ジーパパのページへ


「体験記」をホームページに

1998.4.10 野口 真

****

 今年('98年)の正月に、久しぶりに会った友人からバーバの介護体験記「アルツハイマー病の夫と」によって、とても励まされているという話を聞いた。彼は老人福祉の現場で働いているのだが、介護する家族やそれに関わっている人々にとって、何よりも心に響き、慰めと励ましを与えるものだと語ってくれた。「これほど深く、老人介護の中で揺れ動く心情を書き綴ったものはないと思う。」そうも言っていた。
 実を言えば、それまで僕は「体験記」をきちんと読んでもいなかった。何か妙に生々しい感じで、ちょっと脇に置いておきたい、そんな感じだった。だが、彼の言葉によって、この「体験記」の持つ意味や、その重みを知らされた。
 改めて、じっくりと読み返しながら、これをそのままして、正面から受け止めきれずにきたことを恥ずかしく思った。何かしなければ、そう思った。そして思い立ったのが、この「体験記」をインターネット上で公開することだった。
 すでに我が家のパソコンはインターネットに接続してから日が経っており、ホームページも福間教会のものを中心に作っていた。そのページを開設してから2ヶ月ほど経っていたのだが、何かもうひとつ手応えがなかった。教会の紹介や礼拝説教の公開も意味あることだし、我が家の子どもたちのページも楽しんで作っていた。しかし、だから何だろう?自己満足じゃないか?という気も一方ではしていた。
 本当に必要な人に向けて必要な情報を公開するという意味で、バーバの「体験記」をネット上に載せることの意味は大きいと感じた。「同じ悩みを持つ人の支えとなり、励ましとなるなら」と、バーバも承諾してくれた。それから暇を見つけてちょっとずつ打ち込んでは公開していき、全文を掲載できたのはやっと2月も終わりのことだった。

 しばらくしてから、少しずつ反応が寄せられてきた。それは久しぶりの知人からであったり、あるいは全く見ず知らずの人からであったりした。

〔教会の知人から〕

 「……裕子様の書かれた文章をインターネットで読ませていただきました。今はアメリカにおります。主人と共に福間教会に出席させていただいておりましたが、裕子様とはお話したことがなく残念です。裕子様の書かれた文章は本当に励みになりました。といいますのも、私も種類は違いますが、同じような体験がありまして、裕子様が書かれている文の一つ一つが手にとるようにわかるのです。裕子様がきれい事ではなく、本音で書かれているというのが、またすばらしいと思いました。きれいごとには、人の心を打つものはありません。……」

 

〔初めての方から〕

 「……2年ほど前に父は、仕事を退職したあとまもなく脳梗塞を患いまして、その時点では大きな後遺症はなかったのですが、父の医者嫌いな性格や実際田舎のほうではいい医者がなかったことなども相まってあまり徹底した治療もせず、時間の経過とともに、結果呆けも進行していると医者からは言われています。……ホームページで介護のご体験記を拝見しながら、本当に御苦労されていることを文章からお見受けいたしまして、つい涙ぐんでしまいました。……とにかく教えていただいたことは、何かに対して、うじうじ言っていてもしょうがなく、動かなければ何も始まらない、ということでした。これからきっと、いろいろな困難があると思っていますが、また御ホームページを見て励みにさせていただこうと思っています。……」

 

 ありがたいことだった。「励まされました」という言葉で励まされたのは、実は私たちであり、「慰められました」という言葉によって慰められたのは、実際私たちの方だった。何かいろんなことに「意味」を見出せたと言うか、そんな出会いが生まれていった。
 それもこれもジージのおかげ、そしてバーバのおかげだ。
 もっと早く自分たちのこととして、我が家の出来事としてこのことを受け止められたならと思う。しかし、今からでもなおこの出会いが広がり、私たちの元から必要としている人々の元に、この「体験記」が届けられればと思っている。

****

※ 最初、このホームページは介護体験記「アルツハイマー病の夫と」だけの構成でした。
この文章は、その当時のことを書いています。


ジーパパのページへ