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MATの言いたい放題(97/10月〜98/1月分)

(98/01/29) 神戸青年会議所がカジノ設置案 (98/01/24) 阪和銀行の退職金上乗せ
(98/01/20) 国と地方の借金529兆円! (98/01/19) 大地震による鉄道死傷者数予測 (98/01/15) 野党よ、お前もか!
(98/01/13) 首相演説と阪神・淡路大震災 (98/01/10) 上を向いて歩こう (97/12/29) 金は出しても口は出せぬ?
(97/12/25) 日本の責任とは   (97/12/12) 新聞は孤高の存在か? (97/12/08) 新聞社自ら言論弾圧?
(97/11/29) パール博士に思うこと (97/11/25) 山一だけか?   (97/11/24) これでいいのだろうか?
(97/11/15) 拉致疑惑一歩先進? (97/11/14) お人好しな日本政府 (97/11/03) JRは民営化されていない
(97/10/28) 世の中大変だな (97/10/27) ソフト・メーカーの姿勢について (97/10/15) W杯サッカーと相互理解について

(98/01/29) 神戸青年会議所がカジノ設置案

 震災後の神戸に活力を生み出すために、神戸青年会議所(JC)は、F1グランプリの誘致や、カジノ施設の設置などユニーク?な構想を中心とした提言をまとめました。「魅力ある都市神戸を実現するための基本構想」と題した提言は、1年がかりの労作だそうです。

 ポートアイランドU期工事区を舞台にした着想が中心で、青年会議所では、F1グランプリについては「人工島内に整備される道路が公道に認定される前なら、道路交通法の規制を受けないので可能だ」と、誘致推進を求めております。

 もし、カジノの開設が実現すれば日本で最初となります。同会議所は「国際的な交流施設としてカジノを合法化している国は多く、都市の魅力づくりの一環として柔軟に是非を論じる時期」と、主張しております。

 さて、まず、F1グランプリだが、「ポーアイU期の島内道路が公道に認定される前」ということであれば単年だけで、継続しないのだろう。「神戸に活力を」ということであれば継続しないものを持ってきても仕方がないのではなかろうか。「とりあえず何かを」ということなのだろうが、線香花火的つけ焼き刃のような気がする。それに一度でもそのイベントを行えば、その強烈なイメージから、公道となった暁には、その道路は暴走族のあこがれのメッカになることは必至。となるとポーアイ全体の住民にとってはこの上ない迷惑だろう。あの爆音てのは海上空港の離着機に負けてませんよ。
 
 次にカジノ。聞くだにワクワクするやら恐ろしいやら。映画に出てくるラスベガスのあのケバケバしい低俗な看板とネオン、乱れ飛ぶチップと札束、その中を泳ぐように舞う美女と酒、歓喜と失意、天国と地獄を連想しますよね。大きな声では言えないが小生も一度行ってみたいような気がしないでもない。しかし、これを神戸に持って来るというのはちょっとどうですかな。第一、神戸近辺の奥様方が黙ってますかね? こんなのが出来た日にやダンナ方は家に帰ってきませんよ。その被害たるや第二の震災となるでしょうな。仮に一時的に街に活力が出ても自己破産者が続出することは必至。再び街は灯が消えたように。

 それに、神戸にだけカジノが認められるというのは、財政が苦しい他の自治体が黙って指をくわえて見ているわけがない。そうなると日本国中カジノだらけ。カジノ難民の続出。

 所詮、人間は弱いもので、博打に負ければ負けるほど、どうしてものめり込んでいくもの。つい先日読んだ某月刊誌によれば、ラスベガスでは、負けてスッテンテンになって失意のどん底から麻薬に走る人間は数知れずとのこと。カジノはその享楽度からみて競輪・競馬とは桁違いに魅惑的なだけにコワイですぞ。

 いくら街の復興を目指してとは言え、これらのアイデア、折角考えた人たちには申し訳ないが、いまひとつ感心しない。ユニークであればいいというものでもない。如何にもなりふり構わずという感じがする。それより、もう少し爽やかで、健康的で、生産的な企画はないものでしょうかね。


(98/01/24) 阪和銀行の退職金上乗せ

 どうも我々には分からないことが多すぎる。和歌山市に本店を置く阪和銀行はバブル崩壊で多額の不良債権を抱え、平成8年(1996年)11月に大蔵省から業務停止命令を受けた。不良債権額はその時点で約1,900億円で、阪和銀行は昨日(1月23日)営業を終了し、1月26日に紀伊預金管理銀行に営業譲渡して解散することになっている。殆どの従業員には昨日、退職金が支払われたが、この支給額がなんとも我々には理解し難いものである。

 退職する従業員750人に対する退職金は当初の社内規定で算出した額では、支給総額は約29億円であった。ところが、従業員組合は業務停止命令後の昨年3月、スト手続きをとった上で、銀行側に従来規定の額に上乗せし、さらに離職手当をも上乗せする労使協約の改訂を要求していた。結果、なんと、当初の規定額の4倍近い114億円もの退職金が支払われることで既に妥結しており、昨日、全額支払われたのである。

 これが一般の企業で、何らかの事情で会社を解散したことによる退職金であれば特に言うことはないが(それでも規定の4倍もの額を支払うのは問題なしとはいえない)、事はこれに公的資金が絡むことである。

現行の破綻金融機関処理制度では、営業終了までにストが敢行され、預金払い戻し業務がストップした場合、預金保険機構に保険金での支払い義務が生じることなどから、銀行側は大蔵省や日銀と相談の上、組合側の要求に応じることを決定、昨年12月に正式に労使協約を改訂し、預金保険機構に85億円もの資金援助を要請したものである。

 膨大な不良資産を抱えている金融機関は多く、今年もどれだけの金融機関が破綻を来すか分からない。そのたびに預金者保護のために預金保険機構から資金が流出していく。そしてそれが枯渇した暁には、おそらく公的資金の出動であろう。いわば結果として我々の税金で退職金が支払われる可能性が極めて高いのである。

 85億円にのぼる退職金負担を強いられた預金保険機構は、「破綻前の規定に基づいて、退職金を上乗せした例はあるが、破綻後に規定を変えてこれほど多額の上乗せした例はない」と、言っているが、それなら、銀行も預金保険機構も、どうして他の銀行の応援を仰ぐなどして、仮にストをされても、預金払い戻し業務を代行するなどの措置がとれなかったのか。銀行が銀行なら、預金保険機構も,大蔵省や日銀も、あまりにも腰が軽過ぎはしないか。
 
 また、従業員組合のモラルも如何なものか。普通であれば会社が倒産すれば退職金なんて殆どもらえない。規定通りの退職金が支給されれば御の字ではないか。悲しいことだが、社運に大きく左右されるサラリーマンの宿命だろう。私も定年まで一介のサラリーマンであったし、従業員が有利になることは喜ばしいことであるが、それにも自ずから常識的な限度というものがある。 普段は世間に公表できないほど多額の給料をもらい、更に自分たちの銀行が倒産して取引先や株主に大きな迷惑をかけておきながら、自分たちこそ被害者だという意識を大きく前面に出して、規定の4倍もの退職金をせしめるのは全く理解できない。 幹部行員は別として、若い行員まですべて倒産の責任があるとは敢えて言わないが、そんなことが、社会常識として世間に受け入れられるかどうか考えたのだろうか? 阪和銀行の破綻により、融資を受けられなくなった取引先のうちには、今日現在で既に16件の連鎖倒産が起こっており、その負債総額は1,000億円に達している。これにより、明日への希望を失っている人々が沢山居るというのに,自 分たちが利するなら、なりふり構わずの何でもありか?

 ちなみに、平成7年に経営破綻して、支店27店を5店に縮小し、550人が退職した木津信用金庫が支払った退職金は規定通りであった。また、自主廃業する山一証券でも社内規定通りで、解雇ということによる割り増しはない。
 
 株主にすれば、銀行をゴミ同然にしておきながら、まだ食い足りないのか、と言いたいのも無理はない。銀行側の役員一同、背任罪で訴えられてもやむを得ないのではないか。 会社は経営者のものでもなければ、従業員のものでもない。株式会社の帰属はあくまで株主にあることを彼らは銘記すべきである。
 
 さて、大蔵省と日銀にも言いたい。なぜこんなことを唯々諾々と許したのか? こんなことぐらい回避するのは超優秀脳味噌集団のあなたたちなら、朝飯前ではなかったのか? それとも何かあったのか? と考えたくもなる。 私は現在の国の財政を考えたとき、消費税の更なるUPもやむを得ないとも考えている。しかし、こんなことに税金が使われるなら、国民の協力は得られないだろう。私だってイヤだ。もっと税金の使途を厳格に考えてもらいたい。


(98/01/20) 国と地方の借金529兆円!

