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(2000年10月〜2001年7月)

(01/07/10) これが内政干渉でなくてなんぞや
(01/03/28) これでも卒業式か
(01/03/14) 中国旅行は本当に安全か?
(01/01/16) 21世紀の国の在り方
(00/12/19) 加害者の人権と被害者の人権
(00/10/21) 与党も野党も談合集団か
(00/10/16) 薄い水割りなんて退屈なだけ
(00/10/04) 森首相は約束を守るべきだ
 


(01/07/10) これが内政干渉でなくてなんぞや

 自民、公明、保守など与党3党の幹事長は、今月8日から4日間の日程で韓国と中国を訪問したが、韓国では金大中大統領との会談を要請していたところ、韓国側は歴史教科書の再修正要求に対する日本側の回答や、小泉総理大臣が終戦の日の8月15日に靖国神社を参拝したいとしていることなどを不服として会談を拒否した。政権与党の各幹事長がわざわざ礼を尽くして訪韓し、同国の大統領に会談を要請しているのに、如何に見解が異なるとは言え、あまりにも非礼ではないか。

 小生は、問題の「新しい歴史教科書」なるものが発売されるなりすぐに買い求め、読み通したが、一体この教科書のどこがいけないというのだろうか。これをもって事実を歪曲し、日本人を右翼国粋主義にし向ける教科書だというのはとんでもない言いがかりだ。最近ではヤクザでもこんな言いがかりはつけないだろう。

 先日、同教科書を発行した会社から数カ所の訂正が発表されたが、東京裁判の期間などのような単純ミスは別として、他の訂正個所は敢えて訂正する必要すら覚えない。

 韓国が指摘する問題のうちの一つに、いわゆる従軍慰安婦問題がある。これについては、今年度まで使用されている7社の教科書すべてに記述しているが、今回の検定では、そのうち4社が記述を取りやめた。なぜなら、実際には、日本軍による慰安婦強制動員を裏付ける証拠はいまだに確認されていないからである。これについて韓国は「事実を故意に欠落させた」と非難している。しかし、むしろ修正の必要があるのは、工場などに勤労動員された「女子挺身隊」を、従軍慰安婦徴用だったかのごとくねつ造する韓国の教科書の方である。

 また、一部の反日的ともいえる日本のマスコミなどでは韓国や中国の代弁者のように日本政府は歴史を歪曲していると言うが、どの部分がどのように歪曲しているのかを詳しく報道しているのは殆ど見たことがない。しかし、それには確固たる証拠資料が伴わなければならない。それらを示すことなく自分の国を批判し、近隣国を煽るがことき報道をするのは鼻持ちならない売国奴といわれても仕方がないだろう。

 更に、去る5月に訪韓した民主党の鳩山代表は、「新しい歴史教科書」を「事実を事実と認めない教科書は遺憾である」と決めつける意向を示した。如何に野党の代表とは言え、相手国に迎合するがごとき発言は国益を無視し、ひいては日本国民を愚弄するものではないか。大いにその見識を疑う。アメリカやイギリスの2大政党では国内問題では角付き合わしても、一旦、国益に沿わない対外問題が生じたときは、党派を超えて一致団結して事に当たるのとは大変な違いである。それだけ日本の政党は幼稚なのだろうか。それとも与党との違いを見せるために苦し紛れに相手国に魂を売ってしまったのだろうか。

 世界中のどこの国でも隣接国との摩擦があったし、今もなお問題を抱えている国がある。そして、どの国も歴史認識というものは当事国間ではまず一致することはない。これは民族が異なるのであればなおさら当然と言えば当然なのだ。それをいちいち「お前の方の歴史認識は間違っている。こちらの認識と合わせろ」というのは、どう考えても無理がある。それを教科書問題にかこつけて一方的に要求するとは、これはもう内政干渉以外のなにものでもない。

 確かに日本は過去に近隣諸国に迷惑をかけた時期があった。だからこそ、いままで我々は十分に謝罪してきた。また、十分な経済的援助もし、技術援助もしてきた。もう半世紀以上に亘ってである。彼らは日本に未来永劫にこれらを求めるつもりなのだろうか。今の子供達の親ですら知らない過去の戦争について責任を負わせたいのだろうか。それを押し進めていけば結果としてどうなるのだろうか。子供達は祖父達の負の遺産を背負うばかりでなく、いつまでも執拗に責任を追及してくる国々に対して嫌悪感を覚えるのは火を見るよりも明らかであろう。これでは98年に金大統領が来日したとき、「これからは新しい韓日関係だ」と叫んだことは何の意味があるのだろうか。

