夫、脚本は高橋 洋、『リング』のペアである。キャストに中谷美紀、深田恭子、松嶋菜々子、真田広之、小日向文世、柳ユーレイ、子役の大高力也。

見ると7日後に死ぬというビデオ。防ぐ方法は、これをダビングして他の人に見せることだ。医師の川尻(小日向)は、呪いの思念がビデオに映像として残ることを突きとめる。思念を解放するために、死んだ高山(真田)の助手である高野(中谷)は、あたかも呪いの元凶である貞子が乗り移ったかのように変貌した陽一(大高)を連れて、伊豆大島に行く。貞子の怨念を水に解放しようとする高野と川尻だが・・・

テーマは「怨念は連続し、または新たに生まれる」ということですか?う〜〜〜ん、『1』というからには、当然の事ながら前作を観た人が対象という訳で、それはそれで良いのだが、やはり『2』は『1』にはかなわないというか、キャラクターに背負わす運命に無理があるというのか、収拾の着かなさがやはり『2』ですね。
ビデオを見た高校生・香苗(深田)が、「見て」と言って渡したダビングビデオを、岡崎(柳)が見ず、結果的に死に(顔がグンニャリはお約束)、その怨念が新しくビデオに乗り移り岡崎を苦しめる、のクダリに、「あぁ、『3』で3匹目のドジョウを狙うんだなぁ、トホホ」という感じで、まぁ、連鎖商売に勤しんで下さい。私は今度は劇場では観ません。


『死国』
観た日:1999/03/18 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

監督は『誘惑者』『夜のストレンジャー恐怖』の長崎俊一、脚本に『萌の朱雀』『リング』『らせん』の製作を手がけた仙頭武則、撮影は『スワロウテイル』の篠田 昇、主題歌に米良美一。主演に『夜がまた来る』の夏川結衣、『バタアシ金魚』の筒井道隆、新人の栗山千明。

15年ぶりに故郷の高知・矢狗村に帰ってきた比奈子(夏川)は、当時の親友で先祖代々“口寄せ(イタコ)”を行う家系に生まれた莎代里(栗山)が16歳のときに死んでいた事を知らされる。莎代里は、比奈子と共通の幼なじみである文也(筒井)と愛し合っていた。一方、莎代里の母親は“口寄せ”の血が途絶えることを憂い、莎代里を黄泉の国から蘇らせるべく、とりつかれたように、四国八十八ヶ所巡りを逆に回る“逆打ち(さかうち)”を行っていた。莎代里の死んだ年の数まであと1つ。あと1つで願いがかなうのだ。

脚本がよく練られている。登場人物がシンプルでキャラ立ちもしっかりしている。カメラもちょっと狙いすぎ(ハンディ撮影がちょっとあざとい)だが、国産映画らしさ有り有りでこれもまた一興。作品の長さも程良い。
問題は役者である。筒井の大根ぶりには腹が立つ。夏川もバツ。
あと、音!最低!セリフが始まる前に「・・・サー」、終わるときに「サー・・・」。ケチらずドルビー使えよ、角川書店!
感想は、いくら昔愛した女とはいえ、蘇った死者に背骨をバキ折られるのは嫌だな、と思いました。


『ムトゥ 踊るマハラジャ』
観た日:1999/03/16 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督・脚本はK・S・ラヴィクマール、音楽はA・R・ラフマーン。主演に“スーパースター”ラジニカーント、ヒロインにミーナ。

大地主の元で働くムトゥ(ラジニ)は、主人からも一目置かれる“違うヤツ”。馬車の手綱を取れば誰よりも速く、踊れば誰よりも華麗で、戦えば誰よりも強い。ご主人にフィアンセ候補がやってくるが、このご主人、芝居小屋の女優ランガ(ミーナ)に一目惚れ。しかしランガはムトゥと恋に落ち、他の使いの者たちも各々勝手に恋をして、叔父さんの財産乗っ取りやムトゥの出生の秘密が明らかになったりとか殺人未遂や・・・と、全く収拾が着かない展開ながら、最後は力技の大団円!

やっと地元に来ました、『ムトゥ』。今更ここで語るのもおこがましいのですが、まあ、一応、個人的感想をご覧ください。
まず、ラジニカーント。私は一生、彼の一挙手一投足を脳裏から消し去ることができないでしょう。濃い!濃すぎる!アントニオ・バンデラス+ジョージ・クルーニー+ジョン・トラボルタ+江頭2:50+ルー大柴でも勝てない。何で腰帯を首に掛けたり取ったりであんな“ブンブン”という音がするのか?何であんなに腰をクネクネさせて踊るのか?何で殺陣になるとうつむきがちに目をふせてパンチを相手にヒットさせるのか?全ては謎だが、なにしろ彼は“スーパースター”、何もかもありなのだ。
次にミーナ。21歳!素晴らしい!どうもインドという国は、ふくよかな体が好みなのか?と他の出演者を見渡したが、バックダンサーもスリムな娘の方が圧倒的に多いし、そういうわけでもないらしい。でもミーナはデブじゃない(デブっちょというのは、『タイタニック』のケイト・ウィンスレットのことを言う)。切れのある踊り、希有な歌声。鼻ピアスもgood!
とにかく、観てない人はビデオをレンタルしてでも観てみよう。場面場面で意味なく挿入される孔雀や象やアヒルや、野良ヤギや野良牛や、変な赤色に着色された空や、奇妙な車や、“見たこともない外国のお酒”や、とにかく見所満載です。でも、長いぞ、踊りのシーンが。私はちょっと寝ちゃいました。


『ぼくのバラ色の人生』
観た日:1999/03/02 お薦め度:★★★★☆ もう一度観たい度:★★★

監督はベルギー出身のアラン・ベルリネール、脚本はアラン監督とクリス・ヴァンデル・スタッペンの協同執筆、制作はキャロル・スコッタ。主人公の7歳の少年役には映画初出演ながら奇蹟の演技を見せるジョルジュ・デュ・フレネ。

父の上司の隣の家に引っ越してきた末っ子の3男リュドヴィック(ジョルジュ)は、いつものように長女の衣装を勝手に着て化粧をし 、引っ越しパーティに顔を出した。「いたずら好きなんです」と繕う父。しかしリュドヴィックにとってはまったく自然なことなのだ。だって、大きくなれば自分は女になると信じていたから。たとえば隣に住むクラスメートの男の子を好きで結婚したいと思っていたり、かわいい女の子人形“パム”が大好きだったり、お姉さんに「男はXとY、女はXXを持ってるの(性染色体の事です、為念)」と話を聞き「じゃあ、僕は神様がXを落っことしちゃったんだね」と言ったり、シンデレラの劇でシンデレラ役の女の子をトイレに閉じこめてすり替わったために劇がめちゃめちゃになってしまったり、お腹が痛くなったのを「生理がきた!」と喜んだり。リュドにとっては、ただ自分に素直なだけなのだ。家族は悩み、理解しようと苦しみ、精神科医にカウンセリングもお願いする。しかし事態は暗転、クラスではいじめられ、父兄からは放校の嘆願書を提出され転校しなきゃならなくなり、隣りの上司の告げ口で父はリストラにあい、挙げ句の果てにガレージのドアに「オカマは出て行け!」の落書き。

