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2003.08.29(金) スターウォーズ展

京都の国立博物館の「スターウォーズ展」に家族で行った。国立博物館って、パパもはじめてだったりする。ママはどうしてスターウォーズなんかを国立博物館でするの? と不思議顔だが、スターウォーズがどんなにすごい映画かを知らない。

映画の内容を知らないと行っても意味がないので、実はパパは密かにスターウォーズ展にいく計画をたてて、夏休みの間、折を見ては子供たちと一緒にスターウォーズを観てきたのだ(ママは一緒に観ようとしなかったけど)。

ちょうどレンタルビデオ屋さんにはエピソード2が並んでいた。エピソード1はずっと前にみているので、この夏はエピソード2からはじめた。もう一度、エピソード1をみて、エピソード4・5・6をみることにした。1,4〜6はWOWOWで放映されたとき、わざわざ吹き替え版を録画しておいたのだ。

これでようやく「トイストーリー2」でバズ・ライトイヤーの宿敵が実は父親だったというオチが、スターウォーズのパロディであることを理解させることができる。

エピソード2を観た後にエピソード4を見直すと、さすがにの映像的・映画的技法の古さをぬぐえないが、この映画がその後のSF映画のあり方を変えたことを思うと、はやり偉大な作品だ。

パパの解説も加えながら、アナキンがルークの父で、その後ダースベーダになり、ルークと戦うというあらすじが理解できたようだ。しかしながら子供たちがもっとも喜んだのは、小熊のようなイウォーク族たちのシーン。彼らが戦闘に荷担するシーンは大喜びだった。当然ながらライトセーバーで戦うシーンも大喜び。チャンバラですから。

なにわともあれ、ようやく全作品を見終わってから、京都につれていく日を考ると、もう開催期間の最後の週になっていた。京都には阪急電車で行って、四条から京阪電車で七条まで。子供たちは「おけいはん」に乗るのがちょっとした楽しみ。


京阪特急の前で

スターウォーズ展は、思ったより混雑してなくて、ゆっくりと観ることができた。しかしルーカスフィルムにはもっとたくさん資料がありそうにも思った。もっとたくさん展示してくれてもよかったのにと思ったけど、持ち出せないものもあるのだろう。それでも、ひとつひとつの模型や衣装やデッサンなどをみていくと、映画作りのための資料なのか、現実社会の資料なのか、頭が混乱してくる。あとで、常設展も観たので余計にそうおもう。

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2003.08.28(木) プールで水泳指導

この夏、溺れかけたので、亮佑と晃志がどれほど泳げるか確認しておきたかった。二人をプールに連れていって、幼児用の浅いプールで自由に泳がせてみると、バタ足がめちゃくちゃ。腕もまわしているだけで水をかいていない。しかも、亮佑は無理に息継ぎをしようとして体が大きく揺れている。数メートルも行かないうちに体勢が崩れて泳げなくなってしまう。

パパが泳ぎを覚えたのは、小学校のとき。夏休みの間は小学校が水泳教室を開催していた。そのときに教えてもらったことだけ。だから決して速くは泳げないけど、泳ぎの基本はそれで十分だと思う。でも、亮佑の小学校では夏休みに泳ぎを教えていない。

溺れかけたときにあまり慌てなかったのは、亮佑が数メートルは泳げることを知っていたからだ。けどその泳ぎ方が我流であることも知っていた。泳ぎ方をちゃんと指導すればもっと泳げるようになるはずだ。

まずは息継ぎによって体勢が崩れるのを防ぐために、息継ぎなしでプールの端から端まで(5mくらい)泳がせてみた。さきほどと違って結構まともに泳いでいる。バタ足も問題だが、腕を回すたびに体が左右に大きく揺れている。ここは腕の回し方の修正が必要。

がむしゃらにぐるぐる回すのではなく、体は揺らさないようにして前方の水をかき集めるように手を伸ばして、おへそから太もものあたりに掻き出して、ヒジから抜く。そんなこと言ったってすぐに理解できるわけではないだろうとおもいながら説明したが、ちょっとだけかっこいい泳ぎ方になった。まだ水かきしている感じじゃないけど、まあいいか。