 大蔵省は国と地方の長期債務が平成10年度末で529兆円に達するとの見通しを示した。一般会計に計上されていない「隠れ借金」と呼ばれる旧国鉄の長期債務、金融システム安定化のための預金保険機構への国債の交付が新たに計上され、当初見込みより40兆円増えることになる。

 この結果、国と地方の借金はGDP(国内総生産、10年度見込みが519兆7,000億円)を上回り、先進国中最悪の財政事情であることが改めて明らかにされた。

 このうち、国の長期債務残高は389兆円、地方の借入金残高は156兆円、これを合算すると545兆円となる。上記の529兆円に一致しないのは国と地方の重複分が16兆円あるため。

 さて、国と地方自治体の長期債務残高529兆円というのは、老若男女を問わず、日本国民一人あたり422万円に相当し、これは現在の国民一人あたりの租税負担額約70万円(国と地方合算)の6年分に当たる。また、国の場合は平成8年度以降、国債費(償還、金利)は一般会計のうち、20%を大きく上回っており、財政の硬直化を促している。我々が納める税金の6年分もの借金を国と地方がしている割には、我々にそれだけの行政サービスを受けているという実感がないのはどうしてだろう? 天下りによる意味のない特殊法人や財団に対する膨大な補助金など、不条理な原因が数限りなくあるだろうが、その殆どは闇の中に隠されていて我々からは見えない。

 財政改善には行政改革も勿論必要であるが、それだけではとても追いつくものではない。財政赤字はそれだけ膨大である。根本的かつ強力な財政構造改革が必要なことは明らかであるが、これとて現今の経済情勢から見て、景気浮揚策の方が優先されるであろうし、また、そうでなければならないので、すぐに事を運ぶことは無理であろう。

 昨日も大蔵省の榊原審議官が消費税率のUPをポロッと口走ったようだが、政府、特に大蔵省の本音はこれに尽きると思う。ただ、選挙のことがあるから言わないだけのことだ。昨年4月に5%にUPしたばかりだけに、ナヌッと思われた方々も多いのではないだろうか。しかし、私は考えるに、今は勿論無理ではあるが、国内の経済状況が明るくなれば、我々としてもこの辺のところは少し考えなければならないのではないだろうか? 日本の消費税率は他の先進諸国に比べても非常に低い。また、国民負担率(社会保障負担を含む)も日本は36.5%であり、英国46.2%、ドイツ50.8%、フランス62.6%に比べてもかなり低い。

 その使途がどうであれ、国と地方自治体は529兆円という多額の借金をして、使ってしまっている。国や地方が借金していると言うことは我々国民が借金していることにほかならない。しかも、この額は減ることはなく、毎年増え続けている。このままでは我々の子や孫たちに大きなツケを回してしまうことになる。私は残念ながらまだ孫は居ないが、皆さんのお孫さんの声が聞こえてくるような気がする。「爺さんらは禄なことをしなかったなあ。ツケはしこたま残すわ、石油は掘り尽くすわ、オゾン層に穴をあけるわ、タイガースを猫にするわ」と。 政府にワアワア言うだけでは意味がない。我々国民の意識改革も必要ではないだろうか。

 そこで、私は消費税の増率はやむを得ないと思う。ほかに財源を求めるには、整合性のこともあって合理的に課税できるものはもう限界だろう。しかし、昨年2%UPしたところであり、一挙に数パーセントも上げるというのは、また景気の足を引っ張りかねないし、我々のフトコロにもショックが大きい。従って2年ないし3年毎に1%ずつ引き上げ、10年ほどかけて10%程度にまでもって行けばショックもやわらぐのではないかと思う。そうすれば10年くらい後には、現在に比べて年間で10兆円ほどの財源増加につながる。そして予算の伸び率を2%程度に押さえれば、かなり借金を減らせていけるのでは? せめてこれくらいは我々としては子や孫たちのために負担する責務があると思う。

 但し、上記のような不条理な国費の支出や税金の無駄遣いを徹底的に排除することと、行政改革と財政構造改革は絶対にやってもらわなければならない。これは政府と地方自治体の仕事である。


(98/01/19) 大地震による鉄道死傷者数予測

 大阪府では、大阪府域で阪神大震災クラスの地震が、朝のラッシュ時に起きた場合、鉄道災害だけで4,400人が死亡すると想定した。特に新幹線は、乗客の80%が死亡すると予測しており、大阪府では「発生時間帯によっては相当の死傷者を覚悟しなければならない」という前提で防災対策を進めている。

 想定される地震としては、上町断層、生駒断層、有馬高槻断層、中央構造線、南海トラフ のいずれかが動く直下型地震を想定しており、地上路線(JR在来線、私鉄など)、地下鉄、新幹線の三種に分けて死傷者を算出したもの。

 そのうちで、最も大きな被害が発生するのは、上町断層による地震が、朝のラッシュ時の午前7時半〜午前9時に起きた場合で、40万人以上が車内か駅内にいて影響を受けると予想されている。

 その際、地上路線と新幹線の場合、被害が発生するのは震度6弱以上の地域で、なかでも震度6強以上(400ガル以上)の地域では、衝突、脱線、転覆などの事故が起こる率を75%と計算している。一方、地下鉄では震度6強以上の地域で被害が発生するとしている。

 大地震で事故が起きた場合の乗客の死傷率は地上路線、地下鉄ともに4〜20%で、死亡率はその10分の1。新幹線の場合は高架路線を高速運転することを考慮して、死傷率100%、死亡率は80%と予測されている

 これらの予測の結果、朝のラッシュ時に上町断層による直下型地震が起きた場合、鉄道による死者は各種のデータを平均すると4,400人、負傷者は25,000人と算出された。このうち、新幹線だけでも死者は1,500人を超え、全体の3割を超えることとなる。

 なお、阪神大震災の後、鉄道各社で補強工事を実施しており、JR西日本では「阪神大震災程度の地震には耐えられるはず」としているが、大阪府では「今回の調査では震災後に行われた耐震化工事は考慮していない。 防災上、最悪の場合を想定する必要がある」と話している。

 さて、鉄道災害だけでこの数字だから背筋が寒くなる。新幹線に至っては殆ど航空機事故と同じであろう。 その場に居合わせたら、お祈りをする暇もない。 この予測が適切なものか、過大なものか、或いは過小か? それぞれ個人によっては受け止めかたが違うであろう。しかし、阪神大震災が起こるまでは新幹線の高架も、高速道路も「日本の場合は関東大震災クラスでも大丈夫」と、JRも阪神高速道路公団でも胸を張っていたのがあのテイタラク。 このような人の命のことで、あまり数字を簡単にどうこう言いたくはないが、決して過大な数字ではないように思う。根拠はない。あくまで個人的感覚である。敢えて言えば私の頭の中には次のような考えがあることだ。

 神戸市内や阪神間ではJRの新しい高架は新幹線も在来線も至る所で落下したが、大正時代に建設された古い在来線の高架はビクともしなかった。これはどういうことだろう? 思うに、昔の人は今のような技術を持たなかっただけに、とにかく丈夫に、頑丈にと、いわば自然に対して謙虚だったのではないか。ところが今は、コンピューターというものが出来たばかりに、それによって計算される技術と経済性のギリギリの接点を求めることとなったと思う。 しかし、自然の力はその妥協を許さなかった。大阪府が「耐震化工事は考慮していない」としたのは、あながち間違っていないような気がする。

 こんな事を言うと建設技術者の方にお叱りを受けそうだから、今夜は頭からフトンを被って寝るとしよう。



(98/01/15) 野党よ、お前もか!

 去る12日の通常国会開会に際して、橋本首相の演説で阪神・淡路大震災に関して一言も触れておらず大いに失望したことは、この欄で述べた。しかし、続く13日の衆議院、14日の参議院の代表質問では当然なんらかの質問があるものと期待していた。

 しかし、いざフタを開けると質問者の誰一人として阪神・淡路のハの字も、復興のフの字も言わない。これは一体どういうことなんだろう? 野党の皆さんよ、選挙のたびにあなた達は言いましたね。「我が党は必ず皆さんの生活を元に戻します」と。政権はとれなくても、せめて代表質問のときくらい政府に主張して下さいよ。

 あの大地震が起こった数日後、時の村山首相が、避難した学校の体育館で打ちひしがれたようになっている老人に「必ずあなた達が立ち直れるように、政府は精一杯がんばりますから安心して下さい」と、言っていたのを我々は忘れていない。あれは被災者に対する約束ではなかったのか。特に村山氏が所属する社民党は今でも与党の一角を占めており、社民党も責任があるではないか。まあ、政治家の言うことだから、と言ってしまえばそれまでだが、それでは日本の政治の何もかもが信用できないことになってしまう。

 先日、木っ端微塵のように分裂して破片のようになった弱小政党は言うに及ばず、今になっても只々政争のためだけの大演説。なんとかのひとつ覚えのように「橋本退陣」を要求するのみ。私は必ずしも橋本首相がベストな政治家とは思わないが、この大変な時局に政治の空白が一瞬でもあれば大変なことになるのがわかって言っているのだろうか。大雪で頭の中の脳味噌まで凍ってしまたのか。そんなことより西の方では、この寒波の中、薄いベニヤ板のような仮設住宅で震えながら、明日への希望のないまま3年間も中央から、いや、自分たちの国から見捨てられた多くの人たちが居るのを思い出してくれ。そして何とか救いの手を差し延べてやって欲しい。 国民あっての国であり、国家あっての国民ではないか。

