不定期に更新する子育て記録です。最新は一番下。過去の日記はこちら

2002.11.06(水) 亮佑、風邪で寝込む

亮佑が昨日の朝からお腹が痛いと言っていたが、下校してからも直らなくて、体操教室でもお腹が痛くて鉄棒ができなかったとか。夕食時には食欲がなくて、とうとう発熱して寝込んだそうだ。

というわけで、今日は小学校も休んだ。ところが、ママは晃志の幼稚園行事。市内私立幼稚園のママさんバレーボール大会の接待役でどうしても出かけなければならない。亮佑はひとり残されて寝ていた。

10時までは忙しいから電話かけてきたらダメよ、と言われていた亮佑だが、10時をすぎた途端にひっきりなしに電話がかかってきたそうだ。一緒に接待していた幼稚園のシスターも電話にでてくれたそうだ。久しぶりに亮佑の声を聞いたシスターは、「りょうちゃん、元気?」。横で聞いていたママは思わず「ちゃうちゃう、風邪で寝てるんやって」と心の中でつっこみを入れたとか。

夜になって、これからカエルコールをすると、亮佑は回復したが、ママが夕食後にバタンキューだったらしい。子供たち二人は何をおもったか、食事の後片づけを自分でして、そのあと二人で競ってピアノの練習をしたらしい。普段は、練習しろと言ってもしないのに。そういう話を聞いたあと晃志が電話に出た。「こうちゃん、やっぱりピアニストになるねん」

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2002.11.08(金) 亮佑の学習発表会

パパは仕事で見に行けなかったけど、小学校で学習発表会があった。児童たちは大変よくできました。拍手がいっぱいでした。拍手がなっているなか、とつぜんおおきな声で先生が「そこの椅子かたづけて」と言ったそうです。え、まだ拍手してるやん!? こどもたちが一生懸命にやったことに対するねぎらいの言葉も、父兄に対するあいさつもなかったそうです。

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2002.11.10(日) みかん狩り

子供会のみかん狩りが、昨日から今日に延期になった。前夜の雨でぬかるんでいたからだろう。幼稚園児の晃志の場合は、親の同伴が必要だったが、土曜日はパパが仕事だったので亮佑ひとり参加するハメになる予定だった。日曜日に変更になったおかげで、晃志も参加できるかと思ったが、実はパパが木曜日から風邪をひいて体調が絶不調。ママはピアノ発表会の打ち合わせがあるので連れて行けない。ママは途中で印刷屋さんで発表会のプログラムを受け取ってから打ち合わせに向かわないといけないので、パパが運転手をすることになった。晃志はパパと一緒にドライブ。

亮佑を9時すぎに送り出したあと、9時半をすぎてから車で千里中央まで向かっていると、みかん狩りの一行に出くわした。徐行して追い抜きながら、ママが亮佑に声をかけた。(あとで聞くとママの声が響き渡ってたそうだ)

ママを千里中央まで送っていって、大丸プラザ内の旭屋に欲しい本があったことを思い出した(近所の本屋には置いてなかった)ので、そのまま車を駐車場に入れて晃志といっしょに買い物をした。晃志は本屋さんでいろいろ発見をした。「かいけつゾロリ」の全集が置いてあるのをみつけて、これはりょうちゃんが小学校で借りてくる本や、と言って喜んでいた。

パパは「日本科学技術大学教授上田次郎のどんとこい超常現象」という本をみつけて、にやり。手に取ってみて、大きなゴシック体の文字にがっくり。内容を拾い読みして、トリックのストーリー上田次郎の視点で書き綴ったものと察して、さらにがっくり。もう少しまじめに研究論文風にしてほしかったなあ。

千里中央をあとにして、帰宅途中、コーナンで台車が安売りしていたのを思い出した。ママが日頃からほしがっていたし、安いから1台買っておこうと思ってコーナンに寄った。寄ったついでにいろいろ物色していたら、なんと11時半を回っていた。亮佑の帰宅予定は何時だっけ? と思いながら急いで帰宅した。

すると玄関に張り紙があった。「みかん狩りが予定より早く解散して11:30に帰ってきました。亮佑君は子供たちといっしょに遊んでいます。○○号室M」あちゃー! 間に合わなかった。ちゃんと電話番号も書いてあったので急いで電話しようとして家の中に入ると、ママからの留守電の伝言が入っていた。ほんのちょっと前だった。「あれ、パパいませんか? そろそろ亮佑が帰ってくるのになあ」と伝言がのたまう。

