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2002.08.08(木) 丹波悠遊の森

グリンヒルのおじいちゃんおばあちゃんと直樹おじさん家族、それに増田母と一緒に、兵庫県柏原町の丹波悠遊の森に行った。2泊3日だ。宿泊するコテージのチェックインが4時ということで、現地に直接4時に集合ということになった。

ということで午前中は、前日のうちに預かってきておくはずだった桃を、グリーンヒルまで取りに行った。グリーンヒルのおじいちゃんとおばあちゃんは電車で行くことになっている。

午後1時頃、池田を出発。フィットではじめての旅行。高速道路を使うとどのくらい燃費がよくなるのだろうと思っていたが、普段から冷房を効かせて走ると極端に燃費がおちるので、今回も冷房聞かせながらだとあまり燃費はあがらないだろうと思っていた。舞鶴自動車道をいくと1時間ほどで丹波篠山についた。

出口を下りてからの道が分からない。地図には出口付近の詳細がない。どちらに向かえばよいか? こういうとき、オデッセイに搭載していたナビゲーターに慣れきっていて、まだアナログ世界の感覚に戻りきれていない自分におどろいた。ナビはやっぱり便利だと思った。自分のいる位置と方角を示してくれる。それだけで十分だ。

すぐに車を停めて地図とまわりの看板を見比べて進むべき道路を考えた。ナビの地図をみながら走る癖がついてたので、ピンとこない。しかし車を進めながら、これは違うと感じた。野生の感にたよってすぐにUターン。さきほどの出口を逆方向にまがるべきだったことを確認した。

ゆうゆうの森には3時頃にとうちゃくした。グリンヒルのおじいちゃんとおばあちゃんは3時半に柏原駅着という。直樹が迎えにいくとか行っていたが、とりあえずここで待つことにしよう。敷地内にあるレストランのベルピーマンで冷たい飲み物を飲んでいたら、しばらくして直樹一家と増田母が到着した。親父たちは乗っていなかったので、改めて迎えに行ったが、入れ違いにタクシーで到着した。タクシーとすれ違ったので直樹はすぐに戻ってきた。

翌日

ゆうゆうの森をみんなで探検した。探検というより散策の予定だった。キャンプ場のほうには古代の住居を復元したものがあるそうだ。よくできていたが、中に入るとはかび臭かった。山の中につくったので湿気が多いからだろう。それに生活していないので、中で火を焚いて乾燥させることもないからだ。外にでてよく観察すると、外側のワラがカビだらけだった。

敷地を少し奥に行くと、山椒魚が生息する水源地があると立て看板があった。しかし、森林の中の道には草が生い茂っていて行く手が見えない。親父が先頭を切って突き進んだが、諦めて戻ってきた。その間、残って待っていたのはパパと亮佑とマスダともえちゃん。他のものはコテージに戻ってしまった。

そのあと、5人で展望台まで登ることにした。ハイキングコースとなっているようなので、すぐに戻ってこれると思っていた。しかし、雨が降出すし、道はシダが生い茂っていて、ほんとうに展望台があるのかどうか不安になった。亮佑ももえちゃんもよく着いてきた。

 

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2002.08.13(火) ボリショイサーカス

大阪府立体育館までボリショイサーカスに行った。大阪公演の最終日だそうだ。府立体育館に行くのは、実はパパは初めてだった。

大阪城ホールや大阪ドーム(行ったことなけど)をイメージしていたが、中に入ってみてその狭さに驚いた。ここで大相撲をやっているのか。

サーカスを観るのも、パパは初めてだった。もちろん子供たちもはじめて。ママは木下大サーカスをみたことがあるらしい。さすがに子連れが多い。しかし客席は十分余っていた。前から3列目だったが、正面ではなかったので、場所的にはもっと後方の階段席のほうが良かったかもしれない。

目の当たりにするサーカスの演技は迫力があった。反面、USJの大道芸のようなものもあったので、なにがスペシャリストなのか分からない。空中ブランコは迫力があったし、馬の曲芸乗りもよかった。綱渡りも凄いと思った。でもなにか物足りなかった。なんだろう、この物足りなさは。