ベルギー・フランス・イギリスの合作。1998年ゴールデン・グローブ賞の最優秀外国語映画賞などヨーロッパを中心に各賞を総なめ。
・・・たとえば自分が、体は男(女)だが心は女(男)だったら。よくあるテーマのようだが、かつての同テーマの作品の表現方法は、思春期以降の“大人”が自分自身の肉体と精神の差との葛藤なのに対し、この映画の驚愕する点はそれを全くの自然体で“子供”が演じきっている事(ジョルジュは当時11歳)である。よくぞ、へこたれずに脚本を煮詰めキャストを発掘したものだ。
子供が成長する過程で経験する肉体的な性の違いや性的性格の獲得が、レールの上をただ進むが如くに成されるわけではないのである、ということを改めて認識し、自分の娘達の“教育”と“人格の尊重”への、親としてのさじ加減について深く考えさせられた作品。エンディングに続くエピソードは胸が苦しくなる。


『ラッシュアワー』
観た日:1999/03/02 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★

監督は新進気鋭の1970年生まれ(!)ブレット・ラトナー、制作は『レインマン』『バットマン』『ホームアローン』『6デイズ7ナイツ』などのマネーメーカーであるロジャー・バーンバウム、原作・脚本はロス・ラマンナ。主演にアジアが誇るスーパースターのジャッキー・チェンと、『フィフス・エレメント』で主役のブルース・ウィルスを完全に食った“愛すべき出目金”クリス・タッカー。

中国領事館の令嬢が営利誘拐された。FBIは、香港から来るリー捜査官(ジャッキー)を捜査に加わらせたくない。リーのお守りをロス市警のお荷物カーター刑事(クリス)にまかせることにした。しかし、ただ黙っている彼らではもちろんない。

まずジャッキー。1954年生まれのおっさんとはとても思えない。いつものようにスタントマン無しのアクションだ。ハリウッド流の安全対策に「香港映画と違い、今回は楽なもんさ」とうそぶくジャッキーだが、香港での彼の作品と違いドラマのテイストが濃い本作品でも、50mの高さから落下した後に幅2mの垂れ幕を滑り降りたり、やることはやってくれる。何よりも、きっちり決め事を仕込んだカンフーアクションは健在で、ホッとするしワクワクする。ジャッキーにとって、ブルース・リーと違い、まだ生きていてしかも体が動く今、ハリウッドに認知されたのが最も大きな事件だった。最も、ハリウッドよりも20年も前から世界は彼を認めていたけどね。
そしてクリス。彼は本物のエンターティナーだ。ジャッキーが嫌いな人は彼だけを見るつもりでこの作品を観て欲しい。凄まじいマシンガントーク、感心するほどのアドリブ。スクリーンでの一際目を引く輝き。21世紀は彼の時代である。
最後の、中国展覧会の後半のシーンから、ちょっと中だるみというか編集の切れが悪いというか、を感じるが、この作品のおもしろさを壊すほどではない。悪党一味のヘリコプターがどうなったのかだけは知りたいが。
次作が観たくなる、いい出来の映画である。今度はクリスが香港に来て、カンフーアクション大爆発、みたいなヤツ。ジャッキーが動ければの話だが。
あと、本編の前に出てくる、資本提携かなんかのテロップに載ってる『アルゼ』って、パチスロのメーカーです。知ってた?


『ヴァンパイア/最期の聖戦』
観た日:1999/02/03 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・音楽は『ハロウィン』『遊星よりの物体X』などでホラー・SF・アクション・スリラーの大御所として確固たる地位を築いたジョン・カーペンター、特殊メイクはカーペンター作品や『ダンス・ウィズ・ウルブス』『スクリーム』でもおなじみのチーム、KNBエフェクツ・グループ・インク。主演に『オニオンフィールド』でゴールデングローブ賞を受賞、『サルバドル/遙かなる日々』で主演として、『ゴースト・オブ・ミシシッピー』で助演としてオスカーにノミネートされるなど渋いおじさんの代表ジェームズ・ウッズ、共演に『ツイン・ピークス』の“この世で最も美しい死に顔”ローラ・パーマー役のシェリル・リー。

人知れず闇に生きるヴァンパイアを始末するのがカトリック教会より派遣された傭兵集団のヴァンパイア・スレイヤー(始末人)である。現代のヴァンパイア達は、十字架もニンニクも聖水も効かないし、棺桶で眠らずコウモリにも変身しない。心臓を杭で打ち抜くか太陽の光を浴びさせ燃え尽きさせるしかないのだ。アメリカのスレイヤーチームであるチーム・クロウのリーダー、ジャック・クロウ(ジェームズ)は、最も古くから生きる超越した能力を持つ魔鬼ヴァレック(トーマス・イアン・グリフィス)を追っている。一方ヴァレックは、ヴァンパイアが昼でも活動する事ができるようになる為の儀式に必要な“黒い十字架”を遂に見つけ出した。

戦いの途中でヴァレックに仲間を皆殺しにされたクロウ、ヴァレックに咬まれヴァンパイアに変身しつつある娼婦のカトリーナ(シェリル)、クロウと共に生き延び、カトリーナに恋するトニー・モントヤ(ダニエル・ボールドウィン)、不死に憧れ教会を裏切るアルバ枢機卿(マクシミリアン・シェル)、枢機卿の裏切りを知り己の正義に目覚めるアダム神父(ティム・グニー)。書くだけでは複雑にみえるこのキャストを微塵の乱れもなく描き切る。
そして全編に貫くテイストは、まさに勧善懲悪の「西部劇」である。カーペンター監督も、その意図ありありでフィルムを回している。テンポもコマ割りも、勿論残虐シーンのグロさも良し。カーペンター節ますます鳴る、である。自ら作曲した音楽もブルージーで素晴らしい。


『メリーに首ったけ』
観た日:1999/02/01 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督・共同脚本は『ジム・キャリーはMr.ダマー』のピーター&ボビー・ファレリー兄弟。主演は『マスク』『ベスト・フレンズ・ウェディング』のキャメロン・ディアス、共演にブロードウェイ劇『House of Blue Leaves』のトニー賞受賞者で監督・脚本家としても知られるコメディアンのベン・スティラー、『アウトサイダー』『ドラッグストア・カウボーイ』のマット・ディロン。ストーリーテラー役の歌うたいにジョナサン・リッチマン。

テッド(ベン)は冴えない高校生。卒業式のパーティ(=プロム)にひょんな事からみんなの憧れのメリー(キャメロン)と行くことになる。が、エスコートに行った彼女の家のトイレでイチモツをファスナーに挟んでしまい、そのまま病院へ。彼女はその後引っ越してしまい、以来13年間、テッドはメリーに片思いを続けている。これを知った友人が保険外交員のヒーリー(マット)にメリーのことを探らせるが、ヒーリーはフロリダで整形外科医をしている彼女に一目惚れ。ところがメリーにぞっこんなのは、この2人だけではなかった。

