阪神・淡路大震災を振り返って

1.恐怖の重低音
2.被害の概要
3.再び巨大地震が都市を襲ったら
4.インフラの復旧と各自治体の復旧応援
5.震災後の人口移動  
6.市街地の復興
7.芦屋市の財政・・・市民一人あたりの借金が124万円!
8.心の備えについて
9.物の備えについて
10.まとめ

津知町

 まさかこの阪神地方があのような未曾有の悲劇に襲われようとは! 誰も夢想だにしなかったこと。あれから、ともすれば日々の生活に追われて当時の記憶が遠ざかっていきつつありますが、あのとき、私たちはどうしたか、その後、私たちの周りや、この街がどのように変わっていったのか、今後どうあるべきかを、この際、あのときの体験を今後に生かすためにも、今一度当時から現在までを振り 返ってみたいと思います。なお、このたびの震災は神戸、阪神、淡路島、その他にわたっておりますが、私の行動半径から、ここでは芦屋市に絞って考えてみたいと思います

1.恐怖の重低音

 平成7年1月17日午前5時46分、まだ明けやらぬ厳しい寒さの暗闇の中、突然、地の底から突き上げられ、さらに大海に浮かぶ木の葉のように揺さぶられたあの日。私の住むマンションでは、建物全体が「ガターン、カカーン」と鉄骨の軋む音ともに「ゴオーッ」というものすごい重低音の叫び声を発して上下左右に振り回されたときのあの恐怖感は生涯忘れることができないでしょう。あのわずか十数秒の揺れがどれほど長く感じたことか。しかし、あの瞬間、この兵庫県内だけでも6,000人を超す人々が助けを求める暇もなく、家族の名前を呼ぶこともできずに犠牲者となられたのでした。いま思っても痛恨の極み以外の何ものでもなく、残念でなりません。この方たちの中には私の友人、知人、その家族の方々が数人居られ、遺族の方々を慰める言葉もありませんでした。

 なお、ここでひとつ世間ではよく知られていないことがあります。あの地震で神戸市東部から芦屋市にかけて阪神高速道路が約500メートルにわたって横倒しになりました。この倒壊箇所は私のマンションから1キロくらい離れたところですが、この高速道路の倒壊でその下を走っていた、当時私が勤務する会社の系列会社の社員送迎用バスが押しつぶされ、運転手が亡くなりました。しかし、その運転手はあの大地震の直後には健在だったのです。と言いますのは、地震が起きた時、彼は現場の手前700メートルくらいのところで信号待ちをしていたのです。

 そのとき、そのバスの後ろには、やはり当社のトラックが止まっていたのですが、そこへあの地震が襲ってきました。揺れがやんだとき、あまりの恐ろしさにトラックの運転手は会社に戻ったのですが、バスの運転手は真面目な性格の人で、社員を迎えにいく時間が迫っていたので、そのまま駅に向かい、倒壊の現場にさしかかりました。そのときに余震が起こり、本震で壊れかけていた高速道路が一気に倒れ、バスの上にかぶさっていったのです。トラックの運転手は運命の苛酷さにふるえあがったそうです。ところが、なぜか高速道路が余震で倒れたということは全く報道されておりません。肝心の阪神高速道路公団ですら把握していなかったのかも知れません。混乱時の情報精度の問題として考えさせられます。


2.被害の概要


 あの地震により、兵庫県下では34市町にわたり人的・物的被害を蒙りました。その中でも犠牲者が100名を超えたところは4市もあります。これらの最終的な被害状況は次の通りとなっています。

神戸市 西宮市 芦屋市 宝塚市
震災直前の推計人口 1,520,365人 424,101人 86,862人 206,641人
   〃   世帯数 584,862世帯 162,358世帯 34,680世帯 73,876世帯
死者 4,561人 1,125人 452人 117人
負傷者 14,679人 6,386人 3,175人 2,201人
建物全壊世帯数 109,212世帯 34,181世帯 7,588世帯 5,535世帯
〃 半壊 〃 121,632世帯 27,116世帯 9,928世帯 14,737世帯
〃 全壊棟数 61,800棟 20,713棟 3,924棟 3,553棟
〃 半壊 〃 51,125棟 14,602棟 3,572棟 9,296棟
〃 全焼棟数 7,046棟 50棟 11棟 2棟
〃 半焼  〃 333棟 2棟 1棟 0棟
対人口犠牲者率 0.30% 0.26% 0.52% 0.05%
全半壊世帯率 39.5% 37.8% 50.5% 27.4%