お昼をミナミで食べることにした。パパは心斎橋まで行って、明治軒のオムライスが食べたかった。串カツといっしょに食べるのがいい。オムライスのなかのご飯は牛肉の肉汁が浸みておいしいし、串カツのソースもおいしい。久々に食べたかったが、子供たちがそこまで持たなかった。子供たちは腹さえ満たされればどこでもよかった。マックにしようとさえ言う。さすがにそれだけは避けた。

ナンバシティを抜けて高島屋に向かう途中、ロケット広場を地上階からのぞいた。懐かしい。まだ残っていた。高島屋前に風景は変わっていない。しかしよく考えると、子供連れで入る店なんてしらない。自由軒のまぜカレーはきっと口にあわないだろう。

高島屋前から千日前に入って道頓堀まで歩いたが歩いていったが、それが限界だった。よく利用した鰻屋やパキスタンカレー店がなくなっていた。千房は長い行列できてたし、たこ焼きで小腹を満たそうとしたが、これもすごい行列だった。法善寺横町のかつどんも満席だった。腹が空きすぎて、子供たちは、喰い倒れの人形も、かに道楽のうごく模型もどうでよかった。ぼてじゅうものぞいてみた。その同じビルのタイ料理もなつかしい。しかしそこに入る前にもらったインド料理のバイキングのチラシをみて、どうせならこっちのほうがいいんちゃう? ということになった。

入ってみて失敗したのは、子供用のカレーはなかったということ。味付けはすべて大人向けなので、こどもたちが腹一杯たべたのは、ほとんどナンだけだった。焼きたてのナンはおいしかった。カレーもタンドールチキンも素朴なインド風味で旨かった。パパはおいしいタンドールチキンに満足だったが、家計に響いた。

食後、心斎橋商店街を歩いた。ファッション系の店舗が増え、しかもどの店のファサードも2階まで吹き抜けで白い壁、明るい照明のなかに、ゆとりをもったディスプレイ。高級感を醸し出す手法がほとんど同じなのにがっくりきた。その合間にある安売り店が人を集めていた。安売り店の店頭にたって大声で客を呼び込むのは、心斎橋以外の商店街でやってほしい。これじゃまるで地域の最寄り商店街と変わらない。

心斎橋駅ちかくまできて気づいたが、そごうがつぶれたんだ。地下鉄はいま、心斎橋でどんなアナウンスしているんだろう。以前は、「次は心斎橋、大丸そごう前です」とアナウンスしていた。心斎橋というより、大丸そごう前とさえ覚えていた。ひさびさにミナミまで出てきて、時代に取り残されていることを痛感した。

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2002.08.22(木) 白浜

伏尾台のおじいちゃん、おばあちゃんと、のりゆきおじちゃんとこの家族と一緒に白浜に行った。前回行ったときは、「むさし」に泊まった。亮佑はまたむさしに泊まりたがったが、今回は大北のおじちゃんの紹介でリゾートマンションに泊まることになった。
前回は電車で行ったが、今回は車で出かける。フィットで出かける夏休みの旅行、第2弾だった。

朝7時半ごろに伏尾台を出発。途中、海南の和歌山マリーナシティに寄った。黒潮市場が10時にオープンする直前について、早めの昼飯。生の食材はいいが、料理されたものでおいしそうなものはなかった。亮佑が選んだ揚物は衣もまずくて最悪だった。イクラ丼が生臭くなくて旨かったが、和歌山の特産でもないように思う。岸和田の市場のほうが新鮮な気分になる。11時すぎに出発。

白浜に着いたのは2時ごろ。台風の影響か、このところずっと涼しい日が続いていて、この日の予想最高気温は30度程度。大阪では泳ぐには寒いかもしれないと思っていたが、ここまで来てみると、さすがに泳ぎたくなる気温。しかし、4時までチェックインできなので女性たちはトイレで、男たちは駐車場の車の影で着替えて、車に荷物を載せたまま、浜まで歩いていった。

風がきつかった。白浜までの道のりで車から見える海には、白い小波があったから、風はあると思っていた。でも白良浜では波はそれほどでもなかった。午後2時をすぎた太陽は浜側からみて逆光になる。逆光補正していなかったので、ビデオで撮った映像をあとから見たら、海にいる人が暗くなって良く見えない。午後4時には引き上げると言いながら、1時間も浜辺を楽しんでいると、3時半ごろには晃志は身体中が冷え切って震えている。とちゅう何度も砂浜で身体を乾かしたりしたが、一度冷えるとなかなか暖まらないのか。浮き輪につかまって、ただフラフラしているだけだから余計に冷えるのだろうか。

