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(2001年8月〜2002年8月)

(02/08/27) このまま歴史教科書に
(02/08/20) たかが呼称と言うなかれ
(02/07/05) サッカー ワールドカップ雑感
(02/01/17) 小泉さん、どうして来ないの?
(01/10/28)  NTTに騙されたのでは?
(01/09/18)  国際社会における日本の在り方
(01/08/18)  日本も外交カードを切れ
(01/08/10)  アメリカ人の歴史認識(その2)
(01/08/04)  泣かずに馬謖をぶった斬れ




(02/08/27) このまま歴史教科書に

 過日、8月15日に57回目の終戦記念日を迎えた。私は終戦当時は小学校(当時は国民学校)3年生であったが、幼いながらも終戦の日のことはよく覚えているので、あれからもう57年経ったかと万感胸に迫るものがあった。

 ところで、今年の8月15日には、読売新聞が社説で「歴史をすなおに見直したい」と題して我が国の現代史に対する一方的な非難、批判や自虐的な歴史観の再検討を主張した。朝の眠い目をこすりながら読んでいくうちに私は大きな驚きに包まれていった。このような論調は我が国の大手新聞ではごく一部を除いては見られなかったものである。私はかねがね日本の近・現代史における我が国の評価は国内のマスコミとしてはこの新聞は最も中庸を得たものだと思っていた。

 その新聞が今回はかなり思い切った論調を展開した。それも普段から若干右中間寄りのS新聞顔負けの内容である。しかし、読み進んでいくうちに、その主張は何の抵抗もなく私の中に受け入れられていくのに気が付いた。まさにこの通りなのである。できればこのまま歴史教科書に載せたいくらいである。なお、ここで8月15日付の読売新聞の社説を紹介したいが、本来なら同社のホームページに掲載されているのであれば、そちらにリンクするのが筋であるが、残念ながら掲載されていないので、その全文をこの末尾に載せておくとする。

 ところが、それから一週間もしないうちに隣の韓国政府から、「アジアでの日本の戦争を歪曲、美化しており、アジア諸国の公憤を引き起こすものだ」という抗議が発表された。相変わらず何かにつけて難癖をつけるのが好きな国である。この社説は何も歴史観の再検討を主張したもので、韓国や韓国政府を名指しで非難したものではない。にもかかわらずそのように抗議するのは常に日本に贖罪姿勢をとらせ、自分たちが優越感に浸りたいからだろうか。つまらないことを考え続けるものだ。

 さらに抗議は、「今後、過去史の敏感な事案については関連するすべての国々が納得できる普遍的かつ常識的な視覚に立って接近することを望む」てな具合に続いているが、冗談じゃない、「すべての国々が納得できる普遍的かつ常識的な視覚」なんてありっこないではないか。同じ一つの事象でも、それに関わる国によって歴史観は大きく異なるものだ。ナポレオンだってフランスでは英雄だがロシアでは単なる侵略者である。現在、日韓両国の間で過去の歴史観について一致させようとする動きがあるが、そんなことは無駄なことだ。無理矢理すりあわせてつくっても両国民は納得しないだろう。時間とカネの無駄遣いである。

 韓国は常に我が国に植民地時代の謝罪をせよと言う。かつてイギリス、フランス、オランダがアジアの各地を植民地にしていたが、その後、独立した国々に謝罪しただろうか? そんなことは聞いたことがない。それどころか植民地を経営してきた旧宗主国はその地に厖大な投資をしてその地域の国民生活の向上に寄与してきた。

 今日、或る新聞に出ていたが、中国の通信社は日本による旧満州国支配による経済損失を約132億ドルであると発表した。しかし、一方では日本は南満州鉄道や電力、通信など莫大なインフラ投資をしたが、そのことには全く触れていない。結果として中国はそれらをタダで接収した。これらの投資額は132億ドルを賄って折れて曲がってオツリがくるくらいだろう。彼らの主張には常にこのような視点が抜けているのである。

 また、もし日本が今の北朝鮮を含む朝鮮半島に進出していなければどうなっていたかを彼らは考えたことがあるのだろうか? 間違いなくロシアの南下政策の餌食になっていたであろう。そして韓国は今でも北朝鮮のような苦境に陥っているだろう。韓国はそれでもロシアに占領されていた方がよかったと言うのだろうか? もし、そうなら日本が終戦と同時に多くの将兵がシベリアに抑留され、厳寒のなかで強制労働を強いられ、多数の犠牲者を生んだのと同じ事が起こったであろう。 


(読売新聞2002年8月15日付 社説)

歴史をすなおに見直したい

国際法上は50周年
 今年も、戦没者追悼の日を迎えた。政府主催の追悼式典は、41回目となる。戦後57年になるのに、なぜ41回なのか。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が国家主権・独立を回復するまで、連合国軍総司令部、(GHQ)が日本に戦没者を追悼することも許さなかったのが一因だ。

 8月15日は「終戦の日」とされている。だが、国際法上の「終戦の日」は、講和条約発効の日である。それまでの日本はGHQによる占領行政下にあったのだ、という歴史の実態を改めて思い起こしたい。これは、現行憲法についても言えることである。

 47年5月3日に憲法が施行されたはずの後も、GHQは言論・出版への厳しい検閲を継続していた。憲法の中核的原理である「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第21条)は施行されていなかったのだ。その意味では、今年こそが実質的な憲法施行50周年である。