 日本は資源を殆ど持たない貿易立国である。それだけに近隣諸国とは友好関係を維持しなければならないのは当然だ。しかし、かといって韓国や中国の要求に屈して国の主権とも言える教科書検定にこれ以上変更を加える必要は更々ない。あくまで毅然たる態度で接するべきである。もし、我が国が韓国や中国に対し彼らの誤った記述の教科書を修正せよと迫ったときには彼らは何と考えるのだろうか。



(01/03/28) これでも卒業式か

 先日、市内にある小学校の卒業式に招かれて、久しぶりに卒業式なるものを見る機会を得た。私は仕事に忙しかった現役時代にはご多分に漏れず人並みにエコノミックアニマルだったので、自分の子供達の卒業式もカミさん任せで私自身は出席したことはなかった。従って自分の小学校卒業式以来のことなので、このような場に出るのはなんと半世紀ぶりだ。

 私は今まで音楽会や作品展、クリーンウオーキングなどに招かれて何度かこの小学校を訪れたことがあった。その都度、そこには明るくて元気な児童達の笑顔があり、通俗の世界とは異なった別の世界があった。最近では私はその小学校に来るのが一つの楽しみになっていた。

 しかし、その日、その小学校の卒業式を目のあたりにしたとき、私はとんでもない出来事に驚かされた。最近は卒業式に国旗掲揚や国歌斉唱をしない学校も多いと聞いてはいたが、この小学校ではちゃんと壇上の正面に国旗が掲揚されている。開会の辞の後、「只今から国歌を斉唱します」と発声があり、出席者全員の起立を促された。ここまでは私は「ああ、この学校では普通の卒業式を挙行するのだな」とホッとした。

 ところが、「君が代」を唱い出すと、どうもおかしい。なんと、唱っているのは来賓の教育委員会の課長補佐や市会議員のほか数名のみ。場内全体からすればまるで蚊の鳴くような声量である。あとは教師達も児童も、果ては父兄までもが誰一人唱っていない。私も今までメデイアを通じて、世間ではこのようなことがあるとは聞いてはいたが、現実にこのような驚くべきことを目にして思わず戦慄を覚え、背筋が寒くなった。

 その翌日、私は街を歩いていて、2人の小学生が遊んでいるのを見かけたので「君たちは日本の国歌を知ってるの?」と、訊ねると、「教科書には載っているけど先生から唄い方を教えてもらったことがない」と悲しそうに言うではないか。ちなみにその子たちは3年生だと言う。私はこの子たちがたまらなく可哀想になってきた。

 ここで思い出すのが、かつてサッカーのW杯アジア予選で日本チームの選手達が国歌を唱う場面になっても唱っているのは三浦カズ一人であったこと。このとき、世間は君が代を唱わない選手達を批判したが、案外、彼らは唱わなかったのではなく、知らなかったのではないだろうか。そうだとすれば彼らは満員の観衆のみならずテレビで全国民の前で恥をかかされたのだ。彼らも今の教育の犠牲者だったのだろう。そう思うと気の毒ではある。

 これが今の教育なんだろうか? 国歌を唱わないように教えるのが教育なのだろうか。昔ながらの日教組の方針で反国歌、反国旗の教育が徹底しており、世界で唯一の国歌を知らない小学生が出来てしまったようだ。実に情けない話ではないか。

 このような教育をしようとしている日教組や教師達は「国歌を唱う、唱わないは児童の内心の自由だ」というが、まさに詭弁以外の何ものでもない。これはどう見ても教師達が児童に唱わないように指導しているとしか考えられない。それに同調している父兄も父兄だ。また、「内心の自由云々」を言うのなら、国語を嫌いな子に国語を教えなくていいのか。数学を嫌いな子に数学を教えなくていいのか。

 また、日教組に支配された今の教育現場では、子供達に日本人としての誇りと責任を自覚させるのではなく「日本を嫌う日本人」、すなわち反日的日本人をつくりつつあると言える。このままでは、これから先の日本は絶望的な気がする。いまの「失われた10年」といわれる日本になったのは、ここにも原因があるのを一部の人以外は気が付いていないのが悲劇的でもある。

 こんなことを言うと、進歩派とか文化人を自称する人たちは、すぐに「右翼だ」と、ワンパターンのように批判するが、それは彼らのシーラカンス的論理で、その発想から抜けきらないところが今の悲劇的な日本を作り出している。

