福間教会 礼拝説教《1997年4月》  福間教会ホームページへ

4月6日   「神の恵みを体験しよう」  使徒行伝 9章32~43節  野口直樹牧師

4月20  「神の祝福はすべての人に」  使徒行伝 10章34~48節   野口直樹牧師

4月20  「死 者 へ の 福 音」  ペテロの第一の手紙 4章1~6節<古賀教会奨励> 宮崎信義兄

4月27日  「人を疲れさせるもの」   イザヤ書 第40章27~31節   片山 寛牧師


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     「神の恵みを体験しよう」      4月6日 野口直樹牧師
                          使徒行伝 9章32~43節

 今日の主日礼拝は、自由ヶ丘伝道所と同時に行なわれる初めての記念すべき礼拝です。福間教会から16人の会員が伝道所の開拓伝道に派遣されました。また先週のイースター礼拝では野口友姉の信仰告白・バプテスマ式に恵まれたことも合わせて、今は喜びと決意の時だと思います。
 使徒行伝9章32節以下には、ペテロが方々を巡り歩いて主イエスの福音宣教の働きと共に、アイネヤの癒しとタビタ(ドルカス)のよみがえりの業について述べられています。また地域をみてもサマリヤからエチオピアにも及び、キリストの教えに境界線がないことを表しています。このようにして福音は限りなく広がりつつあり、また多くの信徒が用いられています。今日に至っても伝道は全ての人の使命だと言うことが出来ます。ペテロたちが働いたルダやヨッパという土地は、エルサレムから数十キロメートリ隔たった異邦人の地であり、すでにここも他の信徒たちによって伝道されていたことがわかります。伝道は使徒ペテロとか、特殊な経験をしたパウロとかの専門的役目ではなかったのです。だからペテロがいきなり、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さる。」と言っても受入れられる素地ができていました。またタビタはすでに、「女弟子」であった(36節)ことがわかります。 
 私たちの教会も、自由ヶ丘伝道所発足にあたって様々なことが示されています。先ず今日は第一回の記念すべき礼拝であり、片山協力牧師が説教の任に当たっておられます。楠元兄は、今朝7時頃教会に寄られました。伝道所への派遣会員の兄弟姉妹のために支援の祈りをすると共に、我ら自身も彼らと同じ決意で伝道に励みたいと思います。
 次に聖書から示されることは、「イエス・キリストの力にふれる」と言うことです。主イエス・キリストは、ペテロを通して大きなわざをされました。またアイネヤに対しては、彼は八年間も床についていた中風でありましたが、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さる。起きなさい」と言うと、彼はただちに起きあがりました。ルダとサロンに住む人たちはそれを見て、みな主に帰依したと伝えられています。タビタに対しては、先ずペテロはひざまずいて祈り、それから死体の方に向い「タビタよ、起きなさい」と言いいました。すると、彼女は目をあけて起き直ることが出来ました。このような癒しについてみると、聖書は決して癒しや奇跡を売り物にしていません。ただ聖書が伝えているのは、信仰の結果としての癒しであり、奇跡なのであります。また使徒たちの能力についても宣伝するものではなく、ただイエス・キリストの力の証明を述べています。すなわちペテロは、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。(よみがえりの)イエスがこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をこのとおり完全にいやしたのである。」と言っています。私たちもこの記事から信仰の確信、すなわち「奇跡をも当たり前のことするほどの信仰」、「イエス・キリストの絶大な力を信じる信仰」を持ちたいと思います。神様は、必ずその信仰に答えて力あるわざを起こして下さいます。謙虚な人は「皆さんのおかげです」と言いますが、この言葉は実に良い言葉です。信仰を持つ者は、その「おかげ」のかげに神さまの力があることを認めて神さまに感謝し信頼して行く者と言うことが出来ます。
 またタビタのよみがえりの出来事を通して、信仰による美しい生き方を示されます。タビタ(アラマイク語)やドルカス(ギリシャ語)とは、「かもしか」という意味です。「かもしか」または「しか」は、美を象徴する言葉です。日本では「かもしかのような足」と言いいますが、ユダヤでは、その目の美しさを強調しました。タビタの容姿はどうであった明らかではありませんし、老婦人であったなら顔にしわが刻まれていたでありましょう。タビタの美しい名前は、その人柄と働きに添うものでした。彼女は、「美うるわしい人」ありました。「女弟子」タビタの善行は、救いの信仰による神への応答であったと理解したい。すべての善行は古びていきますが、思い出は人々の心にいつまでも残るものです。そういう意味から、この教会にも多くの美しい婦人(ドルカス)がおられます。またかもしかは、私が実際東北で野生のものを見た印象では毅然とした男性的なものでもありました。それで私は、「教会には多くの男性ドルカスがおられる」とも申し上げたいとも思います。更に多くの男女のドルカス、美しい人生を生き抜く仲間が増える事を祈ります