 言っては悪いが、政治家だけではない。官界も、財界も、民間人も、阪神・淡路を遠く離れている人たちは、もう醒めた目で見てはいないか。ゆっくりと、しかし確実に近づきつつある東海大地震や国内の至る所にある活断層のために、明日はあなた達が同じ境遇になるかも知れないのです。どうか応援してやって下さい。


(98/01/13) 首相演説と阪神・淡路大震災

 従来の「MATの独り言」も15回目になったが、先日、友人から「独り言だなんてボソボソ言っておらずにもっと大きな声で言ったらどうか」と、お叱りを受けた。そこで今回からは生意気にも「MATの私見」と題して従来通り、現今の社会事象その他について私の見解を述べたいと思う。

 今年もあと4日で阪神・淡路大震災3周年になる。街並みは部分的には復旧したようにも見えるが、まだまだ更地のままに放置されているのが至る所に目につく。また今なお4万人の被災者の方々が仮設住宅で寒さに耐えながら不便な生活を余儀なくされている。この方たちにとっては、早いもので4回目の冬を越すことになる。

 復興住宅は徐々に建てられつつあるが、その立地条件などで必ずしもすべてが被災者の方たちの希望に沿えるものではないのが実情である。また、仮に復興住宅に入居したとしても、それですべてが解決したわけではない。被災者の中には、震災に伴い、勤務している会社の倒産による失業、個人自営業者の事業継続の不能、また地震発生時の怪我による就業不可、一家の大黒柱を失ったり、或いは高齢・病弱、などで経済的に自立できない人も多い。このような方々のことを、国も我々もどのように考えるべきなのだろう。

 1月12日、第142通常国会において、通常であれば蔵相が行う補正予算に関する経済演説を、橋本首相自らが施政方針演説に先立って行った。私は今までは経済演説などにはあまり関心を寄せたことはなかったが、時期が時期だけに今度ばかりは首相が特別の方策と固い決意を示してくれるのではないかと期待を持ってテレビを見ていた。

 正直言って落胆した。その内容は政府が今までに決定した経済、金融システム安定化策を棒読みに説明したに過ぎず、何ら新味はなかった。さらに失望したことは、これら安定化策と同時に従来の財政再建路線も同時進行で行うことに固執していることだ。財政構造改革は半年前なら私も諸手を挙げて賛成していた。しかし、ことここに至っては二兎を追える状況ではない。この際、面子を捨てて財政再建路線は一時棚上げして、なりふり構わず景気浮揚一直線に突っ走るという英断が欲しかった。

 首相は金融システム安定化のため、次の2点を強調した。
(1)預金者などの保護のために金融機関の優先株などを引き受け、そのために政府は10兆円の国債発行と20兆円の政府保証、合計30兆円の資金を活用する。
(2)金融機関の貸し渋り対策として、国民金融公庫などの政府系金融機関に新たな融資制度を創設し、そのために25兆円の資金量を用意する。

 これらは先般来から報道されていた通りであるが、総額で55兆円の資金大動員である。ちなみにドル換算すると約4,100億ドルに達する。これは日本の年間輸出総額に迫る額である。

 さて、問題はここからである。首相演説の内容において、阪神・淡路大震災復興のことについては全く一言も触れていない。もう中央の政・官界では阪神・淡路大震災のことは「もう過ぎ去ったこと」として完全に忘れ去られたのだろうか? 

 かねて地元の自治体からは、震災で大きな被害を被った人を国が救済するよう要望しているが、国は「個人の財産補償は国として出来ない」の一点張りであった。しかし、考えて欲しい。上記の(1)では、もし、金融機関がパンクしても預金は全額保護すると言っている。勿論これは非常に結構なことである。が、それは突き詰めれば個人補償につながるのではないか? ならば震災被害者への救済と差別化するという矛盾が生じるのではないか。いや、決定的な差別であり、納得出来るものではない。

 現在、政府案として「被災者自立支援事業構想案」なるものが検討され、今国会において審議される予定であるが、これは阪神・淡路大震災には遡及されないことになっている。しかし、市民の側から提案した支援法案に盛られている精神のように、災害などで市民が危機に陥ったとき、スタートラインに戻すのは国の責務である。

 国民が外敵から生命を脅かされたときには当然のことながら国は国民を守り、また、国民は国に義務(納税など)を果たすのが本来の国家・国民のあり方だと思う。この観点からすれば、災害で大きな被害を被った市民が居れば、これを救済するのが国家として当然である。国民を守れずして国民に義務のみを求めることは出来ない。

 首相は1月17日の震災犠牲者追悼式に参列するために神戸に来るそうだが、この際、98年度予算審議に入る前に閣僚も野党の頭領も首をそろえて被災地の状況を見に来ればいい。そのときは街並みだけを見ても駄目だ。市民と直接対話してその実情をよく掴んで欲しい。そして今からでも予算案を変更しても遅くはない筈だ。

 次に(2)であるが、貸し渋りは、昨年来からの世間一般の金融機関バッシングに対する金融機関の逆襲である。表面上は自己資本を充実させるためと言ってはいるが、では、現在の財務内容を公表せよと言っても公表しない。それだけではなく、「政府の指導が厳しいから」と言って政府に下駄を預けている。それに対し政府も政府である。金融機関が保有する土地の評価を取得価額でなく、時価評価し、その結果生じる簿価と時価との差額、すなわち土地の含み益のの45%を自己資本に組み入れるという制度を導入するという。もうまるで泥縄式もいいところ。経済の血液とも言える資金を、必要な企業に供給するのが金融機関の使命の筈。その使命を忘れて政府や世間に意趣返しをしようという魂胆を持つとはもってのほか。そのような金融機関こそ大蔵省の大ナタで、預金払い戻し業務を除いて営業停止にしてもらいたい。そういう姿勢を見せればカネはザクザクと出てくる筈である。

 なお、本日のこの文面の主旨は首相官邸にメール送信した。


(98/01/10) 上を向いて歩こう

 今日は十日戎。「えべっさん」のふくよかな顔を見ているとなぜかホッとする。昨年来の暗い世の中で自分の気持ちも塞がってしまったせいか、せめて「えべっさん」の笑顔にやすらぎを求めているようだ。

 しかし、新年早々あまり暗いことは考えたくない。だいたいテレビや新聞を初めとしてメデイアはあまりにも景気悲観論を声高に言い過ぎではないか。景気というのはムードで決まるようなもの。それを駄目だ駄目だと言っていたら国民全体の気持ちが滅入ってしまって本当にダメになってしまい、いつまで経っても世の中が活性化しない。

 丁度1年前の昨年元旦の日本経済新聞の第一面を見たときには、日本国中正月早々お屠蘇気分も醒めてしまったのではないだろうか。そこには「日本が消える」「東京には死相漂う」という不吉な見出しが踊っていた。その後、日経は「2020年からの警鐘」という題のもと、21世紀の日本の破局を回避するためにという企画で、破局、衰退、没落と暗い言葉を並べ立てて、「超悲観論」を展開した。その論調は日経新聞自らが唱える改革路線を実行しなければ日本は沈没してしまうだろうと恫喝しているようなものだった。

 この企画は当然、日本を破局から救うことを目的としたものであろうが、自分は読めば読むほど気が滅入っていくのを覚えずにはいられなかった。このような悲観論は仮にそれが建設的な考えであっても、あまりひつこく叫びすぎると、その意図に反してそれ自体が世の中を破局に導いてしまい兼ねない何か怪しげな毒のようなものを持ってはいないか? ムードとはそういうものである。そう思ったときからこの連載ものを読むのをやめた。

 昨年は金融、証券の数社で不幸なことが起こった。某識者によれば「日本は札束を動かして稼ぐことはあまり得意ではない。ユダヤ人や華僑、インド人にはかなわない」と、言っていたが、どうもそのようだ。

 その代わり、日本はモノ作りでは世界でもトップではないだろうか。96年の日本のGDP(国内総生産)は 500兆円。この巨大な経済の原点は技術だと断定しても差し支えはないだろう。これは世界第2位で、EUの中心的存在であるドイツ、フランス、イギリスの3カ国合計よりも大きい。然るに日本の発電総量はそれら3カ国合計の発電総量を遙かに下回っている。これだけを見ても我が国の生産効率も高いのがわかる。

 一人あたりGNP(国民総生産)は世界第3位。ちなみに1位はスイス、2位はルクセンブルグであるが、これは人口が少ないために生じる統計の綾のようなもの。実質的には先進国の中では日本がトップである。我々日本人はもっと自信を持つべきだろう。

 日本には世界一の産業が沢山ある。粗鋼、銑鉄、船舶、工作機械など、そのほか挙げると枚挙にいとまがない。産業用ロボット設置台数に至ってはぶっちぎりのトップである。そのほか、半導体シリコンは日本の2社だけで世界の7割を生産、半導体を包むパッケージ用エポキシ樹脂は日本の1社でこれも7割、マイクロプロセッサーのパッケージ用セラミックスは日本の2社で世界の100%をカバーしている。現在、世界のMPUの8割のシェアを占め、今をときめくインテルを初めとする米国の情報産業も、日本からのこれらの部品と技術を導入しなくては成り立たない。