「ちゃんと泳げるやんか。なんで海では泳がれへんって言ったん?」
「あんときは、泳がれへんとおもってん」
「泳げるから大丈夫や」

そこで25mプールで泳がせると十数メートルは息継ぎなしで泳げた。今度は息継ぎのしかた。勝手にやらせてみると、息苦しくなってから顔をほぼ前方に上げながら息継ぎしている。顔は横に向けること、向きは右か左か決めること、腕の動きと呼吸を合わせてリズミカルに息継ぎすること。まあ、これが難しいんですけどね。

亮佑は右で息継ぎすると言いながら、どうしても顔を前に上げたがる。左手で水かきしているときに右側に顔を向けるというのを、おなかを支えてやって体得させようとしたが、腕力がないので手がうまく回らない。様になってきたものの、すぐに左に曲がっていってしまう。左手の水かきが息継ぎに気を取られて推進力になっていないからだ。

でも、まあいいか。今日はこれまで。というか、亮佑の友達がどんどんプールに集まってきて練習どころではなくった。

さて、晃志。クロールを覚えさせるのはあきらめて、背泳ぎからトライ。背泳ぎといっても仰向けになって足はバタバタ、手はひらひらで。頭を下から支えてやると、お尻がどんどん沈んでいくけど、なんとか推進力がある。そのまましばらく支えてやると結構進んだ。そこで5メートルを目標にして、手を離してやると、10メートル近くまで進んだ。これには晃志自身が驚いて喜んだ。目をつぶって泳いでいることと、ちょっとでも顔に水がかぶるとすぐに足をついてしまうが、なんとかこれで泳げるようになった。

そうこうしていると、晃志も亮佑のともだちに誘われて遊びだしたので、練習はおしまいになった。パパは亮佑の友達の遊び相手となって、常に誰かを背負って歩き回った。目が悪いので誰が誰だか分からないけど、こういうときって、生きたおもちゃとして扱われるもんですね。

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2003.08.13(水) 海水浴

ママの弟のノリユキ君(チチ)のお休みに合わせて、チチの一家とママの両親といっしょに海水浴に行った。行き先は、舞鶴とだけ聞いていたので、一昨昨年に行ったところに行くものだと、勝手に思っていた。

伏尾台に6時集合、6時半出発。わが家は5時に起きて5時45分くらいに出発の予定が、結局6時発になった。一昨日の大雨で伏尾台に行く道は、伏尾台以北で土砂崩れがあり通行禁止になっていた。交通規制をしていたおじさんに「伏尾台まで」と告げると「これはどうも失礼しました」と平身低頭に通してくれた。そこまでしてくれなくてもいいのに。今日も雨が心配だったが、ちょうどよい具合に晴れてくれた。

ノリユキ君たちはまだ到着していなかったので、伏尾台で朝食のおにぎりをいただいた。亮佑の要望で大きな三角おにぎりをノリで全部被ったもの。まだ暖かいおにぎりはおいしい。パパは、炊き立てのご飯で握ったおにぎりが大好きだ。塩だけで握ったのがいい。塩おにぎりなら、いくらでも食べられる。アニメ映画「千と千尋の神隠し」で「ハクのおにぎり」を千尋が涙して食べるシーンは泣ける。とてもおいしそうだった。「ハクのおにぎり」は、食料の貴重さを教えてくれる。

8時半ごろ、舞鶴につく前に、朝食と称してマクドナルドによった。朝マックするのが亮佑たちとおばあちゃんとの約束だったらしい。でも2時間前におにぎり食べたばっかりやん、とおもっていたら、子供たちの食べること! 普段は食パン半分しか食べないのに。

舞鶴港をすぎて高浜町に向かう。どうも行き先は、一昨昨年に行ったところではなく、一昨年に行った和田浜のようだ。砂浜がきれいで遠浅で泳ぎやすい浜だ。一昨年と同じ駐車場に停めた。