 

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      「神の祝福はすべての人に」    4月20日 野口直樹牧師
                           使徒行伝 10章34~48節
  
 私たちの身辺は絶えず変動していますが、それに目を奪われると心に平安を選られません。ヘブル人への手紙13章8節にも「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」とあります。私たちには、昨日も今日もそして明日も変わらない御方、イエス・キリストが共にいて下さいますから、主に目を注ぐとき心に平安が与えられ冷静に対処することが出来ます。私もこの主のお支えを頂き、また頭を丸めました。しかしうっかりしてバリカンの刃を、6mmと3mmとを取り違えてしまいました。しかしこのようなことすらも1ヶ月も経てばまた元に戻る性質のものだと思っています。ラインホルト・ニーバーの祈りに、「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を与えてください。」というのがありますが、今朝はそのことを心にとめて、みことばを学ぶことにしたいと思います。
 今日の聖句に至る前の出来事を見ますと、「カイザリヤにコルネリオという人がいた。下士官がいた。信心深く、家族と共に神を敬い、施しをなし、祈をしていた。ある日、神の使がきて、『ヨッパに人をやって、ペテロを招きなさい。』という示しを受けた。・・彼は三人の使いを送ってペテロを招いた。その頃、ペテロは祈りの中で、まぼろしを見た。大きな入れ物にいろいろな生き物が入っていて、『食べなさい』と言う声を聞いた。ペテロは、『主よ、それはできません。』と答えた。すると、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』と言われた。三度も押し問答をした末、入れ物は天に引き上げられた。そこへコルネリオの使いがやって来た。ペテロは彼らと連れだって出発した。コルネリオは丁重に彼を迎えた。ペテロは、『ユダヤ人が他国の人と交際することは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。』と言って福音を語った。」と書かれています。使徒行伝を読み進んでいくと、変えられて行ったペテロのことが示されます。ペテロははじめ、ユダヤ人だけを対象に福音を語っていました(2~5章)が、それからサマリヤ、ルダ、ヨッパへ進んでいますた(8~9章)。そして遂に全くの外国人である、ローマ人コルネリオ一族に宣教するまでになりました。このように変わって行くペテロには魅力が感じられます。彼は土壇場でイエス・キリストを知らないと言う失敗をしましたが、[自分は変わらなければならないところでは我を張り、変わってはならないところで、いとも簡単に変わってしまう]、そんな当てにならない者であるという経験をしたことから、もう丸ごとイエスさまにおまかせするほかないと考えるに至ったのではないでしょうか。9節からの祈りの最中に空腹を感じ、食べ物の夢を見るなどにも人間ペテロの姿が出ています。また3節からのコルネリオの祈りの方よほど格調が高いとも思えます。私たちは自分にこだわっていると、変わることに恐れを感じます。イエスさまにゆだねる信仰に立つとき初めて、自分が変わることが少しも恐ろしくなくなります。それは、永遠に変わらないものを持っているからであります。
 初代エルサレムの教会は、新しいことが起こる度に使いを送っています。例えば、ペテロとヨハネをサマリヤへ(8章)、バルナバをアンテオケへ(11章)派遣しました。これは初代教会が現場の状況に即応する柔軟な体質を持っていたことを示しています。また、 これは6章の7人の執事の選任でも言えることであります。この個所で、ペテロが招きに応じて出て行ったことにもその姿勢を見ることができます。ところが15章(エルサレム会議)になると、硬直化の恐れが表れています。教会は動くことがありませんでしたが、問題者が出て来ているのです。教会はいつも問題を抱え込む姿勢ではなく、問題について行く姿勢でありたい。受け身ではなく積極的姿勢であり、変われるところ、変わるべきところはどんどん変わって行ける教会、若々しい教会でありたいと願います。
38節以下で、ペテロは永遠に変わりたまわないイエス・キリストを語りました。その主のお姿は、聖霊を注がたイエスとその働き、十字架による罪の贖い、よみがえり、そして審判者イエスが語られています。この世的には、変わることが必ずしも良いことではありません。現代の風潮を見ると、流行を追うのに狂奔しているように思えます。一方、変わらなければならないところを変えようとしないし、変えようという勇気がなくなっていることも問題であります。個人でも、社会でもそのようなエネルギーを持たなくなってしまえば、滅びは近いのです。今こそ、永遠に変わらないもの、永遠に変わらないお方にしっかりと立って、確かな歩みを続ける決心をすべき時です。

