不定期に更新する子育て記録です。最新は一番下。過去の日記はこちら

2002.09.06(金) 晃志の部屋

朝、幼稚園に送っていくときのパパと晃志の会話。
「こうちゃん、もう一台テレビがほしいぃ」と晃志。
「おくとこないやん」、だからダメと言いたいパパ。
「こうちゃんのへやにおくねん」
「おもちゃのへやか」
「ちがう、あれはりょうちゃんのへや」
「りょうちゃんのへやは、机のあるリビングやな。おもちゃの部屋がふたりの部屋や」
「ちがう、りょうちゃんのへや!」
「そしたら、晃志の部屋はどこや?」
「たたみのへや」
「みんな寝てる部屋か? テレビおいたら、みんなで寝られへんようなるやん」
「りょうちゃんは、ゴミだめでねたらいいやん」(ゴミだめ=散らかったおもちゃ)
「じゃ、ママはどこでねるん?」
「パパのへやでねたらいいやん」
「パパのへやは、ねるとこひとつしかないやん」
「パパにかさなってねたらいいやん」
「そんなんしたら、パパちっそくするやんか、うぐっ、ぐるじいい」
「ははははっ」

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2002.09.09(月) 中座で火事、ショック!

道頓堀の中座が火災で消失した。法善寺横丁も焼けた。ボリショイサーカスを見た帰りに、道頓堀まで子供たちを連れていったおりに見たのが最後だった。ママは中座の舞台を踏んだことがあるのが自慢だった。サーカスの帰りのときも、なつかしいを連発していた。すでに解体工事のために柵がしてあった。

法善寺横丁はむかしよく行った。先日のサーカスの帰りのときは、かつどん屋を覗いたがあいにく満席だった。ならお好み焼きの三平ある。しかし、ママは怪訝な顔をして、子供たち向きには他の店がいいんじゃない、といって立ち去った。あのとき並んででもかつどんに入っておけば良かった。

どこがどのように延焼したのかわからない。しかし、法善寺は大阪の心のよりどころ。法善寺横丁まで焼けてしまったショックは大きい。

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2002.09.09(月) 亮佑は反抗期?

どうも亮佑は反抗期なのか。宿題しなさい、勉強しなさい、ピアノの練習しなさいとか言っても、何もしないで机に向かっているだけ。「はやくしいなあ」と言うと、ブスッとした顔つきで、親をにらみ返す。

いったいどうしてこんな風になってしまったのだろう。なんでも一生懸命に取り組むのが亮佑だった。でき上がったものを褒めると、さらに一生懸命になったものだ。

クレヨンしんちゃんのテレビアニメの主題歌の歌詞が、おもしろい。あれもダメ、これもダメ、とダメダメと言い続けて最後に、しんちゃんおかたづけしなさーい、と言われる。するとしんちゃんは、「おらぁ、いまやろうとおもったのにぃ」という。

誰でもそうだが、あれしなさい、これしなさいと指図されるのはいやなものだ。いままさにしようと思っていたことでも、指図されたら一気にやる気が失せたりする。亮佑の場合は、しかし、それより深刻のようだ。

昨日、ピアノの練習をするためにママと一緒にピアノの部屋に入ったが、相変わらず何もしないでいたらしい。ママは堪忍袋の緒が切れてしまった。あとで亮佑といっしょにお風呂にはいって問いただすと、ピアノをやめたいと言い出す。だから練習もしたくないのだ。

練習したくないからピアノをやめたいのか、やめたいから頑なに練習しないのかは定かではない。しかし、いまのところ、ピアノだけではなくすべての事柄において、やる気がないのも事実だ。もう少し様子をみて、何事も自分からやりたくなるようにしむけてやらないと、このままでは亮佑がダメになってしまう。

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2002.09.10(火) 運動会は競技種目だけ!

小学校の授業参観はママに行ってもらったが、そのあとの懇談会でえらい事が発表になった。運動会から演技種目をなくして、競技種目だけにするそうだ。なぜなら演技種目の練習に20時間を要するが、昨今の授業時間減少のなかで遅れている教科教育にその時間を充当するからだそうだ。まったくもってナンセンスの五月丘小学校! まるで芸能人の運動会。その芸能人でさえお正月には隠し芸大会やっているのに。

教科教育を減らして総合学習の時間をつくったのは基礎学力をつけるためではなかったのか。基礎学力とは自分で考えて行動する力ではないか。それがいままでのカリキュラムでは実践できなかったから改革しようとしているのではないか。それなら、いままでと同じような教育方法では無理があるのはあたりまえのこと。教育方法そのものを改革しなくてはならないはず。それを従来のと同じ方法でやっていては時間が足りませんというのは、結局小学校の教員は、毎年ルーティン仕事しかしていないということではないか。