奇人・変態のオンパレードである。不運が付きまとうテッド、こまし屋ヒーリー、友人に背骨をバットでへし折ってもらいメリーに嘘の建築家の肩書きで近づくピザ屋、メリーの靴の臭いが大好きな蕁麻疹野郎、近所の電話を盗聴するのと日焼けが趣味のばあちゃん、耳を触られると狂ったように怒る軽度知的障害のメリーの弟、ドラッグを食わされて獰猛に暴れるテリア犬。テッドがフロリダへ向かう途中で乗せたヒッチハイカーは猟奇殺人者だし、休憩したサービスエリアではホモの団体が青姦している。メリーも、「デートの前はヌイとけ!」との意見にオナニーしたテッドの精液を「これヘアージェル?」と髪に塗ってしまう(おかげで金髪が逆立ってガビガビ!)なんて、常人ではない。そして大笑いが、合間に出てきてやる気なさそうに歌うジョナサン・リッチマン!しかもエンディングでは誤って射殺されてしまう。
キャメロン・ディアスにとっては間違いなく生涯の代表作になるだろう。本当にかわいい。メグ・ライアンのようなある種の“媚び”もないし、「変な男よりバイブのほうがよっぽど良いわ」なんてセリフも平気で言えるし。ヒーリーが最初に見た時より、後日彼が声をかけたときの方が、メリーのゴルフスイングがさまになってるのは、撮影時期が逆だからだね。
最後、メリーが、数多のろくでもない男達と、しんがりに登場した唯一本物の男らしいアメフトプレーヤーの元彼との中から、どうしてテッドを選んだのか。決め手は、強さでも優しさでも男らしさでもなく(もちろん変さでもなく!)、弟への対応にあったに違いない。詳細は観てのお楽しみ。
 下ネタOKのカップルで観るのがベスト。間違っても“高嶺の花”や“憧れのナイスガイ”との初デートにこの映画を選んではいけない。


『おもちゃ』
観た日:1999/01/29 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

監督は『仁義なき戦い』シリーズ、『蒲田行進曲』の深作欣二、撮影は木村大作、照明は安藤清人、美術は西岡善信。主演に、新人にして第11回東京国際映画祭の最優秀女優賞を文句なしに獲った宮本真希、共演に富司(旧 藤)純子。

売春防止法が施行される直前の京都・花街。芸者置屋の藤乃屋の時子(宮本)は、女将の里江(富司)や芸者の姉さん達の、生々しく逞しい生き様を垣間見ながら、彼女らの身の世話をする“おちょぼ”。貧しい家に生まれた時子は、いつか舞妓になり、そして姉さん達のような芸妓になって、お金を稼いで父母と妹を楽にしてあげたいと思う。やがて水揚げ(一人前の芸者になる為に、贔屓の旦那衆に“大人の女”にしてもらうこと)の日を迎えるにあたり、時子は「おもちゃ」という源氏名をもらう。

まず、何はなくとも宮本が素晴らしい。世間では水揚げのシーンの脱ぎっぷりに目が向いているようだが(確かにスパッと裸になっているが、猥褻さは微塵もない)、どうして、世話係としてのよどみのない軽い身のこなし(本当に炊事洗濯やこまごました家事が出来なければ、ああは見せられまい)といい、間を掴んだ演技といい、一番下っ端でありながら誰にも負けないしたたかさを内包させた表情といい、よくぞ深作監督はこんな女優を見つけたものだ。彼女の出演だけでこの映画は既に成功している。
そして、富司の気っ風のいい女将ぶり!さすがは緋牡丹お竜、衰えは全くない。
取り巻く芸妓達の役柄の、南果歩・喜多嶋舞・魏涼子らも、子供には到底演じきれない匂い立つ色気で、賢く強くしたたかな本物の女を演じ切る。
「花街は男尊女卑の低俗な世界だ」とか、「金で体を売るとは何てはしたない」とか、よくある論争は百も承知。しかし日本は、人類史上最も解放され細分化された性文化を持つ国である。「アムステルダムやハンブルグには“飾り窓”があるじゃないか」とも言うかもしれないが、じゃあ、外国の繁華街の電話ボックスに売春クラブのチラシなんて貼ってあると思うかい?援助交際なんてどこの国にもある“文化”だと思うかい?花街(=性文化)を、見て見ぬ振りをせず、真正面から堂々と撮りきった深作組に拍手を送りたい。


『ドクター・ドリトル』
観た日:1999/01/14 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★

監督はコメディTV『Dream On』でエミー賞の監督賞、同じくTV『Hill Street Bluce』でコメディエンヌとしてエミー賞の演技賞を受賞しているベティ・トーマス。主演は『大逆転』『ビバリーヒルズ・コップ』『48時間』などの“マシンガントーク”エディ・マーフィー。

「動物語」をしゃべることの出来るドリトル少年は、周囲から変な子供と言われ、父親の依頼で神父が悪魔払いをする始末。少年は自分の才能を封印する。やがてその才能自体を忘れ、大人になる。時は流れ、ドリトル(エディ)は、医学部を首席で卒業、仲間と病院を共同経営している。妻と動物好きの娘達にも囲まれ、幸せな日々を送っている。しかし突然、封印された才能が蘇った。

ご存じ『ドリトル先生不思議な旅』をモチーフにしている。「『ベイブ』(農場にもらわれた子豚のベイブが大活躍、遂に牧羊豚としてコンテストに出場する。1996年のマイ・ベストムービー)と違い、90%本物の動物で撮影しており、CGもほとんど使用していないので大変だった」とはベティ監督の弁。だが、動物は、種類は多いがいまいちサーカスのノリなんだよなぁ。それに、口の動きをアテレコに合わせ作るってのは、明らかに『ベイブ』の流れじゃん?
エディ・マーフィーも、なんか年寄り臭い。お前、1961年生まれだろ?もっとキレて弾けて欲しい。でないと、いつまでたっても『サタデー・ナイト・ライブ』と『ビバリーヒルズ・コップ』が代表作としてクレジットされることになるよ。クリス・タッカーの狂気を見習え!そして思い出せ、常軌を逸するところに確かに存在する快感を!
あんまり見るべき所はないが、ラストの、トラの手術に、夫の奇行を理解できなかった妻リサ(クリスティン・ウィルソン)が夫を信じて手術室に入るシーン。Love is All you need である。
エディ・マーフィーに毒がないので、吹き替えの方が観るに良いだろう。


『6デイズ7ナイツ』
観た日:1999/01/14 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★

『ゴーストバスターズ』シリーズ・『ツインズ』のアイバン・ライトマン制作・監督、主演は天下のハリソン・フォード、共演に新進アン・ヘッシュ。

フランク(デビッド・シュワイマー)とロビン(アン)はニューヨークのキャリアでステディ。6泊7日のバカンスを南の島で過ごす予定だ。が、ロビンは上司の命令で仕事の立ち会いに出かけなければならなくなった。。チャーター機は、ここへ来たときに乗ったオンボロ飛行機、パイロットはあのクイン(ハリソン)だ。ところが、突然の嵐で雷が飛行機を直撃!2人は無人島に不時着した。なんとか脱出を試みるが今度は不法商人達の取引に出くわす。

脚本は良く練られている。テンポもまずまず。パンフやプロモフィルムにある、悪党を滝に引きずり落とすシーンが本編ではカットされているのはご愛敬として、無人島から逃げてきたあとその悪党連中をほったらかしにしたまま、というのはいただけない(なんて、気にするのは野暮か?それともこのシーンもカット?)。
しかし、何と言ってもこの映画は、ハリソン・フォードのものである。アクション(56歳とはとても思えん!)・ロマンス(56歳とはとても!)・コメディすべてをてんこ盛り。右の口元を上にひねりニヤリと笑うあの顔(もちろん、『スター・ウォーズ』・『インディ・ジョーンズ』のあの顔だ)が戻ったというだけで嬉しくなるファンも多いだろう。おまけに、趣味の小型機操縦まで披露してくれる。
アン・ヘッシュも初々しいし、体に切れがありタフである。いい映画に出て、大きくなってもらいたい。
ハッピーエンドなのも含めて、退屈しのぎにはちょうどいいポップコーン・ムービー。それだけ。だが、そんな映画も世の中には必要だ。
ところで、“6デイズ7ナイツ”じゃあ、7泊6日じゃないの?え、これでいいの?英語ってやつぁ・・・