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     「死 者 へ の 福 音」       4月20日 <古賀教会奨励> 宮崎信義兄
                        ペテロの第一の手紙 4章1~6節

†はじめに
 私たちは、3月23日から受難週を覚え、3月30日にはイースターの恵みに浴しました。私も求道を初めてから約1年後の65年(昭和40年)のイースターに洗礼を受けましたので、ことさらにイースターには深い思い入れがあります。今日の聖書は、キリストの苦難と死、人の生涯と神の審判、さらには死者への福音について示しています。私たちはこの御言葉から、今の生き方と共に、私と愛する者の死の意味について学びたいと思います。
 ペテロの手紙の執筆者は、キリストの目撃者、初代教会の指導者、弟子マルコとの関係から、紹介通りに使徒ペテロだと考えられています。素朴で無学な漁師であったペテロも、使徒として召命を受け、キリストの受難の際の裏切りはありましたが、聖霊の導きにより書簡にあるような指導者・伝道者として立てられていったものと思われます。本書が執筆された時代は、皇帝ネロの迫害が激しかった聖歴64~67年と考えられ、ペテロもパウロも皇帝ネロによる迫害によって殉教したと伝えられています。ですから、良く知られているペテロとは一風異なり、小アジア北部の異邦人キリスト者に向けて書かれた事情もあり、内容は多分にパウロ的でもあります。今日の聖句もそうですが、そのような時代背景を踏まえて、キリスト者の苦難・迫害、その中で真のイスラエルとしての教会の在り方とキリスト者の生き方・死生観に言及しています。

†肉における苦しみ
 キリストも御自身の罪ではなく、人々の罪に苦しみ十字架につかれるという形で、ただ一度だけ罪と関わられたのです。ただ一度罪と関わり、十字架で罪を滅ぼして下さったから、私たちは生きることが出来ると聖書は教えています。このただ一度だけという意味は大きく、その中に神の絶対的かつ峻厳な御意志が表されています。主イエスは、いかなる不当な苦しみにあっても、ただ父なる神へ対しては信頼と服従とを捧げることが僕の生きる道であることを示して下さったのです。そこに於いては、苦難も殉教も相対的なものにとどまり、その中に救いの道が開かれているのです。言い換えますと、キリスト者の苦しみは、罪から解放される過程でのものであるから、霊的に武装し、良くその戦いに勝ち抜くように勧めています。
 私も生身の人間ですから、苦難や病気にあっては間違いなく苦しむと思いますが、むしろ明らかな苦難よりも、一見大したことのない常識や世相の中に滅びに至らせる悪魔の試みがあるような気が致します。自我のおもむくまま感情のおもむくままに自分を引きずっていったり、「他の人もそうなのだから」という些細な思いの中に魂の根幹をむしばむ罪が潜んでいるのではないかと思います。

†キリスト者の生涯
 初代教会の弟子たちの証しから学ぶことは、苦難において神を知り、バプテスマによって罪の縄目から解放され、罪の支配や力からも自由にされるということです。そしてペテロやパウロが直面した様々な思想や世相による揺さぶりでもあり、人間的な限界でもある欲望や偶像礼拝について注意が喚起されています。そして人間的な欲望を満たそうとすることは、キリスト者にとってはすでに過去のことで十分であるとペテロは告げています。苦難を福音的に受けとめこの世的な欲望から身を遠ざけることは、決して禁欲主義や殉教主義によるものではなく、ただ素朴に神に信頼し神の前に謙遜であろうとすることに他なりません。私にとってのここ数年は、妻の発病や母の死、転職など、以前が順風であったことと比べて必ずしも良いことばかりではありませんでしたが、その月日が私をして、与えられた一日を淡々と過ごす、人間の思惑や自己主張、人を巻き込んでのこざかしい策謀から距離を置くこと、その方がどれだけ楽であるかと痛感しています。