今回は浜辺でちょこちょこと泳いだだけで、早々に切り上げた。

夕食のとき、コップ半分のビールを飲んだパパは、あまりに空きっ腹に一気に飲んだので、すぐに真っ赤になって、食事中もフラフラ。みんなが食事を終える一足先に部屋に戻って寝た。頭がガンガンする。目が覚めると誰もいなかった。みんな花火をしに浜まででかけたようだ。フラフラ一人で浜まで歩いていった。すぐに見つかると思って辺りを見回したが、見つけられずにまた一人でフラフラ歩いて帰ってきた。

そのしばらくあとに、みんなが帰ってきた。みんなは車で出かけていた。むさしの方まで行っていたらしい。

翌23日の行動計画をどうするか。みんなで相談した。てっきりもう一度泳ぐものだと思っていたら、アドベンチャーワールドに行くか、どうするかという話だった。パパはあまり乗り気じゃなかった。

が、子供たちより大人たちのほうが楽しんだかもしれない。アシカショー、イルカショー、オルカショーが30分ずつ、隣接する会場を移動しながら演じられた。観客はこれらのショーを順番に見ていくように設定されている。アシカは一生懸命見ていたが、イルカショーになると少々飽きてきたのかもしれない。オルカショーになると、結構退屈そうだった。しかし大人たちは楽しんだ。

ところが家に帰ってから聞いたら、亮佑は、オルカショーが一番楽しかったという。夏休みの宿題の絵日記にも、オルカショーのことを描いた。海水プレゼントと称してオルカが尾ひれで水をかけるというイベントで、水槽のすぐ前まで行った亮佑は、オルカを目の当たりにして圧倒されたのだろう。その様子を絵に描いた。

お昼を食べて、パンダを見て、サファリパークはどうしようか、と悩みながら料金表をみていたら、ケニア号という3〜4両編成の列車みたいなバスは無料だった。期待していなかったサファリだったが、なかなかどうして、面白かった。今度時間があれば、歩いて見てみたい(草食動物エリアは徒歩で見ることができる)。

もっといろいろ楽しみたくなった。が、すでに3時。夕食を上本町で食べる計画だったので帰ることにした。


ケニア号での記念写真

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2002.08.31(土) 亮佑の夏休みの自由研究

亮佑の夏休みの宿題。小学校からは、いろいろ例示してあって、どれか好きなものを最低ひとつ自由課題としてやればよかった。亮佑は猪名川の絵を描くと小学校で宣言してきたらしいが、夏休みも終盤に入いると、スケッチに出かけるゆとりはなかった。まず漢字ドリルとか計算ドリルとかのおきまりの宿題をこなすのに時間がかかったからだ。自由研究はひとつでもよいのだか、亮佑はたくさんやりたがった。できるのならそのほうがよいのだが、実際には自ら進んでやろうという気はなかった。

最大の難関は自分自身でやらせるということだった。自由研究といっても、テーマを自分でみつけて、研究させるのは小学2年生には至難の業だ。さらに、どんなテーマを考え出しても、つい大人の目からみてしまって研究というにのにはほど遠いと思ってしまう。パパが考える研究というのは、実際の観察や調査から得られる自分なりの発見であって、書物等による調べもので得られるものは小学生低学年向けではないとおもっていたからだ。たとえば、百科事典や図鑑などに載っていることでも、自分で観察や実験することに意味があると思っている。(亮佑は長期にわたる定期観察は苦手)

昨年の自由研究は、コーラを自分でつくるということだった。どうしてそういうテーマになったか忘れたが、亮佑はコカコーラが好きなので、パパが自分でつくってみたら、といったのがはじまりだったのかもしれない。メロン味のかき氷シロップとサイダーをまぜて、メロンサイダーをつくってあげたのがきっかけだったかもしれない。

実験用の素材として必要なものはパパが用意した。新たに買ってきたのは炭酸水とカラメルソースだけ。まず、炭酸水にどれだけ砂糖を入れたら、ソーダ水としての甘みが出せるか。さらにカラメルソースをまぜて本当にコーラができるか。結果は、コーラの味にはならなかった。コーラの成分表示をみると、カラメルソースではなくカラメル色素となっているし、カフェインが含まれている。甘みも砂糖ではなくブドウ糖液。微妙な甘みのちがいはそれだろう。