 日本の96年の研究開発投資はGDPの2.9%、約15兆円で米国に迫っており、日本の特許取得件数はこれまた世界の中でダントツである。米国で成立した96年の特許件数上位10社のうち、日本企業はなんと8社もある

 日本は独創的な技術が無く、外国から技術を導入してそれを改良するのが上手いと言われて久しい。確かにかつてはその傾向があった。そのために従来は日本の技術収支は赤字であった。ところが、96年には対米ではまだ若干赤字ではあるが、対全世界ではとうとう1.4倍の受け取り超過に転じたのである。今や日本は独創的な技術開発でも決してひけをとっていない。この辺が他のアジア諸国と決定的に違うところ。

 随分前から経済の空洞化が叫ばれているが、現在の日本の失業率は3.5%。先進国中では最も低い。片や経済が絶好調と言われている米国は4.5%。フランス、ドイツ、イタリアに至っては2桁である。一時的に空洞が生じても日本人の智恵と努力でその空洞を埋めているではないか。

 今年も金融・証券のビッグバンや不良債権問題で騒がしいことだろうが、モノ作りの技術と生産効率に励めば決して悲観的になる必要はない。とにかく世界は日本の製品と技術を必要としているのだから、もっと自信を持って上を向いて歩こう。

 こう考えてくるとちょっと目の前が明るくなってきた。とにかくあまり暗いことは考えないようにしよう。メシがまずくなる。


(97/12/29) 金は出しても口は出せぬ?

 つい先日、国連総会で1998年〜2000年の加盟国の予算分担率を決めたが、日本の分担率が97年の15.65%から徐々に増えていき、2000年には20.57%になることが確定した。

 これはアメリカを除く安保理常任理事国のフランス、イギリス、中国、ロシアの2000年の合計13.70%を遙かに上回るもの。この4カ国全体では、逆に97年の16.75%から3%強も分担率が減少している。

 この分担率なるもの、「能力に応じた支払い」を基本に過去6年間(90〜95年)の国民総生産(GNP)の世界比率の平均を基本にし、途上国割引、最低額負担、激変緩和措置などを考慮して決められるそうだ。この結果、分担率の割引を受ける国は加盟国185カ国のうち、140カ国にものぼり、その分、GNPの大きい国に負担を上乗せされている。

 これにより、日本は、世界のGNP比率だと17.287%にもかかわらず、さらに負担を上乗せされ、国力以上に上乗せされた負担を強いられている。しかるにアメリカはGNP比率26.56%であるにもかかわらず、最高額負担国として25%に据え置かれている。しかもアメリカは13億ドルにものぼる滞納金がある。

 しかし、考えてみればこんな理不尽なことはない。同じ国連加盟国であっても、安保理常任理事国とそうでない国とは、発言力において大きな差がある。常任理事国が国連運営に強大な権限を有しながら、予算の分担率が減少しているのは公正なものとは言えない。下の表のように中国やロシアのように1%前後の分担率で常任国として発言力を有する国と、日本のように非常任理事国で大して発言力がないにもかかわらず20%にも達する高負担は、バブル時期のデータが反映されたとは言え、どう見てもアンバランスであり、公平とは言えない。 

 そもそも常任理事国が他の開発途上国並の割引を受けること自体が納得しがたい。半世紀以上前の国連創設時の経緯はあるだろうが、こんな不合理なことは日本としてももっと声を大にして改革をはかるべきではないだろうか?

 しかし、日本としても弱味がある。世界のどこかに紛争があっても軍隊を派遣できないことだ。「日本には憲法上の制約があるから派遣できない」なんてことがいつまで通用するだろうか? 「それならカネだけでも沢山出せ」 と言われたら・・・・我々も、もうそろそろこの辺のところを考えなければならないのでは?

主要国の国連予算負担率 (こんなアホな!)

      1997年 2000年
米国 常任理事国 25.00 25.000
日本    15.65 20.573
ドイツ       9.06 9.857
フランス 常任理事国 6.45 6.545
イギリス 5.32 5.092
中国 0.74 0.995
ロシア 4.27 1.077

(97/12/25) 日本の責任とは

 韓国経済が深刻な状況に陥っている。対外債務が2,000億ドル、そのうち短期債務が1,300億ドルにも達するそうだ。これに対し、手持ちの外貨保有高は正確にはわからないが、数百億ドル程度といわれている。これでは子供が見てもやりくりできないのは明らか。世上では年明け早々にも重大局面を迎えるようになると予想されている。同国に多額の債権をもつ我が国も気になるところ。

 次期大統領の金大中氏は「韓国が倒産するのが明日になるのか、明後日になるのか分からない。金融市場についての説明を聞いて全く仰天した」と発言しているところを見ると、相当厳しい状況であることには違いない。しかし、この発言で昨日(12/23)の外国為替市場で韓国ウオンが暴落した。政治家として随分率直というか軽率というか、とにかく日本の慎重な政治家とは対照的だ。

 ついこの間までは「韓国は今や世界第12位の先進国となった」と胸を張っていた。第12位で先進工業国といえるのかどうか甚だ疑問であるが、とにかく現在はその勢いもない。小生などは韓国よりも台湾の方が遙かに経済的に安定しており、来るべき先進工業国候補としての資質を持っていると思う。1985年から1995年の10年間において常に韓国の貿易収支は巨額の赤字を出し、93年から95年の3年間だけでも180億ドルの赤字で、これでは保有外貨が貯まるはずがない。片や台湾はその3年間では逆に240億ドルの黒字で、今や外貨保有高では日本に次いで世界第2位である。(ちなみにアメリカは第4位)

 この韓国の危機に際して日本は既に相当額の緊急融資をしているが、更に追加融資に踏み切らない日本への失望感が次第に高まっているばかりか、林昌烈副首相などは「患者(韓国)が死んだ後に処方箋を与えても仕方がない」と、日本の態度を皮肉っているようだ。まるで日本が韓国を助けるのは当然と言わんばかり。

 また高麗大学韓国金融研究院長などは「金融危機に直面したアジア諸国は経済成長の過程で日本の成長歴史をモデルとして踏襲してきた。日本には金融危機を招いた経済モデルとしての責任がある」と主張している。とんでもない言いがかりだ。我が国はアジア諸国に技術援助や巨額の経済援助はしてきたが、一度だって日本の経済モデルを真似ろと言ったことはない筈。アジアの金融危機解消のために日本のリーダーシップが不可欠だというならわかるが、責任をとれとは甘えもいいところ。

 日本は明治以来、欧米の先進国を見習って近代化を進め、現在は先進工業国の一員となることが出来た。しかし、その反面、公害の発生、日本文化の廃退、精神的荒廃など、社会的なゆがみが生じるようになった。しかし、欧米諸国に「その責任をとれ」と言ったことがあるだろうか?

 どうもこの国は自国の苦境を他国のせい、とりわけ日本のせいにする傾向が強い。かつて日本がこの国を支配したから助けるのが当然ということなのだろうが、いつまでこのようなことを言っているのだろうか。その国の問題はあくまでその国の責任で解決するという気概がどうも見えてこない。

 そのような中で、先日の大統領選挙に際して金大中氏と手を握った、朴政権時代の首相、金鐘秘氏が「歴史認識問題では他国に一致を要求するというのはおかしい。歴史の解釈はお互い自由である」と発言しているのが注目される。今までの同国の首脳クラスでは考えられない柔軟な発言だ。とにかく今までは一方的に「韓国の歴史認識に合わせろ」と言うのが彼らの口癖だったのだから。同氏の発言が本音かどうかわからないが、このへんから両国民の精神的な融和が少しでも図れるようならいいことである。


(97/12/12) 新聞は孤高の存在か?

 このところ、新聞のことばかり気になるが、これも触れずにおかれない。
 
 規制緩和の一環として、3年越しの新聞等の再販見直し論議はいよいよ大詰めを迎えることとなった。行政改革委員会規制緩和小委員会が、現在、独占禁止法の適用除外を受けている新聞など著作物の再販売価格維持制度(再販)について全面見直し作業を続けていたが、その小委員会が今月8日、最終報告をまとめた。その結果、「維持すべき相当の理由があるとする十分な論拠を見いだせなかった」として再販制度廃止の方向を打ち出したうえで、「さらに国民的論議を深める」よう求めている。

 再販売価格維持制度とは、メーカーが定価を決めて、小売業者までその定価(販売価格)を守らせることの出来る制度で、独禁法では、再販は価格競争を減少させ、消費者利益を阻害するとして原則禁止している。しかし、新聞などの著作物は、独禁法が1958年に改正された際、ドイツの「著作物は知識と思想の伝達の原形的メデイアであって、最も多様な教育手段である」という考え方が採られて、独禁法の適用から除外されていたもの。

 ところが、小委員会の最終報告が出て以来、各新聞社から連日、「再販制度廃止大反対!」の大キャンペーンが繰り広げられている。しかも、作家、文芸評論家、大学教授などを動員しての大合唱である。それにしてもこんなに新聞界の御用識者が多いとは!

