佐賀、卑弥呼杯の研究 その1
 5月の最終週に、春にある大会の中では最も遅いと思われる、
『卑弥呼杯』にエントリーするべく、九州は佐賀県、吉野ヶ里へ行って参りました。
 『卑弥呼杯』は名前の通り、女性パイロット限定の大会なので、酪農学園4年生の井上有美を『俺に任せれば、卑弥呼襲名をさせてやる』とそそのかしてエントリーを決めた。
 井上本人は
「はー、卑弥呼ですか?」とよく判って無い様子だったが、有無を言わさず僕が集めた書類に強引にサインをさせて、勝手に大会本部に送りつけた。
 すぐに、逃げられないように宿とフェリーも押さえた。
 
「悪のマネージャー、再び…」という訳である。
 思えば、女王様の時もこのテを使ってフランスやフィリピンまで拉致したのだから、あんまり騙す手口に進歩はない。(もっとも
女王様の時は、騙すつもりで自分が騙されていたのを後々知る事になるのだが…)

 ところが、やっぱり
長距離遠征という事でお金や休みの都合上、学生からのスタッフは4年生の糸田君たった一人という事になってしまった。
 僕を入れても3人にしかならない。しかも、卑弥呼杯は必ずオブザーバーをチームから出すように求められている。出さない場合は、フェスタ扱いだという。
 仕方がないので、対外的に助っ人を頼んだが、なかなか見つからずにせっぱ詰まっていたところ、有り難い援助の手がさしのべられた。
 酪農学園OBで広島在住の
湯籐君である。
 何しろ彼は、酪農学園OBの片岡氏が10年ほど前に佐賀にエントリーした際にもスタッフで行っているという事で、土地勘もある。佐賀へはオフィシャルでしか行った事のない僕は、あまり自由に動き回る時間がなかったので、いまいち佐賀の地理が判っていなかった。これで、その不安は払拭された。
 さぁ、いよいよこれで
『卑弥呼襲名』にむけて、またしても酪農学園の『旅』が始まった。



例によって、先にフェリーで学生達を送り込み、その後飛行機で僕は大阪まで飛び、ピックアップしてもらった。
北海道から、九州佐賀へ。
判っちゃいたけど、いや、
遠かった…
上士幌の大会実行委員会の方も、一度やってみるといいと思う。「気球担いで、日本の端から端まで移動する」と言う事がどういう事なのか。
 身を持ってそれを知れば、自分達の大会に人が来てもらう為に、何が必要なのか、少しは参考になるのではないでしょうか。
(昔はやってたんだよねー)

そんな訳で、湯籐君の待つ広島へ、気球を担いで一路、中国道を南下する我々3人であった…

続く…





←左から卑弥呼(候補者)、
 糸田、湯籐君。
 この時点では、
 酪農学園の結束を誓った筈だが、
 翌日は覚えていなかった…
←熱い!熱いぞ!語る湯籐君!
 因みに彼は獣医師で、
 現在、牡蠣の診療に関わっている。
 うーん、
 獣医師は、人間以外の全ての動物を診る、
 とは云え、
 これは、凄いなぁ…