 その後、私は市の教育委員会の学校教育課にその小学校での顛末を話し、「これが卒業式といえるのか。教育委員会からも来賓として出席しておきながら、この事態を黙認しているのは理解できない」と強硬に抗議したが、「一応、全員で斉唱するように指導しているのですが・・・」と、歯切れの悪い返答しか返ってこない。こんな教育委員会では芦屋市の教育なんてお先真っ暗である。子弟の教育に熱心な家庭が芦屋市から逃げ出すのも無理はない。

 国民の間には、今の国歌のメロデイ、歌詞ともにあまり好きでない人も居る。歌詞も、どう解釈しても皇室を讃えており、民主的ではなく、またメロデイもどうも薄暗く、国民に勇気と希望を与えるメロデイとはほど遠いと言う人も居る。しかし、君が代が国歌である限り、歌うべき時は堂々と唱うべきではないか。それが一人の日本人の在り方だと思う。



(01/03/14) 中国旅行は本当に安全か?

 このところ、どうも腹に据えかねることがある。言わずと知れた教科書問題である。現在、検定中の特定歴史教科書の内容について、半世紀以上も前の中国進出や韓国植民地時代を美化し、正当化していると中国と韓国が口やかましく批判していることである。これは重大な主権の侵害だ。

 これら両国は重大な認識違いをしている。両国の教科書はいずれも国定教科書だ。然るに日本では戦前と違って現在では教科書を発行することは基本的に自由である。とりわけ多様な歴史観が存在する歴史教科書では、多くの教科書があって選択の幅が広まることが好ましいという考えに立っている。ただ、ひどくバランスを欠いた表現や事実誤認をただすために文部省による指導があるのであって、日本政府といえども、いわんや外国からの圧力で合否が決まったり修正させられるものではない。このあたりが中国や韓国のように政府の押しつけ国定教科書と違うところで、このことを両国は正しく認識すべきだ。

 中国にしても韓国にしても、「日本は史実をわい曲しようとしている」と言うが、史実とは何か。そもそも歴史認識なんて、それぞれの国によって異なるのは当然のことである。早い話がアメリカによる広島・長崎への原爆投下にしても、日本とアメリカとはその歴史認識や評価は全く違う。日本側は「民間人が密集している大都市に投下して厖大な人命を奪ったのは如何に戦争といえども非人道的な仕打ちだ」と言い、アメリカ側は「早く戦争を終わらせるためにやったこと」と正当化する。

 また、昭和16年12月8日に日本が真珠湾を攻撃したのを、アメリカは宣戦布告がなされる前の攻撃だったと非難するが、冗談じゃない、湾岸戦争でアメリカはイラクを突如空爆したが、宣戦布告をしたのか。そりゃそうだろう。石原知事ではないが「今から桶狭間を攻めます」と言って攻めるバカはどこにも居ない。宣戦布告なんて単なるセレモニー。

 ことほど左様に同盟国の日米間ですら歴史認識は全く異なるものである。当事者国間の歴史認識が全く同じというのは太古の昔からあり得ない。もし、あったとすれば、それは隷属国が強大な相手に屈服した結果に他ならない。中国や韓国は日本に対してそうあるべきだと言っているのと同じことである。諸氏はこのことをどのようにお考えであろうか? 歴史には善し悪しの次元を越えた流れというものがある。

 中国は往々にして「過去を鑑み、両国の新しい関係を確立する」と言うが、これは「かつて日本が中国で犯した罪をよく認識した上で、今後永久に負い目を背負って我々と付き合え」と言うことに他ならない。

 1988年に韓国の金大中大統領が訪日した際に日韓共同宣言がなされたとき、韓国政府は「日本との過去は清算された」、「外交問題として過去を取り上げることは今後ない」と発表したが、今やその姿勢は大きく後退している。我が国の国民はあの約束はあまり信用していなかったので、それほど意外とは思わないが、甚だ残念なことである。

 また、中国も韓国も自国の歴史教育は低学年から日本を「悪」として口を極めて非難している。いくら歴史認識が違うと言っても、口では「21世紀における新しい関係」を標榜しておきながら、これは一体どういうことだろうか。両国とも小学生の時から徹底的な反日教育をしているのであれば、日中、日韓とも両国民は永久に信頼し合える関係にはなり得ない。

 特に最近では中国には日本企業が数多く進出していて、日本人も多数駐在しており、また、観光客も大挙して中国旅行を楽しんでいるようであるが、この人達の安全は本当に大丈夫なんだろうか? とにかく周りは徹底的な反日教育を受けた人間ばかりである。私は不安でならない。彼らが仮に笑顔を見せても、それは現地にカネを落としてもらうためのエコノミック・スマイルに思えてならない。