陥没した護岸 芦屋市では、JRと国道2号線に沿って震度7の激震に襲われ、また、埋め立て造成された芦屋浜シーサイドタウン地区で大規模な地盤の液状化が発生し、建物基礎部分の不同沈下により、多くの家屋が傾くなどの被害を蒙りました。この4市のうち、芦屋市が対人口犠牲者率、全半壊世帯率ともに抜きん出て大きいのは、4市のうち最も市域面積が小さいにも拘わらず、震度7地域が市の中央部分を横断したためと考えられます。なお、兵庫県全体では、最終的な集計(2002年12月26日現在)では、犠牲者総数 6,433人、全半壊世帯数 439,606世帯、全半壊棟数 240,030棟に達しております。

3.再び巨大地震が都市を襲ったら

 もし、このような震度7を伴う激震が再び都市を襲ったなら、前記の数字から見て、対人口犠牲者率では少なくとも0.5%以上の被害を覚悟しなければならないでしょう。すなわち、人口1,000人当たり5人以上となるのではないでしょうか。なぜなら、前回の地震発生が早朝の5時46分という比較的犠牲者が出にくい時間帯ですら、上記の表の通りですから、もし、昼間や夕刻の人々が活動する時間帯にあの大地震が襲ったら、オフィスや繁華街は人であふれ、鉄道は過密ダイヤで運行され、道路は車でひしめき合い、人々が集まるところではパニックが起こり、と思うともう想像もつきません。

 しかし、あの地震を教訓として、犠牲者は出来うる限り少なく押さえるようにしなければなりません。そのためには、行政も私たち自身も何をどう考えなければならないのでしょうか。特に市内全域にわたって大災害が発生した場合は最も活躍すべき消防職員自身も多くが被災者となるため、全員即時に対応することが不可能であり、(それでも、先の震災では,、この芦屋市では地震発生から5時間以内にほぼ100%近い消防職員が参集した のは特筆すべきことでしょう)私たち自身で応急的に対処する必要があります。そのためには、市民自身が何らかの自衛的訓練は是非必要と思われます。


4.インフラの復旧と各自治体による復旧応援

他市からの給水応援 私たちの芦屋市もこの地震のために諸インフラは大規模な被害を被りましたが、特に上水道に至っては市内全戸にわたり断水するという市制始まって以来の壊滅状態に陥りました。しかし、被災直後から全国の自治体から復旧応援の申し入れがあり、早くも地震発生の翌々日には第一陣が、その後厳しい寒さにもかかわらず計48自治体の応援を得て3週間後には全市の上水道の60%が復旧しました。この中にあって私たちが住む芦屋浜地域は上水道の復旧が最も遅れ、地震発生から40日後の2月27日にやっと開通しました。

 この間、これも多くの自治体から給水車が応援に来られ、自衛隊とともに私たちに十分な飲料水を確保して下さいました。このほかにも人手の足らなくなった役所の事務や市内の安全のために力を貸して下さいました。私たちのマンションにも、はるばる新潟県警の方々が来られ、この近辺の安全に当たって下さいました。このことは私たち市民はいつまでも感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。上水道のほか、電気、電話、ガスなどの生活インフラは震災後約2ヶ月で殆ど復旧し、遅れていた道路、下水道、橋などは一部を除き97年3月にやっと完了 しました。これで芦屋市内の生活インフラの復旧はほぼ終了したことになります。


5.震災後の人口移動

  地震直後から芦屋市の人口は大きく変動しました。前述の如く地震により多くの家屋が崩壊し、また、生活インフラが壊滅的な打撃を受けたため、やむなく多数の市民が他の都市や府県に移転した結果、一時は10%近くも減少しました。しかし、震災から7年が経った今、市街地の復旧、区画整理事業の進捗、分譲価格低下に伴うマンションの増加、などにより、多くの人々が芦屋市に戻ってきました。市の震災直前の平成7年1月1日現在と平成17年12月1日現在の人口推移は次の通りとなり、人口は震災前より増加しました。  

平成7年1月1日現在 平成17年12月1日現在 増減
住民基本台帳+外国人登録 87,366人 92,960人 5,594人増
推計人口 86,862人 91,152人 4,290人増