†生ける者死ねる者のさばき
 神の審判については5節に、「彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。」とあります。ユダヤ人であっても異邦人にしても何人たりとも、やがて神の前に立たされ申し開きをしなければならないし、一人もその例外ではあり得ないと示されています。また神こそ、生ける者・死ねる者の裁き主であるであることをわきまえ知ることが大切です。人間はどうせ限られた束の間の間を生き、死んでしまえば何も残らないという生命観に立てば別ですが、少なくともキリスト者は、聖霊の導きによって、神の御支配と生かされている存在であることを受け入れたのですから、真に恐るべき事は神の審判であり霊的な死ではるはずです。神の審判を受けるということは、地上の行為が天に宝を積むことと関連して、基準を神に置くということであり、これなくして神の前に謙遜であり得ないと教えられます。この神の裁きは終末が近いことを表し、だから苦難にあっても積極的に生きるように勧めています。

†死者への福音
 死人とは、霊的な死と解釈する人もいますが、私は肉体の死を経た人々ととらえたいと思います。私にとってかけがえのない肉親や友人の多くは、キリストを知らないか生前に福音を受け入れないで死んでいった人々です。ただそのような者に対しても黄泉においてキリストが取り扱って下さる、私はその希望を抱いてとりなしの祈りを捧げるのみです。バークレーも「全ての死者」を意味すると解釈して、信仰を言い表わさないで死んだ人々にも第二の機会が与えられていると言っています。

†おわりに                                            今年も受難週・イースターと、主の十字架と復活にふれることが赦されました。私たちにとって大切なことは、ただ主にあって自らの生を生き、自らの死を死ぬことです。それが自分に死にキリストにあって生きる、あるいは「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ人への手紙2章20節)という生涯を与えられるのです。今年も生かされ、このような事実に与ることの幸いを感謝致します。

 

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      「人を疲れさせるもの」        4月27日 片山 寛牧師
                            イザヤ書 第40章27~31節

