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(99/5月〜10月)

(99/10/11) トラクターを求む
(99/09/20) 同胞を忘れたのか 
(99/09/12) そんなのありい?
(99/08/30) アメリカ人の歴史認識(その1)
(99/07/16) 女ごころと予算委員会
(99/07/2) そんなのに乗れない
(99/05/10) 菅さん、ちょっと待った
(99/05/5) こじつけ運用も限界だ
                  

(99/10/11) トラクターを求む

 ひとりの若者がマウンドの土を思いきり蹴った。そしてその顔はみるみる歪んでいった。その頬には幾筋もの涙が流れていく。あの場面、テレビの実況放送こそなかったが、その夜のスポーツニュースでは各局とも事細かに伝えていたので、知らない人は殆どいないと思う。諸氏はあのシーンをご覧になってどのように思われたでしょうか。

 今回に限らず、プロ野球では今頃のシーズンにはよくあるケースである。自軍の選手にタイトルをとらせたいがために勝負を度外視した敬遠。ファンのブーイング。その都度、この小生などは言いようのない不快感に襲われる。もう来年からプロ野球なんて見るものかと何度思ったことか。

 今回の場合、事の発端はヤクルト側の松井敬遠に始まり、長島監督が報復処置に出たという。しかし、普段からフェアプレーを自他共に許す長島監督である。ここは一番、誰か知らぬがヤクルトの二流監督などに歩調を合わせずにペタちゃんとは全打席堂々と勝負させてほしかった。松井選手を思いやる心があれば尚更であろう。

 ペタジーニにしても松井にしても仮にそれが功を奏してタイトルを獲得したとしても何ほどの価値があろうか。本人のみならずファンだって永く憶えているものだ。「ああ、あのときのタイトルはあのようにして得たものだ」と。アンフェアなプレーの結果得たタイトルよりも堂々と勝負した結果の2番手の方が遙かに誇りも価値もある。あの長島監督も並の人間だったかと思うとガッカリである。

 今夜の何という番組だったか忘れたが、出演していた山本浩二氏と掛布氏が異口同音に「あれはやむを得なかった」と言っていた。この二人の間には微妙な違いはあったにせよ、概ね「タイトルは大きな自信となり、来年からのチームの戦力アップにつながる」というものだった。同業者とはこんなものか。小生はテレビの解説者としては、江川氏とこの二人には解説のわかりやすさ、的確な分析力、説得力などからベスト・スリーに評価している。しかし、業界内部の人間とファンとの間にはその価値観に大きな開きがあるようだ。

 「タイトルが大きな自信になる」というが、それならペタジーニに殆ど打たれていない上原投手のプライドはどうなるというのだろう。「新人だから辛抱しろ」と言うのだろうか? そんなバカな。新人だろうとベテランだろうと関係ない。現に彼はマウンドの上でその誇りをズタズタにされ悔し涙にくれていたではないか。普段は「巨人の救世主」とか「驚異の新人」とか言いながら、いざというときには信用されていなかったのかと思うのも無理からぬところであろう。会社で言えば、今年入社した新進気鋭の社員が何の落ち度もないのに、上司から「先輩を立てるために取引先に行って頭を下げてこい」と言われるようなものだ。上原が思わず「敬遠にもしてよい敬遠と・・・」と言ったのは、長島監督だけでなく、日本のプロ野球界への渾身の抗議であったのだろう。

 小生が言いたいことはまだある。大体、プロ野球界は貴重な時間と費用をかけて球場に来るファンをどのように考えているのであろうか。単なる「札束運搬人」とでも思っているのだろうか。家庭でテレビを見ているファンにしても、二度と取り戻せない人生のひとときの時間を費やしてチャンネルを合わせているのだ。この多くのファンのうち、勝負を放棄した「敬遠」を見たいと思っている馬鹿な人間が1人でもいるだろうか。

 シーズン半ばのとき、自分がひいきにするチームを応援し、そのチームが勝ってくれれば誰しも嬉しい。従って戦術上、場面によっては敬遠もやむを得ないかも知れない。しかし、それでもプロ野球界の戦略上では必ずしも「やむを得ない」ことではない。小生はことあるごとにアメリカを手本にすることは好きではないが、マクグアイアとソーサの熾烈な競争を見ていると、ファンの心理とプロ野球ビジネスの見事な一致を見出さざるを得ない。

 ファンが求めているもの、即ち、プロとしての極限の力、技、スピード、プラス正々堂々の勝負を提供することを実行している彼らを見るとき、我が国のプロ野球人の考え方はルール違反ではないとしても、プロ野球精神違反であろう。コミッショナーはこのことをどのように考えているのだろうか。この際、ルール改正をして、一球もストライクを投げない四球なんて2塁打扱いにしては如何?