6.市街地の復興

 インフラが復旧したことにより、市民が生活する上では何ら支障はなくなりました。しかし、街の中に増えた更地は徐々に建物が建ち始めたために少しずつ減ってはおりますが、まだまだ多く残っております。全滅状態になった商店街が未だに震災直後と殆ど変わらない状態のまま元の商店街が形成できないところもあります。市の復興が遅れている要因としては次のような様々なことが考えられます。

(1)土地区画整理事業など
 
現在、市内では災害に強い、安全で快適な市街地の復興を目指し、公共施設の整備改善を行うとともに、宅地の利用増進を図るため、震災で特に被害が集中した地区において、土地区画整理事業や市街地再開発事業などの諸事業が進められていますが、地域住民と市との調整が遅れ、必ずしも進捗しているとは言えない面があります。

(2)再建資金の問題
 
戸建て住宅、マンションを問わず、全壊した住居を再建するには被災者の方々にとっては大きな負担がのしかかって おります。被災者の多くは壊れた住宅にはまだなお住宅ローンの残額があり、これらを再建するとなれば更にローンを重ねることになり、いわゆる二重ローンを抱え込むことになります。震災により、自営の企業や勤めていた会社が倒産したりして職を失った人も多く、空前の不況のこの時期に、このような大きな負担に耐えられる人は極めて少ないと思われます。

7.芦屋市の財政・・・市民1人あたりの借金が124万円!

 この阪神間の小さな都市芦屋市でも地震により、財政面においても大きな打撃を被りました。平成7年度の歳入実績が1,109億円のところ、震災関係経費がその45%の500億円にも達し、そのため市の財政状況は一挙に悪化し、やむなく多額の市債を発行することとなりました。参考となるべき数字を挙げますと次のようになります。

イ.平成7年度 主な震災関係経費の決算額

災害救助費(仮設住宅関係経費、災害援護資金貸付金等) 68億円
災害復旧費(被災家屋解体撤去費、土木施設復旧費)  219億円
災害復興関係経費(市営住宅建設、建替事業、土地区画整理事業等) 189億円
その他震災関係経費 24億円
合   計 500億円


ロ.市債残高の推移

平成6年度末

319億円
平成7年度末
702億円
平成8年度末
899億円
平成9年度末    974億円
平成10年度末 1,033億円
平成11年度末 1,042億円
平成12年度末 1,127億円
平成13年度末(見込み) 1,119億円

 この結果、平成8年度は、芦屋市としては初めて普通交付税の交付団体になることが決定しました。(平成9年度には再び不交付団体に復帰はしましたが) また、平成13年度末における市債残高1,119億円を2003年1月1日現在の推計人口 90,207人で割りますと、なんと一人あたり約124万円にもなります。今後は市債償還額の増加で、なお一層深刻な状況が続くでしょう。

8.心の備えについて

  いま、阪神地方では、「あんな大地震は数百年に一度くらいなものだから自分たちが生きている間はもう発生しないだろう」という通説のようなものが一人歩きしており、半ば信じられているように見受けられますが、このような説は勿論何の根拠もありません。先の大震災で動いた野島断層のほかに兵庫県内には76カ所の主要活断層があり、また、この芦屋市内だけでも、芦屋断層、甲陽断層、五助橋断層、大月断層などがあり、それらの多くの部分は野島断層が動いたときに動いていなかったのを見ても、いつまたあのような激震がこの地方を襲ったとしても不思議ではないと思います。
 
 また、このほかにも地球表面を覆うプレートの沈み込み(プレートテクトニクス)による巨大地震も予想されます。私たちの生活しているところは地球の表面の甚だ不安定な薄い表皮の上ですから、「災害は忘れた頃にやってくる」のではなく、「忘れないうちにやってくる」かも知れません。事実、別項のページ「過去の兵庫県内の地震」にありますように、1854年にはわずか250キロほど離れたところでマグニチュード8.4の巨大地震が2日連続で起こっているのです。

 参考までにこの図をご覧下さい。これは京都大学防災研究所地震予知研究センターが記録している、最近1ヶ月間に近畿、東海、北陸地方で起こった地震発生分布図ですが、小さい地震を含めて無数と言っていいほど発生しております。この中で、突然いつ大きな○印が再び私たちの住む街につくかも知れません。いや、地震国の我が国では、全国的にそのことが言えるのではないでしょうか。それに備えるため、各家庭や企業、諸官庁、団体、学校、などにおいては日ごろの防災対策が是非必要でしょう。特に各家庭においては、地震が発生したときには地震の大小にかかわらず、まず火を消すことが何よりも大切です。せっかくあの未曾有の激震に耐えながら、その後に発生した火事のために、神戸ではどれほど多くの尊い人命と財産を失ったことでしょう。