 今日は、疲れについてお話をしたいと思いますが、私たちは本当によく疲れておりまして、よく疲れるというより、むしろ大抵の時は疲労していて、ときたま元気なこともある、というぐらいかもしれません。皆さまの中には、教会に来てわたしの話を聞くのも疲れる、というぐらい疲れておられる方もあるかもわかりませんが。本当に、お疲れさまでございます。
 私は毎日通勤電車とバスで、1時間ほどかかって勤め先の学校に通っておりますけども、通勤電車の中は、もう本当に疲れた人々でいつも一杯です。夕方など、見回すと、ほとんどの人々が眠っている、というのが珍しくありません。これは今でも不思議に思っているのですが、以前ドイツにおりました時に、私はやはり電車で40分ばかりかかって大学に通っておりましたが、ドイツでは、行き帰りの電車の中で居眠りする人を一度も見たことがないのです。ドイツ人は疲れないのか、それとも何か別の理由があるのか、今でも謎であります。
2週間ほど前の月曜日の夕方ですけども、私は今年度は、毎週月曜日に、福岡の西南学院大学の神学部で『実践神学概論』という講義をしているのですが、先々週、その帰りに博多駅からこっちに帰る電車に乗っていたのでありますが、たまたま私の隣の席が空いていて、そこに一人の女子大生が座りました。どうして女子大生だとわかったかというと、それは中村学園という、制服のある女子大だったからです。それで、私が窓の外を眺めておりますと、その方がどういうわけか本当に疲れておられて、こっくりこっくり居眠りをしはじめられた。それだけだったら、別に珍しいことでは勿論ありません。夕方の通勤電車に乗りましたら、座席に座っているほとんどの人々が眠っているということも、日本では珍しくないからです。
 ところが、その女子大生はよほど疲れておられたのか、ただ居眠りをするだけじゃなくて、こんなふうにこっちに向かって倒れてこられるんです。そしてしまいには、私の肩に頭を載せて眠ってしまわれた。もう私は困ったような・・嬉しいような、そして気の毒なような  こっちは中年のおじさんですからね、おかしな気持ちでありましたが、どうしようかなあと思っているうちに、間もなくその方は気がつかれて、はっと身体を起こすと、今度はそのまま向こう側に、通路側にこっくりこっくり居眠りを始められました。よっぽど疲れておられたのでしょうけど、驚きましたですね。
 そんなふうに、私たちが本当に疲れ果ててしまうということがあります。そしてひどく疲れてしまいますと、もう恰好などかまっていられない。だらしないけれども、人目も忘れて眠ってしまう。
今申しましたのは肉体的な疲れの例なんですが、私たちが精神的に疲れるということもあります。精神的に疲れると、もう何もかもいやになってしまう。もうどうでもいい。どうぞ勝手にしてください。私はもう疲れました。もうやめます。そんなふうに言いたくなる時があります。そういうふうな精神的な疲れを今まで一度も疲れを感じたことのないような人など、この世に存在するでしょうか。
 疲れるということは、私たち人間に、肉体的にも精神的にも限界があるということであります。いつまでも走りつづけることはどんな人でもできないのです。有森さんのように自分を鍛えた人でも、42.195キロ走ったら、立ち止まらなければならない。その限界を無理に押して頑張っていると、いつかガクッと倒れてしまう時がきます。肉体的な疲れならまだいいです。ゆっくり休めばいい。病気にまでなってないかぎり、私たちはゆっくり休めば、恢復いたします。むしろ肉体的な疲れは、時には快いことさえあります。山登りなどをして、一日中歩いて、山小屋などでストーブの側で暖かいお茶を飲んでいる時など、もう本当に心地よい疲れを感じることがあります。
 それよりももっと深刻なのは、精神的な疲れだと思います。たとえば病気になった時でも、われわれにとって深刻なのは、精神的な疲れの方ではないかと思うのです。宮崎先生はこの点で、お医者様という多くの実例を見ていらっしゃるのではないかと思うのですが、病気のつらさとは、病気そのものの痛みやつらさもありますけど、大きな問題は、病気によって精神的に追い詰められて、くじけてしまうことなんです。
 15年ほど前ですが、西南学院の神学部の学生だった頃に、アルバイトで病院の夜警を週に二日ほどしていたことがあります。そのときその病院に入院しておられた患者の一人ですが、50歳ぐらいのサラリーマンがおられました。彼は会社でその年齢にふさわしい、重要な地位についておられたのですが、ご自身が知っておられたかどうか私にはわかりませんでしたが、看護婦さんの話しでは、癌の患者でした。しかもすでに転移していて、手術はできなくて、結局1年ほどして亡くなられたんです。その方が、放射線の治療で、少し調子のよい時期がありまして、病院から会社に通いたいと願い出られたことがありました。院長先生が許可なすったので、彼は喜んで、「通院」ではない・・こういう場合何と言うんでしょう、とにかく病院から会社に出社していらっしゃったのです。出社の日には、朝早くから起きて、本当に嬉しそうにいそいそ準備をしておいででした。
 この方を見ておりまして、私は、ああ、この方にとっては、病気の苦しみよりも、その病気によって自分が今までいた会社の世界からはじき出されてしまうという、精神的な苦しみの方が、ずっと大きいのだと思いました。会社の人たちはきって、彼に、ゆっくり養生すればいいですよ、ゆっくり骨休めしていらっしゃい、と言ってくれてたんだと思うのです。けれども、病人の方は、そうは感じなかった。病気によって、自分の存在に意味が無くなるのではないか、という不安、会社や家庭の中に、自分のいるべき場所がなくなってしまうのではないか。そういう精神的な苦しみ、精神的な疲れの方が、私たちにとってずっと深刻なのだと思います。