 さらに小生の我が儘を言わせて貰うならば、あの場面、上原は長島監督の指示を無視して真っ向勝負をするか、松井は外野からマウンドの上原の所へ飛んでいき、「構わないから勝負しろ」と言って欲しかった。いずれも昔で言えば上官の命令無視でお咎めを受けるであろうが、これくらいしなければ日本のプロ野球は旧態依然として変わらない。また、球場のファンもブーイングだけでなく、その場で一斉に席を立って酒場へでも行って欲しかった。そうでもしないとコミッショナーはいつまでたってもノホホンとしているだけだ。

 上原投手はあのとき口惜しくてマウンドの土を蹴った。その気持ちを考えると、マウンドだけでなく、明日にでもトラクターを持ち込んで、神宮球場を大根畑にしてやりたい気持ちである。



(99/09/20) 同胞を忘れたのか 
 
 暑い夏もやっと終わりになり、秋風が吹いてきたと思ったら、とんでもないニュースが飛び込んできた。アメリカ政府は北朝鮮が弾道ミサイルの発射を当面見合わせる姿勢を示したことへの見返りとして、今月17日、北朝鮮に科していた制裁措置の一部を緩和すると言うではないか。まさに北朝鮮のゆすり作戦にのってしまった感がある。

 北朝鮮はその体制の根幹的欠陥のために必然的に生じた食糧不足のために、すでに数十万人もの餓死者を出したと言われており(一説には300万人ともいわれている)、いまなおそれは毎日増えつつある状態だ。最近の報道によると、北朝鮮は食糧難解消のための穀物輸入に占める国際社会からの無償支援の割合が、食糧難が表面化した1995年の33%から昨年はなんと80%に激増し、外国からの支援に対する依存度が高まったという。輸入している穀物のうち、8割もが外国からタダで援助してもらっているという。

 北朝鮮の今年の食糧需要は551万トンで、予想生産量はわずか389万トン。差引162万トンが不足している状況であるが、このうち、輸入や無償支援で71万トンが調達できるが、あとの91万トンは不足している。これでは2200万人といわれている国民の間から餓死者が続出するのも無理からぬところ。

 そこで考え出したのが、わざと危機的状況を作りだしておき、「援助を寄越さなければミサイルをぶっ放すぞ」とか、「核弾頭の開発をするぞ」とか、いわゆるゆすり作戦は彼らの常套手段になっている。これにアメリカはまんまとのってしまった。おそらく北朝鮮は「してやったり」とほくそ笑んでいることだろう。彼らの思うとおりに経済制裁を解くことができたのだから。しかも、問題はこれで解決したわけではない。これに味を占めた彼らはすぐに次の援助を求めて新たな危機的状況を作りだしてくることは間違いがない。膨大なコストをかけて開発したミサイルや核兵器を、アメリカがちょっと経済制裁をゆるめたからと言ってオシャカにするわけがないのだから。

 さて、ここで日本政府である。今月18日、小渕首相はアメリカ政府のこの決定に関連し、北朝鮮のミサイル発射の凍結が確実になれば、昨年のミサイル発射に対する日本の対抗措置を解除する考えを示した。おいおい、冗談じゃないぜ。ひとつ大事なことを忘れてやしませんかってんだ。(あれっ いつの間に江戸っ子になったのだろう?)

 日本人なら誰もが知っているとおり、日本政府が認定しているだけでも7件10人の日本人が北朝鮮の工作員によって拉致されている。実際はもっと多いといわれているが、この人たちのことを日本政府は忘れてしまったのだろうか? 多くの同胞が拉致されているのに、なぜ対抗措置を解除してまたぞろ食料援助などする必要があるのだろうか。世界から見て日本人はよくよくお人好しと思われても仕方がないだろう。

 非人道的にも子どもを誘拐した犯人が、その子を返さないのに、おめおめと人道援助の名のもとに生活物資を送る馬鹿な親がどこの世界に居るだろうか。しかも、援助した食糧が北朝鮮の一般国民に行き渡るのならまだ救われるが、それらはすべて百万人とも言われている軍隊に流れていくのだから、何のことはない我々の税金で軍事援助していることになる上に、その銃口はこちらを向いているのである。そんなことに税金を使うのなら、税金を納めるのがホトホト馬鹿らしくなるではないか。このMATにしても、そんなことになれば納税を忌避したい。

 以前から、確かに日本政府は北朝鮮とは国交正常化の交渉に入ろうと努力していた。しかし、彼らは、アメリカが折れれば日本との問題も片づくという考えで、日本を相手にせず、アメリカのみを交渉相手にしていた。そのアメリカとの交渉がうまく運んだ。そこに今回の小渕首相の談話である。これでは北朝鮮の思い描く筋書き通りではないか。小渕首相の就任後1年間の業績は小生も高く評価するものだが、今回のことはどうしても納得できない。日本政府が日本人を守らずに誰が守るというのか。半世紀も前にアメリカに押しつけられた憲法第9条なんてゴミ箱に放り込んで、普通の国家としてもっと国民を守ることに腐心してほしい。これが国民を大事にする西欧諸国やイスラエルならもっと異なった行動をとっていることだろう。