 45年8月15日には、まだ、日ソ中立条約を破ったソ連が、千島列島から北方領土へと侵攻を継続していた。そのソ連が、極東国際軍事裁判(東京裁判)の検事席、判事席にいて日本を裁いていたというのは、実に矛盾した構図である。しかも、日本将兵ら数十万人の連行・シベリアでの酷使という、明白な国際法違反が「同時進行中」である状況下でのことだった。

 他方で、東京裁判中は、英、仏、蘭によるアジアヘの再侵略も「同時進行中」だった。オランダ軍がインドネシア独立軍と停戦協定を結んだのは、東京裁判終了の翌49年である。ベトナム北部のディエンビエンフーでフランス軍が降伏したのは、54年になってのことだ。

 第二次大戦で、日本はアジア「諸国」を侵略したわけではない。当時の東アジアには、中国、タイのほかは、米、英、仏、蘭などの植民地しかなかった。大戦突入以前からの日中戦争の継続局面を除けば、日本はこれら「欧米諸国の領土」に侵攻した、という戦争である。

東京裁判の再点検を
 この点について、東京裁判のインド代表・パル判事は、欧米諸国には帝国主義行動の歴史に照らして日本を裁く資格はないとし、被告全員を無罪とした。しかし、「パル判決書」は、日本が国家主権を回復するまで、GHQにより報道も出版も禁じられていた。

 日本とドイツを同列に並べるというのも間違いであろう。ナチスドイツは、戦争そのものとは別の次元で、思想的・組織的・計画的にユダヤ人絶減政策を推進した。ホロコーストのための組織運営は、時には軍事作戦上の都合よりも優先された。

 日本の戦争行動にも、さまざまな蛮行が伴ったが、特定民族を絶滅しようと図ったことはない。ドイツの「人道に対する罪」とは根本的に異なる点である。だからといって、当時の日本の指導者たちになんの責任もない、ということにはならない。日本を無謀な戦争に引きずり込んだという意味では、A級戦犯とされた人たちは、「A級戦争責任者」だったといえるだろう。

平和祈る戦没者追悼
 ともあれ、GHQの言論コントロールの下で進められた東京裁判の「文明の裁き」史観を、改めて再点検してみる時期ではないだろうか。東京裁判史観にとらわれている人たちは、しばしば、「日本一国性悪説」的な自虐史観に陥ってしまっている。

 いわゆる"従軍慰安婦問題は、その典型だ。戦時勤労動員だった女子挺身隊を”慰安婦狩り”のための制度だったかのように歴史を握造した一部新聞のキャンペーンなどは、自虐史観の極みというべきだろう。

 ドイツは、占領地で将兵の慰安施設用に、国家的、強制的な”女性狩り”をしていた。しかし、ユダヤ民族絶滅政策の暴虐があまりもの巨大悪だったために、”女性狩り”問題は相対的に不問に付され、ドイツの指導者も国民も、そんなことはなかったような顔をしている。

 自虐史観派はそうした歴史的事実をも見ないふりをして、「ドイツに比べ反省が足りない」などと論じている。21世紀に入ってから、日本の国家としてのアイデンティティーをめぐる論議が活発になっている。その論議のためにも、アジアにおける近代史の実態、そうした時代環境を踏まえた上での日本の近・現代史、さらには戦後史を虚心に洗い直してみることが必要だろう。

 現在の日本では、これは決して、戦前のような軍国主義への回帰を志向することなどにはならない。それは日本国民の大多数がよく知っている。

 日本は、平和な国際環境と自由な通商体制なしには、国民の豊かな生活を維持できない国だ。戦没者追悼の祈りは、それを再確認することに意義がある。



(02/08/20) たかが呼称と言うなかれ

 なんと、日本海がなくなるという。いや、正確には「日本海」という呼称がなくなるという。一体どうしてそんなことになるのか。それは韓国が日本海という名がかつての植民地時代を思い起こさせるからということで「東海」という呼称にするよう国際水路機関や世界の主な地図会社、メデイアなどに働きかけているからだという。

 実に変な話である。第一、「日本海」という名は我が国が勝手に付けたものではない。17世紀にイタリアの宣教師が、さらには1815年にロシアの航海者クルーゼンシュテインが海図に「日本海」と記したものである。当時彼らは朝鮮半島など眼中になかったのであろう。まさに歴史と由緒ある国際的命名だったのである。これを覆そうとするがごときはまさに歴史を冒涜する行為にほかならない。

 また、韓国が主張する「東海」とは一体何をもって東海というのであろう。それは自国から見て東にある海ということだが、これこそ自国中心の帝国主義的発想ではないか。

 これに対し、日本の外務省は現在のところ、何の行動もとっていない。また、メデイアも一部を除いて国益に基づく報道を全くしていないのはどういうことなのか。たかが呼称と言うなかれ。これには国の主権と誇りがかかっているのである。なぜならそれはまさに日本人に対する精神的侵略なのだから。

 いや、実際の侵略はもう行われている。日本海に浮かぶ竹島は明らかに日本の領土であり、島根県隠岐郡五箇村に属し、総面積は230,967平方メートルで東京ドームの約5倍の広さがある。にもかかわらず昭和27年1月18日、当時の韓国の李承晩大統領が一方的に海洋主権宣言(いわゆる李ライン宣言)を発し、竹島もこの李ラインの中に含まれると主張し、以後、韓国はこの島を武力支配している。

 その韓国が竹島周辺を2004年をめどに「国立公園」に指定する方針を固めた。竹島を韓国の国立公園に指定することは、竹島が韓国固有の領土であるということを既成事実化しようという意図が丸見えである。