 彼らの反対理由は概ね次の通り。

(1)新聞は報道・評論の自由と国民の知る権利にかかわり、民主主義を担う社会の公器であり、再販がなくなると、値下げ競争が激化して新聞社の倒産を招く。

(2)すべてを市場にゆだね、競争社会に投げ出すべきであるという考えからは、およそ文化政策など出てこない。価格競争になじまない文化的環境をも維持できるのが、健全な社会である。

(3)再販制度が廃止されると、戸別配達システムが競争原理によって乱れ、ことに過疎地に新聞が届かなくなるおそれがある。

(4)弱小販売店の淘汰で、新聞の過度な寡占状態が進み、多彩なニュース、多様な評論サービスが阻害される。

(5)新聞は文化性の高いもので、ラーメン、ちり紙、シャンプーなどとは違う。

 いやいや恐れ入るばかり。よくまあこれだけ手前勝手なご託を並べられたものである。尤も理屈をこねくり回すのは彼らの得意とするところだから、これくらいは朝飯前でしょうな。しかし、このうち、ひとつとして私たちを納得させるものがあるでしょうか? 以下、各項目順に考えてみたい。

(1)自由競争の社会では、経営効率の如何で倒産が起こるのはやむを得ない現象だ。新聞社といえども競争社会における企業である筈。それを「報道の自由と国民の知る権利」を盾に自分たちの業界だけはぬくぬくと生きていこうというのは、それこそ紙の牙に守られた護送船団方式ではないか。我々の「知る権利」をそこまで担保してほしくない。

(2)これなどは新聞は著作物であるという論拠からくるものだろうが、では、再販制度を維持すれば文化政策が確立され、文化的環境が維持できるのだろうか? そのような政策や環境を確立させるのは、もっと別のところにあるのではないか。事実、文化的価値の高い絵画や彫刻などが需給関係で自由な価格で流通しているではないか。それにコンピューター・ソフトだって著作物であるにもかかわらず、販売店ごとに自由な価格で店頭に並んでいるではないか。

(3)「戸別配達システムが競争原理によって乱れる」という理由は全く理解できない。なぜそのようなおそれがあるのかという説明がどの新聞を見ても全くされていない。明確に説明できないため、歪んだ幻想を大写しにして読者に言っているとしか思えない。それに、「新聞は読者のためにわざわざ戸別配達してやっているのだ」と、言わんばかりだが、冗談ではない、戸別配達は新聞社の営業的な都合でやっていることではないか。なぜなら、戸別配達をしなければ、新聞の販売量は現在に比べれば極端に落ち込み、新聞社の経営そのものが成り立たないであろう。また、販売店にしても、折り込み広告の収入がなくなれば経営基盤が揺らぐことになる。いくら自由競争になっても新聞の戸別配達は新聞社も販売店もやめられる筈がない。

(4)販売店の競争は、これも自由競争であれば当然のことである。「多彩なニュース、多様な評論サービスが阻害される」と言う前に、では、他の業界ではどのような熾烈な競争をしているか見てみるがいい。価格破壊とも言われている業界ですら、さらに高い品質・サービスに向かって邁進し、消費者に貢献しているではないか。殿様商売にもいい加減目覚めたらどうか。

(5)これはもう暴言としか言いようがない。ラーメン、ちり紙、シャンプー業界の関係者が聞いたらどう思うかを考えてものを言っているのだろうか? それも活字で。ラーメンは食文化を、ちり紙・シャンプーは生活文化を、それぞれ立派なものを持っているではないか。新聞だけが文化性の高いものというのは思い上がりもいいところ。名指しをされた業界は怒髪天を突くぐらい怒るべできだ。

ああ疲れた。なぜ私がこんなにカッカしなければならないのだろう? そうだ、私が言いたいのはこれからだ。

 どうもこの業界は「おててつないで仲良く行こう」方式でガッチリとスクラムを組んでいるとしか思えない。新聞によって月極購読料は若干の差があるとしても、しっかりと再販価格を維持しているというのは一種の業界談合ではないか? 他の業界のことはあげつらうが、自分たちのことになると頬被りか。

 新聞は再販見直しについて反対論者ばかりの談話記事を載せているが、必ず賛成論者も居るはずだ。しかし、そのような議論は一切掲載していない。これで公正な新聞記事といえるのか。これ一つをとってみても新聞が「民主主義を担う社会の公器」なんてよく言えたものだ。自分たちの権益を守るためであれば何でもありか?

 彼ら業界のモラルも如何なものか。私の友人は引っ越した先で、その翌日に近くの新聞販売店から半ば押し売りともいえる強引な勧誘をされ、脅威すら感じた友人の夫人はやむなく購読に至ったと言っていたが、このような話はいくらでも聞くことが出来る。これは今に始まったことではないが一向に改まらないのは新聞業界の反社会的汚点というべきであろう。

 新聞社は「新聞は文化である」と高邁なことを言っているが、私たちは新聞といえども単に商品として買っているという認識である。最近は休刊日というのがやたらと多くなったような気がする。では、その分だけ購読料が安くなるのかと言えばそうではない。これも他の商品では考えられないこと。一定の代金だけ取っておきながら、供給する商品はどんどん少なくする。実質的な値上げである。これほど簡単にコストを消費者に転嫁する業界は他に見あたらない

 第一、新聞は再販見直しに異を唱える前にもっと内容で勝負すべきだ。スクープを焦るあまりの誤報や良識を欠いた記事のために、どれほど多くの個人や企業が社会的に虐殺されたことか。また、一部新聞による偏向報道により、多くの国益を失わせ、国民に自信を喪失させ、無垢の青少年に誤った歴史認識を植え付けた罪は重い。ときには「これが日本の新聞か?」と目を疑うような記事に遭遇すると情けなく、悲しい。 

公正取引委員会も、再販問題を検討する「政府規制等と競争政策に関する研究会」で答申のとりまとめに入った。また、政府は来年3月までに、行革委や公取委の意見を踏まえて再販見直しを巡る3年越しの議論に結論を出すことにしている。大いに頑張ってこのような聖域は叩きつぶしてもらいたい


(97/12/08) 新聞社自ら言論弾圧?

 朝日新聞は本年6月24日付朝刊のコラム「天声人語」で、岐阜県御嵩町の産業廃棄物処理施設建設計画をめぐる岐阜県の姿勢を批判したところ、同県側はこれに反発し、それまで庁舎や出先機関で購読していた朝日新聞を大幅に削減し、7月から210部の購読をやめていたそうである。

 これに対し、朝日新聞は岐阜県に対して抗議し、購読部数を元に戻すべく強力に働きかけていたが、10月中旬に朝日新聞側から岐阜県に話し合いの申し入れがあり、その結果、県は「不本意ではあるが、事態を打開するため部数を元に戻す」として12月から削減前とほぼ同じ部数に回復させた。いわば岐阜県が朝日新聞に屈したというところであろうか。

 大手新聞から不当な批判をされたからと言って、対抗処置としてその新聞の購読をやめると言うことは如何なものであろうか。如何に納得できない批判であっても、県の職員にそのような反対意見が届かなくなるのではないか。地方自治体が行う事業には必ずと言っていいほど360度の方角から利害関係者の議論や意見が出てくるが、耳あたりのいい情報だけを採り入れて事業を決定するということは第一、民主的ではないし独善的と言われても仕方がないであろう。

 一方、大量部数の購読中止に至ったとはいえ、販売部数の回復のために、マスコミという武器を使って圧力をかけるということは、朝日新聞ほどの報道機関がとるべきに方策だろうか? そこには、報道機関自らによる一種の言論弾圧という極めて大きな矛盾が含まれているのではないか。 岐阜県が「不本意ではあるが、事態を打開するため部数を元に戻す」としたからには、岐阜県と朝日新聞の間で相当な軋轢があったことであろう。普段は正義の味方のような論調を展開している新聞社といえども、こと営業面で不利なことが生じればなりふり構わずというところか。それも「言論の自由」をおもてに立てて。

 それに「天声人語」という標題。自分は子供のときから疑問に思っていたが、どうも「朝日新聞の言うことは天の声であり、それを人間の言葉で伝えているのだ」と、言っているような気がしてならない。そうであれば、思い上がりも甚だしいが、案外、朝日の本質を現しているのではないか。