 先日、私の知人の自宅1階に深夜、泥棒が入って数点の金品を盗まれた。家人は全員2階で眠っていて怪我が無かったので幸いだったが、警察の捜査官によれば、大きな窃盗事件で中国人を逮捕し取り調べを行うと、「戦時中に日本が中国で行った残虐行為を考えたら、こんな些細なことで、俺達を逮捕したり取り調べたりする権利はお前達日本人にはない」と開き直るとのこと。これひとつをとってみても如何に彼らが子供の頃から徹底的な反日教育を受けて日本人を憎んでいるかが分かる。ましてそのような国に日本人が飛び込んで行くなんて蛮勇に近い勇気が要るものだ。今まで大きな事件がなかったのが不思議なくらいだが、ここにきて教科書問題をきっかけに一段と増幅した反日感情からみて、今後、日本人の中国旅行の安全は保証されないだろう。

 一方、問題は我が国の外務省である。先般、検定中の歴史教科書に中国や韓国が出版中止や検定不合格を求めてきたにもかかわらず、こともあろうに外務省の槇田邦彦アジア大洋州局長は国会答弁で「内政干渉にはあたらない」と抜かした。また、河野外相も今月9日の参院予算委員会で同じ発言をしている。一体どこの国の外務省か。これに比べりゃ機密費横領疑惑の元室長問題なんて単なる雑魚の不祥事。他愛ないものである。これが内政干渉でないなら、「中国の反日教育はけしからん。すぐに変えろ」と言っても内政干渉に当たらない。どんどん言うべきだ。

 中国や韓国が教科書検定に介入してくる根拠は、日本の検定基準の近隣諸国条項であるが、これは法律でも条約でもなく、日本の実務レベルの処理基準で官庁内文書に過ぎず、そのようなものに他国が口出しできるものではない。外務省がこのように弱腰だから、我が国が中国や韓国の要求に従う義務があるかのような誤った認識を彼らに与えることになる。なぜもっと強硬に抗議しないのか全く理解に苦しむ。森首相よりも河野外相の方が先にクビになるべきであろう。

 それに、この近隣諸国条項なるもの、一体どうして出来たのか。昭和57年6月、文部省が教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えたとマスコミが報じ、これに中国や韓国が強く反発したのをきっかけに同年11月、教科書検定基準に近隣諸国に配慮する「近隣諸国条項」が加えられた。しかし、「侵略」を「進出」と書き換えたとマスコミが報じたのは誤報だったのである。このことはずっと以前から言われていたことであるが、今月12日の参院予算委員会で町村文相は初めてマスコミの誤報であったことを公式に認めた。

 更に大きな問題がある。そもそも教科書の検定中の内容は首相ですら見ることが出来ないはずである。それがどうして外部に漏れ、マスコミの紙面を踊らせたのか。これは由々しき問題である。日本の特定の新聞が以前から国益を省みず、不当な手段でネタを仕入れ、中国などへご注進に及んでいるが、これによって日本の主権が侵されようとしているのだから、国会や検察で徹底的に調査するべきだ。相手がマスコミであろうと容赦すべきではない。



(01/01/16) 21世紀の国の在り方

 早いもので私も定年から4年を過ぎた。それまでは、学校を出てから42年間、ただひたすらに前だけを向いて突き進んできたように思う。まるでかつてのD51型蒸気機関車のように。その間、仕事の分野以外のことには全く無頓着で、周りのことに神経を使うゆとりさえなかった。ところが、定年を迎え、ゆっくりと周りを見渡すと、それまで見えていなかった様々なことが見えてきた。そのひとつが日本という国の在り方である。

 日本はこのままでいいのだろうか? いまの日本は国家とは言えるのだろうか? 甚だ疑問に思う。ここで国家、国家というと、右翼或いは国粋主義者だと決めつける、いわゆる文化人、知識人、或いは進歩派なる類の層が居られるようだが、私は右翼でも国粋主義者でもない、ごく普通の日本人である。

 国というものは国民を守るためにある。しかし、いまの日本という国は国民すら守れない。ご存じのように多くの日本人が北朝鮮に拉致された。しかし、未だにそのうちの一人も救出できずにいる。それどころか懸命に北朝鮮に揉み手をしながら50万トンものコメを「人道的理由」により、提供しようとしている。「人道」を口にするなら拉致された被害者やその家族の人道はどうなるのか。こんなことで諸氏は税金を納める気になるでしょうか。いまどき「敵に塩を送る」なんて発想をひけらかして大人ぶってどうなるのだろうか。

 再度言うが、国家とは国民の生命と財産を守ってこそ国家である。そして国民はそれが保障されるからこそ諸々の税金を納めて、その国に帰属し、その国の中で生きているのでないか。