和田浜全体は結構広い湾になっている。遠浅で、いったん深くなりかけるけど途中で腰くらいの深さのところがあって、そこから再び深くなっていく。浜辺から100メートルくらいかなあ、結構沖合の水深3〜4メートルのとこらへんにプラスチックのブロックでつくったイカダがおいてあって、その先20メールくらいまでが海水浴区域になっている。

晃志とヒロちゃん(小1、チチの長男)をビーチマットにのせてチチがイカダまでつれていく。その後ろから、浮輪につかまった亮佑もイカダまで連れていった。イカダでは若者たちが飛び込み合戦をし始めた。バク転しながら飛び込むのだ。それを見ていたチチが、自分もできそうな気がすると言って飛び込んだ。再び上がってきたら、今度は我が子に飛び込んでみるかといって、先に(普通に)飛び込んでヒロちゃんを飛び込みさせた。

それを見ていた亮佑が飛び込みたいとチチにすがった。亮佑も物怖じしなくなったものだと感心した。チチは続けざまだったので、しんどいと言いながらも、快く引き受けてくれた。ところが、亮佑が飛び込んだのを見届けると、続いてヒロちゃんが再び飛び込んだ。さらに晃志が、なにも言わずそれに続いた。(あとで聞くと、みんが飛び込んだので、ここで飛び込めへんかったら男ちゃうって思われるから、らしい)

ヒロちゃんは幼稚園のとき水泳教室にかよっていたので泳げるが、晃志は泳げない。やばい! あわてて浮輪とビーチマットを放り投げて、パパも飛び込んだ。子供をもつ親なら、こういうときには危機感をすぐに感じるが、周りの若者たちには全くそんな気配はなく、ただ傍観していた。

パパが水面に顔を出すと、晃志は泳げないながらも近くに放り投げられたビーチマットまでたどり着いて捕まっていた。亮佑とヒロちゃんがチチにつかまっている。亮佑を引き取ってビーチマットまでつれていった。すぐにチチもヒロちゃんをつれてきた。3人がビーチマットに跨がろうとしたが、それは無理なので、来たときと同じように一番重い亮佑は浮輪に捕まらせてパパが連れてかえることにした。

パパは、べったりと浮輪にくっついて押していたが、ちょっと手を伸ばして浮輪から離れたとたん、亮佑は何を考えたのか、浮輪から体を抜いてしまったのだ。実はイカダに向かうときも同じことをしてたが、そこはまだ足が底につくところだった。しかし今回はちがう。まだ水深3メートルはある。

数メートルは泳げるとおもっていたので、まだ慌てずに亮佑の手をとって泳ぎをサポートしてやろうとするが、うまい具合に行かない。おしりを押してやると「やめて」という。そうこうしているうちに浮輪が2〜3メール離れ出した。「およげるんか?」ときくと「およげない」という。「えっ?!」この一言でパパがパニックになった。

亮佑と浮輪の距離は3〜4メートル。浮輪をとってもどって来るのに10秒とかからないだろう。亮佑は泳げないと冷静に言えるので、まだパニックにはなっていない。かといってあと何秒くらい持ちこたえられるだろうか。浮輪と亮佑の間にいて、一瞬葛藤した。結局、亮佑の傍らによって、腕をとった。

亮佑は立ち泳ぎをしていたが、海水を飲んだのか、ややあわてはじめている。このままだと浮輪に追いつけないうちに亮佑が力尽きる。そうおもって、亮佑に「パパの肩につかまれ」と指示した。(あとで考えるとこれがまちがいだった。救助の基本は仰向けなのは知っていたのに。よほどあわてていたのかもしれない。)

亮佑は肩に手をまわしてきたが強くつかまろうとするので、首がしまる(これが、パニック状態では助かろうとして救助者にしがみつくということか)。さらに、親子亀状態で平泳ぎをすると息継ぎのために首をあげれない。息継ぎに余計に力がいるので、前にすすまない。「しまった。この状態では長い時間およげない。体力がつきる。まだ水深3メートルはある。」と思いつつ、必死で泳いだ。