 ことのついでに言わせてもらうならば、ことごとに反米を煽る共産党や新社会党がアメリカに押しつけられた現在の憲法を後生大事に不磨の大典としていることほど滑稽かつ矛盾に満ちたものはない。

 また、一部のマスコミでは、相変わらず「アメリカが制裁措置を緩和させているときに、北朝鮮がその存在を認めていない拉致問題を持ち出して日本だけがいつまで食糧支援再開に踏み切らずにおれるのか」という論調を展開させているが、これでは「いい加減に拉致問題を諦めて北朝鮮に支援を」というメッセージを北朝鮮にエールとして送っているのと同じであろう。これは日本の或る新聞のコメントであるが、諸氏はどの新聞のことかはよくご存じだと思う。

 さらに、自治体である兵庫県も神戸市も怠慢だ。拉致された人の中には神戸の有本恵子さんと田中実さんが含まれているのをもう忘れてしまったのか。県会も市会も議員決議でもして、もっと強く国に被拉致者の救済を働きかけるべきだ。膨大な借金をして空港建設に血道を上げるばかりで、1市民のことなど忘れ去ってしまっているではないか。我々の同胞なんですぞ。 


    
(99/09/12) そんなのありい?
 
 いやあ、驚いたねえ。10日夜の甲子園球場における清原選手の幻のホームラン。あんな判定ってムチャクチャだよね。誰かが言ってたけどジャイアンツにすりゃあ「判定負け」。中日と優勝を争って追い込みに入っているときに、あまりにも辛いミスジャッジ。それも明白な大ミスジャッジ。しかも結局1点差で破れたのだから尚更恨みは深い。

 あとで各テレビ局のスポーツニュースを見たが、いずれもスタンドに入った瞬間が角度的にわかりにくい映像ばかりだった。しかし、小生MATはたまたま地元のサンテレビで実況中継を観戦していた。サンテレビでは、バックスクリーン横のテレビカメラで撮ったスロービデオを流していたが、この角度では実に明確にボールの落下地点がよくわかった。そこにはフェンスから数メートルも奥にボールが飛び込んだ場面がハッキリと映し出されており、アナウンサーも解説者も「これは完全なホームランですね」と明言していた。

 ストライク、ボールやアウト、セーフのきわどい判定であれば、これは当然のことながら審判の判定に従うべきだが、あのホームランはとてもじゃないがきわどいというものではない。これは単にどちらが勝った負けたの問題ではなく、審判の質とシステムの問題だ。あのままゲームが続行され、成立してしまったこと自体があまりにも全国のファンを愚弄するものだ。こんなゲームを見せられたファンはひいきチームが勝っても負けても後味の悪い思いをするだけだ。彼ら審判団は全員お家断絶、身は切腹すべし。

 このようなミスジャッジはこれだけではなく、このところ頻発している。コミッショナーも審判を増やすとか、ビデオを参考に導入するとか(あの古式豊かな大相撲でさえビデオを参考にしている)、とにかく改善策を考えないと、もうアホらしくて見ておれない。ビデオの導入は審判団が反対しているというが、10日夜のように自分たちの誤審がわかってしまうのがこわくて反対してるのだろう。しかし、どちらにせよ分かってしまうのである。それならその場で訂正すればいいではないか。なにもアウト、セーフまでいちいちビデオで見ろとは言わない。せめてホームランかどうかという大きな場面だけでもやってみたらどうだろう。

 また、阪神の新庄選手は落下地点をハッキリ見ているのだから、読売テレビのスポーツニュースで掛布氏が言っていたように、飛び出してきたボールをインプレーにせずにスタンドに軽く投げ返すのが、如何にプロの世界とはいえ、スポーツマンの在り方ではないだろうか。プロ野球は単なる娯楽ショーではなく、そこには全国で多くの子どもたちが見ている。その子どもたちが「バレなければ間違ったことをしてもいいのだな」と解釈すればどうなるだろう?

 それに長島監督も頂けない。なぜもっと強硬にかつ執拗に抗議しないのだろう。抗議したからと言って判定は覆らないかも知れない。しかし、絶対的な自信を持って強く抗議することによって審判団に大いなる反省を促すことが出来るのだ。あの場面のように、あっさりと引き下がったのでは審判たちは大して深刻に考えていない。あの場合、日ハムの上田監督なら選手を全員ベンチから引き揚げさせ、北の新地へ繰り出しているだろうし、星野監督なら球場にガソリンまいて火をつけて帰るだろう。
   

   
(99/08/30) アメリカ人の歴史認識
 このところちょっと暑さも和らぎ、朝夕は凌ぎやすくなったようだ。とにかく小生のパソコンデスクのあるところは午後3時頃から夕方まで強烈な西日が射し込んでくるため、その間は反対側の部屋に避難しているので夏場は不便極まりなく、まるで家庭内ホームレスである。