 元はと言えば、武力で占領支配しようとした相手に話し合いだけで解決しようとした日本側にも責任がある。簡単に武力を行使するのは憲法で禁じられているからと言って、軍隊を派遣して我が国固有の領土を侵略しようとする相手に対して丸腰外交だけで解決しようとしたところに問題がある。日本にだって当然のことながら自衛権はある。今からでも遅くはない、強硬な手段をとってでもこの問題に臨むべきであろう。

 今年はサッカーW杯が日韓共催で行われた。マスコミなどは「これで日韓の相互理解が深まって一層親善の度合いが増した」と言う。冗談じゃない。つい最近のこれらの出来事だけでも日本国民の間では日韓友好なんて吹っ飛んでしまったではないか。



(02/07/05) サッカー ワールドカップ雑感

 W杯サッカーもブラジルの見事な優勝で幕を閉じた。日本チームの活躍で大いに盛り上がった反面、メデイアの過剰な取り上げ方で喧噪の1ヶ月間でもあった。とは言え、小生はカネはないが時間的資源だけはある。そこで、決勝トーナメントに入ってからの試合は出来る限り見てきた。初めて日本で行われた大会だけに小生はそれなりの感動もしたが、反面、やりきれない思いもした。そのうち、強い印象を持ったものだけでもここに列記してみたい。

(メデイアの論調)
 日本チームは初出場した前回大会では1勝もあげられなかったが、今大会は開催国の特権で自国でやったというメリットはあったにせよ、2勝1分けで予選シリーズを1位で通過した。これは大変なことであるはず。あの韓国も今大会になって初めてポーランドに勝って初の1勝をあげたが、1954年初出場以来、1勝あげるのに48年を要したことになる。しかし、日本は僅か4年で勝利したのみならず決勝トーナメントに進んだのである。にもかかわらず、国内のメデイアはまず韓国の活躍を称賛し、「それに比べて日本チームは・・・」という論調を展開した。これはスポーツの世界だけでなく、他の分野でも言えることだが、まず自国をくさした後、他国を称賛するという我が国メデイアの独特のパターンである。こんな論調に出くわすと小生などは胸が悪くなる。第一、選手達に失礼ではないか。今回の場合、果たして日本チームは韓国チームより劣っていたのだろうか? 否、決してそうではない。単に運があったか無かったの違いだけである。立て続けに審判の誤審(疑惑の声もあるが)に助けられればどこのチームだって簡単に勝てる。(これなどは運と言えるかどうかわからぬが)

(個人技か組織力か)
 よくサッカーでは個人技か組織力かと言われるが、やはり組織力は個人技には劣るように思う。決勝のブラジル対ドイツの試合展開を見ていると、それが如実に現れていた。ロナウドの突破力、リバウドの決定力、ロベルト・カルロスの守備から一気に攻撃に移る展開力。これらが有機的に繋がったとき、これに対抗出来うる組織力とはどういうものか。身体力で不利な東アジアのチームはどうしても解決しなければならない問題ではある。

(何を考えているのか)
 韓国が決勝トーナメントでベスト4まで進出したとき、もし韓国が決勝まで進んだ場合、決勝戦を韓国で行うように変更してはどうかという話が出たらしい。それを記者から質問されたFIFAのブラッター会長は、「予定通り横浜で行う」と言明した。当たり前のことである。そんなことは最初から決まっていたこと。ところがである。同じ質問を受けた日本サッカー協会の岡野会長は「FIFAの決めることだ」とまるで他人事のように言っていた。アホじゃなかろうか。もし、ブラッター会長が韓国でやると言ったらどうするつもりなのだろう。国内で暴動が起こることは必定であろう。国家レベルで考えれば主権にかかわることと同じである。

(アジアの枠)
 予選リーグE組でサウジアラビアはドイツに0−8で大敗した。W杯のようなレベルの高い大会では極めて珍しいことである。しかし、これは困るのである。4年後のドイツ大会の出場枠に響く可能性が大きいからだ。アジアの出場枠は、1998年のフランス大会で、「2」からオセアニア地区代表とのプレーオフを入れ「3.5」と増えた。さらに今大会は日本と韓国が共催する日韓が予選免除で、予選を勝ち抜く2チームと欧州とのプレーオフを加え「4.5」に増えた。アジアサッカー連盟(AFC)はこれを「5」に拡大したい意向だ。しかし今年2月、国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は「アジアが出場枠を増やしたいなら、結果を見せろ」と述べた。今回、アジア予選の突破組はサウジアラビアと中国。両国とも予選3試合いずれもゼロ敗で完敗を喫した。これらはマイナスとなってもアピール材料にはならない。これでは如何に日本と韓国の活躍があったとしてもアジアの枠を減らされても仕方がない。小生の見るところ、次回はアジアの枠は3.5となるであろう。

(サッカーはダーテイ)
 サッカーというスポーツ。これは一種、特異なスポーツであるような気がする。一体、ルールがあるのかと思いたくなるようなプレーの連続。足は平気でひっかける、後ろから羽交い締めをする、シャツは思い切り引っ張る。これらはいずれも反則のはず。しかし、レフェリーも余程ひどいプレーでない限り反則の笛を吹かない。しかし、テレビではしっかりと映っている。これを見て子ども達が真似をする。先日も近くの公園で小学生のサッカー大会があったので見ていると、案の定、シャツは引っ張る、足を蹴飛ばす、ひどいのはゴール際で相手の首を絞めているのも居た。「サッカーとはそんなものである」としたり顔で言って済むことだろうか? 小生はサッカーのテレビ中継があるときは見ていてつい熱を上げる。しかし、終わってからはいつもこのように思う。



(02/01/17) 小泉さん、どうして来ないの?

