荒川区の研究


              


巷はオリンピックで、大変に盛り上がっているようだが、僕自身は久しぶりにリアルタイムで観戦している。
と言うのも、大学に入学し、夏の上士幌の大会に出るようになってから、この時期は
寝袋生活、テント生活が続き、TVを観る事の出来る状況に無かったからだ。
(まぁ、生来、他人のやる事に対して興味を示さない、ひねくれ者だったせいもあるけど)
そんなこんなで、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、シドニー、と殆どオリンピックを観てない。
ロサンゼルスの時など、ようやく年末のニュース特集で、女子マラソンのアンデルセンがふらふらになりながらゴールする映像を見て、「へー、こんな事が有ったんだ。」と母親に言ったら、
「何言ってるの、私なんか、この映像を何十回も観て、そのたびに感動して…」と説教されてしまった。
年寄りは、話が長くて嫌いだ。

そんな訳で、今年は本当に久しぶりに真面目にオリンピックを観た。
暇なのもあるが、連日、日本人の活躍が伝えられるので、ついつい観てしまうのもある。
けっこう、ミーハーなのだ。
それ以外に、ちょっとしたきっかけが有ったのも事実。
と言うのも、オリンピック前半を賑わせた、男子競泳の北島選手の活躍である。

別段僕は水泳が趣味ではないが、何を隠そう、北島選手の生家のある
東京都荒川区は、僕の生れ育った土地でもあるのだ。
「エー、あんた東京生まれなの?(そう)見えなーい!」
と、言われる輩もいるが、事実そうなのだ。
僕は、東京生まれの
シティーボーイなのだ。(自称)
所が、東京生まれに見られないのも、さも有りなん。
「荒川区」は東京の中でも、異色、と言うか、異端、と言うか、端的に言うと、
「そんな区有ったっけ?」と他の都民から言われてしまうほど認識の薄かった区なのである。
僕が小学校時代によく言われたのは、
「東京都23区の中で荒川区は、23区中、24番目である」と。
…いやー、酷いよね。
23区中、24番目って…。
お情けで「区」になったのかい、荒川区は?
さらに、小学校の時の教科書に書いてあった荒川区の紹介文章に「荒川区は、ちょうど首のない鳥の形をしています」と書いてあったけど、「首のない鳥」って…
こんな事言われて、
郷土に誇りを持てる訳無いじゃん。
何いってんの。
でも事実、これと言った産業もなく、町は全て下請け工場ばかりで、とにもかくにも東京都内で平均収入はダントツに低かった。
日雇い労働者が昼間から酒を飲んで道に溢れ、在日朝鮮人と日本人とのケンカが絶えず起こり、東京ゼロメートル地帯の為に大雨が降ると下水管が逆流し、人糞の混じった下水が通りに溢れた。
僕と兄は、溢れた下水の人糞の臭いを嗅ぎながら、
「いつかこんな町出てやる」と誓った。
そんな状態だったので、僕は結局、故郷の荒川を離れ、北海道に移り住む事になった。
トラウマから逃げるように。
だが兄は、実家を継がねばならぬ状況もあり、荒川に残った。
でも、やっぱり、兄も荒川区がイヤだったらしく、車を買う時、どうしても行政区の「足立ナンバー」がイヤで、住所を「品川ナンバー」のとれる文京区へ移そうとした。そうしないと結婚相手も出来ないと思っていたらしい。
住所を移す移さないで、親子喧嘩になった。今考えれば、馬鹿馬鹿しい話だが。

そんな遠い過去の暗い思い出なんか関係ないように、今回、北島選手がどうどう荒川区出身として、二冠をとった。
よかった
あぁ、故郷を離れて20年。
僕たちが子供時代に後ろめたく思っていた
荒川区育ちは、もはやハンデにはなっていないのだ。
もう、23区中24番目などと、揶揄されるトラウマなんか、関係なくなっているんだ。
荒川区出身も、東京出身者と名乗っても、後ろめたさはない、人類平等の社会になったのだ。
21世紀万歳、平成万歳。
僕は感無量だった。

テレビには、地元、荒川区の商店街の風景が映っていた。
「懐かしい!」子供の頃見た風景に、柄にもなくノスタルジーを感じていた。
今年の秋には地元に帰ろう、荒川区は良い所だ。僕はそう思った。
が、そんななか、インタビューを受けていた商店街のオヤジが一言、こう言った。
「イヤ〜、ようやくこれで
何にもない荒川区にもようやく名物が出来ました…」
…その後TVでは「23区中24番目」としての荒川区の紹介がなされた。


結論 僕の自虐思考は、きっと荒川区生まれから来ていると思う。