 さて、先週末の新聞を開いたとき、次のような記事が目にとまった。すなわち、「米カリフォルニア州議会は今月24日、第二次大戦中の日本軍の戦争犯罪について、日本政府の率直な謝罪と犠牲者への賠償を求める決議を採択。決議に強制力はないが、同議会は連邦議会が同様の決議を採択し、大統領がそれを実現させるために適切な行動をとるよう求めている。決議は、南京大虐殺や米軍捕虜の強制労働問題を列挙して、日本軍の残虐行為を非難している」 と来ましたねえ。冗談じゃない。フリントン大統領に求めるなら「不適切な行為」をとらないように忠告した方がいいのじゃないかね。

 小生は時々アメリカ人は一体何を考えているのか理解に苦しむときがある。第一、未だに何の確証もなく、歴史的にも大いに疑義のある南京事件を、一部中国人が喚き散らしているのを真に受けて一体何をもって「残虐行為」というのか。これを中国の江沢民あたりが言うのならわからないでもない。勿論、その場合でも言いがかりにしか過ぎないが。しかし、アメリカにとって今や我が国は同盟国ではないか。その我が国に対して全くもって失礼千万、いや理不尽千万ではないか。

 しかし、それでも日本に「残虐行為」云々と言うのであれば、こちらも言いたいことがある。広島、長崎に原子爆弾を投下して十数万の非戦闘員たる市民を一瞬にして殺したのは「残虐行為」そのものではないのか。それだけではない。東京大空襲でも広島に原爆を落としたときに匹敵する数の犠牲者を出させている。更に、大阪、神戸、北九州、その他大都市の非軍事施設すなわち一般市民が密集している住宅地を重点的に絨毯爆撃し、もの凄い燃焼力のある油を雨あられとまき散らして罪もない一般市民を多数殺したのは「虐殺行為」ではないというのか。小生も9歳のとき、神戸で空襲に遭い、目の前で筆舌に尽くせ難い悲惨な光景を目のあたりにした。それは今でもCD−ROMのように網膜に焼き付いたままだ。

 爆撃されたのが軍事施設なら仕方がない。戦争なのだから。しかし、非戦闘員たる市民が重点的に狙われたとあれば話は別である。まさに人道の問題である。空襲も最初のうちこそ日本各地の軍需工場を主に爆撃や艦砲射撃を浴びせていた。しかし、その後、その目標を人口密集地帯に変更したことは明らかである。アメリカはその理由を「日本人の戦意を削ぐため」としている。そして更に「戦争を一日でも早く終わらせ、日米両国民の犠牲を少なくするため」と言ってきた。しかし、そんな言い訳は誰も信じていない。

 アメリカは当時、大戦末期になって、来るべきソ連との冷戦構造を見越し、戦略爆撃と原爆投下の効果を何としても試しておきたかった。しかし、白人国家に原爆を落とすことは自国民や西欧諸国から反発を受けるため、黄色人種の日本人が狙われたことは間違いがない。これは先ほどのユーゴとの戦争を見ても明らかだ。あのとき、軍事施設は狙ったが民家は誤爆は別として避けているではないか。しかるにベトナムではどうであったか。まるで虫けらを殺すような闘いぶりだったことは誰しも知るところ。まさに人種的、民族的差別ではないか。

 先日、テレビでアメリカの原爆開発の歴史を放映していたが、実験動物として、サル、犬、山羊などが対象となっていた。しかし、彼らはそれでも足らずに広島・長崎の一般市民を人体実験の対象にしたうえ、戦後、戦略爆撃調査団を大挙して両市に派遣し、「治療」と称して克明な調査、研究だけを行って引き揚げていった。そこには「治療」らしきものは何もなかった。日本の731部隊も顔負けである。

 本当は今更こんなことを言っても仕方がないことである。戦争というのは元々が狂気の次元であり、人道もマナーもへったくれもない世界なのだから。我が国は戦後このかた、上記のようなアメリカの暴虐行為や、ソ連による日本軍捕虜のシベリアにおける虐待も、特に補償を求めていない。それはこのように戦争の本質が狂気のなせるわざであるがゆえである。しかし、冒頭のように戦後半世紀以上経った今になって友好国であり、同盟国の筈のアメリカから、地方議会とはいえ、何か裏切られたようなニュースに接すると、「自分のことは棚に置いといて何を言うか」と言いたくもなる。小生は、このアジアの平和を保つためには日米安保条約は極めて重要であると認識しているだけに、反米感情を煽るつもりは毛頭ないが、それにしても同盟国たるアメリカからこんな仕打ちを受けるのが残念でならない。

 また、我々日本人は太平洋戦争で日本側が先に手を出したことに負い目を感じている向きも多いようだが、そんな必要は全くない。先の大戦にしても日本側だけが一方的に非があるわけではない。そこには歴史の大きな流れがあり、歴史学者の間でも評価は様々に分かれている。確かに火蓋は日本側から切られた。しかし、その前に戦争行為そのものはアメリカ側からとられているのだ。あの大戦の前、アメリカは日本に対して完璧な経済封鎖をした。当時、アメリカの議会では「日本に経済封鎖をすることは戦争行為に相当しないか」という審議に対して国務長官は「明らかに戦争行為に当たる」と回答しているのだ。