 今日は阪神・淡路大震災から丸7年。未だに薄れない人々の鮮烈な記憶。あのとき、心身に受けた傷は癒えたのだろうか。いや、一旦受けた傷は消えることはない。今でもその痛みに耐えながら懸命に生きている。

 その中で今年も様々な追悼行事が行われた。犠牲者の遺族にとってまた悲しみが新たにわいてくる。被災地の外からは、「悲しみを思い出すから、もう毎年そのような行事をしなくてもいいのではないか」という声が聞こえてくる。そうだろうか?

 あのとき、厳しい寒さの中、突然に無念の思いのもとに去っていった肉親の苦しさを想うとき、同じように悲痛の思いで悲しむことにより、はじめて別れた子、両親、兄弟たちと対話できるのではないだろうか。と同時にその地で同じように不幸に見舞われた他の遺族達と同じ場所で悲しみを共有できるのではないか。「もうこの辺で」というには7年はあまりにも短い。
 
 しかし、大震災も7周年ともなると中央の永田町辺りでは、既に忘れ去られた過去のものになっているようだ。昨年からは首相も被災地の追悼行事に顔を見せなくなった。東京から決して遠いところではない。飛行機ならたったの1時間。にもかかわらずこの日本で風化がどんどん進んでいる。同じ国であれだけの大きな犠牲者を出しながら何もそこから学ぼうとしない姿勢。全く愚かなことだ。

 なぜなら、7年前の震災はなにも阪神・淡路だけの問題ではない。この狭い地震国では、いつどこであのような大きな災害が起こっても不思議でない。30年以内の発生確率が約40〜50%と政府が発表した海溝型地震の東南海と南海地震。もし、それが起これば太平洋ベルト地帯、即ち日本の心臓部の大打撃を意味する。

 それだけではない。この近辺では有馬高槻構造線や山崎断層もいつキバをむいてくるかも知れない。特に前者が最も悪い条件下の時間帯で動いたときには、阪神地方だけでも阪神・淡路大震災の2倍もの犠牲者が予想されるという。

 これらの大災害はいつ襲ってきても不思議でないという。それは明日かもしれない。5日後かも知れない。しかし、それは確実に刻々と迫ってくる。我々はこれらにどう備えるのか。従って、阪神・淡路大震災の問題は阪神・淡路だけの問題ではない。これを教訓にして防災意識を高めることこそ日本全体の問題であろう。

 毎年8月の原爆記念日には欠かさず歴代首相は出席しているが、これだって「過ちは二度と繰り返さない」という理念に基づいたものであるならば、必ずやってくる大地震に備え、二度とあのような大きな犠牲者を出さないと言う防災意識を国民に啓蒙するために、阪神・淡路大震災の追悼行事に出席して次の災害の備えを国民に説くのが首相のリーダーシップではないだろうか。

 昨年9月の衝撃的なアメリカ中枢同時多発テロでは多くの犠牲者が出た。その実際の数は未だ確定されていないが、阪神・淡路大震災の犠牲者はそれよりも遙かに多いのは間違いない。しかし、おそらくアメリカでは今後永きに亘り毎年9月11日には追悼儀式が行われ、歴代大統領が参列することであろう。

 今日の午後、小泉首相は首相官邸で記者団に阪神・淡路大震災7周年について感想を聞かれたとき、「あれから7年経って、国民の間で防災意識が薄れてきているようだ」と答えていた。防災意識が薄れたのはあんたじゃないの?

 構造改革結構、行政改革然り。その意味では小泉首相を支持する。しかし、今度ばかりは一言文句を言いたい。初釜なんてやってる場合じゃない。



(01/10/28) NTTに騙されたのでは?

 今年の1月にIT基本法が施行されて以来、このところ世はIT時代といわれるようになり、それに伴って「ブロードバンド」という言葉が流行りだしたようだ。そもそもこの「ブロードバンド」なるものの定義はどうなっているのかと調べてみると、一応、今年の初めには、回線スピードが128kbpsを上回るもの、ということになっていたようだ。しかし、今では128kbpsはブロードバンドの範ちゅうに入っていないようで、下り最大1.5 Mbps以上のことを言っているようある。

 さて、そのブロードバンドであるが、これがまた多士済々で、ADSL、CATV、FTTH(光ファイバー)、FWA(無線)、はたまた電灯線と、続々と出現してきたようだ。中でもADSLの伸び方がめざましい。現在のところはユーザーの数においてCATVの方が多いが、近く逆転すると言われている。

 このMATは4年前からISDNでインターネットをしているが、これは64kbpsで、一般アナログ回線(56kbps)に毛が生えた程度でしか早くない。今ではもうすっかりチンタラ通信インフラである。

 昨年来、機会を捉えてはパソコン量販店などのデモでADSLやCATV接続でネットサーフィンを体験させてもらったが、やはり速い。ISDNとは比べようもない速さだ。その日は家に帰るのが嫌になったくらいだ。

 しからば我が家にも是非ブロードバンドを導入してみたいと思うのが人情というもの。MATが住む芦屋浜シーサイドタウンには全戸にCATVのケーブルが引かれているが、小生はあまりテレビを見ないのでケーブルテレビの契約はしていない。しかし、CATV会社は今年に入ってからインターネット事業も始めたので、先ずこれをインターネット手段に選ぶべく同社に照会したところ、この団地では設備が古いなど技術的な問題があってインターネット事業を展開することが出来ないと言う。

