不定期に更新する子育て記録です。最新は一番下。過去の日記はこちら

2002.05.04(金) 伊丹

パパが子供時代を過ごした伊丹市緑ヶ丘界隈。直樹おじちゃん(パパの弟)が、以前ひとりで訪れたとき、かつて住んでいた住宅(鉄筋コンクリート造のアパート4棟の団地)が、まだ昔のままの姿で残っていた。そのときの写真をみせてもらったら、確かに昔のままだが、老朽化が著しく、コンクリートが剥離したあと(恐らく阪神大震災の被害だろう)も補修していないことから、近々建て替えられるのではないか、と言った。

そしたら直樹おじちゃんは、取り壊されないうちにもっとたくさん写真をとっておきたくなった。おじいちゃんとおばあちゃん、それに子供たちも連れて、撮影会をすることになった。団地のなかにある遊び場の遊具で、自分たちが遊んでいたように、子供たちを遊ばせているところを写真に残しておきたい。

もえちゃん一家は、昨日から箕面にやってきていたので、昼から亮佑と晃志を連れて行く予定だった。お昼前に直樹おじちゃんから電話があって、直接伊丹の現地で落ち合うことになった。ママは体調が悪くてお留守番。

車で訪れたかつての居住地は、なんとなくスケール感に違和感がある。子供の意識で覚えているサイズと大人の視点の差と思う。

しかし、団地は本当に昔のままの姿で残っていた。コンクリート製の土管を並べた遊具など、パパにすると昔なつかしいが、子供たちにはめずらしい。今頃の公園にはみられない遊具で、子供たちは楽しそうに遊んでいた。

敷地内には、土のままのところがいっぱいあって、手入れもされずに放置されているが、いろんな雑草がぼうぼうと生え、花が咲ききれいだった。水たまりではアメンボが泳いでいた。アメンボをみつけた子供たちは大はしゃぎだった。

4棟が田の字に配置された敷地の両端に、それぞれ小規模の公園がある。どの住棟からも子供たちが遊んでいるのを見渡すことができる。昔はベランダから夕食の呼び声がよく聞こえた。そういう安心感のなかで自由に遊んでいたように思う。

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2002.05.06(月) パパのお友達

同じマンションに住むNさんが、管理組合の仕事の打ち合わせに来訪することになった。あさから子供たちにお片づけを命じて、大掃除をした。連休中、散らかし放しになっていた遊び道具を片づけるのにちょうど良い機会となった。

といっても、なかなか片づけははかどらない。片づけ中に何かを見つけると、それで遊び出してしまう。亮佑が、そうして片づけをサボっていると、晃志が言った。

「はやくしないと、パパのおともだち、くんで!」

晃志は誰か訪ねてくれるのがとてもうれしいのだ。いちおう、お仕事なんですけど。

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2002.05.31 千里中華街

千里ニュータウンの中心商業地に中華街が今日オープンした。セルシーを改装して、従来のスポーツ施設をやめて飲食店に変えたのものだ。子供たちは、音楽教室を終えて、夕食はそこでとることに。

仕事中に何度もお誘いの電話が入ったが、呼び出されてから行っても職場からは1時間はかかる。仕事が溜まってて無理無理っといって断ったが、実際には1時間半の行列だったらしい。行けば間に合ったかも。

子供たちは、長い待ち時間ののちに体験した回転飲茶に大喜びだったらしい。値段に構わず、好きなお皿をどんどん取るので、ママは内心ハラハラしてたとか。

(後日、あらためて見学したけど、テーマパークみたいな張りぼて中華街にがっくり。期待はしてなかったけど。やっぱり神戸まででかけなくっちゃね。)

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