『趣味!』の研究
先日、ジャンプの為にダイコロ飛行場を訪れた時に、『元祖エロおやぢ』さんから、訪ねられた。
「宗像さんはあれかい、気球が「本職の趣味」なのかい?」
「本職の趣味」という言い方も、「アメリカの日本晴れ」くらい矛盾に満ちた言葉だが、言わんとすることは想像がつく。
要は「あなたの人生で、趣味として王道と見なしている物は何であるのか?」、と訊きたかったのだろう。
その内容を要約すると、「あれかい、本職の趣味?」、と言う実に簡素なフレーズになる。
ひょっとしたら『元祖エロおやぢ』さんはコピーライターの素質があるのかも知れない。
口さがない友人は「おまえの趣味は自虐だろー」などと言うかも知れないが、それはさておき、「気球が趣味」というのは、数年前まで胸を張って言えたが、最近は疑問に思うことがある。
そもそも、趣味というのは「頼まれもしないのに、自ら好んで、損得勘定をしないで行うこと」ではないだろうか?
確かに僕にとって気球は「やっているからと言って、褒められもしないし、モテもしないし、金は出て行く一方」という、胸を張って趣味だと言える物であった。
ところが、近頃は気球が趣味というのに疑問を持ち始めた。
もちろん最近になって、気球をやっているからと言って「褒められ」たり、「モテ」」たり、「金が儲か」ったりした訳ではない。
問題なのは「自ら好んで」の部分だ。
そもそもここ数年僕は、気球を好んでやっているのだろうか?
何でもそうなのかも知れないが、長年やっているとしがらみやら何やらで、やりたくなくてもやらざるを得ない場面も生じてくる。
たとえば、僕はイグザミナーなんかやりたくもないのに、立場上やるしかない、と言ったことが起こる。
酪農学園の面倒は、酪農学園のOBが見てね、と言われてしまう。
もちろん仕方のないことだけど。
でも、イグザミナーなんか、本当はやりたくないんだよな。
じゃあ、翻って、ジャンプは果たして『趣味』だろうか?
考えてみると、あんまり状況は変わらないように思う。
Dライセンスを取らなきゃならなかったり、桶川や藤岡に行って挨拶したり、やっぱりしがらみから逃れることは出来ない。
何に付け、長く物事を続けると、楽しむだけでは事が済まなくなってくる物なのか。
『俺が飛べないなら、俺は行かない』などという『お子様理論』でカタを付けるなら容易いけど、しかしそれでは何時まで経ってもジャンプも気球も発展していかない。
やっぱり自分が飛べなくても、やりたくなくても、自分の好きな物の発展を願うなら、『空を飛ぶことの先輩』として、その後輩の為にする義務を負っている筈だと思う。
もっとも、そんなことを考えているのは、空を飛ぶのを趣味にするスーパーエゴイストの集団の中では、少数派のようだが。
結論 そう考えて、身上書の趣味の欄に思わず、『釣りと読書』と書いてしまうのです。(笑)