 やむなく、次の選択肢を求めたとき、幸いこの街では今年の春頃にADSLがスタートすることになった。そこで早速、NTTの116番に電話して申し込んだところ、しばらくして「NTT収容局から貴殿の団地までの電話回線には途中に光ファイバーが介在しているのでADSLサービスは不可能」との回答があった。こんなことは今ではインターネットの世界では常識らしいが、当時の小生は寝耳に水。IT元年と言われているこの時に「光ファイバーが介在しているから高速通信が出来ない? なんじゃそれは?」

 近い将来、ブロードバンドの主流になるといわれているFTTH(Fiber to the home)のインフラである光ファイバーがあるからADSLが出来ないとは納得できない。その場で「頼みもしないのにそちらで勝手に光ファイバーを引っ張ってきて今更ADSLが不可能とは何事か! メタル回線に戻せ」と抗議したがもとより受け付けられる筈もない。仕方なく泣き泣き諦めざるを得なかった。

 それから半年ほど経った頃だろうか、意外にも同じ団地の人から、既にADSLサービスを利用していると言うことを耳にした。一瞬、「なぜ?」と驚きましたね。だって、NTTの担当者は「そこの団地ではそのサービスは出来ない」と明言したのだから。

 すぐに電話をとり、116番に「かくかくしかじか・・・。以前に聞いたこととは違うではないか」と抗議したところ、「そうですか。ちょっと調べてみるので時間が欲しい」とのこと。その翌日、その担当者から連絡があり、「調べた結果、そこの団地全体ではなく、西半分だけに光ファイバーが敷かれている。貴宅はその西半分の地域にあるので、やはり不可能。また、そこにはメタルケーブルは残っていない」というものであった。「なんで西半分だけなんや!」と言いたかったが、なにせ相手は大NTT様。こんな一介の市民が怒鳴ったところでどうなるってものでもない、と紳士的におとなしく引き下がりましたね。ハイ。

 ところがです。今月の初めになって衝撃的なことを聞いてしまった。なんと、このMATと同じマンションの知人から「プロバイダ運営のADSLを申し込んだところ、すんなりOKとなって、本日ADSLモデムが送られてきた」というもの。驚きましたねえ。頭に来ましたねえ。

 プロバイダが運営するADSL事業にしても、所詮はNTTの回線を使用するため、プロバイダはメンバーから申込みがあればNTTに「ADSL適合調査依頼」なるものを出してユーザーの電話回線がADSLサービスを受けるのに支障がないかを調べてもらうことになっている。従って、NTTが運営するフレッツADSLが不可能な地域はプロバイダ運営のADSLでも不可能である筈。

 そこでまたまた116番。「この矛盾は一体どういうことだ。納得のいく回答をしてもらいたい」と強硬に申し入れたところ、しばらくして次のような回答があった。

   (1) 先日、NTTの収容局からそこの地域まではメタル回線は残っていないと言ったが、これは誤りで、若干残っている。   
(2) しかし、そのメタル回線の抵抗が強くて、NTTの検査でNTTのフレッツADSLのモデムでは信号が正常に流れないと分かれば、ユーザーには「ADSLは不可」と回答している。(小生の場合これに当たる)
(3) その反面、プロバイダと提携している回線事業者(イー・アクセス、アッカ など)のモデムはNTTのモデムと仕組みが異なっており、ADSLが特に問題なく出来る可能性が強いので、メタル回線が残ってさえおれば、その業者から回線適合調査依頼が来れば、すべて「OK」と回答している。

 これを聞いて愕然としましたねえ。だって上のうち、(3)については今まで全く聞いていなかったから。この(3)を当初から聞いておれば、何もNTTのフレッツADSLにこだわる必要はなかったので、さっさとプロバイダ運営のADSLに申し込んでいたものを。それに、このようなことは、ここだけでなく、全国には何も知らずにADSLに切り替えたくても諦めているユーザーが数多く居るのではないだろうか。そんな気がしてならない。

 どうもNTTには最初から騙されていたように思う。今はCATVだのADSLだのと言っているが、将来的にはやはりFTTH(光ファイバー)が通信インフラの本命になるだろう。当然NTTはADSLをFTTHまでの「つなぎ」として位置づけている。しかし、いまADSLに乗り換えたユーザーは、ADSLでも結構速いので、FTTHが整備されても、そちらに乗り換える意欲はあまりないのではないか。従って、NTTはADSLを広めることにあまり熱心でないように見える。まして、他社運営のユーザーにまで積極的に「フレッツADSLは無理だが他社のモデムなら可能ですよ」とは勧めていないようだ。そして、小生のように諦めてISDNや普通のアナログ回線でチンタラとインターネットをしているユーザーを、時が至ればまるで地引き網で魚を獲るようにごっそりと取り込もうという魂胆のように思う。

 これでは、いくら政府がIT戦略を立てて高速通信インフラの整備を進めようとしても、肝心のその推進役たる巨大事業者のNTTが自らの利益だけを考えてこのような姑息な手段をとる限り一向に効果が現れないだろう。政府の更なる強い監視が望まれるところだ。

 実状を聞いてこのMATはさっそくプロバイダに申込んだところ、案の定、すぐに「適合OK」となり、昨日から快適なADSLを楽しんでいる。しかも、フレッツISDNをしていたときよりもコストは3割以上の月間約1,500円も安いのである。芦屋市ビンボー人ランキングNo.1のMATとしては大損害であった。NTTの陰謀のために半年間ほど損をしたようだ。