 また、かつて1956年にスエズ運河の権益を守るため、イギリス、フランスなどは武力を行使した。彼らはこれを『自衛』とした。ならば日本がアジアの権益を守るためと経済封鎖からの脱却を図るためにやむなく戦火を開いたのとどれだけの差があるのだろうか。その戦争が「侵略」か「自衛」かは戦勝国によってどうにでも定義付けられるものである。また、日本が東北アジアや東南アジアを侵略したと言うが、西欧諸国が世界中に持っていた植民地はすべて侵略の歴史ではなかったか。アメリカは原住民のアメリカインデイアンを駆逐し、イギリスなどは阿片まで使って中国を侵略している。スペインに至ってはブラジル以外のすべての中南米諸国を武力征服し、インカ帝国を初めとする諸民族を根絶やしにしている。これらを極悪非道と言わずして何と言う。 

 ただ先の大戦において、唯一我が国にとって残念だったことは技術的、時間的な問題で開戦に際して事前通告が真珠湾攻撃に間に合わなかったことだ。まさに痛恨の大チョンボであった。アメリカはこれをもって日本に何をしても世界から許されるとしてやりたい放題のことをしたのだ。事前通告が単に手違いで遅れたのがわかっていながら。しかし、それをもってしてもアメリカの犯した暴虐ぶりの免罪符にはなり得ない。

 戦後、東京裁判で日本側に多くの戦犯を出したが、それは必ずしも彼らがすべて過ちを犯したわけではない。正当な裁判で裁かれたわけではなく、勝者の論理で一方的に戦犯にさせられたのである。諸氏は機会があれば、小堀桂一郎氏著 『東京裁判 日本の弁明』 をお読みになられることをお奨めしたい。如何に東京裁判がアメリカの身勝手な論理で進められたか。多くの日本人は今もってあの裁判を納得していない。



(99/07/16) 女心と予算委員会
  今月14日のテレビ国会中継は久々に面白い場面があった。野中官房長官と民主党の石井一副代表が衆院予算委員会で、政治行動の「変節」をめぐって激しい火花を散らしたことだ。石井氏は、野中氏が著書などで小沢自由党党首を強く批判しながら自自連立に踏み込んだこと、記者会見などで連立の責任をとる考えを示したことを指摘した。

 石井氏は「これほど厚顔無恥な人は記憶にない。いつまでも責任をとらないのはなぜか。良心の呵責はないのか」と詰め寄ったのに対し、野中氏は「指摘は甘受する。私が己をむなしくすることが難局を乗り切る道だと考えた。私はあなたほどは変節ではないと思っている。そういうことを言われる筋合いではない。お望みならあなたについて申し上げることはたくさんある」と出ましたねえ。

 一瞬、たじろいだ石井氏は「開き直りか。まるで脅迫じゃないか。私は変節した覚えはない」と突っ張っていたが、石井氏はその後も激しい野中批判を繰り返し、予算委員会での「野中問題」の集中審議を要求した。

 ところが、ここで中山正暉予算委員長が言ったことがふるっている。「あなたも官房長官と同じグ ループ(旧竹下派)に所属した。武田信玄に山本勘助あり、太閤秀吉に竹中半兵衛あり、小渕恵三に野中広務ありだ。この場でそういう審議をすることはお断りしたい」と来た。さらに「ニクソンにキッシンジャーあり、長島監督に原辰徳あり(まさか)」とまでは言わなかったが。

 この石井氏は隣の神戸市を選挙区としていて、田中角さん華やかなりし頃は田中派に属し、その後は竹下派、さらに民主党に鞍替えした。このことを野中氏は言いたかったのだろうが、かなりドスのきいた恫喝ぶりではあった。

 さて、一夜明けて昨日(15日)の朝刊を開くと、(このMAT、ガキの頃から新聞を後ろから順に読むクセがあって直らない)俳優の榎木孝明さんに脅迫文書を送りつけていたとして、長野市の女性が脅迫容疑で逮捕されたという。

 警察の調べに対し、その女性は「榎木さんが雑誌などで結婚しないと言っていたのに、結婚したので裏切られた」などと供述しているそうだ。調べによると、榎木さんの自宅などに96年5月ころから、計20数回にわたり、手書きやワープロ打ちの脅迫文書が送り付けられ、カミソリが入っていたこともあったという。恐ろしいねえ。

 榎木さんはなにもその女性に「自分は結婚しない」と約束したわけでもないのに、なぜ裏切られた気持ちになるのだろう? それにこの女性、子供じゃあるまいし、もう42歳。女ごころはわからん。

 と、ここでフト前日の衆院予算委員会でのやりとりを思い出した。片や国会内での出来事、片や巷の出来事。かなり落差があるようだが、本質的にはどれほどの差があるのだろうか。

