日付 | タイトル | 会場 | 座席 | 備考&エピソード |
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1987.9.2 | ソロコンサート All I Do |
横浜スタジアム | アリーナ (1階)28列67番 |
初のソロライブながら、スタジアム規模の野外ライヴツアー。ステージ脇に2台のスクリーンが設置され、アルバム『All I Do』からのビデオクリップも随所で流された。 バックメンバーの多くが外国ミュージシャンで固められていた。ジョージ・マイケルのアレンジャーであるクリス・キャメロン(Key.)をはじめとして、元トゥーリストのアンディ・ブラウン(Bass)など。(→Musicians) 横浜公演は当初2days予定され、チケットも2日分発売されたが、何らかの事情により残念ながら9/2の1日のみとなった(チケットの売れ行きが芳しくなかったとか…)。 |
1988.11.11 | MIASS SPECIAL NIGHT | セレモニーホール新潟 バッハザール |
Dブロック(18:00開演) Eブロック(20:30開演) |
こちらはライブハウス規模のツアー。1日2回公演。スタンディング。(→Musicians) 玉置本人の希望でこの規模のツアーとなったが、逆にチケットの倍率は非常に高くなり、はずれる人も続出(私はちょっとコネを使った)。 新潟の会場は実は、結婚式場の披露宴会場だった。適当な大きさの会場がなかったのだろうか…。 このツアーには、なんと中国・北京2days公演も!(@"展覧館劇場") 日中平和友好条約締結10周年事業の一環として行われた(全日空主催)。日本からのツアーもあり。 |
1988.12.17 | 〃 追加公演 |
日本武道館 | アリーナ H7列55番 |
玉置体調不良の為、公演中止になった東京公演2日分の振替チケットもここに含まれる。振替が武道館とは、せっかくライブハウス規模の接近できるチケットをとれた人は悔しかったのでは。 構成はそれまでとは大きく変更され、オープニング曲が『あなたに』だった。この時のインパクトは今でも忘れられない。 バラード中心の構成。『Shade Mind』がライブ初披露。ラスト・ナンバーは『No No Voices』(FC会報のSet Listには掲載されず)。 |
1989.8.9 | (Special Night) | クラブチッタ川崎 | 整理番号90番(18:30の部) | 突然の告知(1ヶ月前を切っていた?!)によって開催されたコンサート。こちらも一日2回公演。 『キ・ツ・イ』『I'm Dandy』がライブ初披露。『All I Do』の弾き語りもあった。ラスト・ナンバーは『ほほえみ』 |
1989.8.11 | JT SUPER SOUND '89 | 泉パークタウンスポーツガーデン(仙台) | Cブロック | 野外イベント。矢萩(G.)がバックメンバーで参加。なんと"SafetyPhones"も(安全地帯のページ参照のこと)。 蛎崎弘+"r"Project(武沢のユニット)もこのイベントに出演。 共演は久保田利伸、バブルガム・ブラザーズら。チケットを見ると玉置と同郷の富樫明生(m.c.A.T.)の名も…。 |
1989.8.13 | 〃 | 長岡ニュータウン公園(新潟) | Eブロック7 | 野外イベント。こちらも上記の仙台公演と同じく、矢萩の参加と"r"Projectの出演があった。両日とも玉置は「中締め(ちょうど日が落ちる頃)」に登場。ちょっともったいない。 共演はハウンドドッグら。 |
1989.5.11 | 蛎崎弘+"r"Project | セレモニーホール新潟 バッハザール |
1列6番 | 単独ライブ。 チケットの売れ行きが悪く5列ほどしか埋まっていなかった。しかし、そのお蔭で開始直後からステージにがぶり寄りで見ることができた。二人とも観客のギリギリそばまで出て演奏していて、私は武沢さんと握手ならぬ、武沢さんのおみ足に触ることができた…(^_^;)。それはさておき、この時はこれほどの至近距離で武沢のテクニックを見ることができた貴重な機会だった。ギタリストなら垂涎モノだろう。 出演者は… 蛎崎弘(Vocal)/武沢豊・島山信和(Guitar)/金森佳郎(Bass)/田中一光(Drums)/本田昌生(Keyboads)/最上三樹夫(Conputer Operator) |
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