9.物の備えについて

 心の備えと同時に物の備えも大事です。地震に限らず、突然の災害に襲われたときのために、ここ芦屋市では食料などは備蓄しておりますが、災害発生直後は道路や橋、その他の交通手段が短期間マヒすることが考えられ、当面は安定的な補給を行うことは極めて困難が予想されます。そこで、芦屋市では、次のように各家庭でも3日分の食料や飲料水、常備薬、生活必需品を備蓄するよう勧告しております。

食糧 3日分  主食 : 米、乾パン、インスタント食品など。    
      副食 : 漬け物、梅干し、佃煮、缶詰など。 
      調味料 : みそ、しょうゆ、塩など。
人につき1日3リットルの飲料水を最低3日分。トイレその他多目的に使え
るよう常に浴槽に水を入れておく。
救急医薬品 包帯、ばんそうこう、減菌ガーゼ、三角巾、体温計、はさみ、ピンセット、
目薬、解熱剤、かぜ薬。
非常持出し品 携帯ラジオ、懐中電灯、乾電池、現金、貴重品、衣類、タオル、テイッ
シュペーパーなど。

 なお、私個人としては次のものがあれば便利かと思います。
  
  携帯ガスボンベ、コンロ、救助隊から飲料水を受けるためのポリタンク。


(追補)

 
南海トラフ地震が近いと言われていますが、もし発生したときの被害規模は阪神淡路大震災とは比較にならない膨大なものになることでしょう。阪神淡路大震災は被害地域は阪神・淡路地区など局地的なものでしたので震災発生後は直ちに隣県或いは全国から救援の手が差し延べられましたが、南海トラフ地震では太平洋ベルト地帯全般に亘り全国の半分近い地域が被災しますので速やかな支援は全く期待できないことでしょう。このことから前記で備蓄については3日分とありますが、少なくとも1週間分は確保しておくべきと思います。我が家は下記の写真のように既に2週間分の飲料水や即席の食料を確保しています。

 

 なお、下記にとても参考になるサイトがありますのでご覧ください。

 [地震対策・水の備え]マンションで1家族に必要な飲料水の備蓄量は?
 http://www.mlab.ne.jp/safety/bousai03/bousai03_20110728/

 国崎流「流通備蓄」のススメ:1週間分の非常食メニュー
 http://www.mlab.ne.jp/safety/bousai03/bousai03_20121116/

 国崎流「流通備蓄」のススメ:栄養満点の乾物類を積極活用
 http://www.mlab.ne.jp/safety/bousai03/bousai03_20130131/

10.まとめ

精道小学校  の忌まわしいマグニチュード7.2の直下型地震が起きた1995年1月17日。この阪神間の小都市芦屋市でも86,000人以上の市民が避難所や傷ついた我が家で寒さと恐怖に震えながら何日も過ごした日々。その後、街並みや人口は復旧しつつありますが、果たして「国際文化住宅都市・芦屋」はよみがえるのでしょうか。

 この芦屋市では過去に遭遇した大きな災害としては昭和13年(1938年)7月の阪神大水害があります。このときは折からの豪雨で市内を流れる芦屋川と宮川が氾濫したため、広範囲にわたり冠水し、大規模な土砂堆積の被害を受けました。また、六甲山地から押し流された巨大な岩が街の中の家々を粉砕しながら駆け抜けていきました。しかし、芦屋はその後、阪神間では最も美しい街として復興しました。

 おそらく今度も必ず元の姿に戻っていくでしょう。が、それには相当な期間を要すると思われます。危機的な市の財政の中、復興はまだまだ道半ばです。芦屋市は震災から半年後の同年7月に「震災復興計画」をまとめ、市の再生に向けて取り組んでおり、国や県に財政的支援を要請するとともに財政の健全化に向けて自助努力を進めておりますが、国自体も財政が悪化し、活力を失った今、街の復興と市の財政を健全化するというのは並大抵のことではないでしょう。行政の努力だけではなく、私たち市民も痛みを分かち合いながらこの街の復興に向けて力を注いでいくしかないと考えております。