 野中氏にしても、自由党党首を強く批判したからと言って、自自連立は絶対やらないと石井氏や民主党に約束したわけではない。殊に永田町では政治の流れ次第では朝令暮改どころか朝令昼改だっていつものこと。石井氏も一年生議員じゃあるまいし、そのへんのところはとっくの昔にご存じ鞍馬天狗のはずである。それでもなお、持ち出さなければならないほどネタが切れているのか、それとも民主党の攻撃力が落ちているのだろうか。まして、大事な国の予算を審議する場で言うことにこと欠いて・・・考えるとアホらしくなってきた。もう寝る。
 

(99/07/02) そんなのに乗れない
 最近これほどガッカリしたことはない。かねてより郵政省は我が国の情報インフラを早急に整備するためには市内電話料金の定額制を実現するようにNTTに求めていたし、また、我々も一日千秋の思いで待っている状態である。また、郵政省は2000年をメドに月額5千円程度の定額料金をNTTに求めていたが、私個人としてはプロバイダへの接続料金も要ることだし、できればもう少し低く押さえてほしいところではあった。

 ご存じの通り今月1日からNTTは持株会社のもとで分割・再編され、新体制がスタートすることになった。ところが、その輝かしい新スタートに際し、NTTは「関東と関西の一部地域のISDN契約者に限り月額1万円程度で試験サービスを始める」という。

 冗談ではない、そんなにボラれてはとても乗れたものではない。月額1万円といえば今でも昼間に繋ぎっぱなしで、50時間分に相当する。そのようなパワーユーザーはそれほど多くはないだろうし、こんな額では定額制に加入する人はごく一部のユーザーを除いてあまり居ないのではないだろうか。

 最近はケーブルテレビ会社が通信事業にも乗り出し、プロバイダを営むところも少なくない。それらは大体、月額が5千円〜6千円というところだ。しかもこの場合は電話料金が不要である。さらに通信速度はISDN回線よりも遙かに高速だ。これに比べりゃNTTの商品なんて「高かろう、遅かろう」で、果たして商売をする気があるのかと疑いたい。

 一般のプロバイダ料金にしても、このところの激しい競争で大手といえどもどんどん低料金になってきている。(例外として、顧客満足度上位ということにあぐらをかいて値下げしないプロバイダもあるが)これはやはり競争原理が働いているからにほかならない。市内電話料金はNTTの独占である。独占のあるところ売り手市場であってユーザーには「使わせてやっている」という姿勢しか生まれない。

 右の
図で見るとNTT西日本は売上高はトヨタ自動車の三分の一もないのに従業員の数は殆ど同じ。業種業態が違うとはいえ、あまりにも効率の悪さを物語っているではないか。右端のJR西日本同様、元国有企業の合理化なんてまだまだ甘いというしかない。

 ことインターネットの普及では日本よりも遙かに上を行くアメリカでは市内電話料金は高くても月額30ドル(約3,600円)弱の定額制だそうだ。日本ではプロバイダの接続料はむしろアメリカより若干安いにもかかわらず、電話料金が高いため、トータルではかなり割高になっている。アメリカのみならず、シンガポールや韓国でも通信料金は日本に比べて数分の一である。従ってネットワークの普及率は各国とも我が国よりも遙かに上を行っている。このままでは日本は世界から情報分野では完全に取り残されてしまうだろう。

 ここで不思議なのは、他の国々の電話会社ができることがどうしてNTTにできないのだろうか? NTTの親玉も郵政省に逆らってまで「できないできない」と言うのであれば、その理由を国民に明確に説明すべきだ。市内電話を独占しているのであれば、当然説明義務があるはずである。郵政省もNTTの発行済み株式の59%も保有しているのであれば、もっと発言力を行使すべきだろう。情報インフラを整備することは世界に取り残されないようにするために緊急を要することであり、国策として取り組んで貰いたいほどだ。

 とにかく月額が1万円とかになるのであれば、ついてくるユーザーなんて殆ど居ないであろうし、あとは電話回線を利用しないインターネット手段、例えばソニーが定款を変更してまで計画している衛星を利用した通信事業やCCAに期待するしかないだろう。NTTさんよ、いい加減に「電話屋」の既成観念を捨てたらどうか。


(99/05/10) 菅さん、ちょっと待った
 このゴールデン・ウイークは四国へ渡る橋はいずれも大変な人気で、連日渋滞が続いたようだ。そこで、民主党の菅直人代表は日本と中国の橋渡しをと考えたのか、中国へ行き江沢民国家主席と会談したという。その前に中国へ行った自由党の小沢党首が、中国共産党内序列6位の政治局常務委員としか会談できなかったのと差を付けることを大いに意識したのか、或いは江沢民主席の歓心を買おうとしたのか、その揉み手ぶりは滑稽なくらいであった。

 まず、菅氏は相手が何も言わないうちに、わざわざ自分から日中間の歴史問題について、「過去の歴史を記憶にとどめ、両党間あるいは学者を交えて研究し、共通の歴史認識に至るようにしたい」と提案した。果たせるかな江沢民主席は「賛意を表する。前のことを忘れず後の戒めとし、歴史をもってかがみとみなし、未来を開くことが重要だ」と応じて、日中戦争など日本側の責任を暗に指摘したという。