『ジョー・ブラックをよろしく』
観た日:1998/12/22 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

監督は『ビバリーヒルズ・コップ』『ミッドナイト・ラン』『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』のマーティン・ブレスト、脚本は『カッコーの巣の上で』のボー・ゴールドマン。主演に『セブン』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のブラッド・ピット、共演に『羊たちの沈黙』のオスカー俳優、アンソニー・ホプキンス、ちょっと口の大きな美人女優クレア・フォラーニ。

人間界を知りたくなった“死神”は、交通事故死の青年(ブラッド)に乗り移り、死期の近いメディア王パリッシュ(アンソニー)をあの世に連れていくまでの間、「ジョー・ブラック」の名で彼につきまとい、自分の欲求を満たそうとする。ところがパリッシュの次女スーザン(クレア)は、事故死前の青年が出会い、お互い一目惚れし合った女性だった。人間の愛を知り、スーザンの肌の温もりを知った「ジョー」=“死神”は、彼女も連れていくとパリッシュに言う。自分の命はともかく、父親として、パリッシュは“死神”のその言葉に同意できるはずがない。そして運命の日であるパリッシュ65歳の誕生日がやってくる。

まず、アンソニー・ホプキンスの名演技だ。熟慮を重ねた役作りが見事に表れている。前作の『マスク・オブ・ゾロ』と見比べて欲しい。彼に負けず劣らず多忙のモーガン・フリーマンが、お抱え運転手だろうが合衆国大統領だろうが銀行強盗だろうが、みんな同じ表情で演技し抜いてしまうのを思い浮かべれば、アンソニーがいかに天才か解ろうというもの。燃えない愛に浸り、そんなものだと自分に納得しているスーザンに、全てを投げ出してもかまわないほどに燃えることこそが愛だ、と説く場面。妹に注がれる愛情に嫉妬しながらも、それでも愛する父のためと誕生パーティの準備を手がける長女アリソン(マルシア・ゲイ・ハーデン)とのやりとり。会社の買収工作を防いだ後に、「ジョー」が見守るなか、参加者に向かってする挨拶。泣くぞ泣くぞ〜!
ブラピもよい。“死神”は人間を連れ去るのが仕事で、それが超多忙(!)な為にかえって人間をよく知らない。だからパリッシュの周りで奇行をしでかす。が、これがコミカルとシリアスのぎりぎりの線なのだ。もちろん「大根」ではない。そして、愛を知る。まあ、言ってしまえば、スーザンとのセックスで初めて肉欲の快感を体験するのだ。“死神”として長い時を“生きて”はいても、もちろん彼は童貞、あんな美人を抱けば、そりゃあ気持ちいいよね。ブラピ命!の女性なら、このベッドシーンでの、ブラピのイッた時の「ブルブル」を観ただけでもう元は取ったも同然でしょう。唯一の難を言えば、一番最後の場面での演技の切り替えか。ちょっと抑えすぎ。表情をキャラクターに合わせ、もっと動かしたらいいのに。
クレア・フォラーニは表情もよく、アンソニーとブラピに気圧されることもなく、熱演をふるう。今後が注目である。
本作は、舞台劇やそれを模倣したいくつかの映画のリメイクだという。しかし、脚本はかなり練り込まれており、オリジナリティにも溢れ(かなり筋が変更されているらしい)、いい出来だ。また、随所に窺える「間」に、俳優達の、多くの音に聞こえない演技が盛り込まれており、3時間のフィルムが長くない。冒頭の交通事故シーンは、映画史上最高の出来と思われる。どう凄いのかは、観てのお楽しみ。心臓を一緒に止めないように。
マーティン・ブレストは、アクションもロマンスもOKの、久々のオールマイティ監督だ。これからも注目である。
この年末年始にとっての、紛れもない一押し映画にして、この『店長の言いたい放題』初の満点作品である。


『ロスト・イン・スペース』
観た日:1998/12/18 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

『オーメン』シリーズ、『パトリオット・ゲーム』などをプロデュースしてきたメイス・ニューフェルド制作総指揮、監督は『プレデター2』のスティーブン・ホプキンス、特撮監督は『エイリアン』『ブレイブハート』『フィフス・エレメント』のニック・アルダー。SFXに『ベイブ』のジム・ヘンソン工房。ロビンソン一家の父に『蜘蛛女のキス』でオスカー受賞のウイリアム・ハート、ロビンソン一家の主治医で反乱軍のスパイにハリウッド版悪徳照会の会長(?)ゲイリー・オールドマン。

2058年、自然環境が破綻し、他の惑星への移住が必須となった地球は、ロビンソン博士とその一家を、人類の第2の故郷となる“アルファ・プライム”への先遣隊として派遣するが、彼らの宇宙船は破壊工作により宇宙空間で迷子になってしまう。

1960年代に人気を博した『宇宙家族ロビンソン』のリメイク。またもや“腐っても鯛”式映画。映画は商品、売れなきゃ困るとはいえ、少しは頭を使えよ、脚本家!とはいえ、時代背景を考慮した科学力などは考え直されており(当然か)、もちろん今と照らし合わせて違和感はない。
しかし、不時着した惑星(宇宙服なしでOKの件はあえて不問)から脱出した後(“アルファ・プライム”の座標を特定できたので、目標に向かって光速航行した)、つまり、行程の半分にも満たない所でエンディング、というのは、あまりにお粗末である。それともパート2への布石か?いや、こんなに金のかかる(100億円だってさ)映画の続編はないと思うが。
この映画の真の主人公は、末っ子のウィル(ジャック・ジョンソン)である。あらゆる局面で父を凌ぐ天才ぶりを発揮し、キーとなるタイムマシンも発明する。また、レイシー・シャベール(次女ペニー役)が秀逸。早口。今後への期待二重丸である。
優れたCGは、優れ過ぎており、もはや驚きの対象ではなくなってしまった。ご馳走の食い過ぎで何を出されても舌鼓が打てない、というアレである。アニメーションのカットも相当数あり、本作はSFX映画の1つの極みと言えよう。
余った時間を何も考えずに消化したいときにいい映画。


『アルマゲドン』
観た日:1998/12/15 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

『ザ・ロック』のマイケル・ベイ監督、制作は“ドン”ジェリー・ブラッカイマー、主演に日本人の大好きなブルース・ウィリス、共演に『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』でオスカー(脚本)を手にしたベン・アフレック、紅一点は『魅せられて』のリブ・タイラー。

宇宙で作業中のスペースシャトルが破壊され、ニューヨークが壊滅。それは隕石群の来襲だった。そして、テキサス州なみの大きさの小惑星が、あと18日で地球に衝突することが判明する。回避の方法は、小惑星に核爆弾を埋め込み爆破させ軌道を逸らす以外にない。そこで世界一の掘削技術を持つ原油採掘業者のハリー(ブルース)に白羽の矢が立てられる。