 普通の国家とは、一定の武力を正当に保持し、内外の脅威から国民を保護するのが本来の在り方であろう。ここで言う「正当に保持し」とあるは、憲法で保障された武力のことである。今の自衛隊は国防支出から見れば、アメリカ、ロシア、フランスに次いで第4位の力を保持しているように見える。しかし、これは憲法で保障されたものでなく、歴代自民党(一時は当時の村山社会党までもが)により、「軍隊でない」と、子供だましのようなこじつけで押し通してきたものであるが、これは誰が見ても軍隊であり、即ち憲法違反である。

 しかし、これは戦後このかた、半世紀以上に亘る為政者の責任だけであろうか? 否、これは我々国民ひとり一人の責任であると言えるのではないだろうか。第二次大戦終結後も朝鮮戦争、ベトナム戦争など、このアジアでは戦火が交えられ、我が国も少なからず影響を受けた。殊に朝鮮戦争では一時は北朝鮮軍が韓国の国土の7割を占領したことがあり、我が国自体にも危険が及びかけたことがあった。このとき我々国民はどうしたか。「日本は憲法第9条で武力を放棄しているので外から攻められる筈がない」と安穏としていたのではなかったか。これはとんでもない思い違いである。たまたまアメリカによって守られたに過ぎないのである。

 私は高校生であった昭和28年頃、教師から「日本は軍隊を持たない限り外国から攻められる筈がない」と教えられたことがあるが、当時ですらそれは私にとって何の説得力も持たず、大いに疑問であったし、今でもその考えは誤りであったと信じている。おそらくその教師は時の日教組あたりに影響されていたのであろう。人情味のあるいい先生だっただけに残念だった思いがある。

 世界には多くの国々があるが、どの国も隣の国とは国境で接している。日本のように島国であって、国土で接していなくとも、海上にも国境がある。国境がある限り、そこには必ずと言っていいほど摩擦がある。これは世界史を紐解くまでもなく、例えばこのアジアでも中国とロシア、中国とインド、中国とベトナム、日本とロシア(北方領土)、日本と韓国(竹島問題)、日本・中国・台湾(尖閣諸島)と枚挙にいとまがない。これらは一歩間違うといつ火蓋が切られるか知れない。勿論、外交努力は最優先に必要である。しかし、これは相手のあることだ。相手がもし、武力を行使して侵略してくればどうするか。「日本は憲法第9条があるから侵略されない」という幻想が破られる瞬間である。おめおめと白旗を揚げるのだろうか。

 そのような事態は考えたくもないが、いまの我が国の在り方はそれを危惧して余りあるものがある。なぜなら、国民の間に国を守るという気概がないからである。偶然、戦後このかた半世紀以上も我が国に戦火が及んでこなかったことで、完全に平和ボケしてしまっている。自分たちの国というのは、すなわち自分自身のことである。そして我々はその中で生きている。自らの安全を守ろうとしない国が世界から尊敬されるであろうか。また、これからの世界で繁栄を図ることが出来るであろうか。

 勿論、中国や韓国、北朝鮮などは日本が憲法第9条を改正することには反発するであろう。当然である。彼らにとっては都合が悪いからだ。しかし、そんな彼らの顔色を窺って我が国の安全を危険にさらしてはならない。また、これらの国々は自分で自分の国を真剣に守ろうとしない日本を内心では蔑んでいるのである。

 国会では憲法調査会で、今の憲法をどうするかを議論されているが、共産党や社民党は相も変わらず護憲一本槍である。これなどは政党的シーラカンス以外の何ものでもない。これらの政党はことあるごとに反米を唱えているが、そのアメリカから押しつけられた憲法を後生大事にしようとしているのだから、これほど滑稽かつ矛盾に満ちたものはない。

 確かに我が国はかつて軍部の横暴により、無謀な戦争を仕掛け、国家としての指針を誤った時期があった。しかし、だからといって正常な国家運営を放棄していいのだろうか。

 世界第4位の国防費を使って憲法違反の自衛隊を持っても、「自衛隊は軍隊でない」と、国の内外に詭弁を弄してお茶を濁しているようなことでは、いざというとき、果たしてどのような対応ができるのか。なぜ正々堂々と憲法を改正して世界の一員となるように努力しようとしないのだろうか。

 日本は国連の常任理事国になろうとしている。しかし、このままでは常任理事国になったとしても世界にどのような貢献が出来るのだろうか。単なるキャッシュデイスペンサーになるだけではないか。しかし、世界の若者は世界のどこかで絶え間なく起こっている紛争地で平和維持のために命を張っている。そのようなときにカネさえ出せばいいだろうと考えるのでは、常任理事国なんておこがましいではないか。その意味では日本は未だにエコノミックアニマルである。国土は狭く、人口は多く、国の繁栄を維持するだけの資源に乏しい日本は、世界から受け入れられる体勢を整えない限り明日はない。 