Mさんに電話してお礼をいうと、しばらくして亮佑が帰ってきた。共同玄関で呼び鈴押しても誰もでなかったので、一緒に帰ってきたMさんが心配して玄関先まで付いてきてくれた。それでやっぱり留守だったので、おうちにおいで、と言ってくれたそうだ。

亮佑は、お昼用に買ってきたパンを食べながら「みかん狩りに行く途中でママに会った!」とうれしそうに言う。晃志とパパは顔を見合わせて、「こうちゃんとパパは? いっしょに車にのってのにぃ」と突っ込むと、亮佑は初めて察したかのように照れ笑いしながら「そうか、そうか」と頭をかいた。

ママから電話があったので、亮佑のほうが早く戻ってきていて余所のお家でお世話になったことを伝えた。なにかあいさつがわりのもん買ってきて、と頼んだ。

ママは帰宅すると、その足ですぐに挨拶にいった。しばらくして戻ってきたママのうれしそうな顔ったらない。「りょうちゃん、りょうちゃん」といって亮佑を引き寄せて無理矢理抱きしめる。「ほめられたよ〜!」

Mさんが「お家に上がって」と誘ったら、亮佑は「いいんですか?」と聞いてから、「おじゃまします」と言って上がってきた。しっかりしているし、遊び方も落ち着いていてよい子ですね、と言われたそうだ(えぇ? ほんまかいなあ;パパ)。持っていったお菓子は、ちょっと子供をあずかったことだけのことだから、と言ってなかなか受け取ってもらえなかったそうだ。それに以前ご主人に助けてもらったから、こちらが恐縮します、とか言われたそうだ。パパが何か人助けしたっけ? と思っていると、どうも駐車場に忘れていた車のキーを管理人室に届けたのがパパだったらしい。管理人さんからパパの名前を聞いてしっていたが、当方はママでさえまだ顔と名前が一致していなかった。

いやあ、あいさつには伺うもんですな。

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2002.11.11(月) かしこいこうちゃん

朝、幼稚園まで晃志を送っていくとき、駐車場で先に車を出そうとしている人がいた。「おはようございます」とパパがいうと晃志もあとから「おはようございます」と挨拶する。晃志は最近ごあいさつが上手になった。

幼稚園前で駐車できた場所がいつもより入口から遠いところだった。いつもは車をとめるところがなくてパパが運転席にすわったまま晃志だけ下りるのだが、今日は駐車スペースがあったのでそこに停めたのだ。

エンジンをかけたまま車から降りてしばらく晃志の様子をみていたら、晃志がふりかえりつつこちらをじっと見る。「どうした?」「いるんやったら、いっしょにいこう」というので、あわてて車のエンジンを停めて晃志と手をつないで園のなかまで入っていった。そういえば、もうじき晃志の送り迎えも終わりやからなあ、とパパはひとりでちょっと感慨深げ。

園児を送り追えた夫婦が車のところに戻ってきた。「おはようございます」と言われたので「おはようございます」というと、晃志もパパと一緒に「おはようございます」と言った。晃志の元気の良い挨拶に夫婦はおどろいて「おっ、しっかりしているな」と返していた。

お帰りのお迎えはママ。ママと一緒にバスで帰ってくる。そのバスのなか、晃志が下車の合図のボタンを押そうとしたが届かないのをみて、近くにいたおばあさんが代わりに押してくれた。「ありがとう」と晃志がいうと「まあ、かしこいねえ」とおばあさんが答えた。晃志は「はい」と返事した。車内が笑いで和んだそうだ。

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2002.11.11(月) 発表会が楽しみになった亮佑

帰宅したパパにむかって亮佑がいきなり「発表会がめっちゃ楽しみになった」と言い出した。あれほど練習サボりたい病だったのに、どうしてだ?

「なんで、どうしたん?」
「今日の練習でなあ、2回目と3回目がめっちゃうまいこと弾けてん」

昨日パパと一緒に少しだけ練習した16分音符のところが、ちゃんと弾けるようになったらしい。ママには内緒だが、実はパパはどうすればちゃんと弾いているように聞こえるかというごまかし方を教えたのだ。でも、その要領で弾くと、いままでうまく動かなかった指がついてきたのだろう。

亮佑は、弾けるようになると、いきなり活気づくお調子者だ。でもそれでいい。

ノーベル化学賞の田中さんも減点主義はいけないと言ったと今日のニュースでやっていた。できるところは誉めて、できないところを出来るように指導して自信をつける。できたら誉める。いくつになっても、人を成長させる教育方法の基本は同じかな。

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2002.11.17(日) フリージア・ロンド・コンチェルト