ハリーの愛娘グレース(リブ)、彼女と愛し合うようになる、優秀な片腕だが“若気の至り”真っ盛りのAJ(ベン)、あくの強い部下達。キャラクターの“立ち”もいい。
が、この後の展開は・・・う〜む、いろいろな映画のパクリだ。ハリーら宇宙素人の身体検査や猛特訓は『ポリスアカデミー』『愛と青春の旅立ち』など枚挙にいとまがないし、主人公が身を挺して任務を成就する(“死ににくい”ブルース、遂に!)というのも陳腐である。絶体絶命を生還させるところに脚本家の腕が問われると思うのだが。
一番情けないのは、グレース。ただただ受け身で待ち、犠牲を払った英雄をかえりみずに恋人の生還をただ喜び、脳天気に結婚式でブーケを投げる。近来稀にみる後ろ向きの女性像である。それでいいのか、リブ・タイラー!
もちろん科学的事実に基づく描写(スペースシャトルの、月を使い加速する−スゥイングバイという−など)も見られるが、小惑星の表面に突起などあるはずもないし(マイケル・ベイは「演出だ」と言うが)、分裂した小惑星が地球との衝突軌道から逸れるのはよしとしても、欠片が蒸発というのは嘘である。せめて「大気圏に突入し炎上消滅」という『ディープ・インパクト』のエンディングのような絵を見せて欲しい。インド人が地球滅亡の危機にタージマハル前で祈るだけ、も情けないし、ロシアの宇宙基地の燃料補給パイプの弁の取っ手はちょっと力を入れただけでポロリともげる。偏見である。発進できないシャトルの推進装置に気合いを入れる際も「どうせロシア製もアメリカ製もメイド・イン・タイワンだ!」と叫ぶ。ありきたりだ。
あと、この手の映画はビデオなどで観てはいけない。劇場で観るべきである。なぜなら、CGだらけの映画を巻き戻したり一時停止したりしながら観ると、粗が目立ってしまい損した気がするからである。


『始皇帝暗殺』
観た日:1998/12/15 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

『さらば、わが愛/覇王別姫』で1993年カンヌ映画祭パルムドールを獲得した陳凱歌(チェン・カイコー)制作・脚本・監督、撮影は趙非(チャオ・フェイ)。主演は李雪健(リー・シュエチェン)・鞏俐(コン・リー)・張豊毅(チャン・フォンイー)。

後に始皇帝となる秦の王、政(李)は、周辺の六国に対する武力統一こそが覇業の道であると頑なに信じ、幼なじみで愛人の趙妃(鞏)は、民を気遣うのであればと政への理解を心懸けるがかなわず、ついには自国である趙でさえも、政によって滅ぼされてしまう(政の“滅ぼし方”は、中国史を少しでも知っている人なら判るはずだが、文字通りの皆殺しである。年端もいかぬ子供も生き埋めだ。ちなみに謀反者や暗殺者などは、復讐を警戒して一族郎党死刑である。戸籍はそのためにあると確信するほどだ)。そしていつしか心を寄せるようになった、天下の刺客である荊軻(張)に政の暗殺を託す。

“0”と“1”の行列(コンピューターということです、為念)で映画を作るハリウッドの対極にある、無双なほどに壮大な映画。特に、戦闘シーンでの幾何学的かつ広大な様は、『スパルタカス』、『パットン大戦車軍団』、『影武者』を想起させるが、もちろん似て非なる、孤高の味を持つ。世界一の規模のセット(東京ドーム6個分)とか、中・日・仏・米の4国合作で制作費60億円、とかが話題として先行した感があるが、それも真実だが、人間の悲喜を丹念になぞる出来のいい脚本にむしろ目がいく。
オープニング後に出てくる題字とキャスト紹介の文字が、以降の内容に充分な期待を抱かせるに足る斬新さである。
その後に続く騎馬戦は、あれほどのスケール感ながら、クレーンでの撮影が皆無である。いつでもどこでもカメラをブン回すハリウッド式に一石を投じている。また、剣で斬り合う場面では、何十メートルもレールカメラで追う。横に動けば、複数の1体1の勝負が、前に進めば、斬り込む兵士の目線での前線の殺陣が繰り広げられる。もちろん、何十秒もノーカットである。素晴らしい撮影と編集、そして俳優達の演技力である。2秒、3秒のつぎはぎで作られる昨今のハリウッド映画と、ここでも一線を画している。一方で、主役陣のやり取りはほとんど画面いっぱいのアップだ。全身の表情の僅かな動きをも見落とさないという意気込みが滲む。恐い監督、恐いカメラである。そして、それに答える俳優の素晴らしさ!
青は空だけ、赤は火と血だけ、あとは茶と灰色の映画。重い、ひたすら重い映画。本物のエンターテインメント。こんな監督が、こんな作品が、この世に存在することに感謝する。


『アウト・オブ・サイト』
観た日:1998/12/01 お薦め度:★ もう一度観たい度:☆

『セックスと嘘とビデオテープ』の脚本を書いたスティーブン・ソダーバーグが監督、『ジャッキー・ブラウン』のエルモア・レナード脚本、主演はジョージ・クルーニー、共演にジェニファー・ロペス。

銀行強盗を200回もやっているジャック(ジョージ)と連邦保安官のカレン(ジェニファー)が、お互い一目惚れし、一時“仕事”を“タイムアウト”し愛し合うが、やがてまた敵同士になる、というストーリー。

私は故 淀川長冶氏のように「どこか1つでもいいからその映画の良い部分を見つけて誉める」なんていうような神業を身につけてはいない。はっきり言うと、今年最悪のクソ映画。「現在と過去をオーバーラップさせた、スタイリッシュな作品」らしいが、あんなもの、ジョージ・クルーニーとの契約の為にフィルムを長く撮りすぎて、編集時に切るに切れず適当につぎはぎしたら、もっと訳わかんなくなっただけである。変なストップモーションやストロボの絵は、ただただ観にくいだけ。カメラワークも音楽も平凡。
ネタはそんなに悪くないのに、料理人の腕前が悪いとこんなにまずい料理になる、という見本。
あ、良いところ1つあった。ジェニファーのお尻がかっこいい。


『生きない』
観た日:1998/12/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★★

オフィス北野制作、北野組で助監督を長く務める清水 浩の監督第一作で、脚本・主演はたけし軍団のダンカン。

深い余韻を残す、“日本”映画。ダンカン以下、出演俳優が素晴らしく、このメンバーを先に見てから脚本を練ったのではないかというほどの絵に仕上がっている。
“北野ブルー”とは言わないが、やはりあちらこちらに、たけちゃんマンが見え隠れするような気がする。しかし清水監督は、そこから逃げようと敢えて悪あがきせず、淡々と自分を見せようとしているように感じる。やや俯瞰したカメラが俳優達を上目遣いに捉え、乾いた雰囲気とシニカルなポイントを助長している。ただ、ライティングは『乱』の二番煎じだ。
登場人物は、1人の女子大生(大河内奈々子)を除きみんな死ぬ為に集まっている。そして沖縄の観光バスでの自殺ツアーが始まる。この映画はラストが肝なのでストーリーは書かないが、「な〜んだ」という人と「が〜ん!」という人と、半々というところでしょうか。私は「ふむふむ」でした。最後のダンカンの笑みが狂気走っていてよい。


『トゥルーマン・ショー』
観た日:1998/11/27 お薦め度:★★★★★ もう一度観たい度:★★★★

『刑事ジョン・ブック/目撃者』のピーター・ウィアー監督、『ガタカ』のアンドリュー・ニコル脚本、『マスク』のジム・キャリー主演。共演のエド・ハリスが迫真の演技をみせる。ヒロイン・シルビア役のナターシャ・マケルホーンは、例のモニカ・ルインスキー似だ(と思うのは私だけ)。