 それにしても菅代表は一体何を考えているのだろう? いまさら日中間の歴史認識を一致させようとして何になるというのか。第一、両国間で歴史認識を一致させるなんてことが未来永劫できるわけがない。もし、できるとすれば、それは片方が相手に対して一方的に隷属的にすり寄ったということだ。

 仮に一つの史実に関しても、国や民族によってその認識は自ずから異なるのは当然である。例えばナポレオンの業績にしても、その評価や歴史認識はフランスとロシアでは全く違ったものになっている。ベトナム戦争だってベトナムとアメリカのそれぞれの認識は未だもって異なっている。太平洋戦争でも、日本とアメリカの言い分は食い違ったままである。こんな例は有史以来、世界にはゴマンとある。しかし、いずれの国でも歴史認識がどうのこうのと馬鹿なことを言わずに新しい関係を確立して前進してきているではないか。要するにそのようなことは歴史の流れであり、その歴史にも光と陰がある。仮に片方が責められることがあっても、一度きちんと謝罪すれば、お互いのためにいつまでも引きずっていくものではない。

 早い話がこのMATとカミさんが40年近く数限りなく喧嘩してきたが、その都度、お互い自分が正しいと思っているままであり、反省なんてしたことはないし、相手に謝ったこともない。まして認識の一致なんてほったらかしのまんまである。それでも、ちゃんと将来に向かって前向きにやってきた。あれ、話が脱線したか・・・。

 さらに菅代表は、中国側が強い嫌悪感を示しているガイドライン関連法案の「周辺事態」についても「中台間で何らかの紛争があっても日本攻撃につながらない限り『周辺事態』にはならない」との見解を示した。

 冗談ではない。なぜそんなことを言う必要があるのか。菅氏は地図を見たことがあるのだろうか。右の地図を見れば分かるように、わが国領土の最西南端の与那国島は台湾からわずか100キロ余り、国境線からはほんの50キロばかしである。もし、中国が台湾に侵攻すべく台湾海峡で火蓋が切られることになれば、至近距離にある与那国島や西表島、石垣島などに戦火が及ぶ危険性は大いにある。すなわち、明らかな「周辺事態」である。

 中国は、明らかに日本の領土である尖閣諸島ですら、そこに石油資源があると分かると「中国領土である」と主張している。こうなると与那国島などはそのすぐ近くにあるため、中台戦争のどさくさにまぎれて占領されないとも限らない。南沙諸島だってベトナムやフィリピンと争ってでも占領しようとしているのだから。要するに台湾海峡でドンパチ始まればもうそれは立派な「周辺事態」と認識すべきであろう。今後、アジアにおける中国の中華思想はとめどなく拡大することは間違いないことを考えると、野党とはいえ、政権を狙おうとする党首として、それ相応の見識を持ってもらいたいものだ。


(99/05/06) こじつけ運用も限界だ
 ゴールデンウイーク中の5月3日は憲法記念日であった。その夜、「ニュースステーション」なるテレビ番組を見ていたが、キャスターが、憲法で軍隊を持たないことになっている国は、日本と中米のコスタリカであると紹介していた。そのコスタリカは中米のニカラグアとパナマに挟まれた、人口330万、広さ5万1千平方キロメートル(近畿と四国を合わせた広さ)の小国である。

 そのコスタリカは全く軍隊を持たないので、今まで他国から脅威を受けたときは近隣の友好国に軍事的に助けてもらっていたそうで、その分、予算を教育費に回せると画面の中で大臣らしき人物が得意げに語っていた。この番組のテレビ局は某大手新聞社のグループに属するメデイアであるが、さもコスタリカの在り方が正しいと言わんばかりの論調。これはいままでもそのよう傾向があるので驚かない。それに、この個性豊かなキャスターも所詮は大手新聞社の意向を受けた飼い犬にしか過ぎないのだろう。

 しかし、コスタリカと日本とではそれぞれが置かれている国際政治環境、地政環境はあまりにも異なる。それに、コスタリカには失礼ながら、普段は丸腰でいながら、いざ自国が脅威を受けたときに近隣他国の好意にすがって助けてもらうなんてのは普通の国家であろうか? ここで一部の人からは「日本だってアメリカに頼っているではないか」と反論があると思うが、確かにそうである。日本はアメリカによるアジア太平洋地域の安定維持のために核の傘の下に入って、その抑止力のもとで平和を享受してきた。しかし、年間約500億ドル(約6兆円)に達する防衛予算を投じて備えている。これはアメリカ、ロシアに次いで世界第3位である。少なくとも丸腰ではない。

 ご存じの通り、現行の日本国憲法では第9条の第2項で「・・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。・・・」と定めている。では、現在の自衛隊は憲法違反ではないのか? そう、明らかに憲法違反であろう。世界第3位の防衛予算を投じて軍備に励んできておりながら、何とかかんとかこじつけて「自衛隊は軍隊ではない」とシラをきってきたのが自民党である。しかし、かと言って今の自衛隊を解散せよという気はさらさらない。「憲法守って国破れる」では何にもならないではないか。また、国家とか日の丸とか言うと、すぐ右翼と結びつける向きもあるが、そんなものではない。