フリージア・ロンド・コンチェルトはピアノ発表会のこと。今年は千里中央のA&Hホールでの開催。ホリゾントが使用可能だったので、ステージ効果を演出した。

晃志の演奏曲は、「だいふくじぞう」と「インディアンのおどり」。そつなく終わるはずだった。が、伴奏のデータが最後の最後におかしくなって、晃志が最後の音を鳴らした途端にブーっという音を発したまま終わらなくなってしまった。晃志はうしろを振り返ってどうしたものか伺っていたが、まもなく伴奏データが最初からかかりなおしたので、あわててピアノ演奏を始めた。出だしの部分は後を向いていたので、途中からの演奏になった。よく途中から伴奏に合わすことができたものだ。

ところが、また曲の最後にブーっとなってしまった。あれ、あれって思っている間に、今度はそれで終わってしまった。司会進行役のママがやってきて、晃志にマイクを向ける。「ごめんねぇ、ちょっとおかしくなっちゃったね。演奏はどうでしたか?」「ちょっと、びっくりしたぁ」とぼそぼそと発した晃志の声に、会場から笑いが起こった。晃志は笑いをとるのが得意だ。

ちょっとかわいそうだったけど、一応最後まで弾いたからよしとしよう。

亮佑の曲は「ねこバス」。となりのトトロの挿入曲だ。シンコペーションがうまくこなせるようになったのが得意げだった。ちょっと音量が足りないところもあったかとも思うが、楽譜にはたしかにpかmpの指定があったようにも思う。

それにしても亮佑のお辞儀は、ゆったりとしすぎていて、ちょっとまどろっこしい。ママによると、パパがなんか誉めたんちゃうん、何回言ってもあれでいいねんとしかいえへんねん。いやー、そんな覚えはないけどなあ。

伏尾台のおじいちゃんおばあちゃん、グリーンヒルのおじいちゃんおばあちゃんも来てくれたので、終わってからみんなでチャイナテーブルで食事をした。やっぱりみんなで食卓を囲むのは楽しい。

帰宅してからビデオを観ると、晃志のときのトラブルが、唯一のトラブルだったが、晃志がそれを笑いに変えていたのが、とてもいい。

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2002.11.22(金) 晃志、頭部CTスキャン!

今週の月曜日、火曜日と風邪で熱を出して幼稚園を休み、水曜日、木曜日は復帰して幼稚園に行った晃志の風邪が、金曜日未明にぶり返した。今日は幼稚園で「お店屋さんごっこ」の日。長い日数をかけて準備を進めてきたので、晃志が楽しみにしていた日だった。しかし、朝4時に腹部の激痛で目覚め、嘔吐して、大泣きして、鼻血まで出した。その後も腹痛と頭痛が治まらないし、熱もあって食欲がない晃志は、欠席せざるを得なかった。晃志はお寿司屋さんになるはずだったのに。

亮佑と晃志が同じ幼稚園にいた1年間、年少組の晃志は年長組の亮佑のお店に真っ先に駆けつけたそうだ。年長組が販売係で、年中組、年少組はお客さん。だからお店屋サンの晃志はとても楽しみだったのだ。

今朝方、晃志の様子を伺っていたママが、口のまわりに細かいブツブツが出てきたのを発見した。このまま寝かせていてもよかったが、ブツブツが気になるので医者に見せた方が良いだろうということになった。火曜日に熱が引かないので連れて行った小児科に再び連れて行った。

医院の前には駐車場がなく、どこか別の場所にあるとのこと。ママだけ下りて医院で地図をもらってきて、晃志をおろして連れて行った。パパは幼稚園まで行って晃志の荷物と忘れ物のオーバーを引き取りにいった。

幼稚園の先生が、どうですか? と聞くので、インフルエンザではなさそうです。治ったと思ったんですけどねえとパパが答えた。きっと亮佑の風邪が家族に伝染ったんでしょうね。

駐車場は医院から歩いて5分ほどのところにあった。車を停めて医院に入ると、待合い室まで医者が出てきてママと何か話している。イヤな予感。晃志はソファーにぐったりとしていた。医者が診療室に戻ったあと、ママがこっちをみて「市民病院」という。口の周りのブツブツは毛細管の出血によるもので、鼻血を出したこと、断続的な嘔吐、などから、頭部の内出血の可能性があるので精密検査が必要だという。

実は水曜日に病み上がりで幼稚園に行った晃志は、暴れていたお友達がぶつかってきたおりに身長計が倒れて、腹部に擦り傷を負った。そのときの様子は、いろいろ行き違いがあって詳しく知らされなかった。だから身長計が頭に当たったかも知れない、とママが言った。晃志に確認すると、おでこのうえあたりに当たったという。その話と鼻血の話を聞いて医者が慌てたらしい。

