日付 | タイトル | 会場 | 座席 | 備考&エピソード |
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1985.8.31 | 安全地帯・夏 | 横浜スタジアム | スタンド 15ゲート S列105番 |
スタジアムツアー。横浜は8/31,9/1と2days。 ビデオ『One Night Theater』に収録。'98年にCD化(2枚組)された。 野外コンサートなのに、生のストリングスを入れ、左右40m、4基の照明塔、観覧車、2つのスクリーン(横浜のみ2つ)など贅沢なステージセット。話によると費用は億いったとか…。 私にとって初めての安全地帯コンサート。スタンド席ははっきり言って本人達が米粒ほどにしかみえない。ほとんどスクリーンを見ていた。近くの席で公演中弁当食べてる人もいたし(^_^;) インストの時に流れたオリジナルアニメや玉置出演のミニドラマだけでなく、『Yのテンション』や『NoComment』のPVもその時流れた。 『碧い瞳のエリス』と『彼女は何かを知っている』はこの時新曲として披露。 (ビデオ裏話1)実は映像が2daysのうちどちらのものかはすぐ見分けられる。マイクのカバーの無い方が8/31、ある方が9/1。この公演前に台風が通過したため風が強く、2日目はそのノイズが入らないようにカバーがかけられたようだ。 (ビデオ裏話2)ラスト『悲しみにさよなら』のところでサングラスをかけギターを弾く松井五郎さんが映っている。よーく見てみよう!(ヒントは「カキくんじゃないよ」) |
1985.12.24/25 | 夢のつづきツアー | 新潟県民会館 | 2階13列13番(24日) 1階20列16番(25日) |
24日はイヴということでサンタクロース(スタッフかな)もステージに登場。クリスマス(の時に)コンサートが地元であったので非常に嬉しかった。 玉置さんによると『ENDLESS』ツアーでやったという"みんなで童謡を歌おう"コーナーで『赤とんぼ』(←訂正(^^ゞ)を歌う。客で『赤とんぼ』の2番まで歌える人は少なく、尻切れに終ると、「わからない時は1番を歌い終わったら拍手すればいいんですよ」と玉置さん。客がもう一度歌って拍手すると、そのまま『恋の予感』のイントロが流れるという、なんともキザな演出!!があった(いまだに思い出すと、ネ(*^^*))。 24日のチケットは当時CMに出演していた大王製紙の「エリス」の懸賞で当たったもの。1列分50人が招待された。といっても2階席の一番後ろの席(:_;)。隣は男性だったが彼も自分で応募したのだろうか…。 25日は玉置さんが即興で『新潟のテーマソング』作曲。どの会場でもやってたのかな? ちなみにこのツアーのラスト、武道館公演のパンフレットはそれまでのツアーパンフレットと少し内容が違っている。私は通信販売で購入した。 |
1986.8.21 | スターダスト・ランデヴー | 神宮球場 | グラウンド(=アリーナ) 15ブロック36番 |
井上陽水とのジョイント。8/20とあわせ2days 神宮球場では初めての音楽イベントらしい。なんでも球場関係者が陽水さんのファンだったとか(TVでの玉置の弁) ビデオ『スターダスト・ランデブー』に収録。NHK総合でも内容を一部変えて2回放送された。 (ビデオ裏話)これも映像がどちらの日のものか見分けることができる(ヒントは玉置さんのギターの色…)。 21日は「ザ・ベストテン」の放映日で、当時『プルシアンブルーの肖像』がランクインしていたが、生中継ではなくリハのときに収録されたものだった。一度「客席のみなさ〜ん」「ワーッ」をやりたかったのに。残念。 で、『悲しみにさよなら』の時、手を振ってもらったのは私です。信じて(NHK放送再放送版をご覧下さい(^^)v) パンフレットは2つ折りでA2版の大きさ(新聞よりデカイ。見るのに一苦労する)。丸めて筒に入った形で販売された。 パンフをよく見ると陽水さんのバックミュージシャンに「コバヤシタケシ」という名前、これってあの『小林武史』のこと?(→Musicians) |
1986.11.23 | スターダスト・ランデヴー 井上陽水 安全地帯inシネマ |
新潟県民会館 | (座席自由) | 上記公演のフィルム・コンサート ライヴフィルムを2回上映(14時と17時開始)。確か大ホールだったと思う。生のコンサートではなかったのに、これだけの集客力があったということで彼らの人気は驚異的だったことがうかがえる。 |
