KOYO Paraside

育児日記1999/10


991006 幼稚園の面接

ここんとこ超多忙で帰宅はいつも深夜。二人の相手をほとんどしていない。ところで今日は晃志が来年入る幼稚園の面接日。面接に向かうバスのなかで老婦人の隣の席にすわった晃志。婦人は愛想良く手招きをしてくれたそうだが、晃志はその婦人を指さして「ヤマンバ、ヤマンバ」と連発したそうだ。ニコニコしていた婦人は急に不機嫌になった。ママはとっても恥ずかしかった とさ。

ヤマンバは、山婆と書いて山奥に住む鬼婆のこと。妖怪の一種かなあ。山爺や鬼爺がいないのをみると、年寄りの女性は怖いのかもしれない。そういえば、トトロにでてくるおばあちゃんの最初の登場シーンは、怖かった。

幼稚園での面接は、いつも亮佑のお迎えで行き慣れた幼稚園だけあって、始終リラックスムード。幼稚園の先生方も晃志のことをよく知っているので、これといったことはなかったらしい。しかし、調子に乗り気味の晃志は、なにをきかれても「まつおこうじです!」を連発してたそうだ。いつもはVサインをだしながら「にさい!」なんだけど、ちょっといつもとは違ったみたい。

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991010 バーベキュー

亮佑「あした、どこいくんやったっけ?」
パパ「バーベキュー」
亮佑「そうそう」

というわけで、パパの職場の仲間とのバーベキューを楽しみにしていた亮佑。幸い、朝からよく晴れて、10月というのにめっちゃ暑い! そういえば今日は体育の日。絶好の運動会日和だった。バーベキューは亮佑も晃志もはじめて。この夏に計画していたが、機会を逃してしまった。それ以来、亮佑は一度バーベキューをしてみたかった。「終わったら花火するの?」ときく。夏のときは、バーベキュー終わったら花火をしようと言っていたからだ。亮佑の頭のなかにはバーベキューと花火がセットになっている。

会場には少し遅れてついた。ピーちゃんも来ていた。ピーちゃんは3歳の女の子。乳児のころに一度亮佑と会っているが、お互い覚えていない。でもすぐに仲良しになった。亮佑はうんと年長(大人を含む)か、年下のほうがつき合いやすいようだ。幼稚園でも自分のクラスより、年長組にいることがおおいらしい。ママが亮佑と晃志とピーちゃんを相手に子守役。ピーちゃんのママは食材の準備に忙しい。

焼き上がったお肉を子供用に切り分けてあげる。一口大に切らないと、噛み切れないので、出してしまうからだ。でも上等のお肉だったので、すごく柔らかい。いつもは食べないお肉をおいしそうに食べていた。しかし子供の腹は小さい。まだまだ食材がたくさん残っているのに、ひととおり食べて空腹が満たされると、いきなり、川に入って遊びたいと3人ともが言い出した。土手の上なので川面までは10メートルくらい降りないといけない。パパはまだもう少し食べたかったが、つき合うことにした。

公園として護岸工事がしてあるので、コンクリートの岸に川面が接している。ママもピーちゃんのママも降りてきた。子供たちだけ靴を脱がせて水に浸からせ、パパは岸から手を取ってるだけと思っていたが、一旦川に入るとどんどん歩いていってしまう。これはまずい、と思ってあわててパパも靴を脱いでズボンをたくし上げて一緒に川に入った。結構水が冷たい。お魚いるかな、と探していたピーちゃんに、向こう岸に行かないといないよ、というとあっちまで行くと言って歩き出すので、あわてて手を引いて歩いていった。亮佑とちがって怖いものなし、冒険心が強い。幸い浅瀬で十分歩いていける。向こう岸は護岸工事が堤防だけで公園整備してないので、岸に近くても流れが緩やかだ。小さな魚がたくさん泳いでいた。

ピーちゃんをつれて戻ってきた時点でひとまず切り上げて土手に戻る。大人が食後の歓談をしている間、子供たちは公園を遊び回った。晃志は、その後、ママに抱かれて寝入ってしまった。実は昨夜から発熱していて、今日は大丈夫かなと思っていた。明け方から熱が少し引いたようなので連れてきたが、いつもの元気はない。本人は楽しいので興奮していたのか、なかなか寝ようとしなかったが、ついに体力つきたという感じだった。