急いで車を取りに戻って、市民病院に行く。駐車場に入れて、ぐったりした晃志を抱きかかえながらおろしていると、駐車場係りの人が車イスを使いなさいと出してくれた。重病人のように晃志は車いすで運ばれることになった。すでに11時半を回っていて、受付時間外だったが、小児科医が連絡を入れてくれていた。小児科医でもらった書類を総合案内に渡すと、既にセットしてあった別の書類束を渡されて、診察受付でカルテを作成するとのこと。しばしまったら、カルテを持って小児科受付に行けとのこと。

小児科受付は近所のお母さんだった。こんにちはと声をかけたら、連絡が入っていたのか、驚いた様子もなかったので、「内出血しているみたいなので検査してほしい」と簡単に伝えて、カルテと医者からの紹介状を渡した。まず、検尿からだというので、晃志といっしょにトイレに行った。

トイレから戻ってくるまでの間、受付の近所のお母さんがママから詳しく話を聞いて、それなら頭部CTスキャンが必要だと思うけど、ここには脳外科がないし、検査の機械もない。点滴と聞いていたけど、詳しい話を聞いてから、また別病院で検査ということになったら大変だろうから、ここの検査はキャンセルして、さっそく別の病院を当たった方がいいと進めてくれた。

頭を打って内出血しているかも知れないから診て欲しいと言って、市立箕面病院にママが電話すると、脳外科担当医がいないから診察できないと断られた。市立豊中病院に電話すると、とりあえず来て下さいという。そういえば、1年ちょっと前に晃志が低い本棚の角に頭をぶつけてケイレンしたとき、救急隊員に駆けつけてもらったが、収容先の病院を見つけるのに何回か電話をしなおしていた。救急隊でさえなかなか見つけられないということだろう。

市立豊中病院の診察受付に行ったら、結構またされた。その間にまた晃志が吐いた。朝から何も食べていないので吐く物がない。水分だけ。パパが手のひらで受けてトイレに流しに行った。

結局、救急受付に行って下さいとのこと。たぶん診察受付は終わっているので、マニュアルどおりの対応だと、さっさと救急受付に回すことになると思うのに、いろいろ問い合わせた結果だったみたい。

救急受付で手続をする。ひととおり経緯を話したママは、これで何度目かなあといいながら少々辟易してきた。ソファーに座ってまっていると、看護婦さんがやってきて、症状や経緯を詳細に聞いてきた。何度も話しているママの説明に、ちょっと誇張が感じられた。

かなり待っていたら、小太りで冴えない顔したおタクっぽい医者がソファーの前を横切っていった後、診療室に呼ばれた。ひょっとしてさっきの医者? だったら冴えない奴だったよなあ、とおもったらやっぱりそうだった。傍らに立つ看護婦はさっきの人とはちがう。医者がどうしました?と聞くので、さすがにムッときた。さっき詳細に説明したばかりだ。ちょっと口ごもったパパを抑えるようにママが喋り始めた。かなり誇張が入るようになっている。

ママの話を聞いている医者を見ていると、頭部への衝撃による症状かどうかを見極めようとしている様子がよくわかった。がそれを確かめるものであることは察知しやすい。ママは相手が医者であることを忘れたように、最初の小児科医で言われたことを素人に話すように話していた。それを遮ることなくじっと聞いては、端的な質問を次々してくる医者は、ちょっと斜視の傾向があるかのようにこちらを直視していないが、なかなかしっかりした医者だと思った。

ひととり聞き終えた医者は、聴診器を取って晃志の胸を背中に当てた。その後ベッドに横に寝かせ腹部を押したりして痛みがアルかどうかを見ている。腹部を打っているので超音波で見ておきましょう、とエコー検査を始めた。

ケイレン等もなく、動かしにくい箇所もないので、一応問題はないみたいですが、このさいCTスキャンしておきますか? 検査して何もないというほうが安心でしょう、というのでそうすることにした。
しかし、口のまわりのブツブツは気になるので、あとで小児科に見てもらいましょう。

CTスキャンするために放射線科に移動。CTスキャン室のまで待機。
この待ち時間に、ようやく小休止ができた。自販機にジュースを買いに行って、ついでにたばこを一服。

CTスキャンの現像ができるのを待って、再び救急診療科へいく。CTの結果は何も異状はなかったようだ。一旦待合所にもどって今度は小児科医の診察を受けた。小児科の看護婦が最初に症状を詳しく話した看護婦だった。ここで血液検査と尿検査をすることになった。採決と採尿のあと、検査結果までやく1時間かかるということ。食事をしてもよいといわれたので、ようやく昼食を取ることができる。3時10分まえだった。病院の食堂で食べた。晃志はパフェが食べたいと言ったが、バナナとアイスクリームを3〜4口食べると再び寝入ってしまった。