(01/09/18) 国際社会における日本の在り方

 9月11日午後10時、偶々テレビをNHKの「ニュース10」にチャンネルを合わせた途端、あのニューヨークのWTC(世界貿易センタービル)の上層部から真っ黒な煙が立ちのぼっているのを見て、それがライブの実況放送であると聞いて驚いた。それも束の間、2機目が片方のタワーに突入したのを見て、これはもうテロ以外の何ものでもないと感じると同時に、間もなくペンタゴンにも突入したことを聞いて、これは大変なことになると予感した。

 結果はご覧の通り3機の自爆テロで最終的には阪神・淡路大震災の犠牲者数に匹敵する犠牲者を生じてしまうことになりそうだ。阪神・淡路大震災は自然現象であるため、我々は誰をも恨まずに済んだが、今回の事件はあくまで人災。米国民の受けたショックと悲しみはいかばかりか。それがテロリストへの遺恨に向かっても決して責められるものではない。

 テレビでは或るイスラム教国の市民が事件のことを知り、大人から子供に至るまで躍り上がって喜んでいる場面を放映していたが、これを見た小生は唖然とした。アメリカ国民はいくら普段から中東諸国から嫌われていると知っていても、この場面を見ればどう思うだろうか。火に油をそそいだような憎悪を覚えたことだろう。メデイアはここまでやる必要があるんだろうか。事実なら何でも放送していいのだろうか? アメリカに「冷静になれ」という論説を掲げながら、一方で憎悪を煽っているではないか。

 我が国の一部のマスコミや政治家も、「アメリカは過剰反応せずに冷静になれ」と、したり顔で主張している。これは友人が大怪我をしているのに、その痛みを分かろうとしない冷淡な人間の言うことだ。仮に冷静になって報復を我慢しても、それでテロの再発が無くなるとでも思っているのだろうか。テロ側が話し合いの相手になりうるとでも思っているのだろうか。共産党や社民党は論外だが、日本のマスコミまでもが平和ボケ的お人好し症候群に陥っているとしか思えない。

 テロに対し報復を唱えるブッシュ大統領の支持率は90%を超えた。米議会上下両院は大統領の武力行使を承認したばかりでなく、要求額の2倍もの400億ドルのテロ対策費、5万人の予備役招集も認めた。アメリカは政府だけが熱くなっているのではない。何の罪もない5千人以上もの一般市民が犠牲になり、ヘリコプターから見たあの悲惨な現場や厖大な経済的損失を目の当たりにして、アメリカ国民が溶岩のような憎しみに凝り固まってしまうのに無理があろうか。そこには中東政策の失敗もあったであろう。しかし、それにしてもあまりにも残虐非道である。とにかくもうアメリカは誰も止めることが出来ない。米国民にすれば報復は犠牲者への鎮魂となっている。

 さて、そこで我が国はどうあるべきか。単純明快だ。日本は日米安保条約を通じてアメリカとは同盟関係にある。日本は巻き込まれるのではなく、積極的に、かつ全面的にアメリカを支援していくべきだろう。それに、この度の事件はテロの範疇を遙かに逸脱しており、アメリカが言うように、これはもう「戦争」そのものであり、それはアメリカだけに向けられたものではなく、自由主義国家すべてに向けられたもので、それはいつ日本に向けられるか分からない。なぜなら、アメリカと同盟関係にあると言うだけでアタックの目標になり得るからである。かと言って同盟関係を絶てというのは本末転倒もいいところだ。そんなことをすれば日本とアジアの平和が崩れてしまうだろう。

 ドイツの大統領はアメリカの報復に「無制限にアメリカに協力する」と意思表示している。普段はことあるごとにアメリカに楯突いているフランスですら、アメリカとは同盟関係を結んでいないにも拘わらず、この事件に臨み、「我々は全員がアメリカ人だ!」と叫んでいる。フランス人は欧州の国々の中でも自国文化の誇り高い国民性を持っているにもかかわらず、このようにアメリカと連帯感を共有しようとしている。とにかく世界中の自由主義国家がこぞって一つになっているときに、日本のみが蚊帳の中にいて「憲法があるから・・・」なんて言ってたら世界の中の日本でなくなる。

 また、あの反米の塊のようなリビアのカダフィ大佐ですら、「アメリカは蒙った悲劇に復讐する権利がある」と、アメリカの報復を容認する発言をしている。報復に絶対反対を唱えているのはイラクのフセイン大統領、日本共産党、社民党、朝日新聞くらいなものだ。

 日本国内でも既にテロは実行されている。1988年3月に東京のサウジアラビア航空事務所前とイスラエル大使館で強力な爆弾が爆発した。また、1991年に小説「悪魔の詩」の日本語翻訳者の大学助教授殺害事件が起きている。これらは立派なテロである。アメリカを支持しようがしまいがテロリスト達は容赦なくやってくるのである。それでも日本は蚊帳の外に居ていいのだろうか。今回の事件は国際社会における日本という国家のありようを問いかけるものに違いない。



(01/08/18) 日本も外交カードを切れ

 お盆も過ぎ、小泉首相の靖国参拝も曲がりなりにも済み、教科書問題も一段落した。しかし、マスコミは他にもっと大事なネタがないのか恣意的か知らないが、依然として騒がしい。今日は非難を恐れず少々言いたいことを言わせてもらう。(今までもそうだが)

