ひとりごと

僕ら、獣医師にのみに許されている行為で、代表的な物に「人間以外の動物の診療」がある。
「動物の診療」はたとえ飼い主であっても、獣医師の免許がないと許されない。
そして、それは国が定めている物である。
「動物の診療」と聞いて、普通の人は、白衣を着て聴診器を付けて、動物達に注射して…などという行為を想像するだろう。
しかし、それは治療であって、診療ではない。
診療とは、治療行為も含めた、もっと広い意味を持つ。
診療であって、治療ではないものを、もっとも端的に表す物に「安楽殺」がある。
安楽殺は、人間の世界では認められていないが、動物の世界では毎日行われている。
安楽殺の理由は様々だ。
僕の関わっている臨床の現場では、多くの場合は「治療による治癒の見込みがない」場合となる。
細かく言えば、「(払える治療費での)治療による(費用対効果の)治癒の見込みが(多分)ない」場合、というのが正確かも知れない。
動物と云えども、人間と関われば、資本主義の理念からは逃げられない。
安楽殺は、僕らもやりたくはない仕事である。
曲がりなりにも、動物を治療する為にこの職業を選んだのだから、出来ればやりたくはない。
それでも、百歩譲って、自分が治療を担当し、その結果が安楽死で有れば仕方のない事だと納得できる。
ところがここ何年かで、治療とは全く関係のない「安楽殺」が増えてきている。
それは、アライグマである。
ペットとして飼われていた物が逃げたのか逃がしたのか、どちらにしても飼い主の無責任さから、自然繁殖してしまった物だ。
狐とは違い、アライグマは雑食性の為、畑の作物を食い荒らし、畑作農家から目の敵にされている。
農家は自衛の為、罠を仕掛けるようになり、罠で捕まえたアライグマを役場に持ち込む。
そして役場の人が処分に困り、僕らのところに持ち込むのである。
その数が、毎年5倍くらいの勢いで増えている。
この安楽殺は、本当にやりたくない仕事だ。
この作業は、ひたすら「命を奪う」と云う行為のみが求められ、「診療行為」という名目からは、ほど遠い。
それでも、獣医師法によれば、これは獣医師しか行う事が出来ず、また、獣医師は正当な理由無く断る事が出来ないのだ。
僕は獣医になって、「動物の治療行為を行える」権利を獲得したが、同時に「動物の安楽殺を行う」という義務も発生した。
子供の頃は、そんなことは考えても見なかったけどなぁ。