(97/11/29) パール博士に思うこと

 先日、新聞に次のような記事が出ていた。

 『極東軍事裁判(東京裁判)の判事で、ただ一人、全被告の無罪を主張したインドのラダビノード・パール博士の顕彰碑が完成し、11月20日、京都市東山区の京都霊山護国神社の境内で除幕式が行われた。 財界人や学者、荒巻禎一・京都府知事、桝本頼兼・京都市長らでつくる「パール博士顕彰碑建立委員会」(委員長、瀬島龍三・伊藤忠商事特別顧問)が計画していたもので、全国からの募金で、高さ2.4メートル、幅1.2メートルの大理石製の碑と、業績などが刻まれた長さ7.6メートル扇形の壁面からなる顕彰碑が建立されたもの。
 除幕式には、インドからパール博士の長男、プロサント・K・パール夫妻をはじめ、約200人が出席し、瀬島委員長が「世界の真の平和やアジアとの友好、日本が歴史や文化に誇りをもつことを教えたパール博士の偉功を後世に伝えいきたい」と挨拶した。プロサント・K・パール氏は「京都の景色の美しさに魅了され、平和を愛した父が、日本から得た尊敬と名誉に心から感謝します」と述べた。』

 記事は大略上記の通りであった。

 東京裁判では、A級戦犯28名の被告(うち松岡洋右と長野修身は裁判中に死亡、大川周明は免訴)のうち、東条英機ら7人が絞首刑に、木戸幸一ら16人が修身禁固刑という判決が昭和23年11月12日に下され、同月23日に7人は処刑された。

 パール博士は東京裁判における11人の判事の中でただ一人の国際法の専門家で、彼は国際法を蹂躙して東京裁判を強行した連合国を批判し、法の権威と人類の正義と真の世界平和を守るために、英文25万字にのぼる意見書を提出したが、この意見書の中で、
 (1)東京裁判が事後法であり、戦争における個人の責任は否定される。
 (2)「侵略戦争」の定義を承認することは困難である。
 (3)1928年以来の日本の侵略行為が、共同謀議であることは立証されていない。
と、論じ、敢然と日本の全被告の無罪を訴えた。

 東京裁判は昭和21年(1946年)に連合国軍最高司令官だった米国のダグラス・マッカーサーの指令によって、或る意図をもって作られた「裁判所条例」に基づいて始められたが、この条例はすでに確立していた国際法に基づいたものはなく、「勝者による敗者への裁き」として、日本の戦時指導者たちを「平和に対する罪」などを定め、過去に遡って裁いたの。これは当時といえども近代国家では禁じられていることであった。パール博士はこれらのほかに、裁判の目的が復讐心の満足と勝利者の権力の誇示にあること、などを挙げ、裁判の不当性を指摘し、全被告の無罪を主張したものであった。

 この東京裁判の中で突如現れた「南京大虐殺」などは、それを証明する公式資料が何一つないことと、実際は蒋介石軍の遺棄死体だったという有力な説もあり、主席検事キーナンの主張は相当な無理があった。その後、中国は虐殺された人数は30万人と主張し出したが、当時の南京の人口は20万人。どうしてこのような数字が出てくるのだろう。

 では、戦争末期の東京大空襲、阪神大空襲、広島・長崎への原爆投下などは一体何だっただろう? それは日本の軍事施設の破壊というよりも一般市民を殺戮することにより、日本の戦意を削ぐことと、人種差別意識からくる原爆の実地実験であった。多くの市民はその犠牲になったもの。いわば東京大虐殺・阪神大虐殺・広島大虐殺・長崎大虐殺だったのではないか?

 現在、アジア諸国だけでなく、我々も未だに明治以後の日本の歴史を一方的な「侵略戦争」と断罪する「東京裁判史観」にとらわれているのではないだろうか。そこには日本とアジア諸国を取り巻く欧米列強国の植民地政策を含む大きなうねりがあり、その中で日本が止むにやまれずとった行動もあったことをもっと自信を持って声を大にする必要があると思う。


(97/11/25) 山一だけか?

 これはもう何も言うことはない。損失補填や「飛ばし」で山一証券が自ら掘った墓穴。しかし、関与していない社員と山一の株主は気の毒というほかない。責任者は世が世であればお家断絶、身は切腹ものだろう。

 我が国は、一流企業でもデイスクロジャひとつ碌々出来ないのだから、まだまだ稚拙な資本主義社会と言わざるを得ない。海外の投資家から見捨てられるのも無理はない。日本の投資家も自分が投資している会社をもっと眉唾物でみたほうがいい。貸借対照表の如何に嘘の多いことか。

 今日(11/25)だけで日銀の特別融資が8,000億円も実行されたそうだ。「飛ばし」のような簿外債務なんて、山一だけとはとても考えられない。あっちからも、こっちからもボロボロ出てくるだろう。もし、そうなれば「金融システムを維持するため」という理由で青天井に融資するのであろうか? なにせ無担保無制限であるから、考えるだけでも背筋が寒くなる。 山一証券の場合、簿外債務があと2,000億円も出てくれば債務超過になり、そうなれば特融は回収不能になる。 我が家にも誰か無担保無制限で融資してくれないかなあ。

 日銀特融に加えて、大蔵大臣は「公的資金の導入もあり得る」と、言ってたが、いよいよ来たっ という感じ。またまた私たちの税金の出動だ。一昨日の日曜日のテレビ番組で某識者は「各企業の含み損を一度全部消却して、日本のお葬式を出さなければ駄目だ」てなことを言ってたが、その葬式費用は最大に見積もった場合、80兆円! そのときはまたまた公的資金にお呼び出しがかかるのだろうな。国民一人あたり70万円。ああ、熱が出てきた。あまり長生きしない方がいいみたい。

 しかし、ちょっと考えてみたい。如何に「日本の金融システムを混乱させないため」という大義名分があろうと、その都度、公的資金を出動させるのは果たして最善の方法であろうか? 銀行でも証券会社でも倒産したときに困るのは、それらの金融機関と取引(預金も含む)している個人や企業である。それら特定の人を救うために、そのたびに国民の税金を使うのは如何なものか。例えば、個人が銀行に預金すれば、それは一つの銀行との取引である。取引である限り、預金者もその銀行に預けたという責任がある筈だ。株主が株価が下がって損を被っても責任は自分にあるのと同じ。それを公的資金を投じて救済するということは政府公認の損失補填ではないか。

 これからは、自分の財産を預けるときは単に大手銀行だから、一流証券会社だから、大丈夫だろうという安易な気持ちでなく、万一の場合の覚悟も必要になるだろう。

 こけた拓銀といえども都市銀行の一角、山一も四大証券のひとつ、それらがこうも簡単にポシャるのであれば、もう一流金融機関でも信用できない風潮ができつつある。そうなればタンス預金か。カミさんが「おとうちゃん、金庫をひとつ・・・」と、言い出した。そうだ、金庫メーカーの株でも買うか。(そんなカネあるわけない)


(97/11/24) これでいいのだろうか?

 中央省庁再編問題は防衛庁の省への昇格と大蔵省の財政・金融部門の分離問題を除き、決着したが、橋本首相主導でまとめた行政改革会議の中間報告に対する族議員の抵抗は激烈を極めたようだ。なかでも最も抵抗したのが自民党の郵政族。中間報告は郵政三事業の一部民営化案を出していたが、「三事業一体で国営維持」を求める郵政省、全国特定郵便局長会、全逓などに尻を叩かれた郵政族が必死に抵抗し、5年後に独立採算を基本とする「郵政公社」への移行こそ決まったものの、民営化は検討しないことが明記された。まさに総論賛成各論反対のエゴ剥き出しのゴリ押しが通ったという一幕であろうか。

「郵政公社」に移行しても、職員の身分は国家公務員のまんま。これじゃあ独立採算性をとったところで、何ら変わらないのは今から見えている。公社であればいくら赤字を垂れ流しても倒産はないのだから、危機感のないところに改善はありっこない。JRだって民営化したから改善されたのであって、もし、公社形態であれば今頃は雪だるま式大赤字の巨塔ができているだろう。

 郵政の事業を民間に移行するのがいいのかどうかは国民の間にも賛否両論あるが、一つでも聖域を設けると他の部門の行革なんて出来ない。そのほうが重要ではなかろうか?

 彼らの動きを見ているとまるで維新直前の徳川幕府か、ポツダム宣言受諾時に国体護持にこだわった当時の日本政府を彷彿とさせる。彼らは行革なんて頭からないようだ。自分たちの体制や身分を維持するためならば、税金のムダ使いなんてどうでもいいのだろう。まして普段は一般民衆の味方のようなことを言っている労組までもが呉越同舟であるから情けない。このような抵抗は郵政族だけではない。他の省庁でもおしなべて皆同じだ。最近は彼らを見ると「・・族」というよりも「・・賊」に見えて仕方がない。

 さあ、それにしても橋本首相が郵政三事業の民営化を断念するようなら、大臣を辞めると言った小泉厚生大臣はどうするのだろう? 橋本さんは泣いて馬謖を斬るのか?