一方亮佑は、再び川に降りて水遊びをしているピーちゃんを見つけて、降りたそうにしていたので、連れていく。岸から川に向かって石を投げ入れたかったようだ。川の中から石を拾って投げ入れて遊んでいると、亮佑がバランスを崩して片足を川に突っ込んでしまった。バランスくずすんちゃうかなあ、と思ってみてたら、そのとおりになったので、手を差し伸べて身体を支えようとしたが、亮佑はその手にすがることなく、先に足を川に突っ込んだのだった。すかさず手を取って拾い上げたが、「あほ、なにしてんねん!」と怒鳴るパパ。亮佑はパパに怒鳴られて、うわぁと泣き出した。ピーちゃんのママが、「男の子がこんなことで泣いたらダメよ」とたしなめてくれた。

亮佑の名誉のために言っておくが、水遊びが好きな亮佑は、靴が濡れたくらいでは泣かない。むしろ、両足突っ込んでも平気だろう。幼稚園でも靴をどろどろにして帰って来たときは、水たまりに足を突っ込んできたに違いない。泣いたのは、パパに怒鳴られたからだ。パパが怒鳴ったことによって、靴を濡らすのはいけないことだと分かったが、濡れた靴は簡単に乾かない、これはヤバイことをした、パパの怒鳴り方からしてゴメンではすまへんなあ、ここは泣くしかない、という意識が働いたのだと思う。いつも泣くのはそういうときだ。泣いて許しを請うのである。

パパは、石を投げたくらいでバランスを崩すということと、差し伸べた手を無視して足を先に突っ込んだ要領の悪さに情けなくなったので、思わず怒鳴ったのだった。いまから思うと、怒鳴らなくてもよかったのにね。

土手にあがって、裸足になって靴を乾かしていたが、すでに夕刻近くなって山影になった川岸では昼間の日差しがなく、乾きようがない。しばらくしょげていた亮佑だが、しばらくすると、裸足で舗装された遊歩道を走り回った。遊歩道の真ん中は木材が敷き込んであって、肌触りがいい。パパと競争していると、ぴーちゃんも参加してきた。パパは走り疲れたので、ぴーちゃんのママにバトンタッチ。そうこうしていると、晃志が目を覚ました。

一眠りすると元気な晃志。またまた3人で楽しそうに遊んだ。

帰ってから、晃志が「ワンちゃんも、ぴーちゃんもいたねえ。ぴーちゃんのママ、おもしろいねえ」と感想を漏らした。よっぽど、楽しかったのだ。

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991016 模様替え

地下室に置いてあるタンスを一つ上に上げることにした。代わりにパパのベッドを下に移動する。今パパが寝てる部屋を衣装部屋に変更するためだ。北側の部屋なので、冬に寝るには寒いので、暖房費を浮かせるためにということもある。

タンスをあげるのが一苦労だった。一気に全部移動するつもりはなかったが、どうせ動かすなら全部やっちゃえ、ということで大移動となった。バザーの準備の手伝いが終わって帰宅してからの発案だったので、開始時間が遅かった。

その間、晃志と亮佑がわあわあきゃあきゃあ言いながら、結構なかよく遊んでいるのがよかった。夕食も遅くなりそうだったので、「お腹空いたらポップコーン食べときい」というとかえって喜んでいた。

問題のタンスは、引っ越しのときに今回移動する部屋に入れられなかったので、地下室入りになったタンスの一部だ。システム家具なので組み合わせがいろいろ変更できる。引っ越し後にその組み合わせを変えて800幅くらいのサイズにしたものだ。これなら階段経由であげれるかもしれない。と思ったのが甘かった。

地下から上にあがる階段の入り口部分の背が低く、タンスが通らないのだ。寝かせると回転できない。どうしたものか。横向きにして、一旦窓から外に3分の1くらい出して、回転させた。狭い駐車場で左右に幅寄せさせるときの切り返しみたいなもの。階段の壁は、タンスが当たって傷だらけになってしまった。プロの引越屋さんが苦労して傷つけずに運んでくれたタンスにも傷がついちゃった。ははは。

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991017 バザー

今日は幼稚園のバザー。昨日はパパがテント張りのお手伝いにいった。今日はママが売り子さんとしてお手伝い。のみの市での掘り出し物を目当てに一足速く出かけたママのあとから、亮佑と晃志はパパが会場まで連れていった。運動場いっぱいに張り巡らされたテントや、普段とはちがう人混みに亮佑も戸惑い気味。晃志も怖じ気づいたのか、おとなしい。

