2000.09.02

亮佑が3歳になったときに購入した二段ベッドだが、いろいろ理由があってパパの実家で保管してもらっていた。晃志も3歳半ばをすぎて、添い寝しなくても眠れるようになったことだし、そろそろ復活しようかということになった。最大の要因は、二人の寝相がとても悪いので、毎晩ママが顔を蹴られたり、二人に寝床を奪われたりして安眠できないからということかもしれない。

ベッドの解体と搬出作業は大変だった。本当はもう少し涼しくなってからしたかった。パパの実家はエレベータのないマンションの5階。おじいちゃんに手伝ってもらったが、ベッドの重いこと。日頃運動不足がたたってとても疲れた。そしてすごい汗。頭から汗がしたたり落ちてくる。こんなに汗をかいたのは久しぶり。疲れたけど運動して流れる汗は気持ちよい。が、暑い! 搬出終了後、水のシャワーを浴びたが、体温の上昇を抑えきれず、シャワーを浴びたあとも汗が噴き出てきた。

亮佑を連れ行ったので、彼の座る場所を確保しなければならないが、特別サービスとして助手席にしてあげたら、CDの操作ができると言って大喜び。いつもは後部座席だからだ。

晃志は音楽教室だったのでベッド搬出についてこれなかった。晃志も行くと言ってダダをこねていたので、パパとママがいつものようにダダをこねるなと叱っていると、亮佑が「そしたらヤマハ終わったら言ったらいいやン」と諭すようにいうと晃志は納得していた。パパはそれをみてしごく反省。亮佑はえらい。

ベッドを車に積んで戻ってきたとき、家の近くの交差点に止まっていたバスから晃志が降りるのを亮佑が発見した。パパはその交差点を左折するために左後方を確認してたので右前方のバスから降りる人には気づかなかった。降りていた人影は感じていたが。車のなかで、晃志? 晃志や!と叫ぶ亮佑。

駐車場にとめて車を降りると、大声で「こうじぃ!」と叫ぶ亮佑。よっぽどうれしかったのだろう。しかしなかなか現れない晃志。迎えに行くというが、パパは帰りがけに買ったアイスが溶けるのが心配で一刻も早く冷凍庫にしまいたかった。とりあえず家に入ろうというが、亮佑はどうしても迎えに行きたい。一旦玄関先まできたが、ふたたび廊下を走ってマンションの入口までいって、晃志を迎え入れた。

晃志も大喜びで、二人で大はしゃぎだ。不思議なものだなあ。いつも一緒にいるとすぐに喧嘩しだすのに、こうして二人が別々のところに行っていると、戻ってきたときは二人で大はしゃぎしている。兄弟ってそんなんかなあ。

そういえば、パパが小学生のとき、3つ下の弟が夕刻になってもなかなか帰宅しなかったとき、本当に一生懸命に探しに行ったことがある。トトロのさつきちゃんがメイちゃんを探すときみたいに、だんだん日が暮れて薄暗くなってきたら、めちゃくちゃ不安になったのを覚えている。トトロのさつきちゃんと全く同じ心境だった。結局ともだちと帰宅するところを見つけたが、弟は何喰わぬ顔でもどってきたよなあ。あのときは心配して損した気がした。

そうそう、二段ベッド。まず二段ベッドを入れるために部屋を片付け、タンスを別の部屋に移動して、ようやく車から搬入したのはとっぷりと日が暮れてから。夕立があったので、そのあとのこと。昼間とちがって階段の上り下りもないし、雨上がりで涼しかった。

すこしずつ組み立てられていくベッドに二人とも大はしゃぎ。亮佑は組み立てを手伝いたくてしようがない。重い部材を運ぼうとする。せっかくだから、ちょっとだけ手伝ってもらった。組み立てるときにちょっとだけ支えてもらった。それで亮佑は満足だった。

さて、いよいよできあがったベッドの2階部分。亮佑も晃志も上りたくてうずうずしていたのだが、いい気になって上ったものの、どうも二人とも降りるのが怖いらしい。亮佑は泣き出してしまった。

そういえば亮佑が3歳のときも降りるのは怖がってたっけ。あのときと変わらない。ママが励ましていると、晃志は勇気をだして降り始めた。それを見ていても亮佑は降り方がわからない。怖じ気づいて泣いたままだ。ママと二人であきれてしまった。あんなに喜んでたので、怖がるなんて思いもよらなかったからだ。

しかたなくパパが降り方の指導をする。しかしベッドの上で立つことさえできない。膝が笑ってへっぴり腰だ。どうしようもない。 もう少し落ち着かせてから再度挑戦。手をベッドの縁にかけて、縁を跨いで片方の足を梯子の一番上の段に載せたら、もう一方の足も跨ぐ。そのときしっかりと両手でベッドの縁をつかんでおくこと。