さて、今年の自由研究だが、パパは居住地界隈のまち歩きによる観察を提案したが、ママの提案による、市の花・木・鳥をいろいろな市についてしらべることになった。もともと亮佑が箕面市の昆虫館に遠足で行ったとき、通り道の電柱に市の花と市の木の絵が描かれていたことから、ほかの市の場合はなんだろうと疑問に思ったらしい。そのことからの発案だ。これがお盆前の話。

どうしたら市の花・木がわかるか。さっそくインターネットを使って調べてみる(パパ)。すると、案外わからないことが判明した。市のホームページで紹介されていない場合が多かったのだ。しかし副産物があった。市の花・木のほかに、市のシンボルマークがあったのだ。亮佑はそれにはじめて気がついた。そこで、市のシンボルマークを中心に調べだした。

ところがこれもホームページでは紹介されていないところがある。ようやく見つけたものは、大阪府のホームページ内にある市町村ハンドブック(PDF書類)。しかし、亮佑が写し撮るには小さすぎた。パパの記憶では、全国市町村要覧という書物にもう少し大きな市章が載っていたハズ。さっそく家族で図書館に行った。しかし市町村要覧には都道府県のものしか載っていなかった。図書館で問い合わせると、大阪府統計に載っているという。やっと見つけたが、あまり大きなものではなく、これなら市町村ハンドブックで十分だった。

ママがレポートの全体構成のシナリオとレイアウト構成を考え、パパはそれに沿って市章をコピーして拡大したものをプリントアウトした。それを亮佑は画用紙に写せばよい。さらに、研究の目的、方法、まとめ、感想を書けばよいのだが、文案はママの手伝いのもとに下書きできていた。

これらが用意できたのは8月の中ばごろ。しかし、作業は遅々として進まなかった。結局、8月の最終になって、パパかママがつきっきりで叱咤激励しないと作業しない亮佑だった。叱咤激励というか、怒鳴り散らさないとまったくもって机に向かおうとさえしない。机に向かわせても、ペンをもって書こうしない。

最後はまとめ方に関して夫婦喧嘩状態になる。ママとパパの言い分が違うのだ。間に立った亮佑はますますどうしていいのか分からない。パパのいうとおりにすると、ママに直されて、ママに直されたとおりに仕上げたら、パパがなんでや? という。

結局、研究の進め方そのものを亮佑自身が考え出さなかったことが問題だったということだろう。パパもママも自分なりのやり方を押しつけた。亮佑は、いちおうまとめたものの、何をやったのか分かってないような気がする。

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2002.08.31(土) 夏休みの自由研究、晃志の場合

晃志はまだ幼稚園なので、自由研究というわけでもないのだが、この夏休みに大きな収穫があった。それは、絵をかくことが好きになったことだ。

亮佑は、宿題としての絵日記を書かせたが、乗り気がしない絵日記は、絵も文も感銘しない。亮佑には、我が家のイベントがあった度に絵日記を書かせた。その間、晃志が邪魔するといけないので、晃志は絵だけでいいから描いてごらん、というと幼稚園の自由画帳に無心になって書き始めるのだった。

その間、亮佑はボーっとして、絵も文も書いていない。そのうち晃志は、できたぁ! といって見せにくる。おぉ、じょうずやんか! 晃志から絵をみせてもらったときの口癖になった。描くたびに表情や動作がわかりやすくなって上手になっていく。

夏休みのはじめの頃に、おじいちゃんちで見せてもらったブルース・リーの「燃えよドラゴン」がとても気に入った晃志は、帰ってきてからすぐにヌンチャクを振り回すブルース・リーの絵を描いた。それが結構上手だったので、みんなで誉めた。気をよくした晃志は、それからたくさん絵を描くようになった。みるみる上手になった。だれも書き方を教えていないのに。

しかも、絵を描いているときは集中している。モクモクと絵を描く。脇目も振らない。その集中度がいいのだろう。最近の亮佑にはその集中力がなくなってしまった。

「こうちゃん、おおきくなったら、えかきさんになるねん」

といいながら、自分の描いた絵に値段をつけるところが、ちょっと純粋でないような気がする。

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