ベテランの教員のクラスで学級崩壊が起こるのはなぜか。従来の画一的マス教育、とくに間違った平等主義(ほんとうは学習機会の平等であるはずなのに学力の平等と取り違えている)に基づいた教育が破綻をきたしているということではないか。いままでの教育方法では、個性を伸ばす教育ができないことに気づかないのだろうか。

出来る子は分かっていることばかりなのでおもしろくないし、出来ない子は分からないからおもしろくない。そういう失敗をまた繰り返そうとしている。

ちなみに、亮佑は一桁の足し算が未だに満足にできない。それが出来ないうちは、繰り上がりのない二桁計算だって満足にできない。まして二桁の繰り上がりなんて。みんな一斉に同じ事をするので、こういう出来の悪い子は放置されて、どんどん先に進む。そしてそれをよしとしている。こうして落ちこぼれを育成してきたのだ。

運動会において競技種目だけにするということは、児童の運動能力の個性を無視するものであることに気がつかないのだろうか。練習する時間がないとは、見栄えのする統制のとれた演技のみが美しいとおもっているからに違いない。

まちがった価値観で教育すると、まちがった価値観をもった人間しか育成されない。どうしてアメリカ国民はアフガニスタンへの一般市民を巻き込んだ空爆に良心を痛めなかったのか。テロの報復なら一般市民を巻き込んでも構わないとおもっている。そういう教育はして欲しくない。

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2002.09.19(木) このままだと2年生の勉強できなくなるよ

このままだと2年生の勉強できなくなるよ。

昨日のことだったか、亮佑の連絡帳に先生からそうかかれたらしい。帰宅した亮佑が、ママのレッスン中にもかかわらず、何か言いたげに廊下をウロウロしていたらしい。ついに、連絡帳をみせて、こんなこと書かれた、とママに報告した亮佑。よっぽどショックだったのだろう。

ママは、本心から亮佑を励ました。ほんとうはできるのに、授業中にぼーっとしているからだよ。これからちゃんとしようね。ママは、亮佑が本当にできないとは思っていないのだ。

パパは、その話しを聞いて、亮佑がオーバーワーク状態なのではと察した。基礎的なところをないがしろにしたまま、つぎつぎと先に進めていく学校とママのやりかたに、着いていけてないと察した。要は、読み書きソロバンが大事だ。一の位の足し算ができないのに、どうして繰り下がりの引き算ができる?

事実、亮佑は先日試しにやらせた百マス計算(実は9行9列の81マス)では、一の位のたし算でさえ、10分もかかったのだ。小学2年生では3分が目標なのに。

百マス計算のことは詳しく知らなかったが、縦横に10マスずつの枠を書いて一番上の行の数字に一番左の列の数字を足していくという計算練習問題。亮佑に足し算を教えるときに「10になる2つの数字を覚えなさい」と表を書いてあげた。一年生のときだ。けど、表を見ておぼえるのではダメだったのだ。こうして何度も手で書いて覚えないといけないのだ。つい先日、本をよんで理解した。

ママは、亮佑が本当にできないとは思っていない。だからパパが、亮佑は本当に勉強がわからないのだ、というとヒステリックに反論する。どうしてヒステリックになるのかわからない。ママのやり方を否定しているわけではない。考える力をつけることも大切だ。しかし亮佑の場合、それ以前に、基礎的な計算力がないという現実を、しっかりと直視しなければならない。事実を受け入れないと対策が打てないじゃないか。

揚げ句の果てには、自分は暗算できないけど、こうしてちゃんと社会人になっていると言い放つ。いくら暗算できないといっても、一の位のたし算とか、九九とかは覚えているハズでしょう。亮佑は一の位のたし算を覚えていないだよ、暗算以前の問題なのだ。

今日、亮佑はママのレッスンが終わるまでに宿題をやっていなかった。ママが食事を始める前、やさしく、「やっておいてね」と言っても亮佑は鉛筆を持つ手をいっこうに動かさない。だんだんママの口調が命令口調になって、最後には「はよ、しなさいよ!」となる。実は、亮佑の勉強をみていると誰でもがそうなる。手を動かそうとさえしないのだから。ママの食事が終わったころ、ついに忍耐の限界に達したちょうどそのときにパパが帰宅した。

パパは状況を察したので、計算ドリルの筆算をやっていた亮佑に「はようやっときいなあ」とやさしく語りかける。先に食事を摂る。しかし案の定、傍についていてやらないと亮佑はほとんど鉛筆を動かさない。食事を終えて、ママが晃志とお風呂にはいったのを確認して、亮佑に聞いてみた。