無我夢中だった。「溺れた子供を助けに行って親子ともども溺死するとはこういうことか」と思った。

1分も経っていなかったかもしれない。前方を泳いでいたチチが異変に気づいて、こちらに単身で向かってくるのが見えた。助かった、と思った。彼が浮輪にたどり着いて手に取ってくれたとたん、亮佑は自分で浮輪に向かって泳いでいった。(なんや、泳げるやんか、と思った)


「ありがとう。たすかった。死ぬかと思った。」それだけ言って、亮佑の浮輪につかまった。チチは置き去りにしてきた晃志達のビーチマットにすぐに戻った。あちらの二人もおとなしく待っていられるかどうか心配だった。

「泳がれへんのに浮輪から手を離すなよ! 何考えてんねん! 海を甘くみるなよ! 死ぬ何も知れへんかったやないか!」と一気にまくし立てて叱り飛ばしたが、それ以上しゃべれる力がなかった。浮輪のうしろに両手と頭をのせて足だけでゆっくりと浜に向かって漕ぎ出した。

後方から「ボールとってえ」という声。振り向くとすぐうしろにビーチボールが漂ってた。5メートルくらい後ろに若い男がいた。そこに向かってビーチボールを投げたが、2〜3メートルしか飛ばなかった。すでに筋力を使い果たしていたようだ。

気がつくとあまり岸に近づいていない。どうやら斜めに泳いでいたのかもしれない。目がみえないので亮佑に10番の旗を確認させたら、案の定、少し左にずれていた。もうすこしで足がつくというところで、本当に体力が限界にきた。脚が動かない。「もう、パパあかん。およがれへん」といいながらも、ゆっくりゆっくりと平泳ぎを続けた。もうすこし、と思いながらしばらく泳いでいると、ようやく脚がついた。

岸にあがると、恐ろしいほどに呼吸が激しい。全身に力がはいらない。100メートルを全速力で駈け抜けた感覚。こんなに激しい運動をした記憶はいまだかつてない。持ってきていたアクエリアスをがぶ飲みして、栄養ドリンクも飲んで、ぐたりと倒れ込んだ。疲れ切っていたので、ただ寝たいだけだった。

しばらく寝ていたら、食事の時間になったが、まったくのどをとおらない。それでもおにぎり2つをほお張って、再び寝た。前夜の寝不足も重なって1時間は熟睡したように重う。気がつくと全身の筋肉がパンパンになっていたが、ようやく普通に動き回れるくらいには回復した。

実は、おじいちゃんが、ことのいっさいをビデオに撮っていたらしい。浮輪を離して何遊んでんのかなとおもっていたらしい。たしかにそうかもしれない。かといって救援を求めるために手を上げたとしても、余計に遊んでいるようにしか見えないだろう。海での溺れるとはそんなものなんだろう。

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2003.08.15(金) 手塚治虫記念館

手塚治虫記念館に行った。亮佑が図書館で借りてきた伝記集に手塚治虫のことが書いてあったのにママが触発されたのだ。いまテレビで放映されている新作鉄腕アトムの特別展をやっていた。あたらしいアトムは、パパたちがみたアトムよりメッセージ性が強いとおもう。ウルトラマンガイヤやウルトラマンコスモスで悩めるヒーローになれている子供たちには、アトムの悩みも当たり前のように感じるのかもしれない。

パパは小学校のころ漫画家になりたいとおもっていた。小六のとき、クラスではノートに書いた自作漫画を見せ合うのが流行していた(中塚が最初にやりはじめてみんながマネした)が、パパもマネした。しかし、参観日の日に名指しで将来の漫画家になるのかと聞かれたとき、給料が安いからいやだと宣言をしたことを思い出す。「まんがの書き方」という本に書いてあった原稿料のことを、原稿1本あたりと取り違えていたのだ(本当は1枚単価)。

