日本でジャンプする、の研究
研究レポートの更新が延び延びになっていますが、その間、様々な場所で、様々な「しでかし」をして来ました。
その「様々」の内容は、
追々更新するうちに明らかになる…かも知れないが、今回は、ジャンプネタで、皆さんのご機嫌を伺おうという腹づもり。



さて、もう2ヶ月も立ってしまったが、ダイコロ飛行場に一人の人物がやって来た。
TSCの
志村直哉さんその人である。
志村さんと言えば、16年前に桶川の本田エアポートで、僕が初めてスカイダイビングの門を叩いた時、すでにインストラクターをやっており、今現在も桶川の重鎮として、また、マスターリガーとしてパラシュートメカニズムの安全性に貢献している、僕から言えば雲の上の人、である。
(「ジャンパー」なのに「雲の上」は変ではないか、と言うつっこみは無視します。)
志村さんは、いわば日本パラシュート界の
「鉄人」の一人である。
桶川でアメリカ並みの不自由無いジャンプを行っている雲の上の人、志村さんが、わざわざ下界に降りてきてダイコロでジャンプをするというのだから、これは北海道スカイダイビングクラブにおいては、大きな一歩となった。
なぜなら、桶川では、飛行機はターボプロップ機のキャラバン、高度は12500ftが常時なのに対して、ダイコロはと言えば、レシプロエンジンのセスナ172だし、高度だって夏場なら、6000ft程度だ。
これじゃ、志村さんの立場にすれば、わざわざ高いお金を出して、普段より
しょぼいジャンプをしに来るような物である。
例えて言うなら、料理の鉄人を呼んでおいて、
インスタントラーメンを食わせる、と言った所行に近いか。
それでも嫌がらずに来てくれて、磯谷さんと交流を持ってくれた志村さんは、本当に懐の深い方だと思う。
16年前も、そして今回も、大変お世話になりました。感謝。





そんな訳で、桶川からの表敬訪問を受けた北海道スカイダイビングクラブとしては、もう一つ、行かなければいけない
「聖地」があった。
「藤岡」である。
現在、日本のスカイダイビング界は3つの大きな団体がそれぞれのDZを受け持っており、その中の一つが藤岡DZを有する日本パラシュート協会だ。
16年前、僕がジャンプを始めた時は、桶川と藤岡はまだ相互に行き来があったが、その後袂を分かち、それぞれ別の団体として運営を行っている。
そして、現在、北海道から東京のスクールに通うジャンパーは藤岡、桶川、と二つに分かれ、それぞれ別の環境で育った人が、北海道で一緒に飛ぶ、と言う、ちょっと不思議な現象が起こっているのだ。
(その他、「ハワイでスクールを…」という人もいる)
でも、何処で習おうと
ジャンパーはジャンパーである。ましてや、僕らは選り好みを云えるほどクラブ員が一杯いる訳じゃない。一定の技量さえ有れば「ウエルカム」と言って受け入れなければ、DZそのものが消滅しかねない。
さらにもう一言言うなら、僕は
もめ事が嫌いなのだ。
狭い世界なんだから、出身や種目に拘わらず、色んな人に北海道で飛んで貰って、DZを盛り上げて貰いたいのだ。
そんな訳で、「本家、桶川」を表敬訪問した以上「聖地、藤岡」に行かずばなるまい、との固い決意の元、その旨を伝えた所、
「おいで」とあっさり言われたので、行ってきた。



結局、天候が悪くて、僕は藤岡でジャンプは出来なかった。
(藤原さんの説教は、十数年ぶりに、たっぷり聞いてきましたが…)僕のジャンプは良いとして、ヘリジャンプのスクールが見れなかったのが、心残りだった。
でも、第一の目的である、藤岡のジャンパーに北海道に来て貰う、と言う、当初の目的は何とか達せられたとおもう。
これによって、彼らが北海道の現状を知って、今後の北海道からのジャンパーのスクーリングに生かしてもらえればと思う。
個人的には、北海道のジャンプの発展は、全方位外交しかない、と思っているから。



結論 エー、藤原さんの説教を一緒に聞いてくれる人、募集中です。



←『北のコマンドー』と『都の鉄人』の
  ツーショット。
  僕的には感無量。
←この風景が、桶川ではなく、
 ダイコロである証拠に、後ろの飛行機が、
 セスナ172。(しかもドア無し)
←志村さんにせっかく来て貰ったのに、
 当日はこの天気。
 後ろ姿は、この天気の責任者。
←藤岡のバンクハウス。
 まるっきりアメリカ使用。
 すげーなー。
←京子先生に、
 マイギアのチューンナップをして貰っている。
 その結果は、次回のジャンプで判明する…
←僕が日本でジャンプする為に取った、
 今年の会員証の数々。
 このほか、オーストラリアの会員証もある。
 この現状が、早く改善される事を望みます。