990213 ひいばあちゃんが亡くなった
2月13日夕刻、亮佑と晃志のひいばあちゃんが亡くなった。母親の母方の祖母である。自宅から2分の病院に入院していたにもかかわらず、買い物に出かけていたので、死を看取ることができなった。帰宅したときには、留守電に伝言が入っていた。慌てて母親の実家に駆けつけた。すでに親戚一同が集まっていて、我々は最後だった。
ひいばあちゃんは、我が家がインフルエンザ騒ぎのとき、入院した。持病の心筋梗塞と風邪による肺炎とで、一時危ない状態だった。かかりつけの医者が入院を勧めたので、入院した。たまたま、うちの近くの病院しか空いていなかった。いまから思えば、ひいばあちゃんの「意志」だったかもしれない。
入院当初は1ヶ月程度で退院とのことだった。ひいばあちゃんは、日ごろから元気だったので、誰もが退院するものと信じていた。
しかし、点滴の針が肺にささって、肺に水がたまり、緊急に手術をした。その手術のあと、医者は2週間くらいで退院といっていたが、急に亡くなった。85歳だった。
990215 ひいばあちゃんのお通夜
ひいばあちゃんのお通夜。火葬場が混んでいて、葬儀が16日にしかできないので、お通夜は15日になった。葬儀会館でのお通夜。ひ孫が、亮佑と晃志のほかに二人いるが、あとの二人は晃志と同い年である。焼香のあいだ、おとなしく出来ない2歳児をあやすのにそれぞれの親たちがとても苦労した。
母親はお通夜の会場にそのまま泊まった。亮佑と晃志は父親と一緒に、一旦家に帰った。お風呂に入って寝床についたのは12時だった。
990216 ひいばあちゃんのお葬式
ひいばあちゃんのお葬式は、11時からだった。おそくとも10時半には会場につかないといけない。昨夜が遅かったので起きるかどうか心配だったが、亮佑と晃志は、8時には機嫌よく目を覚ました。しかし9時半には出ないと間に合わない。二人に食事をさせて、着替えさせて、さて出ようとすると、亮佑は「パパ、うんち!」と言ってトイレに10分もすわりこんでいるし、ようやく終わって靴を履かせようとすると、晃志がうんちしてて、おむつの交換である。結局、家を出たのは9時40分だった。間に合わないかもしれない、と焦った。道はそれほど混んではいなかったが、前を走る車がことごとく遅い。こういうときに限って、遅い車が前を走る。いらいらするが、事故を起こさないようにとの神様のおぼしめしかあ、とあきらめた。着いたのは10時40分。案の定、集合写真には間に合わなかった。写真を撮り終えた直後に会場についた。
晃志は、やはり寝不足だったのだろう、会場に向かう途中で眠り込んだ。そのまま、葬儀が終わるまで寝ていた。これは助かった。焼香の最中に暴れられずにすんだ。亮佑は、もうすぐ4歳だけあって、この程度のことは我慢できるようになった。
火葬場から葬儀会館に戻ってきて待つ。昼食を終えても、1時間半以上時間があった。その間、子供たちは、とても暇である。さいわい、葬儀会館は貸し切り状態だったから、そこらじゅうを走り回って、あそんでいた。
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