 もう一つ不思議なことがある。防衛庁を「省」に昇格させることについて社民党などが「アジア諸国から軍事大国化と誤解される」という理由で反対しているために橋本首相も逡巡しているようだが変な話だ。自分の国の省庁の名前を決めるのに何の遠慮が要るというのか。そのような誤解を生むというのであれば誠意を尽くして、それらの国々に理解を求めればいいではないか。それが外交であり、政治家の使命ではないか。

 それに、今の憲法第9条と防衛庁の存在との関連であるが、解釈のやりくりでここまで持ってきているが、それももうそろそろ限界ではないだろうか。ここらあたりで国民全体でじっくり考えてみる必要があるのでは? 先日も、かつてのGHQで憲法草案を練った米国人が日本で講演したときに、「あの憲法はマッカーサーに僅か10日間で作らされたものだが、日本が独立すれば当然国民が改正するだろうと思っていた。まさか今まで半世紀にわたって何ら改訂なしにそのまま生きているとは思わなかった」と述懐していたが、内心は「日本人はバカじゃなかろうか」と思っていただろう。

 これからの我が国の周囲は非常に厳しい状況になることは必定。その中にあって国際関係は残念ではあるが、やはり力が必要であろう。勿論、軍事大国になる必要はないが、北方領土にしろ、竹島にしろ、尖閣諸島にしろ、丸腰では外交交渉すらまともに出来ていないではないか。我々はこれでいいのだろうか? 平和ボケ日本でいいのだろうか? 「治に居て乱を忘れず」ではないだろうか? 



(97/11/15) 拉致疑惑一歩前進?

 北朝鮮側は与党訪朝団との交渉の席上、「日本人拉致問題はでっちあげだ」と強硬に抵抗していたが、11/13の土壇場になって急遽、「北朝鮮は関係ないが一般行方不明者として調査する」と言い出した。これは実質上、国家として、拉致問題を認めたことになるだろう。 これは前日の自民党中山正暉氏が強く北朝鮮に迫ったのと、日本の食料援助と経済援助が欲しくて、やむなく切り札を出してきたと考えるべきだろう。

 しかし、これをもって拉致問題がすぐに解決すると見るのは早計であろう。 彼らはこのカードをフルに利用して今後の交渉に望んで来るであろうから、日本側も安易に援助に応じるような馬鹿なことはやめたほうがいい。まず、拉致者を全員帰国させること、援助はそれからという鉄則を確率することが必要だ。 

 これを見ても、これらの国と交渉するには従来のような揉み手外交よりも毅然とした態度で接するほうが効果的であることがわかる。大東亜戦争当時の負い目と反省なんて戦後50年以上十分にしたではないか。反省なんてサルでもするが、サルは賢いから50年も反省しない。

 このままでいけば我々の孫子の代までもずっと反省を強いられることになる。大東亜戦争の結果、アジア諸国がロシアを含む欧米列強の植民地から解放されたこと、或いは植民地にされることを防いだことも歴史的に事実である。このことは他国からの内政干渉で唯々諾々と書き直させられた日本の教科書や反日的な日本の新聞(変な言い方だが、実際そのように思えて仕方がない)には書かれていない。そのことを考えても、もうこれ以上我々は自虐的な反省はする必要はない。



(97/11/14)  お人好しな日本政府

 先週、里帰り日本人妻15人が一時帰国し、それぞれの故郷を訪ねていたが、今日はもう北朝鮮に戻って行った。しかし、先週からテレビ等で彼女らの様子を見ていると、小生自身、いまひとつ感動を覚えないのはどうしたことだろう。何か人間としての感情がどうも伝わってこない。本当ならば三十数年ぶりに故郷へ帰ってきたのだから、彼女たち自身もっと身体の奥深くから喜びが涌いてきてもよいように思うのだが・・・確かに嬉しそうな笑顔はしている。しかし、どこかちょっと違うんだなあ。報道陣に対する受け答えも紋切り型で、判で押したような返事しかしない。

  しかし、これは十分に予想されたこと。彼女たちは北朝鮮の取引材料として、ロボットに仕立てられて日本に送り込まれてきたのに過ぎない。その発言たるや、「私たちの将軍様」、「北朝鮮は今でも天国」と、北朝鮮からすれば優等生の言葉しか出てこない。まさに彼女たちは徹底的に教育された優等生なのだろう。万が一にも日本への一時帰国中に亡命されて、国の内情を暴露された日には大変なことになる。そのようなこともなく、全員、日本の地を離れて彼らはホッとしていることだろう。そして、もっと、やれやれと安堵しているのは、ほかならぬ日本政府だろう。なぜなら、亡命問題が起これば、それこそ日朝間に大問題として蜂の巣をつついた状況になって、収拾のつかない状況になるのだから。

 では、何のための里帰りだったのか? よくわからないが、これはセレモニーにしか過ぎないのでは? 北朝鮮は極度の食糧危機に見舞われている。そこで、アメリカも韓国も北朝鮮の核開発に関する戦略上、「人道上」と称して食糧援助をしようとしている。そして、日本にも「いろいろ経緯はあるだろうが、人道上のことだから援助の片棒を担げ」と要求してきている。しかし、日本は「人道上と言うのであれば、日本人拉致問題がある」として同調するのを渋っていた。

 ところが、北朝鮮は日本からは食糧援助だけでなく、資金援助も欲しいため、拉致問題は最後の切り札にとっておいて、とりあえず里帰り日本人妻をチラつかせてきた。弱腰の日本政府はそれに飛びついたのだ。そして食料援助が閣議決定した途端に北朝鮮は里帰り婦人15名の氏名を発表した。どうもこの辺は日本政府と北朝鮮は息が合っているような気がする。

 「人道上援助」と言えば聞こえはいいが、日本人拉致のような「非人道的」なことを平気でやる国に対して善意ぶった顔をしてするべきことであろうか? 勿論、何も知らない北朝鮮の国民には気の毒であるが、その食糧援助はすべて軍に吸い込まれているのだから、何のことはない日本から軍事援助をしているようなものである。

 小生が考えるに、里帰り問題よりも、日本人拉致問題の解決の方が遙かに緊急かつ重要ではないだろうか? なにしろ、日本の主権を侵して日本国内から善良な日本人を忽然と拉致したのであるから。拉致された日本人は日本政府が認定しているだけでも7件10名であるが、このほかに4名が拉致されて北朝鮮に抑留されていることがわかっている。この4名の中には神戸の有本恵子さんのように海外で行方不明となり、その後、北朝鮮に居ることが確認されている人もいる。アメリカやイスラエルのような骨のある国ならば武力に訴えてでも自国の国民を救助するだろう。それを何を血迷ったか食料援助までしてやるとはお人好しにも程がある。これが自分たちの政府のやることかと思うと情けない。

 日本政府には戦略というものがないのだろうか? 食糧援助にしても、もっと有効な切り札に使うとか、朝鮮総聯の本国への資金送金を禁止する(これが最も効果的だと思うが)とか、いくらでもあるはずだ。過去の歴史的経過があるから遠慮しているのかも知れないが、だからと言ってこのような暴挙を許していいわけがない。それはそれで別途交渉して非は非で償うべきだろう。なにしろ、彼らは現在のところ、世界で最も理不尽な国である。そこのところをよくわきまえた上で、甘い小細工のような対策はとるべきではない。 しっかりせい、日本政府!



(97/11/3) JRは民営化されていない

 このところ、JRに対していささか頭に来ている。

1.エレベータ設置に関するJRの考え方

 最近は駅や役所などの公共施設・建物には身障者に配慮して短い階段のところにはスロープを、長い階段のあるところにはエレベーターを設けるところが多くなってきたが、ハンデイキャップのある人たちも健常者と同じ生活や行動、楽しみ方があるのは至極当然なことだから、非常に喜ばしいことだと思う。特に官公庁やショッピング・センターなどではその傾向が強く、このことについては社会的に大きく評価すべきだろうな。ところが、残念なことにJRは障害者のJR利用に対してはまことに冷淡。

JR芦屋駅は古い駅で、まだ高架になっていないため、市街地の中心を東西に貫くJRの線路により市の南北方面への交通が寸断されている。駅の部分は跨線橋のようになって、改札口に入るにはビルの3階くらいの高さまで階段を登っていくことになっている。この橋上駅は27年前に市が3分の2,当時の国鉄が3分の1を負担して建設したもの。(市が3分の2も負担しているとは知らなかったなあ)

 駅の北側には駅前の再開発により一応整備されており、デパートやバスターミナルがあって人通りが多いため、エレベーターが1基だけある。しかし、これとて商業施設モンテメールの設備であってJRが設置したものではない。一方、南側は階段しかない。そこで市は「障害者にやさしい街づくり」を目指し、88年にエレベーター設置要望書をJRに提出した。ところが、JR西日本は「改札内であれば設置費用の分担に応じるが、問題の設置箇所は改札外だから費用は一銭も負担しない」として費用分担を拒否した。

 そこで市は「通行の大半は駅の利用者」として、改札内並みに、資金の一部を市が補助する形を提案していたが、JRの態度は非常に頑なで「ゼニは出さん」の一点張り。 
 市としても阪神大震災による財政圧迫も背景にあったが、或る団体から設置費用として3000万円の寄付の申し出があり、また、障害者対策のための基金からも4150万円を取り崩して費用を捻出することで市が譲歩することになったそうだ。

 しかし、私の目から見ても、階段を登り下りする人たちは大半どころか殆どがJR利用者。にもかかわらず、JRは負担ゼロ! どうも腑に落ちんなあ。いかにも「お前らはJRに乗せてやっている。階段を登るのがつらいのなら、自分たちの税金でエレベータを造れ」と言わんばかり。