最初片方の足が梯子の段につくかつかないかのうちにすぐ引っ込めてしまうほど怖がっていたが、足がつくと安心し、手でしっかりつかまってられると、両足とも梯子に載せることができた。そこまでくるとあとは降りるだけ。とんだ一苦労。

降りれたら本人は、「なんや、簡単や」と言ってケロッとしている。 晃志は最初から一人で降りれたものだから、何度でも上り下りしている。挙げ句の果てにママの挑発にのって、梯子なしで降りた。上段の縁に手でつかまって、下段の縁に足をかけたら、そこから後ろ向きに飛び降りるのだ。さいわい、ベッドの横にはママの布団をしいていたので衝撃は吸収される。気をよくした晃志はなんどでも飛び降りる。

亮佑もやってみろ、とけしかけてみたが、怖がってしようとしない。手助けをしてやるからと言って、両手を出して待ち受けてやると少々安心したのか、亮佑も挑戦してみた。晃志より身長があるので、下段のベッドにすぐ足がつく。亮佑も梯子なしでおりることができた。しかし、やっぱり怖かったのか二度と試みない。かならず梯子で降りるのだ。

ちなみにこのベッドの梯子。若干傾斜がついているので、家族は「かいだん」と読んでいる。この二段ベッドの我が家での呼称は、かいだんつきベッド。 大はしゃぎでなかなか寝込まない二人だったが、寝入ったあと様子を見に行くと、二人ともベッドをところ狭しと寝返りをうっていた。晃志などは短辺方向に寝ていたりした。

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2000.09.03

階段付きベッドで寝た翌朝。晃志がおねしょした。

晃志は、絵本「ベッドのしたになにかいる」が好きだ。怖いけど好きだ。かいだんつきベッドがきてうれしかったが、なにかいるかもしれないと思っている。

パパと晃志の会話
「ベッドのしたに、なにもいなかったで」
「そうか、何もいなかったか。よかったなあ。」
「でも、こうちゃんおねしょしちゃった。」
「おねしょしたんやったら、おねしょお化けがいるのかもしらんなあ」
「...」

その後の亮佑と晃志の会話
「かいだんつきベッド、きてよかったねえ」
「うん、よかった。でもこうちゃん、おねしょしたん。おねしょオバケがいるかもしらん」
亮佑、困った顔をして「うーん」

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2000.09.04

晃志は念願の体操教室に行くことになった。 これはママからの伝聞。体操教室についた晃志は、音楽教室のときは打って変わって水を得た魚のよう。広々としたマットでいきなり側転をしたらしい(でも足はまだ高く上がらないけど)。家のなかでは狭くてできないので、おおよろこび。BGMにウルトラマンダイナがかかると、俄然ハッスル、本領発揮の晃志。それはそれは楽しかったらしい。帰宅すると、よっぽど疲れたのか、自ら「こうちゃん、ねる」と言ってベッドにむかったらしい。

体操教室の様子を聞いた亮佑も、体操教室に行きたがった。もともと5歳になった段階で連れて行ってやるつもりだったが、ママのピアノ教室と日程が合わなかったか、お絵かき教室と重なったかで、連れて行くことができなかったのだ。

晃志の場合は、亮佑がお絵かき教室に行っている間に行くことになった。実は土曜日に通っている音楽教室がママの体力的につらいところがあるから、それを止めて代わりに体操教室ということだったのだ。音楽の方は、晃志もようやく興味を持ち始めたところで、亮佑をまねて階名で歌ったりすることもあったりして、これからという時期だが、しかたない。曜日の都合がつく来年度までお預けになる。

ところで最近、晃志は一人でウルトラマンごっこをしてるので、ちょっと不安だった。一人芝居のようにウルトラマンになりきって、見えない敵と戦い続けている。ほっておくと延々何時間でも闘い続ける。亮佑がちょっかいを出そうモノなら、「りょうちゃんとたたかってるんちゃう!」と言って怒り出す。いつでもどこでもすぐ妄想して戦うので、最近パパは心配になって、「こうちゃん、一人で戦ったらあかん。亮ちゃんとかお友達と闘いなさい」と言って、一人で戦っている姿をみつけると。「こいつぅ、また一人で戦ってるなぁ」と言って相手になってやっていた。

体操教室に行ってこの妄想癖がなくなってくれると良いのだが。

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2000.09.09 亮佑、はじめてのお留守番

晃志の音楽教室の日。お昼ご飯を食べたらすぐに出ないと間に合わないが、パパが駅まで送っていくことになった。 めずらしくパソコンをいじくっていた亮佑に、晃志送ってくるからお留守番しときな、というと、いいよ、とあっさりした返事だった。一瞬耳を疑ったが、何事もなくパソコンに向かっている亮佑に向かってもう一度、お留守番できんの、ときくと、「送っていくって駅までやろ? だったら大丈夫。」