 心の疲れとは、希望を失うことであります。もはや歩けないと感じる。歩きつづける気力を失ってしまうことです。それはすべての世代に起こります。今日読みました聖書は、そのことを語っております。「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる」。病気の人々や、年老いた方々だけではありません。若い人々が、中学生ぐらいの子どもたちが、やっぱりいろんなことに苦しんで苦しくてたまらず、全く希望を失ってしまうことがあります。それ以上歩けないと感ずる。時には自殺する子どももあります。昨年、私の学生の一人で、「いじめ」についてこんなレポートを書いているのがありました。
 「『いじめ』と聞いて一番に思うのが幼なじみのことである。私の幼なじみは、中学にあがる時、公立中学は『いじめ』があるからという理由で、ある有名な私立の女子校に進んだ。そのため、彼女と会うことはだんだん少なくなり、中学校1年の冬頃には、私の転居などもあって、全然会えなくなってしまった。それでも手紙は頻繁に送り合っていたので、その仲は続いていた。しかし高校に入ると彼女からの手紙はぷっつりととだえてしまい、こちらから何度送っても返事さえ来なくなった。そして私もだんだん手紙を送らなくなっていった。
 それから二年ぐらいたって、急に彼女から手紙が届き、『半年間、父親の海外出張について行っていた・・』と書いてあった。そして、『半年間学校を休んだから留年する』という。『向こうでは学校は行かなかった』とも書いてあった。初めは『すごいな』と思って読んでいたが、そのうちに『こんな大切な時期になぜ』という思いが、私の脳裏をかすめた。彼女は理系の大学に行きたいと何度か手紙に書いていたし、勉強面では少し負けず嫌いなところがあった。『それなのになぜ』と思っている時に、彼女から久しぶりに電話があり、私たちは5年ぶりに会うことになった。当日、私は彼女がどんなふうになっているかと、楽しみに待ち合わせ場所に行った。するとそこには、ガリガリに痩せ細った、青白い、昔の彼女とはまるで違う彼女がいた。彼女の目は少しうつろな感じに見えた。驚いた様子の私に、彼女は『やせたやろ・・』と言った。
 私たちは、私の家でいろいろな話をした。そして学校生活の話になった時、彼女は初めて、自分が『いじめ』を受けていることを打ち明けた。中学校から高校にあがるくらいから、彼女に対する『いじめ』が始まったらしく、今現在もいじめられているという。私は彼女が『いじめ』に会っているなど、全く知らなかったので、とても驚いた。彼女は淡々と今までのことを話していたが、その苦しさは、彼女の姿を見ていると、いやおうなしに伝わってきた。女同士の『いじめ』なので、暴力がないかわりに、陰口や、でたらめな噂話などがひどく、彼女は精神的に追い詰められていったという。そのため、ついには拒食症になって、身体が弱り、医者から運動を禁止されるまでになった。それでも『いじめ』はやまず、上靴の中に押しピンが入れてあったり、掲示板に貼られている名簿の、彼女の名前のところがチョークで消されてあったりと、さらにエスカレートしていったという。私はこの時、話を聞くだけで胸がつまり、彼女にどういう言葉をかけてあげれば良いのかわからずに、ただ黙っていた。今彼女は、高校を卒業して、理系の短期大学に行っている。そして、大学に編入学しようと頑張っている。7年間通ったあの女子校から解放され、また『いじめ』から解放さ、今はのびのびと生活しているが、『新しい友達はいらない。つくりたくても怖くてつくれない』と言っている。」
 私は、自分が学校に勤めていて思うのですが、日本の教育制度は、今、崩壊寸前だと思うのです。なんとかしなくてはならない。しかし何ともならないのは、それに代わるような制度がなかなかみつからない、という消極的な理由でしかありません。いじめによる苦しみの中で、この彼女は精神的に傷つきました。その深い傷をいやすのには、長い長い時間が必要です。生涯、彼女の心の中には、古い傷痕として、このいじめの経験は残るかもしれません。しかしそれは、いやせないような傷ではありません。私たちが絶対に乗り越えることができないような苦しみではありません。今朝、私たちが読んだ聖書には、そのいやしについても書いてあります。「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」。神様を待ち望む者には、いつも希望があります。自分の行く道が、自分の目にはどんなにどんずまりで袋小路であるように見えても、その先に神様を見ることができる者にとっては、乗り越えられないような苦しみは存在しないのです。希望を持つ者は、くりかえしくりかえし立ち上がることができるのであります。
 ヴィクトール・フランクルという方は、ユダヤ人として、ナチス・ドイツの強制収容所を経験なさった心理学者です。彼は、アウシュヴィッツの収容所での体験を振り返って、こう言うのです。「自分自身の未来を信ずることのできなかった人間は、収容所で滅亡していった。未来を失うと共に、彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し、身体的にも心理的にも転落したのであった。」 逆に未来を信じることの出来る者は、苦しみの中で生き延びることができる。いや、たとい逃れられぬ運命として、死が待ち構えている時にも、自分の生命と自分の死に意味があると信じる者は、哀れな死に方をするではなく、誇らしく死を受け止めることができる、とフランクルは述べています。そのような魂は、究極的には決して死ぬことはないのであります。
 キリスト教は希望の宗教であります。私たちは、イエス・キリストを待っているのです。イエス・キリストはやがてかならず来たりたまい、この地上に立たれる。「マラナ・タ」、主よ来たりませ。それを信じて勇敢に待ち続ける人々の群れが、私たち教会なのです。今日は、午後に、私たちの教会のこの一年の計画を決める、今年度の教会総会が開かれます。私たちも、希望に満たされて、この一年に向かって踏みだそうではありませんか。

 


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