手塚治虫記念館で手塚の小学校時代の絵をみていると、あのころあきらめてよかったとつくづく思う。

手塚の伝記にもでてきたが、医学部の学生だった手塚が漫画家になる決意をしたのは、母親が好きな方を選びなさいと言ってくれたからだ。ママは伝記を読み聞かせながらすかさず「ママなら、漫画家なんてとんでもない、医者になりなさいっ、ていうわ」と冗談ながらに言っていたが、手塚の生きた時代に、好きな方を選びなさいなんて言える母親はほかにいなかったかもしれない。

亮佑と晃志は、将来何になりたいとおもうのだろうか。


鉄腕アトムと一緒に

実は、ママはこの日、大劇場の当日券を買うのに朝から並んだのだ。しかし開演までのあいだに帰宅するわけにはいかないので、あとからパパが子供たちを連れて行って合流した。歌劇の開演時間に合わせてみんなで昼食ととると、ママは歌劇をみて、パパたちはその場に残ってデザートなんかを楽しんだ。

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2003.08.09(土) 太秦映画村

今年の夏は、かねてから連れて行きたかった映画村にいくことにした。パパはまだ言ったことがなかった。すべて見せ物でしかないUSJとちがって実際に映画撮影することもあるのがおもしろいハズ。東映の戦隊シリーズも出し物としてあるから、晃志にはうってうけ。

パパは四条大宮から嵐電に乗るのがいちばん速いとおもっていたが、ママは嵐山から行くのよ、いつもそうしてた、と主張する。パパは学生時代、京都に下宿していたので、交通手段の考え方がちがうのかもしれない。

パパは大宮までいくつもりでいたが、近頃の阪急特急は四条大宮に止まらないので、桂で急行に乗り換えないといけない。桂でおりたついでにママのいうとおりに嵐山経由で行くことにした。

桂ではそうでもなかったのに、嵐山についたら雨模様。嵐電の駅はどこ? とママに聞くと、知らん、という。まただ。ママに道案内をまかせたパパが間違っていた。ママは地理情報を覚えられないのだ。駅前の案内板をみて嵐電の位置をさぐり、あとは野生のカンで道をさぐることにした。

雨の嵐山もまた風情があってよろしい。嵐電までの道をしらないのには辟易したが、結果としては、四条大宮から乗るよりずっと良かった。


あいにくの雨の渡月橋

嵐電こと、京福電車嵐山線の駅についたら、1両しかないのをみて晃志がバスみたいという。そうなのだ、ほとんど路面電車。昔、京都には市電が走っていたけど、それと同じ。

映画村ではアバレンジャーのショーをみたが、これがまた良くできている。役者もいいし、舞台照明もばっちり。エキスポランドやファイミリーランドで観るのとは、ひと味もふた味もちがう。

あんまり時間がなかったので、閉館までにすべてのアトラクションを体験できなかったのが残念だった。お化け屋敷にはぜひ入りたかったのに、子供たちが怖がってダメだった。

劇場シミュレーション型の映像のアトラクション(無料)に子供たちを誘うと、晃志は座席をみるなり「これ。うごくんちゃうん?」と言い出して、座ろうとしなかった。ジェットコースターと勘違いしているのだ。あるいはUSJのバックトゥザフューチャーを覚えているのかもしれない。とにかくいやがって、座席のまわりをうろうろして高遠網と、いきなり場内から脱出しようと出口まで走り出した。しかし外に出たら出たでまた不安になるとおもったのだろう、再び戻ってきたものの、どうしていいか分からず、泣きながら立ちすくんでいるのだ。

20席くらいしかないので既にみんな着席している。泣いている晃志を着席させて、「怖くないから」と落ち着かせようとしたが、「こわいよう、だれか助けて」といって泣きやまない。

映像が始まると、山頂からスキーで滑って山をくだり、ボートにのって川を行って、最後はバイクで走って、部屋に入ると七福神が待ち受けるというもの。笑ってしまった。導入した頃は最新鋭のアトラクションだったんだろうが、今となっては映像にもっと工夫が欲しい。


ちょっと若い水戸黄門さんと一緒に

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