 小泉首相は公約の8月15日参拝を断腸の思いで2日早めて13日に参拝した。しかし、中韓は口を合わせたように「参拝そのものがけしからん」と大合唱。どうやら彼らは同じ穴のムジナで結託しているらしい。

 もう今更、両国に靖国参拝や教科書問題で我々の立場を説いても意味はない。とにかく彼らは靖国問題にしろ教科書問題にしろ、外交カードに使っているに過ぎなく、また国内問題を回避するために敢えて自国民の目を日本に向けさせているのだから、そんなことをいくら説いても仕方がない。政治家達はこれから中韓に理解を求めるために出向くらしいが、そんなことは時間の無駄。放っておいて国内の改革に邁進してほしい。

 日本の首相が靖国神社に参拝したからといって、なにも軍国主義が復活したとは彼ら自身も思っていない。にもかかわらず喚くのはODA(政府の途上国援助)の減額や領土・漁業問題で取引材料にするためにほかならない。

 最近のニュースによれば、韓国は日本人戦犯を草の根を掘り起こすように探し出し、入国禁止にしているそうだが、あまりにも報復主義ではないか。それならば相互主義で我が国も反日的韓国人はすべて入国禁止にすべきだ。

 韓国では未だに豊臣秀吉による文禄の役(1592〜96年)、慶長の役(1597〜98年)の朝鮮出兵を「日本の侵略」だと非難する。もう400年も昔の話しである。それなら、フビライの元の属国となり果てて、その手先になり我が国に攻め込んできた(弘安の役・・・1281年)のはどこの国だったか? わずか700年余前のことである。

 しかし、韓国はここに来て急に日本非難もほどほどにという機運が出てきたという。それはあまりに執拗な日本非難により日本人の嫌韓意識が高まってきたため、観光客が減ってきたためという。右手で拳を振り上げながら、左手で「いらっしゃーい」なんて虫が良すぎはしないか。日の丸を街の中で燃やすような危険な国に遊びに行くようなことは蛮勇に等しい。それでも行きたい人は親と水盃を交わしておくように。

 更に、反中嫌韓意識は観光にとどまらない。私の周囲にはこれらの国の製品は買わないと言う人が随分と増えてきた。勿論、私自身の意識の中にも徐々にではあるが芽生えて来つつあるのはどうしようもない。

 また、中国では「日本と断交せよ」という世論もあると聞く。結構じゃないか。断交しても困るのは彼らの方だ。我が国はこの危機的財政の時に未だに中国に対し、年間1400億円ものODA援助をしている。核兵器を保有し、年々軍事費を膨張させている中国にである。こんなバカな話しがあるだろうか。即刻全額打ちきるべきだ。

 バカついでに言わせてもらうと、今の我が国の停滞した経済は何をおいても産業の空洞化が一番大きな要因となっている。それは人件費の安い中国に厖大な投資をしたからに他ならない。従って国内景気を建て直すには中国への投資を全部引き揚げることだ。これによって国内経済は一挙に立ち直る。それどころか失業問題は自然解消し、逆に人手不足になるくらいだろう。勿論、我々の消費者物価は若干上がるかも知れないが、そんなことは国内経済の活況で折れて曲がってオツリが来る。日本と断交? 大いに結構ではないか。

 来年はいよいよサッカーのW杯が日韓で共同開催されるが、このような両国の雰囲気ではとても円滑に開催できるとは思えない。しかし、不当な内政干渉をしてこのような雰囲気を作った責任は韓国側にあるのだから、今のうちに彼らは開催国を返上すべきだ。今ならまだ遅くはない。日本なら全試合立派にやり遂げられる。



(01/08/10) アメリカ人の歴史認識(その2)

 今月は広島、長崎に原爆が落とされてから56年目となる。毎年この時期になるとテレビでも特集を組んで原爆の悲劇について放映している。と言っても真面目に取り組んでいるのはNHKだけで、カネ儲け主義の民放は相も変わらずバカ笑いを誘うだけのぐうたら番組ばかり。これら民放はすべて大手新聞社の完全子会社で、いわば大手新聞そのもの。普段は新聞紙上では偉そうなことを言っておきながら、こんなお粗末な番組しかつくれないのかと呆れるばかりだ。

 それはさておき、そのNHKの番組で、長崎に原爆を投下した爆撃機の乗組員が終戦から何日も経たないときに軍上部からの命令により、原爆の被害調査のために長崎の街を訪れていた事実があったということが放映されていた。

 その乗組員は、原爆を受けた長崎のあまりの悲惨さに、改めて原爆の威力の大きさに驚きながら、「可哀想な日本人よ。しかし自業自得だ」と思ったという。そして、更に「日本人の悲しみはよく分かる。しかし、彼らもパールハーバーの悲しみも分かるべきだ」と言ったそうだ。言うなれば「お互い様だ」と言いたかったようだ。これを見ていて私は思わず、「それは違う。断じて違う」と叫びそうになった。

 確かにパールハーバーは、その当時の時代背景や様々な日本側の言い分、更に宣戦布告のタイミングのズレがあったにせよ、結果的に不意打ちを食わせたのは明らかに日本側であった。しかし、そのとき、日本の攻撃機はあくまで停泊中のアメリカの艦隊と一部の地上軍事施設だけを爆撃したのであって、民間人が多く住む市街地には全く手を付けていない。