1987.3.10/11 | 安全地帯・Vツアー | 新潟市体育館 | 1階9列27番(10日) 1階21列46番(11日) |
体育館ツアー、しかも1ヵ所2〜3日の大規模なもの。ステージ上も安全地帯含めて総勢12名(→Musicians)の大所帯。 さらに、このツアーの演奏曲数は30曲(メドレーを数えると36曲)という多さ。 さらにさらに、"バリライト(コンピュータ制御のライティング・システム)"が日本で初めて導入されたのは安全地帯のこのツアーで、である。このバリライトの同モデルは海外ではジェネシス(フィル・コリンズら)のワールドツアーやZZトップのライブで使われていた。 どこをとっても"贅沢"なツアーであった。この時の安全地帯のコンサートでは演奏・ステージ設備とも日本のトップレベルのものが見られたのだと10年以上経った現在改めて思う(何もわからずに見ていたのがオシイ)。 新潟では客席から2kgぐらいの米袋(やっぱコシヒカリ?)をもらって、それをかつぎながら『夢のつづき』を歌う玉置さん…。ステキ…。 |
1987.4.25 | 〃 | 日本武道館 | アリーナ G2列16番 | 武道館5days(4/20-25)!!の最終日 ビデオ『To me』とCD『安全地帯LIVE』に収録。当初はCDだけの予定だったらしい(ビデオのアンコール部分は25日のもののように思ったのだが、クレジットは21日と24日のみになっている)。このライヴビデオが安全地帯の中では一番ライヴものらしくて好きである。 この日はMCで松井五郎著『Friend』の最後の詩を玉置が朗読。客席で松井本人がそれをくすぐったそうに聞いていたとか…。 この前日24日は『夏の終りのハーモニー』で井上陽水がゲスト出演。25日は客席にとんねるずの石橋貴明とTheALFEEの高見沢俊彦がいた。客電がまだついている時に2人が入ったので客席は騒然。 初めての武道館で2列目をゲット!!始まった時は卒倒するかと思った。しかも、コンサートは最高の出来!! |
1988.5.5 | MIASSツアー | 新潟産業振興センター | 7列44番 | この会場は5,000人クラス。どんどんキャパが大きくなる。 そして総勢15人の大編成のコンサート(→Musicians)。曲数も27曲(プラス1曲)とVツアーを凌ぐ大きいツアーとなった。 JTとタイアップ。ツアー名はその商品名を冠したもの。さすがにタバコの配布はなかったが、開演前に『夕暮れ』をBGMに、タバコ「MIASS」のCMをやっていた(これはレーザー光線によるアニメーション。当時TV-CMにも出演)。 MCのときに玉置さんの「3日前から新潟に来てました」発言。なに〜!「ボクの(ホテルの)部屋のカーテンを開けると海が広がるんですよ…」どこ〜?どこにいたの〜?!(@_@) |
1988.6.15/16 | 〃 | 日本武道館 | アリーナ D4列25番(15日) アリーナ U3列15番(16日) |
武道館3days(6/14-6/16). 『銀色のピストル』が構成からはずされていた。16日のアンコール3回目では、玉置一人とピアノ、ホーンで『ほほえみ』が演奏された。 グッズ売り場がFCによるものと、スポンサーのJTによるものとの2ヵ所あった。全部買い集めると恐ろしいことに…。ちなみにこの時大人気だったのは玉置さんがCMで着ていたセーターのレプリカである、青と白のボーダーのプルオーバー。6,000円ナリ。 |
1988.7.7 | 〃 ファイナル | 日本武道館 | アリーナ E12列96番 | 追加公演。ツアー最終日。 ビデオ『ドキュメント/I LOVE YOUからはじめよう』に収録。 この後の7/23の香港公演をもって、安全地帯は活動休止に入る。ステージは最高に楽しかったが、後でリリースされたこの時のビデオを見ると複雑な気持ちになる。 この時客席にはクライマックスで風船が降ってきたが、新潟のときは銀色の紙吹雪を大砲で打っていた。 (ビデオ裏話)玉置さんの着ていた黒いタンクトップはシルク(絹)らしい(『I Love Youからはじめよう』ラストで脱いで客席に投げたモノ)。実は私の3列前に落ちてきて、拾った人が「シルクだ〜」と言っていたのだ。 |
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