1時間経って戻るとすぐに呼ばれた。血液検査の結果、とくに出血しやすい状態になっているわけではないので、点状発疹はきっと大泣きしたときに力んだからだろうと言われた。そういえば今朝は大泣きした。

いろいろな検査を半日のうちにやった。とりあえず異状なしということでホッとした。もし休日中に何かあったら救急にきてくださいとも言われ、この日は安心して帰ることができた。

自宅には小学校から帰ってくる亮佑を迎えるために、おばあちゃんが来てくれていた。いったん遊びにでた亮佑は4時に電話してくるように言われていて、そのとおりに電話をして戻ってきていた。こんどは亮佑のピアノのレッスンに千里中央まで行かなければならない。本来パパは仕事があるのでお迎えだけだが、この日はとくに残業があるのが分かっていたから迎えにさえ間に合わないハズだった。それが、晃志の診療に時間がかかったおかげで仕事を休んでしまったので、自宅から送っていくということになった。

ところが亮佑はまだ音楽教室の宿題をやり終えていなかった。帰宅するなりママのしごきが入る。晃志はすぐに布団にはいって寝入った。おばあちゃんはお粥だけ炊いてすぐに帰った。亮佑が宿題を終えるのを待って、再び車で千里中央に向かった。車中、宿題の曲の題名とテーマを二人で一緒に考えた。

音楽教室についてコンクール参加費を亮佑に渡そうとして、財布をわすれたことに気づいた。すでに駐車場に入れているので、取りに帰ることもできない。亮佑の音楽教室友達の親に借りることもできるが、実はママは音楽教室の先生とも親しいので、先生に電話してもらって先生から借りた。なんとも恥ずかしい。

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2002.11.23(土) アラジンと魔法のランプ

池田アゼリアホールでのミュージカル。ステージだけでなく客席通路にもスタッフがずらりと立ち並んでいる。ホール全体を使って所狭しと繰り広げらる演技と、コーラス隊の踊りと歌。全体に良くできていたと思うが、途中お姫様がさらわれるシーンが唐突だった。台詞やナレーションなしだったし、客席の通路での演技だったからだ。

とはいいものの、不思議に感動したなあ。魔法使いの弾くバイオリンが上手だった。

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2002.11.24(日) ファミリーランド

今日は、宝塚ファミリーランドのウルトラマンコスモスの最終日。晃志がどうしても行きたいので、午前中の仕事を終えて急いで帰宅してから、家族で出かけた。池田駅についたのは3時。

今日のお目当てはイベントホールでのウルトラマンコスモス。久々のファミリーランドは結構混雑していて、往年のにぎわいが戻っていた。すでに3時半を回っていたので、帰路につく客のなかを逆行しながらも、いつもこれだけ人がいたら結構楽しいのにと思う。昨年秋に来たときは、どの乗り物に乗るときもほとんど我々一家だけだった。あれでは寂しすぎる。そのときに、もうファミリーランドも卒業やな、と思ったものだ。それがまた来るハメになった。晃志がウルトラマンコスモスをどうしても見たいからだった。

イベントホールにつくと、なんと今回のウルトラマンはショーステージだった。すっかりいつもの展示物と思いこんでいた。到着したときには、ついさっき公演が始まったばっかりだった。つぎの公演が最終公演だった。しかも追加公演。ということは追加公演がなければ本当は間に合っていなかったのだ。開始まで約1時間だった。案内係が言う。「十分座ってごらんになれますが、お並びになる方はこちらへどうぞ。」と誘導されて列を作らせれた。十数人の集団が行列とはいえない列をつくって順番を待つ。「ならんどこか」とママ。「えーっ、ここで1時間も待つのいややなあ」とパパ。
しかし、よく聞くと、入場まではあと約30分だというので、それならここで待つことにした。

ウルトラマンコスモスショーは、おきまりの「みんな、応援してね」の練習から始まった。いままで、ホールの中でのステージは見たことあったっけ? 野外ステージと違って照明効果がつかえるので雰囲気がある。

海底深くに放置されたロボット。「ずっと魚をみてきて感じることがある。魚だって悲しいときは涙を流す。海の中だからわからないけど」

ちょっと子供には難しいし、コスモスの主題としても悲しすぎるのではないか。

それにしても、ファミリーランドがなくなるのはさびしい。自分が子供の頃に遊んだ遊園地で我が子も遊ぶ。そうやって続いてきた遊園地なのだ。

それにしても疲れた。

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