学校schoolの語源はギリシャ語の「暇」とか「休息」とかの意味のscholeとされる。語源から説き起こす話は「まゆつばもの」になりがちだが、一応、学校とは暇な人が時間潰しに行くところだったと言っていいだろう。暇な人とは、つまりお金持ちのことで、生涯働く必要のない人、それは結局、地主だった。広大な土地を持っていて、それを人に耕させたり、あるいは人に貸したりして、お金を受け取るだけで一生を過ごせた人である。
一生働かないでいいと保障された若い人が学校に行って何を学ぶかと言えば、それは徹底して観念的なことである。具体的なことは決して学ばない。すべてが頭のなかだけでまかなえること、それを学問と呼んだのである。したがって、学問の中心は哲学だった。
シェイクスピアの書いたところによれば、ハムレットはドイツのウィッテンベルク大学に留学中に、父の急死の知らせによって急ぎデンマークに戻ったことになっている。ところが、戻ってみると母の再婚に立ち会うことになり、その相手があろうことかかねて軽蔑していた叔父、つまり父の弟であることを知って衝撃を受ける。やがて父の亡霊によって、その叔父が父を殺した下手人であることを知らされることになる。
ハムレットがウィッテンベルク大学で何を学んでいたかは明らかにされていないが、『ハムレット』が書かれた一〇〇年ほど前にウィッテンベルク大学教授であったマルティン・ルターが宗教改革ののろしを上げたのは有名な話で、シェイクスピア当時にあってもウィッテンベルクは哲学の都として有名だったから、ハムレットも恐らく哲学を学んでいたのだろう。なおハムレットと対照的に描かれる青年レアティーズは歓楽の都パリに留学していたから、シェイクスピアは留学先の区別で青年を描き分けていたことになる。
そのハムレットのセリフに、
「ぼくはたとえ胡桃の殻に閉じ込められようと、自分を無限の宇宙の王とみなすことができる」
というのがある。いかにも哲学を学ぶ学生にふさわしい言葉である。思考の自由さえ獲得すれば、人間は宇宙の王になれるのだ。それが学問の究極の目的だった。ウィッテンベルク大学はその象徴だったわけである。
しかし、ここで注目しなければならないのは、ハムレットはこれに続けて、
「ただし、悪い夢を見さえしなければね」
と言っていることである。
ハムレットにとっての「悪い夢」とは、早すぎる母の再婚を含む現実そのものだった。ハムレットは現実を悪夢と考え、自分の頭のなかの世界を現実と考えようとしていたのである。ここにハムレットの悲劇の根本があったと考えることができる。
私たちは現実を現実として認識するところからすべての思考を出発させなければならない。正確な現実認識から出発しない思考は、結局は無意味である。
ハムレットでさえ、同じウィッテンベルク大学の学生である友人のホレーシオに、
「ホレーシオ、この天と地のあいだにはね、我々の哲学では夢想だにされないたくさんのことがあるのだよ」
と言うのである。
《了》