へーっ、突然お留守番できるようになるんや。びっくり!仰天! ママも驚いていたが、そこは表情に出さずに、玄関先で明るく、いってきまーす! と言うと、亮佑がパソコンいじりながら、ばいばい、と答える。ママと顔を見合わせると、わかってんのかな? とママが言う。ええんちゃう、とパパ。

実際、駅まで送って戻ってきても、元気に「おかえりい!」と言って迎えてくれた。 亮佑、はじめて一人でお留守番の巻、とりあえず難なく終了しました。

2000.09.14 ドンパ

両手を前で合わせてドン、前方に押し出してパ。これを交互に繰り返して、ドンパ、ドンパは2拍子の練習。ドンパッパは3拍子。晃志はドンパッパが出来ない。

ママから聞いた話。亮佑が見かねて教えてあげると言い出した。亮佑も以前はリズム打ちができなかったこどなど忘れている。ずっと前から出来ていたかのように晃志に教える。「そうちゃう、こうやん」などと言いながら教えていたそうだ。 ママはしばらく見ていたが、その場を離れて家事をしていたら、急に晃志が泣き出した。亮佑に聞くと、叩いたり怒鳴ったりしたわけではないらしい。晃志は思うようにリズム打ちが出来なくて悔し泣きしたのだった。「 亮佑といっしょ」、とはママの言。

2000. 09.16 新幹線大雨で1時間半停止

東京出張の帰り、2時半に終わった委員会から直行で帰宅。市ヶ谷でチケットを買おうかとも思ったが、時刻表をしらべているうちに、念のために東京で買うことに変更。雨が降り出した。降ってなければ秋葉原に寄るつもりだったがあきらめた。東京駅で緑の窓口のTVモニターに出てくる空席状況を見ていると、市ヶ谷で時刻表を調べたときには乗ってなかった列車があった。新大阪止まりは4時までないハズだったのに、3時24分と31分が立て続けにあった。すでに15分だったので、31分にした。

ホームに上がると24分と同じホーム。24分でも十分間に合った。しかし、24分のほうが混雑している。指定席をとっているのに、こっちが空いてて良かったと思う。全体が空いていると指定席も空いている。

ところが、定刻の31分を過ぎても発車しない。ほとんど聞こえない小さな音で車内アナウンスが、大雨で通行止めになったことを伝えた。前の席横一列の老人たちが大声で喋っているので詳しく聞き取れないが、どうも新横浜・小田原間で大雨らしい。

35分くらいになって老人たちは異常に気づき始めた。また大声でどうして発車しないだなんて騒いでいたら、通路を挟んで反対側の客が大雨で発車を見合わせていることを伝えた。大声で喋っててても車内放送は聞けよ、自分勝手に辺り構わず大声で喋るのはまるで幼児。 30分ほどして、通行止め解除の知らせがあって、しばらくして動き出した。とんだ災難だと思いながら外をみると、東京駅周辺の雨は上がっていた。しかし31分発よりあとの列車だったら、ホームで待たなければならなかったので、車内でゆったりしてただけ良かった。 ところが、新横浜に着くと、そこでまた足止めだ。今度は1時間も止まっていた。止まっている間に、空いていた横の席に人がきた。新横浜から後の列車に乗るはずの人たちが、空いている席に乗ってきたのだ。そりゃそうだろう、都合1時間も遅れている。どうせなら、あと30分遅れて欲しかった。そうすれば払い戻しがあったのに。 新横浜を出る頃には、新横浜も大雨になっていた。 新大阪には6時半に着く予定だったが、1時間15分くらい遅れて付いた。名古屋からは各駅停車だったから、それほど遅れを取り戻してない。あとから着いた列車は東京で30分くらい後の列車だったが、10分くらいあとで着いていた。 とても損した気分だ。 夕刻に着く予定だったので、食事は帰宅してからと思っていたが、腹が減った。何か食べようかどうか10分くらい迷って、駅構内をうろうろした。新幹線のなかでの弁当が1200円もしたので、駅でなにか食べた方がおいしいから我慢しようと思って、いざ駅に着いてみると、1200円もの食事をする気にはならない。できるだけ安くてうまいところと思って探してみると、構内にはおいしそうな店はない。下に降りると、美々卯のうどんがあるけどなあ、と思いつつ、やっぱり止めた。電話して、ごはんがあるかどうか聞こうとしたが、あいにく10円玉がなかった。 結局、池田まで何も食べなかった。喰うものがなかったら困るので、池田でパンを買って帰った。正解だった。子供たちの夕食はおじやだったのだ。残りのおじやが茶碗一杯あったので、昨日実家から持って帰ってきたおかずの残りといっしょにかき込んだ。でもまだ満たされないので、買ってきたパンを頬張った。 それにしても、新幹線に4時間半乗ってたことになる。それでなくてもずっと座っているは疲れるのに、とっても疲れた。