 戦後このかた、我々は国の在り方について真剣に考えることにあまりにも怠慢であった。しかし、この21世紀には今までのようなことでは世界に通用しない。21世紀の出来るだけ早い時期に国民ひとり一人がこの国の在り方についてよく考え、世界から受け入れられるようになってこそ、日本の生きる道が開かれていくだろう。さもなくば、「没落」あるのみである。
                   


(00/12/19) 加害者の人権と被害者の人権

 罪を犯した少年達に対して刑事罰を科すことができる年齢を従来の16歳以上から14歳以上に引き下げることを骨子とした改正少年法が去る11月下旬に参議院で「5年後に改正内容を見直す」との付則がついたのを受け、衆議院で可決、成立した。

 現行の少年法が施行されたのはほぼ半世紀前のことである。この間、少年犯罪の内容、動機、件数、その背景ともに大きく変容したため、現行制度では時代に適応しないとの改正論議が叫ばれて久しい。

 しかし、少年犯罪による被害者や多くの国民から批判を受けながら日本弁護士連合会、法学者、さらに大半のマスコミによる反対にあって、昭和45年(1970年)から52年(1977年)まで7年間に及ぶ法制審議会の審議もむなしく改正論議は店ざらしにあってきたものである。この間にもどれほど多くの被害者のかけがいのない尊い命が奪われたことか。

 法学者やマスコミは、ともすれば「厳罰化では犯罪を防げない」とか「改正は拙速だ」という。そうだろうか? 

 現行法では14、15歳の少年が殺人など被害者にとって取り返しのつかない重大な犯罪を犯しても、保護処分しかできないが、それを是正し、万が一にも大きな罪を犯した場合の行為の重大性を前もって自覚させることが重要ではないだろうか。それによって少年が重大な犯罪を起こすことを防ぐ牽制効果となり、少年自身も不幸な一生を送らなくて済むのではないだろうか。また、両親にも教育面で責任の重大性に目覚めさせることになると思う。

 従来の少年法では、どんな重大な犯罪を引き起こしても、被害者やその家族に対して「加害者は少年だから大目に見てやって諦めなさい」と言っているようなもの。これでは被害者にとってはやりきれない気持ちになるのも無理からぬごところであろう。如何に少年とはいえ、加害者の人権よりも被害者の人権のほうが重要であると言いたい。

 少年に限らず、どんな人間でも罪を犯せば罰せられるのは当然のことである。それが人間社会の約束ごとなのだから。しかし、もっと大事なことは犯罪を未然に防ぐことである。もともと、法律に罰則があるのは、社会秩序を乱せば、このような制裁がありますよ、と警告しているというのが法の精神ではないだろうか。しかし、その制裁の度合いがあまりにも甘いと、警告の効果も薄いということになりかねない。

 法律家やマスコミは、ことあるごとに「厳罰化では少年犯罪は防げない」と、したり顔で言うが、それでは一体どういう方策があるというのか、具体的な対策が一向に見えてこない。ただ、いたずらに「もっと時間をかけて議論すべきだ」と言うが、そんなことを言って議論ばかりして随分久しくなる。その間にもどれほど多くの悲惨な事件が発生し、被害者の命を絶ち、その家庭を破壊してきたことか。

 さらに、マスコミの報道の仕方にも問題がある。改正少年法についての記事の中で、どう見ても反対論者の意見ばかりを載せているように思う。勿論、肯定的な意見も掲載はしているが、それは極めて少なく、これでは公正な報道とはほど遠いと言わざるを得ない。まあ、これに限らず法を改正するときには、やみくもに否定論ばかりを取り上げるのは、いつものマスコミの傾向だが。



(00/10/21) 与党も野党も談合集団か

 あれほど国民が批判的であったにもかかわらず、政府は北朝鮮に対して50万トンものコメ支援をしようとしている。子どもを誘拐されていながら、その犯人に援助物資を送るなんてことはお人好し以前の問題だ。何とも腹立たしいことである。

 しかし、事はこれにとどまらない。その50万トンものコメを調達するのに、本来なら輸入米をあてればいいものを、自民党の農水族の圧力で国内のコメの在庫を減らすために全量を政府の在庫米で賄うように動いていることだ。