2.JRの新ビル建設計画

 JR芦屋駅北側のJR所有の空地で新ビルの建設計画があり、JR関連の工事担当者が連日のように市の開発指導課を訪れては、早く確認申請を下ろすよう働きかけていたが、その中で「協力できんのなら、新快速の芦屋駅停車も考え直さんといけませんなあ」という発言もあったという。

 それが非公式な発言であったにしろ、そういう恫喝じみた発言をすること自体、JRの体質を露骨に見せられた思いがする。言うなれば、たかが田舎の弱小自治体が国(今は民間企業の筈)の申請を認可するのに何をモタモタしているのかと言いたいのだろう。

 そこで私は或る市会議員に次のように提案してやりました。 「では、言ってやりましょうよ。「JRが芦屋市内を通ることを考え直しましょうか」と。芦屋市には大阪や神戸に出るには阪神電鉄もあり、阪急もありますし、JRが芦屋を通らなくても大して困りはしません。なんなら線路をはがすくらいのお手伝いはしますよ。」と。

 ああ、こんなことを考えていると頭がカッカしてきた。これで脳の血管が切れれば、その夜のうちにJRに化けて出てやる。要するに、JRの連中の頭の中は旧日本国有鉄道のまんま。脳味噌は何一つ民営化なんてされてない。


(97/10/28) 世の中大変だな

  このところ、香港に始まってニューヨーク、東京、ロンドンと世界的に株が暴落しているようだ。あのマイクロソフト社のビル・ゲイツなどは一瞬にして18億ドルも損をしたと言うか資産が目減りしたそうな。18億ドルというと約2,100億円か。さすがに世界一の大金持ち。損をするときもスケールが違う。

 まあ我々庶民の感覚からすれば1兆円を超すような資産家が少々損をしても同情をする気にはならないが、世の中にはこれで真っ青になっているお方も多いのだろうな。幸い小生なんぞは、株で損をした親父の「株には手を出すな」という遺言(半分ボヤキ)を守って1株も持っていないので被害はない。(実は株を買うカネがない)

 小生から見て、東京はともかく、香港もニューヨークもバブルだよ。いくら香港が中国返還フィーバーだとか、アメリカの経済が好調だとか言ったところで企業の実態以上に株価が上がっていくのは不自然のはず。いつかは今回のような下落というか調整があるのは当たり前ではなかろうかな。ただ、その調整巾がちょっと大きかっただけ。どうして日本の苦い経験を見習わなかったのだろう? 

 株価というものは常に上下するのが自然。それを上がる、上がるだけを期待して、またそのように持ってきたのは誰? 証券会社? 機関投資家? 相場師?(今でもそんなの居るのかな?) それらに踊らされた企業や個人投資家こそいい面の皮。ああ、貧乏人がこんなに気楽なものだとは思わなかった。 



(97/10/27) ソフト・メーカーの姿勢について

 早いもので今年も来月になると年賀状の発売が始まるなあ。3年ほど前から年賀状や暑中見舞いには「○まめ」というソフトを使ってるのだが、他の人は何を使ってるのだろう。

 しかし、先日はひどい目に逢った。「○まめ」のバージョンアップ版が発売されので、買ってきて早速インストールしたのだが、マニュアルでは標準フォントのみがインストールされることになっているにもかかわらず、その標準書体のインストールが出来ない。また、そのほかの標準以外のフォントもマニュアル通りインストールを試みたが、これまた出来ない。何度試みても同じこと。 

 それでも自分のやり方が悪いのかと思って約2時間、ああでもない、こうでもないと四苦八苦、七転八倒、のたうちまわってしてトライしたが、どうしてもダメ。 やむなくソフト・メーカーのC社にFAXで照会したところ、翌日、返事のFAXが3枚流れてきて、「バグでした。この通りやって下さい」だって。

 その指示の通りインストールすると、これがすんなりと出来るではないか。まあ一応これでヤレヤレ。 しかし、自分の頭の中には「何だかおかしいな」という印象が消えない。確かにこれでインストールは出来ることは出来たが、このために頭を抱えながら2時間以上も格闘した。メーカーから来た回答には、そこには陳謝の言葉も姿勢もない。淡々と事務的に修正方法を書いているだけ。「ソフトにバグは付きもの」と言わんばかり。 

 同社からの回答の中には「機種によってはマニュアル通りインストールできない場合が・・・」とある。それならそうと初めからマニュアルにそのように記述すべきだろうが、おそらく発売時期の制約から、そのバグに気が付かなかったのだろうな。それに「機種によっては・・・」なんて冗談じゃあないよな。「WINDOWS対応」とパッケージに明記しておきながら、何の変哲もない小生のAT互換機でインストール出来ないなんて、ではどんなマシンならマニュアル通りインストール出来ると言うのだろう?

 ちなみにE社製のDOS/V機を使っている友人のKが同じソフトを買ったと聞いてたので、「どや、お前とこは出来たか?」と、訊ねると「フォントのインストールが全く出来ないので、また元のバージョンに戻している」とのこと。横着な奴だ。やむなくメーカーから来たFAXを送ってやったが、このように困っているユーザーが随分多いのでじゃあないかな。

このソフトは年賀状ソフトとしてはシェアがトップだが、これでは傲慢と言われても仕方がないだろうな。このような姿勢はC社のみならず、最近ではシェアの大きいソフト・メーカーほどその傾向が強いようだ。なかにはサポート担当の電話番号すらユーザーに知らせないようにしているところもあるんだからもう。



(97/10/15)  W杯サッカーと相互理解について

 是が非でも勝たねばらなかった対カサフスタン戦、ウズベキスタン戦をともに引き分け。あ〜あ、もうまったくあとがなくなったね。それにしても、イライラする。あまりにも、「ここだっ」というときに決定力が無さ過ぎる。あの「ドーハの悲劇」から4年間、日本サッカーは何をしてたんだろうね。 むしろ、4年前の時の方が強かったんでは? 今から思うとラモスっていい仕事してたんだね。

 まあ、それはそれとして、このW杯サッカーというスポーツ、国際親善に果たして役に立っているのだろうか?二、三日前にも、イタリアとイングランドとのゲームでファンの暴動騒ぎがあったらしい。勿論、サッカーというスポーツには何の罪もないが、それがW杯予選のような、国を代表するようなゲームの場合、なぜかスタンドもテレビの前のファンもテンションが異常に上がってくる。むかし、中米ではお互い隣国とのサッカーの試合がもとで戦争になったことがあったっけ。今でも中東や中南米では仲の悪い隣国同志の試合では国際間のトラブルの原因になってるものなあ。

 我が国の新聞・テレビなどのマスコミもどうかしてる。ある特定の国との試合が近づくに従って「宿命の対決」とか「因縁の一戦」など、あたかも遺恨試合のような報道をしてるんだものなあ。あの比較的冷静なNHKですら。

 先日、行われた対カ戦とか対ウ戦などではそれほどでもないんだが、特に対K戦となると両国とも異常なムードが漂ってくる。ゲームの1週間くらい前から徐々にボルテージが上がって来る。そして、試合中はスタンドもお茶の間もまるで親のカタキに出会ったように、まなじりを決してオーバーヒートしちゃって。でも、どうしてなんだろうな? 

 やはり、歴史的な背景があるのかな。4年前のW杯予選の時に日本チームがK国チームに勝ったとき、K国では「第二の国辱」として騒ぎ、反日感情が一段と増幅したことがあった。日本は過去の歴史からK国に対して負い目を持たざるを得ないが、それがわかっていても、やはり反日感情を持たれていると、その国や国民に対してどうもあまりいい感情は持てない気がする。特に過去の歴史を実感として持ってない若い人たちは、「なぜ、そこまで憎まれなければならないのか?」という反発もあるんじゃないかな。

 「歴史認識に差があるから」ということになるのかも知らないが、それじゃあいつまでたっても両国民の融和が期待できっこない。勿論、その認識のレベルを同じ水準に持っていく努力は必要だろうが、それと同時にこれからの両国の新しい関係を築こうとする前向きな姿勢も両国民に必要だと思うんだがなあ。

 その中にあって、W杯の予選が終われば一時的にお互いの感情が沈静化しても、また次の予選では同じことが繰り返されるのだよね。4年ごとにこんなことが繰り返されている限り、W杯サッカーは国際親善に貢献しているどころか、結果的に足を引っ張ってるよね。勿論、さっき言ったとおり、サッカーそのものに罪があるわけではなく、この半世紀もの間、両国民がお互いを理解する努力が欠けていて、試合がきっかけで不協和音を生じ、我々がそれを乗り越えられないだけのことだと思うんだけど。

 たかがサッカー、されどサッカー、でもやっぱり、たかがサッカー。

 サッカーごときに振り回されないように両国民の絆が強くなるのはいつになるのかな。地道でも色々な方法を模索してでも、そのための努力はしなけりゃお互いに不幸を引きずって行かなきゃあならないんだが、他の人はどう考えてるなかなあ。