2000. 9.17 バルサン

夏の暑さと湿気で地下室はカビが生えたり、ダニが発生したりで大変。バルサンしようと思い立って、雑然と積み重ねている書籍やガラクタを片づけ始めた。バルサンしだしたのは12時くらいだったろうか。亮佑がいつもバルサンしよう!と楽しみしてたので、けむりを出す瞬間を見せてやった。モクモクわき出るけむりは昔ながらのバルサンの威力。おもいしろい。 しばらく放置し、夕方買い物からもどってきて、部屋を空けると、けむりとその臭いが立ちこめていた。換気が出来ないのが地下室の難点。窓を開け、換気扇をかけて、扇風機をまわして、ドアを閉めて上に戻ったが、臭いにむせてしまう。 こんなに臭かったっけ? 臭いなんて覚えてなかった。深夜12時頃、ようやく臭いが取れたような気がするが、2時頃寝床についても、やっぱり臭い。

2000. 9.23 運動会、雨で順延

運動会は雨で順延 パパは、オープンキャンパスへ

2000. 9.24 運動会

雨で順延になった亮佑と晃志の幼稚園の運動会。兄弟揃って参加するのは今年だけ。晃志にとっては初めての運動会。両方のジジババに来てもらった。ちゃんとできるかな。 連日の仕事疲れからパパは昨夜バタンキューと寝てしまった。おかげで今日は早起き。録画のセットを忘れていたティガが始まる時間にはしっかり起きて録画を開始した。それから、3畳敷きのブルーシート(色は緑なんだけど)を持って、近くの公園の運動場まで歩いて場所取りに行った。運動会は幼稚園で行われるではなく、公園の運動場を借りて行われるからだ。 テント張りは7時集合だったので、まだ公園には何も設営されていない。テントがどこになるか分からないが、とりあえず木陰をキープ。 亮佑は、パラバルーンとリレーと集団ダンス(花まつり)に出る。晃志は、障害物競走(干してある洗濯物をとってかごに入れてゴールに向かう)。そのほか保護者と一緒に出るのがそれぞれ1種目ずつ。全園児でオブラディオブラダを踊ったりする。

2000. 9.30 晃志は数えない

お風呂で、晃志に20まで数えたら上がっていいよ、というと晃志は、いち、にい、さあん、と数え始めた。ところが18まで数え終えると、もうあがっていい?というので、だめ20まで。

さて、あと2つなのに、20までが言えない。いつもは数えられるのに。しかも、21、22、23なんていつも言っているのに。で、

「じゃあ18の次は?」と聞くと、「わかえへん。」
「なんで? いつも数えてるやン。じゃあ、8の次は?」
「わかえへん。」
「え、なんで?」
「つぎがなんかわかえへん。」
「つぎっていうたら、順番にかぞえていったときの、8のあとのこと。順番にかぞえてごらん」
「いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう」
「なんやった?」
「わかえへん」
「じゃあ1のつぎは?」
「に」
「にのつぎは?」
「しゃん」
「さんのつぎは?」
「・・・」
「わからへんようなったら、さいしょからかぞえたらいいねん。これは?」と指を1本たてる。
「いち」
「これは?」と2本立てる。
「にい」
「そう、じゃあこれは?」
「しゃん」
「そう、じゃこれは?」
「・・・」
「いちから数えてごらん」
「いちにいさんしい・・・じゅう」
「そうやん、さんの次はなんやった?」
「わかえへん」
「さんのつぎは?」
「あたまかゆくなってきた」
「あかん、ちゃんと答えなさい。さんのつぎは?」
「・・・・」
と黙ったかと思うと、泣き出した!
「泣いてもあかん。泣いたら許してもらえるともったらあかん。晃志はもう3歳や!」

晃志の常套手段だった。都合が悪くなると話をそらすのだ。晃志は質問に答えられなくなると全く違う話を突然始める、大人びた逃避癖がある。20で上がるはずだったのに、このやりとりのおかげで3〜4分になったので暑くなってきたのだ。分かっているけど、話をそらす悪い癖を直さないといけない。そして最終的に泣いて許しを請う。しかもママに助けを求める。まだ3歳なので当たり前だが、自分で考えようとしないのはいけない。なにも、お風呂に入っているときにとは思ったけど、パパと接している時間は週末しかないから、その時々に注意しないといけない。 実は、晃志が数えられないのは今に始まったことではない。20まで数えろというと20まで順に数字を言っていくが、数えているのではなく暗唱しているだけなのだ。