 ところが、アメリカは広島、長崎で、そこには多くの民間人が居るのが分かっていながら、いや、市民を大量殺戮するのが目的で街の中心に近いところで、あの恐るべき原爆を炸裂させ、広島で約10万人、長崎で約7万人の市民を殺したのである。また、負傷してその後、死に至らしめた人を含めると正確な犠牲者は分からないくらいであろう。

 アメリカは日本が先に手を出したということで、何をしても許されると考えているとしか思えない。更に相手が黄色人種の日本人であることから、日本に原爆を落としても自国民や列強各国から非難されることはないと踏んでいたのであろう。まさに人種差別そのものである。また、当時はソ連とのかけひき上、原爆の威力をソ連に示したかったために早く原爆を使いたかったのは間違いない。

 また、アメリカは日本に原爆を落としたことを正当化する論拠として、「双方の国の人的損害を少なくし、戦争を早く終わらせるために」ということをよりどころにしているが、実際は自分たちでさえ原爆の破壊力を掴んでいなかったために、なんとしても日本でその実験をしておきたかったのである。

 広島、長崎だけではない。ともすれば原爆の被害を受けた二つの都市だけがクローズアップされる傾向があるが、通常爆弾による全国の都市に対する無差別絨毯爆撃は数え切れないくらいあった。東京大空襲では一夜にして広島の原爆被害と同じくらいの犠牲者を生んでいる。私も小学校2年の時、神戸で昭和20年3月17日の深夜から明け方にかけて大空襲を体験したが、それはどう見ても軍需工場を狙った爆撃とはほど遠く、一般市民を殺戮するのが目的としか思えないものであった。私たちは命からがら逃げ回ったが、このとき、神戸の西半分は大半が焼け尽くされ、私たちの隣人や多くの友人も命を落とした。罪もない非戦闘員の一般市民が受けたその時の惨い状況は今でもはっきりと記憶しているが、それをここに書く勇気はない。

 アメリカを含む連合国側は極東軍事裁判で「人道上の罪」という論法を展開させて戦犯を裁いた。しかし、「人道上の罪」はむしろアメリカ側にあるとしか思えてならない。



(01/08/04) 泣かずに馬謖をぶった斬れ

 先月下旬のことだ。テレビを見ていて驚いた。その日、中国の唐外相が田中真紀子外相と会談した後、記者団から会談の内容を聞かれたとき、小泉首相の靖国参拝を「やめなさいとげんめいしました」と日本語で語っていた。この場面はおそらく諸氏もご覧になられたことであろう。

 この「やめなさい」というのは誰が聞いても命令形である。一国の外相が他国の外相に向かって言うべき言葉ではない。まさに国際感覚が欠如した中華思想の発露である。

 さらに、「げんめい」の部分であるが、マスコミ各紙では「やめなさいと言明しました」という活字になっていたが、果たしてそうだろうか。そうではなくて彼のあの時の態度、ニュアンス、文脈からから見て、小生はあれは「厳命」だったと信じている。即ち、一国の外相が他国の外相に命令を下したのである。 

 あの場面がテレビで各家庭に流れてからというもの、極めて大きな反中国感情が吹き出してきたが、今になって唐外相はあわてて「真意が伝わっていない」と逃げているのはみっともないことだ。「真意」も何もない。あの言葉から他に何があるというのか。それなら知ったかぶりをして下手な日本語で喋らない方がいい。

 さて、問題はそれを受けた田中外相の態度である。本来ならば、その発言の形に断固抗議したうえで「靖国参拝」はあくまで国内問題であり、その意義と必要を説明し、強く反論すべきところを、田中外相は「8月15日までまだ時間がある。中国側の考えを私から首相に伝える」とだけ答えている。こんなバカな外相があるだろうか。

 もともと田中外相は小泉首相とは靖国参拝問題では考えを異にしているが、如何に個人的に意見が違うとはいえ、相手国の意に迎合して自国の総理大臣の信念と一国の在り方にかかわる重大な問題に逆らうがごとき発言は、それだけでも外務大臣失格である。

 かつて自民党の故・松村謙三氏は当時の佐藤首相とは政敵であった。しかし、83歳のとき、高齢をおして訪中した松村氏は、佐藤首相を非難した中国要人に対しこう述べたという。「佐藤首相は日本の首相です。私は日本人であり、私の前で日本の首相を非難することは断じて許しません」 これこそ政治家の見識というものであろう。田中外相はこの政治家の爪の垢でも煎じて飲めばいい。

 更にここにきて、外務省人事をめぐり、田中真紀子外相は歴代事務次官四氏の一括退任を求めた小泉首相の指示をようやく受け入れたが、一時は首相官邸と田中外相が全面対決する様相となった。このことは外務省の不祥事よりも、もっと大きな問題を孕んでいる。

 言わずと知れた外務大臣と言えば一国の対外折衝の最高責任者である。その外相がこともあろうに総理と考えを異にするという個人的見解だけで国の在り方を損なうような意思表示がなされていいのだろうか。これでは諸外国の外務省から見れば、日本の交渉当事者は一体誰かということになり、我が国の将来に大きな不安と危険を招くことになる。

 田中真紀子氏は、先の自民党総裁選出に際して、突然、小泉氏を応援する側に転じた。そして、今ではことあるごとに「私は小泉首相の生みの親」とか言っているようだが、何も当時の小泉氏が頼んだわけではない。いわば押し掛け女房みたいなものである。さすがの小泉首相も今度ばかりは堪忍袋の緒が切れたらしい。

 三国志の故事に「泣いて馬謖を斬る」ということがあるが、小泉首相は泣かずに馬謖をぶった斬ればいい。

   
 

 

ymat