生まれてからのすべてをテレビで放映されている男、トゥルーマン・バーバンク(ジム)。住む町は、空でさえも全部セットで、町の人は、妻や母や幼なじみでさえも全員が俳優。トゥルーマン本人のみが“真実”の中で生きている。テレビの前では、トゥルーマンをみんなが見ている。“作り物”と知りながら。

近来まれにみるホラー映画。思い出しても悪寒が走る。稀代のコメディータッチキャラクターのジム・キャリーでなければ、爽やかさのかけらもないダークでヘビーな映画になっていたに違いない。それに、『顔面サーカス』とか言われてるが、表情が希有に豊かでもいいじゃないか。表現力も大したものだ。
腑に落ちないのが2ヶ所。トゥルーマンが親友(と信じている)マーロン(ノア・エメリッヒ)と子供時代の思い出を話すシーンで出てくる「北極星を見るために1晩中徹夜した」というセリフ。“北極星”は1晩中でているので、これを見るために徹夜とは解せない。それとも戸田奈津子の誤訳?あと、夕方、日が沈むその横に満月に近い月がある。これも変だよね。わかった、この脚本家アンドリュー・ニコルは、天文関係に明るくないんだ。
最も恐ろしいのは、ラストでトゥルーマンがセットから脱出した(つまり、信じていた“現実”を勇気を振り絞って乗り越えた)後、それを見ていた視聴者である守衛達が「他の番組は?テレビガイドどこだ?」と言う場面である。
何があっても必ず観るべき映画である。


『踊る大捜査線 THE MOVIE』
観た日:1998/11/27 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督は本広克行、脚本は君塚良一、主演は織田裕二。

大人気テレビシリーズの劇場版。脚本・編集・セリフ・音楽、どれをとっても大変おもしろく、最近の日本映画にないスピード感を持っている。いつものことながら、私はテレビシリーズを見てないが、これなら高視聴率を獲るのも頷ける。
青島(織田)が、拉致された和久(いかりや長助)が持っていた赤のスモークボール(ゴルフの始球式に使うアレです。わからない人はパパに聞こう)を焼却炉に放り込み助けを求める、その赤い煙を見て「『天国と地獄』だ」とつぶやく場面。グッドです。
いくつか文句をつけるとすれば、2ヶ所あるヘリコプターからのカメラがグラグラだ。機材に予算がつかなかったか。サイコ犯が小泉今日子である必然性が感じられない。誘拐犯からの電話の向こうに青島の声が聞こえるが(つまり、青島の近くに犯人がいたということ)、それを説明する場面が出てこない。ラストの青島が刺された後のオチは、劇場内にいっぱいいた女子高生ならともかく、読めてしまう。
でも、おもしろいです。上の、星の数を見てくれればわかるでしょ?


『ピンク・フラミンゴ』 ※R-18(18歳未満は入場禁止)
観た日:1998/11/24 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★★

脚本・制作・監督・撮影・編集ジョン・ウォーターズ、主演はディバイン。

世界に冠たるカルトムービー。シーメール(恐らく。当時の解釈はアンドロギュヌス)のバストとペニスの描写・ニワトリを実際に殺しながらのセックス・歌う肛門・とどめの出したての犬糞を食うシーンなど、既存の映像にはない“異常さ”をして、1972年の公開当時、『かつてないほど最高にお下劣でバカらしく嫌悪感にみちた映画』『まるで浄化槽の爆発のようだ』『映画史上、最も気分が悪くなる映画。そして、最も面白い映画のひとつ』などと激論の渦を巻き起こし、アンディ・ウォーホルをして「私が映画を作る意味がなくなった」と言わしめた作品。
しかし、世の中にはもっと凄い映像がワンサカあるのを私は知っている。たとえばインディーズAVメーカーのギガ社やワイルドサイド社の、いわゆる“スカトロビデオ”は、それこそここでは紹介できないような凄いことをしているのである。肛門だって、もっと大きく開くのを見ている。という訳で、映像上の驚きは、はっきりいってありませんでした。
が、この映画の真骨頂はセリフにあると思う。およそ日本語には訳しきれない下品なスラングが満載している(はずだ。悲しいかな、私には聞き取れないが)。世紀末の今は、映像よりこちらを評価するべきなのかも知れない。


『グランブルー オリジナルバージョン』
観た日:1998/11/20 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★★★

原案・脚本・監督はリュック・ベッソン。ジャン=マルク・バール主演、ジャン・レノ、ロザンナ・アークェット共演。

なにを今更の、“イルカ人間”ジャック・マイヨールをモチーフとした、綺麗な綺麗な映画。この作品は、何をおいてもリュック・ベッソンに尽きる。撮りたい絵を、一途に思い入れながら撮り切るとこうなるという見本。
素潜りの世界記録に挑む男達の物語、とだけ説明しておきましょう。【お薦め度】が星3個なのは、この映画にのめり込んでいる推定世界人口5000万人が、残りの人たちを誘ってると思うから。
観る人なりの、いろいろな思い入れがあるでしょうが、あえて一言いわせてもらえば、ジャック(ジャン)はジョアンナ(ロザンナ)の妊娠が判った時点で潜水すべきではないと思います。じゃあどうシナリオを代えるかというと、どうしたらいいかわからないのだが。しかし単なるハッピーエンドにはしたくないのも確かである。きっと、何度も何度も観ないと思いつかないだろう。
ただし、パンフレット1000円は高すぎるゾ!


『モンタナの風に抱かれて』
観た日:1998/11/20 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★

ロバート・レッドフォード監督・主演。『フォレスト・ガンプ/一期一会』のエリック・ロスと、『マディソン郡の橋』のリチャード・ラグラベニーズの共同脚本。共演は『イングリッシュ・ペイシェント』のクリスティン・スコット・トーマス。子役のスカーレット・ヨハンソンが素晴らしい演技をみせる。

日本と同等の面積にも関わらず人口約80万人というモンタナ州は、レッドフォードが『リバー・ランズ・スルー・イット』でも選んだ土地である。広い草原、高い山、流れる雲。短い夏だけの景色とはわかっていても、美しい自然は心惹かれる。
その地で牧場を経営するトム・ブッカー(レッドフォード)は、馬の心を理解する数少ない人間である。彼のところに、不幸な事故で友人と右足と生きる気力を失った少女グレース(スカーレット)が、母親アニー(クリスティン)に連れられやって来る。同じ事故で心身共に傷ついた馬、ピルグリム(巡礼者の意)と共に。ピルグリムの体と心の治癒およびグレースの心の成長と、トムとアニーの淡い恋の2つの軸が展開される。
と書けば聞こえはいいが、馬や自然の描写はともかく、“トムとアニー”、これがなんとも情けない。牧場暮らしが嫌でシカゴに逃げたチェロ弾きの元女房と髪の色が似ているかなんか知らないが、人妻に惚れ込むトム。単に女日照りが続いているだけである。一方、ニューヨークで雑誌の編集長なんかしているせいか、田舎の生活のカルチャーギャップとカーボーイの呆れるほどの朴訥さに頭を小突かれ、夫の目の前でトムと膝を割るほどのチークダンスをカマす、大馬鹿アニー。『チャンス』でのシャーリー・マクレーンの、切ないほどの恋心とは、まさに雲泥。いや、比べられた泥に申し訳ないくらい。
“癒やしの映画”とかいうのがこの作品のキーワードらしいが、頭悪いんじゃないの?
グリースの巧さが唯一の救いだ。