 北朝鮮へのコメ支援の実務に当たるのは世界食糧計画(WFP)であるが、日本政府からWFPへの事実上の売り渡し価格は、国内産コメ価格の10分の1であるため、約1,250億円もの差損が出ることになる。これすなわち全額が我々の税金で、ドブに捨てるようなものである。ニンマリするのは自民党農水族と農業団体のみ。

 もともとWFPの買い入れ価格は安いため、国産米、外国米のいずれを充てても差損は出る。しかし、価格が国産米の4分の1程度の安いタイ産など外国米を日本が買い込んでWFPに売り渡せば差損は食糧庁の試算では250億円程度で済む(これだって巨額には違いはない)。ところが、国産米で賄うとなれば、この差損は一挙に1,250億円に跳ね上がる。

 勿論、食糧戦略上、我が国の農業を守るという観点を全面否定するつもりはない。しかし、それはもっと他の根本的な解決方法で行ってほしいものである。このような北朝鮮への支援に便乗した形での国民負担はやりきれない思いだ。それも半端な負担ではない。国産米と外国産米との差損の差は1,000億円ですぞ。しかも誘拐犯人のために。

 そもそもWFPから頼まれもしないのに、50万トンもの大規模支援にこだわった理由は自民党の「族」の便乗圧力によるものでないと言えるだろうか? もし、そうなら自民党は一部の「族」のために国家戦略どころか国の財政というものを私物化していると言われても仕方のないところだ。

 さらに不思議なことは、このことについて野党からも何の批判も出ていないことだ。まさに不可思議千万である。ひょっとして、この支援米を与野党ともお互い何か政治的な取引の材料にしているのではないだろうか。そうであれば、これはもう政党なんて国のカネを平気で食い荒らす談合集団にほかならない。



(00/10/16) 薄い水割りなんて退屈なだけ

 今月14日の夜、東京放送(TBS)で中国の朱鎔基首相と市民100人とが直接対話するというのでチャンネルを合わせた。その前日にキャスターの筑紫哲也氏が「世界初の市民とのTV対話」と大威張りでふれこんでいたので少なからず期待していたものである。諸氏も多くの方々がご覧になられたと思う。

 時間は約1時間。番組が終わったときは正直言ってガッカリであった。問題は質問内容である。一体どうしてあのような質問になったのであろうか。もっと本当に聞きたいこと、すなわち一般市民としての本音の質問が発せられると思っていた。

 ところがどうであろう。市民からの質問には、「朱首相の夫人は怖いか?」とか、「2008年五輪開催を大阪に譲ってほしい」、「怖い顔のために損をしたことは?」という類のものが多かったのには大いに失望した。勿論、中にはある程度突っ込んだ質問もあるにはあったが、朱首相の答えは無難なもので、かつ極めて抽象的であった。

 「世界初の市民との対話」というのであれば、あくまで市民ベースであり、外交問題になるはずもないのだから、もっと本音で丁々発止と火花を散らすようなやりとりがあると期待したのは間違いなのだろうか? これでは単なる朱首相の日本顔見世興行ではないか。

 しかし、その中にもいくつかは注目すべきやりとりはあった。「日本の外国人犯罪では中国人が最も多いが、これをどう思うか?」という質問に対しては、「知らなかった。中国と日本が共同で犯罪者の摘発を進めていくしかない」と、まるで他人事のように言う。自国民が日本人に迷惑をかけていることを恥とも思わないのであろうか。このような場合、日本人であれば「大変申し訳ないと思う」くらいは子供でも言うであろう。ことあるごとに日本に対して半世紀以上も前の戦争中の謝罪を求めるのなら、現実に起こっていることに対して「恥ずかしく思う。申し訳ない」くらいは言ってもいいだろう。

 98年秋に江沢民・国家主席が来日したとき、「過去の歴史問題」を繰り返し持ち出したことで日本人に総スカンを食い、その後の対中感情は一気に冷え込んでいた。中国側はこうした現状ではODAなど日本の対中援助にブレーキがかかることを危惧したうえで、こうした状況を打開しようと今回の対話に乗ったものだが、今回もまた、「我々は日本から公式文書で一度も謝罪してもらったことはない」と繰り返した。これで今回の訪日はオジャンである。謝罪というものは心で詫びて心で受け入れるものであって、借金の証文じゃあるまいし、文書にすればいいというものではない。

 また、こうも言った。「あらゆる日本の国内世論は中日友好を守るということを考えてほしい」と。 驚いた。「あらゆる日本の国内世論は」と来ましたねえ。何か勘違いしているのではないだろうか。日本を社会主義国家とでも思っているのだろうか。「すべての日本人が中国を好きになれ」と言われても困る。人の好みは千差万別である。では、12億5千万人のすべての中国人に「日本人を好きになれ」って言えるだろうか。それどころか彼らは憎悪の念をもって日本の主要官庁のホストコンピューターに悪態の限りを尽くした内容のメッセージを書き込んだりしてサイバー攻撃をしてきたではないか。しかし、日本側からはそんな卑劣なことはしていない。