 これも昨日のNHKテレビで見たが(この連休はテレビばかり見ていたな)かつて琉球王朝は殆ど軍備を持たずに隣国の清とは、膨大な予算を使ってもてなし外交、即ち接待外交でしのいできたが、結局は薩摩に侵略された。もし、防衛意識をしっかりと持って備えをしておれば、やすやすと侵略されなかったであろう。そんなのは世界の歴史上いくらでも例がある。だからこそ永世中立国のスイスやスエーデンですら国民一人当たりでは日本より遙かに多い国防予算を充ててしっかりとした備えをしている。スイスなどは国民皆兵制度をとっている。

 前にもこのコーナーで述べたが、このMATは高校時代、日教組かぶれした教師から「日本は平和憲法を守って軍備を持つべきでない。なぜなら、軍備を持たなければ外国から攻撃されることはない」と教えられた。しかし、それを聞いたときから今まで一度だってその教えが正しいと思ったことはなかった。ところが、今でもそのように子供たちに教えている教師がわんさと居るのだから困ったものだ。そんなことをしようものなら、北朝鮮や帝政ロシア時代以来、不凍港を求めて南下政策を本能的に持っているロシアに門戸を開くようなものだ。オウムと日教組とゴキブリは早く叩きつぶさなければならないと思っている。

 1939年、かつてのナチス・ドイツは突如としてポーランドに武力侵入した。また1950年6月、北朝鮮軍は北緯38度線を突破して韓国に怒濤のごとくなだれ込んだ。このとき、ポーランドも韓国も日本のような平和憲法を持っておれば侵攻されなくて済んだのだろうか? 侵略する方にすれば、相手の国の憲法なんてどうでもいいことなのだ。むしろ平和憲法を後生大事にしてくれている方が都合がいいというもの。それと同じで、平和憲法を敷いて軍備を持たなければ侵略してこないだろうと考えるのは愚の骨頂というもの。

 その国の憲法で戦争放棄さえすれば平和が保てれるのなら世の中こんなうまい話はない。しかし、それは全くの幻想だ。日本が少なくとも戦後半世紀、国内的には平和を享受できたのは、冷戦下のアメリカの戦略に基づく日米安保条約により、アメリカの核の傘の下にあったからに他ならない。情けないようだがアメリカの核抑止力によって守られていたのだ。これが現実だ。国を守るのは「憲法」ではなく、「現実」なのだ。 

 しかし、さすがにここに来て、「自衛隊は軍隊ではない」というこじつけも限界だろう。先般、北朝鮮の不審船が、わが国の海上保安庁と海上自衛隊の停戦命令を無視して逃げていったが、あのときでも、どうして威嚇射撃だけで済ませたのか。政府は「相手が発砲していないのに、こちらから相手の船に傷を負わせることは出来ない」というのが公式論だったようだ。しかし、停戦命令を無視した時点でもうそれは戦争状態ではないのか。ならば、相手の推進器を狙ってブチ壊すくらいのことはどうして出来なかったのか。最初から捕まえる気はなく、事なかれ的に追っ払ったとしか見えないが、これも憲法上の制約があるために、それ以上一線を越えられないのであれば、やむを得ないのかも知れない。しかし、相手はそこまで見通していたのだろう。それが証拠に相手側からは一発も撃ってこなかったではないか。憲法を従来通りこじつけながら運用するのもこの辺で打ち切り、国民全体ですっきりとした形で憲法改正をして、毅然とした行動がとれるようにすべきであろう。早く国会内に憲法調査会をつくって大いに議論してほしいものだ。

 おそらく現場の艦長などはさぞ口惜しかったであろう。もし、追う側が他国であれば、おそらく威嚇射撃の後、停戦命令を無視されたのであれば撃沈していたであろう。かつて、ソ連が崩壊する前であったが、スエーデンの領海内の水中にソ連の原子力潜水艦らしきものが侵入してきたとき、スエーデン政府は浮上命令を無視されたため敢然と爆雷を投じて攻撃した。あの中立国のスエーデンがである。国の主権を守るということはそういうことであろう。

 余談になるが、海上自衛隊の威嚇射撃については殆どの国民は、「当然である」、「やむを得なかった」、「手ぬるかった」という見方で、ほぼ肯定的であったと思う。ところが、冒頭の大手新聞は「過剰反応だ」という革新政党のコメントを大きな見出しで報じて世論をそちらへ誘導しようとしていた。それも自分の言葉で言わずに他人に言わせるところはいつもの手であるが、この新聞は今回に限らずいつも北朝鮮の側に立った論説を張る。まあ、戦前のような国粋新聞も困るが、国益を全く考えない、「一体どこの国の新聞?」というのも如何なものだろう。小生はこの新聞のことを「チョウニチシンブン」と呼んでいる。

                
   
 

 

ymat