阪神・淡路大震災10周年
 芦屋浜シーサイドタウン震災直後と復旧状況

あれからもう10年という年月が経ちました。自然の巨大な暴力とも言える地震はここ芦屋浜シーサイドタウンにも大きな被害をもたらしました。しかし、その後、多くの時間と厖大な費用をかけて今ではすっかり修復されました。ここまで修復に努力された工事関係者の方々に敬意を表したいと思います。その一部をご覧下さい。なお、市内全般の復旧状況は芦屋市立図書館のサイトに掲載されていますのでこちらもご覧下さい。

震災直後 10年後の復旧状況(2005/01/14撮影
若葉町の中央緑道。現在のシーサイドプロムナード。 きれいに地ならしされて舗装されました。   
   
緑町あたりの中央緑道(シーサイドプロムナード) 約40センチもの段差が出来た。  ここもきれいに整備されました。
   
潮見町あたりの護岸。 今では市民の散策やジョギングコースになっています。ここはキャナルパークと名付けられた親水護岸になり、下の写真のように市民の憩いの場になっています。
   
一つ上の写真の海側は震災時まであったテトラポットはすべて撤去され、親水護岸として「キャナルパーク」と名付けられ、市民の憩いの場となりました。キャナルパークについてはこちらをご覧下さい。
   
若葉町の宮川河口付近。正面の防潮壁は2カ所も大きく隙間が出来てしまった。 市民に親しまれる遊歩道になりました。
   
   
この一つ上の写真の拡大部分。窓のように向こう側が見える。この当時、護岸はすべてテトラポットが設置されていた。 修復された防潮壁。
   
芦屋川河口付近の護岸。 ここはキャナルパークの西端部になります。
       
護岸の金網状の溝蓋は落ち込み、マンホールは突き出た。 正面に見えるのは南芦屋浜に渡る「あゆみ橋」。震災当時にはまだ架かっていませんでした。
   
高層住区の建物の主柱が破断! 一時、住民は騒然となった。 強力な補強材で修復されました。 
この高層団地の52棟のうち25棟で57箇所の破断がありました。
    
   
主柱もブレースも大きく傷ついた。 これもこのように修復されました。
   
宮川沿いの緑地にも大きく深い地割れが発生。 土が入れられ、緑地内の通路として整備されました。
    
若葉町側の宮川大橋のたもと。階段が落ち込んだように見えるが、宮川の川幅が狭まり、宮川大橋が突っ張ったために右岸側の陸地が盛り上がった結果、このような状態に。階段が落ち込んだのではない。 壁面はコンクリートで上塗りされたが、基本的には震災当時のまま。階段が持ち上げられたわけではありません。   
   
一つ前の写真の右向こう側から見た状態。 10年の間にツタが大きく延びました。
   
高浜町のダイエー前の陸橋。 ずれたままの状態で補修されました。
   
   
この一つ上の写真の歩道部分。タイルが約30センチもずれているのがよくわかります。阪神・淡路大震災の明確なモニュメントとも言えます。
   
宮川の川幅が狭まって岸に乗り上げた若葉町の歩行者専用橋。    今はのどかな風景になりましたが当時は巨大な自然の力に驚きました。
   
宮川大橋の橋脚。地下の基礎は破壊されている。 基礎部分から造り直しました。しかし、震災当時でもなかった落書きが。10年経っても人の心は荒んだままでしょうか。