 さらに、小生MATはこのイベントが「TV対話」というからには生中継で行われるものと思っていた。ところが、実際は録画方式であった。聞くところによると、参加した市民はTBS側が独自に選別し、さらに質問はTBS側が事前にチェックし、波風が立ちそうなものは質問内容を変更させたという。何のことはない、TBS側で検閲など言論統制をしていたのである。本来であれば中身の濃い対話になるべきものを局側で薄い水割りにされていたのである。道理で退屈な1時間であった。



(00/10/04) 森首相は約束を守るべきだ

 こんなことがあっていいのだろうか。政府・与党はこのたび北朝鮮へのコメ追加支援を正式決定するという。しかも、その規模たるや世界食糧計画(WFP)から要請されている量(19万5千トン)を遙かに上回る50万トンにものぼるものという。一体なぜこのようなことになったのだろうか。

 元凶は外務省である。日朝国交正常化交渉を促進させたい外務省が、北朝鮮側から「コメ支援が決まってからでないと、次回交渉の日程と場所は決められない」との話を聞き、WFP要請量を2.5倍も上回る50万トンもの大規模支援にこだわったからだ。永田町辺りでは、外務省と北朝鮮の間ですでに何らかの密約があったとも言われている。

 その背景には河野外務大臣と野中幹事長のいつもながらの謝罪外交姿勢がある。殊に河野外務大臣は従来からこの姿勢が顕著であり、先の内閣改造時に彼が就任したときから大いに懸念していたが案の定というところだ。

 さらに、国内のコメ余りに困っていた自民党の農林部会や農業団体が北朝鮮への大規模支援を後押ししており、国内米を使うため、国際流通価格の6倍にも当たる1,200億円もの国民の血の出るような税金が費やされるのである。まったく票とカネのためとあらば国家としての戦略も何もない。悲しむべきことだ。それにしてもなぜこれほどまでに政府は国交回復を急ぐのだろうか。北朝鮮側が急ぐのはわかる。日本からカネをとりたいからだ。しかし、我が国が急ぐ理由は全くない。

 政府や一部メデイアはことあるごとに「人道的理由」とか「過去の歴史」を持ち出してくる。それでは北朝鮮側の主張と何ら変わりはないではないか。それなら拉致された被害者の人道はどうなるのか。また、過去の歴史を言うならば、もう半世紀以上も引きずって今まで何度も謝罪してきたものを一体いつまで引っ張っていくつもりか。それを理由に拉致された同胞を見殺しにするとは言語道断。

 それどころか、日本人拉致、日本列島上空ミサイル発射、不審工作船の領海侵犯、麻薬輸出、など多くの問題に対して北朝鮮は何ら謝罪も釈明もせず、何一つとして誠意ある態度を示していないという「過去」を持っているではないか。それなのになぜ我々が譲歩しなければならないのか。我々国民は到底納得できるものではない。そんなカネがあるのなら噴火や地震で仕事を失い、生活に困窮している伊豆諸島や阪神・淡路大震災の被害者に援助の手を差しのべるべきだ。拉致されたり、生活に困っている国民を見捨ててまで不誠実な北朝鮮を支援するのであれば、今の自民党を初めとする与党は次の選挙で大きく支持を失うだろう。勿論、このMATもそんな党に票を投じない。

 更に、ここにひとつ重要なことがある。先に、拉致被害者の家族が森首相に面会したとき、首相は「拉致問題を棚上げして国交正常化は決してしない」と約束したのである。これはまぎれもない事実だ。にも関わらずこれでは拉致問題を棚上げしていることと同じではないか。

 拉致被害者の家族らは今月2日、外務省を訪れ、「今年3月の10万トンのコメ支援後、北朝鮮側は拉致問題で何も誠意ある行動に出ていない。然るに今回なぜまた支援するのか納得できない。北朝鮮への大規模食糧支援は拉致問題の棚上げにつながるもので、絶対に容認できるものではない」と抗議したが、河野外相は逃げて会おうとせず、北東アジア課長なる木っ端役人が「大きな流れを踏まえ、何が適当かを考えている」と答えたという。相変わらずお役人というものはぬらりくらりといい加減なことを言うものだ。そんなことはどうでもいい。森首相よ、拉致被害者の家族との堅い約束は守るのか守らないのか、どっちだ!
   
 

 

ymat