「もんだい、でけへんのか?」
「ううん」と否定する亮佑。
「ほんまか? できるやったら、もっとスラスラと解答かけるやろ」
「...」
「ほんまは、わかれへんねやろ。わかれへんっていったら怒られるから、わかるふりしてんねんやろ。ちゃうか?」
「...」無言でうなずく亮佑。

まあ、そんなことだろうと思った。この子は、横について宿題やるのを見ててあげないとできないのだ。しかも、宿題以外の練習は一切していないから、たぶん計算の基礎を覚えていない。今日の宿題は100をちょっと越えた数字からの2桁の引き算の筆算。ほとんど暗算の問題。しかし亮佑は問題を解くどころか、計算式を写そうともしない。

横について、一つずつ指図していく。ハイ、問題を声に出して読んで。書いて。定規で線引いて。1借りてきて、10から引いて。1借りたから1引いてから引き算して。と横で唱えるとそのまま作業を黙々と進める。いままでの10倍くらいのスピードだ。

出来ないからやらない。やるのが嫌だ。だから何もしないでぼうっとしている。何もかもがそのようだ。こいつに自信とやる気をおこさせるにはどうしたらいいんだ。

計算ドリルのあとは、漢字ドリルが残っていた。漢字ドリルをやり終えるのを待って、一緒にお風呂に入った。

お風呂で算数の問題を出した。一の位の足し算をおぼえてないんちゃうか、と言いながら出題すると、若干つまることがあるけど、ほぼすぐに答えを言った。「なんや、できるやんか。これやったら百マス計算も3分でできるやろ。がんばれ。」と、ここまではニコニコ穏やかだったのだか。

試しに10から20までの数字から1の位の数字を引く引き算を出してみた。8+6はすぐ答えられるのに、14ー8が答えらない。そういえば、さっきの計算ドリルでは17ー9の答えに時間がかかっていた。つまり、数えているのだ!

そこで9を引くときは、一の位に1を足せばいいのだ、と教える。10ー9を先にやって、その答えと一の位の数字とを足し算すれはいいからだ。
だから17ー9は、7+1で、8
そういいながら、次々と9を引く問題を出していった。ところが、何度やってもすぐにこたえらない。一の位の数字に1を足すということを実行していないだ。これは徹底的に9を引く練習をすべきだと思った。

何度もたて続けに問題を出していった。問題と解答にリズムができかけてころに詰まる。そのたびに、1を足す、と教える。もう、そろそろ風呂から上がらせようと思っていた矢先、11ー9の答えに詰まってしまった。なんということだ!!!! これにはパパはぶち切れ!

1+1やろ、幼稚園でもできるぞ! 一の位に1足すんやろ!

9を引く問題ばっかりやってんねんから、たとえば13って聞いたらすぐに3たす1って思い浮かべろよ! 3たす1やろ。

ところが、また10数問くらいやってると、必ず詰まる。どんな数字であろうが、詰まる。つまり、集中力が途切れるのだ。1を足すという一番簡単な計算(はたして計算か?)でさえ、できないのだ。長時間お風呂に入っているから、ということもある。しかしここでは容赦してはいけない。リズムにのって答えらるようになるまで、お風呂からでたらアカン。

なんと1時間ちかくお風呂に入っていたかもしれない。おかげでこちらがクタクタだった。

「大きな声が外まで聞こえるし、明日亮佑は早く起きないといけないから、いい加減にして」とお風呂をのぞきにきたので堪忍してあげた。

いずれにしても、今日のお風呂で亮佑は2桁の数字から9を引くときの計算をマスターしたハズ。風呂上がりに何か飲みたいと言ってきた亮佑に、もういちど問題を出すとスラスラと答えられた。できて当たり前のことなんだけど、亮佑にはそれさえ出来なかったのだ。だから、こうして少しずつ覚えていけばいい。先は長い。

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2002.09.21(土) 亮佑は反抗期?2

昨日の夜、ママと話しをして亮佑にどのように対応すればよいかを検討した。

ママは、亮佑はほんとうは賢いハズだからどうすればやる気を起こしてくれるかだけだと主張した。ママはやっぱり我が子が「できない」と認知するのが怖いようだ。でも、事実は事実として受け止めて、対策を練るべきだろう。亮佑は他の子に比べて、基礎的な計算能力がないのだ。これは事実だ。

宿題をするとき、横についてじっと見ていると、繰り下がりのある2桁の引き算で、1を借りてきたときの引き算に時間がかかりすぎている。逆に言うと、1桁の数字の足し算の結果を暗記していないのだ。だから引き算では、数えている!

