KOYO Paraside

りょうすけのアトピー治療


97年5月のこと

アトピー再発

亮佑のアトピー性皮膚炎が再発したようだ。 4カ月健診のおり、頬に湿疹がでてたので湿疹教室への参加をすすめられ、後日参加すると、参加者の赤ちゃんのなかで一番ひどかった。それまで軽くみてた両親はあわてた。

以後、湿疹教室の講師だった箕面市立病院皮膚科の先生のお世話になる。ほぼ1年間、毎週のように病院に通った。そして96年6月にはほぼ治ったと思われた。それから半年後の96年の10月にふたたび病院にいったが、そのあとは特にひどくならなかったので、安心していた。
それが再発した。 耳切れ、首、頬、ヒジとヒザの内側、手の甲、これらは以前と同じ部位だ。
新しい部位は、おなか。おへそを中心にしておなか全体にぶつぶつが広がってきた。
これは、炎症の種類も他の部位とは異なる。そしてとても痒いようだ。両手をつかって大胆に掻きまくる。

病院にいく暇がないので、市販の薬で間に合わせるが、どうも効かない。
ウレパール・プラス、メンソレータムAD軟膏、など 。
いったん痒みをおさえることはできるが、治らない。
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アズヌールが効かない

病院にいくと、どうやら、ずっとつかってきた薬(アズヌール)にかぶれたかもしれないということだった。
病院の薬が、アズヌールをやめて、ウレパールだけになった。 おなじウレパールでも市販の薬とは成分がちがうらしい。
ひどい個所にには、ステロイド剤(リドメックス軟膏)をワセリンで2倍にうすめたものを使用する。頭は、副反応が出にくいということで、ステロイド(リドメックスローション)のローション。もっとひどい耳切れにはも少しきついステロイド。それにかゆみ止めの飲み薬(ザジテン)。
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精神的な要因

母親が病院で聞いた。下の子が生れてからひどくなったような気がするが、そういことってあるのだろうか。先生は、そういう症例がたくさんあります、と応えたそうだ。つまり、弟ができていままでと同じように両親が構ってくれないことが原因ということだ。それだけではないが、大きな要因の一つではある。
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愛情作戦

薬を塗るのと同時に、亮佑への愛情作戦がはじまった。

愛情作戦その1
夜ねる場所の移動。寝間を、母親と晃志が寝ている同じへやに移した。それまでは、父親と一緒に別の部屋で寝ていた。夜中の授乳のときに起こさないようにという配慮からだったが、それが裏目に出た。深夜、かならず2回くらいは目覚めて「だっこ」といいながら父親にすりよってくる。父親が別の部屋で仕事をしているときに目覚めてしまったときは、大変である。叫び声にも似た声で泣きだすことがしばしばあった。どうやら、母親と隔離されているということが苦痛だったようだ。

愛情作戦その2
実家に独りで預けない。一度、母親のピアノ教室の日に、亮佑だけ松尾の実家に預けたことがあった。みんなで一緒に車にのって出掛けたが、亮佑だけ松尾の実家で下ろされた。ママのレッスンが終わるころ、パパが迎えに行って、一緒に車で伏尾台までいった。じつはその前後からアトピーがひどくなった。亮佑だけのけものにされているという疎外感をかんじたのだろうか。

愛情作戦その3
夕食は母親と一緒に。かりに実家に預けることがあっても、夕食はかならず母親と自宅でとることにした。松尾の実家であそんでいると、昼寝をしそこねて、6時くらいから寝た、なんてことがよくあった。その場合、夕食を向こうで済ませてしまうことがあった。これも、亮佑はママといっしょにご飯がたべれないという疎外感になったにちがいない。

愛情作戦その4
お買い物はみんなでいっしょに。とにかく、みんなでいっしょに行動すること。それが亮佑と晃志をひいきしていないということの証。

愛情作戦その5
わがままではない要求は、できるだけきいてやる。

愛情作戦その6
いっしょにうたをうたう。

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結果は良好

効果はてきめんだった。みるみるきれいな肌にもどった。
アズヌールをやめたこと。
薬用入浴剤(市販のもの)をつかいはじたこと 。
など、そのほかの要因も作用しているとは思うが、こうも効果的に症状が回復するとは思えない。精神面の改善がいちばんおおきかったように思う。

9709記

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治療を振り返って

今、思うに亮佑のアトピーは、どちらかというとかなり軽症だったと思う。しかし、親は四ヶ月検診のときまで、大したことがないと思っていたのに、かなりひどい症状だということがあったので、アトピーに関してはいろいろ勉強した。親にしてみれば、これ以上ひどくならないようにと必死だった。

はっきり言えるのは、個人差があって、これが万人受けする治療方法であるというものがないということだった。だからアトピーというのだろう。

亮佑の場合は、乾燥肌で皮膚が薄くて弱く荒れやすいのが原因だった。食物アレルギーはほとんどなかった。妻は卵をたくさん食べさすとひどくなったというが、少なくともアレルギーテストでは米に軽い反応が出ただけだった。

だから主な対策は、肌の乾燥を防ぐのと、ハウスダストなどを極力抑えるということだった。こまめに入浴させて、すぐに保湿剤を塗る。それがアズヌールだった。炎症がひどいところはステロイド剤で炎症を抑えてから、保湿に努める。集中的に使うステロイドに対する副作用はなかったし、医師もむやみにステロイドの強度を上げなかった。

もっとも、最初にかかった家の近くの小児科医は、炎症が治まらないとなると、いくたびにステロイドの強度が強くなったので、信用をなくした。素人のにわか勉強でも、ステロイド剤の強度を上げるだけの治療はよくないことは知っている。やっぱりアトピーは小児科ではなく皮膚科に行くべきだ。病院を変えて、皮膚科の治療を受けて、そう認識した。

ハウスダスト対策は、布団、カーテンはこまめに掃除機をかける。当然床にはカーペット類を敷かない。症状が回復すると油断して掃除や入浴を怠るが、すると症状の悪化は著しかった。とくに夏場は汗をかくので最低1日4回入浴させた。これは結構きつかった。しかし怠るとすぐに痒がる。反省して入浴、掃除をきちんとする。その繰り返しだった。

食べ物については、三度の食事より菓子類に気をつかった。いわゆる袋菓子系のものやキャラクター商品(うちではこれらを駄菓子と称す)は与えなかった。亮佑のお菓子といえば、ヨックモックやモロゾフや風月堂などの焼菓子だった。これは、後になって、近隣のおとまだちが食べている「駄菓子」を一緒に食べたら、すぐに痒くなったことからも、効果的な対策だったと思う。

愛情作戦以降、亮佑の症状が極端に悪化することはなくなった。
しかし、市販の風邪薬(小児用シロップ)などで痒がることもある。まだまだ油断はできない。

最近では、98年秋に喘息といわれて、治療を受けた。アレルギーマーチの常道である。
ハウスダスト対策を怠れない。

幸い、弟の晃志には全くその傾向が見られない。

1999.1.5記

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