『カンゾー先生』
観た日:1998/11/13 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

今村昌平監督の最新作。今やどこにでも出てくる柄本 明主演。原作は坂口安吾の『肝臓先生』。良い意味で肩の力の抜けた、洒脱な作品。山下洋輔のジャズが見事に相乗効果を上げている。
終戦直前の瀬戸内の町の、「開業医は足だ」を座右の銘にして走り廻り、どんな患者も肝臓病にしてしまう(“藪”ではありません、為念)町医者と、その周辺の連中とが起こす出来事を描く。登場人物が多すぎず少なすぎずよろしい。世良公則(外科医の鳥海)が光る。
ライナーノーツに『3時間以上の分量になってしまった作品を、配給の関係で1時間切った』とあるが、これが幸いしている。日本映画と海外(ハリウッド)映画との絶対的な差は、カメラと脚本とこの編集能力である。『うなぎ』もそうだが、今村組は編集に長けていると思う。
ハルピンで従軍している軍医の一人息子の死を知らせる電報を、破いて放り投げ仰向けに寝ころんだあと、投げ上げた量を圧倒的に上回る紙が降りかかる。鯨に向かってモリを担いで飛びかかったがいいが、凄い勢いで潜行されてもんぺが脱げてしまい、浮かび上がった鯨の背中に刺さったモリにそのもんぺがヒラヒラ、その向こうに原爆のキノコ雲。デジタルな効果に大枚をはたかなくとも(もちろん『鯨』の場面など、使ってはいるが、鼻に付かない)出色な絵は撮れるのである。
性に対して世界で一番あっけらかんとしている日本の、現在よりも更にあっけらかんとしている時代も伺い知れて楽しい。
秀作である。


『あぶない刑事フォーエヴァー』
観た日:1998/11/13お薦め度:☆ もう一度観たい度:評価なし!

成田裕介監督、舘ひろし・柴田恭兵主演の人気シリーズで、最終作?だって、“タカ(舘)”と“ユージ(柴田)”が爆発してサングラスだけが残ってるから。え、違うの?まあ、いいか。このシリーズは一切見てないし、興味もありません。ファンの方、ごめんね。とにかく、これをムービーとして享受しなければならない日本人は哀れである。1800円返して欲しい。
カーチェイスやアクションのテンポが間延びしており、カメラワークや編集の脆弱さ、幼稚さを感じずにいられない。
日本人は銃を持てない(ことになっている)。だから、銃撃戦にまったくリアリティがない。機関銃(らしきもの)を片手でパラパラ撃てるなら、所轄の刑事なんぞ辞めて外人部隊にでも入ればよろしい。タンカーが山下公園へ衝突する場面もセコいCGだ。
唯一の見所は、ユージの全力疾走だ。恭兵47歳、元気である。


『シティ・オブ・エンジェル』
観た日:1998/11/10 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

監督はブラッド・シルバーリング。『キャスパー』以来2度目の作品にして、間違いなく代表作となるであろう映画。主演はニコラス・ケイジとメグ・ライアン。撮影のジョン・シールが素晴らしい。セス(ニコラス・ケイジ)ら天使の視線である俯瞰からの絵が美しい。エンディング・テーマの『アンインバイテッド』はアラニス・モリセットの待望の新曲。コード進行が天賦の才に溢れている。

味覚・嗅覚・触覚を持たず、視覚は色彩を持たず、しかし人間の考えている事を耳で聞く天使。人間には見えない。マギー(メグ・ライアン)に一目惚れしたセスが、事あるごとに彼女に寄り添う。この、“見えている”のに“見えない”演技をし続ける2人の上手さに感心してしまう。天使をやめればマギーに届く。しかし、天国の美しさと永遠の命を失う。セスは迷わなかった。天使を捨て、人間になる。苦痛と疲労を知り、しかし喜びに溢れ、マギーを追うのである。
最初、表情を出さないニコラス・ケイジを「ルー大柴みたいだなぁ、まあ、天使だからしょうがないか」などと思っていたが、人間になれた後の、全身から立ちのぼるウブで純真な表情の輝き!やるじゃんニコラス。そして、目尻にカラスの足跡が目立っても、シャツ越しにおっぱいが透けて見えても(どのシーンかは、ひみつ)、メグ・ライアンはメグ・ライアンだ。かわいいっす。
愚直なまでの一途さにおいては、男は女を凌駕することを、改めて全世界に知らしめた作品。ラストの、何もかも受け入れたセスの顔が、夢に出そうだ。


『マスク オブ ゾロ』
観た日:1998/10/22 お薦め度:★★★☆ もう一度観たい度:★★★☆

007シリーズ『ゴールデンアイ』のマーティン・キャンベル監督、スティーブン・スピルバーグ制作総指揮。アンソニー・ホプキンスとアントニオ・バンデラスのダブルメインキャストで、新旧“ゾロ”の伝承を描いた作品。ジョン・トラボルタを抜き、今やハリウッドNo.1の濃い顔のバンデラスが、フェロモンぶち巻きの大活躍をみせる。先日、TVで『アラン・ドロンのゾロ』をやっていたのでおさらいに観たのだが、古き良きチャンバラ活劇で、あまり人は死なず、なかなかに風情があった。この『マスク オブ ゾロ』も、片っ端からぶった切るのではなく、市場や屋内の“小道具”でのらりくらりと敵をかわす手練れさは健在。
一番笑えたシーン。ヒロインのエレナ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が、納屋でアレハンドロ(バンデラスのゾロ)と立ち回ったあげくに服を切られてしまい、駆けつけた父(じゃないが、その時はそう思っている)のラファエル(スチゥアート・ウィルソン)にゾロの感想を聞かれ、「若くて、快活で、そしてタフだったわ」と言うのである。上半身裸である。目を丸くするラファエルの後ろで、“男性の象徴”である馬が「ヒヒ〜ン」。『プライベート・ライアン』で、一休みして寄りかかった材木が倒れ、レンガ塀が崩れて中がナチスの無線室だった、なんてえのより、ずっと気が利いている。
最後にディエゴ(ホプキンスのゾロ)が死んじゃうのが、欠点といえば欠点である。


『ムーラン』
観た日:1998/10/01 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★☆

ディズニーの最新作。「努力・友情・勝利」がモットーの、安心して子供にも観せられ、もちろん面白い“はずれ”のない作品。中国の人なら誰でも知っている“花木蘭”、ファ・ムーランの物語である。
足の不自由な父のもとへ来た徴兵令に対し、男と偽りながら、父のため、家名のため、何より自分のために家を出る。落ちこぼれ守護神である龍のムーシューと幸運のコオロギのクリキー(こいつ、何で足が4本なんだ。『ピノキオ』のコオロギの事を立ててんのか?)が主人公の腰巾着、というのは、ディズニーアニメのお約束。特にムーシューの声はエディ・マーフィーがやっていて、例のマシンガン・トークでまくしたてる(といっても、ロビン・ウィリアムズが演じた『アラジン』のジーニーのほうが強力!エディも金持ちになって、『サタデーナイト・ライブ』や『ビバリーヒルズ・コップ』のときのパワーがなくなってしまったか)。エンディング・テーマは、スティービー・ワンダーだ。
・・・ふぅ、なんか、森監督時代の強い強い西武ライオンズの、バント作戦を見ているようだね。