ママはお昼からお手伝いなので、早めのお昼ごはんを会場で食べた。前売りの食券で食べ物を買ってきたが、亮佑も晃志もあまり食欲がない。遅めの朝食をさっき食べたばかりだから無理もない。一通り食べ終えると、ママは持ち場にいって、亮佑と晃志はゲーム。スーパーボールすくい、的あて、釣りゲームなど、幼児向けにはおなじみの定番ゲーム。しかし亮佑も晃志も普段ほどはしゃがないのが不思議。スーパーボールすくいでは、亮佑が5つもすくった。これは大進歩だ。春フェスのときは、一つもすくえなかったのだから。

晃志と亮佑がようやく馴染んできたのは、幼稚園の先生たちが出演する「せんせいとあそうぼう」だった。手遊びを一緒にしたり、紙芝居を一生懸命に見てた晃志が印象的。そのあと、ママの売場に行った。

ママはカップラーメンと手作りパウンドケーキを売っていた。あまり人気がない。これは、取り合わせが悪いうえに場所も悪く、食物としては、それだけ独立したところにあった。無理矢理ラーメンとケーキを買わされたが、亮佑はママが売っている商品を買うのが楽しみだったのだ。ママに売り子姿をみた亮佑と晃志は、一通り遊んだこともあって、結構満足気味だった。しかしパパは、ゲームの景品やら買い込んだものやらで、荷物がどんどん増えておもくなったので、もう帰りたかった。

この荷物がなければ、もう少しゆっくりできるだろうに、と思いつつ、二人の様子をみているとすでに会場への執着心がない。帰り際に買うと約束していた風船を買ってやったあと、すこし休憩しているときに、晃志が風船を飛ばしてしまった。よそ見をしていたパパは、亮佑の声で初めて気づいたが、その時点ですでに20〜30メートルくらい上がっていた。あれよあれよという間に天高く舞い上がっていく。「あーあ、なにしてんねん」と晃志をみると、すでに半泣き状態で空を見上げてる。これはまずいと思って、しゃがみ込んで晃志と一緒に風船を見上げて、「風船どこまでいくかなあ、がんばれ!」と言った。晃志がどう反応するか心配だったが、小声で「がんばれ!」と言ったので、一安心。そのあと新しい風船をもらいにいくことにした。

新しい風船をもらったら、長居は無用。そそくさと帰った。帰りのバスのなかで晃志が寝そうになった。両手に紙袋を持っているので、寝られると困る。晃志、寝るな!と呼び続けて、なんとか眠らずに済んだ。帰宅すると、すぐにお昼寝するかなあとおもっていたら、寝ない。「値牟田褐炭茶宇野?(「ねむたかったんちゃうの?」と打って変換するとこんなんでました。ATOK12は大阪弁は苦手か?)」と聞くと「もお、おきた」と言って寝ない。

それでは、とういうことで、宝釣りゲームでの景品を一つずつ開けて楽しんだ。晃志がくじ引きで一等賞を当ててもらったゲームを3人でした。お菓子も食べた。ママが売っていたカップラーメンも食べた。ひとしきり、子供の相手が終わると、どっと疲れた。ちょっと横になって休んでいると、二人が馬乗りになって襲いかかる。休めるもんじゃない。ふと時計をみるとまだ3時過ぎ。今日は、まだまだ先が長い。

そこにママが帰ってきた。二人は玄関に走り去った。ママは後片づけのお手伝いを済ませて帰ってきたのだ。ママもお疲れ。パパの隣に横になるが、容赦なく二人が襲いかかってくる。

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991019 コミュニティ考(パパの独り言)

バザー会場の設営準備を手伝って思った。このバザー、となりの教会と共同開催のため教会関係者が多い。昨年11月からしかお世話になっていないので新参者という意識があったが、教会関係者の親密なコミュニティがあるから、幼稚園のお父さんたちが浮いていたわけだ。母親はいつも顔を合わせているので知り合い同士だが、父親はお互い知らない。もっとも、どの父親も母親間では顔が割れているらしい。知らないのは父親同士だけのようだ。

