KOYO Paraside

育児日記1999/02


990211 インフルエンザ
1月の最後の週、我が家にはインフルエンザが蔓延してた。まずは、幼稚園に通う亮佑が高熱を出した。土曜日の午後、くしゃみをしていたのがその前兆だったようだ。日曜日にはかなり熱が出てきてぐったりしている。食欲もない。しかし、吐く。亮佑は1年前に同様の風邪を引いた。そのときは、嘔吐するのがはじめてだったので、吐いては泣いていた。今回は、吐き慣れている。咽が痛い、と言ったかと思うと、吐いた。無造作に嘔吐する。吐き気がすると言って、吐く。熱もひどくなっていく。休日診療に連れていこうかどうか迷ったが、もう少し様子を見ることにした。しかし日曜日の夜は、最悪だった。39度の熱がでて、体中が熱い。水分を摂らせようとして水を飲ませても、すぐに吐いてしまう。かわいそうだ。

月曜日の朝になって、弟の晃志もかかったみたいだ。朝一番で医者に見てもらおうとするが、でかける直前に晃志が吐く。

嘔吐性の風邪という医者の判断だった。しかし、高熱がでている。インフルエンザちゃうの? このころ、テレビはインフルエンザのことで持ち切りだ。いろんな情報が入ってくる。どうも医者の判断が信用できない。引っ越してきて、医者の善し悪しがわからない。箕面市なら、良い医者を知っていた。そこに行くには、ちょっと遠い。近場でもっとよい医者がいないものか。

高熱を出した晃志は普段と別人のように、食欲がない。食べないのだ。食べない晃志ほど、かわいそうなことはない。しかし、力なくグッタリしている様子は、普段の凶暴な晃志とちがって、かわいらしい。まぶたも二重になっている。晃志は少々、病気のほうが、男前になる。

水曜日になって、母親にもうつったようだ。看病疲れということもある。なにせ、夜中に熱がひどくなるのから、おちおち寝ていられない。寝不足になる。子供の風邪を大人がもらうと、症状が重くなるらしい。高熱と嘔吐。全身のだるさ、関節の痛み。典型的なインフルエンザの症状でしょう。寝てるしかない。しかし、子供もまだ完全には回復していない。パパが子供の世話をする。

2月1日は晃志の誕生日で、1月31日に両親の両親を呼んでお誕生会をする予定だったが、準備ができないので2月6日に延期した。

土曜日。そろそろうつったかな、と思ったが、パパだけ高熱は出なかった。ちょっと疲れただけ? いつものようにお昼ねすると、体力が回復した。

日曜日。とりあえず、みんな元気になった。完全ではないが、みんな熱はない。まずは、家族だけで晃志のお誕生お祝いをした。

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990213 ひいばあちゃんが亡くなった
2月13日夕刻、亮佑と晃志のひいばあちゃんが亡くなった。母親の母方の祖母である。自宅から2分の病院に入院していたにもかかわらず、買い物に出かけていたので、死を看取ることができなった。帰宅したときには、留守電に伝言が入っていた。慌てて母親の実家に駆けつけた。すでに親戚一同が集まっていて、我々は最後だった。
ひいばあちゃんは、我が家がインフルエンザ騒ぎのとき、入院した。持病の心筋梗塞と風邪による肺炎とで、一時危ない状態だった。かかりつけの医者が入院を勧めたので、入院した。たまたま、うちの近くの病院しか空いていなかった。いまから思えば、ひいばあちゃんの「意志」だったかもしれない。
入院当初は1ヶ月程度で退院とのことだった。ひいばあちゃんは、日ごろから元気だったので、誰もが退院するものと信じていた。
しかし、点滴の針が肺にささって、肺に水がたまり、緊急に手術をした。その手術のあと、医者は2週間くらいで退院といっていたが、急に亡くなった。85歳だった。

990215 ひいばあちゃんのお通夜
ひいばあちゃんのお通夜。火葬場が混んでいて、葬儀が16日にしかできないので、お通夜は15日になった。葬儀会館でのお通夜。ひ孫が、亮佑と晃志のほかに二人いるが、あとの二人は晃志と同い年である。焼香のあいだ、おとなしく出来ない2歳児をあやすのにそれぞれの親たちがとても苦労した。
母親はお通夜の会場にそのまま泊まった。亮佑と晃志は父親と一緒に、一旦家に帰った。お風呂に入って寝床についたのは12時だった。


990216 ひいばあちゃんのお葬式
ひいばあちゃんのお葬式は、11時からだった。おそくとも10時半には会場につかないといけない。昨夜が遅かったので起きるかどうか心配だったが、亮佑と晃志は、8時には機嫌よく目を覚ました。しかし9時半には出ないと間に合わない。二人に食事をさせて、着替えさせて、さて出ようとすると、亮佑は「パパ、うんち!」と言ってトイレに10分もすわりこんでいるし、ようやく終わって靴を履かせようとすると、晃志がうんちしてて、おむつの交換である。結局、家を出たのは9時40分だった。間に合わないかもしれない、と焦った。道はそれほど混んではいなかったが、前を走る車がことごとく遅い。こういうときに限って、遅い車が前を走る。いらいらするが、事故を起こさないようにとの神様のおぼしめしかあ、とあきらめた。着いたのは10時40分。案の定、集合写真には間に合わなかった。写真を撮り終えた直後に会場についた。
晃志は、やはり寝不足だったのだろう、会場に向かう途中で眠り込んだ。そのまま、葬儀が終わるまで寝ていた。これは助かった。焼香の最中に暴れられずにすんだ。亮佑は、もうすぐ4歳だけあって、この程度のことは我慢できるようになった。
火葬場から葬儀会館に戻ってきて待つ。昼食を終えても、1時間半以上時間があった。その間、子供たちは、とても暇である。さいわい、葬儀会館は貸し切り状態だったから、そこらじゅうを走り回って、あそんでいた。

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