『フラッド』
観た日:1998/10/01 お薦め度:★★ もう一度観たい度:★☆

『アビス』、『バックドラフト』の撮影監督を務めたミカエル・ソロモンが監督、『スピード』のグラハム・ヨストが脚本。ということで少し期待していたが、期待が少しだったのでがっかり度も小さくてよかった(全然誉めていません)。では何が駄目かというと、危機一髪を回避する方法が、どこかで観た二番煎じか、または他者による偶然(または理由のつかない一か八か)によるものなのである。派出所の牢屋に入れられて水が押し寄せてきて溺れそうになったとき、唯一ボルトで止めてある天井側の格子の部分をナイフで開けようとしていたら、ちょうどその真上の屋根を剥がし助っ人参上!なんて、変じゃない?モーガン・フリーマンが悪役をやるので期待していたが、後半は観客に応援される側に回ってしまったし(暗闇の中、ボートで走る姿がシルエットで写されるが、背筋を伸ばしたその姿はまさに彼)、クリスチャン・スレーターは、ただのやんちゃ坊主(あの甲高い声と目の動き!)だし。
東宝東和の70周年記念作品ということだが、どうやって町をあの大水で沈めたか、が見所といえば見所の映画でした。


『プライベート・ライアン』
観た日:1998/09/29 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

“キング・オブ・ハリウッド”スティーブン・スピルバーグ制作・監督の最新作で、今後の戦争映画・戦闘シーンを明らかに転換させるであろう映画。
1943年、日本軍により沈没させられた船に5人の兄弟全員が乗っていた。これをきっかけに米軍陸軍省は、兄弟は同じ部隊に所属させないこと、兄弟のうち1人は前線に出さないこと、という法律を通過させた。この実話がヒントとなってこの脚本が書かれている。ノルマンディ・オマハビーチ上陸の際の衝撃的な描写!海は赤に染まり、浜には死んだ人と魚が累々と横たわる。市街戦での攻防は緊迫かつ殺伐。撮影のヤヌス・カミンスキーのカメラワークが冴える。キャストは、トム・ハンクス(ジョン・ミラー大尉)とマット・デイモン(ジェームズ・ライアン二等兵、後半から出てくる)という、ハリウッドきっての団子っ鼻の共演だ。この映画がR-15指定(15歳未満は鑑賞不可のこと。もちろん“容疑”は、ホラー映画といっても十二分に通用するほどのリアルな残虐さ)でないのは、秀逸な脚本の為である。「任務」のために殺人をし、または部下が死に、しかし自分のプライドは「任務」を遂行することでしか保てない。自己の存在を認知し続ける唯一の方法がこの「任務」であることを強いるのが戦争なら、その観点からでさえはっきりと、戦争なんていらないと言える。
記憶にとどめておくべきであろう作品。だが、「アカデミー賞最有力作」というのはどうだろう。少なくとも私は、(今は)2度観ようとは思わない。


『タイタニック』
観た日:1998/09/09 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★☆

遅ればせながら観てきました、『タイタニック』。ジェームズ・キャメロン監督はアカデミー作品賞の受賞時に、「I'm King of the World!」(ジャック=レオナルド・ディカプリオの台詞です)と叫びましたが、なるほど、スケールの大きな絵に仕上がっています。沈みゆくタイタニック号の上に広がる満天の星が、いかにこの夜が穏やかな航海だったかを雄弁に語ります。また、「この映画はラブストーリーだ」という通り、ローズ(ケイト・ウィンスレット)の一途な愛が貫かれています。ディカプリオ(たしか3年前は、“レオ様”と言えばサッカー・ブラジル代表のレオナルドのはずだったのだが・・・)も、単なるアイドルスターじゃあないなぁ、と『セブン』のブラッド・ピット位に見直しました。
でもね、ローズおばあちゃんの回想という展開で、既に「あ、この子は死なないんだな」という変な安心感を持ってしまい、ちょっと映画に入りきれなかった。それと、ケイト・ウィンスレット、デブ過ぎ!!凍った海に落っこちてなお生き残るという設定から、役作りで太ったのか?


『スプリガン』
観た日:1998/09/08 お薦め度:★ もう一度観たい度:☆

大友克洋総監修、川崎博嗣監督・脚本のアニメ。超古代文明を封印する目的で結成された“アーカム”の工作員であるスプリガン達と、秘められた力を我が物にしようとするFBI(!)との戦い。映画では、アララト山にて発見されたノアの方舟(実はこれは、生命の進化を司る未知なる装置)を巡り攻防を繰り広げる。・・・原作を知らないので映画をみたまんま言うと、すっげー無理があるよ、設定に。主人公は日本人の高校生で、17歳にしてスプリガンのNo.1で、FBIの特殊訓練を受けていたが組織の歯車になるのが嫌で現在はアーカムに在籍、って、おいおい、高校生はそんなことしないで、勉強したり運動したりオナニーしたりしろってぇの!現代の科学力では到底なし得ない力(=超古代文明の力)が出てきてしまうのも、ウームです。


『TAXI』
観た日:1998/09/08 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★☆

『グラン・ブルー』、『レオン』、『フィフス・エレメント』を監督したリュック・ベッソンが制作・脚本、ジェラール・ピレス監督。改造したプジョー406と2台のメルセデスE500がマルセイユの狭い町中を250km/hでぶっ飛ばす、という映画。言ってしまえばそれだけなのだが、そこはフレンチ、ドイツへの嫌みたらたら、健康的なセックス描写、ギャグも昔(今もこう、か?)のフレンチタッチの、どこからみてもフランス映画である。チェイス時のスタントにちょっとしたつぎはぎが見られるが、日本のそれよりも桁違いの出来だし、ハリウッド物よりも長尺なのも確か。昔のジェミニのCMを思い出します。スピードはこっちの方が100倍出てるけどね。


『ゴジラ』
観た日:1998/09/02 お薦め度:★★★ もう一度観たい度:★★★

『インデペンデンス・デイ』のローランド・エメリッヒ監督の次作ということや、日本が世界に誇るスーパースターであるゴジラを取り扱う、全米最高の初日劇場公開数、公開までの完全秘密主義、などなど話題に事欠かなかったゴジラ。観ると、『エイリアン』+『ジュラシック・パーク』ですね。マジソン・スクエア・ガーデンの中に産み付けられた卵が孵って、200匹の赤ちゃん怪獣が主人公らを襲う!なんてストーリーに、荘厳で畏怖で哀愁で尊敬する我らがゴジラを重ねちゃいけません。燃え損なった卵が1つ残っていて、殻が割れてエンディング、は臭すぎる。音楽は、もう、敬愛する伊福部 昭の足下にも及びません。マントル層です。ジャン・レノより宝田 明です。
いろいろ言いたいことはありますが、おもしろいのも事実です。イグアナのくせに、火を吹くし、一応。でも、今の『モスラ』シリーズなんかを作ってる東宝は、文句は言えないよなぁ・・・


『ディープインパクト』
観た日:1998/08/31 お薦め度:★★★★ もう一度観たい度:★★★★

スティーブン・スピルバーグ総監修、ドリームワークスの第2弾で、ミミ・レダー監督の2作目。導入部の、地球に激突する新彗星の発見の経緯のずぼらさは、天文関係者でなくとも失笑、というのは各誌の指摘の通りだが、CGのなめらかなストーリーへのとけ込み方は見事である。彗星のダークフィラメント(尾の輝く部分の中に見られるねじれた黒い線)は美しい。複数の人間関係の、読める展開もいかにもお涙頂戴なのだが、泣けてしまうのもまた事実。私もオヤジである。SF好きにも泣きたい派にもお薦めです。


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