つまりこの幼稚園、地域コミュニティだけでなく、キリスト教信者という強いつながりをベースに成り立っている。手伝いに来ていた教会関係者は、幼稚園の先生を「○○んとこの(娘さん)」と呼んでいた。その先生の親と知り合いなのだ。昔からずっとこの地に住んでいた人たちが幼稚園を支えているわけだ。うちのカミさんは、昨年11月に編入した頃、知らない人からでも「新しく入園されたかたですね」とよく声をかけられたそうだ。池田という街の歴史性なのか、町なかの人たちのコミュニティは、いわゆる都会的な冷たい関係ではない。人なつっこい暖かさを感じる。こうしたコミュニティの一員として行事に参加できることはうれしいことだ。

その一方、池田の自然的景観を破壊するような新築マンションに引っ越してきた新参者の後ろめたさを感じる。はたしてこのコミュニティの一員として認められるのだろうかと。

カミさんに話すと同意してくれた。千里ニュータウンで育った彼女は、新興住宅地特有のコミュニティしか知らない。歴史ある町のコミュニティの暖かみとは、こういうものなのか。ところが、我々が住んでいる地域は、最近マンションラッシュで、彼女のピアノレッスンの生徒も新しく引っ越してきた子が多い。なかには関東から転居してきた家族もある。これはまるでニュータウンのコミュニティだが、彼女自身にはなんら違和感がない。

ふと、子供が幼稚園を卒園して小学校に上がったとき、うちの小学校区は今通っている幼稚園の園児がほとんどいないことに気がついた。亮佑はそれでやっていけるだろうか。すこし心配だ。しかしあと1年くらいなので、いまさら幼稚園をかえるわけにはいかないだろう。亮佑はこのまま卒園させるとして、晃志だ。ママの仕事も忙しくなってきたので、亮佑が卒園したら晃志の幼稚園は家の近くのに変えた方が晃志のためになるのではないか、などと思った。

ところが、その話をした翌日、ママが子供を連れてお散歩してたら、近くの幼稚園の園長先生とばったり出くわしたそうだ。挨拶して少し話をするうちに、昨年の今頃説明会を聞きにきたとき、延々2時間にわたって教育方針を聞かされたあと、年中組は募集しないと言われてショックを受けたことが思い出されたらしい。そのときの園長の話しぶりが走馬燈のように蘇ってきたらしい。言葉は丁寧で人当たりはよいが、何を考えているのか、言葉と態度が一致しないということらしい。しかも入園手続きには子供の健康診断書が必要なのだ。そういえば、昨年は、いずれにせよ健康診断書を要求するような園はやめようということにしたっけ。何のために必要か分からないが、他の幼稚園では必要ないからだ。てなわけで、晃志の幼稚園を近くの幼稚園にしようかなって思いは、一夜にして撤回された。

これって神の思し召し? だって昨日の今日のこと。なぜ今の幼稚園に通っているかについては、地域事情がわからないため、積極的理由はなかったが、結果としては良い幼稚園でよかったと思っている。それを晃志については違う幼稚園にしようか、と相談したとたんにそこの園長先生と出くわすわけだ。運命は自分で切り開くものかもしれないが、そのためのヒントは、人生のいろいろな場面にちりばめられている。それに気づくかどうかが問題だ。昨日のカミさんの出会いは、明らかにそういうヒントだろう。素直に受け入れるべきかも知れない。

そう思っていると、昔、池田の教会の日曜学校にきていたことを思い出した。パパがまだ小学生だったころ、伊丹に住んでいたが、白崎という友達が日曜学校に通っていて、のこのこついて行ったことを思い出した。母からもらった30円を握りしめて、白崎と一緒に伊丹総監部前からバスに乗って池田に向かう。バスは片道10円。池田のどの教会かは全く覚えがないが、教会のなかでお祈りをして歌をうたって、最後に10円を寄付をしてかえってきた。日曜日の朝早く起きるのが苦痛ですぐにやめてしまったが、薄暗い教会の神聖な雰囲気が子供心に忘れられなかった。白崎は物静かな秀才で、あこがれだったのだ。小学生のくせにベートーヴェンの運命に凝っているなんて、すごいと思っていた。遊びに行くといつもお婆ちゃんが迎えてくれた。日曜学校の話をきいてどうしてもついていきたくなったのだ。すっかり忘れていたが、池田との関わりはすでにそのころからあったわけだった。

これってやっぱり神の御業でしょう。

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