これでは暗算はできない。できないから、やりたくない。やりたくないから他のことをしてぼーっとしている。だからパパは、亮佑が越えられなかったハードルがあるハズなのでそこまで戻って、ちゃんと越えらるようにすべきだと言った(つまり百マス計算をさせる)。

すると音楽でも同じだということがわかった。楽譜を読むときに、ドレミファソ、と数えているというのだ。五線譜のどの線の上が何の音か覚えていないらしい。それで、はっきりした。最近の亮佑はイメージ記憶をしていない。つまり直観的判断ができなくなっている。まだ幼稚園のころの亮佑の記憶力は、すべてイメージ記憶だったのに。楽譜カードに戻って、直感的認識力をつけさせないといけない。

結局、学校の宿題は別として、しっかり横について基礎学力の指導をすることに落ち着いた。基礎学力をちゃんとつければ、自信につながり、自主的な学習を喚起するはずと信じている。

ということで、今日は朝から亮佑は宿題をすることになっていた。が、晃志が邪魔しないようにパパは晃志と遊んでいた。ママは仕事。漢字ドリルと計算ドリルの宿題を済ませたら、百マス計算のタイムトライアルのハズだった。最初は漢字ドリル。ノートに漢字を写すだけのこと。ところが、何分たっても宿題はいっこうに進んでいない。

15分たって様子をうかがったあと、そのまま晃志と遊んで、さらに1時間経ってから見てみると、なんと1時間前から全く何も書いていなかった。そして、いつものように激怒した。「なんで、ぜんぜんやってないねん! なにしててん?」「あそんでた」「あほか」

昼食のあと、ママが昨日はパパが横につきっきりで教えてあげないとダメって話してやん、と諭しにきた。確かにそうなんだが、漢字を写すだけの宿題でもつきっきりじゃないとできないのか。情けない。

晃志がピアノレッスンするから、その間、パパが亮佑につきっきりになった。といっても、監視の目を光らせながら新聞読んでただけ。でもそれだけのことで漢字ドリルを終えるのに10分とかからなかった。

問題は計算ドリル。筆算のおさらいのページ。制限時間10分と書いてある。亮佑にはできるわけがないが、10分を目標にトライさせる。亮佑でも暗算で解答できる問題もあるが、これは筆算の練習問題なので、解答手順に沿って解答しないといけない。だから横でいちいち筆算の手順を言いながら計算させた。

「はい○番、読んで!」
「○○引く○○」
「書いて」「(定規で)線引いて」「1借りて、引いて」(案の定、ここで計算がつまる)「また引いて」
と、いちいち手順を説明するのだ。要はこういうことを日ごろからやっていなかったわけだ。亮佑ではなく親が猛反省すべきなのだ。

これを20問くりかえした。すると15分くらいだったろうか。10分ではできなかったが、亮佑にとっては自己最高記録だと思う。「いつもより速くできたんちゃうか?」と聞くと、うれしそうな顔をして「だんぜんはやい!」という。とりあえず、これでいいや。やる気をだせば、できるということが亮佑にも理解できたかな。

さて、それでは、百マス計算しましょう。と用意していた用紙をだす。実は百マスではなくて81マスしかない。以前やったときのも残していたが、はじめて時間を計ったときは20分(81マス)もかかってパパは驚いた。その直後にやり直したもので10分(81マス)だったから、とりあえず一安心。

先日お風呂のなかでは、一の位の数字の足し算は、結構覚えているみたいだったので、今日の結果が楽しみだった。1回目。6分36秒だった。前の10分からすると格段の進歩だった。2回目は6分を切ることを目標にしたが、6分48秒。1回目より時間がかかった。しかし、まあ、こんなところが現在の実力なんだろう。1問あたり5秒かかっていることになる。

3回目。今度は百マスのものを用意した。亮佑はさっきまでのが81マスだとは気づいていない。いままで2回はウォーミングアップと考えると、3回目の百マスで7分くらいになると良いかなあ、とも思いながらトライ。結果は、8分48秒。ちょっとショッキングな値だった。

亮佑も信じられないという表情。これはちょっと遅すぎるんじゃないか。3回連続だったし、晃志のレッスンも終わっていたので、ここで小休止。30分間アニメビデオを観て休憩。そして4回目。こんどは7分56秒。着実に速くなっている。

実は最初の2回は81マスしかなかったことを明かした。81マスで6分半なら1問5秒。そのペースで百マスだと8分ちょっとかかることになる。それを説明すると、亮佑はちょっと安心したのか、もう1回やらせて、と言い出した。4回分しか用意してなかったので、あわてて追加の問題をつくるパパ。

百マス計算のとりあえずの目標は5分。1問3秒でこなさなければならない(ということは3分なら1マス1.8秒)。亮佑、本日の最終トライアルは、うんうん唸りながら奮闘してた。結果は7分3秒。7分の壁は破れなかったが、いいタイムだった。1問あたりでは5秒を切った。この調子、この調子。

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